新・読書日記 2018_164
『ディアスポラ』(勝谷誠彦、文藝春秋:2011、8、5)
ことし11月28日に57歳で亡くなった「勝谷誠彦さん」の本。
実は出てすぐに買ったが、怖くて読めなかった。追悼の意味を込めて読んだ。
「ディアスポラ」とは「民族離散」「故郷喪失」。普通はユダヤ民族に使われる。
この一冊に、表題作の「ディアスポラ」(初出『文學界』2001年8月号)と「水のゆくえ」(初出『文學界』2002年6月号)の2つの物語が収められている。共に「純文学」である。そして、この単行本の帯には、作家・島田雅彦氏の推薦文がこう記されている。
「モーゼも絶対伸も持たない迷える民族(=日本人)は ディアスポラに耐えられるのか?この小説には一つの答えが隠されている」
そして編集部がつけた文章は、
「"あの事故"で居住不能になった日本。十年前に描かれていたポスト・フクシマの世界!」
そう、この小説が書かれたのは「2011年3月11日」の「福島第一原発の事故」の「10年前」なのだ。そして、単行本が出たのは、その5か月後だ。私も「帯」の文字と同じことを考えていたので大変興味があったのだが、
「勝谷さんが、この事故を受けて書いたものだ」と勘違い(早とちり)をして、「不謹慎な・・・」と思って読まずに(読めずに)いた。それでも買って置いておいたのだが、著者(勝谷さん)が亡くなったのを機に読んでみた。すると「3.11」のあの事故を機に書かれたものではなく、まさに「予言の書」であった・・・。
原発が50基もある日本列島では、こういう日が来るだろう。そして住めなくなってしまった日本列島から逃げ出し「移民」となった日本人たちが、一体、どのようになるのか。その「シミュレーション」の書とも言える。勝谷さんが考えていたことが、うかがい知れる一冊だ。
勝谷さんは早稲田の文学部出身(生まれ年では1年先輩だが、卒業は同じ。ほぼ同じ時期にキャンパスにいたんだなあ・・・)で、「早稲田文学」にも書いていたんだよね。すごく「擬態語」にこだわっているなと思った。「ディアスポラ」のテーマの一つは「チベット」「鳥葬」。つまり「人の生死」「葬送」で「民族」「故郷」「心の・民族のよりどころ」というようなことを描いている。「放射能に汚染」され「故郷」を失った場合に「いかに生きて行けるのか」。
・「電子レンジの中でチリチリと焼かれているような日中」(9ページ)
・「ヤクの干肉だ。なけなしの油をまといながら、ちりちりと熱に反り返っている。」(38ページ)
・「ちりちりと胸の奥が痛んだ」(172ページ)
勝谷さん「ちりちり」という音が好きなのかな?
・「彼の別の顔が人のよさげな表面をむりむりと割って現れたようでもあった」(105ページ)
「むりむりと」は、あまり見ない表現。「よさげ」も私は使わないなあ。
本を読んで、追悼。合掌。