新・ことば事情
7092「正義としつけ」
このところ報道が続く「虐待事件」。悲しさと怒りが同時に湧き起こります。
特に、虐待をしていた親が、
「しつけのつもりだった」
と言うのを聞くと「アホか!」と怒りが湧き上がるのですが、ある時、ハタと思いつきました。
「『正義』と『しつけ』は同じである」
と。どちらも、
「自分は正しい」
と思っており、
「相手が自分の言うことを聞かない場合には、それを通すためには暴力を使うこともやむをえない」
と考えます。
国家にとっての「暴力」は「軍事力」であり、「軍隊」や「警察力」は、マックス・ウェーバーによると、
「暴力装置」
と呼ばれますよね。「自衛隊」も、まさにそれに当たるのですが、以前そう言ったらメチャクチャ批判を受けた国会議員がいましたが(この間、亡くなりましたね。合掌)、あれは批判する方が勉強不足だったのでしょうね。
「国家」を守るために許されている「暴力」というものが、各国には存在します。もちろんそれが、恣意的に使われたり、暴走しないように、
「シビリアン・コントロール」
がブレーキになるのですね。
そして、ひとたびその目を「国家」から「個人」の「家庭」に移すと、「家庭における正義」の一つが、
「しつけ」
なのではないでしょうか?
「正義」というものは、「家庭」や「学校」「会社」などでの「教育」において伝えられ、学ばれます。
その「教育」が、「シビリアン・コントロールなし」に「暴力」を使って行われてはいけないのですが、なかなかそのことが理解されていないということが、一番の問題だと思います。