新・読書日記 2019_165
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(マックス・ヴェーバー著・大塚久雄訳、岩波文庫:1989、1、17改訳第1刷・2018、9、14第57刷)
この、大学時代に習った「古典」を「読もう」という気になったのは、読売テレビの「そこまで行って委員会NP」の特集「資本主義と共にすべてが消える?シリーズ『消滅』徹底検証スペシャル」を見た視聴者の方から届いた「ご意見」を読んだからです。(私はこの番組を見ていなかったのですが)そこには、
「資本主義というのは、プロテスタントが一生懸命やったから生まれたんですよ。キリスト教と資本主義が、密接に結びついている。」
と記されていたのです。そこで、40年ぶりに思い出したのが本書です。家の本棚にあるはずだけど、たぶん小さな字で読みにくいだろうからもう、本屋さんで買おう!と、すぐに本屋さんに直行!ありました。「57刷」ってすごいな!大学のテキストで使われているからかな?
すぐに購入して約1か月かけて「2019年の内に読む!」と決めて、たくさんある「注釈」は読み飛ばして「本文だけ」を読んで行ったら、割と読みやすかったです。
(ちなみに家の本棚にも、学生時代に買った岩波文庫がありましたが、昔のは「上・下2巻」に分かれていました。数十ページまで読んだ形跡がありましたが、読破してはいませんでした。今回買ったのは「一冊」です。)
結論から言うと、マックス・ヴェーバーは、
「プロテスタンティズムが、直接的に資本主義を生み出したのではないが、関連はある」
というようなことを書いている気がしました。
その中で気になったことや、考えたことを箇条書きにします。
*かつてのカトリックは、現在以上に「罪人を憐れみ、異端を罰す」。異端を罰す=排外主義、一神教。完璧主義=排他主義だった。
*「資本主義=貨幣と利子」。それが「電子マネー」「仮想通貨」になったらどうなるのか?「利子」と「カトリック」「ユダヤ」との関係は?銀行がこれだけ「利息」が付かなくなった現代、「銀行」という職業は続くのか?消滅するのか?「利子」「利息」がないのに「資本主義」は続くのか?
*「カルヴァン派ピューリタニズム」の「不寛容」の厳しさ。現在の「新資本主義」は、「カルヴァン派ピューリタニズム」が産んだ資本主義の行き着く先で、その「不寛容さ」も、より激しくなってあるのではないか?
なんてことを考えながら読みました。