」
7月3日、20年ぶりの新紙幣の発行が行われ、それぞれのお札の肖像が、
「一万円札」=福沢諭吉→渋沢栄一
「五千円札」=樋口一葉→津田梅子
「千円札」 =野口英世→北里柴三郎
に変更されました。20年前(2004年)は、「一万円札」は「福沢諭吉」のままで変わらず、「五千円札」と「千円札」だけが、
「五千円札」=新渡戸稲造→樋口一葉
「千円札」 =夏目漱石→野口英世
に変わりましたね。私は、会社に入った年(1984年)に、
「一万円札」=聖徳太子→福沢諭吉
「五千円札」=聖徳太子→新渡戸稲造
「千円札」 =伊藤博文→夏目漱石
に変わったので、その印象がとても強いです。この時は、
「一万円札」=政治家→教育者
「五千円札」=政治家→教育者
「千円札」 =政治家→文学者
というように、
「お札の肖像から『政治家』が排除されたのが画期的」
でした。国の態勢がまだ固まらない状況においては、肖像画に国王や政治家など、
「その国の統合の象徴」
の人を載せることで、「国家の形成」を促す教育的効果があったと思います。
しかし1984年の時点では、「初代総理大臣・伊藤博文」が、隣国・韓国にとっては、
「英雄ではなく、正反対の存在」
であることも知られてきて、国際関係を考えると、
「政治家を肖像画に採用することのマイナス面」
も出て来たのではないでしょうか?
2004年はマイナーチェンジという感じで、
(「一万円札」=教育者)
「五千円札」=教育者→文学者
「千円札」 =文学者→医学者
だったわけです。「文学者」は「千円札」→「五千円札」に“格上げ”されて、その後釜(千円札)に「医学者」が入って来た。これは、
「今後、力を入れたい分野」
を採用したということかもしれません。つまりそれは、
「今、足りていない分野」
ということになります。
今回(2024年)は、
「一万円札」=教育者→経済人
「五千円札」=文学者→教育者
「千円札」 =医学者→医学者
ということで、「教育者」が「一万円札」→「五千円札」に“格下げ”されて、
「最高位の『一万円札』に『経済人』が入った」
ということは、
「この国がこれまでの『文学的教育』よりも『経済』を重視する方向に舵を切った」
というふうにも感じられます。これまでは、
「放っておいても、経済は一流」
だったのが、21世紀に入ってからは明らかに、
「後れを取っている状況」
だということを示しているのかもしれません。(GDP世界2位→3位→4位という流れの中で。)
この図案を決めたのは、
「2019年4月9日」
ですから、
「安倍晋三内閣」
のときですね。その内閣の「方針」は、そういうことなのではないでしょうか。つまり、
「お札の図案(肖像画)には、その当時の政府の思想・方針が含まれている」
のです。実際、7月3日に新紙幣発行業務を視察した岸田首相は、
「新紙幣が国民に親しまれ、日本の経済に元気を与えてくれることを期待したい」
と述べています。ほらね。
そして、そのお札の流通は、
「思想教育(インプリンティング)でもある」
と思います。この辺りは郵便学の内藤陽介さんが主張する、
「切手はメディアである」
に共通していると思います。
あ、そうだ、ここで書こうと思ったのは、そんなことではなく、新聞・テレビ各社は、
「一万円札」「五千円札」「千円札」
の数字の表記をどうしているか?を比べてみようと思ったのでした。
読売テレビの他の番組や日本テレビは、
「1万円札・5千円札・千円札」
で出していましたが、「ミヤネ屋」では「漢数字」の
「一万円札・五千円札・千円札」
で出しました。というのは、これは、
「金額ではなく、各お札の名前=固有名詞だと考えたから」
です。「お札そのもの」には「円」が付いた形では、
「壱万円」「五千円」「千円」
と書かれています。洋数字の「10000」「5000」「1000」も書かれていますが。
「ミヤネ屋」では「一」の旧字体「壱」ですが、それは使わず「一」にして、
×「5千円札」→○「五千円札」
×「1000円札」→○「千円札」
×「新1万円札」→○「新一万円札」
としました。
渋沢栄一の地元(埼玉・深谷市)のイベントでは、
「新一万円札発行」
というように、
「一万円札」
にしていました。けさ(7月3日)の朝刊各紙と。ネットで見た放送各局は、
【1万円札・5千円札・千円札】
=読売・朝日・日経・日本テレビ・テレビ朝日・フジテレビ・テレビ東京
【1万円札・5000円札・1000円札】
=毎日・TBS(ほとんど「新紙幣」と)
【一万円札・五千円札・千円札】
=産経・NHK・「ミヤネ屋」
でした。
こんなこと気にしている人は、少ないんでしょうねえ。