記事
【独自解説】10歳で決まった運命、ダイアナ・ヘンリー・カミラ…幾度の英国王室危機を乗り越えたエリザベス女王が、最期に願った“家族”の関係修復
2022年9月15日 UP
9月8日、イギリスのエリザベス女王がこの世を去りました。長きに渡り英王室を支えてきた女王ですが、過去には王室の危機となるスキャンダルも数多くあがりました。その危機を、女王はどのように乗り越えてきたのでしょうか?英国王室に詳しい、ジャーナリストの多賀幹子氏が解説します。
英国王室の危機① 国王のスピード退位
1936年、女王の伯父にあたるエドワード8世が、離婚歴のあるシンプソン氏と結婚するため退位しました。その後即位したのが、エドワード8世の弟であり、エリザベスの父であるジョージ6世です。当時は、第2次大戦期などにより国力が著しく減退した、困難な時代でした。そんな中、わずか10歳のエリザベス女王を次期国王にすることが決まりました。多賀氏は「わずか10歳で女王の道を運命づけられ、“死ぬまで女王として働く”という強い意志が生まれた」と言います。
Q.エドワード8世は、離婚歴がある人と結婚することで、なぜ王を退位しなければいけなかったのでしょうか?
(多賀氏)
「宗教的な問題だと思います。キリスト教では結婚式で『死が二人を分かつまで…』という誓いの言葉を神の前で誓うわけなので、離婚しても相手が死なないと再婚できないんです。キリスト教である英国国教会のトップにいる英国の王としては、許されないことです」
Q.10歳で将来女王と言われても、普通は戸惑うだけですよね?
(多賀氏)
「女王はまだ小学生だったのですが、すばらしい素質もあったと思いますし、地位が成長させたとも思います。当時のチャーチル首相は『この方は光るものを持っていらっしゃる、女王をするに十分な方だ』とコメントしています。見抜いていたんじゃないでしょうか」
英国王室の危機② 妹が離婚歴のある男性と恋に
1952年、エリザベス女王の妹・マーガレット王女が、離婚歴のある16歳年上のタウンゼント大佐と恋に落ちました。これに対し、イギリス政府や王族らは、「“エドワード8世の二の舞”を演じさせない。結婚するなら、王位継承権・年間王室費などをはく奪する」と告げます。マーガレット王女は、エリザベス女王に大佐への思いを相談しますが、女王であり英国国教会のトップという立場でもあったエリザベス女王は「王位継承のある王女と離婚経験者との結婚を、許すことはできない」と結婚を諦めさたのです。
Q.仲の良い姉妹で、妹の思いを叶えたいという気持ちもあったのでは?
(多賀氏)
「良い姉でしたので、妹の幸せを叶えたかったと思います。しかし、女王であり英国国教会のトップとしては、身内に特例を許すことはできなかったので、女王自身も苦しまれたと思います」
英国王室の危機③ ダイアナ元妃の事故死
ダイアナ元妃は生前、「この結婚には3人が存在していた」と、チャールズ皇太子(当時)とカミラ氏の不倫を暴露しました。そして1997年、ダイアナ元妃はフランス・パリで交通事故死。このとき沈黙を貫いたエリザベス女王に対し国民は、「冷たい」「王室の権威が地に落ちた」などと批判し、“王室廃止論”も飛び出す状況になりました。
Q.このときほど、イギリス王室が批判されたことはなかったと記憶していますが…
(多賀氏)
「当時私はロンドンにいましたが、最初はダイアナ元妃を失った悲しみだったんですが、あっという間にその悲しみが怒りとして王室に向けられて、王室廃止論にまでなり、バッキンガム宮殿の柵が壊されるんじゃないかという事態にまでなりました。英国国民は、ダイアナ元妃が大好きで愛していたので『どうしてダイアナ元妃が36歳でパリで亡くならなければならなかったのか?』という悔しさだとか悲しみが向けられたのだと思います」
そんな中、女王は沈黙を破り、異例のスピーチを行いました。「これから女王として、祖母として、思うことを話します。まずダイアナに心からの敬意を。彼女は才能あふれる人でした。国民が彼女への悲しみと敬愛の念でまとまっていることを、全世界に示す機会です」と述べ、「ダイアナ元妃の生涯から学ぶ」と国民に約束しました。ここから、王室費の削減やSNSの活用など、“開かれた王室”へと向かうことになります。
(多賀氏)
「女王は、『どうしてダイアナ元妃は、国民に人気があるのだろう?』と考えたのだと思います。ダイアナ元妃は、エイズの患者も素手で抱き着き、偏見を取り除いたと言われていて、王室も国民との接触を増やして、開かれた王室しようということでドンドン改革をして、“ダイアナに学ぶ”という姿勢を見せました。そして、女王は変わったとか、変わろうと努力をしている姿が見えたことで、英国国民は女王を応援するようになりました」
ダイアナ元妃が交通事故で亡くなった後、2005年にチャールズ皇太子(当時)とカミラ夫人(当時)が結婚。当時カミラ夫人は、“英国で最も嫌われる女性”と批判されました。しかし、エリザベス女王は公式に「チャールズが即位する際に、カミラには“国王夫人”の肩書を与える」とコメントしました。
そして今年2月、エリザベス女王は「やがて息子のチャールズが国王になれば、私の時と同様、皆さんは彼と妻のカミラを支えてくださることでしょう。そして、そのときが来たら、忠実に公務に励むカミラが“王妃”の称号で呼ばれるようになることを、私は心から願っています」と異例の声明文を発表しました。
Q.国民に直接伝える姿勢がすごいですね。
(多賀氏)
「そうです。これは女王の遺言とも言えます。チャールズ皇太子が戴冠するとなると、必ずカミラ夫人のことが問題になる。国を二分するようなことになっては困るということで、チャールズ新国王がカミラ王妃と素晴らしい出発ができるように、言葉を残したのだと思います。国民は従うしかないのではないでしょうか」
英国王室を離脱してアメリカに移住したヘンリー王子夫妻が、2021年3月、アメリカの人気トーク番組に出演し、王室離脱の真意や王室への不信、父・チャールズ皇太子(当時)との関係、兄・ウイリアム王子との確執、メーガン妃と父・トーマス氏との確執、王室メンバーからの人種差別発言など、数々の爆弾発言をしています。
多賀氏によると「エリザベス女王の本心は、ヘンリー王子夫妻に王室の一員として働いて欲しかったが、2人の意思が固いことを知って、離脱を許しました。しかし心の中では、やり場のない怒りを抱えていたのではないか」ということです。
現地の報道によると、女王はこの夏に、ヘンリー王子一家を避暑先のバルモラル城に招待していたそうです。ほかの王族と、訪問スケジュールが重ならないような配慮もしていたようです。しかし、訪問は実現しませんでした。多賀氏は「女王は、最後の最後まで王室内の関係修復を図りたかったのでは」と言います。
Q.女王は、ヘンリー王子一家のことを、ずっと気にされていたんですね…
(多賀氏)
「プラチナ・ジュビリーの時に15分程度顔を合わせただけで、アメリカから来たヘンリー王子一家と女王はちゃんと会えませんでした。女王は『せっかくアメリカから来てくれたのに…』という気持ちをずっと持っていて『避暑先のバルモラル城ならゆっくり時間がとれますよ』ということで、招待したのですが、訪問はかないませんでした。しかし、女王が最後まで『私たちは家族です』という言葉を繰り返していたのが、印象的でした」
Q.とても家族思いな方だったんでしょうね
(多賀氏)
「外交も、素晴らしいソフト外交だと評価されていましたが、そういう“公”の部分と同時に“家族”も大事にしていて、素晴らしい両立でした」
(情報ライブミヤネ屋2022年9月13日放送)