新・ことば事情
漫画家のさくらももこさんが、乳がんのため今月15日に亡くなりました。53歳。早すぎる死です。
さて、さくらももこさんと言えば『ちびまる子ちゃん』、そして『ちびまる子ちゃん』と言えば、アニメの主題歌『おどるぽんぽこりん』ですね。164万枚のミリオンセラー。ちなみに、この曲を歌って「日本レコード大賞」も受賞した「B.B.クィーンズ」のボーカル「坪倉惟子さん」は、私の高校の1年後輩です!(自慢)そして、この曲の作詞も、さくらももこさんです。(きのうネットで、イスラム圏で放送されているアニメ『ちびまる子ちゃん』の主題歌を聴きました。『おどるぽんぽこりん』とは全く別のイスラムっぽい曲でした。各国で主題歌は違うのですね)
その「おどるぽんぽこりん」の歌詞の中に、
「エジソンはえらい人」
というのがあるのをご存じでしょうか?突然、出て来るフレーズで、「何なんだ」という感じですが、さくらさんの世界は、いつも子ども時代をプレーバックしていて、当然、
「大人が忘れてしまった、子どもの世界のおもしろいフレーズ」
が出て来るので、
「そういうもの。特に意味はない。語呂合わせ」
のように考えがちですが、私は、これは違うのではないかと思います。この「エジソンはえらい人」というのは、文字数で言うと、
「10文字」
です。つまりこれは、
「だるまさんがころんだ」「ぼんさんがへをこいた」
などと同じく、子どもの遊びの中で使われた言葉ではないか。
しかも、さくらももこさんの地元、
「静岡県清水市(現・静岡市清水区)」
の子どもたちが遊びの時に使っていた言葉ではないか?と思うんですね。
「だるまさんがころんだ」のような「10文字の言葉」には、地方によってバリエーションがあり、「神奈川県」には、
「乃木さんはえらいひと」
というのがあります。この「乃木さん」(=乃木希典・陸軍大将)を「エジソン」に置き換えたのが、
「エジソンはえらい人」
なのではないか?と、私は推測しています。
実はこの「10文字の言葉」の地方によるバリエーションについて、以前、調べたことがあります。もう19年前(1999年)ですが、その際に書いたものを、さくらももこさんに哀悼の意を捧げて、ここに掲載しておきますね。ちょっと長いですよ。役職などは全て「1999年当時」です。
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「ぼんさんVS.だるまさん」
読売テレビアナウンス部・道浦俊彦
【「ぼんさんがへをこいた」は、どこへ行った?】
ひょんなことから子供の頃の遊びの言葉を思い出した。
「ぼんさんがへをこいた」
「はじめの第一歩!」の掛け声で始まるこの遊び、鬼が目隠しをして向こうを向いて、10数える間に、ジリッ、ジリッと近寄り、鬼にタッチをする。鬼がこちらを向いた時に少しでも動くと、「○○ちゃん、動いた!」と名前を呼ばれ、鬼に手をつながれ、囚われの身になる遊びだ。1から10まで、数を言う代わりに、
「ぼんさんがへをこいた」
あるいは、
「だるまさんがころんだ」
といった「10文字の言葉」を言うのだが、そのテンポは変幻自在に変えられる。フェイントである。また、単純に1から10まで数えるよりも早く唱えられるという利点もあった。
この「数えことば」が、関西では、古くから「ぼんさんがへをこいた」であったのだが、最近あまり耳にしない気がする。もしかして最近は東京や全国の標準である「だるまさんがころんだ」に取って代わられているのではないか?
早速、街へ出て調べてみた。蝉時雨の大阪・茨木市民プールにやって来る幼稚園児~小学生をつかまえて、「ぼんさんがへをこいた」を知っているかどうか、聞いてみた。案の定、「ぼんさん」を知っている子どもは、ほとんどいなかった。20人ぐらい聞いた中で「ぼんさん」を知っているのは小学5年生の男の子2人だけだったのだ。しかし、みんな「だるまさん」は知っていて、学校や家の近くでよく遊ぶと言う。遊び自体は廃れていないようだ。
会社で「昔、子供だった大人たち」に聞いてみた。すると、関西出身の人はやはり「ぼんさんがへをこいた」、関東出身の人は「だるまさんがころんだ」が多かった。この他、
「インド人のくろんぼ」
という、差別的で、絶対にテレビでは出て来ないであろうものを、岡山市内では使っていたとYデスク(40代)は言う。奈良市のT団地で育った0ディレクター(20代)も「インド人のくろんぼ」派。3~4年前に、お笑いタレントのダウンタウンが、番組の中でこの話題が出た際に「うちは○○○○と言ってた」と話した時に、○○○○の部分が「ピーッ」という例の音で掻き消されたという。彼は、
「きっと、ダウンタウンは『インド人のくろんぼ』と言ったから、ピーッと鳴ったんですよ。ダウンタウンは(兵庫県)尼崎の出身やから、尼崎も『インド人のくろんぼ』と言うんですよ、絶対!」
と話す。
大阪・千里ニュータウンで子供時代を過ごした0さん(30代)は、
「インディアンのふんどし」
と言っていたという。東京は練馬区0泉・・・大泉学園で幼年時代を過ごしたUキャスター(30代)も同じく「インディアンのふんどし」派だ。女性でも何の恥じらいもなく、
「ふんどし」
言っていたのか。
【インド人とインディアン】
レコード室で子どもの遊び関係のレコードを物色していたら、「こどものあそび、こどものうた~遊びからみた日本のわらべうた~」(コロムビア・レコード、1979.9)という20年前のレコードを見つけた。そこには「となえうた」として、「だるまさんがころんだ」(東京)と並んで、「インディアンのふんどし」(東京)もあった。解説によると、
『(子どもたちが騒いでいるのは)「インディアン」の5文字を誰かの名前に変えると面白いというので、友達の名前で言ってみたり、
「もりまさこのふんどし」
などと有名人の名を当てはめて騒いでいるのです。』
とある。当時、森昌子・21歳・独身。そんな遊び方もあったのか。
このレコードには、
「くらやみで、ベルが鳴る」
という数え方も録音されていた。これなども、映画のタイトルみたいだ。
思うに、「インディアンのふんどし」あるいは「インデアンのふんどし」は、「インド人のくろんぼ」から派生したものではないか?「インド人→インディアン」と「インディアン→インド人」を考える時、やはり、
「インド人→インディアン」
と考える方が自然である。当時、つまり昭和30年から40年代は「インディアン」の「ディ」という発音は、大人はもちろんのこと、子供には難しかったため「インデアン」となった地域もあっただろう。実際、インターネットで検索した兵庫県北部の人や、後で出てくる香川県高松市出身の、早稲田大学・飯間浩明氏はは「インデアン」派だった。
インド人を使った10文字ことばはこのほか、
「インド人のうそつき」
というのもあった。・・・・ひどい。
しかしもしかしたら、外国では、「日本人のイエローモンキー」とか「日本人のうそつき」なんてものがあるのかもしれない。やっぱり、チョッとイヤだ。
そう言えば、今から30年~35年ほど前、私(昭和36年生まれ)が子どもの頃によく口にしたCMのセリフの一つに、
「インド人もビックリ!」
というカレーのCMがあった。
即席(今はインスタントという言葉に取って代わられたが)カレーの箱に、黒い顔をして白いターバンを巻いたインド人と思しきイラストが描かれていた。今は、スーパーマーケットのカレー・コーナーにずらりと並ぶインスタント・カレーの中でも、パッケージにインド人または黒人のイラストを描いたものは一つもない。「ダッコちゃん」や「ちびくろサンボ」が姿を消して久しい今、これも時代の要請なのだろう。(「ちびくろサンボ」は今年になって復活の兆しはあるが。)
話は大いに横道にそれるが、私が、ほんまもんのインド人を見たのは、それからずっと後のこと。1989年(平成元年)に、インドのカルカッタに行った時だ。まず、高級ホテルの門番がターバンを巻いていた。タクシーの運転手もターバンを巻いていた。去年、ニューヨークに行った時に乗ったタクシーの運転手もターバンを巻いていた。しかし、インド人は皆ターバンを巻いているわけではなく、ターバンを巻いているのは「シーク教徒」だという話だった。そうそう、会社からほど近い大阪・京橋駅付近のカレー屋「印度屋」(そのままの名前やなあ)の厨房にいるインド人のおじさんも、ターバンを巻いている。シーク教徒なのか。
ところで「シーク教徒」とは、「イスラム教」か?インドなら「ヒンデゥー教」ではないのか?横道にそれついでに『広辞苑』を引いてみた。
*「シク教」・・・(Sikhism)インド・パンジャブ地方を中心に、イスラム教の影響を受けて興隆した宗教。15世紀にナーナク(人名)が開いたもので、ヒンデゥー教の改革を図り、偶像崇拝・カースト制度などの否定、唯一の創造神の熱狂的な崇拝を特徴として、五戒を厳守する
とあった。「五戒」?「十戒」の半分?もう一度、辞書を引く。
*「五戒」・・・仏教用語。在家の守るべき五種の禁戒。不殺生、不ちゅう盗、不邪淫、不妄語、不飲酒。
とある。
フム。結局「シーク教」は、「イスラム教と仏教の影響を受けたヒンデゥー教」ということでしょう。その「シーク教徒」について、当時(1989年)私と一緒にインドに行った、フリー・ディレクターのU君は、
「ターバンを巻いている人の方が、インド人の中では人間としては信頼できましたよ。インテリやし。」
と10年前を振り返った。社会人になって最初の夏休みに、生まれて初めての海外旅行でインドを訪れ、下痢と高熱で死にかけた彼にとって、インドとは"抜き去りがたい人間不信を植え付けた国"というイメージらしい。高熱にうなされながら彼はブツブツと、こう呟いていた。
「・・・ガンジス河には、流さないでください・・・」
「日本の土にかえりたい・・・。」
今となっては良い思い出・・・なわけないか。
「インディアン」の実物には、まだお目にかかったことがない。そういう意味では「インド人」の方が、私にとっては身近である。「インディアン」に関して身近な言葉といえば、何といってもこの言葉であろう、
「ハォ!インディアン、ウソ、ツカナイ」。
ギャグとして使っていたが、子どもの頃、というよりは中学・高校生になってから、よく使ったような気がする。当時のテレビでやっていた西部劇に出てくるインディアンは、皆こういう話し方をした。(もちろん、日本語での吹き替えだが。)こういう使い方では、今はテレビでは使えないだろう。多分に偏見が含まれている気がする。実際、日本テレビの『放送で使うことば』の中には「インディアンはだめ」とは書かれていないが、今年春に発行されたTBSの『放送で使うことば』では、
「『アメリカ・インディアン』はどうしても総称が必要な時のみ使う。より好ましい表現は『ネイティブ・アメリカン』」
とある。しかし、
「ネィテイブ・アメリカンのふんどし」
では「14文字」になってしまう。ここは、やはりどうしても、
「インディアンのふんどし」
でなければならぬ。
それにしても「ぼんさん」も「だるまさん」も「インド人」も「インディアン」も、全て「インドに関係」している。子どもとインドのつながりは一体何なのか?
「全ての道は、インドに通ず」
なのか?そういえば「インドへの道」というアカデミー賞を受賞した映画があったっけ。
【においだらくさかった?】
インドと関係のない言い方も、もちろんある。三重県の伊勢市で育ったカメラのKデスク(40代)は、
「煮干しのかんぴんたん」
と言ったという。「かんぴんたん」とは「干物」のことを言うんだそうだ。
関西でも「ぼんさんがへをこいた」を使わなかった人もいる。
和歌山県印南町出身で「Uアップ」という番組に関わるN君(30代)は、
「だるまさんがころんだ」
一辺倒。生まれも育ちも大阪市西淀川区というCG室のTさん(20代)も「だるまさん」派。「ぼんさんがへをこいた」は、生まれて初めて聞いたという。
逆に「ぼんさん」によく似た髪形のF君(30代)は、
「大阪府泉大津市は『ぼんさんがへをこいた』だけでした」
と言い切る。
京都出身のKアナウンス部長に聞くと、「ぼんさん」は「ぼんさん」だけど、その後が違うという。「1から10まで」は「ぼんさんがへをこいた」そして、「11から20」までを数えるのに更に、
「においだらくさかった」
と続くというのだ。うーん、さすが、お坊さんの本場(?)・京都だけのことはある。ちなみにこの「においだら」は「におったら」の意味の「におぐ」を活用させたもの。牧村史陽の『大阪ことば事典』にも、「大阪ことば」として載っている。
さらにさらに、報道のNデスク(30代)は、
「滋賀・大津では、『11から20』までは、
『くさいのはあたりまえ』
と言いましたよ」
と真顔で証言した。・・・・京滋地区の一体感は、素晴らしい。
また、
「『ぼんさん』と『だるまさん』の両方使っていた」
という人も、20代と30代には多く見受けられた。
「女の子だけの時は『だるまさん』を使い、男の子と一緒の時は『ぼんさん』を使った」
という大阪・八尾市出身の女性(30代)もいた。
【『言語生活』の研究】
「だるまさん」と「ぼんさん」についての研究は、これまでに行われているのか?
福井大学の岡島昭浩助教授に相談すると、さっそくメールで返事が来た。それによると、今から35年ほど前の昭和39年(1964年)から40年(1965年)にかけて、当時発行されていた『言語生活』(1951年~1988年3月)という雑誌の誌上で、読者に呼びかけて各地・各年代の「子どもの遊びことばに関する研究」をしていて、その中に、「ぼんさんがへをこいた」や「だるまさんがころんだ」が載っているというのだ。
『言語生活』は、10年ほど前に休刊になっているが、その最後の編集長が、武庫川女子大学の佐竹秀雄教授だ。武庫川女子大の言語文化研究所の佐竹先生の部屋を訪ねると、創刊号から最終号までの『言語生活』が、ズラリと並んでいた。佐竹教授にこの件に関して伺うと、
「確かに、そういう研究が1年にわたって行われているが『ぼんさんがへをこいた』が『だるまさんがころんだ』に押されているとか、そういう記録はない」
とのこと。ただ、やはり「へをこいた」の品の無さに比べると、「ころんだ」のほうが無難だったので、そちらが広まるようになったのではないかという話だった。
「当時のことが分かる人に話を聞こう!」
ということで、読者との研究をしていた頃の編集員の一人だった高橋太郎さんという人を探した。なにせ今から35年前の話。当時30歳としても今は65歳、40歳なら今は75歳だ。果たしてご健在だろうか?
佐竹先生の記憶を基に、高橋さんがその後、勤めているはずの東京の立正大学に電話してみると、すでに去年、定年退職されたということ。そこで、神奈川県のご自宅の電話番号を聞き出し、電話をかけた。すると、年配のご婦人が出て来て、
「主人は今、畑に出てまして・・・」
しばらくしてから、また電話をするとご本人が出た。
「今は週に1回、関西外国語大学で講義を持っているので、夏休みが明けたら一度そちら(大阪)で会いましょう。」
と約束を取り付けた。
【「だるまさん」より「ぼんさん」が古い!?】
それまでの間に、大阪の古くからの言葉をよく知っている「なにわことばのつどい」の、年に1度の総会(7月28日=「なにわ(728)の日」)に出て、他の言い方がないか聞いてみた。
参加者は60代から70代の人が中心だったが、やはり「ぼんさんがへをこいた」とは言ったが、「だるまさんがころんだ」は言わなかったという。
91歳の男性も「ぼんさんがへをこいた」と言っていたというので、どうも「ぼんさん」の起源は、
「1910年代・大正時代初期にまで」
さかのぼれるようだ。『言語生活』の特集には、
「『だるまさんがころんだ』は、昭和初期に東京で子供時代を過ごした人たちは知らない」
と出ていたので、「だるまさん」より「ぼんさん」のほうが、歴史が古いことになる。
ちなみに、同じく『言語生活』によると、昭和20年(1945年)までに、東京や静岡県浜松市、福島県で、
「あんまさんがころんだ」
というのがあったらしい。これが、こういった「早読み法」がない地域に流れて「だるまさんがころんだ」になったのではないか、という推測も載っていた。
「なにわことばのつどい」の出席者の一人で、78歳の男性(大阪市西淀川区出身)は、
「『山伏の法螺の貝』とも言った」
と答えてくれた。
「やまぶしのほらのかい」
確かに「10文字」。これは新しい発見だ。
また、パネリストとしてこの会に参加していた大阪のことばに詳しい井沢寿治氏によると、
「ぼんさんは、坊さんではなく、商家の丁稚(でっち)のことでっせ」
と話していた。これは私にとって大きな驚きであると同時に「ほんまかいな?」という疑念も生じた。確かに『大阪ことば事典』には、
「『ぼんさん』は『丁稚』のこと」
と書いてはあるが、「僧侶の通称」と最初に出ている。武庫川女子大の佐竹先生に聞いても、
「うーん、やはり『ぼんさん』は『お坊さん』のことでしょう。丁稚が屁をこいても面白くないですからね。謹厳実直なお坊さんが屁をこいてこそ、"おかしみ"が生まれるんだと思いますよ。それに、子どもは『丁稚』のことを『ぼんさん』とは言いません。『丁稚』を『ぼんさん』と呼ぶのは大人です。『ぼんさんがへをこいた』は、子どもが遊びの中で作ったものですから、やはり『ぼんさん』は『お坊さん』を指すのだと思います」
とのことだった。突如現れた「ぼんさん=丁稚説」は、否定されたと考えて良いだろう。
【ぼんさんに聞く】
ホッとした私は、今回この問題を取り上げるに当たって取材せざるを得ない職業の人の
人選に入った。その職業とは、言わずもがな、「お坊さん」である。
関西で「ぼんさんがへをこいた」が消えつつあり、「だるまさんがころんだ」がじわじわ増えている現状について、当のお坊さんは、どう感じているのか。ぜひ聞きたいと思った。
しかし、どのお坊さんに聞けば良いのか?そもそも「屁をこいた」であるから、話の持っていきようによっては「バカにしてるのか!喝!」と叱責を受ける恐れもなきにしもあらず。
失礼に当たることなく、地域の子ども文化の伝承という視点で、ぜひコメントをもらいたいと考えた。
お坊さん、お寺、と言えば、やはり「京都」であろう。そこで「子ども文化」・・・というと・・・そうだ、「壬生寺」だ!壬生寺は新選組でも有名だが、子どもを守る菩薩である「お地蔵さん」でも有名だ。「地蔵盆」には、お地蔵さんを地区の子ども会などに貸し出したりもしていると、以前ニュースで見たこともある。子ども関連なのだから、きっと、ご住職も答えてくれるはず!・・・と見当をつけて取材要請したところ、快く引き受けてくれた。
松浦俊海貫主(64歳)は「子どもの頃、私らも、よう言いました。『ボンサンガヘヲコイタ、ニオイダラクサカッタ』。これ以外にも『ボンサン』と名の付く子どもの遊びことば、結構ありましてな、中学ぐらいの時、お盆の時期に路面電車に乗って檀家さん回りをした際に、学校の同級生などに見つかると、後ろをついて来られて『ボンサンボンサン、ドコイクノ・・・』などと歌われて、恥ずかしい思いをしたこともありました。大人になってからは、それほど気にすることもなくなりましたが、『ボンサンガヘヲコイタ』で思い出すことといえば、今から20年ぐらい前のことです。檀家で若いお父さんが亡くならはって、お経を上げに行った時に、そこの5歳ぐらいの男の子がジーッとこっちを見ているんですな。お経が済んで帰る段になって、思い切ったように口を開いてこう聞くんです。『ぼんさーん、屁ェこくんか?』。お父さんが亡くなって悲しいことは悲しいんでしょうが、まだ小さいので、その悲しみよりも日頃から気になっていた『ボンサンガヘヲコイタ』のことばの方が興味があったんでしょうな。滅多に来ないお坊さんを目の前にして『今、聞かなくちゃ!』と思っていたんだろうと思います。私は『そりゃ、こくよ』と答えたんですが、久しぶりに『ボンサンガヘヲコイタ』ということばに接して思い出すのは、この時の出来事ですなあ。あの子も今頃はもう、24~25歳になって、もしかしたら子どもの父親になっているかもしれませんが」
松浦管主は、こうも付け加えた。
「昔はここの境内でも、小学生ぐらいの子どもたちがよく遊んでいたんですが、最近は、ほとんど見かけませんな。子どもの数も減っているんでしょうが、外で子どもが遊ぶことも減ってきてるんですかなぁ・・・。」
少子化も、「ぼんさんがへをこいた」の衰退に、拍車をかけているんだろうか。
【その他の数え方】
話は『言語生活』に戻る。この中には、「ぼんさん」や「だるまさん」以外に、
「へいたいさんがはしる」(石川県金沢市・昭和30年頃)
「のぎさんはえらいひと」(神奈川県昭和・20年代後半。これについては、後述)
「くるまんとんてんかん」(福島県)
といった「10文字の早読み法」が紹介されていた。こういったことを基に、インターネットを使って検索をしてみた。すると、
「くるまんとんてんかん」
は、「宮城県仙台市」でも使われているものの、意味は分からないということがわかった。
「とんてんかん」のように撥音「ん」が入ると、テンポが良くなる。だから、文字数では「とんてんかん」は6文字だが、拍数でいうと3拍になる。つまり、2倍のスピードで言うことができるわけだ。「ぼんさん」も「ん」が2つ入っているし、「だるまさん」も1つ入っている。三重・伊勢の、
「煮干しのかんぴんたん」
などは「くるまんとんてんかん」と後半部分のリズムは、全く同じと言って良い。「ん」の連発だ。これによって「早読み」の目的は達成されやすくなるわけだ。
このほか、例の差別的言辞、
「インド人のくろんぼ」「インディアンのふんどし」(青森県・福岡県・佐賀県)
「インド人のきんたま」(長崎県・・・あとで大阪外国語大学の小矢野教授の調査でも出てくるが、神奈川県横浜市の40代男性も使っていた)
「アライグマのビチグソ」
「ペルー人がゲロはいた」
なども載っていた・・・・本当に汚い。無論、放送は出来ない。「ニュース・スクランブル」は、夕食どきのお茶の間(死語かな?)の皆さんがターゲットの番組である。
大人は「良識の衣」をまとっていて、公には差別的な言葉は発しない。しかし、子どもは敏感にそういった雰囲気を感じ取り、遊びの言葉の中に取り入れていったのではないか。「下ネタ」も「差別的な言葉」も、「表」にこそ出て来ないが、皆の意識の底には流れているに違いない。インターネットは、そういった個々の「地下水」的な意識の汲み上げには便利な道具だが、その中には往々にして「有毒なコトバ」が含まれているので、テレビの放送ではそのまま使えなかったりする。
「だるまさんがころんだ」にしても、本来は起き上がりこぼしで転ばないはずの「だるまさん」が転ぶという事象を笑う、あるいは、修行で手も足も無くなってしまった達磨大師が転ぶ様子をおかしむという意味では、「毒」を持っているのだが、本来持つ意味が風化してしまったために、それほど抵抗感なく受け入れられているのだろう。
【「だるまさんがころんだ」という歌があった!】
こういった少数派の「有毒な」数え方を蹴散らして、「早読み法」の王道を行く「だるまさんがころんだ」は、歌にもなっていた。昭和53年(1978年)の8月に、NHKの「みんなのうた」で斎藤こず恵・ゆかり姉妹が歌う「だるまさんがころんだ」という曲が流れたというデータが載っていたのだ。(斎藤こず恵は、NHKの朝の連続テレビドラマ「鳩子の海」に出ていた子役女優だ。「おしん」の小林綾子が出るまでは、結構有名だったが、今はもう30代になっていることだろう)ただ、残念なことに、ここには歌詞やメロディー(譜面)は載っていなかったので、どんな曲だったかは思い出せない。たしか、私も聞いた覚えはあったのだが。NHKに問い合わせてみたが、すでにレコード類は廃盤・絶版になっていて、楽譜もない。のちに出た「みんなのうた・ベスト盤」に入ってないところを見ると、あまり流行らなかったのではあるまいか。「山口さんちのツトムくん」や「さとうきび畑」、最近では長野オリンピックでも歌われた「輪になって踊ろう」などは「ベスト盤」に入っているというのに。
結局、このレコードは、読売テレビのレコード室でも見つからなかった。しかし、レコード室のスタッフが、在阪各局のレコード室に電話で問い合わせてくれた結果、毎日放送のレコード室にあることが判明!持ち出しはできないものの、録音をさせてもらうことができた!ちょっと演歌調のこの歌の歌詞は、次のようなものだった。
「だるまさんがころんだ」
作詞・作曲・山本正之
うた・斎藤こず恵・ゆかり
編曲・小山田 暁
アニメーション・矢口高雄
1)パパと お風呂に入ったら
いつも すぐには出られない
肩まで沈んで あったまって
100まで 数えなさいってね
もう、フラフラよ
だけどインチキの数え方 知ってるわ アッアーン
デタラメの数え方 やっちゃうわ アッアン アーン
*だるまさんがころんだ
三四郎が笑った
ゲンゴロウが潜った
紙風船が消えた
遊覧船が揺れた
扁桃腺がはれた
カメレオンの赤ちゃん
チャンピオンのデカパン
アビニオンの坊さん
宇宙船が飛んでく オホーホ オホホッホ
ホーラ 百まで数えたよ *
-
パパのお休み 日曜日
いつでも グーグー寝ぼすけさん
おフトンはがして くすぐっても
百まで数えなきゃ 起きないと
オメメが トロトロよ
さてっと インチキの数え方知ってるわ アッアーン
デタラメの数え方 やっちゃうわ アッアン アーン
(以下、*~*印繰り返し)
というものだった。
このころ(20年前)は、まだ「週休2日制」が定着していなくて、パパのお休みは日曜日だけだったのに、お父さんも大変だった訳だ。
もちろん、この曲の「だるまさんがころんだ」から「宇宙船がとんでく」までは、それぞれ「10文字」になっていて、「10」のこのセリフを唱えると「100」まで数えたことになるというのだが、「だるまさん」以外は聞いたことがないので、おそらく作詞の山本正之という人の創作だろう。けれど、インチキとかデタラメの数え方と言われると、少し反感を覚える。斎藤こず恵さんは、そう感じなかったのだろうか?
【インターネットのつながり】
実は、毎日放送のレコード室でこのレコードが見つかる前に、インターネットで言葉についてのホームページを持っている、早稲田大学の飯間浩明さんという人にメールを送り、
「だるまさんがころんだ」と「ぼんさんがへをこいた」について、何か情報を持っていないかを尋ねていたのだ。その飯間さんからの返事のメールにこの「だるまさんがころんだ」の歌詞が記されていた。
しかし私は、この歌詞を見ても曲(メロディー)が思い浮かばず、「どんな曲でしたっけ?」と厚かましくも、またメールを送ったのだった。すると、飯間さんは忙しい中、記憶に残っていた曲をMIDIでファイルにして送ってくれた。これを聞いて私は「そう言えば、こんな曲だった」とようやく思い出すことができたのだった。
もちろん、この早稲田大学の飯間さんとは、顔を合わせたことはおろか電話でしゃべったこともないのだが、飯間さんは福井大学の岡島助教授と交流があるためか、初めて届いたメールに「(道浦さんの)お噂はかねがね伺っています。東京に住んでいるため、番組が拝見できず残念です。」という社交辞令(?)が記されていた。
このほか、インターネットを使って、会ったこともない人たちにメールを送って、いろいろご教示頂いたことが、多々あった。例えば、宮城県仙台市の幕田好久さんという方は、自分のホームページで「くるまんとんてんかん解明委員会」というコーナーを立ち上げていた。
メールを送っていきさつを話すと、ご自分が調べた範囲でのことを教えてくれた。
「くるまんとんてんかん」は「だるまさんがころんだ」と同じように使われているものであり、仙台より南の地域から福島県にかけて、幅広い世代の方がこれを使っているとのことだった。
立場としては「ぼんさんがへをこいた」と同じようなポジションにありそうだが、「くるまんとんてんかん」には下品さが感じられないので、「ぼんさんがへをこいた」よりは人に伝えやすいのではないか。ただ、意味がよくわからないので、伝えづらい面もあるかもしれない。
「くるまんとんてんかん」については、国立仙台電波工業高等専門学校の武田拓先生という人が方言の研究をされていると、幕田さんから紹介があったので、メールを送ってみた。するとすぐに返事があって、武田先生の研究発表(1998年)である「宮城・福島沿岸地域におけるグロットグラム調査報告」「宮城県中新田町方言の研究」(文部省科学研究費補助金基盤研究B成果報告書)の中から、「くるまんとんてんかん」と「だるまさんがころんだ」の分布に関する部分の抜書きを送ってくれた。
それによると、宮城県の北部では「だるまさんがころんだ」が、仙台市など県南部では「くるまんとんてんかん」が使われており、それは現在まで残されている。つまり、共通語と対立した形で方言が残る「方言対立残存型」の言葉だ、と位置づけている。
しかし、その意味にまでは踏み込んでおらず、欄外の注に「この遊びの名称については、関西の、ボウサンガヘオコイタ等、全国各地にいくつかの語形が存在するようである」と簡単に触れているのみである。
このほか「くるまんとんてんかん」以外の宮城県の言い方としては、
「きくのはな、うつくしや」(菊の花、美しや)
というキレイなものもあるそうである。また、武田先生は、身近な福島県出身者から「くるまんとんてんかん」を使うということを聞いたことはない、と答えている。
【ゲームもあった!】
現在、「だるまさんがころんだ」が、やはり全国的規模で広がっていることを裏付ける一つの出来事があった。アナウンス部の後輩で西宮市出身のOアナウンサー(20代)に聞いた時に、
「僕は、『だるまさんがころんだ』って言ってましたねえ。そうそう、ゲームセンターに『だるまさんがころんだゲーム』がありましたよ。去年くらいかなあ、結構、流行ってましたよ」
という情報を得た。最近のゲームセンターは、私などが入り浸っていた、15~16年前とは全く様相が違って、できるゲームがないので立ち寄らなくなっていたが、しばらく行かない間に、そんな所にまで「だるまさん」は忍び寄っていたとは!
しかし、ゲームセンターに立ち寄る機会もないまま、そのままにしていたある日、一緒に取材に出た、制作会社Eのゲーム類にも詳しいHカメラマン(30代=私と同い年)にこの話をしたところ、
「ああ、それならオレ持ってますよ。プレイステーションの、ちっこいゲームですわ。持って来ましょうか?」
という話になった。「モチはモチ屋」というところか。
次の日、その「だるまさんがころんだゲーム」とご対面。
キーホールダーの少し大きいぐらいのもので、白黒の液晶画面に人が出てきて、左右のボタンを交互に押すと歩いていく。右端に「だるまさん」がいて、後ろ向きに目隠しをしている。画面の上に「だるまさん」「が」「ころんだ」という文字が順々に出てくるのだが、「ころんだ」が出た時は、人は動いてはいけない。動いてしまうと、その時点でゲームオーバーだ。制限時間内に「だるまさん」にタッチすると、残った時間が得点となり、次のステージに進める。こう書くと複雑そうに思えるが、やり始めると実に単純で、ついつい、はまってしまうゲームだった。豆粒ほどの左右のボタンを目まぐるしく押し続けていると、10分ほどで、指先が痛くなってきた。(一応これもENGカメラで撮影しておいた。)
今、子どもたちにとっては一番身近と言えるメディア=ゲームの世界でも「だるまさん」によって「ぼんさん」は隅に追いやられているのであろうか。
ボードゲームの「人生ゲーム」に様々なバージョンがあるように、ゲーム会社は「だるまさんがころんだゲーム」の関西版である「ぼんさんがへをこいたゲーム」や、仙台・福島版の「くるまんとんてんかんゲーム」を出してもいいのではないか?
本気でそう考えた。
【高橋先生、登場】
9月中旬。
大学の長い夏休みも終わって、ようやく高橋太郎先生が大阪にやってきた。
カメラ取材するかどうかの判断も兼ねて、読売テレビで高橋先生と打ち合わせをすることになった。高橋先生とは電話でしか話したことがない。電話では少し早口で、大阪で言う"いらち"な感じがした。
約束の日の約束の時間、高橋先生がやってきた。
70歳を少し出たくらい。もともと出身は京都だという。高橋先生も、やはり子どもの頃は「ぼんさんがへをこいた」と言ったそうだ。
髙橋先生は『言語生活』で子どもの遊びことばを特集した部分を、ほぼ1年分にわたってコピーして持ってきてくださった。一部は、すでに福井大の岡島先生や武庫川女子大の佐竹先生からコピーをもらって目を通しているものではあったが、残りは初めて見る資料。
1年間にかなりの言葉が集められたものの、徐々に読者からの資料の投稿も減り、1年で一旦活動を停止した様子が、その資料からも読み取れた。高橋先生はそういったコピーを手渡しながら、
「私は、確かに当時のことは分かりますが、現在どうなっているかは、調べていないのでわかりません。またいつ頃、関西に『だるまさん』が入り込んで来たか、『だるまさん』が減って来たかについても、調べていないのでわかりません。もう、年なので、このことについて研究しようという気は、残念ながらありません」
と話した。そしてこう続けた。
「私の後輩で、大阪外国語大学の小矢野という者がいます。彼にこの話をしたら、道浦さんのことも知っているし興味もあるから、さっそく学生に聞いて調べてみますと言っていました。私はテレビの取材も苦手だし、後の話は小矢野君に引き継ぎますから、彼にインタビューしてくれますか。」
結局、「ぼんさん」と「だるまさん」を巡る話の決着は、「平成ことば事情」のコーナーでもおなじみの大阪外国語大学・日本語講座の小矢野哲夫教授に委ねられることになったのである。
【小矢野教授の研究】
その1週間後、カメラマンと共に、大阪外大に小矢野教授を尋ねた。おりしも、台風18号が近畿地方を直撃!と言われている日だった。私もこの取材がなければ、間違いなくどこかの台風中継に駆り出されていた。(実際、私の代わりにHアナウンサーは、大阪駅前から中継を行っていた。)他のカメラマンは皆、台風中継や取材に出ている中、私たちは「ぼんさんがへをこいた」の謎を解くべく、箕面の山へと向かっていたのだった。
満を持して研究室で我々を出迎えてくれた小矢野教授は、インターネットのホームページで呼びかけた分と、教室で学生に聞いてくれたアンケートによる合わせて200人の「だるまさん」と「ぼんさん」の分布資料を見せてくれた。それによると、全体の59、5%の人(118人)が「だるまさんがころんだ」を使い、27、8%(56人)が「ぼんさんがへをこいた」を使った。その他は13、7%である。
関西だけに限ると、「ぼんさん」が49%(49人)、「だるまさん」が46%(46人)
その他が5%(5人)と、かろうじて、「ぼんさん」がリードしている。
全国で「ぼんさん」という人56人のうち、82%に当たる46人が関西人であることを考え合わせると、やはり「ぼんさん」は関西特有の数え方なのであろう。
ちなみに「その他」の言い方の中には
「アメリカのワシントン」(山形市・40代・男)
「いーぷくぷくよーいどん」(京都府網野町・10代・女)
「いのじのくーろんぼ」(大阪府八尾市・50代・男)
「いわしのかんぴんたん」(三重県浜島町・30代・男)
「インデアンの金玉」(神奈川県横浜市・40代・男)
「インディアンのふんどし」(埼玉県和光市20代・女)(千葉県松戸市・40代・男)(愛知県名古屋市・20代・女)
「インド人のうそつき」(京都市・20代・女)
「インド人のくろんぼ」(大阪府高槻市・20代・女)(福岡県久留米市・10代・女)(福岡県糠屋郡・20代・女)(福岡県北九州地方・30代・男)(岡山県倉敷市・30代・男)(岡山市・30代・男・女)(鳥取県倉吉市・50代・男)(福岡県大川市・20代・女)
「お兄さんが笑った」(東京都・20代・女)
「くるまのとんてんかん」(福島市・20代・女)
「宮島の鹿の角」(広島県大野町・20代・女)
「乃木さんは偉い人」(神奈川県横浜市・40代・男)
などだった。
乃木さんとは、もちろん、乃木希典(のぎ・まれすけ)陸軍大将のことである。(もちろんと言いながら、辞書を引きながら書いている。)日露戦争で司令官として遼東半島の旅順を攻略した。明治天皇の大葬の当日、妻と共に殉死したことでも有名だ。1912年のことだから、今から87年前。横浜の40代の男の人は、昭和30年代から40年代(1955年~1974年頃まで)に「乃木さんは偉い人」を使っていたという。『言語生活』」にも、この「乃木さん」は出ていて、神奈川県で昭和20年代後半に使われていたそうだ。ずいぶん長い期間使われたものだが、さすがに最近は聞かない。
また、広島に「宮島の鹿の角」があるのなら、奈良にだって「奈良の鹿の角切り」ぐらい、あっても良さそうなものだが、ない。(ちなみに広島市出身のNアナウンサーに聞いたところ、「宮島の鹿の角」は知らないと言っていた。本当に地域限定なのかもしれない)
【だるまさんも屁をこく!?】
おもしろいのは、「ぼんさん」と「だるまさん」が激突して、融和している例だ。つまり、
「だるまさんがへをこいた」
という言い方が京都府、広島県、埼玉県和光市、新潟県上越市、愛知県名古屋市で「5件」見られることだ。こう答えた人は、いずれも20代(男1人、女4人)。
最近生まれた形なのかもしれない。「11文字」だし。
また、主語が「だるまさん」であることから見て「だるまさんがへをこいた」という地域は「だるまさん」文化が優勢な地域ではないか。そこに、「ぼんさん文化圏」から移住してきた人が、生み出した言い方なのではないか。
とかく関西の人間は「屁をこく」。実際によく「こく」かどうかはわからないが、少なくとも「屁をこく」という言葉を口に出す。仕事が終わって家に帰る時に、
「さあ、家帰って、メシ食うて、フロ入って、屁ェこいて寝よ」
なーんて言葉は、よく耳にするではないか。関西では。
別に、こかなくても良いのである。「家に帰って、メシ食って、フロ入って、寝」ればいいのだ。しかし、なぜか関西人は「屁をこいて」しまう。
もちろん、公の場ではこんな言い方はしないが、親しき仲では「屁をこく」のである。
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・・一体、なんなんだろう?
まあ、とにかく、「屁をこく」のは「ぼんさん」文化圏の特徴なので、「だるまさん」に屁をこかせたのは、きっと「関西人」に違いない。そして、これだけ関西弁が全国に広まってしまっている現状を思い起こせば、近い将来、インド人もインディアンも広島の安芸の宮島の鹿も「屁をこく」に違いないだろう。私はここに断言する・・・。
もう一つ、大事なことを思い出した。大阪・高槻市で育ったTさん(女性・30代)によると、鬼は「だるまさんがこーろんだ」の後に、「プッ・プク・プー」と言い、最後の「プー」で振り返ったという。ほーら、やっぱり。「だるまさんがころんだ」から「だるまさんがへをこいた」に変わる中間で、すでに「だるまさん」は屁をこいていたのだ!
(お食事中の方、失礼しました。あっ、そもそも「ぼんさんがへをこいた」の話だから、今さら謝っても始まらないか。)
【やはり「ぼんさん」劣勢】
近畿地方の「ぼんさん」と「だるまさん」の現状について、小矢野教授の調査データに基づいて、各府県別に振り返ってみよう。
それによると、
(ぼんさん) (だるまさん)
大阪府 25 17
兵庫県 10 17
京都府 7 4
滋賀県 3 0
奈良県 4 7
和歌山県 0 1
大阪府と京都府、それに滋賀県が辛うじて「ぼんさん」優勢だ。他県はすでに「だるまさん」に負けている。大阪と兵庫以外はデータのサンプルがやや少ないが、案じていた通り「だるまさん」がじわじわと進出している様子が見て取れる。
「来ない」という意味の「けーへん」「きーひん」「こーへん」という言い方について、今年の3月に大阪・京都・神戸の三都で調査した際にも、関西の伝統的な方言「けーへん」をあまり残さずに、共通語の影響を受けて生まれた新しい方言である「こーへん」をいち早く取り入れていたのは「神戸」であったが、「ぼんさん」「だるまさん」に関しても、「だるまさん」の取り入れ度が大きいのは、どうやら「兵庫県」のようだ。これはおそらく、ニュータウン建設などで他の地域からの人口流入が激しいということと密接な関係があるのだろう。
また、年齢別の「ぼんさん」と「だるまさん」の分布は、以下の通り。
(ぼんさん) (だるまさん)
10代以下 9 33
20代 29 67
30代 11 11
40代 4 6
50代 4 6
60代以上 0 2
計 57 125
となる。
20代以下は圧倒的にだるまさん優勢だ。(ちなみにその他は26人)全国の趨勢は、止めようがないだろう。
小矢野教授は、今後の展開について次のように語った。
「伝承遊びの衰退は、しようがないが寂しい。『ぼんさんがへをこいた』は、地域の知識人で先祖の供養をして人々の幸せを祈ってくれるお坊さんでも、極めて日常的な生理現象を避けることができない。そこに"笑い"が生じるのである。罪のない笑いと言えるだろう。全国的に広まった『だるまさんがころんだ』は、内容面で問題がないだろうか。体のバランスを保つ機能を持った足。『だるまさん』には足がない。だから転んだ。これが身体障害者差別にならないとも限らない。」
ちなみに小矢野教授が、大阪外国語大学に韓国から来ているの留学生に聞いたところによると、韓国にも「だるまさん」や「ぼんさん」に似たものがあるそうだ。その言葉とは、
「ムグンファ コッチ ピッ オッスンニダ」(ムグンファの花が咲きました)
「ムグンファ」とは韓国の国の花、「ムクゲ」。
小矢野教授はこれを、
「ムクゲの花が咲いた」
と、見事に「10文字」に訳した。
「ぼんさん」や「だるまさん」「インド人」に比べて毒がなく、キレイだ。400人もの坊さんが火炎ビンを投げたりする国民性を考えると、日本と韓国が逆のような気もするが、表(大人)の文化と、裏(子供)の文化は、必ずしも一致しないのだろう。それどころか、相互補完の関係にあるのかもしれない。
【「ぼんさん」は、どこへ行く?】
「ぼんさんがへをこいた」が衰退した理由は、まず、子どもの地域での遊びのグループがなくなってしまったこと。年齢の異なる子どもたちの集まりが減り、幼稚園や学校での同い年のグループしか、遊びの仲間はいない。本来、そういったグループの中で、年長の子どもから年少の子どもに口伝えで教えていった遊びの言葉の一つが「ぼんさんがへをこいた」であった。
遊びそのものは、現在も残っているが、保育園や幼稚園・小学校では、大人である先生が
この遊びを教える。その際には、一見「屁をこいた」という下品なフレーズを含まない「だるまさんがころんだ」を教える。もちろん、共通語・東京発信の情報ステーションであるテレビからは、「だるまさんがころんだ」しか流れて来ない。
子どもたちは「ぼんさんがへをこいた」といった"地域固有のコトバ"ら隔離されてしまっているのだ。
「坊さん」自体も、生活の中で、なかなか見かけなくなった。法事や葬式など、特別な時にだけやって来る「お客さん」になってしまった。これも、「ぼんさんがへをこいた」が子どもたちから離れて行った理由の一つだ。壬生寺の松浦管主の、
「最近は、境内で遊ぶ子どもの姿を見ることが、本当になくなった」
という言葉がよみがえる。
また、単なる下品な言葉・スラングであれば、思春期を迎えた頃に、親の監視下から離れて友達の中で身につけることもあろうが、その年齢の頃に「ぼんさんがへをこいた」や「だるまさんがころんだ」といった遊びを「ツッパリ青少年」がやるとは思えない。「思春期の乙女」も同様である。
かくして、「ぼんさんがへをこいた」は、消えて行く運命にある。
せめては、そういった遊び言葉が「かつて存在した」ことを、後世に伝え残す義務が、関西に生きる我々には、あるのではないだろうか。
(1999、10、14)
(改稿・1999、10、25)
(修整・2018、8、29)