新・読書日記 2019_155
『君主号の世界史』(岡本隆司、新潮新書:2019、10、20)
「皇太子・王太子」問題に関しては、「平成ことば事情5781王太子」でも少し書きました。また、2017年6月の用語懇談会放送分科会の席で休憩時間に、同期のWOWOWアナウンサー・柄沢晃弘君から、
「外国王室の『王太子』(おうたいし)っていうのがあるでしょ。あれも放送では『皇太子』でやってるけど、ヨーローッパのサッカーリーグの試合を、よく王室のサッカー好きの『王太子』が見に来るんだよ。その中継で『皇太子』って言うと、ヨーローッパサッカー好きの視聴者から『「王太子」ではないのか?』という意見が寄せられるんだけど、これはどうすればいいの?」
と聞かれたことがありました。たしかに時々「王太子」は耳にしたり目にしたりするけど、
「皇室=皇太子」「王室=王太子」
ならば、使い分けてもいい気がしますね。これも次回の課題に...と書いて2年半が経ち、ついに、これの答えになりそうなことが書かれた本を読みました。それが本書です。
この著者の岡本隆司氏も、柄沢アナウンサーと同じ疑問を持って色々調べて書いています。
簡単にまとめると、まず「王」があって、それが乱立して「王」の価値が低減し、その上に立つ「皇帝」ができたが、またそれも乱立して価値が下がった。
そもそも「西欧」と「東アジア」では別々の君主号があったが、イエズス会が東アジアに宣教に来た際、君主の「訳語」として「皇帝」が使われたと。
あと「神聖ローマ帝国」から19世紀の「帝国主義時代の帝国」、その後、「帝国」の崩壊の中で、時代に取り残されて残った「大日本帝国」、というような歴史の流れが書かれてあって、要は日本では、
「日本の皇室になぞらえて、外国の体制も呼ぶ」
ので、「国王」「王室」は辛うじて「王」だが、それを継ぐ者に関しては、日本の皇室と同じように「皇太子」と呼び「王太子」は使わない傾向があるとのことでした。
詳しくは本書をお読みください。