新・ことば事情
7306「みんなで、いじめをなくそう」
ことし7月、岐阜市の中学3年生の男子生徒生がマンションから転落して死亡した問題で、岐阜市教育委員会はきょう(12月24日)、
「同級生による『いじめ』が自殺の主な要因になった」
とする第三者委員会の報告書を公表しました。
この中学では全校集会を開き、校長が「命の大切さ」を説き、
「みんなで、いじめをなくしていこう」
と話したと、ニュースで伝えていました。しかし、実はこの、
「みんなで」
はダメなんじゃないか。この「みんなで」が「いじめ」を生んだのではないか?と私は思いました。「みんなで」ではなく、
「一人一人が」
考えて、
「自ら行動する」
主体性がないと、「いじめ」は、なくならならないと思います。
そういうことを教えるのが、本当の「学校」ではないのか?
しかしよく考えたら、日本の「学校方式」は、元々「軍隊式教育」の場だったので、どうしても「全体主義」「連帯責任」に向かい、「みんなで」につながる。私たちが小学校の頃も、
「『みんなで』は『民主主義』である」
というように教わった気がしますが、本当にそうなのか?
戦後74年、「軍国主義」という目的を「民主主義」に置き換えただけで、
「手法は同じ」
なのではないでしょうか?
「民主主義=多数決」
と決めつけるのは、「みんなで」思想と同じではないのでしょうか?
本来の・あるべき姿の「民主主義」は、「多数決」からこぼれた「少数意見」もすくい上げるという形の、
「多数派が、少数意見も尊重すること」
にあるのではないでしょうか。
「考えること」が抜け落ちてしまっては、「教育の場」ではないのではないか?と思います。
ともあれ、メリークリスマス。