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『道浦TIME』

新・ことば事情

7119「辣腕と辣油」

カルロス・ゴーン被告の弁護を引き受けることになった弘中惇一郎弁護士、さっそくゴーン被告の保釈に成功して、その、

「らつ腕ぶり」

を披露しました。さて、この「らつ腕」を漢字で書くと、

「辣腕」

です。「辣」は難しい漢字。

当然、常用漢字ではない「表外字」ですね。だから普通は「交ぜ書き」にして、

「らつ腕」

と書くのですが、どうしても漢字で書きたいときには「ルビを振る」ことになります。

この「辣」という漢字、どこかで見た気がします。。。。そう、あの「餃子」に入れる、

「辣油」

です!これも「表外字」なので、

「ラー油」

と書かれることも多いでしょうが、同じ字ですよね。ということは、「辣腕」というのは、その実力(=腕)が、「ラー油(辣油)」のように、

「ピリリと辛い」

ということですね。「辣」という字は、

「棘(とげ)」

にも似ていますね。共に「とげとげ」して「ピリピリ」して、神経・舌を刺すような感じです。あ、「棘」は「刺」と「へん」が同じだ!そう、つながりますかあ。

そうそう、

「辛らつ」

という熟語も漢字で書くと、

「辛辣(しんらつ)」

です。これも意味は、

「発言が辛口で、ヒリリ、ピリピリした様子」

を指しますよね。結構、この「辣」という漢字は、活躍している字なのだなあと思いました。

(2019、3、28)

2019年3月29日 11:58 | コメント (0)

新・読書日記 2019_037

『定年ラジオ』(上柳昌彦、三才ブックス:2018、9、1)

著者は、元ニッポン放送アナウンサー。今もアナウンサーとして仕事を続けている。

1957年生まれなので、私より4つ年上。一浪して立教大学へ。放送研究会。1981年入社。ということは社歴で言うと3つ先輩、ほぼ同世代の先輩だ。しかし「東京の」「ラジオ局」のアナウンサーということで、不勉強な私は、失礼ながらお名前を存じ上げなかったが、ツイッターでフォローさせてもらっている放送作家の河野虎太郎さんの情報で知り、購入、読んでみた。

タイトルの「定年ラジオ」は、早稲田大学の学生だった頃に一緒に仕事をした「いとうせいこう」さんの「想像ラジオ」から取ったそうだ。

上柳アナは「オールナイトニッポン」(ANN)も担当されて、ビートたけし、高田文夫、笑福亭鶴瓶、所ジョージ、明石家さんま、永六輔、久米宏、テリー伊藤をはじめとする大御所や、中島みゆき、桑田佳祐、久保田利伸等々のミュージシャンとの交流は、煌めくばかり。桑田さんの初監督作品、あの「稲村ジェーン」にも出演していたというのだから驚く。見ましたよ、映画。出てたっけ?

定年を機に、これまでのアナウンサー人生をまとめた自伝。様々な著名人と一緒に番組を担当してきたということがよく分かったが、感想としては、

「やはりアナウンサー。自分のことを書いているようで、一緒に仕事をしたタレントさんたちのことを書いている」

という感じが。相手を立ててしまう「アナウンサーとしての習性」が文章にも表れている。自分のことを書いても、誰も興味を持たないだろうという感じで、つい著名人との交流について書いてしまうのかもしれないが。その交流の話も「へー、そうだったのか」と興味深いのと、やはり「テレビとラジオは違うなあ」ということも。買収騒ぎのあった渦中の「ニッポン放送社員」として、当時の状況などについても書かれていて興味深い。定年と時を同じくして「前立腺がん」が判明、「ダヴィンチ」を使った内視鏡手術を受けた話も!

また、新人当時、東京にいながら「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」のリスナーであったというのもビックリ!「ぬかる民」だったのですね!

それと、もう一つビックリしたのは、ちょうどこの本を読み終える日の「ミヤネ屋」で、宮根さんが新大関の貴景勝に生でインタビューしている様子を生中継をしたのだが、その中で新大関が、

「相撲を取っている時の自分を、少し上から客観的に見ることができる」

というような話をしていた。まさにその話が、この本でも出て来るのだ!

少し長くなるが引用する。

「今も伊集院さんと合うと、必ずその頃の話になり『あの時上柳さんと話していたら「本番中、調子のいい時はマイクに向かっている自分の姿を、もう一人の自分が上から見ていることがあるんだよぉ」と言われたことを覚えています』と言われる」

「後に元ヤクルトスワローズの古田敦也さんが『もう一人の自分が、肩の後ろ辺りから見ている』と言い、大リーガーのイチロー選手が『自分の斜め上にはもう一人の自分がいて、その目で自分がしっかりと地に足がついているかどうかをちゃんと見ていなければならない』という趣旨のことを述べていることを知った。このことを鶴瓶さんに話した時に『うえちゃん、それは世阿弥の言葉にあるでぇ』と教えてもらった。役者は舞台の上野自分の姿を見ることが出来ない。だからこそ客観的に観客席からの目で自分を観ることが大切だと説く『離見の離』という言葉だ。」(110~111ページ)

一流の人は、同じ感覚を共有しているのだなと思った。

また、「そうそう!」と共感した部分は、「超二流」という言葉について書かれたところ。

「未来永劫その名が残る一流のラジオパーソナリティになることは遠い昔に諦めている。ならばと『超二流』を目指して悪戦苦闘した結果が、この本に書いた様々なお間抜けなすったもんだであったというわけだ。ちなみに『超二流』とは野村克也さんが監督時代に残した『一流は無理でも超二流にはなれる』という言葉から来ている。」(213ページ)

そうだったのか!私はそれは知らないままに、入社時の社報に「超二流のアナウンサーになる」と書いていたが。同じ思いの人がいたのですね!

勉強になった一冊でした。

あ、誤字・脱字も発見した。

×「見城美恵子」→〇「見城美枝子」(52ページ)

×「『また呼んでくださいね』と言ってもう事が

→〇「『また呼んでくださいね』と言ってもらう事が」」(147ページ)

×「一件一件店の中を覗き込んでは」→〇「一軒一軒店の中を覗き込んでは」(154ページ)

ぜひ、第2刷では修正を!


star4

(2019、3、27読了)

2019年3月28日 20:39 | コメント (0)

新・ことば事情

7118「中毒と依存症」

これまで一般的に使われてきた、

「アルコール中毒」

という言葉。略称で蔑称として使われる、

「アル中」

という言葉、これも昔は普通に使われましたが、さすがに最近は、あまり耳にしません。

かわって使われ言葉が、

「アルコール依存症」

です。

この「依存」を「イソン」と濁らずに読むか、「イゾン」と濁って読むかということもありますが、それに関してはアナウンサーは、これまで「濁らず」に、

「イソン」

と読んできました。理由は、

「『イゾン』と濁って読むと『異存』と混同する恐れがあるから」

だと思われます。

しかし、数年前にNHKが、

「『イゾン・イソン』両方の読み方を認めた」

ために、NHKでは「イゾン」と濁って読むアナウンサーが増え、それに対して民放の方が、これまでの濁らない「イソン」を頑なに守るという"逆転現象"が起きているのが、

「『依存』の読み方の現状」

です。

それはさておき、今回私が注目したのは、

「なぜ『アルコール中毒』を『アルコール依存症』と呼ぶようになってきたか?」

ということ。昨夜、寝る前に思い浮かんだのは、

「『中毒』は急性・短期、『依存症』は慢性・長期という使い分けではないか?」

ということではないか?と思ったのです。

「急性アルコール中毒」(短期)

という言葉は、今も使われていますし、そこで「慢性」との違いを「依存症」と呼ぶようになったのではないでしょうかね?たぶん、合ってるんじゃないのかな?

(2019、3、15)

2019年3月28日 20:26 | コメント (0)

新・ことば事情

7117「豚コレラ」

昨年9月、岐阜県の養豚場で国内では26年ぶりに

「豚コレラ」(古典的豚コレラ(Classical Swine Fever(=CSF))

が発生。いったん収まったかに思えていたのですが、ことしに入って岐阜県から愛知県へ、そしてそこから出荷された府県へと被害が広がっており、まだ収束していません。

この「豚コレラ」の「豚」の読み方は「ブタ」ではなく、

「トン」

ですね。「豚」だけでなく「イノシシ」もかかるのだそうです。

「鳥インフルエンザ」も、いろんな鳥がかかりますよね。それと似ているのかな?

なぜ「ブタ」と読まずに「トン」なのか?

「ブタ」と「トン」の違いについて考えてみると、

「焼きブタ」と「焼きトン」は物が違いますね。

「ブタまん」と「にくまん」は同じものですね、ちょっと話がそれるけど。

何となくそんなことを考えていたら、2月6日、報道の神戸支局のF君からメールが。

『きょう、ニュースを聞いていて、とても違和感を覚えているのですが、テレビでの「豚コレラ」の読みは「トンコレラ」なのでしょうか。おそらく、農水省などでは「トンコレラ」と呼んでいて、それに準じているのだとは思いますが、「ぶたコレラ」と言い換えるべき言葉のように感じています。「豚インフルエンザ」も、「ぶたインフルエンザ」だったですし...。「鹿」とか「猪」でコレラが出たら、「ロク・コレラ」とか「チョ・コレラ」になるのでしょうか...。というメールを打っていたら、NHKも「トンコレラ」と言ってました...。日本語って難しいですね...。」

これに関しての私の返事は、

『「豚コレラ」は

「トンコレラ」

ですねえ。私が参加している新聞用語懇談会の放送分科会で編集した『新聞用語集2007年版』の中の「放送で標準とする読み方例」にも、

「〇トンコレラ ×ブタコレラ」

と載せています。これを討議した時は「豚コレラ」は発生していなかったので、

「載せなくても、いいんじゃありません?」

と言っていた委員もいたのですが、私が、

「いや、載っていなければ、もし発生した時に絶対『ブタコレラ』と読んでしまうので、載せておくべきです!」

と強く主張して残った経緯があります。

「鶏インフルエンザ」

は、音読みの「ケイ」ではなく訓読みの「トリ」なのに、なんで「豚コレラ」は訓読みの「ブタ」ではなく音読みの「トン」なのか?という疑問は、当然あると思いますが、

「固有名詞としてそうなっているから、仕方ない」

のではないでしょうか?

「養豚業」「豚骨スープ」

「養鶏業」「鶏卵」

などは「音読み」で「トン」「ケイ」ですが、

「豚肉」

「鶏肉」

は「ブタ」「トリ」と「訓読み」ですね。

「広辞苑」「精選版日本国語大辞典」も「トンコレラ」で載っていました。「精選版日本国語大辞典」では、語句の解説の中に「豚ペスト」「ぶたコレラ」とも書かれていました。

きょう(2月6日)の夕刊各紙では「読売・朝日・毎日」はルビを振って、

「豚(とん)コレラ」

で、「産経と日経」は「ルビなし」でした。

今回の「豚コレラ」の国内での発生は「1992年以来」だそうですね。たまにしか出て来ないから、違和感があるのかなあ。とりあえず、こんなところです。しかし「亥年」に、「イノシシ」も感染するという「豚コレラ」が流行るなんてねえ・・・。』

というものでした。

で、その後ネットで調べたら、なんと、

「『ぶたコレラ』と『トンコレラ』は別の病気」

という記述が!それによると、

「『豚コレラ』を『トンコレラ』と言うのは、『豚(ブタ)コレラ菌』と混同しないためではないでしょうか。『豚(トン)コレラ』や『アフリカ豚(トン)コレラ』は『ウィルス』によって豚やイノシイが感染する病気で、ヒトには感染しません。一方『サルモネラ菌』の一つである『ブタコレラ菌』は、ヒトとブタの両方に感染性を持つ『菌』で、『サルモネラ感染症』を起こします。その区別をするためではないでしょうか?」

というのです。つまり、

*「豚(とん)コレラ」=ウイルス=ヒトには感染しない

*「豚(ブタ)コレラ」=菌=ヒトにも感染する

ということですね。

また、TBSラジオの番組に出演された日本獣医生命科学大学・獣医保健看護学科・准教授の青木博史さんによると、

https://pelicanmemo.hatenablog.com/entry/2018/09/11/120000

「『豚コレラ(古典的豚コレラ・CSF)』は、1887年に北海道で、アメリカから輸入された豚を起源に発生し、当時から名前は『トンコレラ』だった。実は『トンコレラ』が確認されるまえに『トンタンドク(豚丹毒)』という病気があり、養豚業界の中では『トン(タンダク)』が耳に馴染んでいたというのもあって、それとあわせて『ブタコレラ』ではなく『トンコレラ』というふうに使われたと聞いている」

とのことです。

なるほど。昔から「トン」で、また、「ブタ」と「トン」は別の病気と。それなら「トン」でも仕方がないですね。

(2019、3、28)

2019年3月28日 20:25 | コメント (0)

新・ことば事情

7116「帰化か?国籍取得か?2」

「平成ことば事情7062帰化か?国籍取得か?」で書いた「帰化」ですが、実は、

「2012年5月6日」

に書いて、ほったらかしになっているものがありましたので、残しておきます。

****************************************

関越道のバス事故で、運転手の河野化山容疑者が、元は中国人で1994年に日本国籍を取得したという記事で、5月2日の新聞各紙が、

「帰化」

という言葉を使っていたかどうかをチェックしました。各記事とも、河野容疑者の供述が元になっているようです。

(読売)94年に帰化

(朝日)日本国籍だが中国出身で1993年に来日

(毎日)元中国籍で93年に来日し翌年に日本国籍を取得したと供述

(産経)平成6年に日本国籍を取得したと供述

(日経)1994年日本国籍を取得したと供述

ということで、今回「帰化」という言葉を使っていたのは、私がチェックした中では、読売新聞だけでした。

****************************************ここまでを2012年に書いて、7年が経っていました。

(2019、3、28)

2019年3月28日 19:04 | コメント (0)

新・ことば事情

7115「破天荒」

内田裕也さん(79)が3月17日に亡くなったことを「ミヤネ屋」でお伝えした際に、

「破天荒」

という表現を "  "を付けて「"破天荒"」と使いました。

「荒くれ者」「型破り」「豪快」

というニュアンスです。しかし本来の「破天荒」の意味は、

「(「天荒」は、天地未開の時の混沌たるさまで、これを破りひらく意)今まで誰もしなかったことをすること。未曽有。前代未聞。(例)破天荒の大事業」(『広辞苑・第7版』)

です。『精選版日本国語大辞典』には

「唐代に荊州から官吏の採用試験の合格者が一人も出ず、天荒と呼ばれたが、大中年間(846ー860年)に劉蛻(りゅうぜい)が初めて及第したので、それを天荒を破ったと称したという。」

とありました。

しかし『三省堂国語辞典・第7版』では2番目の意味として、

「【2】(俗)型破りで豪快なようす。(例)破天荒な人」

と、新しい意味を載せています。『三省堂現代新国語辞典・第6版』も2番目の意味で、

「【2】(俗用で)型破りだ。(例)「破天荒ないきざま」(注意)【1】が本来の意味」

と(注意)付きで載せています。

この意味を載せている手元にある国語辞典では、

『三省堂国語辞典・第7版』と『三省堂現代新国語辞典・第6版』

だけで、『新明解国語辞典』には、わざわざ、

「(単に豪快で大胆な性格の意に用いるのは誤り)」

と書いています。

また、漢字学者の阿辻哲次氏は、2017年9月10日付の「日本経済新聞」のコラム「遊遊漢字学」の中で、

『今の日本語では、単に「前代未聞」とか「驚くべき」という意味に使われている。「破天荒な偉業」というのは正しい使い方なのだが、「がんばっていた社員を離島の営業所に左遷するのは、破天荒な人事だ」というのは、語源から考えれば正しい使い方ではないことになる。』

と記しています。(『広辞苑』『精選版日本国語大辞典』『明鏡国語辞典』『現代国語例解辞典』『岩波国語辞典』『新潮現代国語辞典』『旺文社標準国語辞典』には載っていませんでした。)

『共同通信記者ハンドブック第13版』の「誤りやすい語句」(486ペー)には、

「破天荒(注)本来はこれまでになし得なかったことをすることで、未曽有と同義。近年意味が拡大し、豪快で大胆な人の様子を表す場合にも使われている。」

と、注意を促しています。

もし、言い換えるとすると、

「野放図、無軌道、型破り」

と言ったところですかねえ?

(2019、3、21)

2019年3月28日 18:57 | コメント (0)

新・ことば事情

7114「ぶうぶうとブーブー」

3月1日にニュースを見ていたら、「豚コレラ」で殺処分される「豚の鳴き声・悲鳴」を聞いて、「殺処分」に当たっている自衛隊員の中に、

「PTSD・トラウマ」

になっている隊員もいると。

「さもありなん、大変な仕事だな」

と思うのと同時に、

「もし戦闘になった場合に、それで敵と戦えるのか?」

という不安も。そして、

「そんな状態(戦闘・戦争)を引き起こさないように、『外交』を進めなければならない」

との思いが湧き上がりました。

その際に、ふと思ったのは、

「豚が『ぶうぶう』と、ブザーが『ブーブー』の違いは?」

という「音の違いと表記の違い」に関してでした。考えてみました。

「ぶうぶう」は、「ぶ(B)」という「子音」が続かずに、「う(U)」という、

「母音に変わる」

ということは、息が減速する。「生き物が出す音、(鳴き)声」。あるいは、それに似た音。だから、「豚の鳴き声」は、

「ぶうぶう」

だし、「人間が文句を言う」ときも「ぶうぶう」のほうが良いような気がします。

それに対して「ブーブー」は、「ぶ(B)」という「子音」が持ちこたえて減速せずに、

「最初と同じ音が続く」

という意味では、「機械的な音」と言えるのではないでしょうか。

だから、「ブザーの音」は、

「ブーブー」

のほうが適当であるような気がしますが、いかがでしょうか?

(2019、3、28)

2019年3月28日 18:57 | コメント (0)

新・ことば事情

7113「住居不定」

先日、テレビ新潟発の全国ニュースを見ていたら、逮捕された容疑者が、

「住居不定 無職」

という原稿をアナウンサーが読んでいました。この「住居不定」というのは、普通は、

「住所不定」

言うのではないのでしょうか?

ところが!この話を報道局兼務のIアナウンサーにしたところ、

「こんなものが、あったんですけど・・・」

といって大阪府警泉佐野署のプレスリリース文書を見せてくれました。そこにはしっかりと、

「住居不定」

と書かれているではありませんか!

ということは、もしかしたら、

  1. 警察発表では「住居不定」と言うが、放送などでは「住所不定」とこれまでは直していた。

  2. 「住居不定」と「住所不定」は意味が違う。

このどちらかではないでしょうか?

読売テレビ報道局のOデスクに聞いてみたところ、

「ああ、ありますね。両方あります。警察発表では両方あります。特に基準はなく、発表する署の担当者によって違ったりします。」

「放送ではあまり『住居』は聞かない気がするんだけど・・・。」

「そうですね。『住居』と発表されても『住所』に直すことがほとんどですけど、中には『警察発表だから』と、そのまま『住居』で直さないデスクもいますね。報道の中でも、特に統一はされていません。」

「『住居』と『住所』で意味は違うの?」

「一緒ですね。ただ警察の広報の中には、何か区別をしている人もいるようですが・・・・」

ということで、結論としては、

「住所不定」

で、今後も放送して構わない、という感じですかねえ。

(2019、3、28)

2019年3月28日 18:17 | コメント (0)

新・ことば事情

7112「『おじゃん』と『おしゃか』」

「ミヤネ屋」で原稿チェックをしていたら、

「おじゃんになる」

という表現が出て来て、「最近目にしない言葉だなあ」と思いました。そこで、似たような意味の

「おしゃか(釈迦)になる」

と「おじゃんになる」は、どう違うんだうか?と考えてみました。

私のニュアンンスでは、

*「おじゃんになる」=半鐘が「ジャン」となって終わる。計画段階で毛話が終わってしまう感じ。

*「おしゃかになる」=作りかけていたものが失敗したり、横やりが入って潰れてしまう。

という感じかな。いかがでしょうか?

(2019、3、28)

2019年3月28日 18:08 | コメント (0)

新・ことば事情

7111「三寒四温」

3月の上旬、「ミヤネ屋」のお天気コーナーで、司会の宮根誠司さんが、

「三寒四温」

という言葉を、よく使っていました。

しかし、本来の「三寒四温」は、

「中国東北部や朝鮮半島北部で顕著な気象状況」

を言います。

私が調べた範囲の国語辞典では、『広辞苑』『岩波国語辞典』『デジタル大辞泉』『精選版日本国語大辞典』『明鏡国語辞典』は、そういうふうに記されています。しかし、

「実際には、日本の春先の気候にもよく使われている」

ので、

『新明解国語辞典』『旺文社標準国語辞典』『三省堂国語辞典』『現代国語例解辞典』

には「中国・朝鮮」という地域の限定はありませんでした。

また『新潮現代国語辞典』は、解説文には地域を限定していなかったのですが、用例は、

「上海」

でしたので、実質的には「中国で」ということを示唆しているのでしょう。

日本の気候に対しても「三寒四温」を使っていいのかどうか?

気象予報士の蓬莱大介さんに聞いたところ、

「春に『小春日和』を使うのは間違いですが、日本の春先の気候について『三寒四温』を使うのは、もう構わないんじゃないかと思いますね」

ということでした。

そうこうしているうちに、「三寒四温」を通り越して、暖かくなって来ちゃいました。

(2019、3、28)

2019年3月28日 18:06 | コメント (0)

新・ことば事情

7110「食レポか?食リポか?」

昔は、

「レポート」「レポーター」

と言っていたものが、いつの間にか、

「リポート」「リポーター」

に変わって定着しました。

それも「平成」という時代の、一つの言葉の変化だと思いますが、

「食レポ」

という言葉に関しては、つい最近まで「食レポ」で「食リポ」にはなっていなかったと思います。

この言葉は、どちらを使うか悩んだ(これを書き始めた)

「2017年9月20日」

のグーグル検索では、

「食レポ」=296万0000件

「食リポ」= 48万4000件

で、「食レポ」が6倍ぐらい使われていました。

それから1年半たった「2019年3月26日」、きょうの「ミヤネ屋」では、元貴乃花親方・絵本作家という「第3の道」へ進んだ「貴乃花光司氏」が「から揚げ」を食べながら話す様子を、

「食リポ」

とテロップを出しました。きょうの検索では

「食レポ」=459万0000件

「食リポ」= 25万3000件

あれ?逆に差が広がってる!「食レポ」が20倍ぐらい使われていますね!

「食リポ」の検索でトップに出て来たブログが、まさに、

『「食レポ」「食リポ」?...正しいのはどっち?』

という、北海道・標茶(しべちゃ)の家具屋さんの店長・平田敬さんが「2018年6月15日」に書かれたものでした。

平田さんは「レポート」と思っているので「食レポ」だと思っていたけど、テレビでは「食リポ」とすることもあると。そこで、その違いに着目して、

「紙媒体→レポート、映像媒体→リポート」

ではないか?という考察を書いてらっしゃいました。

なるほど、そういえばまさに「紙」の、

「レポート用紙」

は、絶対に、

「リポート用紙」

とは言いませんもんねえ。おもしろいブログでした!参考になりました。

(2019、3、26)

2019年3月28日 18:00 | コメント (0)

新・ことば事情

7109「『方たち』がおかしく感じる理由」

「平成ことば事情7065」で書いた、

「方たち」

という言葉使い。「おかしい」と私は感じたのですが、その理由について考えてみました。普通は、

「人たち」

か、または、

「方々(かたがた)」

を使いますね。

「方」は"敬称"ですが、「人」は"敬称"ではありません。

そして、「たち」にも"敬意"がありません。

"敬称"の「方」の後に、"敬意"のない「たち」を組み合わせるのは、「重箱読み」や「湯桶読み」と同じく、本来は違和感のある表現ですね。

その意味では、安倍首相が、

「こんな"人たち"に、負けるわけにはいかないんです」

と言った、

「こんな"人たち"に」

には"敬意"がないので正しい使い方です、内容は別にして。

もっと"敬意"と"品位"をなくすと、

「こんな"奴ら"に、負けるわけにはいかへんのや!」

と言うように「奴ら」になりますね。なんで大阪弁になっとるんや!

また、もしこれが、

「こんな"方々"に負けるわけにはいかないんです」

と言ったのなら"慇懃無礼"ですし、

「こんな"方たち"に負けるわけにはいかない」

"卑屈な感じ"の中途半端な表現になるでしょう。

(2019、3、26)

2019年3月28日 17:50 | コメント (0)

新・ことば事情

7108「小割れおかき」

スーパーで見かけた、

「小割れおかき」

という表記。あれ。この「小割れ」って、

「壊れ」

ですよね。これは「当て字」かな?それとも「壊れる」の語源は「小割れる」なのか?

思わず写真を撮りました。

2019032702.jpg

(2019、3、26)

2019年3月27日 09:03 | コメント (0)

新・ことば事情

7107「和パスタ」

以前にもいくつか書いた「和〇〇」ですが、ついにこんなものを見つけましたよ!

なんと、

「和パスタ」

です!「パスタ」は「イタリア」の物でしょうが。「和パスタ」は、

「"蕎麦"か"うどん"」(あるいは「きしめん」か「ラーメン」か?)

でしょうが!

「わさび」を入れたら「和」になるんでしょうかね?

うーん、今一つ、納得できない。じゃあ、何か、「国産のワイン」は、

「和ワイン」

なのか!?と突っ込みを入れたくなります。(同じ突っ込みを以前、したような気がしてきた・・・)

味は・・・おいしかったです!

2019032701.jpg

「和〇〇」で、過去に書いたものを検索すると、

「平成ことば事情6826和豚の読み方」

「平成ことば事情6569和グラノーラ」

「平成ことば事情6557和ジェラート」

「平成ことば事情6428和ジェラート」

あ!同じものを書いてる!も、お読みください。

(2019、3、26)

2019年3月27日 08:55

新・ことば事情

7106「見られるかなって」

今話題の米津玄師さんの曲「♪打ち上げ花火」。MV(ミュージックビデオ)を見ました(聞きました)。

その2番の歌詞の中に、

「見られるかなって」

というのがあるのに「おっ!」と思いました。最近の若者の曲では、この部分は、

「ら抜き言葉」

を使って、

「見れるかなって」

となることが多いと思うのですが、米津さんの曲は、ちゃんと、

「見られるかなって」

と、「ら」が入っていたからです。

またMVでは、「田舎」が舞台で、

「風力発電の風車」

と共に、

「鉄塔と電線」

が出て来ます。あれは、

「文明に対する批判」

なのですかね?なぜ「風車」なのでしょうか?「風鈴」も出て来ます。

「風」

という「自然」を表しているのでしょうか???

うーん、わからん。

(2019、3、26)

2019年3月26日 20:53 | コメント (0)

新・ことば事情 (2019、3、26)

7105「ずうと」

中島美嘉さんの「♪雪の華」を聴きました。その歌詞・歌い方の中で気になったのが、

「一緒に ずっと」

という部分です。中島美嘉さんは、

「いいしょに、ずうと」

というように「長音」や「促音」を使わずに、

「母音押し」

で歌っていたのです。こういった、

「母音を長く引っ張る歌い方」

だと、どちらかと言うと、

「ベタベタした感じ」

になりますが、

「寒い雪の中、温まりたい恋人同士」

だから、「ベタベタした感じ」のほうが好まれるということかもしれませんネ。

2019年3月26日 20:52 | コメント (0)

新・ことば事情

7104「ちがく」

スキマスイッチの「♪奏(かなで)」という曲を聴いていたら、

「何もかも違く見えたんだ」

という歌詞が。この中の、

「ちがく見えた」

が、当然ながら耳に留まりました。

こんな曲にまで入って来てるのね、「ちがく」ってと、改めて思いました。

「違う」

という言葉は「動詞」ですから、活用は、

【未然】ちがわ(ない)

【連用】ちがい

【終止】ちがう

【連体】ちがう(とき)

【仮定】ちがえ(ば)

【命令】ちがえ

であり、「連用形」は、

「ちがい」

であり、「て」につながるならば、

「ちがいて」→「ちがって」

と現代口語では「促音便」になるのですが、この「ちがく」は「動詞」である「ちがう」を、

「形容詞活用」

させているところが特徴です。

「ちがくて」

などという言葉も、ふだんの会話の中では耳にします。若者言葉であり、俗語であり、方言であるかもしれません。それがJ-POPの曲の中の歌詞に使われているというのは、相当、人口に膾炙しているということですねえ。

(2019、3、26)

2019年3月26日 20:47 | コメント (0)

新・ことば事情

7103「凄みと凄さ」

<2019年1月9日に書き始めました>

女優の市原悦子さんの告別式の模様を伝えた「ミヤネ屋」のニュースで、

「女優・市原悦子の凄み」

というスーパーが出ました。この、

「凄み」

はという言葉は、

「凄さ」

と、どうニュアンスが違うか考えてみました。

「凄みを見せる」と「凄さを見せる」だと、

「凄み」のほうが「主観的」。コンテンツという感じ

「凄さ」のほうが「客観的」。基準、物差しのような。

という感じが、私はしました。ちなみに「凄」は「常用漢字ではない(表外字)」なので、普通は、

「スゴみ」「スゴさ」

などと、その部分を「カタカナ」で書くことが多いです。

「平成ことば事情7098うまみ」もお読みください。

(2019、3、25)

2019年3月25日 21:36 | コメント (0)

新・ことば事情

7102「のり弁」

肝心の部分が黒く塗り潰された文書、つまり、

「黒塗り文書」

のことを、最近よく、

「のり弁」

と言うのを耳にします。「森友問題」あたりから、頻繁に耳にするようになった気がします。最初は何のことか、わかりませんでした。

たしかに、肝心な単語だけでなく、1ページベッタリと黒く塗りつぶされていると、「のり弁当」=「のり弁」

のように見えますね。

まあ「隠語・俗語」の類なのですが、この意味を載せている国語辞典はあるのでしょうか?一番可能性があるのは「三省堂国語辞典」だと思い、引いてみました。

・・・載っていない。この意味だけでなく、そもそも「のり弁」が載っていません。

「精選版日本国語大辞典」は「早弁」は載せているのに「のり弁」は載っていません。「広辞苑」と「三省堂現代新国語辞典」も、「早弁」はあるが「のり弁」はない。

「デジタル大辞泉」「明鏡国語辞典」「新明解国語辞典」「旺文社標準国語辞典」「現代国語例解辞典」「岩波国語辞典」「新潮現代国語辞典」はどちらもない。

という意外な結果になりました。

さあ、飯間さん、「三省堂国語辞典」が次の改訂で「のり弁」を載せるかな?

(2019、3、25)

2019年3月25日 21:35 | コメント (0)

新・ことば事情

7101「シェムリアップか?シエムレアプか?」

カンボジアの世界的な遺跡「アンコールワット」がある町の名前である、

「シェムリアップ(シエムレアプ)」

で、日本人による事件が起こりましたが、この町の名前の表記に揺れがあります。

3月21日の日本テレビ「every.」では、

「シェムリアップ」

でしたが、『新聞用語集』『読売新聞スタイルブック2017』『毎日新聞ハンドブック』(2007年版)は、

「シエムレアプ」

です。

そして『NHK日本語発音アクセント新辞典』『共同通信記者ハンドブック第13版』『朝日新聞の用語の手引き』(2005年版)には、この町の表記は載っていませんでした。

実は4年前(2017年)9月の新聞用語懇談会放送分科会で、同じことについて伺いました。その際は、

「京都市が2年連続で世界一魅力的な観光都市に選ばれたというニュースで、同じくランキング上位に入っていた『カンボジアのアンコールワット遺跡がある都市の名前』の表記に揺れがある。各社はどう表記するか?」というもので、各社の回答は以下の様なものでした。

(TBS)外国地名の表記は現地音に近いものにすると弊社の「ガイドブック」に記してある。「①シエムレアプ ※『シェムリアップ』も使われている」と記してあり、1つの番組の中では統一するようにしている。

(ABC)クメール語「SIEMREAP」は、「シャム人がクメール人に敗れた地」の意味だと、ネットで調べたら載っていたが・・・。

(NHK)実際、世の中は「シェムリアップ」が圧倒的に使われている。それなのに『新聞用語集』が「シエムレアプ」を採用する理由の一つには、「シエムレアプ」=6文字、「シェムリアップ」=7文字で、「シエムレアプ」のほうが「文字数が少ないから」ではないか?

(共同通信)『新聞用語集』に従い「シエムレアプ」でやっている。共同通信が出している『世界年鑑』も「シエムレアプ」。しかし、実際の出稿例をみてみると、「シェムリアップ」もある。

(ABC)恐竜の名前で「テラノサウルス」は、昔は「タイラノサウルス」「チラノサウルス」などもあった。バラつきがあるのは、それと似ているのでは?

(NHK)新聞各社にも、総会で聞いてみてはどうか。

というような意見が出ました。(その後「総会」では聞いていません。)

その際①2017年9月4日と、②現在2019年3月21日の「グーグル検索」の件数は、

【1】「シェムリアップ」(外務省サイト他、ネット上では圧倒的多数派)

①51万1000件→②348万0000件

【2】「シュムリアップ」(外務省サイト「在外公館医務官情報」)

①3万5000件→②2万5800件

【3】「シエムレアプ」(新聞用語集、日本テレビ、外務省サイトODA白書)

①1万5500件→②5万3100件

【4】「シェムレアップ」

①2880件→②3810件

【5】「シアムリアップ」(外務省サイト「在外公館医務官情報」)

①1430件→②994件

【6】「シアムレアップ」

①44件→②61件

でした。

また今度の放送分科会で、各社の対応を聞いてみたいと思います。

(追記)

旅行会社のパンフレットを見ると、JTB・日本旅行・近畿日本ツーリストの3社は、いずれも、

「シェムリアップ」

でした。

(2019、4、18)


(2019、3、21)

2019年3月25日 21:34 | コメント (0)

新・ことば事情

7100「月初」

皆さんは、

「月初」

と書いてあったら、何と読みますか?私なら、

「つきはじめ」

と読みます。本来なら、

「月初め」

と送り仮名の「め」を送りますけどね。ところがこれを、

「げっしょ」

と読む例が、漫画を読んでいたら出て来たのです!

「コミック・モーニング」に連載されている、

「この会社に好きな人がいます」(榎本あかまる)

という漫画の中のひとコマで、女性の登場人物が、

「月初は やっぱ バタバタするわねぇ。会議終わったら また延々 数字と睨(にら)めっこだし」

と言うセリフの「月初」に、

「げっしょ」

とルビが振ってあったのに気付いたのです。

「音読み」の「げっしょ」という言葉もあるのでしょうか?

辞書を引いてみたら、「広辞苑」に「げっしょ(月初)」、載っていました。

「月のはじめ。月初め」

当たり前、そのままの意味が書かれていました。

しかし「明鏡国語辞典」「新明解国語辞典」「旺文社標準国語辞典」「精選版日本国語大辞典」「デジタル大辞泉」「現代国語例解辞典」「岩波国語辞典」「新潮現代国語辞典」には載っていませんでした。

でも、なんと「三省堂国語辞典」と「三省堂現代新国語辞典」には載っていたのです。ともに飯間浩明さんが編纂に関わっています。飯間さん、さすが!

(2019、3、25)

2019年3月25日 21:31 | コメント (0)

新・ことば事情

7099「株安のアクセント」

ニューヨーク市場の株安を受けて、週明け3月25日(月)の日経平均株価は、一時700円を超える下落を記録しました。それを伝えたテレビ朝日・お昼のニュースで、東京証券取引所から中継で伝えた男性記者が、

「株安」

という言葉を、

「カ/ブ\ヤス」

という「中高アクセント」で3回言ったのが、耳に付きました。

このアクセントだと、何だか京都の「お漬物屋さん」のように聞こえます。

これは、「平板アクセント」で、

「カ/ブヤス」

なのではないでしょうか?

『NHK日本語発音アクセント新辞典』を引いてみても「平板アクセント」の、

「カ/ブヤス」

しか載っていませんでした。しかし、もしかしたら、

「株式関係の専門家が使うアクセント」

なのかもしれませんね。

(2019、3、25)

2019年3月25日 21:21 | コメント (0)

新・ことば事情

7098「うまみ」

3月20日の「ミヤネ屋」で、その日の夜放送予定の『ザ・発言X 勝負の1日』での、

「元貴乃花親方」

のコーナーの紹介の中で(まあつまり、ありていに言えば「番宣」だったわけですが)、

元貴乃花親方の「食リポ」でのコメントがありました。

元貴乃花親方は、「から揚げ」を食べて、

「パリパリ」「ジューシー」

という、相反する「乾燥」いや「感想」を述べました。あ、そうか最初の皮が「パリパリ」で、中のお肉は「ジューシー」ということか。それなら相反していない。素直な感想ですね。(「ジューシー」というと、つい、スイカを食べてもモモを食べてもリンゴを食べても何でも「ジューシー」と言う人がいるけど、あの人のマネかな?)

その後に、スタッフから「もう一言!」と言われて、

「うまみ」

と言いました。テロップは、

「うま味」

と発注が出ていたので、そのまま出したのですが、この日の夜、番組で元貴乃花親方が話す映像を見ていたら、どうも「うま味」ではなく、これは最近の若者言葉で、

「語尾に『み』を付ける『ねむみ』『やばみ』『さびしみ』

といったものと同じで、「うまい」の意味での、

「うまみ」

ではなかったか?と思いました。

つまり「み」は「平仮名」で書くべきではなかったかな?と。

そういえば3月13日放送の日本テレビのドラマ『家売るオンナの逆襲』最終回で、

「やばみ」

というセリフが出て来ていました。

「平成ことば事情6635語尾の『み』」「平成ことば事情6188淋しみ」と、NHK放送文化研究所の塩田雄大主任研究員が『放送研究と調査』(2017年1月号)の「ことば ことばコトバ」で「"不安み"しかない」も、お読みください。

(2019、3、20)

2019年3月25日 21:20 | コメント (0)

新・ことば事情

7097「腹落ち感」

『イントロの法則80's』(スージー鈴木、文藝春秋:2018、10、5)の中で、

「小説の内容は、ものすごく腹落ちしたし」(187ページ)

というように、

「腹落ち」

という言葉が出てきました。(この「小説」というのは1980年に出た田中康夫の「なんとなく、クリスタル」でした。)

それまでにも、

「腹落ち感」

という言葉を2018年の10月に見かけてメモだけ残しておきましたが、これの意味は、

「腑に落ちる」

ということですよね。なぜ「腑に落ちる」「腑に落ち感」と言わずに「腹落ち」なのでしょうか?「腑」よりも、もっと深いのでしょうか?

グーグル検索では(3月21日)、

「腹落ち」  =13万4000件

「腹落ち感」 =   8410件

「腑に落ちる」=65万8000件

でした。

「腹落ち」でトップに出て来た「実用日本語表現辞典」というサイトで、

「腹落ち(読み方:はらおち)納得すること、成程と思うこと、腹に落ちること、などの意味の表現。同じ意味の慣用句「腹に落ちる」を名詞として使う際の表現。」

と記されていました。

どうも「ビジネス用語」としてよく使われているようです。あまり良い言葉とは思えないのですが・・・。

(2019、3、21)

(2019、3、21)

2019年3月25日 21:13 | コメント (0)

新・ことば事情

7096「雄姿か?勇姿か?」

勇ましい姿、雄々しい姿を指していう、

「ゆうし」

は、漢字で書くと、

「勇姿」か?「雄姿」か?

ということが気になりました。『新聞用語集2007年版』を引いてみると、

「雄姿」

になっていました。しかしジェンダー的に考えて、例えば「女性」に対して「雄姿」を使えるのか?女性には「勇姿」を使うというように使い分けをするのか?という疑問が。

調べてみたら、過去の用語懇談会の記録を見たら、2005年4月の関西地区用語懇談会の「気になる言葉の使用状況のアンケート(20語)」で討議されていて、その際は、

★「優勝争いを演じる宮里藍選手の『雄姿』をテレビで見て、メールを送った」

(雄々しく堂々たる姿)※( )内は『広辞苑』に載っている意味。

というように「女性」に「雄姿」を使う社は

『A(普通に使う)=1社、B(違和感はあるが使う)=12社、C(使わない)=11社』

で、「使う」と「使わない」がほぼ半々。そして1社を除いて「使わない」「違和感がある(が使う)」という結果でした。その際のまとめは、

『「新聞用語集」や各新聞社の用語集では「勇姿」ではなく「雄姿」を使うように定めている。共同通信の「記者ハンドブック」では、人に使う場合は「雄姿」、物などに比ゆ的に使う場合は「富士山の勇姿」「SLの勇姿」のように「勇姿」を使うというふうに、使い分けを指示している。こういう問題が起きるぐらい、「雄々しい女性」が多くなり、女性の社会進出が進んできたということだろう。また、本来は「漢」も「男」を指すので、「巨漢」「悪漢」「大食漢」「痴漢」「好漢」「熱血漢」などの「○漢」は男性にしか使えないはずである。』

ということでした。

それから14年ぶりに、今年(2019年)2月の用語懇談会放送分科会で質問してみました。ついでに、

『「女性」の「英雄」はどうでしょうか?「女の痴漢」「女の悪漢」は使えないですよね?「女性の大食漢」「女性の好漢」はどうでしょうか?』

とも聞いてみました。各社の回答・意見は以下の通りです。

(新聞協会専門委員)入社したときから「雄姿」。「雌(メス)」の字を使った「雌伏三十年」や「雌雄を決する」などの言い回しもあるので「雄」は必ずしも「オス」という意味ではないので、あまり考えなくていいのでは?

(NHK)うちは「雄姿」に決めている。

(幹事)ルールを決めている社は?

(共同通信)共同は「雄姿」「勇姿」の両方をハンドブックに載せて使い分けている。

・「雄姿」=(堂々とした姿、女性にも使う)選手団の雄姿、富士山の雄姿

・「勇姿」=(いさましい姿、人に限定)みこし担ぎの勇姿

実は3年前に出したこの最新の「13版」の編集の際に議論になり、「13版」から「勇姿」を載せた。「堂々とした女性」には「雄姿」も使う。区別は「勇姿」は「人間以外には使わない」ということ。(×「富士山の勇姿」など)

(フジテレビ)女性に「雄姿」を使っても違和感はない。それより「女性の痴漢」という表現がない(使えない)とは知らなかった・・・。

というようなものでした。

その後、イチロー選手の引退を伝えた2019年3月21日の日本テレビ「news zero」では、

「27年の勇姿 イチロー」

というように、

「勇姿」

を使っていました。

(追記)

「2019読書日記036」で書いた(読んだ)『続・横道世之介』(吉田修一、中央公論新社:2019、2、25)の中に、

「勇姿」

が出て来ました。

「彼と同じように枯葉剤の後遺症に苦しんでいる子供たちを、ここ東京で戦う彼の勇姿がどれほど勇気づけるかと思えば、その貢献は絶大で、言ってしまえばタイムなどどうでもいい。」

という文章でした。

また、2月11日のウェブ版「スポーツ報知」のサッカーの記事では、

『【甲府】元DFダニエルさん死去を悼む「勇姿を私たちは忘れません」』

という見出しがありました。ここでも、

「勇姿」

が使われていました。


(2019、3、26)


(2019、3、25)

2019年3月25日 21:09 | コメント (0)

新・ことば事情

7095「達陀帽いだかせ」

3月15日のNHKのお昼のニュースの関西ローカル(大阪局発)で、お水取りが終わったばかりの奈良・東大寺二月堂で、

「達陀帽いだかせ」

という行事を紹介していました。「達陀帽」は、

「だったんぼう」

と読むそうです。看護師の「戴帽式」のようなものかな?

赤ちゃんに「達陀帽」を被せると元気育つという行事だそうで、

「泣き相撲」

みたいなものかなあ。

この「だったん」「達陀」と書くようですが、一般的には、

「韃靼」

と書く「だったん」のことですよね。

「だったん」と聞いて思い出すのは、やはりボロディン作曲のオペラ「イーゴリ公」から、

「韃靼人の踊り」

と、大阪府堺市の三国丘高校出身の詩人「安西冬衛」の「春」と題した短い詩、

「てふてふが一匹 韃靼海峡を 渡って行った」

ですよね。

「韃靼人」で検索してみたら「タタール」が出て来ました(「韃靼人」から転送と)

それによると、

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

タタール(Tatar)は、北アジアのモンゴル高原とシベリアとカザフステップから東ヨーロッパのリトアニアにかけての幅広い地域にかけて活動したモンゴル系、テュルク系、ツングース系およびサモエード系とフィン=ウゴル系の一部など様々な民族を指す語として様々な人々によって用いられてきた民族総称である。日本では、中国から伝わった韃靼(だったん)という表記も用いてきた」

だったん、だそうです。

ということは、奈良の東大寺では当時この「達陀帽」は、

「シルクロードを通って達陀(韃靼・タタール)から伝わって来た舶来もの」

だったん、だな!と、ちょっと驚いたのですが、

「正倉院の宝物」

もシルクロード経由なのですから、特に驚くには当たらないのかもしれません。

と、これをここまで書いた翌日、たまたま「ワイン会」があって、そこで出された料理に、

「タルタル風」

の物がありました。そう、

「タルタルソースのタルタル」

です。

「この『タルタル』は『タタール=韃靼』から来ているのですよね?」

とレストランのソムリエの方に伺ったら、

「ちょっと不勉強で・・・シェフに聞いてまいります」

と一旦、厨房に下がってから、戻って来て、

「おっしゃる通りです。タタールでは『馬の肉』を使ったそうですが。」

とのことでした。

「韃靼」「タタール」「タルタル」

に触れることができた週末でした。

(2019、3、20)

2019年3月21日 19:48 | コメント (0)

新・ことば事情

7094「『別居婚』のアクセント」

3月17日、ロックミュージシャン・俳優の内田裕也さんが亡くなりました。79歳でした。去年9月に亡くなった妻の女優・樹木希林さん(75)の後を追うように・・・。

それをお伝えした3月18日の「ミヤネ屋」で、放送前にナレーター松尾さんから、内田裕也・樹木希林夫妻が取っていた結婚スタイルである、

「別居婚」

のアクセントについて質問を受けました。

「『別居婚』のアクセントは、『中高アクセント』の『ベッ/キョ\コン』でしょうか?それとも『平板アクセント』で『ベッ/キョコン』でしょうか?」

これに対して私はこう答えました。

「これもどちらもあると思いますが、そもそもは、『別居(ベ/ッキョ)』と『婚(コ\ン)』がくっついてできた言葉なので、最初はその2つの意味を際立たせるために『中高アクセント』で、

『ベッ/キョコ\ン』

だったと思います。それが『できちゃった婚』のように複合語が『1語』として広く認識されるようになると『平板アクセント』に変わります。しかし『別居婚』は、それほど一般的ではないですから、『中高アクセント』の、

『ベ/ッキョ\コン』

で良いと思います。」

と答えて、そのように放送されました。

合掌。

(2019、3、19)

2019年3月19日 18:55 | コメント (0)

新・ことば事情

7093「『裕也さん』のアクセント」

3月17日、ロックミュージシャン・俳優の内田裕也さんが亡くなりました。79歳でした。去年9月に亡くなった妻の女優・樹木希林さん(75)の後を追うように・・・。

それをお伝えした3月18日の「ミヤネ屋」で、放送前にナレーター藤田さんから質問を受けました。

「内田裕也さん、『裕也さん』というのは、『頭高アクセント』 で『ユ\ーヤサン』でしょうか?それとも『平板アクセント』で『ユ/ーヤサン』でしょうか?」

そこで私は、こう答えました。

「一般的には『頭高アクセント』の、

『ユ\ーヤサン』

でOKです。内田裕也さんに近しい人たちの間では、『平板アクセント』で、

『ユ/ーヤサン』

と言うでしょうが、それとは区別しても大丈夫です。」

ということで、「ミヤネ屋」ではVTRのナレーションは、

『ユ\ーヤサン』

になりました。

合掌。

(2019、3、,19)

2019年3月19日 18:47 | コメント (0)

新・ことば事情

7092「正義としつけ」

このところ報道が続く「虐待事件」。悲しさと怒りが同時に湧き起こります。

特に、虐待をしていた親が、

「しつけのつもりだった」

と言うのを聞くと「アホか!」と怒りが湧き上がるのですが、ある時、ハタと思いつきました。

「『正義』と『しつけ』は同じである」

と。どちらも、

「自分は正しい」

と思っており、

「相手が自分の言うことを聞かない場合には、それを通すためには暴力を使うこともやむをえない」

と考えます。

国家にとっての「暴力」は「軍事力」であり、「軍隊」や「警察力」は、マックス・ウェーバーによると、

「暴力装置」

と呼ばれますよね。「自衛隊」も、まさにそれに当たるのですが、以前そう言ったらメチャクチャ批判を受けた国会議員がいましたが(この間、亡くなりましたね。合掌)、あれは批判する方が勉強不足だったのでしょうね。

「国家」を守るために許されている「暴力」というものが、各国には存在します。もちろんそれが、恣意的に使われたり、暴走しないように、

「シビリアン・コントロール」

がブレーキになるのですね。

そして、ひとたびその目を「国家」から「個人」の「家庭」に移すと、「家庭における正義」の一つが、

「しつけ」

なのではないでしょうか?

「正義」というものは、「家庭」や「学校」「会社」などでの「教育」において伝えられ、学ばれます。

その「教育」が、「シビリアン・コントロールなし」に「暴力」を使って行われてはいけないのですが、なかなかそのことが理解されていないということが、一番の問題だと思います。

(2019、3、14)

2019年3月15日 12:44 | コメント (0)

新・ことば事情

7091「かみたばこ」

3月14日の日本テレビ「スッキリ」の「平成を振り返るシリーズ」で、

「たばこ」「喫煙・禁煙」

を取り上げていて、なかなか興味深いものでした。「平成」に入ってからもまだ「たばこ」を吸う人は多数派だったんだなあと。「国会」でも審議中に吸っていたんですね、分煙もせずに。「平成」も終わろうとしている現在からは、考えられないような・・・。

VTRからスタジオに降りると、

「加藤浩次 禁煙まで あと44日」

という文字が。司会で愛煙家の加藤さんは以前、

「50歳の誕生日を迎えたら禁煙する」

と、見栄を切ったみたいなんですね。その誕生日、すなわち「禁煙決行」まで44日・・・。「平成」の終わりまで、あと48日。

そこで往生際の悪い加藤さんは、日テレの森圭介アナウンサーに向かって

「ねえ森くん、ニコチンとかタールのないやつ、吸ってるよな。」

と話を振ると、森アナウンサーは、加藤さんに、

「きのう加藤さん、『かみたばこ』は、吸っていませんでしたよね。」

と相槌を打ちました。しかしこの、

「かみたばこ」

に引っかかりました。

森アナウンサーは、加藤さんが最近は「加熱式たばこ」を吸っていて、

「紙巻きたばこ」

は吸っていないと言いたかったのでしょう。しかし「かみたばこ」と言うと、インドなどで吸って(噛んで)いる、

「噛みたばこ」

とイメージしてしまいます。ですからここは正確に、「巻き」を付けて、

「紙巻きたばこ」

と言った方が良かったのではないかなあ、と思いました。

「加熱式たばこ」は、

「熱を加える」

わけですが、そのたばこ本体を、

「くわ(咥)える」

ものでもありますね。同音異義語。

(2019、3、14)

2019年3月15日 12:44 | コメント (0)

新・読書日記 2019_036

『続・横道世之介』(吉田修一、中央公論新社:2019、2、25)

心温まる青春物語。

2012読書日記233『横道世之介』(吉田修一、文春文庫:2012、11、10)で読んで以来、7年ぶりかあ・・・。

前作は、長崎から上京してきた「大学生」の世之介の青春だったんだよね。

で、駅のホームで線路に転落した人を救おうとして亡くなった、と思っていたので、

「え?実は世之介、死んでなかったの?夢オチ?」

と思ったら、前作は「大学時代まで」しか、詳しく描いていなかった。

今回は、大学は卒業したけど定職に就かずに「自分探し」をしている、20代前半からの世之介。「大学その後」だったんだよね。時代で言うと「1993年(平成5年)」。そしてあれ(1993年)から27年たった現在(=2020年)から、俯瞰してその時代を見る。20世紀の最後のあの時代を。「平成」も終わろうとしているし。「文体」も俯瞰しているような感じで書かれている。

もし、これをまた映画化するなら、私のイメージでは以下の様なキャスティングでお願いしたいです。

【横道 世之介】菅田将暉

【桜子】   深田恭子or木下優樹菜

【コモロン】ハマロンor大泉洋の若い感じの人

【浜ちゃん】尼神インター・渚

【桜子の父・重夫】國村隼

【桜子の兄・隼人】賀来賢人(「今日から俺は」)or溝端淳平

【隼人の親友で車椅子の光司】伊藤健太郎(「今日から俺は」)

【亮太(子役)】****

【日吉 亮太(マラソン)】=竹内涼真

【世之介の隣の部屋の中国人】=バカリズム

【強面の散髪屋】キム兄

参考までに、前回、実際に映画化された際のキャストは以下の通り。

【横道 世之介】高良健吾

【社長令嬢・与謝野祥子】吉高由里子

【入学式で知り合った同級生・倉持一平】池松壮亮

【倉持と結婚した阿久津 唯】朝倉あき

【同じアパートのヨガのイントラクター・小暮京子】江口のりこ

【世之介が一目ぼれした年上女性・片瀬千春】伊藤歩

【世之介の同級生の友人でゲイ・加藤雄介】綾野剛

【倉持が唯と暮らしていたアパートの隣人の韓国人留学生・キム君】

【世之介と一緒に上京した同級生・小沢】柄本佑

【世之介の高校時代の恋人・大崎さくら】黒川芽衣

あ、今見てみたら、「國村隼」さんは前回、ヒロイン・与謝野祥子(吉高由里子)の父役で出てる!ということは「社長」か!今度は「下町の自動車工場の社長」でどうか?私のキャスティングでもやっぱり「ヒロインの父親役で社長」だ。

前回、横道洋造(世之介の父)は「きたろう」さん、横道多恵子(世之介の母)は「余貴美子」さん。贅沢なキャスティングですねえ。


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(2019、3、13読了)

2019年3月15日 11:56 | コメント (0)

新・読書日記 2019_035

『残業学~明日からどう働くか、どう働いてもらうのか?』(中原淳+パーソナル総合研究所、光文社新書:2018、12、20第1刷・2019、2、20第5刷)

ここ数年の「働き方改革」と、それを法律的に後押しするために、この4月からの「改正労働基準法」の施行を控えて、管理職としては「働かせ方」つまり「残業」に関する意識改革が求められています。(一般社員は「働き方改革」。)

そのためにも、この本を読んで勉強弁こうしようと思いました。もう「残業」は「学問」になっているんですね!

「働くとは何か?」

という根本問題について考えることが、私は必要だと思いますが。

この本は、「ゼミ」みたいに、学生の質問に先生が答えるような形で各章が進行しますので、読みやすかったです。

中でも、欧米と日本との働き方の違いで、日本は終身雇用制を保つために「内部労働市場型」を採用し、欧米は「外部労働市場型」であると。日本はそれを欧米のような「外部労働市場型」に変更しようとして、なかなかうまく移行できなくて悩んでいるという説明は、腑に落ちました。そもそも「外部労働市場型」が日本社会に合っているのかどうか?という疑問は残ります。

「内部労働市場型」は、各企業(会社)が新入社員を正社員として取り、その人たちを会社の内部で育てていく形(終身雇用制)で、不況の折は残業が減り、好況の(景気が良い)時は残業が増えるという形で、失業者を減らし企業内で労働力の調整を図るというもの。

それに対して「外部労働市場型」は、企業と労働者の結びつきは弱いが、「その職種のプロ」として、1つの会社で仕事がなくなっても、同じ職種の別の会社で雇ってもらえるというような、転職が比較的的自由な働き方です。その職種のプロは「ギルド」のようなものを組織するかもしれません。そっちの方が、「日本の企業のような結びつき」は強いのかも。

最近の日本が、国全体の雇用形態をそういう方向へ進めようとしているのは、テレビのコマーシャルでも「転職サイトなどのコマーシャル」が多いことを見ても、容易に想像がつきますね。どっちがいいのか?うーん、日本は「外部労働市場型」に全部しちゃうと、上手くいかないような気がするんだけどなあ・・・。

そんなことなどを考えさせられた一冊でした。


star4

(2019、3、6読了)

2019年3月15日 11:55 | コメント (0)

新・読書日記 2019_034

『俺たちの定年後』(成毛真、ワニブックス:2018、11、25第1刷・2018、12、10第2刷)

そろそろ私も「定年」が気になるお年頃。60歳・還暦まであと2年半ですから。こういう本も読んどかないと、と思って手に取ったのですが、こういう本は「目次」を読んだら、大体内容はわかる。ということで見てみたら、

  1. 60歳になったら、新しい人生を歩み出せ」

  2. 定年したら、サラリーマン的生活は捨てろ」

  3. 近所を歩けば次々と楽しみが見つかる」

  4. 60歳からは愛想よくしようなんて考えるな」

  5. 自分を拡張する10のツールを手に入れろ」

  6. 計画は壮大かつほどほど綿密に立てよ」

ということで、まあ、「そうですか」という感じで、成毛さんの世代と私たちの世代では、違うからなあと感じましたとさ。


star3

(2019、3、4読了)

2019年3月14日 20:41 | コメント (0)

新・読書日記 2019_033

『中島みゆき全歌集2004-2015』(中島みゆき、朝日文庫:2018、12、30)

すごいなあ・・・。

このシリーズは「1975~1986」「1987~2003」そしてこの「2004~2015」。なんと「40年間」の中島みゆきが作った歌の歌詞が3冊に。さらにその後4年経ってるからね。なんとも。

さすがにこの2004年~2015年の曲は、知らないのも多い。知っていたのは2006年の「宙船(そらふね)」。TOKIOのために作ったけど、セルフカバーしてるよね。それと2011年に出たアルバムに収録されている「荒野より」「バクです」「帰郷群」「ばりほれとんぜ」など。CD持ってるから。さらに2013年の「愛詞(あいことば)」、2014年の朝ドラ「マッサン」のテーマソング「麦の歌」など。まあ、数えるほど、収録された詞の数は、

2004年=20

2005年= 3

2006年=11

2007年=13

2008年=32

2009年= 1

2010年=10

2011年=24

2012年=12

2013年= 3

2014年=38

2015年=11

全183曲の歌詞。と書いてあるが、足したら175曲だけど。まあいいいか。同じ曲に手を加えてあるのもあったからね。

それにしても、何、これ。もちろん、年に1曲とか3曲しか作っていないときもあるけど、38曲も作った年(2014年)も、しかもつい最近!何という旺盛な制作力!!創造力!!ホームランバッターのホームランの数を、またイチローのヒットの数を見ているかのような。

「作詞、作曲を手掛けた作品が、4つの年代でオリコンシングルチャート1位を獲得している唯一無二のアーティスト・中島みゆき」

スゴイ!としか、言えない。


star4

(2019、3、7読了)

2019年3月14日 20:39 | コメント (0)

新・読書日記 2019_032

『BLUE GIANT SUPREME7』(石塚真一、小学館:2019、3、5)

ジャズの漫画です。第7巻。

ヨーロッパの小さな町のジャズフェスティバルに出て、そこにたまたま出演してくれた有名ミュージシャンに認められ、力一杯演奏することで少しずつ「未来」が開き始めた主人公・大たち。しかし、そこに日本の妹から涙声の電話「お父さんが倒れた・・・」。ツアーの途中で一旦リタイアを余儀なくされた大。その間に"ピンチヒッター"で派遣されたサックス吹きが、なかなかの実力者・クセ者で・・・。うーん、おもしろいやんか!


star4

(2019、3、10読了)

2019年3月14日 20:38 | コメント (0)

新・ことば事情

7090「花粉光冠か?花粉光環か?」

3月8日の「ミヤネ屋」で、気象予報士の蓬莱大介さんが、花粉がたくさん飛んでいるときに太陽の周りに見られる、

「花粉コーカン」

という現象をご紹介することになりました。その時に担当のFディレクターが、

「これは『花粉光冠』でしょうか?それとも『花粉光環』でしょうか?ネットで調べるとどちらも出て来るのですが、表記はどちらでしょうか?」

私は初めて聞く言葉でした。

国語辞典で「光冠」「光環」を引いても、たしかに「両方」出て来ました。似たような意味ですが、「太陽や月にかかる」という意味では、

「光冠」

のほうが先に出て来たので、元・読売新聞校閲部出身のNさんとも相談して、

「花粉光冠」

としました。

ネット検索では(3月14日)、

「花粉光冠」=260万0000件

「花粉光環」= 25万1000件

で、「冠」のほうが10倍多かったのでした。

「デジタル大辞泉」は、少数派の「環」を使って、以下のような意味を記していました。

*「花粉光環」=大気中に飛散した大量のスギ花粉によって生じる光環。光の回折現象の一種で、虹のような輪が二重三重に広がって見える。

とのことです。

(2019、3、14)

2019年3月14日 19:51 | コメント (0)

新・ことば事情

7089「大人カラーリング・大人女子」

最近、テレビコマーシャルで耳にした言葉で気になったのが、

「大人カラーリング」

という「髪染めのコマーシャル」で出て来た言葉です。

「大人女子」

などという言葉が定着してしまい、

「大人なのか?子どもなのか?」

が、大変気になる表現なのです。

「ミヤネ屋」でもたまたま「大人女子」の特集を2019年1月23日に放送しました。

それを見てわかりました。

この「大人」という言葉の意味は、

「『中高年』の婉曲表現」

であると!つまり「大人カラーリング」とは、

「白髪染め」

のこととではないか?と、思いました。

広告の世界では、同じものでもいかに新しく見せるか、魅力的に見せるかを追求していますから、その中で、

「中高年女性」(おばさん)→「大人女子」

「白髪染め」→「大人カラーリング」

という表現が出て来たのではないでしょうか?

グーグル検索では(3月14日)、

「大人女子」    =1880万0000件

「大人カラーリング」=   4万6000件

でした。

(2019、3、14)

2019年3月14日 19:48 | コメント (0)

新・ことば事情

7088「オシドリ夫婦」

3月13日放送の「かんさい情報ネットten。」で大阪・万博公園の動物園(?)「ニフレル」(「ニフレル」、行ったことないけど「~に触れる」から来ているのかな?ネーミングは)で、「ミニカバの赤ちゃん誕生」の密着取材を放送していました。それを見ていたら、こんなナレーションが流れました。

「最近、オシドリ夫婦の様子が変わって来たというのです」

うん?

「オシドリ夫婦」?

って、これ、

「カバの夫婦」

ですよ!?「カバ」に「オシドリ夫婦」という比喩表現を使えるの?「カバ」か「オシドリ」かどっちやねん!?ってなりませんか?

「動物の比喩表現」は、

「人間に使うもの」

ではないの?

使えるかどうかは別にして、私はこの使い方に違和感がありました。

(2019、3、13)

2019年3月14日 12:27 | コメント (0)

新・ことば事情

7087「特攻服」

3月14日の日本テレビ「スッキリ」で、毎年中学校の卒業式が開かれるこの時期になると、岡山駅前に「特攻服」と呼ばれる刺繍がいっぱいされた服を着た卒業生たちが集まって騒ぐという話題を取り上げていました。「平成ことば事情7086岡山のアクセント」にも書きましたが。

その中の、

「特攻服」

という言葉が「カギカッコ」もなしに使われているのが気になりました。それは、戦時中の「特攻隊」が着ていた服というのではなく、

「1970~80年代に暴走族などが着ていた、刺しゅうなどが施された学生服(長ラン)のような服のこと」

をいうのでしょうけど、辞書に載っているのかな?

『三省堂国語辞典』を引いてみたけど、さすがに載っていませんでした。「俗語」ですよね。ネット検索してみたところ、

「特攻服から見える不良ファッションの思想と歴史」(岩橋健一郎)

という文章が載っていて、

https://nikkan-spa.jp/830107

その岩橋氏によると、

「特攻服の発祥は、1970年代初めに東京都内の暴走族『M』が、右翼団体が着ていた『隊服』を取り入れたのがハシリ」

で、80年代までの特攻服には「憂国烈士」といった、

「右翼系の言葉が刺繍されていた」

ものが多かったと。当初は、

「戦闘服」

などと呼んでいたが、時代が進むにつれて、

「特攻服」

というふうに呼び名が変わったそうです。

岩橋氏自身も1980年代に「特攻服」を着ていたそうですが、この服を着る人は、次第に右翼的な思想性は薄れ、平成(1989年~ )に入ってからの暴走族は、

「『右翼系』から『仁侠系』」

に変わっていき、「◯◯一家」というような刺繍文字を入れるようになったそうです。

その後は、自由度も高く「俺の息子は暴れん棒」のような"個性豊かな刺繍"も増えていると言います。

刺繍代が高いだろうなと思うのですが、刺繍をたくさん入れるのが主流なので、

「一着20万~30万円はザラ」

で、「スッキリ」で出ていた人(顔はモザイク)の「特攻服」は、

「50万円もした」

そうです。一体誰が金を出しているのだろう?アルバイト?中学生が??

親が出してやってるのかな???

疑問は尽きません。

(2019、3、14)

2019年3月14日 12:26 | コメント (0)

新・ことば事情

7086「岡山のアクセント」

3月14日の日本テレビ「スッキリ」で、岡山の中学3年生が毎年「卒業式」終わりに親への感謝などの文言が刺繍された特注の「特攻服」姿で岡山駅前に集まり、桃太郎の銅像に上ったりの騒ぎになっていた問題に関して、岡山駅前でインタビューに答えた一般の市民が、

「岡山の伝統ですね。仕方がない」

と答えていました。その「岡山」のアクセントが「平板アクセント」で、

「オ/カヤマ」

であることに気付きました。標準語アクセントでは「中高アクセント」で、

「オ/カ\ヤマ」

「カ」が高くなりますよね。地元では「平板」になるんだ!と。

これは、実は他の都市でもあって、

「高知」「名古屋」「長野」「富山」「姫路」

なども、標準語アクセントは「頭高アクセント」で、

「コ\ーチ」「ナ\ゴヤ」「ナ\ガノ」「ト\ヤマ」「ヒ\メジ」

ですが、地元では「平板アクセント」で、

「コ/ーチ」「ナ/ゴヤ」「ナ/ガノ」「ト/ヤマ」「ヒ/メジ」

なのです。(「富山」は「ト/ヤ\マ」という「中高アクセント」もあると、富山出身の真田信治・大阪大学名誉教授は話されていましたが)

「岡山」もやっぱり、そうだったかあ。

ちなみに、今年の中学校卒業生たちは、「特攻服」姿が警察の補導の対象になったとかで、例年のようには岡山駅前には集まらなかったそうです。岡山駅から離れた「岡山ドーム」などの場所に行った人もいたようです。

(2019、3、14)

2019年3月14日 12:25 | コメント (0)

新・読書日記 2019_031

『イタリア発イタリア着』(内田洋子、朝日文庫:2019、2、28)

イタリア在住の作家・内田洋子さんの待望の新作!と思って、かわいらしい装丁のこの文庫本を購入、さっそく読みだした。そして140ページ(ほぼ半分)まで読み進んだところで、「おや?」っと。

「これ、読んだこと、ある」

目次の前のページにある小さな文字を読むと、

「本書は二0一六年二月、小社から刊行された『イタリアからイタリアへ』を改題したものです。」

・・・「改題」・・・。改稿はしてないのか。道理で、読んだことがある感じがしたわけだ。読んだんだもん。検索すると、「2016読書日記048『イタリアからイタリアへ』(内田洋子、朝日新聞出版:2016、2、28)」で出て来ました。

今回読んでわかったんだけど、内田さんはイタリアで「船」を買って、その「船」で「暮らしていた」こともあったのか!それって、前回読んでいて、わからなかったよ!

それとイタリア南部でみんなが言う言葉、

「すべて相対的なのさ」

は、ある意味、真理だと思ったなあ。

うちの、もうすぐ84歳になる母が、

「最近、駅までの道が遠くなった気がする」

「最近、階段が、前よリ急になった」

というのはもちろん、「駅までの道の距離が遠くなった」わけではなく、

「母の歩く速度が遅くなった」

のだし、「階段が急になった」わけではなく、

「母の足が、あまり上がらなくなってきた」

というのが「客観的事実」なのだが、イタリア人と同じく、やはり人間は、「すべて相対的」なのである。


star4

(2019、3、9読了)

2019年3月11日 20:51 | コメント (0)

新・ことば事情

7085「祖国と母国」

去年(2018年)11月25日に見ていた「そこまで言って委員会NP」で、

「『李香蘭』こと『山口淑子さん』」

を取り上げていました。その山口さんの言葉として、

「祖国・日本、母国・中国」

というのがありました。

この「祖国」と「母国」はどう使い分けられているのでしょうね?

・・・・・・

あれから4か月。

ハタと、ひらめきました。

「祖国」=通時的・縦糸

「母国」=共時的・横糸

ではないでしょうか?

頭の中では、中島みゆきさんの♪「糸」のメロディーが流れています。

「♪たーてのいとーはーあーなた~、よーこのいとーはーわーたしから」

「母」と「祖」を比べてみました。

「母校」はあるが、「祖校」はない。

「祖父・祖母」「祖父母」とは言えるが、「母父・母母」「母父母」とは言えない。

「祖先」とは言うが、「母先」とは言わない。

「祖」には「性別はない」が、「母」には「性別がある」。

「母体」とは言うが、「祖体」とは言わない。

「母国」「母校」の「母」は「産んだ」という意味。

「祖国」の「祖」は「元をたどると」と言う意味では?

普通は、「祖国と母国が一致する人」が多い。

しかし、たとえば、

「アメリカで生まれた『ドイツ系アメリカ人』」

の場合を考えると、「祖国」はドイツで、「母国」はアメリカ。

2世、3世になると、「祖国」と「母国」の違いが際立つのではないか?

こんなことを、この週末、考えていました。

「♪糸」が頭の中でずっと鳴っていました。

(追記)

思い付きのメモ(メール)が出て来ました。3月3日のものです。

「『祖国』は歴史、すなわち過去を含む。『母国』は現在。」

あ、上に書いたことと同じだね、基本的には。

(2019、3、26)


(2019、3、11)

2019年3月11日 20:47 | コメント (0)

新・ことば事情

7084「ボールパーソン」

久々に思い立って、久々にJリーグの試合を見に、大阪・長居スタジアムに行きました(今はネーミングライツで「キンチョー長居スタジアム」)。セレッソ大阪対サンフレッチェ広島戦。そりゃ、ホームのセレッソを応援しましたが、知ってる選手、少なかったな。

試合前に、こんなアナウンスが流れました。

「本日のボールパーソンは、桜宮高校女子サッカー部の皆さんです。」

この、

「ボールパーソン」

というのは、初めて耳にしました。(「ボールパースン」だったかもしれない。)

「ボールボーイ」

は、よく知っている言葉だけど、桜宮高校「女子」サッカー部の皆さんは「ボーイ」じゃないもんね。でも、

「ボールガール」

ではダメなのかな?ジェンダーフリーな言葉を、Jリーグ(サッカー)では使うということなのかな?

ネット検索したら(3月11日)、

「ボールパーソン」=96万8000件

「ボールボーイ」 =31万7000件

「ボールガール」 =31万9000件

でした。もう、「ボールパーソン」のほうが、「ボールボーイ」「ボールガール」よりも使われているのか!

「コトバンク」には、「『デジタル大辞泉』の解説」として、

「ボール‐パーソン(ball person)=野球・テニス・サッカーなどの試合で、ボールを拾ったり、新しいボールを球審や選手に渡したりする人。ボールボーイ・ボールガールに代えて用いられる語。」

と記されていました。

やはりサッカー以外のスポーツでも、ジェンダーフリーの用語変更が行われつつあるようです。

(2019、3、11)

2019年3月11日 20:45 | コメント (0)

新・ことば事情

7083「ホー・チ・ミンとホーチミン」

2月27日、ベトナムのハノイで第2回米朝首脳会談が始まった様子を、「ミヤネ屋」でもハノイからの高井記者の中継も交えてお伝えしました。

コーナーの中で、北朝鮮とベトナムの関係を紹介するパネルがあり、そこで出て来た、

「ベトナムの初代国家主席」の名前は、

「ホー・チ・ミン主席」

です。「・」が2つ入ります。

読売新聞社の『読売スタイルブック2017』によると、

「ベトナム人の姓名は通常三つの部分からなっている。上から氏族、家、個人の名とされているので、記事初出のフルネームは中点(・)を入れて三つに切る。2度目以降、あるいは見出し等で略称を使うときは、最後の個人名を使う。

(例)グエン・タン・ズン首相  ズン首相」

と書かれていました。

しかし!地名のほうは違ったのです!!

「旧サイゴン」

つまり、現在の、

「ホーチミン」

には「・」が入らないのです!知らなかったなあ。

米朝首脳会談に際して学んだことでした。

(2019、3、11)

2019年3月11日 20:32 | コメント (0)

新・ことば事情

7082「作業着か?作業服か?作業員姿か?」

3月6日、日産の前会長のカルロス・ゴーン被告が東京・小菅の東京拘置所から107日ぶりに保釈されました。勾留は108日間に及びました。その際に「変装」をしていたことが大変話題になっています。

今回ゴーン被告が着ていたのは、

「作業服」か?「作業着」か?

また、その変装した姿は、

「作業服姿」「作業着姿」「作業員姿」

のどれでしょうか?私が考えるに、

「作業服」

は、専門店の「ワークマン」などで売っている、いわゆる「工場のユニフォーム」のような定番の物を指します。

それに対して、

「作業着」

の範疇(はんちゅう)はもう少し広く、それぞれの仕事で必要な「仕事着」で、特にその仕事が「手作業」というか「ブルーカラー系の仕事」の際に必要とされる服装を指し、必ずしも皆が同じもの・ユニフォーム的ではない。そして、広義の「作業着」には「作業服」も含まれると思います。

また、

「作業員姿」

と言った場合は、「服装」よりも

「作業員としての動作・行動」

が中心となり、

「作業員姿で電柱に登って監視」

のような意味合いが強くなるのではないでしょうか?

今回のゴーン被告は「変装」「コスプレ」(?)という意味で、

「作業服」

を着ていたのであるから、

「作業員姿」

という表現は適当ではないと思います。

「作業着(姿)」

に関して言うと、きのう(3月7日)夜のNHK「ニュース7」では、

「作業着を着て」

と表現。日テレの「news zero」でも、原稿は、

「作業着」

で、実際にそのユニフォームを使っている埼玉の会社の人はインタビューに、

「作業服」

と答えていました。もしかしたら、関東では「作業着」のほうがポピュラーな言葉で、関西のほうが「作業服」というような「東西差」があるのかもしれません。これは、確認は取れていませんが。

なお、きょう(3月8日)の日テレ「スッキリ」「ストレイトニュース」では、

「作業服」

でした。また、この日(3月8日)の各紙夕刊は、

(読売)作業着姿

(朝日)作業着姿

(毎日)作業服と帽子

(産経)【記事なし】

(日経)作業服

でした。

また、『続・横道世之介』(吉田修一)を読んでいたら

「倉庫の棚卸しをしていたので作業着は汗でぐっしょりと濡れている」(112ページ)

というように、

「作業着」

が出て来ました。

(追記)

『続・横道世之介』(吉田修一)で、「作業着」がまた出て来ました。

「親父さんや亮太と一緒に朝食を食べ、近くの保育園に亮太を送っていく。戻ると、作業着に着替えて仕事に取り掛かる。」(273ページ)

著者の吉田修一さんは、

「作業着」派

なのでしょうかね。ご出身は、横道世之介と同じ「長崎県」だそうですけど。

(2019、3、14)


(2019、3、11)

2019年3月11日 20:05 | コメント (0)

新・ことば事情

7081「4の字固めか?四の字固めか?」

3月8日、元プロレスラーのザ・デストロイヤーさんの訃報が伝えられました。88歳でした。それを伝えたこの日のNHK午前10時のニュースでは、デストロイヤーさんの「必殺技」を「漢数字」で、

「四の字固め」

とスーパーを出していましたが、

「それはないだろ!」

と思いました。というのも、そもそも「よんのじがため」とは、

「技をかけた足の形が数字の『4』に似ているところから付いた名前」

なので、洋数字の「4」で

「4の字固め」

書かないとダメです。その後の「正午のニュース」を見たら、アナウンサーは、

「よんのじがため」

と読んでいるのに、スーパーは出ませんでした。安全策に走ったな、NHK!

この日の夕刊各紙は、

(読売)足4の字固め

(朝日)4の字固め

(毎日)足4(よん)の字固め

(産経)足4の字固め

(日経)<必殺技の記述なし>

でした。

毎日新聞が「4」に「よん」とルビを振っていたことと、正式には「足」が付く「足4の字固め」だということを学びました。合掌。

(追記)

「ザ・デストロイヤー」

と書いたつもりだったのですが、さきほどよく見たら、

「座・デストロイヤー」

になっていました。危ない、危ない。何だか「居酒屋」の、

「坐・和民」

みたいだな。

(2019、3、11)

(2019、3、8)

2019年3月11日 19:52 | コメント (0)

新・ことば事情

7080「つくね」

昨夜、焼き鳥の「つくね」を食べていて、ふと思いました。

「つくね」は「つくねる」から来ているのであろう。「つくねる」とは、もしかして、

「撞く・練る」

なのか?

一夜明けて、さっそく『精選版日本国語大辞典』で「つくね」を引くと、

「動詞『つくねる(捏)』の連用形の名詞化」

とあり、とりあえず最初の推測は「当たり」でした。「つくねる」は漢字では、

「捏ねる」

と書くのか。「捏造」の「捏」、「でっち上げ」の「でち」も「捏」の字ですね。

「こねる」

んですね。

しかし、残念ながら、「つくねる」の語源までは、載っていませんでした。

(2019、3、11)

2019年3月11日 19:47 | コメント (0)

新・ことば事情

7079「お詫び致しております」

先週の土曜日、大阪メトロ御堂筋線に乗っていたら、こんな車内アナウンスが流れました。

「本日は西中島南方駅で発生しました発煙のため、ダイヤが大幅に乱れましたことをお詫び致しております。」

この最後の、

「お詫び致しております」

って、なんかヘン!慇懃無礼。

「お詫びしてるんだから、いいだろ?許してくれよな」

みたいなニュアンスが感じられます「現在進行形」は、おかしいですよね!

このあと梅田までの間に、「お詫びいたしております」は2回繰り返され、その後は、

「お詫びいたします」

という形になって、ホッとしたのでした。本人もおかしいと思ったのかな?

でも、ヘンな言葉遣いに対する「お詫び」はしませんでした。

(2019、3、11)

2019年3月11日 19:45 | コメント (0)

新・ことば事情

7078「『3.11』か?『3・11』か?」

きょう3月11日で東日本大震災から「丸8年」です。8年、経ちました。長いような短いような・・・。まだ震災は続いています。特に放射能災害は。

「ミヤネ屋」で「東日本大震災8年」のニュースを伝える際に、「3月11日」を意味する表記は、

「『3.11』か?『3・11』か?」

で悩みました。つまり、「3」と「11」の間の区切りが、

「.(ピリオド)」か?「・(中黒)」か?

と言う問題です。

というのは、以前、この話が、「新聞用語懇談会放送分科会」(2012年2月)で出たことがあるのです。こんな内容でした。

*「3・11」「9・11」「1・17」という「・(中黒)」表記を目にするが、「サン・テン・イチイチ」のように「テン」で読むときに正しくは、

「3.11」「9.11」「1.17」(ピリオド)

ではないか?「中黒(・)」で書く「2・26〔事件〕」「5・15〔事件〕」では「中黒」を読まずに、「ニーニーロク」「ゴーイチゴ」とするが。

→(読売テレビ)『放送で気になる言葉2011』では、阪神大震災を「1・17」と表記して「イチ・テン・イチナナ」と読むようになっている。つまり、原則はそうかも知れないが、必ずしも、そうはなっていない。

各局、どうしているのか、ネット検索してみたところ、日本テレビの「ドキュメント」や「週刊朝日」「NHK」が「3・11」と「中黒」で、2015年の首相官邸HPは「3.11」と「ピリオド」でした。

また、2012年の放送分科会で私(読売テレビ)が答えたとおり、『放送で気になる言葉2011』の102ページ「数字の読み方」によると、

「5・15事件」「2・26事件」「1・17阪神・淡路大震災」

は、「・」(中黒)になっています。

結局きょうの「ミヤネ屋」では、「・」(中黒)表記の、

「3・11」

にしました。本来は「日付」としては「.」(ピリオド)なんでしょうけどね。

推測ですが、発生当初は「ピリオド」を使って「日付」で「3.11」(読みは「サン・テン・イチイチ」)、その後、時間がたつと「一つの出来事」として、「中黒」を使って「3・11」(読みは同じく「サン・テン・イチイチ」)になって行き、さらに時間が経つと、表記は「3・11」でも「・」を「テン」とは読まずに「サン・イチイチ」になっていくのではないかなあと感じました。(「5.15事件」「2・26事件」は「テン」を読みませんよね。)

ああ、難しいです。

(2019、3、11)

2019年3月11日 19:42 | コメント (0)

新・ことば事情

7077「寧辺の読み方」

先月末、ベトナムのハノイで開かれた「第2回米朝首脳会談」は、物別れに終わりましたが、焦点は、

「非核化」

でした。北朝鮮側は、

「寧辺」

にある核施設を全面的に解体すると言っていたのですが、アメリカは「寧辺」だけでなく北朝鮮にある全ての核施設を解体することを求めて、物別れに至ったわけですね。

この「寧辺」の読み方ですが、「日本テレビ・読売テレビ」では、

「ニョンビョン」

とルビを付けて読んでいます。NHKは、カタカナの後に漢字で書いた、

「ニョンビョン(寧辺)」

とスーパーが出て、日テレ系と同じく「ニョンビョン」と読んでいます。

ところが!

3月1日の新聞を見ていると、ルビ(読み方・フリガナ)の表記が、

「2つに分かれている」

のです!つまり、

(読売・朝日)   寧辺(ヨンビョン)

(毎日・産経・日経)寧辺(ニョンビョン)

の2種類です。

おそらく、「ヨンビョン」の前に「N」が入るか入らないかで、聞こえ方がすこーし違うということなのかなあ・・・と思いました。

放送各社はどちらで読んでいるのでしょうか?これまで気が付かなかったなあ。また、聞いておきますね!

(2019、3、6)

2019年3月 8日 18:42 | コメント (0)

新・読書日記 2019_030

『思いつきで世界は進む~「遠い地平、低い視点」で考えた50のこと』(橋本治、ちくま新書:2019、2、10)

ことし1月29日に70歳で亡くなった著者の本は、これまで何冊かは読んできたが、おそらくこれが最後の一冊か。PR誌「ちくま」の2014年7月号から2018年8月号で連載していたコラム50編を集めたもので、発行日付を見ると亡くなってすぐに出たんだなあ。

第1章「バカは忘れたころにやってくる」

第2章「いったい日本はどこへいく」

著者が東大在学中の学園祭での有名なコピー、

「とめてくれるなおっかさん、男・東大どこへ行く」

を思い出す。「男・東大=日本」に置き換えると常に「その行方」を案じて続けて来た70年の人生だったのかも。しかも「男・東大」と言いながら、著者自身は「男」という自分の性別に「違和」を感じた立場であったのは有名な話。お葬式の喪主は、ご高齢のお母さまだったはず。

第3章「誰もが話を聞かない時代」

「第4章」は本書のタイトルとなった「思いつきで世界は進む」。

そして最終章「第5章」は「世界は一つなんて誰がいった?」え?それはディズニーじゃないの?「イッツ・ア・スモール・ワールド」で「♪せーかいーはー、ひーとつー」と歌ってますよね。

この本に貫かれた立場は、「第1章」の最初のコラムに出来る、

「反知性より無知性がこわい」

に代表されているでしょうねえ。

合掌。。。


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(2019、2、28読了)

2019年3月 8日 18:40 | コメント (0)

新・読書日記 2019_029

『辞書編集、三十七年』(神永暁、草思社:2018、12、10)

小学館で、日本最大の国語辞典『日本国語大辞典・第二版』等、辞書の編集者として、定年まで37年を勤め上げた神永さんの「自伝」と言って良い一冊。

「37年、スゴイ!!」

と思ったが、よく考えると私も、もう35年、この仕事を続けているのだから、「ちょっとだけ先輩」という感じかな。こないだから読み始めた、ナレーターの久米明さん(95歳)の本『僕の戦後舞台・テレビ・映画史70年』(2018年、河出書房新社)は、「70年」だから、それから言うと、まだ道半ば・・・。

神永さんの本は、これまでにも何冊か読んで来たが、それは「言葉」「日本語」に関して書かれたものだったが、この本はタイトルにある通り「辞書編集」という仕事に関して書かれた本である。

「辞書を編む」の内側、という意味で言うと『三省堂国語辞典』の編纂者「飯間浩明さん」の各種の本があるが、飯間さんは「編纂者」。神永さんは、その編纂者の先生たちをまとめる、出版社側の「編集者」という立場の違いがあり、両面からの話を読むことで、立体的に「辞書作り」という仕事の内容が浮かび上がって来る。

神永さんは、本を読めばわかるが、結構「クセ」のあるお人柄で、過去にいろいろ対立があった人たちについても、実名こそ出していないが具体的に書かれている。こういうのを辞書編集者が書くのは珍しいのではないだろうか?

現在は、自らもコラムや本を書かれる立場で、また次の本が待ち遠しい。


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(2019、2、22読了)

2019年3月 8日 18:39 | コメント (0)

新・ことば事情

7076「雀友」

2019年1月18日、82歳で亡くなった市原悦子さんの告別式が行われました。その模様を「ミヤネ屋」でお伝えする中で、市原さんが麻雀好きだったというエピソードが紹介されました。そこで出て来た「麻雀友達」の意味の、

「雀友」

の読み方についてふと疑問が。

「ふつうは『ジャンゆう』だと思うけど、ルビを振るとしたらカタカナと平仮名が交じる、変わったルビになるなあ。あら?待てよ、『ジャンゆう』で良いのかな?『メル友(とも)』みたいに読んで『ジャンとも』って事はないかな?そもそもこの俗語は、辞書に載っているのかな?」

そう思って、新語や俗語に強い飯間浩明さんの『三省堂国語辞典』を引くと、さすが「三国」、ちゃんと載っていました。

*「ジャンゆう〔雀友〕」=【俗】マージャン友だち。

シンプル・イズ・ベスト!

「友」の読み方は「ゆう」ですね。

その他の国語辞典も引いてみましたが、『広辞苑』『明鏡国語辞典』『新明解国語辞典』『旺文社標準国語辞典』『現代例解国語辞典』『岩波国語辞典』『新潮現代国語辞典』『三省堂現代新国語辞典』には「ジャンゆう」も「ジャンとも」も載っていませんでした。『精選版日本国語大辞典』には、「ジャンゆう」が載っていました!用例は『灯らない窓』(仁科悦子・1974年)の「曇る陽」で、

「ちょうどいい勝負のジャンとも(ユウ)同士なのであった」

と載っていました。

(2019、3、6)

2019年3月 7日 19:05 | コメント (0)

新・ことば事情

7075「刺す予定」

2月27日の「朝日新聞」の夕刊を見ていたら、東京・渋谷区の児童養護施設の施設長の男性(46)が、元入所者の22歳の男に刺されて死亡した事件の記事の見出しが、

「他の職員も刺す予定」

と書かれていたのに、違和感がありました。カギカッコが付いているので、容疑者の発言をそのまま見出しに持って来たのでしょうね。警察発表によるところの容疑者の供述でしょう。しかし普通は、

「他の職員も刺すつもり(だった)」

と書くべきところでしょう。本文を読んでいたら、

「田原容疑者は他の職員も襲うつもりだったと述べているが」

とありました。ここでは「地の文」なので、「予定」ではなく「(襲う)つもり」と書かれています。

他の新聞も見比べてみたところ、

(見出し)       (本文)

(産経)「他の職員も刺す予定」 「他の職員も刺す予定だった」と供述していることが

(読売)「他の職員も刺そうと」 「ほかの職員も刺そうと思っていた」と供述している

(毎日)「他職員も刺すつもり」 「できる限り他の職員も刺すつもりだった」と

供述している

(日経)「他職員も刺すつもり」 「他の職員も刺す予定だった」と話している

ということで、「朝日」と「産経」だけ、見出しで、

「刺す予定」

を取っていました。これは、「容疑者が本当に言った」のか、「警察の広報がそう言ってしまった」のかは、ちょっとわかりませんね。でも他の社は、意味を取って、

「刺すつもり」「刺そうと」

という日本語らしい表現に替えています。

中でも「日経新聞」は、見出しでは、

「刺すつもり」

と日本語らしくしていますが、本文の中では、容疑者が言ったとされる、

「刺す予定」

をそのまま使っているという「使い分け」をしている点が、他社と違う点でした。

(2019、3、6)

2019年3月 7日 19:02 | コメント (0)

新・ことば事情

7074「食べロガない」

女優の吉高由里子さんが出ている「食べログ」のコマーシャルで吉高さんは、飲み会の店を探しあぐねていた後輩と思われる男性(の声)に対して、

「食べログで探せばいいじゃん!」

と提案しているのに、なかなか「食べログ」を使わない後輩。最後にようやく「食べログ」で店を探して行ってみたら、とってお良いお店だったという状況で、

「だから、なんで最初から食べロガな~い!」

と言うのです。これは、

「食べログ」

という「固有名詞」の語尾が「ぐ」で終わっているので、まるで「動詞」のように「活用」させているのですね!つまり、

(未然形)「食べろが(ない)」

(連用形)「食べろぎ」

(終止形)「食べろぐ」

(連体形)「食べろぐ(時)」

(仮定形)「食べろげ(ば)」

(命令系)「食べろげ」

という「活用」ですね。その「未然形」の、

「食べろが(ない)」

を使っているのです!

「名詞」をこのように「動詞」のように活用させるところが、とっても印象に残るコマーシャルでした。

(2019、3、6)

2019年3月 6日 17:44 | コメント (0)

新・ことば事情

7073「ウィンウィンで阿吽」

3月6日午後4時半ごろ、日産前会長の、

「カルロス・ゴーン被告」

が、10億円もの保釈保証金を積んで、保釈されました。

その1時間ほど前に、フランスの大使館関係者の車とみられる、

「(外)〇〇〇〇」

という「外交官ナンバー」のプレートを付けた黒塗りの車に乗って、金髪の奥さん・キャロルさんと、黒髪の娘さんとみられる女性が東京拘置所に入って行きましたから、保釈されたら、その「黒い外交官ナンバーの車」に乗って出所?するのかと思っていたら、あにはからんや、何とゴーン被告とみられる小柄な男は、青い帽子をかぶり白いマスクをして、茶色っぽいサングラスをかけており、10億円もの保釈金を払った人が乗るとは思えない、屋根には三脚を積んでまるで町の工務店の業務用の車のような、

「銀色の軽自動車」

に乗り込んで出て行ったではありませんか!それを見ていた報道フロアの連中はみんな、「え!ウソやろ!?」

というふうに見ていました。

「これも弘中弁護士の作戦か?」

などと言いながら。

その「軽自動車」、やっぱり「日産」の自動車なのかな?でも、日産は軽自動車を出していたっけ?と思いながら調べてみたら、ありました!

「NV100クリッパー」

という車。ウィキペディアによると、この軽自動車は、

「日産自動車が販売しているセミキャブオーバー型軽ライトバン。初代は三菱自動車工業から、2代目以降はスズキからそれぞれOEM供給を受ける車種である」

とあり、販売カタログを見ると、

「160万円ぐらい」

します。軽自動車も、最近は結構、良いお値段、するんですね!

(※翌日、この軽ワゴン車を正面から捉えた映像で見ると「S」というマークが見て「スズキ」の軽自動車であったことがわかりました)

それにしても、日テレのカメラは、よく捉えていたなあ。他社はちゃんと撮れていなかったのではないかなあ?

そのゴーン被告の「保釈」についての解説をしていた「かんさい情報ネットten.」山川解説員、3度目の申請で「保釈できたポイント」として、

「弁護士が代わったこと」

を挙げていました。その中で、

「検察側と検察出身の弁護士が、お互いにウィンウィンの関係で阿吽(あうん)の呼吸で」

と話しているのを聞いて、

「ウィンウィンでアウン」

という、

「どちらも擬態語・擬音語(オノマトペ)ではないのに擬音語に聞こえるなあ」

と、本筋とは全く関係のないことを考えていたのでした。

(2019、3、6)

2019年3月 6日 17:43 | コメント (0)

新・ことば事情

7072「人工島の読み方」

報道のN記者が質問しに来ました。

「『人工島』の『島』の読み方は『ジマ』でしょうか?それとも『トー』でしょうか?」

「うーん、どっちもあるよねえ。以前、関西国際空港が出来たころ、もう20数年前だけど、『空港島』の読み方を『ジマ』か『トー』かで悩んで『トー』は『塔』と間違う恐れがあるので『ジマ』の方が分かりやすいんじゃないか?って話は、した覚えはあるけど。でも『ジマ』だと『重箱読み』になっちゃうしねえ。わかりやすいほうで、いいんじゃない?」

と答えてから、アナウンス部に電話して、電話に出た諸國アナウンサーに、

「今は、どっちで読んでる?」

と聞いてもらったところ、その時にアナウンス部にいたアナウンサー4人は

「ジマ」=3人

「トー」=1人

ということでした。

過去にその話について書いてないかどうか調べたところ、やはり私は書いていました。

15年前に「平成ことば事情1895空港島」で。

以下に引き写しますね。

****************************************

2004年9月4日、関西国際空港が開港満10周年を迎えました。

その前日、Sキャスターからの質問です。

「うちは『空港島』を『くうこうじま』と読むことにしてますよね。では現在、二期工事をしている島のことを『二期島』と表記した場合には、『にきじま』ですか?それとも『にきとう』ですか?それと『関空島』という表記をした場合には『かんくうじま』ですか?それとも『かんくうとう』ですか?」

「うーん。『空港島』を『じま』と読むのなら、すべて『じま』で統一すべきだろうなあ。『二期島』を『にきとう』って読んだら『二気筒』みたいだしなあ。そもそも『二期島』なんて言葉は、計画中と工事中にしか出てこない『お役所言葉』なんじゃない?完成したら、全体が関西国際空港の島になるんだし、そういう意味では、『二期工事中の島』とかなんとか、噛み砕いて言うようにしたら?それから『関空島』は『空港島』と同義だから、『空港島』しか使わないようにしたら、余計な議論は避けられるよ。」

ということで、「くうこう」という音読みと「しま」という訓読みが混じった「重箱読み」の「くうこうじま」が、存続することになったのでした。

また他局では、9月7日、毎日放送の田丸アナウンサーも、

「くうこうじま」

と読んでいました。

余談ですが、私たちの世代にとっては懐かしい番組に「ひょっこりひょうたん島」があります。去年からNHKで再放送していますが、あれは「じま」ですね、「ひょうたん」も訓だから問題ないのですが、「くうこうじま」と聞くと、なんとなく「ひょうたんじま」を思い出してしまいます。「くうこうじま」はどこへ行くー!?

(2004、9、14)

***************************************ということで、特にそれから進展はない感じですねえ・・・。あ、関西空港、今年、

「開港25周年」

になるんだ、9月になると!

(2019、3、5)

2019年3月 6日 17:42 | コメント (0)

新・ことば事情

7071「会談は成功だった?」

2月27~28日にベトナムのハノイで開催された「第2回米朝首脳会談」は、非核化で合意文書の署名には至らず、

「失敗」

と見られています。しかし、3月4日のお昼のニュースによると、アメリカのボルトン国務長官は、

「アメリカの国益を損なわなかったので、この会談は成功だった」

と強弁しています。

これって、どう、ひいきめにみても、

「勝ち点3を取るために、勝たなければならない試合」

において、

「勝てずに引き分けて、勝ち点1に終わった」

ような感じですよね。

「負けなくてよかった」

と言っているわけです。しかし、

「負けなければ勝ちか」

というと、そんなことはない。つまり、

「失敗でなければ、成功なのか?」

と言うと、そんなことはない。つまり、ボルトン国務長官の言うところの「成功」と、私達が思う所の「成功」では、

「成功の意味するところのボーダーラインが違う」

と、「アメリカ政府側」と「世界」の見方が違うということではないのかなと思いました。

(2019、3、4)

2019年3月 4日 19:03 | コメント (0)

新・読書日記 2019_028

『村井邦彦のLA日記』(村井邦彦、リットーミュージック:2018、1、22)

去年の秋にある合唱のコンサートで司会を担当しました。その際に歌った曲は「1971年に作られたフォークソング集」。曲紹介のときに、「翼をください」「虹と雪のバラード」の作詞家として、

「村井邦彦」

という名前を知りました。

そうしたら、その村井さん、その後は1980年代からはずっとアメリカのロサンゼルスで生活をしていて「自伝」を書いたという書評を読んで、これは読んでみよう!と本を取り寄せて読み始めました。若い頃の話で、パリ・ニューヨーク・東京を飛び回っていた1970年代、パリでは「シェルブールの雨傘」の作曲者であるミッシェル・ルグランとも仲が良かったと。また、高校生の頃のユーミンを発掘して、初アルバム「ひこうき雲」を作ったとか、細野晴臣とはウマが合ったとか、もう宝石箱のような話が。

途中までで「読みさし」になっていたら、ミシェル・ルグランが亡くなったというニュースを聞いて、「これは今、読まねば!」とまた読み出しました。

その中には、映像作家としてアメリカで活躍している息子さんの話も少し出て来る。

丁度読み終えたら、その息子さんであるヒロ・ムライが何とグラミー賞を取ったと!奇遇ですねえ・・・。勉強になりました!!


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(2019、2、11読了)

2019年3月 4日 19:01 | コメント (0)

新・読書日記 2019_027

『違和感のススメ』(松尾貴史、毎日新聞出版:2019、2、22)

2月19日、大阪ミナミの「ロフト・プラスワン・ウエスト」で行われたトークイベント「ロフトに政治を持ち込むな」に、元キッチュの松尾貴史さんと、元ほっしゃんの星田英利さんと、沖縄在住の芸人・せやろがいおじさんが出演するのを知って、聴きに行って来ました。「せやろがいおじさん」は実は奈良県出身の31歳。YouTubeで、猛スピードの関西弁を駆使して政治に関する一人しゃべりのマシンガントークを、ドローンを使って撮影された美しい沖縄の海をバックに赤ふんどし姿で体を張ってしゃべまくる動画をUPしていて、よく見ています。何と、このイベントの日の朝日新聞夕刊にカラーで対談記事が載っていて「奇遇だなあ」というか「タイミングがいいなあ」と思いました。

その際に「発売日前だけど」と言って20冊ぐらいかな、この本を松尾さんご自身が販売していたので購入しサインまで頂いてしまいました。イベント終了後も小1時間ほど、松尾さん・星田さん・せやろがいおじさんと飲みながら話をすることもできて、大変有意義な一時を過ごせました。

この本は、松尾さんが「毎日新聞」の日曜版に連載されているコラムで、大変上手な人物イラストも松尾さんの手によるもの。いつも「読みたいなあ」と思っていたのですが、実はなぜか「関西版にだけ載っていない」のです。本が出るのは知っていて、「これはもう、買うしかない」と思っていたら、イベントでの販売、まさに"渡りに船"でした。

この本の章立ては4つ。「第1章」の「永田町をめぐるあれこれ」で「政治」に関するコラム、「第2章」は「不健全な社会」ということで、世の中の様々な動きの中で、松尾さんにとって「気に食わない動き」に関して。「第3章」の「忖度するメディア」は松尾さんも関係している「マスメディア」にタイルする不満を、そして「第4章」、「変わりゆく言葉」ということで、「言葉の魔術師・松尾貴史」が気になる言葉遣いに関して。これは「第3章」には入れてもいいのにわざわざ「別に章立て」したところに、松尾さんの「言葉へのこだわる」があるように感じました。その「言葉」に関しては波長が合うので、私なんぞも、たまにお付き合いいただいていると思うのです。

第3章から、アナウンサーに関する苦言で、

「"私"は現場に立っています」

という話。必ず中継で「私は〇〇」という「ミーイズム」は、おかしいのではないか?と問題提起をされています。そう言われれば確かに・・・。

実は、各章における「コラムの数」には偏りがあります。

第1章=26

第2章=20

第3章=10

第4章=7

ということで、バランスで言うと第4章は、第3章に取り込んでも良かったかなあ。

最後に「おまけ」と言いますか、やはり「話のプロ」である落語家の立川志の輔さんとの対談もついていて、お得です。


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(2019、2、27読了)

2019年3月 4日 19:00 | コメント (0)

新・ことば事情

7070「780円・950円のアクセント」

1月12日、『嵐にしやがれ!』のラーメン特集を見ていたら、男性ナレーターが、

「780円」「950円」

という金額のアクセントが、

「ナ/ナヒャクハチジュ\ーエン」

「キュ/ーヒャクゴジュ\ーエン」

というように、

「アクセントの山が1つの形」

担っていました。これを、

「コンパウンド」

と呼びます。これまでなら、これは、

「ナ/ナ\ヒャク・ハ/チジュ\ーエン」

「キュ\ーヒャク・ゴ/ジュ\ーエン」

というように、

「2語に分けてアクセントの山が2つになる読み方」

が正しいとされてきましたが、どんどんこの「コンパウンド」は広がっているようです。

(2019、3、1)

2019年3月 1日 18:38 | コメント (0)

新・ことば事情

7069「『押した』って!!」

朝、電車に乗る時、前に並んでいた30代後半ぐらいの女性が、こういうのが聞こえました。

「『押した』って!」

これは、「独り言」にしては大きいが、「誰かに向かって言った感じ」ではありません。強いて言うならば、

「少し大きな声の独り言」

でしょうか?

これは私も気をつけないと、と思いました。テレビ画面に向かって文句を言うのは、家の中などでは特に害はありませんが、電車に乗る時や降りる時にこれをやると、それを耳にした相手が、

「ナンジャ、クォルラアーーー!!」

と、怒って殴りかかって来る恐れがあります。

心の中でつぶやく分には構いませんが(相手に聞こえないので)、それが気付かないうちに口から外に出てしまっては、大事故につながりかねません。

「気を付けよう!瞬間湯沸かし スピーカー」

「つぶやきは 心の中で」

ですね。

(2019、3、1)

2019年3月 1日 18:37 | コメント (0)

新・ことば事情

7068「御製と御歌」

2月24日に「天皇陛下御在位三十周年記念式典」が、東京・国立劇場で挙行されました。

首相官邸ホームページに掲載されたプログラムは以下の通りです。

https://www.kantei.go.jp/jp/headline/kouikeisyou_gishikitou/gozaii30_shikiten.html

天皇皇后両陛下御臨席

開式の辞

国歌斉唱

式辞

•内閣総理大臣 安倍晋三

祝辞

•衆議院議長 大島理森

•参議院議長 伊達忠一

•最高裁判所長官 大谷直人

•在本邦外交団団長サンマリノ共和国特命全権大使 マンリオ・カデロ

国民代表の辞

•福島県知事 内堀雅雄

•元参議院議員、元外務大臣、元環境大臣 川口順子

御製及び御歌朗読

記念演奏

天皇陛下おことば

万歳三唱

閉式の辞

天皇皇后両陛下御退席

この中にある、

「御製及び御歌朗読」

ですが、これは「御製(ぎょせい)」「御歌(おうた)」と読み、何か?と言うと、

・「御製」=天皇陛下が詠まれた詩歌

・「御歌」=天皇陛下以外の皇族が詠まれた詩歌

という違いがあります。いずれも「短歌(和歌)」ですね。このうち、

「御歌」

の読み方は、2月22日放送の「ミヤネ屋」では、

「おうた」

と読んだのですが。2月23日当日の「天皇陛下御在位三十年記念式典」で、「御製」と「御歌」を読まれた(ここは「読」む。「朗読」だから)波乃久里子さんは、

「みうた」

とおっしゃっていました。両方あるのですね。もしかしたら、

ご本人を前にしたときは「みうた」で、

ご本人がいらっしゃらないところでは「おうた」

なのかもしれません。これは思い付きですが。

(2019、3、1)

2019年3月 1日 18:36 | コメント (0)

新・読書日記 2019_026

『フェルメール展 図録』(2018年)

去年の年末、東京・上野の美術館でやっていた「フェルメール展」。東京では予約制だとかで行けなかったので、大阪の天王寺の市立美術館に2月16日に来たので、翌日に行ってきた。そんなに混んでいなかったよ。

「フェルメール作品」は6点。最後の方に固まっている。フェルメール作品としては最大と言われるものもあって、これまでのフェルメール観が少し変わった。

見終わってから図録を買って読んでみたら、あれ?この図録によると東京展には「フェルメール作品」が「10点」展示と書かれている。大阪展では「10-6=4点」少ないの?それなら東京でも見ておけばよかった!これはズルイ・・・。

主催はフジテレビ。大阪は関西テレビかな。何と図録の最後に載っているフジテレビ事業局の担当者の名前の中に、昔、うち(読売テレビ)の報道局でアルバイトをしていたY君の名前が!Y君、大阪にも10点、持って来てヨ!!

ちなみに、フェルメールの作品は全部で「35点」。あと「2点」、これまではフェメール作品と言われてきたが最近は「違う」と言われているものがあり、それを入れると「37点」。生物学者の福岡伸一さんは、「37点」という数に惹かれてフェルメールファンになったと「37」が「素数」だからだそうだ。これが「35」になったら「割り切れる」から、福岡センセは「フェルメールファンではなくなる」のだろうか?

私も、3分の1ぐらいは見たかもしれない。


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(2019、2、17読了)

2019年3月 1日 12:24 | コメント (0)

新・読書日記 2019_025

『壊れつつあるこの国の未来』(辛坊治郎、KADOKAWA、2019、12、20)

これは玉石混交のような感じ。とても勉強になり、なるほどなるほどフムフムと読み進めるところと、おいおい、それはちーがーうーだーろー!というところが混ざっている。美味しい炊きたてのご飯を食べていたら、ジャリッと小石が出てくるような感じの違和感。

一貫して辛坊さんは、法律の大切さ・法治主義の重要性と、この国の未来・若者たちの将来を心配しているのはよくわかる。そのために邪魔になるものは、たとえ人道的に非難されても主張するという態度なのかもしれない。 辛坊さんは「法律万能主義」というか「厳密な法治主義」。私は「法は良き運用」という「人治主義」かも。

本書では、「第1章」で官僚と政治家の劣化を憂い(野党の政治家を斬り、返す刀で与党の政治家も斬る)。

「第2章」で北朝鮮を斬る、去年6月の第1回米朝会談の話も出てくるから、今読むといいかもしれない、復習と予習を兼ねて。(「第2回米朝首脳会談」の前日に書きました。)

「第3章」が、私は一番辛坊さんらしくて勉強になる章だと思いました。さまざまな事件や新しい技術などに関しての、理系に詳しい文系ジャーナリストとしての見方が示されています。最後の「第4章」は、周りの者どもを斬って来た刀を「自らの側」=「マスメディア」「ジャーナリスト」に向ける「メディアを巡る闇」。この闇は深い。一読の価値はあります。


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(2019、2、8読了)

2019年3月 1日 12:22 | コメント (0)

新・読書日記 2019_024

『なぜ日本の会社は生産性が低いのか?』(熊野英生、文春新書:2019、1、20)

「働き方改革」が叫ばれ、この4月からは「改正労基法」が施行されるこの時期、興味深いテーマ。長時間労働を減らして能率を上げる、生産性を向上させるには、どうすればいいのか?そもそも、なぜ日本は生産性が低いのか?(だから長時間労働になり、残業が増える)

その謎を解くべく読みだした。

「旧日本軍」の失敗から、「それと逆の作戦」を取ればよいというところから始まる本書。その「作戦」は、次の3つ。

  1. 生産性を引き上げるために現場が予算を使い、投資が出来ること(物量重視)

  2. 技術の優秀さよりも継続して儲ける方(フレーム)をつくること(持久戦志向)

  3. 新しいテクノロジーを採用し、外部環境の変化に対応すること(判断の柔軟性)

だそうだ。

構造改革への舵切りを間違った大本は「成果主義」の導入であったと。この制度の欠点は、仕事の中には「個人の貢献」では測れない・データ化できない部分が無数にあることと、成果の評価が恣意的になったことだそうだ。そんなことみんな、最初から分かっていたことだが。それによってモチベーションが下がった。士気が下がった。当然でしょうね。

また、パソコンの普及で「ワンオペ」の傾向に拍車がかかったことが「生産性」を低くしていると。個人の業績を突き詰めれば突き詰めるほど「ワンオペ化」が進む。そうだなあ・・・。そして今言われている「働き方改革」が「脱時間給」で、それは結局(失敗に終わった)「成果主義」に行き着くのだと。

本書は途中からデータ・表が増えて、ちょっと難しくなったが、結論めいたというかポイントとなった言葉をピックアップする。

「働き方の生産性を高めることを通してしか、1日の労働時間を短くすることはできない」

「長時間労働を自制できない人は、どの職場にも必ずいる。企業側が強く指導するか、もしくは脱時間給をあてはめないかいずれかでしか防止することはできないだろう」

「個人の成果を追求する姿勢が、企業の業績に本当に寄与するのか(中略)短期的かつ刹那的な利益追求志向に陥る弊害」

「中長期的な利益を重視するものに対して、成果主義はそういった要請に応えにくいシステム」

「最大の問題は、成果主義を謳っているのにもかかわらず、成果が正しく分配されないことである」

「経費削減したまま生産性向上を求めようとする愚」

「生産性を高めるためには、時間をかけて『人づくり』をするしかないのだ」

「『目線』の高さが生産性アップにつながる」

まあ、簡単には難しいということは、よくわかりました。

経営者から労働者まで、みんなが同じ意識を持って戦う・働ける企業であれば、生産性を上げることができるのかも知れないなと思いました。しかし・・・そんな企業、ある?

あと、私が通勤途中に思いついて呟いた言葉も、UPしておきますね。

「一定の仕事量があって、限界まで効率を上げた場合に、その仕事にかかる時間を減らすには、二つの方法しかない。

一、全体の仕事量を減らす。

二、仕事に関わる人数を増やす。

『働き方改革』とは、この当たり前のことを経営陣が認識して対応することではないか?」と。



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(2019、2、13読了)

2019年3月 1日 12:21 | コメント (0)