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『道浦TIME』

新・読書日記 2019_133

『認めて励ます人生案内』(増田明美、日本評論社:2013、5、13)

増田明美さん。マラソンの解説で声がとってもきれいで、ものすごく選手に密着したエピソードをこれでもかと出してくる、選手サイドに立った温かなコメントをする人。

そしてエッセイもお上手。8年ほど前に、私は読売新聞の水曜日に挟み込まれている「読売ファミリー」というタブロイド判の新聞に「言葉のコラム」を隔週で連載させていただいたことがあったのだが、その隔週の「私の書かない週」に書かれていたのが増田さんだった。自分が載らない週に増田さんのコラムを読んで「うまいなあ。これはすごいなあ」と思ったものだった。

その増田さんが、読売新聞の「人生相談」の回答者に。この人選は、当時「ナイス!」「当然」と思ったものである。相談者に親身に寄り添い、しかし、甘えすぎている人は突き放し、という絶妙の距離感。そのベースには「温かく見守る眼」があるので、安心して読むことができる。

それにしても、世の中には様々な悩みを持っている人がいるのだなあと。

よく、こんなどこから飛んでくるかわからない銃弾のような悩みを受け止めて、しっかりと返すなあと感心しきり。名人です!


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(2019、9、20読了)

2019年9月24日 11:14 | コメント (0)

新・ことば事情

7212「リンゴ1本」

先日、近くのスーパーに寄ったら、こんな表示が。

「青森県産 つがるりんご 1本158円」

え?リンゴが、

「1本」?

普通、リンゴは、

「1個」

もしくは、

「1玉」

ですよね。

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実際、そのすぐ横にあった、

「長野県産つがるりんご」

は、「1玉」と書かれていました・・・。

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(2019、9、6)

2019年9月19日 19:10 | コメント (0)

新・ことば事情

7213「根性なし」

日本時間の9月19日、アメリカのFRB・連邦準備制度理事会は、利下げを決めました。しかし、その幅が小幅だったことを受けて、トランプ大統領は、

「根性なし」

とコメントしたと伝えられました。それを聞いて、思わず笑ってしまいました。

世界に冠たるアメリカの大統領が、「根性なし」とけなすなんて...。

きのう「エンタの神様」を久々に見た影響か、「タカアンドトシ」の、

「欧米か!」

ではありませんが、

「小学生か!」

とツッコミを入れたくなりました。「欧米か!」と突っ込むと、アメリカ大統領だから、

「欧米だよ」

と返されそうなので。「根性なし」って、

「お前のかあちゃん、デベソ」

並みです。

そういえばトランプ大統領は、ことし7月4日、イランが「ウランの濃縮を進める」というコメントに対して、

「誰も味わったことのないくらい、あとで痛い目を見るぞ」

と脅しています。これは「小学生」というより、

「反社会的勢力=ヤクザ」

ですね、もう。

「月夜ばかりじゃないぞ」

とかと同類です。

今さら、トランプ大統領のコメントにツッコミを入れるのもなんですが、「根性なし」って、あまりにもあまりにも・・・あほらし屋の鐘が鳴る。

(2019、9、19)

2019年9月20日 12:01 | コメント (0)

新・読書日記 2019_132

『重版出来13』(松田奈緒子、小学館:2019、6、17第1刷)

出版社の漫画編集者が主人公の漫画。内幕モノの漫画では、漫画家が主人公の『BAKUMAN』も面白かったが、「編集者視点」で編集者と漫画家が協力して作品を作り上げていく様子というのが新鮮で興味深い。「校閲」にスポットを当てた「校閲ガール」的。

今回は新人漫画家が、ブレークした作品のキャラクターに「深み」を出すにはどうすればよいか?という根源的なテーマについて編集者と共に悩む様子や、旅行会社勤務と掛け持ちの新人漫画家が、真の漫画家・プロの道に進むには?と悩む様子、そしてウェブとの連携・宣伝をどう取って行くかというような「今日的」な視点も描かれていて、興味深かった。

著者の松田奈緒子さんのご主人(夫)は、何と漫画解説者・作家の新保信長さん!こないだツイッターで知って、ビックリしました。


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(2019、9、16読了)

2019年9月17日 21:46 | コメント (0)

新・ことば事情

7211「ベトベト?」

今、手が荒れていて「軟膏」を塗っていたのですが、軟膏は、結構ベトベトするので、薬局で、

「もう少し、ベトつかない物はありますか?」

と薬局で聞いたところ、

「じゃあ、ハンドクリームはいかがでしょうか?」

と勧められました。

「ハンドクリームのほうが、軟膏よりはベトつかないんですか?」

「そうですね」

ということで購入。確かに伸びが良くて、それほどベトつきません。

でも、このハンドクリームの商品名が、

「ベトネベートクリーム」

っていうんです。めちゃくちゃ、ベトベトしそうな感じが・・・。実物はベトつかないんですが、名前が。

「スベスベール」

とか何とか、もっと他に、ふさわしい名前がありそうなものですが・・・。

(2019、9、9)

2019年9月16日 18:11 | コメント (0)

新・読書日記 2019_131

『反社会的勢力』(夏原武、洋泉社新書:2011、12、21)

吉本興業のお笑いタレントの、いわゆる「闇営業」で話題になった、

「反社会的勢力」

という言葉。今回は「振り込め詐欺グループ」という犯罪者集団だったわけだが、この本は2011年に出ていて、ここでいう「反社会的勢力」とは、ズバリ「暴力団」である。そしてその暴力団の「シノギ」(稼ぎ)を担当する「フロント企業」だ。

暴力団撲滅に燃える警察はここ10年、法律の網で暴力団が「シノギ」が出来ないようにして、解散・壊滅に追い込もうとしている。その包囲網は確実に成果を上げている。

そうするとどうなったか?従来は暴力団が支配していたところに、暴力団以外の「ワル」がシメシメと乗り込んできて、我が物顔にふるまっている。「反グレ」等も、そういった存在だし、振り込め詐欺グループなどというのも「弱体化した暴力団」のスキを突いて忍び込んで来た、「ハイエナ」のような存在だろう。

悪い奴って、絶対になくならないのかな...と悩んでしまう。


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(2019、9、11読了)

2019年9月16日 18:09 | コメント (0)

新・読書日記 2019_130

『BLUE GIANT SUPREME8』(石塚真一、小学館:2019、7、3)

父が倒れたという知らせで日本に帰っていた主人公のサックス奏者の大が、父の具合も軽かったので、ヨーロッパに戻って来た。その間、代役を務めてくれた同年代のサックス奏者とお互いをライバル視する。これが、のちの音楽の闘い(バトル)の伏線に。

また、ジャズの都・パリに乗り込んで、かつてベーシストのハンナが所属していたバンドと、同じクラブの「1階と地下」でバトルが。胸のすく青春音楽物語。漫画です。


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(2019、9、15読了)

2019年9月16日 18:06 | コメント (0)

新・読書日記 2019_129

『マリアージュ~神の雫 最終章18』(亜樹直・作、オキモトシュウ・画、講談社:2019、7、23)

そういえば「16巻」を読んでいないような気がする。

この18巻では、「熟成肉」と「古酒」のマリアージュがテーマに。「時」と「刻(とき)」が出合う時に、幸せなマリアージュが。


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(2019、9、15読了)

2019年9月16日 18:04 | コメント (0)

新・読書日記 2019_128

『偽装不倫3』(東村アキコ、文藝春秋:2019、4、25)

お話はまだ半分も進んでいないのに、ドラマはもう終わってしまった。これ、つまり原作よりも先に、ドラマが進んでしまったということ?

ドラマは、漫画よりもずっと早く・多く物語を消化してしまいますからねえ...。

この辺り、「連載漫画のドラマ化」って難しいよなあと思いました。


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(2019、9、10読了)

2019年9月16日 18:03 | コメント (0)

新・読書日記 2019_127

『偽装不倫2』(東村アキコ、文藝春秋:2019、2、28)

出会いから別れ。そして実は姉が、偽装ではない不倫をしていた・・・衝撃の展開へ。


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(2019、9、10読了)

2019年9月16日 18:02 | コメント (0)

新・読書日記 2019_126

『偽装不倫1』(東村アキコ、文藝春秋:2018、11、30)

今季の日本テレビ水曜ドラマの原作漫画。たまたま立ち寄った森之宮の書店で見つけたので3巻までまとめ買い。まだ3巻までしか出ていないのだ。東村アキコさんは、視点の面白い「現代の女性の生きざま」を描いた作品が多く、よくドラマの原作になっている。日本テレビとも相性が良い?

この漫画、実はWeb上で「日韓同時連載」しているんだそうだ。だからかな、漫画(原作)では、主人公の女性のお相手の男性は、日本語を話せる「韓国人」。しかしドラマでは、相手は「日本人」の設定に。また、出会いの場所も漫画の「ソウル」から、ドラマでは「博多」に変更されていた。いろいろと、事情があるんでしょうね。

漫画はフルカラーという豪華版。1冊1000円します。豪勢だ。


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(2019、9、9読了)

2019年9月16日 18:00 | コメント (0)

新・読書日記 2019_125

『羊と鋼の森』(宮下奈都、文春文庫:2018、2、10)

「2016年本屋大賞」受賞。映画化もされました。映画を見ようと思っているうちに、割と早く終わってしまって、見られなかった。ということで、文庫本化もされたので購入。

「羊」はピアノのハンマーの先に巻かれている「フェルト」を指し、それが叩くのが「鋼」。つまり「羊と鋼の森」と言うのは、ふたを開けたピアノの内部を指しているのである。おっしゃれ!

北海道の山の中に住んでいた高校生が、学校の体育館のピアノの調律に訪れた調律師の仕事を見てピアノに惹かれ、「調律師」という仕事に興味を持って、一人前の調律師を目指す過程を描く物語。小説を読んだ後に、映画のDVDも見た。

静かな映画なので、自宅でちょっとお酒の入った状態で夜に見ると、何度も寝落ちしてしまった。ⅮVDで良かった、巻き戻して(?)何度も見られたから。

双子の美人高校生姉妹がヒロイン的な感じで、映画では上白石萌音(姉)と上白石萌歌(妹)の姉妹が演じていて、これは、なかなか上手い配役だなと。主演は山﨑賢人。憧れの大先輩の調律師は三浦友和。少し先輩の調律師に鈴木亮平。主人公の祖母には吉行和子。おお、こないだ、彼女の書いた本を読んだばかりだ!本当に"生涯現役"だな。みんな、ハマリ役でした。

今度「直木賞&本屋大賞」W受賞の「蜜蜂と遠雷」も映画化され、公開される(10月4日)。音楽物、楽しみである。


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(2019、9、10読了)

2019年9月16日 17:59 | コメント (0)

新・読書日記 209_124

『長いお別れ』(中島京子、文春文庫:2018、3、10第1刷・2019、5、20第7刷)

「長いお別れ」というのは実は「認知症」の別名だというのを知って、映画を見て見たくなってみました。認知症になる父を山崎努が演じたのは良い。しかし山崎はどう見ても70代後半。そうすると、2人の娘(竹内結子と蒼井優)がどう見ても「30代」で若すぎる。少なくとも姉の方は「40代」でなくっちゃと、違和感があった。原作を読んでしばらく「おかしいなと思ったのは、原作では「娘は3人」いたのだ。映画では1人、削っちゃっている!それと、3人いる「娘の名前」が分かりにくい!

長女=茉莉

次女=茉奈

三女=芙美

漢字が、区別つかないじゃない。特にもう、こちとら老眼が進んでるんだから!

もう少し考えて欲しかったです。あと、最初に「登場人物の一覧表」も欲しかった。

認知症の父の言葉は、なかなか味わい深かった。帯にもあるが、

「このごろね、いろんなことが遠いんだよ」

「遠いって?」

「いろんなことがね。あんたたちやなんかもさ」

って会話も良かった。蒼井優が演じた末娘・芙美との会話も、とても良かったです。


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(2019、9、9読了)

2019年9月16日 17:58 | コメント (0)

新・読書日記 2019_123

『永遠(とわ)のPL学園~六〇年目のゲームセット』(柳川悠二、小学館:2017、3、20)

出てすぐに購入したものの、「積ん読」になっていたもの。高校野球のシーズンということで(少し遅いが)読みました。

自分の母校以外で、「校歌」を歌える高校が、私には2つある。それは、

「PL学園」と「浦和南高校」

である。PLはもちろん「野球」で、浦和南は「サッカー」で、私が高校時代に一世を風靡した学校だ。小学校の同級生がPL学園に入って、あの木戸捕手の1年下で、夏の優勝の時は控えの捕手だった。ベンチで喜んでいるのが一瞬テレビに映った。翌春の選抜には、正捕手として出場していたので応援していた。たしか「ベスト4」だったと思う。彼はその後プロ野球選手になった。

そういったつながりもあり、応援していた。もちろん、その後は桑田・清原のKKコンビで、高校野球の強豪の座を不動のものとした。

そのPL学園が、ついに新入部員の募集をやめ、事実上の活動停止に追い込まれた。サブタイトルにあるように「60年目のゲームセット」。その周辺の事情を取材したドキュメントである。

少子化の中で、どこの私立学校も募集に苦労している。宗教団体の運営する学校として、信者の減少などで、よりそういった事情が厳しくなってきたのだろう。

この本を読み終わる直前の、8月31日の読売新聞に、

「PL人文字 復活へ~マスターズ甲子園大阪代表に」

という見出しで、元・巨人の桑田真澄投手(51)と中村順司・元監督(73)の写真が写っていた。「マスターズ」での復活。あくまで「マスターズ」、つまり「OB」ですからね。錚々(そうそう)たるメンバーが「OB」には、います。でも「現役高校生選手」は、もう出て来ない。

うーん、PLの校歌の歌詞には、

「♪ああ、PL PL 永遠(とわ)の学園 永遠(とわ)の学園」

とあるが、野球部は「永遠(とわ)」には続かなかったということか・・・何か寂しい。


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(2019、9、1)

2019年9月16日 12:50 | コメント (0)

新・読書日記 2019_122

『髷を切る~芳賀博子句集』(芳賀博子、青磁社:2018、9、13)

川柳作家の芳賀博子さんは、「高校の同級生」の奥様。一度だけお会いしたことがある。

先日、旦那様(つまり私の同級生)から突然LINEが入り(ふだんは年賀状のやり取りぐらいしかないが)、梅田の蔦屋書店で「詩歌フェア」をやっていて、奥さんが選んだ詩集なども展示されているから、ぜひ顔を出してと。1か月ぐらいやっているらしいから、そのうちに顔を出しますと返事をしたら、すぐに梅田に行くチャンスがあったので、行って来た。ルクア・イーレ9階のあの広いフロアで迷って、店員さん(あの広いフロアに、キャッシャーカウンターは2か所しかなく、店員はそれぞれ2人しかいない)に、

「『詩歌フェア』の場所はどこですか?」

と、友人から届いたLINEを見せながら聞くと、「詩歌」という文字を見て、

「『シカ』フェアですか・・・」

と言うので、

「『シカ』じゃない、『シイカ』です。『シカ』は歯医者か奈良公園。書店員なのに『詩歌』も読めないの?」

と言いたいのを、後半だけグッと抑えて、

「『シカ』じゃない、『シイカ』です!」

といいました。えらい、私!

で、すぐにもう一人の店員さんが、場所を案内してくれました。

芳賀さんのお勧めは「寺山修司の詩集」でした。去年、寺山修司の詩による「思い出すために」という曲を歌っていたので、これは「読むべし」だなと思いそれを1冊と、芳賀さん自身のこの川柳句集を購入したというわけです。

川柳は、

「歩きつつ 曖昧になる 目的地」

のように、分かりやすく、形もきっちり「五・七・五」のものもあるが、私が面白いなと思ったのは、

「まだ息をしてる 屑籠の手紙」(八・五・三)

「母からの電話 部屋干しのにおい」(八・五・三)

のように、最後が「三」で終わる変拍子の川柳。これが何か「芳賀さん独特のリズム」のように感じられた。


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(2019、9、12読了)

2019年9月16日 12:47 | コメント (0)

新・読書日記 2019_121

『大衆国家と独裁〜恒久の革命』(シグマンド・ノイマン、岩永健吉郎・岡義達・高木誠訳、みすず書房:1960、1、15第1刷・1979、12、5第17刷)

『今日の独裁者による「ボス的支配」には、全く抑制の仕組みがない。そればかりか、彼等の封建的帝国とも言うべきものには、新たな型の部下が生れる。すなわち指導者の個人的腹心である。』(84ページ)<=2018年10月16日に抜粋・記述>

『第一次世界大戦後の革命運動の目的ならびに本質は、家族まで含めたあらゆる自治的グループを解体し、明瞭な社会的意志をもたぬ一つの群集に仕立てることにあった。そのような群集は、常に圧政的指導者を欲求し、感情的に動かされ満足を与えられることによってのみ結束を保つものである。(中略)これが現代の独裁的大衆国家の基盤である。』(116~117ページ)<=2019年8月20日に抜粋・記述>

<以下、2019年9月12日に抜粋・記述>

『大衆は、「女に似ている。彼らの心理は抽象的推論よりは、頼もしい力に対する漠然とした情緒的渇望によって影響され、弱者を征服するよりは強者に服従することを好む。かくて大衆は哀願者より支配者を愛し、内面的には、自由の保証よりも仮借ない教義によって遙かに大きな満足をうる。彼らは自由をもてあまし、往々途方にくれてしまうものである。このような陳述は、独裁とデモクラシーとの間における人間の相違を示すと言えよう。両者はそれぞれ異なった「人間観」を代表する。ゲッベルスによれば、「普通の人間は物事の二面性、これもあれも考慮せよと言われることを何よりも嫌う。」このような哲学は、不確定と不安定とに悩まされる大衆に強く訴える。(中略)独裁の下ではあらゆる批判が沈黙する。しかし、デモクラシーの下では、真理の探究と、善悪の識別における選択の自由とは、決して放棄されない。」(118ページ)

『単一政党正の下では党と国家とは同一化される。』(140ページ)

『独裁国家は巨大組織であり、組織体レヴァイアサンである。』(140ページ)

『独裁政党は時代の要請を満たし、独裁に対して徹底した反感をもつ人々をも、少くとも一時的には宥和する。「何と言っても、彼らはあれほど待望された統一をもたらした。」のである。ビスマルク統一の実現により、彼の体制の多くの自由主義的中産階級に認めさせたのは、この一例といえよう。』(141~141ページ)

『現代資本主義社会の真の問題は、国債から得られる国家資金をも含めて国家の資金源の総体が充分大きくさえあれば、これに見合うだけの国民所得の生産は可能だという点にある。このような考えは、個人の家計と国家財政との間に異なった水準を設定する、一種の経済的二重道徳をもたらしたと見える。かくて政府は産業を促進し、労働を創出する限り、債務を負うことは容易に許される。』(167ページ)

『よくある誤解は、世論とは「一定の時期の具体的問題に対する民衆の反応の総体」であるが、それは公開の討議を前提とするから、独裁に於ては存在しないとするものである。なるほど、独裁政の下では世論が自由、無拘束に表明され得ないが、それでもなお独裁者は民衆の反応に関心を払わざるを得ない。現代の専制は民衆を恐怖せしめるのみでもなく、また抑圧という否定的な政策に安んずることも出来ない。勝者の最大の事業は、敵の撃滅ではなく、敵に勝者たる自己の讃歌を歌わせることである。』(195ページ)

『「宣伝それ自体には何ら基本的方法はない。大衆の征服という目的があるのみだ。この目的に奉仕する手段はなんでも結構。」と、ゲッベルスが自伝的な『ベルリン奪取』の中でいっている。』(203ページ)

『特に世論の形成過程の統制に関する例証として、一九三三年十月四日の編集者法をあげ得よう。その規定によれば、「ドイツ国民、すなわち非ユダヤ人であって、現政治体制に友好的なもののみが全国新聞組合の構成員たる資格をもつ。すべてがラント新聞組合に登録しなければならず、地方官憲と国民啓発宣伝相とが拒否権を有する。全国組合の長がゲッベルス博士によって任命されるのは職業別審査機関の評定官と同様である。(中略)この報道の完全な統制と検閲とが「報道の自由」の終焉のみならず、新聞に対する一般的関心の減退に立ち至った要因であることは疑うべくもない。』(204ページ)

『ヒトラーの『我が闘争』の中に若干の大胆な示唆がある。「演説の効果には、それが一日の中の何時行われるかが決定的に影響する。威圧的で使徒的な性格の人の雄弁は、夜に行えば一そう効果的であろう。その時刻までには聴衆の反撥力も、その知力と意欲とが充実している昼間よりも目立って弱まり、他人の弁舌に引入れられやすいからである。」』(207ページ)

『大衆集会の必要な所以は、一つの運動に参加しようとし、自己の孤独に耐えられぬ個人が大衆集会に出席して、はじめて大きな一体感を懐く点にある。個人はいわゆる大衆的暗示の魔力に屈服するのである。』(207ページ)

『ナチズムは西欧とヨーロッパ文化の基本理念とに対する大いなる叛逆であるが、それが攻撃の主目標を知識層においたのは決して単なる偶然ではない。知識層こそ、運命と伝統とによって、歴史的ヨーロッパの模範となっていたからである。』(248ページ)

『中欧の若い諸民族は、閉鎖的なナショナリズムの観念を発展させたが、これは自己の力に自信がないからであった。その排他性、不寛容性は内的脆弱性の徴であった。』(277ページ)

『デモクラシーの本質である公開の討議は、必然的に忠誠の分裂をもたらし、外国に対する統一戦線を弱化する。』(286ページ)

『独裁はデモクラシーより、虚勢を張る術に長けている。その神経が図太いからでなく、平和への欲求を無視できるからである。(中略)全体主義的独裁は好戦的な状況において勢を得るのである。しかし、一旦戦争となれば独裁下の弾圧による統一は試練にさらされる。それが敗北に堪え得ないことは歴史の明証するところであり、絶え間ない空襲にさへ、それ程の耐久力を持つまい。他方、デモクラシー諸国は、国内の党派的政争のため、自己の力を常に過小評価しているが、危機に当たっては、団結して統一行動に出る。』(287ページ

『独裁が一時的に成功したのは、主として十九世紀的世界の破壊によって生じた真空にある』(288ページ)

→ということは「二十世紀的世界の破壊=東西冷戦体制の崩壊」が生じた後の「現代」は、同様の「独裁」が生じる素地は十分にあるということか?

『世界政治において、世界秩序の組織原理として試練に立っているのはナショナリズムであり、三百年前には宗教が同様の試練に会った。この第二の三十年戦争の終局に当り、ナショナリズムは、宗教が三十年戦争のときに遭遇した運命と同じく、消滅はしまいが、その国際社会における地位を明確にせねばならない。(中略)デモクラシーが適格なリーダーシップと社会的均衡を用意し得ない場合には常に、社会の病巣は、革命的状況を利する独裁者の好餌となることを経験したからである。(中略)再統合された社会における個人には、社会意識が不可欠である。(中略)個人の自由と社会による統制との間に新しい調整がなされなければならぬ。』(288ページ)

『デモクラシーは、その死活の闘争の間に、市民に対して、社会は権利を附与すると同時に奉仕と献身とを要求するという基本事実を教えなければならぬ。(中略)自由と平和とは代償をもって贖(あがな)うべきものである。』(289ページ)

『デモクラシーは、その本質上、少数意見を尊重するのみならず、多元的勢力の競合を糧として存立するが、その持久力は、終局的には、団体の統一保持のために必要な自己制限を絶えず行い得るか否かにかかっている。しかし、この道徳的無政府状態に対する闘いは、決して人間存在の基底である個人責任の原理を曖昧にしてはならぬ。これは譲るべからざる権利である。独裁者の、これに対する攻撃は峻拒しなければならぬ。この個人責任こそ生命の泉である。故に妥協はあり得ない。何人も、われわれから、これを取り去ることを許されない。この責任あればこそ、人間の矜持と尊厳とが維持されるのである。』(289ページ)

大学生時代に購入したものの読破できず、ついに40年越しに読み終えましたが、

「今読むべき本」

でした。

この最後の一文に「、」が多いのは(原文のまま)、一語一語、ゆっくりと、かみしめるように言って聞かせたい、力強い演説の言葉だからでしょう。

この一文は、本書の最後の連(一段落)をそのまま写しました。ここに、著者の思いが込められていると思います。


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2019年9月13日 18:16 | コメント (0)

新・ことば事情

7210「『シャドー』の平板アクセント」

電車の中で若い女性二人の会話が、聞くともなしに、耳に入って来ました。

「それで、そのシャドーが、全然合ってなくてぇ」

この「シャドー」という言葉のアクセントが「平板アクセント」で、

「シャ/ドー」

だったので、思わず、そうしゃべった女性の顔を、まじまじと見つめてしまいました。

話の流れから、その「シャ/ドー」というのは、

「『アイシャドー』のこと」

だとすぐにわかりましたが、一瞬、

「車道」

かと思いました。目の上に「車道」を塗ったら、そりゃあ大層びっくりしますね。

アクセントもそうですが、「アイシャドー」の「アイ」も略して「シャドー」って言うんだ。まあ、「アイシャドー」は「目の影」ですから、「影」って略してもおかしくはないんですが。

その物・言葉をよく使う人は、そうやって「アクセントが平板化」して、その後、「省略」されるという法則が、まさに当てはまる言葉でした。

(2019、9、5)

2019年9月 5日 12:34 | コメント (0)

新・ことば事情

7209「平板アクセントのメンバー」

2004年、「嵐」のメンバーが「24時間テレビ」のメインパーソナリティーになり、大野君が「チャリTシャツ」のデザインを手がけたことに関して感想を聞かれた櫻井君が、こう答えていました。

「うれしいですね、メンバーとして」

この中の、「メンバー」のアクセントが、

「メ/ンバーとして」

「平板アクセント」でした。

普通「メンバー」のアクセントは「頭高」で、

「メ\ンバー」

だと思うのですが、井上史雄先生がおっしゃる、

「よく使う言葉のアクセントは、平板化する」

という「専門家アクセント」の典型ですね。

もう15年前に、「平板アクセント」は、こんな所にも出ていたんですね。

(2019、8、30)

2019年9月 5日 12:31 | コメント (0)