新・ことば事情
12月28日のテレビ朝日のお昼のニュースで、「添い寝授乳」させていた赤ちゃんが亡くなった事故に関する裁判のニュースを放送していました。その冒頭で、
「母親『と』添い寝していた赤ちゃんが死亡した事故で」
というコメント(原稿)があったのですが、これは、
「母親『が』添い寝していた赤ちゃん」
じゃないの?と思いました。
12月28日のテレビ朝日のお昼のニュースで、「添い寝授乳」させていた赤ちゃんが亡くなった事故に関する裁判のニュースを放送していました。その冒頭で、
「母親『と』添い寝していた赤ちゃんが死亡した事故で」
というコメント(原稿)があったのですが、これは、
「母親『が』添い寝していた赤ちゃん」
じゃないの?と思いました。
12月28日の読売テレビ・お昼のニュースで、入社2年目の岩原アナウンサーが、滋賀県の「三井の晩鐘」で有名な「三井寺」を「中高アクセント」で、
「ミ/イ\デラ」
と読んでいたのに違和感がありました。
私なら、
「ミ\イデラ」
と「頭高アクセント」で言うなあ。関西アクセントかなあ。標準語的には恐らく「平板アクセント」で、
「ミ/イデラ」
じゃないのかなあ。『NHK日本語発音アクセント新辞典』にも載ってませんでした。
2018年・平成30年「日本で一番激動の一年を過ごした人」の一人は、間違いなく、
「元・貴乃花親方」
ではないでしょうか。昨年末の弟子への傷害事件、降格、理事選敗退、弟子の暴行事件、一兵卒からのやり直し、一門崩壊、部屋の消滅、引退、離婚、息子も離婚・・・。まあ、自分の部屋から移籍した直後の弟子が幕内最高優勝を遂げるという"うれしいニュース"もありましたが、「悲しいニュース」が多い。改めて振り返ると、すさまじいですね。
中でも息子・花田優一氏(23)の離婚というのが最新の「悲しいニュース」でしょう。
その優一氏は「靴職人・デザイナー・タレント」という、いくつかの肩書を持っています。メインの仕事「靴職人」に関しては、10代でイタリアに渡って3年間、靴製作の「しゅぎょう」をしたそうです。この「しゅぎょう」を漢字で書くと、
〇「修業」
が正しいのですが、間違って、
×「修行」
と書いて来るディレクターが多いです。たしかに区別が難しい。そこできょうは、簡単な見分け方をお教えしましょう。
*「修業」=職業の訓練(フィジカルな技術を身につけること)
*「修行」=精神の訓練(メンタル面を鍛えること)
なのです。シンプルでしょ?
優一さんは「靴職人」という「職業の訓練」ですので、「修業」なのです。
しかし、今回の騒動を通じて人間としての生き方が鍛えられるのであれば、現状は「修行中」なのかもしれません。
父である元・貴乃花親方は、
「靴職人としての『修業』もまだまだだし、そもそも"プロの職人"としての精神面の『修行』が、まだまだ足りない」
と思っているようですね。
『アメリカ』(橋爪大三郎大澤真幸、河出新書:2018、11、30)
ことしは、DA PUMPの「U.S.A」という曲が流行ったが、この本も「USA」について書かれたものだ。河出書房新社が初めて出した「新書」シリーズのようだ。
本を開いて鼻を近付けたら、小学校の時に夢中になって買って読んだ「江戸川乱歩」の「ポプラ社の本」と同じ匂いがした!匂いの記憶・・・。
「2018読書日記180」で書いた『教養としての聖書』(橋爪大三郎、光文社新書:2015、3、20)と同じ著者だったので、これは勉強になるだろうと思って購入。対談形式。対談相手の大澤真幸さんは、大変難しいお話をする方なので「どうかなあ・・・」と思ったら、案の定、大変高度なレベルの内容になったので、半分も理解できたかどうかわかりません。でも、「アメリカ」という国を理解するためには「宗教」つまり「キリスト教」を理解しなくてはならないということは、よくわかった。
そして、ヨーロッパは「カトリック」がベースで、宗教改革後の「プロテスタント」の中でも、より「一神教」的視野を持った人々が「新世界=アメリカ」に渡り、その中でまた、細かく分裂していったということなどは、分かった。
そして今「福音派」の人たちが主流であると。日本人に、なかなか理解できない「肌感覚の宗教」(まあ、日本人にとっては「仏教」や「儒教」がそういうものなんだろうけど)があり、それを理解することがアメリカを理解することに通じるということは分かりました。ああ、難しかった
12月26日の日本テレビ「news every.」で、チェーン店の「串カツ田中」が、この年末に急に4軒が閉店になるという「ニュース」を放送していました。
その際に「閉店」となった当該店舗ではないが、チェーン店の「別の店」を取材して「イメージ」として放送していました。その店の名前が、
「渋谷百軒店店」
というスーパーが。あれ?「店」が1つ多いのでは?でも、普通は間違えないよね・・・と思って調べてみたら、やはりスーパーは正しい。つまりこれは、
「渋谷百軒店」
という「地名」で、そこにある店舗だということでした。ちなみに「百軒店」は、
「ヒャッケンダナ」
と読むのだそうです。「ヒャッケンダナテン」なのですね。勉強になりました。
『教養としての聖書』(橋爪大三郎、光文社新書:2015、3、20)
クリスチャンではないが、合唱をやっているので、いろんな場面で「キリスト教関係の物」が出て来る。私は全然、その方面の知識がないのだが、でも合唱を通じて断片的には「聞いたことがある」ことはたくさんある。キリスト教圏、つまり欧米では「基礎知識」なのだろう。そういったことを少しでも知ること、断片的な知識をつなぐことができれば、国際理解・文化理解に通じると思い、興味を持って読んだ。講義形式で橋爪さんが話している感じの本なので読みやすい。
講義は「6回=6章」に分かれており、「創世記」「出エジプト記」「申命記」「マルコ福音書」「ローマ人への手紙」「ヨハネ黙示録」について説明されている。
と言われても、わからないけど、読んでみたら「出エジプト記」は、現在の「外国人労働者問題」「移民問題」に通じると感じた。何千年も前からある問題じゃないか!!
また、「ヨハネの黙示録」には、7人の天使がラッパを吹き、最後の7番目のラッパが鳴った時に「最後の審判」が行われると。あ!この間、京都国立近代美術館で見た「藤田嗣治展」で、ラッパを吹く天使の姿が描かれていたが、あれは「ヨハネの黙示録」、「最後の審判」につながる絵だったのか!と思った。
また、9月に歌った「黒人霊歌」の中で、やはり「トランペットが吹き鳴らされる」という歌詞(英語)があったが、あれも「最後の審判」を表していたのか!
というように、いくつかの断片がつながった。まさに、
「目からうろこが落ちた」
状態ですね。勉強になりました。
『少しかしこくなれる単位の話』(ナイスク、笠倉出版社:2015、2、11第1刷・2017、10、8第5刷)
「単位」っていろいろあって難しい!
常にそう思っています。
一番覚えられないのは「アール」「ヘクタール」など。これを「平方キロメートル」に換算するには?いまだに、いちいち表を見て計算しないとわからない。きっと、死ぬまで覚えられないだろう。まあ、覚えなくてもいいか。
なんでこの本を買ったかというと、最近「容量の単位」で「リットル」を、昔は「筆記体の小文字」で「ℓ」だったのが、最近は「ブロック体の大文字」の「L」になっているが「ミリリットル」の表記はバラバラ。そのあたりの基準はどうなのか?を知りたかったからだが、それの回答はなかったな。自分で調べなくちゃな。
そのほかで「へえー」と思ったのは、「紙の縦・横比」。
「二つ折りにしても比率が変わらない」
のだそうです。「1:√2」なんですって。つまり裁断したら半分の大きさになるけど、その形は「元の形と同じ」で小さくなったということか。ふーん。
『大阪的~「おもろいおばはん」は、こうしてつくられた』井上章一、幻冬舎新書:2018、11、30)
「大阪人の特徴は?」
と言われたときの印象は、やはり、
「おもしろい」「がめつい」「阪神ファン」
などの反応が出て来るであろう。しかし著者は、
「それは違う!」
と反論する。そういった「大阪人」「大阪」のイメージは、テレビ局などによって、たかだかここ数十年で作り上げられたものなのだと。そして、
「大阪のおばちゃんは、みんなヒョウ柄の服を着ている」
というのも、
「全員ではない」
と否定するが・・・これはちょっと、否定する力は弱くなる。
当たり前なのだが、大阪に住んでいる大阪人全員が、そういった特徴を備えているわけではない。「全員そうだ」というイメージは、外向けに作り上げられたものだという話なのかなあと思った。
まさにそういったイメージを作っている「在版のテレビ局」であるわが社は、「秘密のケンミンSHOW」という番組で、各都道府県ごとの県人の特徴をステレオタイプ化して楽しむ番組を作っている。自分をも客観化して笑える人と笑えない人がいて、結構、怒って来る人もいるんですけどね。まあ、仕方ないけど。
著者は、京都の西のはずれで生まれ育って、洛中の京都人からは「京都人ではない」という烙印を押された恨みを、通奏低音的に持っている。関西人ではあるが、京都人でもなく大阪人でもなく、でも京都人であり大阪人でもあるという視点から、東京など他地域に対するときは「関西に人になる」。そういった相対的な立場を述べつつ、「大阪的」のエキスとは何なのか?を読み解いていく一冊。
『ブラック・ジャック12』(手塚治虫、秋田書店:1988、12、25・1990、9、20第12刷)
「トリュフォー先生」という名前の医者が出て来る。ブラック・ジャックを歓迎する。本当にすごい力のある医師(人)は、「(医師)免許のある・なし」など気にしないのだろう。実力あるブラック・ジャックを認めている。無免許医師にこだわるのは、権威主義の、本当の実力のない医師、と描かれている。本当にすごい医師に「トリュフォー」と名付けた手塚治虫、間違いなく「映画好き」なのでしょう。だって、漫画に映画の手法を取り入れたことが画期的!と多くの少年に思わせ、彼に続く多くの漫画家を産み育てた人ですからね。
この12巻では「超能力ブーム」のほか、タモリが出てきて、彼に一言「笑っていいとも」と言わせている。狼に育てられた少年、ライオンキング、マタギとクマなど、動物ネタも多い。そして最終話は、漫画家の永井豪に似た顔の、いつも笑っている同級生・通称「ゲラ」の死。唐突な最終回だ。秋田書店の「少年チャンピオン」に連載されていたのだな。
この続きは、なかったのだろうか???
一応、この12巻でオシマイ。
『ブラック・ジャック11』(手塚治虫、秋田書店:1988、8、15・1991、2、25第16刷)
過去のトラウマで手術できなくなるブラック・ジャック。子供が主人公の話が多くなった気がする。
12月24日の「ミヤネ屋」で、「レスリング女子」で予選と決勝で2度対戦した、
「伊調馨選手と川井梨沙子選手」
という共に五輪金メダリストについて、この二人を指して、
「両雄が激突」
と「両雄」を使っていいのか?と、担当ディレクターから質問を受けました。つまり、
「女子選手に『雄』という漢字を使うことに違和感がある」
ということです。なるほど。気にしたことはなかったですが、たとえば、
「痴漢」「大食漢」「悪漢」「卑劣漢」
などの、
「漢」
は「おとこ」の意味なので、女性には使えません。それと同じかな。
ということで「両雄」はやめて「女王」にしたら?とアドバイスしましたが、結局シンプルに、
「この二人が」
にしたとのことです。
しかしそもそも、
「両雄」=「英雄2人」
ということだから、
「女子に『英雄』は使えないのか?」
いう根本的な問題が。「ヒーロー」に対して「ヒロイン」はあるが、「英雄」に対する「女性形」はあるのかな???
「女傑」「女丈夫(じょじょうふ)」
あたりかもしれませんが、しっくりきませんねえ・・・。
『ブラック・ジャック9』(手塚治虫、秋田書店:1988、4、25第1版)
本の帯に、
「定価1000円(本体971円)」
と書かれていた。あれ?もうこの頃、消費税は導入されてたか?
と思って調べると、消費税導入は「1989円4月」。この本の奥付は「1988年4月」。消費税施行前だ。おかしなあ・・・。
あ、わかった。これは「第9巻」なので、それほど売れ行きが良くなかったので、「在庫」として1年以上、残っていたのではないか?それを私が「消費税施行"以降"」に購入したのではないか?他の「巻」は大体「1991年」に買っているから、これもそのタイミングだろう。そこで書店では「帯だけ、消費税付きのもの」に差し替えていたのではないか?これは、来年10月以降に出て来るであろう現象ですよね!
この「第9巻」では「イリオモテヤマネコ」が出て来る。子どもと国会議員とイリオモテヤマネコが船の上でケガをした。そのときにブラック・ジャックが選んだ「治療の順番」は?「トリアージ」の問題ですね。「命の優先順位」。命の前には「人間社会での権威」は関係ないと。もともとブラック・ジャックの前には、そんなものは通用しないのだが。「平等」の思想。
そのほか、難病の「エリテマトーデス」の女性患者と「筋萎縮性側索硬化症」の男性患者が結婚。ブラック・ジャックの若かりし非・研修医時代の話として。
「第9巻」は、ピノコが最初に出てきてから、あまり出てこなかったなあ。ピノコの役割とは?狂言回し?
『自由からの逃走』(エーリッヒ・フロム著・日高六郎訳、東京創元社:1951、12、30初版・1965、12、15第27版(新版)・1981、10、12第83版)
大学時代に買って読みかけたままになっていたが、大学を卒業して35年、当時はよくわからなかったこの本のタイトル「自由からの逃走」が、実は今の日本の現状・現象を読み解く「キーワード」なのではないか?と思って、何とか通して読み終えました。
『かれは「...からの自由」の重荷にたえていくことはできない。かれらは消極的な自由から積極的な自由へと進むことができないかぎり、けっきょく自由から逃れようとするほかないのであろう。現代における逃避の主要な社会的通路はファッシスト国家におこったような指導者への隷属であり、またわれわれ民主主義国家に広くいきわたっている強制的な画一化である。』(151ページ)
個人の内部でおこっていることがらを明らかにしよう。そして孤独と無力とから逃れようとするとき、われわれは、新しい型の権威に従属したり、あるいは既成の行動様式に強制的に順応したりすることによって、われわれの個人的自我からどのようにして脱出しようとしているかを示そうと思う。』(151ページ)
『自由からの逃避の最初のメカニズムは、人間が個人的自我の独立をすてて、その個人にはかけているような力を獲得するために、かれの外がわのなにものかと、あるいはなにごとかと、自分自身を融合さようとする傾向がある。』(159ページ)
『マゾヒズム的努力のさまざまな形は、けっきょく一つのことをねらっている。個人的自己からのがれること、自分自身を失うこと。いいかえれば、自由の重荷からのがれることである。このねらいは、個人が圧倒的に強いと感じる人物や力に服従しようとするマゾヒズム的努力のうちにはっきりあらわれる。』(170ページ)
『非合理的な合理化の例は、よく知られている笑い話のうちにみられる。隣人からガラス瓶をかりたひとが、それをこわしてしまう。そして、返してほしいと請求されたとき、かれはつぎのように答える。「第一に、それはもう返したはずだ。第二に、かりた覚えはない。第三に、かりたとき、すでにこわれていた」と。』(213ページ)
「逃走は闘争を避ける」ということか。
『デモクラシーは個人の完全な発展に資する経済的政治的諸条件を創りだす組織である。ファッシズムはどのような名のもとにしろ、個人を外的な目的に従属させ、純粋な個性の発展を弱める組織である。』(300ページ)
そして私が、「現・安倍政権が『サディズム的傾向』を持っているのでは?全くこれじゃないか!」と思ったのは次の一文です。
『サディズム的傾向には、たがいにからみあってはいるが、三つの種類がある。第一には、他人を自己に依存させ、かれらに絶対的無制限的なちからをふるい、「陶工の手の中の陶土」のように、かれらを完全に道具としてしまうものである。もう一つは、他人を絶対的に支配しようとするだけではなく、かれらを搾取し、利用し、ぬすみ、はらわたをぬきとり、いわばたべられるものはすべてたべようとする衝動からなりたっている。この欲望は、物質的なものにも非物質的なものにも、たとえばひとが提供する感情的知的な性質のものにもむけることができる。サディズム的傾向の第三のものは、他人を苦しめ、または苦しむのをみようとする願望である。』(162ページ)
「人間」じゃない、「悪魔」ですね、これはもう。
『ホッブスからヒットラーにいたるまで、支配の願望を、生物的に条件づけられた適者生存のための闘争の論理的結果と説明するものにとっては、権力への渇望は、なんの説明も必要としないほどあきらかな人間性の一部であると考えられている。』(165ページ)
『ブラック・ジャック8』(手塚治虫、秋田書店:1988、2、20第1刷・1991、2、25第19刷)
ピノコ、かまいたち、ヤクザの親分の全身入れ墨、権威を振りかざす大先生の下での血栓手術、ひき逃げ記憶喪失・恋愛、大作家が、自らの命を懸けて国民的作品のエンディングを書くプロの姿勢、殺し屋とヤミ医者のプロ意識とリスペクト、ドクター・キリコの最大の失敗。読み応えあり!
もしかしたらこの時期、「漫画」から「マンガ」に変化が起きる中で、手塚治虫は「プロの漫画家」としての「意地」のようなものを感じていたのかもしれないなと思った。
「ゲイラ・カイト」が出てきた。1970年代前半かな、流行ったのは。最近、見ないな。
『ブラック・ジャック7』(手塚治虫、秋田書店:1987、12、30第1刷・1991、2、25第19刷)
ピノコのモデルになった女の子に「ロミ」という子がいた。必死でその子の命を救おうとしたブラック・ジャックだったが・・・。
命を助けてくれた「Rhマイナス」の輸血がつなぐ絆、クマと人間の友情、雷対応ガラス製のメス。いろんなシチュエーションが「読み切り」で出て来る。命を巡る闘い。
『ブラック・ジャック6』(手塚治虫、秋田書店:1987、11、15第1刷・1990、5、5第11刷)
最後は死神の化身・ドクター・キリコと対決。
無免許医師ブラック・ジャックに医師免許をやろうという動きは何度かあるが、その度に「いらない」と。なんで無免許でも医者をできるの?そもそも、なぜ無免許なのかがわからない。ドラマの『ドクターX』は、医師免許はあるよね?同じく米倉涼子が出ている『リーガルV』は、弁護士資格がないけど。最近、非弁行為で捕まってるけど、あれって『リーガルV』の設定は、大丈夫なのかな?他局ですが。
『ブラック・ジャック5』(手塚治虫、秋田書店:1987、10、5第1刷・1991、9、20第22刷)
冒頭見開きがカラーで、大病院の大先生の回診を大名行列になぞらえている。まるで『白い巨塔』か『ドクターX』。
プラック・ジャックは三流医大出身らしい。関係ないよね。
ピンク・レディーの『UFO』をピノコが踊るシーンが出てくる。1977年12月リリース。その頃に描かれたのだろう。
「狼少女」も出て来た。そういえば、そんなこともあったな。
人気女性歌手を巡る替え玉整形手術なども。時代を思い出しながら読む。
『ブラック・ジャック4』(手塚治虫、秋田書店:1987、8、15第1刷・1991、1、5第25刷)
金持ち坊ちゃんの学生運動テロ。70年安保の名残り。三菱重工ビル爆破事件などありました。助手ピノコが「青酸カリ」を飲んでしまう。「青酸コーラ事件」ありましたね。「昼のサスペンスドラマ」、このころから流行っていたのか。などなど、より「ジャーナリスティック」に「世相」を切り取りながら、漫画を成立させています。
中国のスマホメーカー、
「ファーウェイ」
の副社長兼最高財務責任者(CFO)の、
「孟晩舟氏」
が、カナダのバンクーバーで捕まり、8億4000万円もの保釈保証金で保釈されたというニュースが、ここ2週間ほど世間をにぎわせています。正直、「ファーウェイ」という会社を知らなかったのですが、このニュースで一気にその名を知りました。
この「ファーウェイ」を漢字で書くと、
「華為(技術)」
だそうです。それで思い出したのは、気温の、
「華氏」
です。「°F」の記号が使われます。アメリカなんかは「華氏」ですね。
そういえばマイケル・ムーア監督の「華氏119」、こないだ公開されていましたが、その昔にムーア監督は「華氏911」でその名を知られましたね。
この「華氏」は、1724年に提唱された「気温の単位」で、真水の凝固点を「32°F(華氏温度)」、沸騰点を「212°F(華氏温度)」として、その間を「180等分」して「1°F(華氏度)」としているそうで、ネーミングは、提唱者であるドイツの物理学者である、
「ガブリエル・ファーレンハイト」
に由来します。「ファーレンハイト」を漢字で書いた場合に、最初の文字が、
「華」
で、その音を発音すると、
「ファー」
何ですね。つまり、
「『ファーウエィ』の『ファー』と、気温の『華氏』の『華』は同じ」
ということなんですねえ。それに気付いたという、それだけのことなんですけどね。
ちなみに、日本で使われている気温の単位の「℃」は、
「摂氏」
で、これを考案した人が、はスウェーデンの天文学者、
「アンデルス・セルシウス」
で、その名前から来ています。「セルシウス」の頭文字が「C」なんですね。1742年に考案したそうです。
12月14日の「ミヤネ屋」で、宮内庁の文化祭の話題を取り上げました。一般には公開されていないそうですが、天皇皇后両陛下をはじめ、皇族の方々の作品も展示されているそうです。その中で、皇后さまが出されたお歌は、
「君とゆく 道の果たての 遠(とほ)白く 夕暮れてなほ 光あるらし」
というもの。
来年(平成31年=2019年)4月末での退位(譲位)を控えられた天皇陛下に、昭和34年(1959年)の皇太子時代から60年近く、ずっと寄り添って来られた皇后・美智子さま。陛下が「天皇」の務めを無事果たされて「上皇」になられても、
「夕暮れて なほ 光あるらし」
という未来を見据えた、素晴らしいお心ざしを感じさせるお歌ですよね。あの、
「志を果たして いつの日にか帰らん」
という「ふるさと」の3番の歌詞を髣髴させるような・・・。
この中の「道の果たての」の、
「果たて」
という言葉は、初めて知りました。「はたて」と読みます。辞書を引くと、
「果て」
と意味は同じで、用例は何と「万葉集」でした。古くからある言葉なんですね。勉強になりました。
よく考えたら「果て」も、
「果つ」の語幹+「(方向を意味する接尾語)て」→「果」+「て」=「果て」
「て」は「行くえ」の「え」と同じ「方向」の意味でしょう。
(「果てる先」→)「果たて」→「果て」
と変化して来たのではないでしょうかね。
『サブカル勃興史~すべては1970年代に始まった』(中川右介、角川新書:2018、11、10)
中川さんの最新刊。全く、ものすごいペースで本を出されますね。読むのが追っつかない。しかし前著『1968年』(朝日新書)に続いて、今度の『サブカル勃興史』は、サブタイトルに、
「すべては1970年代に始まった」
とあるので、本は違うけど、一連の時代の流れを切り取った中では「続き物」のようにも感じられました。
帯には、
「少女漫画も歴史をたどれば 宝塚歌劇を原点に持つ『手塚治虫』に行き着く」
とあります。今年は「手塚治虫生誕90年」でもありますね。
「国民的エンタテインメントの原点を紐解く」
とも。「読み解く」の意味での「紐解く」ですが、本を紐解いていっているので、その意味では正しい使い方でしょう。
「はじめに」で中川さんは、
「一九七0年代にはまだ生まれていなかった方には『歴史』として、僕と同じ世代の方には『共通の記憶』として、楽しんでいただければと思う」
と書かれているが、正にその通り。「同じ世代」なので「共通の記憶」である。それは「時代の記憶」でもある。それがマンガで、そしてテレビのアニメで(当時は「アニメ」とは言わなかったが)たどれる。
本の中で中川さんは、
「今でも主題歌を歌えるかどうか」
で、「そのアニメをしっかり見ていたかどうか」を判断しているようだが、これはまさに「共通の記憶」で、たしかに、「よく見ていた番組は今でも主題歌を歌える」のである!この件に関しては、11月23日に番組収録で読売テレビに中川さんがいらっしゃったときに、感想として直接お話ししました!
子どもの頃の記憶力って、スゴイものだなあ・・・。
うちの子どもたちの世代は、一体何を「そういった記憶」として覚えているのでしょうね?
そして「あとがき」では、
「『全ては手塚治虫に始まった』のである。」
と締めくくられている。
そう、私が先月から30年ぶりに手塚治虫の漫画を読み始めたきかっけの一つは、正に「本書」なのである。
『ブラック・ジャック3』(手塚治虫、秋田書店:1987、7、15第1刷・1990、9、20第26刷)
1回読みきりの形ので、よくこれだけネタがあるなあ...と。
小さくなる奇病、顔面移植、そして「ドクター・キリコ」が出て来ました。新しい定番キャラとして。この辺から「ドクター・キリコ」は出て来たのか。しかも、ブラック・ジャックの「古い知り合い」で、「人を治す医者」ではなく「殺す医者」として。「安楽死」問題は現在も続く問題。「ドクター・キリコ」は軍医として戦場へ行き、そこで瀕死の重傷を負った兵隊たちに「お願いだ、楽にしてくれ」と頼まれて、何人も天国へ送ったという過去が語られる。そしてその対象は身内にも。非常に考えさせられる問題。
また、お金持ちのお嬢さんが親に反発して「スケバン」に。日テレのドラマ「今日から俺は」の世界ですなあ。
『僕がジュリアードとバークリーで学んだこと~音楽で生きて行くために必要な51のルール』(藤原清登、河出書房新社:2018、10、30)
著者の藤原さんというベーシストは、不勉強で存じ上げないのだけれど、本屋さんの店頭で見つけて何となく買ってしまいました。
「ジュリアード音楽院」と言えば「クラシック」の名門、そして「バークリー音楽学校」と言えば「ジャズ」の名門。その両方を出ているスゴイ人って、一体どんな人なんだろうか?ということに興味を持ったので。
サブタイトルの「音楽で生きて行くために必要な51のルール」という「51」に、そんなに意味はないなと思いましたが、いくつか項目を抜き書きすると、
「一段上の成長を目指して 学び直す勇気と覚悟をもつ」
「『弾ける気になっている』ときこそが一番危ない」
「楽器練習の意義は『習慣づける』ことにあり」
「神童や天才も『アンサンブルする気』がなければ台無し」
「凄腕の演奏家なら『たった2音』でも引っ張りだこ」
「オーケストラは社会の縮図。うまくやる秘訣は『忍耐』」
「切磋琢磨した仲間は 音楽の世界で生き抜く力になる」
「何も考えず、ただ『さらう』だけでは 上達しない」
肝に銘じます!
ことし11月28日に57歳で亡くなった「勝谷誠彦さん」の本。
実は出てすぐに買ったが、怖くて読めなかった。追悼の意味を込めて読んだ。
「ディアスポラ」とは「民族離散」「故郷喪失」。普通はユダヤ民族に使われる。
この一冊に、表題作の「ディアスポラ」(初出『文學界』2001年8月号)と「水のゆくえ」(初出『文學界』2002年6月号)の2つの物語が収められている。共に「純文学」である。そして、この単行本の帯には、作家・島田雅彦氏の推薦文がこう記されている。
「モーゼも絶対伸も持たない迷える民族(=日本人)は ディアスポラに耐えられるのか?この小説には一つの答えが隠されている」
そして編集部がつけた文章は、
「"あの事故"で居住不能になった日本。十年前に描かれていたポスト・フクシマの世界!」
そう、この小説が書かれたのは「2011年3月11日」の「福島第一原発の事故」の「10年前」なのだ。そして、単行本が出たのは、その5か月後だ。私も「帯」の文字と同じことを考えていたので大変興味があったのだが、
「勝谷さんが、この事故を受けて書いたものだ」と勘違い(早とちり)をして、「不謹慎な・・・」と思って読まずに(読めずに)いた。それでも買って置いておいたのだが、著者(勝谷さん)が亡くなったのを機に読んでみた。すると「3.11」のあの事故を機に書かれたものではなく、まさに「予言の書」であった・・・。
原発が50基もある日本列島では、こういう日が来るだろう。そして住めなくなってしまった日本列島から逃げ出し「移民」となった日本人たちが、一体、どのようになるのか。その「シミュレーション」の書とも言える。勝谷さんが考えていたことが、うかがい知れる一冊だ。
勝谷さんは早稲田の文学部出身(生まれ年では1年先輩だが、卒業は同じ。ほぼ同じ時期にキャンパスにいたんだなあ・・・)で、「早稲田文学」にも書いていたんだよね。すごく「擬態語」にこだわっているなと思った。「ディアスポラ」のテーマの一つは「チベット」「鳥葬」。つまり「人の生死」「葬送」で「民族」「故郷」「心の・民族のよりどころ」というようなことを描いている。「放射能に汚染」され「故郷」を失った場合に「いかに生きて行けるのか」。
・「電子レンジの中でチリチリと焼かれているような日中」(9ページ)
・「ヤクの干肉だ。なけなしの油をまといながら、ちりちりと熱に反り返っている。」(38ページ)
・「ちりちりと胸の奥が痛んだ」(172ページ)
勝谷さん「ちりちり」という音が好きなのかな?
・「彼の別の顔が人のよさげな表面をむりむりと割って現れたようでもあった」(105ページ)
「むりむりと」は、あまり見ない表現。「よさげ」も私は使わないなあ。
本を読んで、追悼。合掌。
『リボンの騎士 上・下』(手塚治虫、リトルモア:上巻・下巻とも2018、11、3)
今年は「手塚治虫生誕90年」らしい。それを知って、昔読んだ、家の本棚の奥に眠っている手塚治虫の漫画を読み返してみることに。そして本屋さんに行くと、「リボンの騎士」の豪華本上下2巻が。「リボンの騎士」、アニメでは少し見たけど、実は全体像は知らなかった。2巻で全部読めるなら、読んでみるか!ということで購入、読んで驚いた。
「これはLGBTの『T=トランスジェンダー』の話ではないか!」
何という先見の明。何という現代性の先取り。「リボンの騎士」が最初に描かれたのは、
「昭和28年(1953年)」
だというのだ。今から65年前。手塚治虫は「90-65=25歳」だったの!?スゴイ、「天才!」
ということを改めて認識できたのでした。今、読むべき本だと思うな。
『ブラック・ジャック2』(手塚治虫、秋田書店:1987、5、25第1刷・1991、2、25第32刷)
初版から3年で32刷って、ものすごいベストセラーのロングセラーではありませんか!それは「1話完結」で読みやすいこともさることながら、内容が最先端で、ギャグも入っている。流行歌も出てくる。まさに「時代」ということをいかに読み込んで、それを漫画という手法で表していくか。
「手塚治虫は、ジャーナリストであったのだ」
と、これを読んでいて思いますね。
けさ上りのエスカレーターに乗っていたら、前に立っているおじさんが背負っていた黒いリュックサックの右側に、「下から上」に向かって、こんな文字が書かれていました
「NIMSSIMS」
なんて読むのかなあ...と思って眺めていて気付きました。これは「下から上」ではなく、
「上から下に読む」
のではないか?試しに読んでみたら、
「SWISSWIN」
おお、これなら読める、
「スイス(SWISS)ウイン(WIN)」
ですよね!ということはこれは、
「逆さまにしても読めるアルファベットの文字列」
ということではないか!逆さまにした「NIMSSIMS」の意味は分かりませんが、これは、アルファベットの文字が、
「逆さまにしても同じ形(N・I・S)」
「逆さまにしたら別のアルファベットになる(M⇔W)」
という文字を使って作られているということですね!面白いなあ。
ということで、このリュックのメーカーのサイトを調べてみたら、なんと、このリュックサックは、
「男女兼用」
なのだそうです。まあ、リュックに男性用・女性用があるというのも(子ども用を別にしたら)聞いたことはありませんが、それはさておき「商品名」が、
「逆さまからでも読める」
ということと、
「男性でも女性でも使える」
ということに、何か「共通性」を感じました。
11月30日、秋篠宮さまが53歳の誕生日を迎えられました。それに関して、この日の日本テレビの「ストレイトニュース」で、11月22日に収録されたコメントが放送されました。その際に、秋篠宮さまは、
「大嘗祭は『国費(宮廷費)』ではなく、宮家の『私費(内廷費)』で賄うべきだ」
という意見を宮内庁長官に言ったが、宮内庁(長官)は、
「聞く耳を持たなかった」
と、かなり厳しい言葉を使って話されていました。
それをニュース原稿で伝えた、30歳前後の男性アナウンサーがこの言葉を、
「キ/クミミヲモタ\ナカッタ」
と、「コンパウンド」して「アクセントの山が1つ」で読んでいたのが気になりました。これは、
「キ/クミミ\ヲ・モ/タ\ナカッタ」
と、「2語」に分けて「アクセントの山を2つ」にして読むべきでしょう。
コンパウンドすると、まるで、
「競走馬の名前」
のように聞こえました。
この辺は、注意したいところですね。
先日、テレビを見ていたら、聞き慣れない言葉が飛び込んできました。
「カカツドウボウコウ」
という言葉です。コマーシャルなんですけどね。おそらく、
「過活動膀胱」
と漢字で書くのでしょう。これはつまり簡単に言うと、
「尿漏れ」
のことなのではないでしょうか?でもやっぱり恥ずかしいから、こういう硬い言葉を使うのかな?と思いました。
ネット検索してみると、もう10年も前(2008年2月2日)の講演会の記録で、
室井卓之・関西医科大学附属滝井病院泌尿器科部長(当時)が、こう話しています。
「きょうは『男女ともに見られる尿漏れ、頻尿』と題してお話をしますが、尿もれ(尿失禁)と頻尿とは実はほとんど同じものです。そこに新しく2000年頃から、概念が少し変わってきて『過活動膀胱』という言葉が新聞や雑誌等でたくさん使われるようになってきました。そのあたりをご理解いただくために話をいたします。」
そうなんですか。この講演のさらに10年近く前から使われ始めていた言葉なんですね。そして「過活動膀胱とは」として、
「尿意切迫感(おしっこに行きたいと思ったときに漏れそうになること)、頻尿、尿もれ、こういう状態をひっくるめて『過活動膀胱』と言います。過活動膀胱とは、尿意切迫感があり頻尿があり尿もれがある。切迫性尿失禁は該当しますが、腹圧性尿失禁は違います。」
と書かれていました。
11月30日の「ミヤネ屋」で、この日、53歳のお誕生日を迎えられた秋篠宮殿下のご発言に関連した話題をお伝えしました。その中で、ディレクターから質問がありました。
「過去のVTRからそのまま引っ張って来たテロップでは、眞子さまが子どもの頃の映像に、
『3歳7か月』
と出ているが、誕生日から計算すると、
『3歳6か月と〇日』
なので、『満』で言うと、
『3歳6か月』
なのではないか?『3歳7か月』とすると『3歳と7か月目』となって、
『満年齢ではない』
のではないか?」
というものでした。
たしかにその通りです。しかし、この場合「満年齢」で気になるのは、
「満何歳か」
であり「〇か月」のほうは、それほど気にしていないので、「目」で勘定してもいいのではないか?と答えました。
この日の放送では、これまで通り、
「3歳7か月(目)」
にしました。(目)は付けませんでしたが。
スキージャンプ男子のワールドカップ第5戦で、
「小林陵侑選手(22)選手」
が、今季3勝目を挙げたというニュースを、12月3日お昼の日本テレビの「ストレイトニュース」で報じていました。すごいですね、あまり注目していない間に、もう3勝目!
その際に、アナウンサーが読んだ原稿が、
「1回目で首位につけて迎えた2回目」
というものでしたが、これに違和感が。
「首位」
の場合は「つけて」ではなく、
「(首位に)立って」
なのではないでしょうか?「つけて」は、
「2位以下の順位の場合」
だと思うのですが、いかがでしょうか?
もちろん原稿を書いた記者・デスクの責任が大きいですが、意味を考えたら、そうなるはずです。
12月3日、報道フロアで流れて来た他局のニュース。裁判か何かの中継で、女性記者が伝えています。聞くとはなしに聞いていたら、
「ショーニンとして出廷する予定で」
という文言が。この「ショーニン」のアクセントが、
「ショ\ーニン」
という「頭高アクセント」だったのです。これだと、
「商人(ショ\ーニン)」
になってしまいます。「商(売)人」を裁判に呼ぶこともあるでしょうが、その「職種」をニュースで言うことは、まずありません。裁判ですから、普通は、
「ショ/ーニン(証人)」
が出廷するものと思われます。
アクセントが違うと、意味まで変わってくる一例でした。
容積の単位の表記で、「リットル」が、
「L」=ブロック体・大文字
であるのは、かなり普及したようです。私たちが子どもの頃に学校や家庭で学んだのは、
「ℓ」=筆記体・小文字
でしたが。
ところで、その「リットル」の「1000分の1」の単位である、
「ミリリットル」
の場合は、昔は「ℓ」と同じく、
「㎖」=筆記体・小文字のみ
でしたが、その後、
「ml」=共にブロック体・小文字のみ
となり、何と現在は、
「mL」=共にブロック体・小文字と大文字
となっているそうなんです。「m」が「小文字」なのは、
「大文字の『M』だと『メガ』になってしまうため」
だと思われます。「G(ギガ)」とかもありますね。
いろんな飲み物などの容器をチェックしてみたところ、
*「ml」=ブロック体・小文字のみ
・コカ・コーラ「コカ・コーラ」「爽健美茶」「ジョージア・ヨーロピアン香るブラック」
「レモン&ビタミン」
・明治乳業「おいしい牛乳」
・SUNTRY(サントリー)「冬の柚子チューハイ」
・CYOYA(チョーヤ)「ウメッシュ・ノンアルコール」
・ヤマキ「そうめんつゆ」
・サントリー「伊右衛門」「伊右衛門・特茶」「伊右衛門・ブレンド麦茶」「伊右衛門・玄米茶」「黒烏龍茶」「烏龍茶」「特茶・ジャスミン」
・アサヒ飲料「おいしい水・天然水」「WILKINSON」(炭酸水)
・リプトン「ミルクティー」
・大塚食品「SINVION(シンビーノ)」
・「レッドブル」
・キリンビバレッジ「生茶」「午後の紅茶・おいしい無糖」「Volvic」(1,500ml)
・「北アルプス発 飛騨の水」
・サッポロビール
*「mℓ」=ブロック体・小文字と、筆記体・小文字
・キリンビール「淡麗生」
・アサヒビール「スタイルバランス」(ノンアルコールビール)
・サントリー「プレミアム・モルツ」
・サントリー「冬道楽」
・サントリー「オールフリー」(ノンアルコールビール)
(・キリンビール・アサヒビール・サントリービール)
・旭酒造「獺祭」
*「mL」=ブロック体・小文字と、ブロック体・大文字
・アンメルツ(中国向け)
・クリスタルガイザー(CRYSTAL GEYZER)
・サトウ製薬「ユンケルローヤルD2」
・千寿製薬「アイファガン」(目薬)
・参天製薬「ジクアス」(目薬)
・「タプロスミニ点眼液」
・資生堂「DEO24 Ag MEN」(制汗スプレー)
・トップバリュ「入れ歯洗浄剤」(水150mL)
*「ml」(ブロック体・小文字と、ブロック体のような筆記体・小文字=「l」は「ℓ」ではなく、下がはねた筆記体)
・キリンビバレッジ「アルカリイオンの水」2000ml
・伊藤園「健康焙煎 そば茶 カフェインゼロ」
・えひめ飲料「POM 塩と みかん」
*その他
・コカ・コーラ「綾鷹 茶葉のあまみ」=2リットル、100ml当たり
・アサヒ飲料「WANDA極BLACK」=285g、100g当たり
・セブン-イレブン「天然水」=2リットル、2L
・サントリー「置く大山の天然水」=2ℓ
・「財宝」(温泉水)=内容量は「500㎖」と筆記体だが、栄養成分表示は「100ml当たり」「硬度4mg/L」とブロック体の小文字と大文字L。
といったところでした。
どうも、「薬品会社関連のもの」は「mL」を使っているようですね。
飲料では「ソフトドリンク系」と「ビール」では「サッポロビール」だけは「ブロック体・小文字」の「ml」、残りの「キリン・アサヒ・サントリー」ビールは、「mℓ」(ブロック体・小文字と、筆記体・小文字)でした。ただ「ブロック体の小文字のm」は、「筆記体」なのか「ブロック体」なのか、よくわからない感じでした。「筆記体」に見えないこともありません。
放送での各社の表記の実態については、今度の新聞用語懇談会放送分科会で、各社に伺ってくる予定です。
ちなみに、JALとANAのパイロット・副操縦士の酒気帯び問題関係で、11月17日の日本テレビお昼の「ストレイトニュース」は「mℓ」(小文字のブロック体+筆記体)、同じ日の「ミヤネ屋」内の通称「250ニュース」では「ml」(共に小文字のブロック体)と、異なる表記でした。