新・読書日記
2019_119
『老嬢は今日も上機嫌』(吉行和子、新潮文庫:2011、2、1第1刷・2011、3、15第3刷)
独特のアンニュイな雰囲気を持つ女優...という認識をしている吉行さんは、エッセイストとしても輝きを放ち、独特の雰囲気をまとっている。一体全体、何歳なのかもよく分からない。多分もう70代‥‥と思って調べたら、何と、うちの両親と同じ「昭和10年(1935年)」生まれ!ということは「今年84歳」ではないか!そうは見えない。さすが、お母様が「107歳」まで生きた「吉行あぐり」さんだけある!ある意味"化け物"ですね。何を食べているのか。
自ら「老嬢」と呼ぶ。たしかに年は取ったが、「お嬢さん」である。台所が汚れるから、お料理は嫌。やっぱりちょっと変わっているなあというか、マイペースだなあと、至る所で感じる。天才肌というよりはマイペース。そんな彼女と気の合う仲間が、女優の冨士眞奈美さん、岸田今日子さん。3人で俳句を読んだり旅行をしたり、山下洋輔の追っかけをしたり・・・「乙女」である。「年を取った乙女」である。だから「老嬢」。そして、この本の解説も書いているピーコさんも。友達も個性的。自分をしっかりと持っているマイペースの人たちだからこそ、仲が良いのであろう。仲は良いけど、お互いの生活には干渉しない。"君子の交わり"かな。
このエッセイを書いている途中で、妹の吉行理恵さんが60代で亡くなり、親友の岸田今日子さんも亡くなる。でも人間、生きていれば、いつかは死ぬのだ、それも「生活の一部」なのだと受け止めているフシがある。傍らで、100歳以上生きて、まだまだ生きる"つもりらしい"『母・あぐり』さんがいる。(その後、お亡くなりになったが。)
人それぞれ。今日も上機嫌。
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(2019、8、28読了)
2019年8月29日 17:22
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新・読書日記
2019_118
『発掘!歴史に埋もれたテレビCM~見たことのない昭和30年代』(高野光平、光文社新書:2019、7、30)
昭和28年(1958年)に放送が始まった「テレビ」。そのテレビ創世記の昭和30年代を中心としたテレビCMについての考察。もちろん「フィルム」である。残っている物は少ないが、その中から、「こんなものがあったのか!」「その後、どうなったのか?なぜそのようなCMが作られたのか?」などを時代背景と共に探っていく興味深い一冊。昭和30年代生まれの私ではあるが、物心ついたのは昭和40年代。ここに出て来るCMは、知らない者も多かった。その分、勉強にはなりましたが。
こういうところから時代を分析する学問もあるのですねえ。
ただ、これは当然「本」なので、CMの「動画」を見ることができないのが、残念でした。各CM、数枚の写真だけだったので。
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(2019、8、27読了)
2019年8月29日 17:21
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新・読書日記
2019_117
『音楽入門』(伊福部昭、角川ソフィア文庫:2016、6、25)
あの「ゴジラ」の音楽を作曲した作曲家・伊福部昭さんが、昭和26年(1951)に書かれた・出された本。それが昭和60年(1985)に改訂、発行され、更に平成15年(2003)に新装版が出た。その際、昭和50年(1975)に行われた著者へのインタビューも収録した。それがまた、文庫本として平成28年(2016)に出たというロングセラー。名著であろう。音楽の本質は変わっていないと思う。その時代、時代の解釈があろうが。
先日「2019読書日記058」で書いた『ゴジラ音楽と緊急地震速報』(伊福部達・監修、筒井信介・著)を読んだので、併せてこれも読んでおきたいなと思って。
「あとがき」より。
「音楽は他の芸術と違って、たとえ作家がどのように作品を書き上げようとも、それは単なる楽譜に過ぎない。いわば単なる設計書に過ぎないのであって、これを音響化するには、演奏という極めて不可解な世界な通過しなければならないのです」
「音楽にあって、作曲と演奏という位、奇妙な関係で結ばれているものを他に知らないのです。(中略)音楽にあってはかなり作品を、かなりな程度に制限し得るということは非常に困難な事柄なのです。シェーンベルクの『期待』という作品は演奏が困難であるために、作品ができてから演奏されるまでに十六年の年月を待たねばなりませんでした」
「音楽の鑑賞にあっても、作曲家の場合と同様に自己の見解の確立のために戦いが必然的なものとなるのです。(中略)ゲーテは『不遜な一面がなくては芸術家といわれぬ』と述べていますが、鑑賞することもまた立派な芸術であることを忘れたくないものです。」
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(2019、8、5読了)
2019年8月25日 18:13
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新・読書日記
2019_116
『「カッコいい」とは何か』(平野啓一郎、講談社現代新書:2019、7、20)
このタイトルだけだったら買わなかったが、著者が平野啓一郎さんということで興味を持って、購入して読んだ。それにしても新書にしては、かなり分厚い。500ぺ―ジ近い、一冊。
カッコいとは縁遠い私だが、見た目のカッコ良さよりも、中身のカッコよさを目指したいと常々思って来た。で、そもそも「カッコいい」とは何か?まず言葉の表記や意味から分析していく。(第1章「カッコいい」という日本語)そしてその「カッコいい」は「それぞれの趣味による」となると、「基準は何?」となる。(第2章・趣味は人それぞれか?)さらに「カッコいい」と感じるのは"感覚"で、基準は「しびれる」かどうかだと。(第3章「しびれる」という体感)。
また、「カッコいい」を知るために、対極の「カッコ悪い」はどういうことか?と考え(第4章「カッコ悪い」ことの不安)、まだまだ続く。最初に書いたように「カッコいい」のは見た目・外見か?内面か?というところに、ようやくたどり着く。(第5章 表面的か、実質的か)、ここで目を海外に向けて「カッコいい」は日本だけの現象ではないと(第6章 アトランティック・クロッシング!)。そして「カッコいい」の一つの形である「ダンディズム」が、英仏から日本に19世紀に渡って来た流れを記し、(第7章 ダンディズム)、ヨーロッパ社会での「キリスト教」にその起源を求める(第8章「キリストに倣いて」以降)。そういった「カッコよさ」は「男」だけのものなのか?「女性」にも通用する概念なのか(第9章それは「男の美学」なのか?)、そして、まとめ(第10章「カッコいい」のこれから)に至る477ページ。読み応えがあります!
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(2019、8、12読了)
2019年8月24日 18:40
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新・読書日記
2019_115
『資本主義と民主主義の終焉~平成の政治と経済を読み解く』(水野和夫・山口二郎、祥伝社新書:2019、5、10)
「2人の対談」のようではあるのだけれど、もしかしたら2人別々に話したものを、後から組み合わせたのではないか?というほど、「対談」感はない。それぞれの主張が織りなされているが、主張のメーンは水野さんで、山口さんはフォローに回っているような感じにも見られた。
見出しを並べると、
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新時代への期待~バブルとベルリンの壁、二つの崩壊
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危機感漂う世紀末~相次ぐ企業破綻から金融危機へ
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熱狂する国民~小泉政権と同時多発テロ
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新自由主義の席巻~リーマン・ショックと格差社会
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「神話」の崩壊~政権交代と東日本大震災
-
長期政権と右旋回~そして安倍一強へ
こう並べると、確かに「平成」という時代は、そんな時代であったなあと思いました。
本書はさらに、
-
平成とはどのような時代だったのか
-
これからの一〇年
とまとめられる。それによると、「平成」は「始まり」ではなく「終わり」の時代であったと。「戦後政治」「メディア」「日本経済」「進歩の時代」「成長の条件」「エネルギー」「金余り」といったものが終わりを迎え、あるいは衰退していった。そのトータルは「資本主義」そのものが衰退、終わりを迎えようとしている。「生産力増強の時代が終わった」「ポスト近大は成長の時代ではない」と。
そうすると、これからどうすれば良いのか?
本書をお読みください。
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(2019、8、15読了)
2019年8月24日 18:20
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新・読書日記
2019_114
『やわらかな兄 征爾』(小澤幹雄、光文社知恵の森文庫:2019、6、20)
著者の小澤幹雄さんは、早稲田大学中退、俳優・エッセイスト、何と言っても世界的指揮者・小澤征爾の2歳下の実弟である。勉強不足でお名前を存じ上げませんでした。写真を見たら、お兄さんにそっくりだ!
小澤征爾さんと言えば、おととし、「サイトウキネン」改め「オザワキネン」(のような感じ)のコンサートを、もう最後のチャンスかもと思って、長野まで日帰りで聴きに行ったことがあったなあ。(=おととし。去年は出演しなかった。でも今年は出演された。)小澤征爾さんは、うちの両親と同じ昭和10年(1935年)生まれである。
その弟の幹雄さんが1985年に出た本が、30数年の時を経て、「文庫本」として出版されたとのこと。単行本時には読んでなかったと思うのだが、今回、興味深く読んだ。
子ども時代から、ブザンソン指揮者コンクールに優勝するあたりまでが特に興味深い。スクーターでヨーロッパを回った時代に、メールもないから、沢山「手紙」を書いて送ったという兄・小澤征爾。筆まめだけど、字が汚かったので、弟の幹雄さんは何とその手紙の数々を、読みやすく大学ノートに書き留めていたという。のちに征爾が初めての本を書く時には、その大学ノートが役に立ったのだそうだ。そういった逸話も、時代を切り開いていった小澤征爾の明るい性格など、生き生きと描かれている。
ちょうどこれを読み終わって1週間もしないうちに、NHKの「ファミリーストーリー」という番組で、俳優の小澤征悦さん(=小澤征爾の長男)の歴史(小澤家の歴史)を描いていた。この本に書かれていた話が、まるでドキュメンタリー映画の様に実写や再現で出て来て大変興味深かった。皆さん、ぜひお読みください!
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(2019、8、14読了)
2019年8月24日 18:18
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新・読書日記
2019_113
『校閲記者の日本語真検×剣勝負』(東京新聞・中日新聞編、東京新聞:2019、6、27)
厳しいようだが、ハッキリ言って、期待外れ。もちろん「へえ、そうだったのか」というものもあったが、ほとんどは既知の情報ばかり。しかも「1ネタ1ページ」なので、深まりようがない。せめて「1ネタ見開き2ページ」は必要ではないか?
また、タイトルと、その下の用例と思われる【 】との区別が分かりにくい。見出しも中途半端。たとえば134ページの、
「先入観【喧々囂々 侃々諤々】」
は、「喧々囂々(けんけんごうごう)」と「侃々諤々(かんかんがくがく)」は、よく混交表現になってしまうが、それは「思い込み」=「先入観」が原因、という文章なのだが、これのタイトルを「先入観」にしますか?普通は混交表現である「喧々諤々(けんけんがくがく)?」にすると思いますね。
そのあたり、タイトルに全体としてのポリシーが感じられずに、わかりにくいです。
それと「序章」の「新聞の校閲という仕事」についての記述が長い!これはもう「序章」じゃありません、「第1章」でしょう。読者は具体的な事例を知りたいのだと思うので、これが最初に来ると、読む気を無くしてしまう。この部分はコラムにして分散させるなど、もっと工夫が欲しい。そして「序章」は長いのに、全体としては150ページしかない。せめて200ページにして、事例を増やすべきです。
クイズも中途半端。なんなら、全編「クイズ形式」にしたら良かったのに。
期待して注文して取り寄せたのに、残念な一冊でした。
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(2019、8、22読了)
2019年8月24日 18:15
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新・読書日記
2019_112
『悠々遊子~60歳のクラス日誌』(豊高17期紙上同窓会)
大阪府立豊中高校(通称・豊高=トヨコウ)17期生による、「還暦記念」の文集。私家版。
たまたま合唱団の先輩がこの「豊高17期生」で、ずいぶん長い文章を寄せていると聞いて、借りて読んでみた。高校の思い出と言うよりも、グリークラブ・合唱団の思い出のような文章になっていましたが、なかなかの力作でした。
高校卒後40年以上たっても、こういった立派な冊子を編集できる結束力・団結力、統率力はすごいなあ、さすが名門校!と思いました。
そして、実はこの10年前の「50歳」の時にも同様の冊子を作っていると聞いて、なるほど実績に基づいて行動しているのだなと納得しました。
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(2019、8、21読了)
2019年8月23日 15:12
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新・読書日記
2019_111
『くしゃみ~浦沢直樹短編集』(浦沢直樹、小学館:2019、5、1)
「YAWARA」「20世紀少年」などで知られる漫画家浦沢直樹の短編集。これは、どうも作家・浦沢直樹の趣味的要因の強い、個性の強い漫画といった感じ。
浦沢作品は好きだけど、連載を読んでいると、途中で長編すぎて最初のほうの内容を忘れてしまう傾向があったので、こういった短編や、一話読み切りのが好きだな。「パイナップル・アーミー」も好きだったし、一番好きなのは「マスター・キートン」かなあ。
そういう意味では、好ましい短編集である。
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(2019、8、15読了)
2019年8月23日 15:09
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新・読書日記
2019_110
『ブレードランナー証言録』(ハンプトン・フィンチャー、マイケル・グリーン、渡辺信一郎、ポール・M・サイモン、大野和基編・訳、インターナショナル新書:2019、6、20)
去年、あの「ブレードランナー」が帰って来た。「2049」として。
1982年に公開されたリドリー・スコット監督、ハリソン・フォード主演の映画「ブレードランナー」、私は実は「映画」では見ていなくて、数年後にビデオで見たが、ものすごくインパクトを受けたものの一つだ。その後に見た、同じリドリー・スコット監督の「ブラック・レイン」(大阪でもロケをした)の世界にも通じる、奇妙なアジアというか未来というか、の世界が胸を揺さぶった。今でいうと「刺さった」感じだった。
あの「ブレードランナー」の舞台は「2019年11月」という「近未来」だったが、その「2019年」が、ついに"実際に"来てしまった。(「1984年」みたいに。)その前に「さらに近未来」の続編が作られたので見に行ったのが、去年。もっと話題になってヒットすると思ったが、それほどでもなかったようだが。
その製作関係者への聞き取りインタビュー本というので、興味を持って読んだ。
初めて知ったのは、「渡辺信一郎」さんという日本人のアニメーション監督が、最初の「ブレードランナー」と今回の「2049」との間をつなぐアニメ作品「ブラックアウト2022」を創っていたということ。どういうモノなんだろうか?ぜひ、見てみたいと思った!
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(2019、8、11読了)
2019年8月23日 15:07
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新・読書日記
2019_109
『未来の地図帳~人口減少日本で各地に起こること』(河合雅史、講談社現代社新書:2019、6、20)
累計76万部突破の「未来の年表」シリーズの著者の最新作...と帯に書いてある。
そうなんです、最新作。
著者は「未来の年表」で、「人口」に関するデータを使って、これからの「人口減少社会・日本」に起こる「不都合な真実」を「未来の年表」で表して、注意喚起してきた。これは(データは公開されているものだから)誰にでもできそうで、誰にでもはできない作業だ。
今度も、同じく人口データ(数値)を使い、それがあぶり出す「各地域の人口の数値」が、「地域」にどのような影響を及ぼすのかを記している。同じ問題に、別の局面から光を当てた感じ。
やはり今までのような「街」と、その周囲の生活というものとは、どんどん失われていくんだなと。すでに今年出て来た、コンビニエンスストアが「24時間営業」をやめる、という出来事などは、身近で分かりやすい現象だ。これまで「コンビニエント(便利)」になって来た日本社会が、間違いなく加速度的に「インコンビニエント(不便)」になっていく。「不便」をどのくらい我慢できるか?我慢できない不便とは、何なのか?優先順位を考えながら、頭を使って、考えていかなくてはいけない社会・時代がやって来る。ある意味、望ましいかもしれないね、何も考えなくてもいい社会になってしまった"今の日本人"にとっては。
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(2019、8、10読了)
2019年8月23日 15:05
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新・読書日記
2019_108
『真夏の雷管』(佐々木譲、角川春樹事務所:2019、7、10)
ことしの夏休みの旅行中(8日間)に読んだ本は全部で6冊。そのうちの1冊目
普段は、仕事の行き帰りに通勤で社で読むと、長めに続けて読めずにブチ切れになってしまうので、やはり推理小説・警察小説なんかは、休みの時に一気に読めるのが良いなあ。飛行機の中とか。
佐々木譲の警察小説は好きで、10年ほど前に初めて読んでから、この「北海道警シリーズ」最初の何冊かは読んでいたが、この本を読んでわかったのは、途中、何冊か読んでいないのがある(抜けている)ということ。
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笑う警官
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警察庁から来た男
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警官の紋章
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巡査の休日
ここまでは確実に読んだ覚えがある。内容はともかく、タイトルは覚えていた。しかし、
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密売人
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人質
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憂いなき街
は、どうかなあ・・・あらすじを見たら、読んだような気もするけどなあ・・・。
これに続く「シリーズ第7作」が本書でした。あれ?いつのまにか、二人そういう関係になってたんだ!という気もするが・・・。
このお話では、事件は起こりそうで、でもまだ何も起きていないのに、警察が必死に「事件が起きるのを防ごうとしている」。実際は、ここまではなかなか出来ないんだろうなあと思った。
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(2019、8、8読了)
2019年8月23日 15:01
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新・読書日記
2019_107
『テレビとジャニーズ~メディアは「アイドルの時代」をどう築いたのか』(太田省一、blueprint:2018、3、26)
以前、購入していたが読んでいなかったものを、ジャニー喜多川社長が入院したと報じられたのを知って読みだしたのだが、読み終わるまでにジャニー社長は亡くなってしまった。合掌。
明らかに、一つの時代が終わろうとしている。「SMAP」の解散、そして「嵐」の活動休止も近づいていて、日本人はみんな、そういった空気を感じているだろう。アイドルは時代と共に生きて来た。その中心に君臨したのが、ジャニーズ事務所のタレントたちだ。
アイドルとは何なのか?この時代におけるアイドルの在り方とは?
そういったことには、興味がある。
しかし、この本を読み進めて感じたことは、
「私は基本的に(仕事別として)ジャニーズに興味がない)」
ということ。どちらかと言うと、嫌って避けて来た、というのが本音である。。
「『アイドルの時代』をどう築いたのか」
の次には、
「『アイドルの時代』は、どのように崩壊したのか」
の分析になっていくのだろう、と思った。
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(2019、8、5読了)
2019年8月 7日 18:52
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新・読書日記
2019_106
『井上陽水英訳詞集』(ロバート キャンベル、講談社:2019、5、14第1刷・2019、6、10第2刷)
テレビでもおなじみのロバートキャンベルさんが、自身の入院を機に、井上陽水さんの曲の歌詞を「英訳」したもの。なぜ、そういったことになったのか、また実際に井上陽水さんとも交流があって、相談しながら話し合いながら作業を進めた様子などに関する記述が、本の前半半分を占めている。
取り上げられた50曲中、私が知っていた曲は、16曲だった。
日本語の歌詞を英語に訳す場合は「単数か複数か」問題が必ず出て来る。
たとえば若山牧水の「白鳥は悲しからずや」の歌では、「白鳥」は何羽なのか?
山形・立石寺で芭蕉が読んだ「岩にしみいるセミの声」の「セミ」は何匹なのか?
とか。同じ問題が出て来て、陽水さんに質問すると「それは考えていなかった」と。
異文化の衝突ですね。
star4
(2019、8、1読了)
2019年8月 7日 18:50
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新・読書日記
2019_105
『世界の危険思想~悪いやつらの頭の中』丸山ゴンザレス、光文社新書:2019、5、30第1刷・2019、6、10第2刷)
お、今初めて気づいたけど、発売10日で2刷とは、なかなか売れているんではないですか!知らなかった。なかなか興味深い・キャッチーなタイトルですものね、特にサブタイトルの「悪いやつらの頭の中」が。
考古学者崩れの著者は、世界中の「危険な所」を歩き回ってリポートとしている。冒頭から緊張感のある「殺し屋」へのインタビュー・・・。
「生」と「死」のボーダーラインが低い国、つまり「命の値段が安い」国では、私達が思っている「人を殺す」ということへの抵抗感も、信じられないほど低い。
そういったことは、あまり知りたくないのだが・・・・。
世界中には、日本に住む日本人とは違う考え方をしている人たちが、たくさん住んでいるというのは、よくわかった。
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(2019、7、31読了)
2019年8月 7日 18:49
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新・読書日記
2019_104
『友情について~僕と豊島昭彦君の44年』(佐藤優、講談社:2019、4、22)
著者の佐藤優さんの浦和高校時代の親友・豊島君。去年、同窓会で30数年ぶりに会ったら、何とそのすぐ後に、彼が末期のすい臓がんであることが判明。余命の中央値は「291日」しかない。30数年ぶりに会っても、青春時代を共に過ごした仲間は、その年月を飛び越えて当時に戻ることができる。しかし、死んでしまってはもう会えない。今、彼のために自分がするべきことは?その親友・豊島君とも話し合い、彼の半生について書くことになった。彼に「生きざま」を書くことは、同時に「彼の生きた時代」を描くことにもなると。彼から話を聞き出した。何と言っても、高校以降は交流がなく、詳しい彼の人生に関しては「点」でしか知らない。その「点」と「点」の間を埋めていく作業。そして、それを書籍として、豊島君は、自分が生きた証として子どもたちに残したいのだと。恐らく、佐藤さんも、
「自分も、いつ命が尽きるかわからない」
という同じ思いで、豊島君の代わりになって、この本を綴ったのだと思う。
この本が出てから、もう3か月。おそらく、がん告知から、すでに291日は経過しているのではないか。豊島君のその後が、気にかかる・・・。
とても他人事とは思えない、生きること、生きていること、そして死について考えさせられる一冊であった。
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(2019、7、29読了)
2019年8月 7日 18:48
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