新・読書日記 2020_022
『至高の十大指揮者』(中川右介、角川ソフィア文庫:2020、1、25)
音楽論ではない。指揮者論でもない。
十大指揮者の「処世術」というか、音楽業界の中でどう生き抜いたか、出世したかという視点。中川右介さんの本は、よく考えたら一貫してそういう視点のように思える。20冊以上読んで、ようやく気付いたかと。そして、
「ヨーロッパの『オーケストラ』と、日本の『歌舞伎』はよく似ている」
と思った。「伝統芸能」なのだ、それぞれ。「歴史」があるのである。中川さんがその両方に惹かれて通じている理由が、少しわかった気がした。
紹介された「10人」の偉大な指揮者は、年代順に、
「トスカニーニ、ワルター、フルトヴェングラー、ミュンシュ、ムラヴィンスキー、カラヤン、バーンスタイン、アバド、小澤、ラトル」。
生で演奏を聴いたことがあるのは、
「小澤とラトルだけ」。
しかも、つい数年前のこと。それ以外でレコ-ドやカセットテープ・CDで聴いたことがあるのが、
「ワルター、フルトヴェングラー、ミュンシュ、カラヤン、バーンスタイン、アバド」。
トスカニーニとムラヴィンスキーは、名前しか知らなかった。
ワルターとフルトヴェングラーとカラヤンは、中川さんの本で前に読んだので、その確認のような感じ。でもフルトヴェングラーって「婚外子が13人」もいたのか!知らなかった。
バーンスタインも大体確認だったが、チェコのハベル大統領とも会っていたのは知らなかったし、「プラハの春音楽祭」のつながりも感動的。
ミュンシュは、フランス人だと思っていたら、実はフランス系ドイツ人。あの「アルザス・ロレーヌ地方」の出身だったとは!アルフォンソ・ドーデの「最後の授業」の舞台ではないか!音楽は国境を超えるけど、やはり色濃く出身の国の影響が出るな。
そのミュンシュの弟子・小澤征爾は、別の本を読んでいたので、これも確認のような感じ。でも、ミュンシュの指揮を少しでも学ぼうと1960年7月「バークシャー音楽祭(後の「タングルウッド音楽祭」)で、ミュンシュ指揮のボストン交響楽団の「ファウストの劫罰」(ベルリオーズ作曲)やベートーベンの「第九」のコーラスに参加していたのは、知らなかった。また、38歳になったばかりの1972年9月の「タングルウッド音楽祭」の開幕演奏会で、ボストン交響楽団の音楽監督として「ファウストの劫罰」を振っているそうです。ベルリオーズの「ファウストの劫罰」は、私も学生時代に、小林研一郎先生の指揮で歌ったことがあるのです!なつかしい!
また、私の誕生日である「1961年8月26日」に、小澤は大阪御堂会館で武満徹の「環」の初演を行っていたと!記号だなと思いました。1998年「長野冬季五輪」の開会式で、小澤が音楽監督となり、衛星中継で世界五大陸を繋いで「ベートーベンの第九」を歌ったのは、テレビで見ていたので覚えているが、あれは感動的でした。
いや、それにしてもここまで詳しく記録を追っていくのは、本当にすごいと思います、中川さん。
ムラヴィンスキーは、ほとんど知らなかったので、そういう人だったのか!と。これも「ソ連」という国、東西冷戦が大きく影響を与えている。時代の波。
クラウディオ・アバドは好きな指揮者なので、興味深く読んだ。アバドは2014年1月に亡くなったが、その時が「80歳」。常に「40代」のイメージだったので、亡くなった時に「80歳」というのは信じられなかった。生で演奏を聴くことはついぞなかったが・・・。カラヤン、アバドの後にベルリンフィルの常任指揮者になったサイモン・ラトルは、一番若いので、それほど詳しくは書かれていなかったような気がした。
オーケストラの音楽監督・首席指揮者を「マエストロ」と呼ぶのは知っていたが、
「シェフ」
とも呼ぶのは知らなかった。
また、ラトルの項に書かれていた「オーケストラの配置」で、ステージに向かって左側に「第一ヴァイオリン」その横の真ん中に近い所に「第二ヴァイオリン」が並ぶ形は、20世紀に入ってストコフスキーが始めたとされるので、
「ストコフスキー配置」
というそうです。それに対して「第二ヴァイオリン」が向かって「右側」に並ぶのはステレオ効果のような感じで、
「対向配置」
と呼ぶそうです。ラトルは、ウィーンフィルにその並び方を求めたと。やっぱり、そういう配置もあるのか。大変勉強になりました。