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『道浦TIME』

新・ことば事情

7208「自動車学校」

8月29日のニュースを見ていたら、九州の豪雨のニュースをしていました。

その中で、地元・福岡のアナウンサー(?)が中継で、

「こちらは『自動車学校』ですが、教習所の道路が水没していて、車が高い所に集められています」

としゃべっていました。この中の、

「自動車学校」

という単語に、耳が留まりました。これは標準語では、

「(自動車)教習所」

と言うのではないでしょうか。「自動車学校」という言葉は、

「西日本の『気づかれない方言』」

だったような気がします。何かの本で昔、読んだのを思い出しました。

グーグル検索では(8月30日)、

「自動車学校」 =1100万件

「教習所」   =1340万件

「自動車教習所」= 489万件

でした。「教習所」の方が「自動車学校」より多いですが、「自動車教習所」は少ないんですね。

(2019、8、30)

2019年8月30日 17:25 | コメント (0)

新・ことば事情

7207「スーパー銭湯のポイント」

先日、テレビで「消費税率10%へ引き上げ」のニュースを見ていたら、コンビニエンスストアの「ローソン」から中継をしていた記者が、

「スーパー銭湯のポイントが付きます」

と言ったので、

「え?何でローソンで『スーパー銭湯』のポイントが付くの???」

と頭の中が「?」で埋まったのですが、3秒後に、自らの間違いに気付きました。記者は、

「スーパー銭湯」

と言ったのではなく、

「数パーセント」

と言ったのでした。なーんだ。でも似てるな。もし、

「スーパー銭湯の数パーセントのポイント」

が付く場合なんか、ややこし過ぎますね。

いっそのこと、ポイントは「数パーセント」ではなくて、

「10パーセント」

にしてくれませんかねえ。

(2019、8、30)

2019年8月30日 17:24 | コメント (0)

新・ことば事情

7206「ダンボ」

ことしの夏休みに海外に行った際に、飛行機の中で見た映画の一つが、

「ダンボ」

でした。ディズニー映画ですが、アニメではなく実写版です。実写とは言え、当然、CGがふんだんに使われているので、「アニメではない」と言った方が正確だと思いますが。もう、何でもできますね、今は。こないだ見た「ライオンキング」の実写版(アニメではない)も、まるで実物のドキュメンタリー映画のようでした。「実物のよう」と言うよりは、もう、

「実物以上」

ですね、あれは。

で、話は「ダンボ」に戻りますが、サーカスで、母親の象「ジャンボ」の子どもとして生まれた小象は、耳が大きくてちょっと不格好。初めてサーカスに出た時に、プラカードに、

「JUMBOの子ども」

とか書かれていたのですが(英語で)、その「J」の文字が何かの拍子に外れて、その上に「D」のカードが重なったために、

「DUMBO」

となるシーンがありました。「ダンボ」命名の瞬間ですが、このシーンでサーカスの観客たちがみんな、

「おお、『ダンボ』だってよ!ヒャッハッハ!」

と笑っていたのです。何がそんなに面白いのか?そのシーンを入れる意味は何か?を考えていて思いついたのは、

「DUMBO(ダンボ)は、『DUM』(聾唖)の意味なのではないか?」

ということです。「平成ことば事情1990鉄亜鈴」「平成ことば事情6951バーベル」で書いたような関係です。

今回の映画の「時代背景」は「1920年ごろ」で、第一次世界大戦(1914~1918年)に参戦して片腕を失って帰って来た父親が主人公の一人なんです(ディズニーアニメは1941年に作られています)が、その時代なら、こういった"差別的な言葉"は平気で使われていたでしょう。だからそれを「嗤う」シーンが入っていたんですね。

そう思っていたら、ちょうどスクラップを整理していたら『週刊文春』の中の町山智浩さんのコラム『言霊USA』の「連載第282回」が出て来ました。「何年の何月何日号か」が書かれていないんだけど、その後に出た、連載をまとめた本『トランプがローリングストーンズでやってきた 言霊USA2016』にも載ってるみたいだから、たぶん、

「2016年」

に書かれたものかな。そこで映画「JUMBO」を取り上げていたのです。その中に、

「主人公は異常に大きな耳の小象で、ばかにされてDUMBOと名付けられる。DUMBは『口がきけない』『のろま』の意味。ジャンボという母親がサーカスで産んだ子だ」

とありました。やはりそうだったのか!と我が意を得たりという気がしました。

ま、このコラムを先に(昔)読んでいて、すっかり忘れていただけなんですけどね。

(2019、8、30)

2019年8月30日 17:21 | コメント (0)

新・読書日記 2019_120

『詩集・雪明りの路』(伊藤整、日本図書センター:2006、1、25第1刷・2012、11、25第2刷)

多田武彦作曲の男声合唱組曲で、伊藤整のこの詩集の存在を知った。

北海道・小樽に住み、一年の内の大きな時間を「雪」と一緒に過ごす、自然との生活。その美しさ、激しさ。伊藤整ワールドが展開する。大正時代に書かれたもの。


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(2019、8、29読了)

2019年8月29日 17:28 | コメント (0)

新・読書日記 2019_119

『老嬢は今日も上機嫌』(吉行和子、新潮文庫:2011、2、1第1刷・2011、3、15第3刷)

独特のアンニュイな雰囲気を持つ女優...という認識をしている吉行さんは、エッセイストとしても輝きを放ち、独特の雰囲気をまとっている。一体全体、何歳なのかもよく分からない。多分もう70代‥‥と思って調べたら、何と、うちの両親と同じ「昭和10年(1935年)」生まれ!ということは「今年84歳」ではないか!そうは見えない。さすが、お母様が「107歳」まで生きた「吉行あぐり」さんだけある!ある意味"化け物"ですね。何を食べているのか。

自ら「老嬢」と呼ぶ。たしかに年は取ったが、「お嬢さん」である。台所が汚れるから、お料理は嫌。やっぱりちょっと変わっているなあというか、マイペースだなあと、至る所で感じる。天才肌というよりはマイペース。そんな彼女と気の合う仲間が、女優の冨士眞奈美さん、岸田今日子さん。3人で俳句を読んだり旅行をしたり、山下洋輔の追っかけをしたり・・・「乙女」である。「年を取った乙女」である。だから「老嬢」。そして、この本の解説も書いているピーコさんも。友達も個性的。自分をしっかりと持っているマイペースの人たちだからこそ、仲が良いのであろう。仲は良いけど、お互いの生活には干渉しない。"君子の交わり"かな。

このエッセイを書いている途中で、妹の吉行理恵さんが60代で亡くなり、親友の岸田今日子さんも亡くなる。でも人間、生きていれば、いつかは死ぬのだ、それも「生活の一部」なのだと受け止めているフシがある。傍らで、100歳以上生きて、まだまだ生きる"つもりらしい"『母・あぐり』さんがいる。(その後、お亡くなりになったが。)

人それぞれ。今日も上機嫌。


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(2019、8、28読了)

2019年8月29日 17:22 | コメント (0)

新・読書日記 2019_118

『発掘!歴史に埋もれたテレビCM~見たことのない昭和30年代』(高野光平、光文社新書:2019、7、30)

昭和28年(1958年)に放送が始まった「テレビ」。そのテレビ創世記の昭和30年代を中心としたテレビCMについての考察。もちろん「フィルム」である。残っている物は少ないが、その中から、「こんなものがあったのか!」「その後、どうなったのか?なぜそのようなCMが作られたのか?」などを時代背景と共に探っていく興味深い一冊。昭和30年代生まれの私ではあるが、物心ついたのは昭和40年代。ここに出て来るCMは、知らない者も多かった。その分、勉強にはなりましたが。

こういうところから時代を分析する学問もあるのですねえ。

ただ、これは当然「本」なので、CMの「動画」を見ることができないのが、残念でした。各CM、数枚の写真だけだったので。


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(2019、8、27読了)

2019年8月29日 17:21 | コメント (0)

新・ことば事情

7205「『生物』と『生き物』の違いは?」

先日、ダニ博士をお迎えしての「ミヤネ屋」のテロップをチェックしていて、

ふと思いました。

「『生物』と『生き物』の違いは、何だろうか?」

考えてみました。

*「生物」=「せいぶつ」=漢語=硬い表現、書き言葉的

*「生き物」=いきもの」=和語=軟らかい表現、話し言葉的

という使い分け。文脈によりますね。

(2019、8、29)

2019年8月29日 15:54 | コメント (0)

新・ことば事情

7204「水に埋まっていて」

8月28日、「news zero」を見ていたら、九州の豪雨の被害を佐賀駅前から中継で伝えていた女性アナウンサーが、こんなリポートをしていました。

「あそこの緩やかな坂の半分ぐらいの所まで、水に埋まっていて...」

それを聞いて違和感が。

「土砂に埋まっていて」

というのは聞いたことがありますが、日本語話者としては。

「水に埋まっていて」

は、大変違和感がありました。これは、

「水に浸かっていて」

と言うべきところだったと思います。

「ことばの結びつき=コロケーション」は、やはり、どれだけたくさん、きっちりとした本・文章を読んで、書き言葉に親しんでいるかということが、重要だと思います。

ご精進!!

(2019、8、29)

2019年8月29日 15:51 | コメント (0)

新・ことば事情

7203「ノイローゼ」

2016年7月26日の「ミヤネ屋」の放送の準備をしていたら、Sディレクターが質問して来ました。

「『週刊新潮』の記事で、『介護ノイローゼみたいな』という表現が出て来るんですが、この『ノイローゼ』は使っていいんでしょうか?」

と質問が。『読売テレビ放送用語ガイドライン第三版』見ると、「ノイローゼ」は、

「日本においては、多少悩んでいる状態から、うつ病、統合失調症のような重篤な精神疾患までも『ノイローゼ』と誤用することが多い。(中略)『近頃ノイローゼ気味で』などと用いるのは不可」

と記されていたので、「使わない」ことにしました。

その後、いろいろ調べて見ると、

2004年6月17日に自分のパソコン宛てに送った、

「育児ノイローゼ」

という言葉を見たという「ケータイメールのメモ」が残っていました。

そう言えば、高校生の頃に流行った「甲斐バンド」の曲で、

「テレホンノイローゼ」

というのがあったな。1978年ごろ。ウィキペディアで調べると、正しい表記は、

「テレフォン・ノイローゼ」

で、1976年12月20日に発売された、「甲斐バンド」の6枚目のシングルだそうです。へえー。

最近は「ノイローゼ」という言葉、あまり聞かなくなりました。

(追記)

と、ここまで書いてほったらかしになっていましたが、きょう(2019年8月27日)の「ミヤネ屋」で「ダニ」の研究で有名な国立環境研究所の五箇公一先生をお招きして「特定外来生物」について特集をした際に、

「刺されるとノイローゼになる痒(かゆ)み」

と表現がパネルで出て来たので、『読売テレビ放送用語ガイドライン第三版』に従って、この「ノイローゼ」という表現は使わずに、

「刺されると耐えられないほどの痒(かゆ)み」

という表現にしました。

(2019、8、27)

(2017、12、26)

2019年8月27日 16:32 | コメント (0)

新・ことば事情

7202「少しく」

「ゴジラ」のテーマソングの作曲で知られる、伊福部昭著『音楽入門』を読んでいたら、第11章に、

「さきに、少しく触れたところですが」

と出て来ました。この、

「少しく」

ということば、最近は見かけませんね。若い人は、

間違い!」

と言いそうですが、そもそもこれは、どういった由来の言葉なのでしょうか?

『精選版日本国語辞典』を引いてみたら、こう載っていました。

*「少しく」(「すこし」「すこしき」を形容詞のように意識してその連用形として作り出された語)わずかに。ちょっと」

として用例は「今昔物語(1120年ごろか)」というのですから、かなり古いですね。しかしその後のもう一つの例は山田美妙の『武蔵野』(1887年)と随分、時代が下ります。

「語誌」としては、

「『すこしき』が中古に生じていたのに対して、『すこしく』は例挙のように『今昔物語集』に数例あるほかは確例がなく、その一般化は近世のようである。形容動詞の『すこしき』が『わずかだ』という意味のほか『小さい』という意味でも用いたのに対して、『すこしく』は『わずかに』という意味でのみ用いる点が異なる」

とありました。

やはり、比較的「限定的な使用」だったようです。現代では、まず使わなくなった言葉の用法のように思います。

(2019、8、26)

2019年8月26日 11:49 | コメント (0)

新・ことば事情

7201「克復」

きょう(8月16日)の「ミヤネ屋」のフリップをチェックしていたら、韓国・文在寅(ムンジェイン)大統領の発言の中に、

「分断を克復して」

とありました。この「克復」は、

「克服」

の間違いではないか?と思って、辞書を引くと、

*「克復」=戦いに勝って、以前の平和な状態をとり戻すこと。

     (例)平和を克復する(「広辞苑」)

と載っていました。間違いじゃないんだ!

この使い分けは、日本新聞協会の『新聞用語集2007年版』にも、読売新聞社の『読売スタイルブック2017』にも、ことし4月に出た『朝日新聞の用語の手引・改訂新版』にも載っていません。

まず出て来ないですが、実際に出て来たので、ハンドブックに載せてもいいのかな?と思いました。

「回復」「快復」

の使い分けは、最近はなくなってきているようですが、これもちょっと関係するかなと思いました。

(2019、8、16)

2019年8月26日 11:45 | コメント (0)

新・読書日記 2019_117

『音楽入門』(伊福部昭、角川ソフィア文庫:2016、6、25)

あの「ゴジラ」の音楽を作曲した作曲家・伊福部昭さんが、昭和26年(1951)に書かれた・出された本。それが昭和60年(1985)に改訂、発行され、更に平成15年(2003)に新装版が出た。その際、昭和50年(1975)に行われた著者へのインタビューも収録した。それがまた、文庫本として平成28年(2016)に出たというロングセラー。名著であろう。音楽の本質は変わっていないと思う。その時代、時代の解釈があろうが。

先日「2019読書日記058」で書いた『ゴジラ音楽と緊急地震速報』(伊福部達・監修、筒井信介・著)を読んだので、併せてこれも読んでおきたいなと思って。

「あとがき」より。

「音楽は他の芸術と違って、たとえ作家がどのように作品を書き上げようとも、それは単なる楽譜に過ぎない。いわば単なる設計書に過ぎないのであって、これを音響化するには、演奏という極めて不可解な世界な通過しなければならないのです」

「音楽にあって、作曲と演奏という位、奇妙な関係で結ばれているものを他に知らないのです。(中略)音楽にあってはかなり作品を、かなりな程度に制限し得るということは非常に困難な事柄なのです。シェーンベルクの『期待』という作品は演奏が困難であるために、作品ができてから演奏されるまでに十六年の年月を待たねばなりませんでした」

「音楽の鑑賞にあっても、作曲家の場合と同様に自己の見解の確立のために戦いが必然的なものとなるのです。(中略)ゲーテは『不遜な一面がなくては芸術家といわれぬ』と述べていますが、鑑賞することもまた立派な芸術であることを忘れたくないものです。」


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(2019、8、5読了)

2019年8月25日 18:13 | コメント (0)

新・読書日記 2019_116

『「カッコいい」とは何か』(平野啓一郎、講談社現代新書:2019、7、20)

このタイトルだけだったら買わなかったが、著者が平野啓一郎さんということで興味を持って、購入して読んだ。それにしても新書にしては、かなり分厚い。500ぺ―ジ近い、一冊。

カッコいとは縁遠い私だが、見た目のカッコ良さよりも、中身のカッコよさを目指したいと常々思って来た。で、そもそも「カッコいい」とは何か?まず言葉の表記や意味から分析していく。(第1章「カッコいい」という日本語)そしてその「カッコいい」は「それぞれの趣味による」となると、「基準は何?」となる。(第2章・趣味は人それぞれか?)さらに「カッコいい」と感じるのは"感覚"で、基準は「しびれる」かどうかだと。(第3章「しびれる」という体感)。

また、「カッコいい」を知るために、対極の「カッコ悪い」はどういうことか?と考え(第4章「カッコ悪い」ことの不安)、まだまだ続く。最初に書いたように「カッコいい」のは見た目・外見か?内面か?というところに、ようやくたどり着く。(第5章 表面的か、実質的か)、ここで目を海外に向けて「カッコいい」は日本だけの現象ではないと(第6章 アトランティック・クロッシング!)。そして「カッコいい」の一つの形である「ダンディズム」が、英仏から日本に19世紀に渡って来た流れを記し、(第7章 ダンディズム)、ヨーロッパ社会での「キリスト教」にその起源を求める(第8章「キリストに倣いて」以降)。そういった「カッコよさ」は「男」だけのものなのか?「女性」にも通用する概念なのか(第9章それは「男の美学」なのか?)、そして、まとめ(第10章「カッコいい」のこれから)に至る477ページ。読み応えがあります!


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(2019、8、12読了)

2019年8月24日 18:40 | コメント (0)

新・読書日記 2019_115

『資本主義と民主主義の終焉~平成の政治と経済を読み解く』(水野和夫・山口二郎、祥伝社新書:2019、5、10)

「2人の対談」のようではあるのだけれど、もしかしたら2人別々に話したものを、後から組み合わせたのではないか?というほど、「対談」感はない。それぞれの主張が織りなされているが、主張のメーンは水野さんで、山口さんはフォローに回っているような感じにも見られた。

見出しを並べると、

  1. 新時代への期待~バブルとベルリンの壁、二つの崩壊

  2. 危機感漂う世紀末~相次ぐ企業破綻から金融危機へ

  3. 熱狂する国民~小泉政権と同時多発テロ

  4. 新自由主義の席巻~リーマン・ショックと格差社会

  5. 「神話」の崩壊~政権交代と東日本大震災

  6. 長期政権と右旋回~そして安倍一強へ

こう並べると、確かに「平成」という時代は、そんな時代であったなあと思いました。

本書はさらに、

  1. 平成とはどのような時代だったのか

  2. これからの一〇年

とまとめられる。それによると、「平成」は「始まり」ではなく「終わり」の時代であったと。「戦後政治」「メディア」「日本経済」「進歩の時代」「成長の条件」「エネルギー」「金余り」といったものが終わりを迎え、あるいは衰退していった。そのトータルは「資本主義」そのものが衰退、終わりを迎えようとしている。「生産力増強の時代が終わった」「ポスト近大は成長の時代ではない」と。

そうすると、これからどうすれば良いのか?

本書をお読みください。


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(2019、8、15読了)

2019年8月24日 18:20 | コメント (0)

新・読書日記 2019_114

『やわらかな兄 征爾』(小澤幹雄、光文社知恵の森文庫:2019、6、20)

著者の小澤幹雄さんは、早稲田大学中退、俳優・エッセイスト、何と言っても世界的指揮者・小澤征爾の2歳下の実弟である。勉強不足でお名前を存じ上げませんでした。写真を見たら、お兄さんにそっくりだ!

小澤征爾さんと言えば、おととし、「サイトウキネン」改め「オザワキネン」(のような感じ)のコンサートを、もう最後のチャンスかもと思って、長野まで日帰りで聴きに行ったことがあったなあ。(=おととし。去年は出演しなかった。でも今年は出演された。)小澤征爾さんは、うちの両親と同じ昭和10年(1935年)生まれである。

その弟の幹雄さんが1985年に出た本が、30数年の時を経て、「文庫本」として出版されたとのこと。単行本時には読んでなかったと思うのだが、今回、興味深く読んだ。

子ども時代から、ブザンソン指揮者コンクールに優勝するあたりまでが特に興味深い。スクーターでヨーロッパを回った時代に、メールもないから、沢山「手紙」を書いて送ったという兄・小澤征爾。筆まめだけど、字が汚かったので、弟の幹雄さんは何とその手紙の数々を、読みやすく大学ノートに書き留めていたという。のちに征爾が初めての本を書く時には、その大学ノートが役に立ったのだそうだ。そういった逸話も、時代を切り開いていった小澤征爾の明るい性格など、生き生きと描かれている。

ちょうどこれを読み終わって1週間もしないうちに、NHKの「ファミリーストーリー」という番組で、俳優の小澤征悦さん(=小澤征爾の長男)の歴史(小澤家の歴史)を描いていた。この本に書かれていた話が、まるでドキュメンタリー映画の様に実写や再現で出て来て大変興味深かった。皆さん、ぜひお読みください!


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(2019、8、14読了)

2019年8月24日 18:18 | コメント (0)

新・読書日記 2019_113

『校閲記者の日本語真検×剣勝負』(東京新聞・中日新聞編、東京新聞:2019、6、27)

厳しいようだが、ハッキリ言って、期待外れ。もちろん「へえ、そうだったのか」というものもあったが、ほとんどは既知の情報ばかり。しかも「1ネタ1ページ」なので、深まりようがない。せめて「1ネタ見開き2ページ」は必要ではないか?

また、タイトルと、その下の用例と思われる【 】との区別が分かりにくい。見出しも中途半端。たとえば134ページの、

「先入観【喧々囂々 侃々諤々】」

は、「喧々囂々(けんけんごうごう)」と「侃々諤々(かんかんがくがく)」は、よく混交表現になってしまうが、それは「思い込み」=「先入観」が原因、という文章なのだが、これのタイトルを「先入観」にしますか?普通は混交表現である「喧々諤々(けんけんがくがく)?」にすると思いますね。

そのあたり、タイトルに全体としてのポリシーが感じられずに、わかりにくいです。

それと「序章」の「新聞の校閲という仕事」についての記述が長い!これはもう「序章」じゃありません、「第1章」でしょう。読者は具体的な事例を知りたいのだと思うので、これが最初に来ると、読む気を無くしてしまう。この部分はコラムにして分散させるなど、もっと工夫が欲しい。そして「序章」は長いのに、全体としては150ページしかない。せめて200ページにして、事例を増やすべきです。

クイズも中途半端。なんなら、全編「クイズ形式」にしたら良かったのに。

期待して注文して取り寄せたのに、残念な一冊でした。


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(2019、8、22読了)

2019年8月24日 18:15 | コメント (0)

新・読書日記 2019_112

『悠々遊子~60歳のクラス日誌』(豊高17期紙上同窓会)

大阪府立豊中高校(通称・豊高=トヨコウ)17期生による、「還暦記念」の文集。私家版。

たまたま合唱団の先輩がこの「豊高17期生」で、ずいぶん長い文章を寄せていると聞いて、借りて読んでみた。高校の思い出と言うよりも、グリークラブ・合唱団の思い出のような文章になっていましたが、なかなかの力作でした。

高校卒後40年以上たっても、こういった立派な冊子を編集できる結束力・団結力、統率力はすごいなあ、さすが名門校!と思いました。

そして、実はこの10年前の「50歳」の時にも同様の冊子を作っていると聞いて、なるほど実績に基づいて行動しているのだなと納得しました。


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(2019、8、21読了)

2019年8月23日 15:12 | コメント (0)

新・読書日記 2019_111

『くしゃみ~浦沢直樹短編集』(浦沢直樹、小学館:2019、5、1)

「YAWARA」「20世紀少年」などで知られる漫画家浦沢直樹の短編集。これは、どうも作家・浦沢直樹の趣味的要因の強い、個性の強い漫画といった感じ。

浦沢作品は好きだけど、連載を読んでいると、途中で長編すぎて最初のほうの内容を忘れてしまう傾向があったので、こういった短編や、一話読み切りのが好きだな。「パイナップル・アーミー」も好きだったし、一番好きなのは「マスター・キートン」かなあ。

そういう意味では、好ましい短編集である。


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(2019、8、15読了)

2019年8月23日 15:09 | コメント (0)

新・読書日記 2019_110

『ブレードランナー証言録』(ハンプトン・フィンチャー、マイケル・グリーン、渡辺信一郎、ポール・M・サイモン、大野和基編・訳、インターナショナル新書:2019、6、20)

去年、あの「ブレードランナー」が帰って来た。「2049」として。

1982年に公開されたリドリー・スコット監督、ハリソン・フォード主演の映画「ブレードランナー」、私は実は「映画」では見ていなくて、数年後にビデオで見たが、ものすごくインパクトを受けたものの一つだ。その後に見た、同じリドリー・スコット監督の「ブラック・レイン」(大阪でもロケをした)の世界にも通じる、奇妙なアジアというか未来というか、の世界が胸を揺さぶった。今でいうと「刺さった」感じだった。

あの「ブレードランナー」の舞台は「2019年11月」という「近未来」だったが、その「2019年」が、ついに"実際に"来てしまった。(「1984年」みたいに。)その前に「さらに近未来」の続編が作られたので見に行ったのが、去年。もっと話題になってヒットすると思ったが、それほどでもなかったようだが。

その製作関係者への聞き取りインタビュー本というので、興味を持って読んだ。

初めて知ったのは、「渡辺信一郎」さんという日本人のアニメーション監督が、最初の「ブレードランナー」と今回の「2049」との間をつなぐアニメ作品「ブラックアウト2022」を創っていたということ。どういうモノなんだろうか?ぜひ、見てみたいと思った!


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(2019、8、11読了)

2019年8月23日 15:07 | コメント (0)

新・読書日記 2019_109

『未来の地図帳~人口減少日本で各地に起こること』(河合雅史、講談社現代社新書:2019、6、20)

累計76万部突破の「未来の年表」シリーズの著者の最新作...と帯に書いてある。

そうなんです、最新作。

著者は「未来の年表」で、「人口」に関するデータを使って、これからの「人口減少社会・日本」に起こる「不都合な真実」を「未来の年表」で表して、注意喚起してきた。これは(データは公開されているものだから)誰にでもできそうで、誰にでもはできない作業だ。

今度も、同じく人口データ(数値)を使い、それがあぶり出す「各地域の人口の数値」が、「地域」にどのような影響を及ぼすのかを記している。同じ問題に、別の局面から光を当てた感じ。

やはり今までのような「街」と、その周囲の生活というものとは、どんどん失われていくんだなと。すでに今年出て来た、コンビニエンスストアが「24時間営業」をやめる、という出来事などは、身近で分かりやすい現象だ。これまで「コンビニエント(便利)」になって来た日本社会が、間違いなく加速度的に「インコンビニエント(不便)」になっていく。「不便」をどのくらい我慢できるか?我慢できない不便とは、何なのか?優先順位を考えながら、頭を使って、考えていかなくてはいけない社会・時代がやって来る。ある意味、望ましいかもしれないね、何も考えなくてもいい社会になってしまった"今の日本人"にとっては。


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(2019、8、10読了)

2019年8月23日 15:05 | コメント (0)

新・読書日記 2019_108

『真夏の雷管』(佐々木譲、角川春樹事務所:2019、7、10)

ことしの夏休みの旅行中(8日間)に読んだ本は全部で6冊。そのうちの1冊目

普段は、仕事の行き帰りに通勤で社で読むと、長めに続けて読めずにブチ切れになってしまうので、やはり推理小説・警察小説なんかは、休みの時に一気に読めるのが良いなあ。飛行機の中とか。

佐々木譲の警察小説は好きで、10年ほど前に初めて読んでから、この「北海道警シリーズ」最初の何冊かは読んでいたが、この本を読んでわかったのは、途中、何冊か読んでいないのがある(抜けている)ということ。

  1. 笑う警官

  2. 警察庁から来た男

  3. 警官の紋章

  4. 巡査の休日

ここまでは確実に読んだ覚えがある。内容はともかく、タイトルは覚えていた。しかし、

  1. 密売人

  2. 人質

  3. 憂いなき街

は、どうかなあ・・・あらすじを見たら、読んだような気もするけどなあ・・・。

これに続く「シリーズ第7作」が本書でした。あれ?いつのまにか、二人そういう関係になってたんだ!という気もするが・・・。

このお話では、事件は起こりそうで、でもまだ何も起きていないのに、警察が必死に「事件が起きるのを防ごうとしている」。実際は、ここまではなかなか出来ないんだろうなあと思った。


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(2019、8、8読了)

2019年8月23日 15:01 | コメント (0)

新・読書日記 2019_107

『テレビとジャニーズ~メディアは「アイドルの時代」をどう築いたのか』(太田省一、blueprint:2018、3、26)

以前、購入していたが読んでいなかったものを、ジャニー喜多川社長が入院したと報じられたのを知って読みだしたのだが、読み終わるまでにジャニー社長は亡くなってしまった。合掌。

明らかに、一つの時代が終わろうとしている。「SMAP」の解散、そして「嵐」の活動休止も近づいていて、日本人はみんな、そういった空気を感じているだろう。アイドルは時代と共に生きて来た。その中心に君臨したのが、ジャニーズ事務所のタレントたちだ。

アイドルとは何なのか?この時代におけるアイドルの在り方とは?

そういったことには、興味がある。

しかし、この本を読み進めて感じたことは、

「私は基本的に(仕事別として)ジャニーズに興味がない)」

ということ。どちらかと言うと、嫌って避けて来た、というのが本音である。。

「『アイドルの時代』をどう築いたのか」

の次には、

「『アイドルの時代』は、どのように崩壊したのか」

の分析になっていくのだろう、と思った。


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(2019、8、5読了)

2019年8月 7日 18:52 | コメント (0)

新・読書日記 2019_106

『井上陽水英訳詞集』(ロバート キャンベル、講談社:2019、5、14第1刷・2019、6、10第2刷)

テレビでもおなじみのロバートキャンベルさんが、自身の入院を機に、井上陽水さんの曲の歌詞を「英訳」したもの。なぜ、そういったことになったのか、また実際に井上陽水さんとも交流があって、相談しながら話し合いながら作業を進めた様子などに関する記述が、本の前半半分を占めている。

取り上げられた50曲中、私が知っていた曲は、16曲だった。

日本語の歌詞を英語に訳す場合は「単数か複数か」問題が必ず出て来る。

たとえば若山牧水の「白鳥は悲しからずや」の歌では、「白鳥」は何羽なのか?

山形・立石寺で芭蕉が読んだ「岩にしみいるセミの声」の「セミ」は何匹なのか?

とか。同じ問題が出て来て、陽水さんに質問すると「それは考えていなかった」と。

異文化の衝突ですね。


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(2019、8、1読了)

2019年8月 7日 18:50 | コメント (0)

新・読書日記 2019_105

『世界の危険思想~悪いやつらの頭の中』丸山ゴンザレス、光文社新書:2019、5、30第1刷・2019、6、10第2刷)

お、今初めて気づいたけど、発売10日で2刷とは、なかなか売れているんではないですか!知らなかった。なかなか興味深い・キャッチーなタイトルですものね、特にサブタイトルの「悪いやつらの頭の中」が。

考古学者崩れの著者は、世界中の「危険な所」を歩き回ってリポートとしている。冒頭から緊張感のある「殺し屋」へのインタビュー・・・。

「生」と「死」のボーダーラインが低い国、つまり「命の値段が安い」国では、私達が思っている「人を殺す」ということへの抵抗感も、信じられないほど低い。

そういったことは、あまり知りたくないのだが・・・・。

世界中には、日本に住む日本人とは違う考え方をしている人たちが、たくさん住んでいるというのは、よくわかった。


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(2019、7、31読了)

2019年8月 7日 18:49 | コメント (0)

新・読書日記 2019_104

『友情について~僕と豊島昭彦君の44年』(佐藤優、講談社:2019、4、22)

著者の佐藤優さんの浦和高校時代の親友・豊島君。去年、同窓会で30数年ぶりに会ったら、何とそのすぐ後に、彼が末期のすい臓がんであることが判明。余命の中央値は「291日」しかない。30数年ぶりに会っても、青春時代を共に過ごした仲間は、その年月を飛び越えて当時に戻ることができる。しかし、死んでしまってはもう会えない。今、彼のために自分がするべきことは?その親友・豊島君とも話し合い、彼の半生について書くことになった。彼に「生きざま」を書くことは、同時に「彼の生きた時代」を描くことにもなると。彼から話を聞き出した。何と言っても、高校以降は交流がなく、詳しい彼の人生に関しては「点」でしか知らない。その「点」と「点」の間を埋めていく作業。そして、それを書籍として、豊島君は、自分が生きた証として子どもたちに残したいのだと。恐らく、佐藤さんも、

「自分も、いつ命が尽きるかわからない」

という同じ思いで、豊島君の代わりになって、この本を綴ったのだと思う。

この本が出てから、もう3か月。おそらく、がん告知から、すでに291日は経過しているのではないか。豊島君のその後が、気にかかる・・・。

とても他人事とは思えない、生きること、生きていること、そして死について考えさせられる一冊であった。


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(2019、7、29読了)

2019年8月 7日 18:48 | コメント (0)

新・ことば事情

7200「ハッと驚く平右衛門」

先輩に誘われて、国立文楽劇場に文楽を見に行ってきました。

出し物は「仮名手本忠臣蔵」の五段目「山崎街道出合いの段」(「出合い」なのですね、「出会い」ではなく)「二つ玉の段」、六段目「身売りの段」「早野勘平腹切の段」、七段目「祇園一力茶屋の段」でした。実は4月に「一段目」から「四段目」までが演じられており、「八段目」以降は11月に演じられるのですが、4月は、私は見ていません。

会場は満員で、座席の後ろにエキストラの椅子が出されるほどの人気でした。涼しいしね、会場内は。何といっても、大夫さんの「生の声」を聴くのが、テレビなどでは味わえないまさに「ライブ」。言葉は難しいけど「字幕」がちゃんと出るので、意味は分かりやすいです。

その七段目「祇園一力茶屋の段」は、人形の役によって大夫さんが変わる一人一役。つまりは「人形劇の声優さん」のようになっていて、これは歌舞伎と同じで、文楽らしくはない構成です。

その中の、太夫の語りの一言に、私は注目しました。それは、

「ハッと驚く平右衛門」

というもの。それを聞いた私は、平右衛門ではありませんが「ハッと驚き」ました。このフレーズ、どこかで聞いた、そうだ「クレージキャッツ」の「ハナ肇」のギャグ、

「アッと驚く為五郎」

と同じではないか!もしかしたら「本家」はこちらではないか?と思ったのです。

家に帰ってから調べてみると(「ウィキペディア」ですが)、どうやらハナ肇の「アッと驚く為五郎」の「為五郎」の名前の由来は、

「浪曲『石松代参』(または『石松の代参』)にある『本座村為五郎の悪事』に出て来る人物が、ハナ肇の大のお気に入りだったことから」

ということのようです。「為五郎」の名前の由来は、そうかもしれませんが、

「アッと驚く〇〇〇」

の形は、もしかしたら、この「仮名手本忠臣蔵」かもしれませんね。

11月に、また見に来ようと思いました。

(2019、8、6)

2019年8月 6日 21:12 | コメント (0)

新・ことば事情

7199「タラ味の駄菓子」

プロ2年目、20歳の渋野日向子(しぶの・ひなこ)選手が、全英女子オープンゴルフで、見事優勝を飾りました。1977年の樋口久子選手に次ぐ、42年ぶり2度目の世界5大メジャーでの優勝という快挙です!渋野選手は、

「スマイル・シンデレラ」

と言われるほど、いつもニコニコ。その笑顔が魅力的です。また、プレー中に、

「駄菓子」

を、もぐもぐ食べている様子がテレビ画面に映り、「かわいい」と話題になっています。

なんでも、魚の「タラ」を使った、

タラタラしてんじゃねーよ」

という名前の駄菓子や、スルメが好きなんだそうですが、「駄菓子」だけにネーミングも、「駄洒落」

がお好きなようで...。私も好きです。平昌(ピョンチャン)冬季五輪での「カーリング女子チーム」の、

「もぐもぐタイム」

を思い出しました。女子はお菓子が好きなんですね。私も、女子じゃないけど好きですが。

この渋野選手について、けさ(8月6日)の読売新聞朝刊のコラム「編集手帳」で取り上げていました。その中で、

「タラ味の駄菓子」

という所に目が留まりました。

「タラ味」?

「タラって白身で、あまり味がしない」

のではないでしょうか?しかも、この駄菓子は、

「ビールに合うような、かなり辛い味付けがされている」

と報道されていたので、「タラ味」という表現には違和感が。

「肉」の場合は、

「牛肉味」「豚肉味」「鶏肉味」

などがまだ成り立つかもしれませんが、「魚」の場合は、

「タイ味」「タラ味」「サンマ味」「サワラ味」「イワシ味」

等は成り立たない気がします。特に、

「アジ味」

は、合わない気がする「アキアジ味」とか、舌を噛みそう。

成り立ちそうなのは、魚よりも、

「貝」や「カニ」

などではないでしょうか?

「ホタテ味」「サザエ味」「カニ味」「タラバ(ガニ)味」「イセエビ味」

などは、いけるのと違うかなあ。でも、「タラ味」はダメだと私は思いました。

(2019、8、6)

(追記)

きのう行った、行きつけのスペインバルで、スペインと全く関係が無いのに、なぜかサービスで出してくれました。

20190807.jpg

味は・・・ちょっとスパイシー。つまり辛い。だって袋に、

「エスニック風味 激辛味」

ってちゃんと書いてあります。「タラ味」とは書いてない。「嫌味タラタラ」というわけではありませんが。

(2019、8、7)

2019年8月 6日 21:11 | コメント (0)

新・ことば事情

7198「ミニカバか?コビトカバか?」

少し古い話になってしまいましたが、ことし3月12日放送の読売テレビ「かんさい情報ネットten。」で大阪・万博公園の動物園(?水族館?)の、

「ニフレル」

(「ニフレル」、行ったことないけど「~に触れる」から来ているのかな?ネーミングは)で、「ミニカバ」の赤ちゃん誕生の密着取材を放送していました。それを見ていたら、

「ミニカバ」

という表現に対してスタッフなどから、

「昔は『コビトカバ』と呼んでいたのではないか?『コビト』が差別的表現だから、名前が変わったのか?」

という疑問が出ました。私はまた、

「赤ちゃんのカバ(=カバの赤ちゃん)」

を指して「ミニカバ」と言っているのかと思っていました。

それから3週間がたった4月3日、何気なく見ていたテレビで、カバが気持ちよさそうに泳いでいるコマーシャルが流れていて、そこに、

「コビトカバ」

の文字が。どこのコマーシャルかなと思ったら、

「神戸どうぶつ王国」

のコマーシャルでした。関西の動物園でも、動物園によって呼び方が違うんだ!

つまり「コビトカバ」という表現が禁止されているわけではなく、それよりも「ミニカバ」と言ったほうがかわいいから、そう呼んでいるのかな?と思いました。

調べてみると、「ミニカバ」は「コビトカバ」の「別名」で、学名では、

「カバ科コビトカバ属」

に属する偶蹄目(ぐうていもく)ということです。

グーグル検索では(8月6日)、

「ミニカバ」 = 7万8200件

「コビトカバ」=21万2000件

と、「コビトカバ」のほうが3倍多く使われていました。

ちなみに、10年ぐらい前(2007年)に、日本魚類学会が「差別的な魚類の名前」を「改名」したことがありました。その場合は、

×「アシナガゲンゲ」→〇「ヤワラゲンゲ」

×「オシザメ」   →〇「チヒロザメ」

×「セムシウナギ」 →〇「ヤバネウナギ」

×「テナシゲンゲ」 →〇「チョウジャゲンゲ」

×「ミツクチゲンゲ」→〇「ウサゲンンゲ」

×「メクラアナゴ」→〇「アサバホラアナゴ」

×「メクラウナギ」→〇「ホソヌタウナギ」

という具合でした。

(2019、8、6)

2019年8月 6日 16:30 | コメント (0)

新・ことば事情

7197「アニメ制作か?アニメ製作か?」

7月18日、京都アニメーションの第1スタジオが放火されて35人もの命が奪われ、

33人が負傷するという惨劇が起こってしまいました。亡くなられた方々、また遺族の方々にとっては「なんで?」という思いしかないと思います。謹んで哀悼の意を捧げます。また負傷された方々の、一日も早いご回復を願います。

さて、そのニュースの中で「アニメーション」を作る「せいさく」は、

「制作」か?「製作」か?

という問題が生じました。つまり、「京都アニメーション」という会社は、

「アニメ制作」会社か?「アニメ製作」会社か?ということです。「ミヤネ屋」では、

「製品=製作」

「作品=制作」

という使い分けをしているので、

「アニメ」=「作品」=「制作」

「制作」にしました。ただ、実はこの原則にも例外があって、「映画」は、

「製作」

なのです。そうすると、

「テレビアニメ=制作」

「アニメ映画 =製作」

になるのか?両方作っている場合はどうなるのか?うーんと悩んでしまいます。

そこで他社はどうしているのか、チェックしました。(7月18日)テレビは、

*NHK・MBS(毎日放送)=「製作」

*ABC(朝日放送)・KTV(関西テレビ)=「制作」

新聞(夕刊)各紙は、

*読売・朝日・産経・日経=「制作」

*毎日=「製作」

でした。しかし、唯一「製作」を使っていた「毎日新聞」は、翌日(7月19日)の朝刊では、

「制作」

を使っていました。また、7月20日の「京都新聞」のネット記事では、

「製作」

を使っていました(アニメ製作会社)。

いずれにせよ、アニメは「制作」でいいのかな。

(2019、7、24)

2019年8月 1日 18:18 | コメント (0)