新・読書日記 2019_008
『平成論~「生きづらさ」の30年を考える』(池上彰、上田紀行、中島岳志、弓山達也、NHK出版新書:2018、9、10)
ことしの4月30日で「平成」が終わる。30年と4か月という、まさに「1世代」を顧みて、その時代がどういう時代であったのかを4人の論者が論じるが、これが4人共「東京工業大学」の先生。この大学は理系の大学なのに「リベラルアーツ」=「一般教養」に力を入れているという。理系の大学だからこそ、らしい。
4人それぞれが、少しずつ分野も違うので、それぞれの視点から述べている。
*「第1章」池上彰=「ジャーナリズム的視点」から「世界のなかの平成日本」
これはいつも読んでいる本で書かれていて読んでいるので大体想像がつく内容で、教科書的によくまとまっている。
*「第2章」弓山達也=「宗教から見た平成」ということで「スピリチュアルからスピリチュアリテッィへ」。この視点は新鮮だった。確かに「平成」に入ると「自然災害」が続発して、「オウム真理教」の事件があって、その後の「スピリチュアル・ブーム」。安倍昭恵首相夫人がスピリチュアルにのめり込んでいるという内容が記されている。神道・日本会議、戦前への回帰など、宗教と政治という視点も欠かせないだろう。宗教に頼るのは、現実社会が生きる幸せという意味で、十分に機能していないことの表れとも言えるだろう。
*「第3章」上田紀行=これも宗教の視点から「仏教は日本を救えるか」。「平成に起こった二つの敗戦」により「心の時代」が始まり「批判的思考が停止してしまった」と読み解く。
*「第4章」中島岳志=一番の若手は「宗教とナショナリズムの時代」と「平成」ヲ読み解き、「平成ネオ・ナショナリズムを超えて」と題して「1995年」がその大きな分岐点であったと見る。それは一般の方も同感だろう。中島もまた弓山のように「スピリチュアリティとナショナリズムの融合」について説く。普段、スピリチュアルに全く興味のない私としては、その視点はなかった。単なる流行・ブームだと思っていたが、その流行の下の深層心理が、現実社会にこんな影響を与えるとは!
中島岳志はまた、ロバート・D・パットナムの『孤独なボウリング』を紹介している。
1960年代のアメリカは、ボウリング場に行くとみんなが地域でボウリング大会をしていたが、今は地方のボウリング場に行くと、おじさんが一人でボウリングをやっている。それは「アソシエーション(社会集団)」が弱ってきたからだ。「アメリカン・デモクラシー」が弱くなったのは「中間共同体」がボロボロになっているからというのがパットナムの見立て。
そして「アソシエーション(社会集団)のあり方」には2種類あるという。それは、
「ボンディング」と「ブリッジング」
だそうです。
*「ボンディング」=強い絆→排除の論理、村八分。インクルージョンの中にエクスクルージョンが含まれてしまう。
*「ブリッジング」は、梯子をかける。町内会しかない社会がダメ。町内会にも出てNPOにも行って、別の日は習い事で友達がいる。これをどう構築するか。寺は、檀家の囲い込みで「ボンディング」に絞りすぎている。どう、外の人を取り入れるか。網野善彦の書いた「無縁」という空間としての寺。有縁はがんじがらめの寺、ボンディング。
なるほど、「縛りのキツイ組織」(「ボンデージ」のような?)と、「緩い繋がりの組織」があるというのですね。それはわかる。そして現代は「ボンディング」が行き詰まりを見せているので、「ブリッジング」に変えていくべきではないか?という主張ですね。
また、自分が価値ある存在として意味付けられる場所を哲学では「トポス」と言うそうだ。
そういえば、そんな名前のスーパーがあったな。哲学的スーパーマーケットだったのか。
いろいろと勉強になりました!
(☆4つ半)