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【独占直撃】“憧れの日本”に留学し日本国籍取得、日本名を「タケヤマ」に!朝鮮半島専門家・李相哲教授の知られざる凄絶半生②
2023年3月16日 UP
朝鮮半島の専門家として、情報番組や報道番組で連日のように解説をしている龍谷大学・李相哲教授。そのルーツは複雑で、実は中国生まれで元共産党員だったことや、現在は日本国籍を取得していることなどはあまり知られていません。李教授はどのような半生を経て、現在のような「朝鮮半島の専門家」になったのでしょうか。読売テレビ「ミヤネ屋」のプロデューサーが聞きました。(全4回の第2回)

―日本に来たきっかけは何ですか?
(李教授)
「1987年の9月、ちょうど27歳になるときに、初めて日本に留学しました。当時は、中国で新聞記者をやっていたのですが、若い人たちは日本に憧れていて、『世界最高のものは全部日本にある』と思っていました。上智大学で新聞学を学びました」
―なぜ日本国籍を取得しようと思われたのですか?
(李教授)
「上智大学を出たあと、日本で起業しました。IT関係です。ビザの関係で、資格外活動をしてはいけないので、当時は“経営”のビザで会社経営をしながら、上智大学には名前だけを置く形をとっていました。その後、龍谷大学から『来ないか』という話を頂いたのですが、会社をすぐ閉めるわけにいかず、教授職と会社経営の2つをやる必要が出てきました。そこで、日本人だったら職業の制約もなくなるので、日本国籍を申請しよう、という流れになりました」
―日本人になるのに、抵抗はなかったのですか?
(李教授)
「全くなかったです。むしろいつでも国籍は日本国籍にしたいという思いはありました。日本での名前は『タケヤマ』といいます。漢字では『竹山』です。これも、ちょっとした物語があるんです。日本国籍取得の手続きは、1997年から始めました。当時は『日本の苗字があったほうが望ましい』という話があり、『どうしよう』と悩んでいました。ちょうどそのとき、私は日本の業界紙のアルバイト記者の身分だったのですが、ある会社を取材する機会がありました。すると、取材先の方が中国に関心のある方で、『うちに遊びに来ないか』となったのです。その方には子どもがいなかったこともあり、取材後も親子のように親しくしてくれて、今では私たちが住んでいる近くに引っ越してきてくるほどの関係になっています。その夫婦のお父さんの名前に『竹』という文字があり、お母さんの結婚前の苗字に『山』という文字がありました。そういった縁で、その一文字ずつを取って『竹山』としたのです。現在、私だけは通称名『李相哲』で通していますが、家族は全員『竹山』を名乗っています」
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Youtubeチャンネル「読売テレビニュース」では、李教授へのインタビュー動画全編を公開中。のちに“恩人”となる謎の酔っ払い男性との出会いや、人生を変えた妻について、天安門事件に思うこと、「私は300%の人間」と記した意味など、教授がNG一切無しで半生を語ります。なお、連載第3回は、朝鮮半島を調べ始めたきっかけや、教授の研究活動に迫ります。