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『道浦TIME』

新・ことば事情

6930「エジソンはえらい人」

漫画家のさくらももこさんが、乳がんのため今月15日に亡くなりました。53歳。早すぎる死です。

さて、さくらももこさんと言えば『ちびまる子ちゃん』、そして『ちびまる子ちゃん』と言えば、アニメの主題歌『おどるぽんぽこりん』ですね。164万枚のミリオンセラー。ちなみに、この曲を歌って「日本レコード大賞」も受賞した「B.B.クィーンズ」のボーカル「坪倉惟子さん」は、私の高校の1年後輩です!(自慢)そして、この曲の作詞も、さくらももこさんです。(きのうネットで、イスラム圏で放送されているアニメ『ちびまる子ちゃん』の主題歌を聴きました。『おどるぽんぽこりん』とは全く別のイスラムっぽい曲でした。各国で主題歌は違うのですね)

その「おどるぽんぽこりん」の歌詞の中に、

「エジソンはえらい人」

というのがあるのをご存じでしょうか?突然、出て来るフレーズで、「何なんだ」という感じですが、さくらさんの世界は、いつも子ども時代をプレーバックしていて、当然、

「大人が忘れてしまった、子どもの世界のおもしろいフレーズ」

が出て来るので、

「そういうもの。特に意味はない。語呂合わせ」

のように考えがちですが、私は、これは違うのではないかと思います。この「エジソンはえらい人」というのは、文字数で言うと、

「10文字」

です。つまりこれは、

「だるまさんがころんだ」「ぼんさんがへをこいた」

などと同じく、子どもの遊びの中で使われた言葉ではないか。

しかも、さくらももこさんの地元、

「静岡県清水市(現・静岡市清水区)」

子どもたちが遊びの時に使っていた言葉ではないか?と思うんですね。

「だるまさんがころんだ」のような「10文字の言葉」には、地方によってバリエーションがあり、「神奈川県」には、

「乃木さんはえらいひと」

というのがあります。この「乃木さん」(=乃木希典・陸軍大将)を「エジソン」に置き換えたのが、

「エジソンはえらい人」

なのではないか?と、私は推測しています。

実はこの「10文字の言葉」の地方によるバリエーションについて、以前、調べたことがあります。もう19年前(1999年)ですが、その際に書いたものを、さくらももこさんに哀悼の意を捧げて、ここに掲載しておきますね。ちょっと長いですよ。役職などは全て「1999年当時」です。

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「ぼんさんVS.だるまさん」

読売テレビアナウンス部・道浦俊彦

【「ぼんさんがへをこいた」は、どこへ行った?】

ひょんなことから子供の頃の遊びの言葉を思い出した。

「ぼんさんがへをこいた」

「はじめの第一歩!」の掛け声で始まるこの遊び、鬼が目隠しをして向こうを向いて、10数える間に、ジリッ、ジリッと近寄り、鬼にタッチをする。鬼がこちらを向いた時に少しでも動くと、「○○ちゃん、動いた!」と名前を呼ばれ、鬼に手をつながれ、囚われの身になる遊びだ。1から10まで、数を言う代わりに、

「ぼんさんがへをこいた」

あるいは、

「だるまさんがころんだ」

といった「10文字の言葉」を言うのだが、そのテンポは変幻自在に変えられる。フェイントである。また、単純に1から10まで数えるよりも早く唱えられるという利点もあった。

この「数えことば」が、関西では、古くから「ぼんさんがへをこいた」であったのだが、最近あまり耳にしない気がする。もしかして最近は東京や全国の標準である「だるまさんがころんだ」に取って代わられているのではないか?

早速、街へ出て調べてみた。蝉時雨の大阪・茨木市民プールにやって来る幼稚園児~小学生をつかまえて、「ぼんさんがへをこいた」を知っているかどうか、聞いてみた。案の定、「ぼんさん」を知っている子どもは、ほとんどいなかった。20人ぐらい聞いた中で「ぼんさん」を知っているのは小学5年生の男の子2人だけだったのだ。しかし、みんな「だるまさん」は知っていて、学校や家の近くでよく遊ぶと言う。遊び自体は廃れていないようだ。

会社で「昔、子供だった大人たち」に聞いてみた。すると、関西出身の人はやはり「ぼんさんがへをこいた」、関東出身の人は「だるまさんがころんだ」が多かった。この他、

「インド人のくろんぼ」

という、差別的で、絶対にテレビでは出て来ないであろうものを、岡山市内では使っていたとYデスク(40代)は言う。奈良市のT団地で育った0ディレクター(20代)も「インド人のくろんぼ」派。3~4年前に、お笑いタレントのダウンタウンが、番組の中でこの話題が出た際に「うちは○○○○と言ってた」と話した時に、○○○○の部分が「ピーッ」という例の音で掻き消されたという。彼は、

「きっと、ダウンタウンは『インド人のくろんぼ』と言ったから、ピーッと鳴ったんですよ。ダウンタウンは(兵庫県)尼崎の出身やから、尼崎も『インド人のくろんぼ』と言うんですよ、絶対!」

と話す。

大阪・千里ニュータウンで子供時代を過ごした0さん(30代)は、

「インディアンのふんどし」

と言っていたという。東京は練馬区0泉・・・大泉学園で幼年時代を過ごしたUキャスター(30代)も同じく「インディアンのふんどし」派だ。女性でも何の恥じらいもなく、

「ふんどし」

言っていたのか。

【インド人とインディアン】

レコード室で子どもの遊び関係のレコードを物色していたら、「こどものあそび、こどものうた~遊びからみた日本のわらべうた~」(コロムビア・レコード、1979.9)という20年前のレコードを見つけた。そこには「となえうた」として、「だるまさんがころんだ」(東京)と並んで、「インディアンのふんどし」(東京)もあった。解説によると、

『(子どもたちが騒いでいるのは)「インディアン」の5文字を誰かの名前に変えると面白いというので、友達の名前で言ってみたり、

「もりまさこのふんどし」

などと有名人の名を当てはめて騒いでいるのです。』

とある。当時、森昌子・21歳・独身。そんな遊び方もあったのか。

このレコードには、

「くらやみで、ベルが鳴る」

という数え方も録音されていた。これなども、映画のタイトルみたいだ。

思うに、「インディアンのふんどし」あるいは「インデアンのふんどし」は、「インド人のくろんぼ」から派生したものではないか?「インド人→インディアン」と「インディアン→インド人」を考える時、やはり、

「インド人→インディアン」

と考える方が自然である。当時、つまり昭和30年から40年代は「インディアン」の「ディ」という発音は、大人はもちろんのこと、子供には難しかったため「インデアン」となった地域もあっただろう。実際、インターネットで検索した兵庫県北部の人や、後で出てくる香川県高松市出身の、早稲田大学・飯間浩明氏はは「インデアン」派だった。

インド人を使った10文字ことばはこのほか、

「インド人のうそつき」

というのもあった。・・・・ひどい。

しかしもしかしたら、外国では、「日本人のイエローモンキー」とか「日本人のうそつき」なんてものがあるのかもしれない。やっぱり、チョッとイヤだ。

そう言えば、今から30年~35年ほど前、私(昭和36年生まれ)が子どもの頃によく口にしたCMのセリフの一つに、

「インド人もビックリ!」

というカレーのCMがあった。

即席(今はインスタントという言葉に取って代わられたが)カレーの箱に、黒い顔をして白いターバンを巻いたインド人と思しきイラストが描かれていた。今は、スーパーマーケットのカレー・コーナーにずらりと並ぶインスタント・カレーの中でも、パッケージにインド人または黒人のイラストを描いたものは一つもない。「ダッコちゃん」や「ちびくろサンボ」が姿を消して久しい今、これも時代の要請なのだろう。(「ちびくろサンボ」は今年になって復活の兆しはあるが。)

話は大いに横道にそれるが、私が、ほんまもんのインド人を見たのは、それからずっと後のこと。1989年(平成元年)に、インドのカルカッタに行った時だ。まず、高級ホテルの門番がターバンを巻いていた。タクシーの運転手もターバンを巻いていた。去年、ニューヨークに行った時に乗ったタクシーの運転手もターバンを巻いていた。しかし、インド人は皆ターバンを巻いているわけではなく、ターバンを巻いているのは「シーク教徒」だという話だった。そうそう、会社からほど近い大阪・京橋駅付近のカレー屋「印度屋」(そのままの名前やなあ)の厨房にいるインド人のおじさんも、ターバンを巻いている。シーク教徒なのか。

ところで「シーク教徒」とは、「イスラム教」か?インドなら「ヒンデゥー教」ではないのか?横道にそれついでに『広辞苑』を引いてみた。

*「シク教」・・・(Sikhism)インド・パンジャブ地方を中心に、イスラム教の影響を受けて興隆した宗教。15世紀にナーナク(人名)が開いたもので、ヒンデゥー教の改革を図り、偶像崇拝・カースト制度などの否定、唯一の創造神の熱狂的な崇拝を特徴として、五戒を厳守する

とあった。「五戒」?「十戒」の半分?もう一度、辞書を引く。

*「五戒」・・・仏教用語。在家の守るべき五種の禁戒。不殺生、不ちゅう盗、不邪淫、不妄語、不飲酒。

とある。

フム。結局「シーク教」は、「イスラム教と仏教の影響を受けたヒンデゥー教」ということでしょう。その「シーク教徒」について、当時(1989年)私と一緒にインドに行った、フリー・ディレクターのU君は、

「ターバンを巻いている人の方が、インド人の中では人間としては信頼できましたよ。インテリやし。」

と10年前を振り返った。社会人になって最初の夏休みに、生まれて初めての海外旅行でインドを訪れ、下痢と高熱で死にかけた彼にとって、インドとは"抜き去りがたい人間不信を植え付けた国"というイメージらしい。高熱にうなされながら彼はブツブツと、こう呟いていた。

「・・・ガンジス河には、流さないでください・・・」

「日本の土にかえりたい・・・。」

今となっては良い思い出・・・なわけないか。

「インディアン」の実物には、まだお目にかかったことがない。そういう意味では「インド人」の方が、私にとっては身近である。「インディアン」に関して身近な言葉といえば、何といってもこの言葉であろう、

「ハォ!インディアン、ウソ、ツカナイ」。

ギャグとして使っていたが、子どもの頃、というよりは中学・高校生になってから、よく使ったような気がする。当時のテレビでやっていた西部劇に出てくるインディアンは、皆こういう話し方をした。(もちろん、日本語での吹き替えだが。)こういう使い方では、今はテレビでは使えないだろう。多分に偏見が含まれている気がする。実際、日本テレビの『放送で使うことば』の中には「インディアンはだめ」とは書かれていないが、今年春に発行されたTBSの『放送で使うことば』では、

「『アメリカ・インディアン』はどうしても総称が必要な時のみ使う。より好ましい表現は『ネイティブ・アメリカン』」

とある。しかし、

「ネィテイブ・アメリカンのふんどし」

では「14文字」になってしまう。ここは、やはりどうしても、

「インディアンのふんどし」

でなければならぬ。

それにしても「ぼんさん」も「だるまさん」も「インド人」も「インディアン」も、全て「インドに関係」している。子どもとインドのつながりは一体何なのか?

「全ての道は、インドに通ず」

なのか?そういえば「インドへの道」というアカデミー賞を受賞した映画があったっけ。

【においだらくさかった?】

インドと関係のない言い方も、もちろんある。三重県の伊勢市で育ったカメラのKデスク(40代)は、

「煮干しのかんぴんたん」

と言ったという。「かんぴんたん」とは「干物」のことを言うんだそうだ。

関西でも「ぼんさんがへをこいた」を使わなかった人もいる。

和歌山県印南町出身で「Uアップ」という番組に関わるN君(30代)は、

「だるまさんがころんだ」

一辺倒。生まれも育ちも大阪市西淀川区というCG室のTさん(20代)も「だるまさん」派。「ぼんさんがへをこいた」は、生まれて初めて聞いたという。

逆に「ぼんさん」によく似た髪形のF君(30代)は、

「大阪府泉大津市は『ぼんさんがへをこいた』だけでした」

と言い切る。

京都出身のKアナウンス部長に聞くと、「ぼんさん」は「ぼんさん」だけど、その後が違うという。「1から10まで」は「ぼんさんがへをこいた」そして、「11から20」までを数えるのに更に、

「においだらくさかった」

と続くというのだ。うーん、さすが、お坊さんの本場(?)・京都だけのことはある。ちなみにこの「においだら」は「におったら」の意味の「におぐ」を活用させたもの。牧村史陽の『大阪ことば事典』にも、「大阪ことば」として載っている。

さらにさらに、報道のNデスク(30代)は、

「滋賀・大津では、『11から20』までは、

『くさいのはあたりまえ』

と言いましたよ」

と真顔で証言した。・・・・京滋地区の一体感は、素晴らしい。

また、

「『ぼんさん』と『だるまさん』の両方使っていた」

という人も、20代と30代には多く見受けられた。

「女の子だけの時は『だるまさん』を使い、男の子と一緒の時は『ぼんさん』を使った」

という大阪・八尾市出身の女性(30代)もいた。

【『言語生活』の研究】

「だるまさん」と「ぼんさん」についての研究は、これまでに行われているのか?

福井大学の岡島昭浩助教授に相談すると、さっそくメールで返事が来た。それによると、今から35年ほど前の昭和39年(1964年)から40年(1965年)にかけて、当時発行されていた『言語生活』(1951年~1988年3月)という雑誌の誌上で、読者に呼びかけて各地・各年代の「子どもの遊びことばに関する研究」をしていて、その中に、「ぼんさんがへをこいた」や「だるまさんがころんだ」が載っているというのだ。

『言語生活』は、10年ほど前に休刊になっているが、その最後の編集長が、武庫川女子大学の佐竹秀雄教授だ。武庫川女子大の言語文化研究所の佐竹先生の部屋を訪ねると、創刊号から最終号までの『言語生活』が、ズラリと並んでいた。佐竹教授にこの件に関して伺うと、

「確かに、そういう研究が1年にわたって行われているが『ぼんさんがへをこいた』が『だるまさんがころんだ』に押されているとか、そういう記録はない」

とのこと。ただ、やはり「へをこいた」の品の無さに比べると、「ころんだ」のほうが無難だったので、そちらが広まるようになったのではないかという話だった。

「当時のことが分かる人に話を聞こう!」

ということで、読者との研究をしていた頃の編集員の一人だった高橋太郎さんという人を探した。なにせ今から35年前の話。当時30歳としても今は65歳、40歳なら今は75歳だ。果たしてご健在だろうか?

佐竹先生の記憶を基に、高橋さんがその後、勤めているはずの東京の立正大学に電話してみると、すでに去年、定年退職されたということ。そこで、神奈川県のご自宅の電話番号を聞き出し、電話をかけた。すると、年配のご婦人が出て来て、

「主人は今、畑に出てまして・・・」

しばらくしてから、また電話をするとご本人が出た。

「今は週に1回、関西外国語大学で講義を持っているので、夏休みが明けたら一度そちら(大阪)で会いましょう。」

と約束を取り付けた。

【「だるまさん」より「ぼんさん」が古い!?】

それまでの間に、大阪の古くからの言葉をよく知っている「なにわことばのつどい」の、年に1度の総会(7月28日=「なにわ(728)の日」)に出て、他の言い方がないか聞いてみた。

参加者は60代から70代の人が中心だったが、やはり「ぼんさんがへをこいた」とは言ったが、「だるまさんがころんだ」は言わなかったという。

91歳の男性も「ぼんさんがへをこいた」と言っていたというので、どうも「ぼんさん」の起源は、

「1910年代・大正時代初期にまで」

さかのぼれるようだ。『言語生活』の特集には、

「『だるまさんがころんだ』は、昭和初期に東京で子供時代を過ごした人たちは知らない」

と出ていたので、「だるまさん」より「ぼんさん」のほうが、歴史が古いことになる。

ちなみに、同じく『言語生活』によると、昭和20年(1945年)までに、東京や静岡県浜松市、福島県で、

「あんまさんがころんだ」

というのがあったらしい。これが、こういった「早読み法」がない地域に流れて「だるまさんがころんだ」になったのではないか、という推測も載っていた。

「なにわことばのつどい」の出席者の一人で、78歳の男性(大阪市西淀川区出身)は、

「『山伏の法螺の貝』とも言った」

と答えてくれた。

「やまぶしのほらのかい」

確かに「10文字」。これは新しい発見だ。

また、パネリストとしてこの会に参加していた大阪のことばに詳しい井沢寿治氏によると、

「ぼんさんは、坊さんではなく、商家の丁稚(でっち)のことでっせ」

と話していた。これは私にとって大きな驚きであると同時に「ほんまかいな?」という疑念も生じた。確かに『大阪ことば事典』には、

「『ぼんさん』は『丁稚』のこと」

と書いてはあるが、「僧侶の通称」と最初に出ている。武庫川女子大の佐竹先生に聞いても、

「うーん、やはり『ぼんさん』は『お坊さん』のことでしょう。丁稚が屁をこいても面白くないですからね。謹厳実直なお坊さんが屁をこいてこそ、"おかしみ"が生まれるんだと思いますよ。それに、子どもは『丁稚』のことを『ぼんさん』とは言いません。『丁稚』を『ぼんさん』と呼ぶのは大人です。『ぼんさんがへをこいた』は、子どもが遊びの中で作ったものですから、やはり『ぼんさん』は『お坊さん』を指すのだと思います」

とのことだった。突如現れた「ぼんさん=丁稚説」は、否定されたと考えて良いだろう。

【ぼんさんに聞く】

ホッとした私は、今回この問題を取り上げるに当たって取材せざるを得ない職業の人の

人選に入った。その職業とは、言わずもがな、「お坊さん」である。

関西で「ぼんさんがへをこいた」が消えつつあり、「だるまさんがころんだ」がじわじわ増えている現状について、当のお坊さんは、どう感じているのか。ぜひ聞きたいと思った。

しかし、どのお坊さんに聞けば良いのか?そもそも「屁をこいた」であるから、話の持っていきようによっては「バカにしてるのか!喝!」と叱責を受ける恐れもなきにしもあらず。

失礼に当たることなく、地域の子ども文化の伝承という視点で、ぜひコメントをもらいたいと考えた。

お坊さん、お寺、と言えば、やはり「京都」であろう。そこで「子ども文化」・・・というと・・・そうだ、「壬生寺」だ!壬生寺は新選組でも有名だが、子どもを守る菩薩である「お地蔵さん」でも有名だ。「地蔵盆」には、お地蔵さんを地区の子ども会などに貸し出したりもしていると、以前ニュースで見たこともある。子ども関連なのだから、きっと、ご住職も答えてくれるはず!・・・と見当をつけて取材要請したところ、快く引き受けてくれた。

松浦俊海貫主(64歳)は「子どもの頃、私らも、よう言いました。『ボンサンガヘヲコイタ、ニオイダラクサカッタ』。これ以外にも『ボンサン』と名の付く子どもの遊びことば、結構ありましてな、中学ぐらいの時、お盆の時期に路面電車に乗って檀家さん回りをした際に、学校の同級生などに見つかると、後ろをついて来られて『ボンサンボンサン、ドコイクノ・・・』などと歌われて、恥ずかしい思いをしたこともありました。大人になってからは、それほど気にすることもなくなりましたが、『ボンサンガヘヲコイタ』で思い出すことといえば、今から20年ぐらい前のことです。檀家で若いお父さんが亡くならはって、お経を上げに行った時に、そこの5歳ぐらいの男の子がジーッとこっちを見ているんですな。お経が済んで帰る段になって、思い切ったように口を開いてこう聞くんです。『ぼんさーん、屁ェこくんか?』。お父さんが亡くなって悲しいことは悲しいんでしょうが、まだ小さいので、その悲しみよりも日頃から気になっていた『ボンサンガヘヲコイタ』のことばの方が興味があったんでしょうな。滅多に来ないお坊さんを目の前にして『今、聞かなくちゃ!』と思っていたんだろうと思います。私は『そりゃ、こくよ』と答えたんですが、久しぶりに『ボンサンガヘヲコイタ』ということばに接して思い出すのは、この時の出来事ですなあ。あの子も今頃はもう、24~25歳になって、もしかしたら子どもの父親になっているかもしれませんが」

松浦管主は、こうも付け加えた。

「昔はここの境内でも、小学生ぐらいの子どもたちがよく遊んでいたんですが、最近は、ほとんど見かけませんな。子どもの数も減っているんでしょうが、外で子どもが遊ぶことも減ってきてるんですかなぁ・・・。」

少子化も、「ぼんさんがへをこいた」の衰退に、拍車をかけているんだろうか。

【その他の数え方】

話は『言語生活』に戻る。この中には、「ぼんさん」や「だるまさん」以外に、

「へいたいさんがはしる」(石川県金沢市・昭和30年頃)

「のぎさんはえらいひと」(神奈川県昭和・20年代後半。これについては、後述)

「くるまんとんてんかん」(福島県)

といった「10文字の早読み法」が紹介されていた。こういったことを基に、インターネットを使って検索をしてみた。すると、

「くるまんとんてんかん」

は、「宮城県仙台市」でも使われているものの、意味は分からないということがわかった。

「とんてんかん」のように撥音「ん」が入ると、テンポが良くなる。だから、文字数では「とんてんかん」は6文字だが、拍数でいうと3拍になる。つまり、2倍のスピードで言うことができるわけだ。「ぼんさん」も「ん」が2つ入っているし、「だるまさん」も1つ入っている。三重・伊勢の、

「煮干しのかんぴんたん」

などは「くるまんとんてんかん」と後半部分のリズムは、全く同じと言って良い。「ん」の連発だ。これによって「早読み」の目的は達成されやすくなるわけだ。

このほか、例の差別的言辞、

「インド人のくろんぼ」「インディアンのふんどし」(青森県・福岡県・佐賀県)

「インド人のきんたま」(長崎県・・・あとで大阪外国語大学の小矢野教授の調査でも出てくるが、神奈川県横浜市の40代男性も使っていた)

「アライグマのビチグソ」

「ペルー人がゲロはいた」

なども載っていた・・・・本当に汚い。無論、放送は出来ない。「ニュース・スクランブル」は、夕食どきのお茶の間(死語かな?)の皆さんがターゲットの番組である。

大人は「良識の衣」をまとっていて、公には差別的な言葉は発しない。しかし、子どもは敏感にそういった雰囲気を感じ取り、遊びの言葉の中に取り入れていったのではないか。「下ネタ」も「差別的な言葉」も、「表」にこそ出て来ないが、皆の意識の底には流れているに違いない。インターネットは、そういった個々の「地下水」的な意識の汲み上げには便利な道具だが、その中には往々にして「有毒なコトバ」が含まれているので、テレビの放送ではそのまま使えなかったりする。

「だるまさんがころんだ」にしても、本来は起き上がりこぼしで転ばないはずの「だるまさん」が転ぶという事象を笑う、あるいは、修行で手も足も無くなってしまった達磨大師が転ぶ様子をおかしむという意味では、「毒」を持っているのだが、本来持つ意味が風化してしまったために、それほど抵抗感なく受け入れられているのだろう。

【「だるまさんがころんだ」という歌があった!】

こういった少数派の「有毒な」数え方を蹴散らして、「早読み法」の王道を行く「だるまさんがころんだ」は、歌にもなっていた。昭和53年(1978年)の8月に、NHKの「みんなのうた」で斎藤こず恵・ゆかり姉妹が歌う「だるまさんがころんだ」という曲が流れたというデータが載っていたのだ。(斎藤こず恵は、NHKの朝の連続テレビドラマ「鳩子の海」に出ていた子役女優だ。「おしん」の小林綾子が出るまでは、結構有名だったが、今はもう30代になっていることだろう)ただ、残念なことに、ここには歌詞やメロディー(譜面)は載っていなかったので、どんな曲だったかは思い出せない。たしか、私も聞いた覚えはあったのだが。NHKに問い合わせてみたが、すでにレコード類は廃盤・絶版になっていて、楽譜もない。のちに出た「みんなのうた・ベスト盤」に入ってないところを見ると、あまり流行らなかったのではあるまいか。「山口さんちのツトムくん」や「さとうきび畑」、最近では長野オリンピックでも歌われた「輪になって踊ろう」などは「ベスト盤」に入っているというのに。

結局、このレコードは、読売テレビのレコード室でも見つからなかった。しかし、レコード室のスタッフが、在阪各局のレコード室に電話で問い合わせてくれた結果、毎日放送のレコード室にあることが判明!持ち出しはできないものの、録音をさせてもらうことができた!ちょっと演歌調のこの歌の歌詞は、次のようなものだった。

「だるまさんがころんだ」

作詞・作曲・山本正之

うた・斎藤こず恵・ゆかり

編曲・小山田 暁

アニメーション・矢口高雄

1)パパと お風呂に入ったら

いつも すぐには出られない

肩まで沈んで あったまって

100まで 数えなさいってね

もう、フラフラよ

だけどインチキの数え方 知ってるわ アッアーン

デタラメの数え方 やっちゃうわ アッアン アーン

*だるまさんがころんだ

三四郎が笑った

ゲンゴロウが潜った

紙風船が消えた

遊覧船が揺れた

扁桃腺がはれた

カメレオンの赤ちゃん

チャンピオンのデカパン

アビニオンの坊さん

宇宙船が飛んでく オホーホ オホホッホ

ホーラ 百まで数えたよ *

  1. パパのお休み 日曜日

    いつでも グーグー寝ぼすけさん

    おフトンはがして くすぐっても

    百まで数えなきゃ 起きないと

    オメメが トロトロよ

    さてっと インチキの数え方知ってるわ アッアーン

    デタラメの数え方 やっちゃうわ アッアン アーン

    (以下、*~*印繰り返し)

    というものだった。

    このころ(20年前)は、まだ「週休2日制」が定着していなくて、パパのお休みは日曜日だけだったのに、お父さんも大変だった訳だ。

    もちろん、この曲の「だるまさんがころんだ」から「宇宙船がとんでく」までは、それぞれ「10文字」になっていて、「10」のこのセリフを唱えると「100」まで数えたことになるというのだが、「だるまさん」以外は聞いたことがないので、おそらく作詞の山本正之という人の創作だろう。けれど、インチキとかデタラメの数え方と言われると、少し反感を覚える。斎藤こず恵さんは、そう感じなかったのだろうか?

    【インターネットのつながり】

    実は、毎日放送のレコード室でこのレコードが見つかる前に、インターネットで言葉についてのホームページを持っている、早稲田大学の飯間浩明さんという人にメールを送り、

    「だるまさんがころんだ」と「ぼんさんがへをこいた」について、何か情報を持っていないかを尋ねていたのだ。その飯間さんからの返事のメールにこの「だるまさんがころんだ」の歌詞が記されていた。

    しかし私は、この歌詞を見ても曲(メロディー)が思い浮かばず、「どんな曲でしたっけ?」と厚かましくも、またメールを送ったのだった。すると、飯間さんは忙しい中、記憶に残っていた曲をMIDIでファイルにして送ってくれた。これを聞いて私は「そう言えば、こんな曲だった」とようやく思い出すことができたのだった。

    もちろん、この早稲田大学の飯間さんとは、顔を合わせたことはおろか電話でしゃべったこともないのだが、飯間さんは福井大学の岡島助教授と交流があるためか、初めて届いたメールに「(道浦さんの)お噂はかねがね伺っています。東京に住んでいるため、番組が拝見できず残念です。」という社交辞令(?)が記されていた。

    このほか、インターネットを使って、会ったこともない人たちにメールを送って、いろいろご教示頂いたことが、多々あった。例えば、宮城県仙台市の幕田好久さんという方は、自分のホームページで「くるまんとんてんかん解明委員会」というコーナーを立ち上げていた。

    メールを送っていきさつを話すと、ご自分が調べた範囲でのことを教えてくれた。

    「くるまんとんてんかん」は「だるまさんがころんだ」と同じように使われているものであり、仙台より南の地域から福島県にかけて、幅広い世代の方がこれを使っているとのことだった。

    立場としては「ぼんさんがへをこいた」と同じようなポジションにありそうだが、「くるまんとんてんかん」には下品さが感じられないので、「ぼんさんがへをこいた」よりは人に伝えやすいのではないか。ただ、意味がよくわからないので、伝えづらい面もあるかもしれない。

    「くるまんとんてんかん」については、国立仙台電波工業高等専門学校の武田拓先生という人が方言の研究をされていると、幕田さんから紹介があったので、メールを送ってみた。するとすぐに返事があって、武田先生の研究発表(1998年)である「宮城・福島沿岸地域におけるグロットグラム調査報告」「宮城県中新田町方言の研究」(文部省科学研究費補助金基盤研究B成果報告書)の中から、「くるまんとんてんかん」と「だるまさんがころんだ」の分布に関する部分の抜書きを送ってくれた。

    それによると、宮城県の北部では「だるまさんがころんだ」が、仙台市など県南部では「くるまんとんてんかん」が使われており、それは現在まで残されている。つまり、共通語と対立した形で方言が残る「方言対立残存型」の言葉だ、と位置づけている。

    しかし、その意味にまでは踏み込んでおらず、欄外の注に「この遊びの名称については、関西の、ボウサンガヘオコイタ等、全国各地にいくつかの語形が存在するようである」と簡単に触れているのみである。

    このほか「くるまんとんてんかん」以外の宮城県の言い方としては、

    「きくのはな、うつくしや」(菊の花、美しや)

    というキレイなものもあるそうである。また、武田先生は、身近な福島県出身者から「くるまんとんてんかん」を使うということを聞いたことはない、と答えている。

    【ゲームもあった!】

    現在、「だるまさんがころんだ」が、やはり全国的規模で広がっていることを裏付ける一つの出来事があった。アナウンス部の後輩で西宮市出身のOアナウンサー(20代)に聞いた時に、

    「僕は、『だるまさんがころんだ』って言ってましたねえ。そうそう、ゲームセンターに『だるまさんがころんだゲーム』がありましたよ。去年くらいかなあ、結構、流行ってましたよ」

    という情報を得た。最近のゲームセンターは、私などが入り浸っていた、15~16年前とは全く様相が違って、できるゲームがないので立ち寄らなくなっていたが、しばらく行かない間に、そんな所にまで「だるまさん」は忍び寄っていたとは!

    しかし、ゲームセンターに立ち寄る機会もないまま、そのままにしていたある日、一緒に取材に出た、制作会社Eのゲーム類にも詳しいHカメラマン(30代=私と同い年)にこの話をしたところ、

    「ああ、それならオレ持ってますよ。プレイステーションの、ちっこいゲームですわ。持って来ましょうか?」

    という話になった。「モチはモチ屋」というところか。

    次の日、その「だるまさんがころんだゲーム」とご対面。

    キーホールダーの少し大きいぐらいのもので、白黒の液晶画面に人が出てきて、左右のボタンを交互に押すと歩いていく。右端に「だるまさん」がいて、後ろ向きに目隠しをしている。画面の上に「だるまさん」「が」「ころんだ」という文字が順々に出てくるのだが、「ころんだ」が出た時は、人は動いてはいけない。動いてしまうと、その時点でゲームオーバーだ。制限時間内に「だるまさん」にタッチすると、残った時間が得点となり、次のステージに進める。こう書くと複雑そうに思えるが、やり始めると実に単純で、ついつい、はまってしまうゲームだった。豆粒ほどの左右のボタンを目まぐるしく押し続けていると、10分ほどで、指先が痛くなってきた。(一応これもENGカメラで撮影しておいた。)

    今、子どもたちにとっては一番身近と言えるメディア=ゲームの世界でも「だるまさん」によって「ぼんさん」は隅に追いやられているのであろうか。

    ボードゲームの「人生ゲーム」に様々なバージョンがあるように、ゲーム会社は「だるまさんがころんだゲーム」の関西版である「ぼんさんがへをこいたゲーム」や、仙台・福島版の「くるまんとんてんかんゲーム」を出してもいいのではないか?

    本気でそう考えた。

    【高橋先生、登場】

    9月中旬。

    大学の長い夏休みも終わって、ようやく高橋太郎先生が大阪にやってきた。

    カメラ取材するかどうかの判断も兼ねて、読売テレビで高橋先生と打ち合わせをすることになった。高橋先生とは電話でしか話したことがない。電話では少し早口で、大阪で言う"いらち"な感じがした。

    約束の日の約束の時間、高橋先生がやってきた。

    70歳を少し出たくらい。もともと出身は京都だという。高橋先生も、やはり子どもの頃は「ぼんさんがへをこいた」と言ったそうだ。

    髙橋先生は『言語生活』で子どもの遊びことばを特集した部分を、ほぼ1年分にわたってコピーして持ってきてくださった。一部は、すでに福井大の岡島先生や武庫川女子大の佐竹先生からコピーをもらって目を通しているものではあったが、残りは初めて見る資料。

    1年間にかなりの言葉が集められたものの、徐々に読者からの資料の投稿も減り、1年で一旦活動を停止した様子が、その資料からも読み取れた。高橋先生はそういったコピーを手渡しながら、

    「私は、確かに当時のことは分かりますが、現在どうなっているかは、調べていないのでわかりません。またいつ頃、関西に『だるまさん』が入り込んで来たか、『だるまさん』が減って来たかについても、調べていないのでわかりません。もう、年なので、このことについて研究しようという気は、残念ながらありません」

    と話した。そしてこう続けた。

    「私の後輩で、大阪外国語大学の小矢野という者がいます。彼にこの話をしたら、道浦さんのことも知っているし興味もあるから、さっそく学生に聞いて調べてみますと言っていました。私はテレビの取材も苦手だし、後の話は小矢野君に引き継ぎますから、彼にインタビューしてくれますか。」

    結局、「ぼんさん」と「だるまさん」を巡る話の決着は、「平成ことば事情」のコーナーでもおなじみの大阪外国語大学・日本語講座の小矢野哲夫教授に委ねられることになったのである。

    【小矢野教授の研究】

    その1週間後、カメラマンと共に、大阪外大に小矢野教授を尋ねた。おりしも、台風18号が近畿地方を直撃!と言われている日だった。私もこの取材がなければ、間違いなくどこかの台風中継に駆り出されていた。(実際、私の代わりにHアナウンサーは、大阪駅前から中継を行っていた。)他のカメラマンは皆、台風中継や取材に出ている中、私たちは「ぼんさんがへをこいた」の謎を解くべく、箕面の山へと向かっていたのだった。

    満を持して研究室で我々を出迎えてくれた小矢野教授は、インターネットのホームページで呼びかけた分と、教室で学生に聞いてくれたアンケートによる合わせて200人の「だるまさん」と「ぼんさん」の分布資料を見せてくれた。それによると、全体の59、5%の人(118人)が「だるまさんがころんだ」を使い、27、8%(56人)が「ぼんさんがへをこいた」を使った。その他は13、7%である。

    関西だけに限ると、「ぼんさん」が49%(49人)、「だるまさん」が46%(46人)

    その他が5%(5人)と、かろうじて、「ぼんさん」がリードしている。

    全国で「ぼんさん」という人56人のうち、82%に当たる46人が関西人であることを考え合わせると、やはり「ぼんさん」は関西特有の数え方なのであろう。

    ちなみに「その他」の言い方の中には

    「アメリカのワシントン」(山形市・40代・男)

    「いーぷくぷくよーいどん」(京都府網野町・10代・女)

    「いのじのくーろんぼ」(大阪府八尾市・50代・男)

    「いわしのかんぴんたん」(三重県浜島町・30代・男)

    「インデアンの金玉」(神奈川県横浜市・40代・男)

    「インディアンのふんどし」(埼玉県和光市20代・女)(千葉県松戸市・40代・男)(愛知県名古屋市・20代・女)

    「インド人のうそつき」(京都市・20代・女)

    「インド人のくろんぼ」(大阪府高槻市・20代・女)(福岡県久留米市・10代・女)(福岡県糠屋郡・20代・女)(福岡県北九州地方・30代・男)(岡山県倉敷市・30代・男)(岡山市・30代・男・女)(鳥取県倉吉市・50代・男)(福岡県大川市・20代・女)

    「お兄さんが笑った」(東京都・20代・女)

    「くるまのとんてんかん」(福島市・20代・女)

    「宮島の鹿の角」(広島県大野町・20代・女)

    「乃木さんは偉い人」(神奈川県横浜市・40代・男)

    などだった。

    乃木さんとは、もちろん、乃木希典(のぎ・まれすけ)陸軍大将のことである。(もちろんと言いながら、辞書を引きながら書いている。)日露戦争で司令官として遼東半島の旅順を攻略した。明治天皇の大葬の当日、妻と共に殉死したことでも有名だ。1912年のことだから、今から87年前。横浜の40代の男の人は、昭和30年代から40年代(1955年~1974年頃まで)に「乃木さんは偉い人」を使っていたという。『言語生活』」にも、この「乃木さん」は出ていて、神奈川県で昭和20年代後半に使われていたそうだ。ずいぶん長い期間使われたものだが、さすがに最近は聞かない。

    また、広島に「宮島の鹿の角」があるのなら、奈良にだって「奈良の鹿の角切り」ぐらい、あっても良さそうなものだが、ない。(ちなみに広島市出身のNアナウンサーに聞いたところ、「宮島の鹿の角」は知らないと言っていた。本当に地域限定なのかもしれない)

    【だるまさんも屁をこく!?】

    おもしろいのは、「ぼんさん」と「だるまさん」が激突して、融和している例だ。つまり、

    「だるまさんがへをこいた」

    という言い方が京都府、広島県、埼玉県和光市、新潟県上越市、愛知県名古屋市で「5件」見られることだ。こう答えた人は、いずれも20代(男1人、女4人)。

    最近生まれた形なのかもしれない。「11文字」だし。

    また、主語が「だるまさん」であることから見て「だるまさんがへをこいた」という地域は「だるまさん」文化が優勢な地域ではないか。そこに、「ぼんさん文化圏」から移住してきた人が、生み出した言い方なのではないか。

    とかく関西の人間は「屁をこく」。実際によく「こく」かどうかはわからないが、少なくとも「屁をこく」という言葉を口に出す。仕事が終わって家に帰る時に、

    「さあ、家帰って、メシ食うて、フロ入って、屁ェこいて寝よ」

    なーんて言葉は、よく耳にするではないか。関西では。

    別に、こかなくても良いのである。「家に帰って、メシ食って、フロ入って、寝」ればいいのだ。しかし、なぜか関西人は「屁をこいて」しまう。

    もちろん、公の場ではこんな言い方はしないが、親しき仲では「屁をこく」のである。

  • ・・一体、なんなんだろう?

    まあ、とにかく、「屁をこく」のは「ぼんさん」文化圏の特徴なので、「だるまさん」に屁をこかせたのは、きっと「関西人」に違いない。そして、これだけ関西弁が全国に広まってしまっている現状を思い起こせば、近い将来、インド人もインディアンも広島の安芸の宮島の鹿も「屁をこく」に違いないだろう。私はここに断言する・・・。

    もう一つ、大事なことを思い出した。大阪・高槻市で育ったTさん(女性・30代)によると、鬼は「だるまさんがこーろんだ」の後に、「プッ・プク・プー」と言い、最後の「プー」で振り返ったという。ほーら、やっぱり。「だるまさんがころんだ」から「だるまさんがへをこいた」に変わる中間で、すでに「だるまさん」は屁をこいていたのだ!

    (お食事中の方、失礼しました。あっ、そもそも「ぼんさんがへをこいた」の話だから、今さら謝っても始まらないか。)

    【やはり「ぼんさん」劣勢】

    近畿地方の「ぼんさん」と「だるまさん」の現状について、小矢野教授の調査データに基づいて、各府県別に振り返ってみよう。

    それによると、

    (ぼんさん) (だるまさん)

    大阪府 25 17

    兵庫県 10 17

    京都府 7 4

    滋賀県 3 0

    奈良県 4 7

    和歌山県 0 1

    大阪府と京都府、それに滋賀県が辛うじて「ぼんさん」優勢だ。他県はすでに「だるまさん」に負けている。大阪と兵庫以外はデータのサンプルがやや少ないが、案じていた通り「だるまさん」がじわじわと進出している様子が見て取れる。

    「来ない」という意味の「けーへん」「きーひん」「こーへん」という言い方について、今年の3月に大阪・京都・神戸の三都で調査した際にも、関西の伝統的な方言「けーへん」をあまり残さずに、共通語の影響を受けて生まれた新しい方言である「こーへん」をいち早く取り入れていたのは「神戸」であったが、「ぼんさん」「だるまさん」に関しても、「だるまさん」の取り入れ度が大きいのは、どうやら「兵庫県」のようだ。これはおそらく、ニュータウン建設などで他の地域からの人口流入が激しいということと密接な関係があるのだろう。

    また、年齢別の「ぼんさん」と「だるまさん」の分布は、以下の通り。

    (ぼんさん) (だるまさん)

    10代以下 9 33

    20代 29 67

    30代 11 11

    40代 4 6

    50代 4 6

    60代以上 0 2

    計 57 125

    となる。

    20代以下は圧倒的にだるまさん優勢だ。(ちなみにその他は26人)全国の趨勢は、止めようがないだろう。

    小矢野教授は、今後の展開について次のように語った。

    「伝承遊びの衰退は、しようがないが寂しい。『ぼんさんがへをこいた』は、地域の知識人で先祖の供養をして人々の幸せを祈ってくれるお坊さんでも、極めて日常的な生理現象を避けることができない。そこに"笑い"が生じるのである。罪のない笑いと言えるだろう。全国的に広まった『だるまさんがころんだ』は、内容面で問題がないだろうか。体のバランスを保つ機能を持った足。『だるまさん』には足がない。だから転んだ。これが身体障害者差別にならないとも限らない。」

    ちなみに小矢野教授が、大阪外国語大学に韓国から来ているの留学生に聞いたところによると、韓国にも「だるまさん」や「ぼんさん」に似たものがあるそうだ。その言葉とは、

    「ムグンファ コッチ ピッ オッスンニダ」(ムグンファの花が咲きました)

    「ムグンファ」とは韓国の国の花、「ムクゲ」。

    小矢野教授はこれを、

    「ムクゲの花が咲いた」

    と、見事に「10文字」に訳した。

    「ぼんさん」や「だるまさん」「インド人」に比べて毒がなく、キレイだ。400人もの坊さんが火炎ビンを投げたりする国民性を考えると、日本と韓国が逆のような気もするが、表(大人)の文化と、裏(子供)の文化は、必ずしも一致しないのだろう。それどころか、相互補完の関係にあるのかもしれない。

    【「ぼんさん」は、どこへ行く?】

    「ぼんさんがへをこいた」が衰退した理由は、まず、子どもの地域での遊びのグループがなくなってしまったこと。年齢の異なる子どもたちの集まりが減り、幼稚園や学校での同い年のグループしか、遊びの仲間はいない。本来、そういったグループの中で、年長の子どもから年少の子どもに口伝えで教えていった遊びの言葉の一つが「ぼんさんがへをこいた」であった。

    遊びそのものは、現在も残っているが、保育園や幼稚園・小学校では、大人である先生が

    この遊びを教える。その際には、一見「屁をこいた」という下品なフレーズを含まない「だるまさんがころんだ」を教える。もちろん、共通語・東京発信の情報ステーションであるテレビからは、「だるまさんがころんだ」しか流れて来ない。

    子どもたちは「ぼんさんがへをこいた」といった"地域固有のコトバ"ら隔離されてしまっているのだ。

    「坊さん」自体も、生活の中で、なかなか見かけなくなった。法事や葬式など、特別な時にだけやって来る「お客さん」になってしまった。これも、「ぼんさんがへをこいた」が子どもたちから離れて行った理由の一つだ。壬生寺の松浦管主の、

    「最近は、境内で遊ぶ子どもの姿を見ることが、本当になくなった」

    という言葉がよみがえる。

    また、単なる下品な言葉・スラングであれば、思春期を迎えた頃に、親の監視下から離れて友達の中で身につけることもあろうが、その年齢の頃に「ぼんさんがへをこいた」や「だるまさんがころんだ」といった遊びを「ツッパリ青少年」がやるとは思えない。「思春期の乙女」も同様である。

    かくして、「ぼんさんがへをこいた」は、消えて行く運命にある。

    せめては、そういった遊び言葉が「かつて存在した」ことを、後世に伝え残す義務が、関西に生きる我々には、あるのではないだろうか。

    (1999、10、14)

    (改稿・1999、10、25)

    (修整・2018、8、29)

(修整・2018、8、29)

2018年8月30日 20:23 | コメント (0)

新・ことば事情

6929「『中年』は何歳か?」

平成ことば事情266「中年」、平成ことば事情340「中年2」でも昔、書いた「中年」について書きます。

寺田寅彦の『天災と国防』(講談社学芸文庫)の中の「厄年とetc.」(146ページ~149ページの中にこんな記述が。

「日本では昔から四十歳になると、すぐに老人の仲間には入れられないまでも、少なくとも老人の候補者くらいには数えられたもののようである。しかし自分はそう思わなかった。四十が来ても四十一が来ても別に心持の若々しさを失わないのみならず肉体の方でもこれと云って衰頽(すいたい)の徴候らしいものは認められないつもりでいた。それでもある若い人たちの団体の中には自分たちの仲間は中老連などと名付けられていた。」

「私の方では年齢の事など構わないでいても、年齢の方では私を構わないのでおかないのだろう。ともかくも白髪と視力聴力の衰兆とこれだけの実証はどうする事も出来ない。これだけの通行券を握って私は初老の関所を通過した。そしてすぐ眼の前にある厄年の坂を越えなければならなかった。」

1878年(明治11年)生まれの寺田寅彦は、「厄年(数えで42歳)」を迎える前にこの文章を書き始め、この文章を書き終えたのは1921年(大正10年)4月、43歳でした。大正時代には、も「40歳」で「初老」だったのですね。

最新のデータ(たぶん)を見てみましょう!NHK放送文化研究所が出している『放送研究と調査』の「2017年12月号」に載った、

"『高齢者』は、72歳7か月からである"

~2017年「日本語のゆれに関する調査」から~

という論文によると、以下のような超ッさデーらが出たそうです。

(開始年齢)   (終了年齢)

「中年」  ①40歳~(41%)①~60歳(32%)

      ②50歳~(19%)②~55歳(25%)

      ③45歳~(16%)③~50歳(19%)

「おじさん」①50歳~(24%)①~60歳(32%)

      ②40歳~(23%)②~65歳(18%)

      ③35歳~(10%)③~55歳(15%)

「おばさん」①40歳~(26%)①~60歳(31%)

      ②50歳~(21%)②~65歳(19%)

      ③45歳~(12%)③~55歳(15%)

と以下、全部書く面倒臭いので、やめます。その代り「それぞれにおける平均年齢」というのが載っていて、そちらの方が恐らくわかりやすいので、それを引き写します。

<男子>        ~18歳1か月

<女子>        ~18歳4か月

<中年>  43歳1か月~56歳4か月 

<おじさん>44歳7か月~60歳1か月

<おばさん>44歳7か月~60歳3か月

<初老>  62歳8か月~70歳4か月

<老人>  72歳0か月~

<高齢者> 72歳7か月~

<お年寄り>73歳1か月~

ということです。

なんと!先日「57歳」になったばかりの私は、

「『中年』の枠を超えてしまっている」

ではないですか!いつまでもあると思うな「中年時代」。

「初老」は「62歳」だから、しばらくは、

「『おじさん』枠」

に留まるしかないのか!

また、「老人」「高齢者」「お年寄り」は、実態は同じで言い方違うだけなんですが、微妙に対象年齢がズレますね。

「老人<高齢者<お年寄り」

なんですねえ・・・。感覚的には。これは意外な感じも。

ずいぶん前に「中年は何歳か」を神戸の女子大生たち(19&20歳)120人に聞いて調べましたが(平成ことば事情266「中年」=2001年8月29日、ピッタリちょうど「17年前」か!)、あの時の結論は、

「『中年』は37、1歳~52、4歳」

で、一番「若い中年」の認識は「28歳」で、一番年配の中年は「60歳」という結果が出たのでした。そして、その範囲の平均を取ると、

「ザ・中年=44、8歳」

ということでした。それを、「一回り以上」超えてしまったのだから、そろそろ「中年」は"卒業"ですなあ。

当時、私はちょうど「40歳」になったばかりで、ちょうど寺田寅彦が、上記の文章を書いたぐらいの年でしたが、やはり「中年」という認識はあまりなかったなあ・・・。

17年の間に、私の「中年時代」も終わりを告げたようです・・・。

その「17年間」で「平成ことば事情」で「226→6929」まで、約「6700」の言葉のコラムを書いた「中年時代」だったと言えますね。

1年平均で「394」。おお、11つ以上書いてるわ!頑張りました!!

(2018、8、28)

2018年8月29日 15:54 | コメント (0)

新・ことば事情

6928「宮川選手のアクセント」

体操女子のリオ五輪代表だった、

「宮川(みやかわ)紗江選手」

のコーチが宮川選手に暴行を加えていたとして「クビ」になったことに対して、当の宮川選手が、「そんなことはない」と反論して、予想外の展開を見せています。

この「宮川選手」の名字は、

「ミヤカワ」

と「川」は濁らないのですが、アクセントは、

(1)ミ/ヤ\カワ(中高アクセント)

(2)ミ/ヤカワ(平板アクセント)

のどちらでしょうか?と「ミヤネ屋」の藤田ナレーターから質問を受けました。

これが「ミヤガワ」と「川」が「濁る」のであれば、

「ミ/ヤガワ」

と「平板アクセント」になるので、それと区別をするには、今回の「宮川選手」は「濁らない」ということを示すために、

(1)ミ/ヤ\カワ(中高アクセント)

が良いのではないか?とアドバイスしました。

8月29日の日本テレビ『スッキリ』では、水卜アナウンサーは「平板アクセント」で、

(2)「ミ/ヤカワ」

でしたがVTRの女性ナレーターは「中高アクセント」の

  1. ミ/ヤ\カワ

でした。

(2018、8、29)

2018年8月29日 15:33 | コメント (0)

新・ことば事情

6927「TARAKOのアクセント」

なんと「さくらももこ」さんが亡くなりました。「ちびまる子ちゃん」の作者。53歳。私より若いのに・・・。乳がんだったそうです。早すぎます。驚きました。8月15日に亡くなったそうです。

8月28日の「ミヤネ屋」で、このニュースをご紹介しました。

その際にナレーターの鹿瀬さんから質問が。

アニメ「ちびまる子」役の声優、

「TARAKO」

さんの名前のアクセントについて、

「私は『平板アクセント』で、『タ/ラコ』と「食べるタラコ」と同じアクセントで読んだのですが、中矢ナレーターは『頭高アクセント』で『タ\ラコ』と読んでいたのです。どちらが正しいのでしょうか?」

え?私は鹿瀬さんと同じで、てっきり「平板アクセント」で、

「タ/ラコ」

だと思っていたのですが、調べてみると「ウィキペディア」などでは、芸名の起源は、

学生時代、『サザエさん』の息子のフグ田タラオ(タラちゃん)のようなしゃべり方だったために友人から付けられたニックネーム「タラ子(『タラ』に女の子から)」に由来する。これをローマ字表記にし、芸名とした。そのため、タラコの様に平板に発音するのではなく、最初の「タ」にアクセントを置く。」

と書かれているではありませんか!

実際はどっちなのかは、わかりませんが、他番組も注意して聞いてみたところ、8月28日の読売テレビ「かんさい情報ネットten.」では、ナレーターの有田さんは、

「タ/ラコ」

と「平板アクセント」。また他局ではTBS(MBS)の夕方のニュースでも、

「タ/ラコ」

と「平板アクセント」でした。読売テレビアナウンス部で、その場にいた4人のアナウンサー(牧野・萩原・立田・澤口)に聞いたところ、全員、「平板アクセント」の、

「タ/ラコ」

でした。

ちなみに、きょう(8月28日)ご出演の

「RIKACO」

さんは、「頭高アクセント」で「リ\カコ」ですね。これは、あんまり関係ないか。

(2018、8、28)

2018年8月28日 19:23 | コメント (0)

新・ことば事情

6926「幕内か?幕の内か?」

「ミヤネ屋」女性ナレーターの中矢さんから質問を受けました。

「きのうNHKの放送を見ていたら『幕の内』って言ってたんですが、相撲は『幕内』か、『幕の内』、どちらなんでしょうか?」

「うーん、どちらも言いますが、スポーツニュース的には『幕内』かなあ。でも、『幕の内』も言いますねえ。どちらでも正解なんじゃないですかねえ。」

と答えてから調べると、NHK放送文化研究所のサイトにこう載っていました。(メディア研究部・放送用語山下洋子氏。抜粋)

https://www.nhk.or.jp/bunken/research/kotoba/20151201_4.html

(Q)相撲中継でよく出てくる「幕内」「幕の内」ということばは、「マクウチ」「マクノウチ」どちらが正しいのでしょう。

(A)どちらも間違いではありません。NHKの相撲中継では「マクノウチ」という読みを第1として使っています。

<解説>

「幕内」「幕の内」は、相撲番付の最上段に記載される前頭以上の力士の地位のことを言います。また、その力士のことを「幕内力士」「幕の内力士」と言います。前頭と、関脇、小結、大関、横綱の力士たち、定員は40人以内とされています。

江戸時代、将軍の相撲上覧の際に、数人の優れた力士が、将軍のいる幕の内部に入る待遇を受けました。そのことから、「幕の内に入る優秀な力士」ということで「幕の内力士」「幕内力士」と呼ばれるようになりました。

読み方は「幕の内側」ということから「まくのうち」また、それが縮まって「まくうち」と読まれます。

書き方も「幕の内」とも「幕ノ内」とも「幕内」とも書かれることがあります。

どの読み方も、どの表記も間違いとは言えませんが、NHKの放送では、わかりやすいように「マクノウチ」と読むことを第1にしています。また、表記は、慣用的な表記としてよく使われる「幕内」を使っています。

ということで、結論は、

「どちらでも良い」

ということで・・・。

(2018、8、28)

2018年8月28日 19:20 | コメント (0)

新・ことば事情

6925「103年ぶり」

第100回全国高校野球選手権大会で準優勝した、秋田県代表の金足農業高校。

秋田県勢の決勝進出は、「第1回大会」以来、

「103年ぶり」

ということで、話題になりましたが、私は一つ、疑問が浮かびました。

「第100回大会なのに、なぜ103年ぶりなのか?」

という疑問です。「毎年開催」されていて「第100回」ならば、

「99年ぶり」

なのではないか?と思ったのです。

公益財団法人 日本高等学校野球連盟のサイトで調べてみると、

http://www.jhbf.or.jp/sensyuken/history/#01

予想通り、

「戦争(太平洋戦争)で中断」

されていたからでした。

1941年(昭和16年)の「第27回大会」が、戦局深刻化のため、文部省次官通達で「地方大会半ば」で「中止」。途中までは開かれたのですね。

そして、続く1942年(昭和17年)から1945年(昭和20年)までは「第2次世界大戦」のため中絶、そもそも大会は開かれませんでした。だから「回数」はカウントされていません。

「第28回大会」は、1946年(昭和21年)に再開され、そこからは毎年開かれているのですね。

「平和は偉大」です。

しかし、大会の歴史年表をよーく見ていたら、もう1回「全国大会」が初めて「中止」になった回がありました。それは、

「1918年(大正7年)第4回大会」

です。原因は何と、

「米騒動」

です!各地区の「予選」は行われたようですが「全国大会」は中止。「戦争」は想像していたけど「米騒動」が原因で中止とは・・・知らなかった。

この年は、

「第一次世界大戦が終戦した年」

でもありますね。

「全国大会」は「中止」はされた(開けなかった)けど、予定はされていたので、「第4回大会」という回数は「カウント」はされているのです、「第27回大会」と同じように。

「戦争」も「米騒動」も、二度と起こってほしくありませんね。

(2018、8、28)

2018年8月28日 19:18 | コメント (0)

新・ことば事情

6924「屋上の『床材』」

8月23日の「台風20号」の上陸で、兵庫・淡路島の風力発電も風車が、根元から折れて倒壊しました。それだけ「風の強い台風」だったのです。

その他、兵庫・西宮のマンションでは、屋根の一部がはがれて駐車場に落下。車が数台、下敷きになってしまいましたが、不幸中の幸いで、けが人などはありませんでした。

それ受けて、その翌日(8月24日)の「ミヤネ屋」の原稿に、

「屋上から10m四方の床材が崩落」

という一文があり、放送前にナレーターの鹿瀬さんから、

「『屋上』に『床材』というのは、違和感があるのですが・・・」

との申し出があり、ディレクターとも相談して、

「屋上から10m四方の建材が崩落」

に直しました。その日の夕刊各紙を見たら、

<読売>=14階建ての屋上のウレタン断熱材がはがれ、約10メートル四方分が地上の駐車場に落下

<朝日>=14階建てのマンションの屋上部分が幅数十メートルにわたりはがれ

【写真キャプション】屋上部がはがれ落ちたマンション

<産経>同県西宮市西宮浜のマンションの屋根の一部が剥がれ駐車場に落下した

【写真キャプション】台風20号による強風のため屋根がはがれたマンション

<日経>同県西宮市西宮浜4丁目のマンションの屋根が飛び

【写真キャプション】マンションの屋根の一部が剥がれ、下の駐車場に落下した

<毎日>西宮のマンションの記事なし。

で、「床材」とした社はありませんでした。当然か。

それで、もう一つ、記事を見ていて思ったのは、

「剥がれる」

という漢字を使っている社と、使っていない社があることです。

「日経と産経」は「剥がれる」を使っていますが、「読売と朝日」は使っていません。「剥」という漢字は「2010年の改訂常用漢字」に入ったので、使っても良いはずなのですが。不思議なのは「産経」で、「本文」では「剥がれる」と使っているのですが、「写真キャプション」では「はがれた」と漢字を使わずに「平仮名」にしていました。まあ、「揺れている表記」なのでしょう。

(2018、8、27)

2018年8月28日 11:11 | コメント (0)

新・ことば事情

6923「『判官びいき』の読み方」

「判官びいき」

の読み方について、総合広報部のYさんから問い合わせがありました。

『視聴者の方から、先日の『ウェークアップ!ぷらす』での高校野球の話題で、今回優勝した「大阪桐蔭」が憎まれ役みたいで、準優勝の「金足農業」ばかり取り上げられることを指して、アナウンサーが、

「はんがんびいき」

と言っていたが、正しくは、

「ほうがんびいき」

ではないか?というご指摘がありました。

『新聞用語集2007年版』では、407ページの「放送で基準とする読み方例」の項に

*「判官」=ハンガン〔裁判官のこと〕名判官、塩谷(エンヤ)判官

=ホーガン〔表外音訓〕〔検非違使の尉(じょう)〕九郎判官義経、判官びいき

とあり、私なりに察すると、「判官」の読み方は「ハンガン」も「ホーガン」でも〇。

但し、前後の言葉により決定する。従って、「判官贔屓(びいき)』は、

「〇ホウガンビイキ、×ハンガンビイキ」

ではないか?と思われますが、どうなんでしょうか?

いろいろと調べてみましたが、大体『新聞用語集』の読み方の説明とほぼ同じものでした。放送における正しい読み方を解説していただくと有難いです。宜しくお願いいたします。」

とのことです。私はこう、返事のメールを送りました。

『たしかに『新聞用語集2007年版』の「放送で標準とする読み方例」では

*「ホーガンびいき」

になっていますし『NHKことばのハンドブック第2版』では、

*「ホーガンびいき」×ハンガン

になっていますが、最新版の読売新聞社の『読売スタイルブック2017』308ページには、

*「はんがんびいき」判官びいき(「ほうがんびいき」とも)

と逆の表示になっています。

手元の国語辞典では、

*「ホーガンびいき」=広辞苑、明鏡国語辞典、旺文社標準国語辞典、岩波国語辞典

*「ハンガンびいき」=新明解国語辞典(ホーガンとも)

*両方「見出し」で載せている=精選版日本国語大辞典

*「ハンガンびいき」空見出し=デジタル大辞泉、三省堂国語辞典、現代国語例解辞典

また「はんがん」が「空見出し」の『現代国語例解辞典』は、「ほうがん」の語句説明で、

『歌舞伎の世界では「ほうがん」=源義経、「はんがん」=「塩谷(えんや)判官」を指す』

と、『新聞用語集』と同じようなことを書いています。

語源的に考えると「判官びいき」の「判官」は「九郎判官義経」(=源義経)を指すのですから、『新聞用語集』『NHKことばのハンドブック第2版』に示されたように、

「放送では『ホーガン』と読むべき」

でしょう。

しかし、現状は「ハンガンびいき」を認めている辞書もあるので、

「『絶対間違い』とまでは言えない」

のではないでしょうか?

なお、『新明解』は「ホーガンびいき」は、

「『はんがんびいき』の古風な表現」

と記しています。

『旺文社』は、見出しは「ほうがん」のみですが、「ほうがんびいき」の語句説明の中に「はんがんびいき」を載せています。

『岩浪国語』も「はんがん」「ほうがん」両方あり、「ほうがんびいき」も「見出し」がありますが「はんがんびいき」は見出しがなく、「ほうがんびいき」の語句説明の中に「はんがんびいき」と書かれていました。』

(2018、8、27)

2018年8月27日 20:13 | コメント (0)

新・ことば事情

6922「体の長さ」

8月27日のNHKお昼のニュース・関西ローカルニュースで、

「アルパカの赤ちゃんが人気」

というニュースを放送していました。その中で、

「体の長さは、およそ1メートル」

とアナウンサーが読んでいたのですが、これは、

「体長」

のことでしょう。たしかに「体長」は「体の長さ」ですし、これが、

「恐竜(テラノサウルスなど)」「シラナガスクジラ」

ならば「体の長さ」でいいと思います。でも「アルパカの赤ちゃん」には"不適当"だと思いました。人間の「身長」も、字面からは「身の長さ」に違いありませんが、

「身の長さ」「体の長さ」

と読み砕いたりしない、もし、そうしたらおかしいでしょ。それと同じ理由です。

アルパカの場合は「体長」と「体高」があります。「体高」は「体の高さ」とかみ砕いてもそれほど違和感はありませんが、だからと言って「体長」を「体の長さ」と言うと、違和感があります。それは、使い分けた方がいいなと、私は思いました。

NHKのホームページに載っていた記事は、以下の通りです。

原稿に「体の長さ」と書いてあったのか。

https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20180827/0006106.html

『滋賀県日野町にある農業体験施設で、先月、ラクダの仲間の動物、「アルパカ」の赤ちゃんが誕生し、愛くるしい姿が人気を集めています。アルパカは南米の標高が高い地域に生息し、大きな瞳と、ふわふわとした毛が特徴のラクダ科の動物です。日野町にある農業体験施設「ブルーメの丘」では、4頭のアルパカを飼育していて、先月24日に、このうちの1組のペアから赤ちゃんが生まれました。赤ちゃんはメスで、生まれた時は7キロでしたが、母親の母乳を飲んで現在は、体の長さがおよそ1メートル、体重14キロにまで元気に成長しています。』

(2018、8、27)

2018年8月27日 20:12 | コメント (0)

新・ことば事情

6921「防犯カメラに映る?写る?」

8月12日の夜、大阪府警富田林警察署の面会室から、樋田淳也容疑者(30)が、アクリル板を破って逃走してから2週間。その行方は杳(よう)としてしれません。

8月27日のお昼のニュース前に、報道のOデスクに、

「防犯カメラに『ウツル』という場合は、『写る』『映る』、どちらでしょうか?」

と質問を受けました。それに対して私は、

「カメラで『ウツス』ならば『写す』だけど、『ウツル』の主体は『ウツッタもの』つまり『映像』なので、画面かスクリーンなどで確認しないとわからない。確認したもの、という意味では『映った』でいいと思うよ。『防犯カメラで写した映像に映っていた』を省略して『防犯カメラに映った』ではないかな。それと、『スチール写真』の場合は『写す・写る』、『ビデオなど動画』の場合は『映る』の傾向が強いのではないかなあ。」

と答えて、放送では、

「防犯カメラに映った男」

「映った」が使われました。

このひ(8月27日)の夕刊を見たところ、

(毎日)防犯カメラに映っていたのは

(産経)防犯カメラに、樋田容疑者とみられる男の姿が写っていた

と表記が分かれていまsした。NHKのお昼のニュースでは、

「写って」

を使っていたとOデスクが話していました。

8月28日の「読売新聞」朝刊では、同じ事件を取り上げて、

「映っており」「映っていた」

「映」を使っていました。具体的には、

「複数の防犯カメラに、樋田容疑者らしき男は署の近くで自転車を盗んで北に向かう姿が映っており」

「複数の防犯カメラに男が黒い原付バイクで走っている様子が映っていた」

というものでした。

(2018、8、28)


(2018、8、27)

2018年8月27日 20:11 | コメント (0)

新・ことば事情

6920「あだ名とニックネーム」

夏の甲子園で準優勝した金足農業の吉田輝星(こうせい)投手は、ふだんチームメートからどう呼ばれているか?という話題を「ミヤネ屋」で何回か取り上げました。吉田投手は、

「ヨッシー」

と呼ばれているそうです。それを、最初ディレクターが、

「アダ名」

と出していたので、

「『アダ名』は、『カタカナ』で書くとイメージが悪い。しかし『平仮名』で『あだ名』でも、ネガティブなイメージがある。というのは『あだ名』は『デブ・チビ・ハゲ』などのマイナスイメージの身体特徴をベースにした、例えば『鼻が高い』と『天狗』、『太っている』と『ブーちゃん』などの類。吉田投手の『ヨッシー』は、単なる『呼び名』なので『ニックネーム』『愛称』『通称』が良いのではないか」

として、放送では、

「愛称」「ニックネーム」

にしました。

ただ「ニックネーム」は「6文字」で長いので嫌われるようです。

8月21日の「デジサカ」というツイッターで、

「浅野拓磨の評価が急上昇!アダ名は何と"シンカンセン"!?」

という記事の見出しで、

「アダ名」

を使っていました。内容は、ドイツのサッカーリーグ「ブンデスリーガ」の「ハノーファー」に移籍した浅野拓磨選手が、

「まるでシンカンセン! 日本人選手タクマ・アサノはハノーファーで高速鉄道の故郷のあの超特急電車のようなスタートを切ることになるかもしれない」

と期待感あふれる特集を組んだと。ここでの「アダ名」は、

「スピードがある=シンカンセン(新幹線=超特急)」

という「プラスイメージ」で使われていました。

(2018、8、27)

2018年8月27日 20:10 | コメント (0)

新・読書日記 2018_116

『友情~平尾誠二と山中伸弥「最後の一年」』(山中伸弥、平尾誠二・惠子、講談社:2017、10、3)

iPS細胞で2012年にノーベル賞を受賞した山中伸弥教授と、ラグビー元・日本代表の故・平尾誠二さん。この二人が「同学年(1962年度生まれ=私より1つ下の学年)」で"無二の親友"であったとは、この本のことを知るまでは、知りませんでした。しかも知り合ったのは、2010年のこと。つまり大人になってからの友人関係だと。また、山中教授がノーベル賞をもらう前に知り合っています。まあ、平尾さんはその実力・甘いマスクなどからも超有名人でしたから、大学時代にラグビーをやっていた山中教授が知っていても不思議ではない。憧れるのもわかりますが、平尾さんが山中教授と、というのは意外でした。

でもやはり一流の人たちは、惹かれ合う所があったのでしょう。性格も引き合い所があったのでしょうね。家族ぐるみの付き合いになっていたそうです。

ところが。2015年の秋に、平尾さんが「末期のがん」であることが判明。余命は「年内(3か月半ぐらい)」と宣言されます。そこからです、山中教授が平尾さんのがん治療に関して、まるで家族に対するように懸命に取り組んだのは。山中教授にとって、いつしか平尾さんは「かけがえのない存在」になっていたのでしょう。そして平尾さんは平尾さんで、「末期のがん」という運命を平然と「しゃあないわなあ」と受け入れながらも、最後の最後まで(最期まで)生きることを諦めない姿勢は、まさに「スポーツマンの鑑」だと思い、読みながら涙を禁じえませんでした・・・。

平尾さんが亡くなって間もなく2年。来年(2019年)には日本でラグビーの「ワールドカップ」が開かれます。


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(2018、8、23読了)

2018年8月24日 18:37 | コメント (0)

新・読書日記 2018_115

『テレビ最終戦争~世界のメディア界で何が起こっているか』(大原通郎、朝日新書:2018、7、30)

テレビとインターネットの戦いの最前線、最新情報。アメリの状況を中心に。大変勉強になりました。

これを読んでいると地上波テレビ局も、ネット時代の対応に速やかにシフトしていかないとあと10年、保たないのではないか?と思いますが、10年後には私はもうとっくにリタイアしているし、若い世代に頑張ってもらわないとな、と思ってしまいました・・・。

序章が「日本のテレビが危ない」。若者のテレビ離れが起きていると。確かに、うちの大学生の息子も「テレビは、ほとんど見ない」と言っています。中2の娘は「録画して」よく見ていますが。そう「録画して」。録画するとコマーシャル(CM)を飛ばすことができるから、民放のスポンサーにとっては折角CMを出しても意味がない。だから、

「録画しないで放送時間にリアルタイムで見てもらう」

ことが重要なんですね。でも、

「その時間にしか、見られない」

ことからテレビが敬遠されて、

「自分の好きな時間に見られる」

という「自由」を選べるようになってきた。

そういえば海外旅行の時の「飛行機の中で上映される映画」も、昔は共通のスクリーンや画面に出ていたものを見るだけだったので、「見られる映画の種類」も「開始時刻」も選べなかったのに、今や、それぞれのスクリーンに数百種類の映画の中から選んで、好きな時間から見ることができるようになっていますよね。

それが「地上波テレビ」の世界にも押し寄せてきているんだと思えば、「なるほどねぇ」と思います。

「第1章」の「ネットフリックスの衝撃」は、つまりそういうことですね。インターネットで「動画(番組)」を流すと、みんなそちらを選択するようになると。そこにフェイスブック、グーグル、アマゾンも参入してきた。

そうそう、うちの近所のレンタルビデオ店「TSUTAYA」が、最近閉店したんですが、わざわざ借りに行って・・・それは、まあいいとしても、

「期日までに店舗まで持って行って返却しなければならない」

という点で、ネット動画配信に劣るんですね。どんどんみんな「便利な方へ」進むんだよな。

そしてイギリスの会社「パフォーム」が日本に進出してきました。と聞いても、ピンときませんでしたが、

「DAZN」

というインターネットチャンネルが、Jリーグの中継権を、なんと、

「10年で2100億円」

という巨額で契約を結んだという話は聞いていました。その親会社が「パフォーム」なのだそうです。知らなかった!やはり「コンテンツ」を押さえた者が、優位に立つのか?特に「言語」を介さなくてもわかる、サッカーなどの「スポーツ」は、コンテンツとして大変優秀ですよね。

日本のテレビ業界、またネット業界は、こういった海外からの攻勢にどう立ち向かっているのか?そのあたりは「第9章さあ、どうする日本の放送業界」に記されています。この章の最後の項目は、

「東京オリンピックが最後のチャンス」

ということは「あと2年」なのか・・・どうする?テレビ局!?


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(2018、8、8読了)

2018年8月24日 18:35 | コメント (0)

新・読書日記 2018_114

『老後の資金がありません』(垣谷美雨、中央公論新社文庫:2018、3、25第1刷・2018、5、20第4刷)

単行本は、中央公論新社から2015年9月に出ていました。

著者のことは不勉強で知りませんでしたが、ストレートなタイトルに興味を惹かれて購入。

「老後」の資金に関して・・・というか、これまで生活資金に無頓着で、家のことは全部妻に任せて来た(丸投げしてきた)夫、娘の結婚資金、義父の葬儀費用、義母の老人ホームへの仕送りなど、次から次に想定以上の大きな「支出」が出来する一方で、「収入」のほうは、夫のリストラ&退職金なし、年金も雀の涙、パートの首切りなどと、次々閉ざされていく。一体どうやって暮らしていけばいいのか?人生、「まさか」という想定外のことが起こるものだが、ここまで続くのは、やはり"小説"だからか?

でも、実際にこういうことになったら、どう過ごせばいいのか?という"シミュレーション"として読める。また、優雅に暮らしているセレブに見える人たちも、さまざまな困難や不安定要素を抱えているというあたりも描いています。

後半の、義母の活躍がおもしろいです。


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(2018、8、13読了)

2018年8月23日 18:23 | コメント (0)

新・読書日記 2018_113

『歴史の中のワイン』(山本博、文春新書:2018、8、20)

帯に書かれた、

「本当の"神の雫"はどのワインなのか!?」

に惹かれましたね。

著者は1931年生まれということで、もう90歳近いお年。本職は弁護士だが、趣味が昂じて「ワイン」に関してもプロ。著者が歩んできた「ワイン人生」に関して書くことが、そのままタイトルの「歴史の中のワイン」になるのだろう。

本書は、大きく分けると「2部構成」だ。前半が「ワインそのものの歴史」。教科書のよう。「ギルガメシュ叙事詩」も出てきた!「ワイン」について初めて書かれた"書物"だと。そうだったのか。「ギルガメシュ叙事詩」はこの前、読んだぞ。つながるなあ。

そして後半が、著者が飲んできた「具体的なワイン」についての記述で、これが大変興味深い。私は、まずそちらから読みました。

改めて「いやあ、いいなあワインって」と思いました。飲んでみたいワインが、いっぱい出て来ましたね。


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(2018、8、21読了)

2018年8月23日 18:17 | コメント (0)

新・ことば事情

6919「OL生活」

女優の「菅井きん」さんが亡くなったと、8月23日の「ミヤネ屋」でお伝えしました。

92歳でした。

菅井さんと言うと、(他局ですけど)「必殺」シリーズで、藤田まことさん演じる主役の「中村主水(もんど)」の姑役で、いつも、

「ムコどの!」

と呼びかけて、主水が「ビクッ!」とするという、コミカルな演技が思い浮かびます。

その菅井さんが「女優」の道へ進んだのは「20歳の時」だそうです。菅井さんは

「1926年(大正15年)生まれ」

なので、

「1946年(昭和21年)」

に「女優」の道へ。その前は、

「OL生活」

だったと書かれていたのです。それを見て「おや?」っと思いました。というのも、

「OL」

という言葉が生まれたのは、

「1963年(昭和38)」

だからです。「新しい時代の働く女性」を表す言葉を週刊誌『女性自身』が公募し、読者投票の結果誕生した造語・新語が「OL(オーエル=オフィス・レディー)」なのです。

それまでは、

「BG(ビジネスガール)」

と呼ばれていたのですが、実は英語で「BG(Buisiness Girl)」は、

「娼婦」

を意味するので、イメージが良くない。そこで、それに代わる言葉を募集したのです。

ということで、「OL」という言葉が出来る「前」に女優に転身した菅井さんが、

「OL生活をしていた」

という表現は、本来はおかしいのです。そこで、

「会社員生活」

という表現に直したのです。まあたぶん、戦前は「会社員」ではなく、

「職業婦人」

と呼ばれていたと思うのですが、

「職業婦人生活」

というのも「どうかなあ」と思って、少なくとも「OL」という表現を避けたのです。

「今で言う『OL生活』」

なら、まだ良かったかな。

ところがディレクターから、

「『OL生活』というのは、所属事務所の発表資料で使われている表現のままなので、それでいかせてください」

と言ってきました。

ということで、「OL生活」という表現に戻して放送しました。

でも、「OL」という言葉も今や「死語」に近付いてきているようにも感じますね。あまり、うちの若い女性社員からは、耳にしないですし。

菅井さんに哀悼の意を捧げます。

なお、「大正15年」というのは、

「1926年1月1日~12月24日まで」

です。「昭和元年」は、その残りの

「1926年12月25日~31日」

「1週間だけ」です。菅井きんさんは「1926年2月」生まれなので、

「大正15年生まれ」

です。つまり、

「『1926年』は、「『大正』と『昭和』が混在している」

のです。それは、

「『1989年が『昭和』と『平成』が混在している』

ように。そして、来年「2019年」は、

「『平成』と『新しい元号』が混在する西暦の年」

になります。

(2018、8、23)

2018年8月23日 17:54 | コメント (0)

新・ことば事情

6918「秋田に凱旋」

「道浦さん、『準優勝』(優勝していない)なのに『凱旋(がいせん)』を使ってもいいのでしょうか?」

とディレクターから質問を受けました。

何の話と言うと、もちろん、

「金足農業高校」

に関してです。8月21日、第100回全国高校野球選手権大会は、北大阪代表の「大阪桐蔭」が、秋田県代表で103年ぶりに決勝に進出してブームを巻き起こした「金足農業」を13-2で破り、史上初の「2度目の春夏連覇」を達成しました。敗れはしたものの、爽やかなブームを巻き起こした金足農業は、8月22日午後に空路、秋田へと帰りました。秋田空港には1000人を超える人たちが、見事な準優勝・健闘を称えて、出迎えました。

その様子をお伝えした「ミヤネ屋」。テロップなどで、

「金足農業 秋田に凱旋」

という表現を使ったことに対して、放送前にディレクターから、

冒頭のような質問を受けたのです。

確かに、そうなんです、

「『凱旋(がいせん)』は、勝って帰ること」

ですから、

「優勝できなかった」

のに使うのは、違和感があるかもしれません。しかし今回は、

「甲子園で5勝」

して、しかも、

「103年ぶりの決勝進出」

なので、「故郷に錦を飾る」という意味では、

「『凱旋』を使ってもよかろう」

という結論に至りました。

「平成ことば事情679凱旋」

「平成ことば事情5362凱旋2」

「平成ことば事情3572凱旋帰国」

「平成ことば事情4485『凱旋帰国』は重複表現か?」

も、お読みください。

(2018、8、23)

2018年8月23日 17:44 | コメント (0)

新・読書日記 2018_112

『孤狼(ころう)の血』(柚月裕子、角川文庫:2017、25第1刷・2018、4、30第16刷)

単行本はKADOKAWAから2015年8月に刊行。それに加筆修正したそうです。

また、「舞台」となった時代は「昭和63年」(=1988年)です。つまり、原則、携帯電話はない時代です。(ヤクザの親分が、「大きな携帯電話」を取り出すという場面は出て来る)「ポケベル」は全盛期ですね。刑事はみんな持たされている。私たちも持たされていましたよ、当時。まだ女子高生なんかは持っていなかった時代です。

最近、書かれたものなのに、まるでその時代(30年前)に書かれたような感覚がある。ハマリますね、これは。

そもそも、この著者のこともよく知らなかったのだけど、「映画化」されて、それを見た友人が「おもしろかった!」と言っていたので、「見たいな」と思っているうちに、ロードショーが終わってしまって、仕方なく「原作本」を読むことに。映画も見たいなあ。

舞台は広島県の「呉原市」という架空の町ですが、「呉」と「三原」を合わせたような。この間の豪雨災害なども思い浮かべながら、行ったことのない「呉原市」を想像しつつ、「仁義なき戦い」のような「広島弁」を味わいながら、グイグイ読み進めました。これを女性作家が書いたというのも、すごいですね。

後半で、ちょっと予想外の展開になったけど、それもまた、おもしろいかな。

夏休みに読むには良い本でした(時間にゆとりがあるので、460ページをまとめて読めた)80ページに出て来た地名の、

「海田」

に、

「かいだ」

とルビが振ってあったけど、広島なら、

「かいた」

じゃないのかな?


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(2018、8、17読了)

2018年8月22日 20:26 | コメント (0)

新・読書日記 2018_111

『もうすぐ絶滅するという煙草について』(キノブックス編集部、キノブックス:2018、1、28)

私は喫煙者でないし、たばこの煙は苦手なほうだが、ここ20年ぐらいの「喫煙者いじめ」的な「禁煙ファシズム」には反対です。

こんな本を書くのは、ほとんどが「ヘビースモーカー」だろう。実際、そうでしたが、面白いのは、「たばこ」、特に「禁煙」をテーマに書かれたエッセイを、夏目漱石、内田百閒、芥川龍之介、開高健、中島らもなど、すでに鬼籍に入った人のものから、内田樹、浅田次郎、いしいひさいちの漫画まで、現在生きている人までのものを、時代を超えてアトランダムに集めたという点でしょう。

惜しむらくは、「書かれた(発表された)年月日」を、きっちりと記してほしかったです。


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(2018、8、18読了)

2018年8月22日 20:21 | コメント (0)

新・読書日記 2018_110

『人生は「声」で決まる』(竹内一郎、朝日新書:2018、7、30)

「声」の商売をしているのだから、こういったテーマには興味がある。

著者は、どこかで聞いたことのある名前だなと思ったら、かの『人は見た目が9割』の著者じゃないですか!こういった「決めつけ」系のタイトルの本が多いのかな?タイトルは、編集者が勝手に決めるのか、著者も加わって決めているのかは、知りませんが。

内容は、「少し薄い」感じがしましたが、

「声は大事だよ」

ということを、たくさん例を引っ張って来て、最後は「良い声の作り方」の指導というような一冊でありました。

著者が「演劇畑」の人だったとは知りませんでした。


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(2018、8、16読了)

2018年8月22日 20:18 | コメント (0)

新・ことば事情

6917「ハッシュマークか?シャープか?」

「#」

というマーク、電話機のボタンの呼び方です。これは実は、

「『シャープ』ではなく『ハッシュメーク』あるいは『井桁』」

なのです。つまり「音楽のシャープ♯」と「電話機の井桁・#』は似て非なるものですが、日常会話では、

「電話機の#」

のマークを、

「シャープ」

と言っていますね。

先日の「ミヤネ屋」でこれが出て来て、その違いをちゃんとわかっている林マオアナウンサーが、放送前に、

「どう読めばいいでしょうか?」

と聞いてきました。いろいろ考えた上で、

「正しくは、『ハッシュマーク』『井桁』だけど、『ミヤネ屋』の視聴者層を考えるとそれでは伝わりにくい。日本においては、電話機の『#』マークは『シャープ』と呼ばれていて、そちらの方が伝わりやすいので、きょうは『シャープ』で読みましょう。」

と指示しました。スタッフには、ちょうどその前日に、以下のようなメールをしています。

『緊急電話番号の「#7119」の「#」の読み方。本当は「ハッシュマーク」あるいは「井桁(いげた)」。しかし日本では、よく似ている「♯(シャープ)」のほうが通りが良いので、今回は「ミヤネ屋」視聴者層も考えて「シャープ」でOK。違いは、

・「#(ハッシュマ―ク)」=「横の棒」が「水平」で、「縦の棒」が「斜め」。

・「♯(シャープ)」=「横の棒」が「右肩上がり」で、「縦の棒」が「垂直」。音楽記号で「半音上がる」意味。』

ということで、「ハッシュマーク」という本当の名前が定着するには、まだ時間がかかりそうだと思います。「ツイッター」を使っている人たちには、

「ハッシュ・タグ」

という名前で広まっているとは思いますが。

(2018、8、18)

2018年8月18日 21:41 | コメント (0)

新・読書日記 2018_109

『モンテレッジョ 小さな村の旅する本屋の物語』(内田洋子、方丈社:2018、4、17第1刷・2018、5、25第2刷)

素晴らしい一冊!本好きにはたまらない。

ヴェネチアで気に入った魅力あふれる古書店。そのルーツは、本の行商をしていた人たちの済む山の中の小さな村・モンテレッジョ。そのルーツをたどる旅を託された著者の内田洋子さん。本と、人のふれあい・・・。

旅をする感覚で読み進めてしまう。

著者の内田さんはイタリア在住。イタリア在住の作家というと「塩野七生さん」を思い浮かべるが、塩野さんから言うと娘ぐらいの世代。

また、塩野さんは「男性目線で」物語を紡ぐが、内田さんは「女性目線で」物語を紡ぐ。物語というか「ドキュメンタリー」だけど。これって映画にならないかなあ。

もう一度言います。

素晴らしい一冊!本好きにはたまらない。


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(2018、8、11読了)

2018年8月14日 18:15 | コメント (0)

新・読書日記 2018_108

『日本名詩選2(昭和戦前篇)』(編著者・西原大輔、笠間書院・2015、6、25第1刷・2015、9、30第2刷)

9月16日に大阪の「ザ・シンフォニーホール」で行われる「同志社グリークラブOBメンバーズ」の演奏会に、同志社OBではないにもかかわらず、私も出させてもらうことになりました。

そこで歌う、三好達治作詞・多田武彦作曲の『わがふるき日の歌』。いい曲なんですよ。三好達治の詩の世界をもっと知りたいと思って、久々に詩集を購入しました。三好達治だけの詩集は、なかなか見つからなかったので、この一冊を。より深く三好達治の世界に近付けそうです。

「名詩選」というだけあって、どれもこれも学校で習ったりして、知っているしばかりでした。結構「詩」って、学校の国語の時間に習っているんだなあと思いました。


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(2018、8、6読了)

2018年8月13日 18:41 | コメント (0)

新・読書日記 2018_107

『ツチハンミョウのギャンブル』(福岡伸一、文藝春秋:2018、6、30)

「週刊文春」に連載している「パンタレイ パングロス」というコラムをまとめたもの。「週刊文春」は毎週買って読んでいるし、福岡ハカセの文章も好きなのだが、「週刊文春」の連載は、実はあまり読んでいない。1回1回細切れだと、何か読もうという気が起きないんですよね。なぜだろう?そもそも「パンタレイ パングロス」の意味は、

*「パンタレイ」=あらゆることは偶然で、すべては移ろっていく=万物は流転する

*「パングロス」=すべては宇宙の偉大なる設計者によってあらかじめ計画・配剤されている

だそうです。福岡ハカセの「動的平衡」の考え方につながると。「パングロス」は、この間読んだ『ゲノムと聖書』に通じるな。

この単行本は、まず、表紙カバーの「ツチハンミョウ」の絵が素晴らしい。美しい。「まえがき」にも「画家の舘野鴻(たての・ひろし)さん」が本書のために描き下ろして下さったそうです。素晴らしい出来ですね!

最初のコラム「ある産科医の物語」、これは「やられた!」と思いましたね。おもしろい、素晴らしい作品です。

また全体的には「フェルメール」に関するコラムが多いのですが、フェルメールの生涯作品数「37」とういうのは「素数」であるとか、当時の「納税記録」からフェルメールの住んでいた住所を割り出したりと、もう、ワクワク・ドキドキするお話がいっぱい!

「少子化」が問題になっているけど、「中絶」された赤ちゃんも何十万人もいると。これの対策を考えてはどうだろうか?という提案もありました。また、「共同忘却論」(282ページ)を読んで、これは「自由からの逃走」ではないか?と思いました。

楽しかったです。お盆休みの読書にお勧めです。


star4

(2018、8、9読了)

2018年8月12日 18:31 | コメント (0)

新・ことば事情

6916「死者340人超え」

インドネシア・ロンボク島で起きた地震での死者が340人を超えたというニュースを、8月9日の「ミヤネ屋」の「250ニュース」でお伝えしました。その際に発注されたスーパーをチェックしていたら、

「死者340人超え」

という表現が出て来たので、

「死者340人以上」

に直しました。最近、何にでも使われる、

「超え」

という表現について、私は違和感がありますが、全部、直し切ることはできません。

しかし「超え」を「死者」の人数に使うのには違和感があります。軽率な感じです。

「死者が増えること(記録が伸びること)を望んでいるかのよう」

なのでです。

そもそも「~超え」は、スポーツで、

「松坂超え」「イチロー超え」

のように、

「偉大な選手の記録を破ること」

を指して使われていたのではないでしょうか?ところが最近は、

「岐阜・多治見市 40℃超え」「床上浸水 1000棟超え」

のように、これまでならば、

「~以上」

を使っていた場面でも使われるようになってきているのです。

スポーツ・バラエティー・芸能でならば違和感がない「~超え」も、「報道」には不向きです。使い分けをしたいです。

(2018、8、10)

2018年8月11日 18:24 | コメント (0)

新・ことば事情

6915「日本体育協会と日本スポーツ協会」

「日本ボクシング連盟」を巡る一連の問題で、「日本スポーツ振興センター」と共によく出て来た団体の名前に、

「日本スポーツ協会」

というのがありました。聞き慣れない名前です。調べてみたら、実はこれは、

「日本体育協会」

のことでした。それなら知っている。2018年、つまり「ことしの4月1日」から、

「旧・日本体育協会」→「日本スポーツ協会」

「名称変更」されていたのです!知らなかった・・・皆さん、知ってましたか?

そういえば、もともとは「10月10日」は「1964年(昭和39年)」の、

「東京オリンピックの開会式が開かれた日」

を記念して定められた祝日、

「体育の日」

だったのですが、例の「ハッピーマンデー法」で、今は「10月10日」とは限らず、

「10月の第2月曜日」

に移動してしまったのですよね。この「体育の日」を、

「スポーツの日」

名称変更するという話は聞いたことがあります。何だかなあ・・・。

「歴史改竄(かいざん)」

みたいな感じがしますねえ。そういえば、「改善」と言おうとして「改竄」と、つい本音を漏らした首相がいたなあ。「体育の日」は「体育の日」でいいんじゃないのかなあ。

でも「日本体育協会」は、もうすでに「日本スポーツ協会」に変ってしまったんですねえ。

こんな考えは「時代遅れ」でしょうか?

さらに調べてみたところ、もう2020年から「スポーツの日」になるそうです・・・。「体育の日」も「あと2回」なのですね。

しかもその「スポーツの日」は2020年に限って「体育の日」は「東京オリンピックの開会式の前日」に当たる「7月24日(金)」に変更されるのだそうです。知らなかった!

また、オリンピックに絡んで、2020年に限って

「海の日」(7月の第3月曜=2020年は7月20日(月))を「7月23日(木)」(=五輪開会式前日)に、

「山の日」(=8月11日)を「8月10日(月)」(=五輪閉会式の翌日)に、

それぞれ移すことも盛り込んだ、

「東京五輪・パラリンピック特別措置法改正案」

が、すでにことし6月13日に可決成立していました。これにより土・日を含めると「開会式前後は4連休」「閉会式前後は3連休」

となり、各国の選手や要人の移動が増える期間を休みにして、交通規制や警備をしやすくする狙いがあるそうです。・・・「海彦・山彦」は怒っているのではないでしょうか?

翌年=2021年からは元に戻すそうですが、それよりも単純に、

「東京五輪祝日を2020年に限って作る」

方が自然だと思いますけどね。その方が休みも増えるし「働き方改革」にも貢献できるのではないですか?

こうやって、

「暦を改変する」

ことに続いて、またも「オリンピック」を理由に、今度は、

「時間を改変」

すしようとする、

「サマータイムの導入」

を目論んでいるようですが、いい加減に私たちの生活をもてあそぶのは、やめていただきたいです。

(2018、8、9)

2018年8月10日 18:21 | コメント (0)

新・読書日記 2018_106

『プラド美術館展~ベラスケスと絵画の栄光』(2018)

兵庫県立美術館で開かれている「プラド美術館展」に行ってきました。(6月13日から10月14日まで)入場料1600円、公式図録2700円。豪華版です。

20180809.jpgどの絵画も楽しめた。会場の壁の色も何となくプラドにいるような感じで、コーナーによって変えてあって落ち着けます。お客さんもそれほど多くなく、かといって少なくもなく、ほど良い感じで、気付くと1時間半が経っていました。

中でも、最初のほうにあった宮殿内の様子を描いた絵画、制作年代が

「1620年ごろ」

と書いてあったんですが、その絵の中になんと、

「地球儀」

が描かれてあったのです!え?ガリレオ・ガリレイが、

「それでも地球は動いている」

と言って有罪・処刑されたのは、何年だっけ?調べたら、

「1633年」

でした。それよりも「前」じゃない。あ、そうか「地動説」と「天動説」とは別に、

「地球は丸い」

ということは、もっと昔にわかっていたんですね。この世界の終わりは滝になっていて海の水が滝の下に落ちていて、世界は「ゾウ」が支えている、という考え方は、もっと昔か。

これも調べると、1400年代の終わりごろ(15世紀末)に、「世界で初めて「地球儀」が作られていたそうです。

まあ、それはおいておいても、

「江戸時代初期の絵画が、こんなにきれいな状態で保存されているなんて!」

と驚きでした!まだ10月までやってますので、ぜひ見に行ってくださいね。

音声ガイドの女性の方の「セビーリャ」が「セビーレ」に聞こえたり、鼻濁音の発音がやや無理に作っている感じなのが気になりましたが。音声ガイドは及川光博さん・ミッチーがメインで、550円です。


star4

(2018、8、4読了)

2018年8月 9日 18:40

新・読書日記 2018_105

『蝸牛考』(柳田國男、岩波文庫:1980、5、16)

「蝸牛」は「かぎゅう」と読みます。「かたつむり」のこと。なぜ「牛」か?「角」があるからでしょうね。「蝸」は「うずまきのある虫」ですからそのままですね。 平成ことば事情6896「デンデンムシとかたつむり」を書くために、本棚を捜しまくって掘り出してきて、20年ぶりぐらいで読みました。本文よりも、巻末の「解説」で柴田武さんが書かれた文章が、とってもわかりやすくまとまっていました。

この本が「方言集圏論」のもとになった歴史的な一冊ですよ。

「でんでんむし」が、殻から「出ん出ん虫」だったとは気付かなかったが、言われれば「なるほど」と思いました。


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(2018、7、31読了)

2018年8月 9日 18:31 | コメント (0)

新・ことば事情

6914「お化け屋敷プロデューサー」

去年(2017年)の7月17日、こんな言葉を見かけました。

「お化け屋敷プロデューサー・ゴミヒロフミ」

それを見て、

「そんな"職業"というか、"肩書"があるのか!?」

と思いました。

・・・このメモを残したまま、特に何も展開せず1年が経過。

けさ(2018年8月9日)の通勤電車(京阪電車)の中のアナウンスで、沿線の遊園地「ひらからパーク」(通称・ひらパー)の宣伝の音声を聞いていたら、

「有名お化け屋敷プロデューサー」

という言葉が!

またやってる!つまり、また「夏」が来た!

この言葉って、どのくらい定着しているのでしょうか?検索、検索!

・・・出てきましたよ、

「五味弘文さん」

という方。1957年生まれだそうです。ウィキペディア情報ですが、

「長野県茅野市生まれ。立教大学法学部在学中より演劇活動を始め、卒業後に劇団を結成。主宰・作・演出を務める。下北沢ザ・スズナリ、渋谷ジァン・ジァンなどでの公演を経て、1992年解散。同年、『麿赤児のパノラマ怪奇館』で初めてお化け屋敷のプロデュースを手がけ、大ヒットさせる。1996年の『パノラマ怪奇館'96~赤ん坊地獄』ではストーリー性を導入したお化け屋敷を制作する。東京ドームシティアトラクションズ(旧称・後楽園ゆうえんち)を拠点として長年活動してきたが、2011年に広島で開催された紙屋町お化け屋敷『恐怖のおるすばん』を皮切りに、お化け屋敷プロデュースの全国展開を始める。近年では大学などでの講義活動も行う。」

演劇の手法を取り入れて、リアルに怖いお化け屋敷を演出、ということか。劇団員の方の働き先の開拓ということもあったのかも。20以上前から活動はされていて、ここ数年、全国展開をされている感じですかね。

グーグル検索(8月9日)では、

「お化け屋敷プロデューサー」=6万1500件

出て来ました。

いろんなお仕事があるんだなあ。当然、

「お化け屋敷俳優(女優)」

という職業もあるんだろうなあ。「求人欄」とかで。

(2018、8、9)

2018年8月 9日 17:10 | コメント (0)

新・ことば事情

6913「ハラル食」

8月6日の『産経新聞』夕刊にこんな見出しが(黒川信雄記者の署名記事)。

「多様な国籍 訪日客呼び込め 日本料理でも『ハラル食』」

この、

「ハラル食」

についての説明は、

「ハラル(イスラムの戒律)にのっとった食材、調理方法でつくった『ハラル食』」

とありました。

ベジタリアンが増えた・・・というか、外国人の観光客や留学生などが増えたことによって、「ベジタリアン」や「ビーガン(ヴィーガン=完全菜食主義者)」(平成ことば事情6901「ヴィーガン、ビーガン」参照)、そして「イスラム教徒」も日本を訪れるようになりました。記事にも

「昨年1年間に大阪府を訪れた訪日外国人客は過去最多の約1111万人に上った」

とあります。(「訪れた」と「訪日外国人客」は「訪」が重複しているな。)

その要因としては、「円安」と「アジア諸国の経済成長」が挙げられると思いますが、それに伴って「観光立国」を目指すとする「日本」も、

「訪日外国人客の方の、食事の習慣の要求に応える必要」

が出て来たんですね。

この、「ハラル」という言葉ですが、

「ハラール」

と書かれることもあります。日本新聞協会で出している『新聞用語集2007年版』の「外来語の書き方」には載っていません。読売新聞社の『読売スタイルブック2017』の「カタカナ語言い換え・表記例」にも載っていません。日本語の一般の文章に出て来る言葉としては、「かなり新しい部類」に所属するのでしょう。

新聞用語懇談会の席で「新聞や放送ではどちらを使うべきか?」という問題になったことが、過去に(数は少ないですが)あります。

*「ハラル」「ハラール」の表記について=2014年11月(熊本)

アラビア語でイスラム法に則った「合法的なもの」「許されたもの」を意味する「Halal」の表記は「ハラル」「ハラール」のどちらを使っているか。(毎日放送)

<参考>『新聞用語集2007年版』関連語句「外来語の書き方」

アラー【Allah】 イスラム【Islam】

→(熊本日日新聞)原稿で「ハラール食」の記事が増えた。「日本アジアハラール協会」などは「ハラール」と音引きだったので、うちでは半年前に「ハラール」に統一した。朝日新聞とNHKも、見ていると「ハラール」が多いと思うが・・・。

(朝日新聞)最近は「ハラール」のほうが多い。宗教用語はどちらか一方に決めにくい。現在は「様子見」状態。

(日経新聞)中東の特派員経験の記者に聞いて「ハラール」としている。

(読売新聞)静観している。最近は「ハラール」が多い。

(共同通信)「ハラール」の中にも、基準が厳しいものから緩いものまでいろいろある。現在は「様子見」状態。

※2014年11月24日放送の読売テレビ「かんさい情報ネットten.」の、京都に外国人観光客が増えているという特集で、マレーシアからの観光客が「鶏肉のケバブ」を食べているというシーンで、「ハラール」と「音引き」の表記・発音で出て来ていました。

その後、今年(2018年)5月に開かれた「関西地区用語懇談会」で「福井新聞」の委員からも、この「ハラル?ハラール」の表記の問題が提起されましたが、時間の関係で議論はカットされてしまいました。

「産経新聞」は、2014年の会議での発言はありませんでしたが、現在は「-」(音引き)なしの「ハラル」を使っているんですね。

グーグル検索では(8月9日)

「ハラル」 =202万0000件

「ハラール」= 87万6000件

でした。その中で「ハラル」のトップに出て来たのは、

「一般社団法人 ハラル・ジャパン協会」

でした。団体の名称は「ハラル」なんですね。

http://www.halal.or.jp/halal/

そのサイトには、

「ハラル(ハラール)について」

と併記した後に、

「ハラルの意味」

と言葉の説明があります。引用しましょう。

『イスラムの教えで「許されている」という意味のアラビア語がハラール(ハラル)【アラビア語: حلال Halāl 】です。反対に「禁じられている」と言う意味の言葉が「ハラーム(ハラム)」です。ハラームをノンハラール(ノンハラル)と言う人もいます。

そうだったのか!

「ハラル(ハラール)」=許されている

「ハラーム(ハラム)」=禁じられている

だったのか!

『ハラルについて、多くの方が「ハラル認証」のイメージと結びついているようですが、しかし実際はイコールのものではありません。ハラルビジネスをする(イスラム教徒向けの商品を供給する、サービスを提供する)際にはこの点の理解が大きなポイントになります。』

なるほど。

そして、「ハラム(禁止されている)の食品としては、

・「豚」=その派生物を含めて全て。

・豚以外の肉についても「イスラムの教えに則った方法でと畜・加工処理されなかった肉」

※肉についてハラルを意識するムスリムの割合は非常に高い。

・「酒」=イスラムの教えでは、酒を飲み酔ってしまった時の害が指摘されている。

しかし、工業洗浄用アルコールや、手指の消毒用のアルコールを避ける人の割合は下がる。

・発酵過程で自然にアルコールが醸造される食品(しょうゆや味噌など)に関しては、一定の濃度を規制すべきという考えもある一方で、「問題に感じない人」も少なくない。

・ハラル(許されている)なものでも、ハラム(禁止されている)なものに混ざったり接触したりすると、ハラム(禁止されている)とみなされてしまうことにも注意が必要=ムスリムにとっては「けがれる」「コンタミネーション(汚染)」の感覚に近い。

「ハラル(許されている)」食品の一例としては、

「野菜、果物、魚、卵、牛乳、イスラムの方式にしたがって"と畜"された動物の食肉、あるいはその派生物」

だそうです。

「産経新聞」の記事は、

「日本食でも『ハラル食』に対応する店が出て来た」

ということが「ニュース」なわけですが、10年後には、どこの店でも普通に「ハラル食」対応をしているかもしれませんね。

(2018、8、9)

2018年8月 9日 17:09 | コメント (0)

新・ことば事情

6912「アニサマ」

<2017年4月17日に書きかけました>

ツイッターを見ていて、見つけた言葉に、

「アニサマ」

というのがありました。

「兄様」

かと思ったら、もちろん違いました。上坂すみれさんがという人が、

「今年(2017年)のアニサマに参加」

と書かれていたのですが、この「アニサマ」は、

「アニメソングサマーコンサート」

なんじゃないかなあ?

「アネサマ」

は、きっと「無い」のでしょうね?ないんだろうな。

「アニサマ」を検索してみたら、世界最大級の「アニソン・ライブ・イベント」、

Animelo Summer Live (アニサマ)

のことだそうで、ことしはもう「14年目」。

8月24日~26日まで、さいたまスーパーアリーナで開催されるようです。「24時間テレビ」とスケジュールがカブるな。3日間もやるのか。アニソン好きには常識なんでしょうね。グーグル検索してみたら(8月8日)

「アニサマ」=78万6000件

「アネサマ」=    986件

でした。「アネサマ」は、

「もしかして アニサマ」

と、グーグルが聞いてきました。

(2018、8、8)

2018年8月 8日 20:25 | コメント (0)

新・ことば事情

6911「災害廃棄物」

「平成ことば事情6885災害ごみ」では、

「『災害ゴミ』ではなく『災害ごみ』」

と表記の問題として書きましたが、その後各社の報道を見ていると、やはり「ゴミ」でも「ごみ」でも、

「GOMIという音の響きが嫌われている」

のだと感じます。それを避けるために、

「災害廃棄物」

という表現が使われているようです。

「ミヤネ屋」でも、8月6日の放送では、

「災害廃棄物」

という表現を使い、過去のリポートで「ごみ」と言ってしまっている部分については、テロップでのコメントフォローで、

「ごみ(廃棄物)」

としました。

(2018、8、8)

2018年8月 8日 20:09 | コメント (0)

新・読書日記 2018_104

『これでも「アベ」と心中しますか?~国民の9割を不幸にする安倍政治の落第通信簿』(浜矩子、廣済堂新書:2018、1、9)

著者の浜先生、帯に写真も載っているが、イメージがコワイ。

この手の浜先生の本のタイトル、いつも「アホノミクス」って書かれていて、実態はそうでも、あまり品のあるタイトルではなくて購入の手が止まってしまう。今回はそれが書かれていなかったので、「読んでみるか」と。

でも、中身は読まなくてもわかる。だって「アベ政治」は、一言で言えば「嘘ばっかり」なのだから。そして答えは本書のサブタイトルに書いてある、

「国民の9割を不幸にする安倍政治の落第通信簿」

と。それを「証明していく」一冊。タイトルそのものも「アベと心中しますか?」ですから、「アベ支持者」は絶対この本は買わないと思います。

実は問題は、そんな嘘ばっかりの「アベ」を支持する人たちが、なぜ3~4割もいるのか?という点。個別の政策などに関しては6~7割以上の人が、

「間違っている」「納得できない」

と答えているにも拘わらずですよ。もちろん、

「野党が頼りなくて、信頼できないから」

とする人が多いのはわかります。でもだからと言って、

「他にマシな人がいない」

というのは、おかしいでしょ。「ベスト」が無ければ「ベター」を選ぶのが民主主義ですよ。

最近、これに関して一つの解答を得た。

何十年も前の学生時代に購入、読みかけたまま、ほったらかしになっていた本の中に、エーリッヒ・フロムの、

『自由からの逃走』

がある。「これ」ではないか?と思ったのです。タイトルの意味が分かった気がした。読んだことはないけど。つまり「自由」には「責任・義務」を伴うので、大衆の中の「責任・義務」が嫌いな人たちは、

「"自由"なんて、今の日本ならほうっておいたって、ある程度は与えてくれるんだから、そんなに責任や義務を果たさなくてもいいや」

と思っているのではないか?と。「自由からの逃走」とは、すなわち、

「責任・義務の放棄」

なのではないか?それが3~4割の人たちの正体ではないか?選挙で投票に行かない人たちのうちの何割かは、そういう人のような気がする。

こう考えると、少し「アベ支持率が3割を割り込まない理由」が分かるような気がするのだ。


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(2018、7、30読了)

2018年8月 8日 20:04 | コメント (0)

新・ことば事情

6910「盟友」

8月8日、俳優の津川雅彦さん(78)が、今月4日に亡くなっていたというニュースが流れました。「ミヤネ屋」でもご紹介しました。その際に、最初は原稿に、

「津川さんの突然の訃報に、芸能界の盟友たちは・・・」

とありました。この、

「盟友」

というのが引っ掛かりました。というのも「盟友」としてコメントが出て来たのが、

「市川海老蔵さん(40)」「高橋克典さん(53)」

のお二人だったからです。「盟友」という表現は、

「同年配」

ならわかりますが、

「25~40歳と、親子ほども年齢が離れている人たち」

に対して使えるだろうか?と思ったのです。

しかも、同じ「芸能界」とはいえ、海老蔵さんは「舞台」、津川さんは「映画・テレビドラマ」と、主たる仕事の場は、厳密に言うと、

「(業界も)同じではない」

ので、「盟友」には違和感がありました。まだ、

「同志」

のほうが、年齢を超えてしっくりくる気がします。

結局、スーパー(テロップ)では「盟友」という表現はやめて、原稿の表現も、

「芸能界からも惜しむ声が」

と変更しました。妥当な判断だと思います。

(2018、8、8)

2018年8月 8日 20:03 | コメント (0)

新・ことば事情

6909「カンロ飴」

日本ボクシング連盟の山根明・終身会長(8月8日に辞任表明)の「好物」として「おもてなしリスト」に載っていて今話題の、

「カンロ飴」

を、久々に買ってしまいました。山根会長は、

「きのうは130円言うたけど、105円で買えるそうです」

と言っていたのですが、近くのスーパーでは「171円」もしました。山根会長は、どこで買っているのだろう?

20180808.jpg

見た目は昔ながらの「カンロ飴」ですが、袋の左下の「英語の表記」を見て驚きました。

そこには、

「Sweat Soy Source Candy」

と書かれていたのです!

「スイート・ソイソース・キャンディー」

「ソイ・ソース」って「醤油」ですよね!ということは直訳すると、

「甘醤油飴」

なの?「カンロ飴」って!

あ、「砂糖醤油」と言えば、お正月にお餅に付けて食べるし、

「みたらし団子のたれ」

は確かに「甘い醤油」ですね。そうか「カンロ飴」は、

「みたらし団子のたれを飴にしたもの」

だったのか!「英語表記」を見て、その実態が分かったのでした。

(2018、8、8)

2018年8月 8日 19:04

新・読書日記 2018_103

『ことばが消えたワケ~時代を読み解く俗語の世界』(米川明彦、朝倉書店:2018、5、10)

若者語や集団語・業界語の権威である、著者の梅花女子大学の米川明彦先生から贈っていただきました。ありがとうございます!「平成の後半は、若者言葉に元気がない」と、以前おっしゃっていましたが、ちゃんとその後も観察を続けられていたのですね!

この本では「12章」に分けて、

第1章「スワルトバートル」~外国語もどきが消えたワケ

第2章「テクシー」~もじりが消えたワケ

第3章「江川る」~「る」ことばが消えたワケ

第4章「エンゲルスガール」~流行語が消えたワケ

第5章「メッチェン」~若者ことばが消えたワケ

第6章「冷コー」~老人語が消えたワケ

第7章「電気会社の社長」~隠語が消えたワケ

第8章「馬の爪」~業界用語が消えたワケ

第9章「人三化七」~卑罵表現が消えたワケ

第10章「ヘビーをかける」~外来語慣用句が消えたワケ

第11章「隠し」~一般語が消えたワケ

第12章「偉人」~明治時代語が消えたワケ

といろんな分野(業界?)の「消えた言葉=俗語」を紹介していく。「ああ、懐かしい!」と思う語もあれば「こんな言葉知らんな・・・」というものも。これまで米川先生の本は大体読んでいるので、知っている言葉が多かったですが。

ある意味「時代は繰り返す」んだなあ、と。いったん消えた言葉も、同じような形で、また登場してくる。それは「人間が使っている言葉」なんだからね。

あ、そうそう、「平成ことば事情6907アデダス」にも書いたけど、『第6章「冷コー」~老人語が消えたワケ』に出て来た、

「時代にあまり関係なく、高齢者の生理上、発音の退化現象として使われる語。また、時代に関係して以前ある発音がなかったために新たに生じたその発音ができず、類語で代用する語。たとえば、『テーシャツ』『テッシュ』『デズニーランド』のように発音する高齢者がいる。これなどが老人語である。『ティ』『ディ』は『テ』『デ』になる。」(76ページ)

というのが、日本ボクシング協会の山根会長の「アディダス」のことを、

「アデダス」

という発言にも通じるなあと。勉強になりました!


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(2018、7、31読了)

2018年8月 8日 18:58 | コメント (0)

新・読書日記 2018_102

『老前破産~年金支給70歳時代のお金サバイバル』(荻原博子、朝日新書:2018、1、30第1刷・2018、2、28第3刷)

「老後」じゃない、その前「老前」に「破産」しちゃうんですよ!という警鐘を鳴らした本。

「2018読書日記052」で読んで書いた『老後破産~長寿という悪夢』(NHKスペシャル取材班、新潮文庫:2018、2、1)の「予防」の書とも言えますが、ほぼ同時に発売されてますね。

この本では、銀行の「カードローン」の危険性について説いています。

普通「銀行」は「担保」を取りますが、「消費者金融」は、「無担保」です。無担保でもお金を貸せるのは、確かな「信用情報ネットワーク」があるから。「信用情報」が、銀行は「1か月単位」での更新しかされないのに対して、消費者金融は「リアルタイムでの更新」されるネットワークがあり、それを喉から手が出るほど欲しかった銀行が、「消費者金融」を傘下に収める統合が進んだことで、銀行も「無担保融資」ができるようになった、それが「カードローン」だそうです。そして借りるのもカンタン。普通の銀行のキャッシュカードを、

「逆の方向から入れる」

だけで、

「まるで自分の預金を下ろすのと同じ感覚でお金を借りることができる」

のです。利用者は「借金」という罪悪感から解放されます。つまり、借りやすくなる。しかしこれには、最高14%もの利息が付いている。そんなこと、全然気にもならない気軽さ。ある種、ゲーテの「ファウスト博士」が「若さ」と引き換えに「自らの魂」を売ってしまったような感じでしょうか?人間って、そういうものなんですね。。。。


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(2018、8、3読了)

2018年8月 8日 18:18 | コメント (0)

新・ことば事情 (2018、8、8)

6908「打ち上がったクジラ」

8月6日の「ミヤネ屋」の「250ニュース」のコーナーと、その後の日テレ「news every.」で、神奈川・鎌倉氏の由比ガ浜海岸に、クジラの死骸が打ち上げられたというニュースを伝えていました。このクジラが、体長10メートルの、

「シロナガスクジラ」

で、シロナガスクジラの死骸が打ち上げられたのは「国内初」なんだそうです。

このニュースで、「リード部分」では、「250ニュース」と「news every.」共に、

「打ち上がったクジラ」

という原稿で、本文では、

「打ち上げられた」

と表現していました。

「打ち上がった」

という表現は、いかがなものかと思いますね。「打つ+上がる」という複合動詞の場合の違和感に関しては、「平成ことば事情180打ちあがる」で書いています。

その後「新聞用語懇談会放送分科会」では、「立ち上げる」に関連して話し合われたことがあります。(17年前ですが。)

*(花火・ロケットが)打ち上がる=2001年9月

「立ち上げる」は、最近よく使われるが、もとはコンピューター関係から出た用語。(労働組合運動関係から出た、という説もあるらしい。)乱発するのは注意。「組織化する」「設立する」などの言い換え(ボキャブラリーを増やす、表現の幅を広げるために)も考えてはどうか。ちなみに共同通信の原稿では1989年には0件だったのに、2000年には433件使われているということで、このところ(この10年ぐらいで)急速に普及した言葉のようです。関連で去年のロケットの打ち上げ中継や、今年の天神祭りの花火の中継で「打ちあがりました」という表現を他局で耳にしましたが、これはやはりおかしい。「打ち上げられました」とちゃんと言いましょう。

というような話し合いが行われ、その後『放送で気になる言葉2011』の36ページに立項されて、

「違和感のある表現」

として載っています。大体この表現が使われるのは、

「ロケット」「花火」

が多いんですが、「クジラの死骸」などの、

「(海岸への)漂流物」

にも使われるんですね。また一つ、勉強になりました。

2018年8月 8日 18:08 | コメント (0)

新・ことば事情

6907「アデダス」

日本ボクシング連盟の山根明・終身会長(78歳・8月8日に辞任表明)の話し方には、独特のものがあります。自分の名前をフルネームで、

「山根明が、何か落ち度があるんですか?」

「山根明が、改革を全部やって来たのです!」

というように呼ぶのも独特。「政治家」はよく、こういうしゃべり方をしますけどね。

特に最初の頃に気になったのは、ボクシングのグローブの販売に関する疑惑の際に出て来たグローブのメーカーとしての、

「adidas(アディダス)社」

のことを、

「アデダス」

と言っていたことです。「天気予報」の、

「アメダス」

のような感じで発音していました。

「ディ」

が言えないのでしょうか?昔の人やお年寄りは「拗音」(この場合は「ディ」)を言えないということは、よく耳にしますが、ちょうどこの発言を聞く前に読んだ、梅花女子大学の米川明彦教授の新著『ことばが消えたワケ~時代を読み解く俗語の世界』(朝倉書店)の中に、こういう記述がありました。

「時代にあまり関係なく、高齢者の生理上、発音の退化現象として使われる語。また、時代に関係して以前ある発音がなかったために新たに生じたその発音ができず、類語で代用する語。たとえば、『テーシャツ』『テッシュ』『デズニーランド』のように発音する高齢者がいる。これなどが老人語である。『ティ』『ディ』は『テ』『デ』になる。」(76ページ)

つまり、山根会長(78)のいう「アデダス」は、

「老人語」

なのですね。「78歳」ですし、そこに異議を唱えるつもりは全くありませんが、あんなに堂々と使われると、少し笑ってしまいました。

私も、あと20歳ほど年を取ったら「アディダス」とは言えなくなるんでしょうか???

(2018、8、8)

2018年8月 8日 18:07 | コメント (0)

新・ことば事情

6906「70平方メートルの読み方」

先日、3年目の黒木アナウンサーが火事のニュースで、

「70平方メートル」

「70」を、

「ナナジュッ・ヘーホーメートル」

と「ジュッ」という「促音」で読んでいるのを聞いて、違和感を覚えました。

これに関しては、今からもう16年前になりますが、2002年2月に開かれた「新聞用語懇談会放送分科会」でも話題に上ったことがあります。議題は、

「『10㎡平方メートル』の『10』をどう読むか?(ジュー・ジュッ・ジッ)」

その際は、

「本来は『ジッ』だったが、今はどれも可。『十手』は『ジッテ』が本来。『ジュッテ』は許容。ただし、『平方メートル』の場合は『ジュー』あるいは『ジッ』と読まないと不自然。」

と、当時のNHKの委員の方から意見が出ました。

そうなんです、つい「ジュッ」という「促音」で読みがちなんですがこれはそのまま、

「ジュー」

「長音」で読めば、不自然さがないのです。

ところが「ジュー」と伸ばしたもので「促音」だと、

「ジュッ」

となるから不自然のであって、もし「促音」にするのであれば、

「ジッ」

と、「小さいュ」を入れない形で読めば、自然なのですね。

意外と気付かないんですよね、これ。

(2018、8、8)

2018年8月 8日 12:41 | コメント (0)

新・ことば事情

6905「昼・夜の語尾『る』」

本当に、ある時ふと、気付きました。

「昼」と「夜」。

「ひる」。「よる」。

どちらも

「語尾が『る』だ!」

と。つまり、

「昼(ひる)」=ひ(日)+る

「夜(よる)」=よ(夜)+る

なのではないか?これだと「る」はなくても意味は通じます。しかし「1音」だと安定しないので、「る」を付けたのではないか?「る」って何?

『精選版日本国語大辞典』の「夜」の「語誌」を見てみると、

(1)「よ」が複合語をつくるのに対して、「よる」は複合語を作らない。(並立的な「よるひる」は例外)

(2)上代、夜は「よひ」「よなか」「あかとき」と三分された。当時の日付変更点は丑の刻(午前二時ころ)と寅の刻(午前四時ころ)の間であったが、「よなか」「と「あかとき」の境はこの時刻変更点と一致していると考えられる。

(3)元来、「よる」は「ひる」に対して暗い時間帯全体をさすが、「よ」はその特定の一部分だけを取り出していう。従って、古くは連体修飾語が付くのは「よ」であり、「よる」にはつかなかったとする考えが出されている。

とありました。

「る」

を引いても、これといったものはなかったんですが、そもそも、平仮名の「る」の元の形は、

「留」

ですから、

「日」が「留まる」→「日留」=ひる

「夜」が「留まる」→「夜留」=よる

ということはないでしょか?まあ、「万葉仮名」の漢字には、意味はないでしょうけどね。

「る」って何だ!?

(2018、8、7)

2018年8月 8日 12:39 | コメント (0)

新・ことば事情

6904「ジェノベーゼとジェノサイド」

パスタの、

「ジェノベーゼ」

が大好きです。もう20年以上前から、あの緑色のバジルソースが大好き。松の実もおいしい。特に、パスタにバジルを練り込んだものが好きですが、これはなかなか、お目にかかれない。それでも昔に比べると、ずいぶん「ジェノベーゼ」のパスタを食べられるレストランは増えましたね。

「ジェノベーゼ」はたぶん、イタリアの、

「ジェノバ」

由来のパスタなんでしょうね。昔、カズ(三浦知良選手)が所属したサッカーのイタリアリーグ「セリアA(アー)」のチームが、そのジェノバにある、

「ジェノア」

でしたねえ。でも、実は似たような地名が付いたパスタ、

「ナポリタン」

は、日本で食べられるようなものは「ナポリにはない」らしいから、「ジェノベーゼ」も、もしかしたら「ジェノバにはない」のかもしれません。(あとで調べたら、やっぱり本場の「ジェノベーゼ」は、バジルソースの「緑」ではなくて、「茶色い」のだそうです)

ところで、話は突然変わりますが、会社からの帰り道、ふと、

「パスタの『ジェノベーゼ』の『ジェノ』と、『虐殺』を表す『ジェノサイド』という言葉の『ジェノ』は、同じ語源ではないか?つまり『ジェノバ』と関係あるのではないか?」

と思ったのです。ネット検索してみると、「ホロコースト百科事典」というサイトに、こう記されていました。

https://www.ushmm.org/wlc/ja/article.php?ModuleId=10007043

「genocide(ジェノサイド)という言葉は、1944年より前には存在しませんでした。これは非常に特定的な言葉で、あるグループの存在を抹消することを目的として行われる暴力的な犯罪行為を意味します。」

「1944年、ポーランド系ユダヤ人の弁護士であるラファエル・レムキン(1900~1959)は、ヨーロッパ在住ユダヤ人の抹殺を含む、ナチスの組織的殺戮(さつりく)政策を記録しようと努めました。彼は、『人種や部族』を意味するギリシャ語の『geno-』と、『殺人』を意味するラテン語の『-cide』を組み合わせて『genocide』という言葉を創りました。」

そうだったのか!造語だったのか。だとすると「ジェノバ」とは何の関係もありませんね。

「人種や部族」を意味するギリシャ語の「geno-」は、きっと、

「ゲノム」

の語源でもあるのでしょうね。「殺人」を意味するラテン語の「-cide」は、英語で「自殺」を意味する、

「suicide」

の語源でしょう。そうすると「sui-」は「自分」という意味なのかな。

また、英語の「殺す」の「kill」は「ラテン語」から入ったのではないのですね。

「ジェノベーゼ」と「ジェノサイド」の「ジェノ」は、関係なくてよかったです。

(2018、8、7)

2018年8月 8日 12:38 | コメント (0)

新・ことば事情

6903「頭髪と毛髪」

17年前の2001年年末に起きた東京・世田谷の一家殺害事件で、遺留品のバッグの中から犯人のものと思われる、

「頭髪2本」

が見つかったというニュースを、8月3日の「ミヤネ屋」の「ニュース250」のコーナーお伝えしました。

そこで疑問に思ったのは、

「『頭髪』と『毛髪』はどう違うのか?」

ということです。辞書を引いてみましょう。

『新明解国語辞典』では、

・「頭髪」=髪の毛

・「毛髪」=「髪の毛」の意の漢語的表現。

とあって、あまり意味の違いは見られませんでした。

『三省堂国語辞典』でも、

・「頭髪」=(文)かみの毛

・「毛髪」=かみの毛

と、意味は全く同じ。「髪」は、

・「髪」=頭にはえる毛。かみの毛。

です。一方『広辞苑』では、

・「頭髪」=あたまの毛。かみのけ。

・「毛髪」=人体の毛。特に髪の毛。毛幹と毛根とから成り、毛根は毛嚢(もうのう)に包まれて真皮内に深く存在し、栄養や毛幹の成長をつかさどる。

とあり、「毛髪」は「あたまの毛」とは限らない立場です。

ニュースでは「頭の毛」ということをしっかりと強調するために「頭髪」としたんでしょうかね。「毛髪」でも問題はなさそうですが。

(2018、8、7)

2018年8月 7日 16:58 | コメント (0)

新・ことば事情

6902「ハッシュタグの説明」

8月6日放送の日本テレビ『女が女に怒る夜』という番組を見ていたら、

「ハッシュタグ」

について、

「シャープのような記号が付いた文章」

という説明をしていました。これは「ハッシュマーク」は、

「シャープではない」

という認識を持ちつつ、視聴者にもわかりやすい、

「必要十分な説明」

だなと思いました。ちなみに、

・「シャープ」=「♯」=横棒が右肩上がり、縦棒は垂直。

・「ハッシュマーク」=「#」=横棒は水平、縦棒が斜め。

で、ツイッターで「ハッシュマーク」のついた言葉・項目を、

「ハッシュタグ」

と呼びます。昨夜の番組では、ハッシュマークの付いた「ハッシュタグ」の中で「あ」から順番に「五十音順」でそれぞれ、

「女性が腹の立つハッシュタグ」

紹介していました。

(2018、8、7)

2018年8月 7日 11:28 | コメント (0)

新・ことば事情

6901「ヴィーガン、ビーガン」

平成ことば事情6835「ヴィーガニズム」の関連です。

この間「ヴィーガニズム」について書いたときに、川崎市の西尾さんから、こんな長文のメールを頂いてました。

****************************************

こんにちは。川崎の西尾です。

「ヴィーガニズム」よりも、「ヴィーガン」または「ビーガン」のほうが通じると思います。数年前からよく聞くようになりました。

「ヴィーガン」(完全菜食主義者)⇔「ヴィーガニズム」(完全菜食主義)

「ベジタリアン」(菜食主義者)⇔「ベジタリアニズム」(菜食主義)

ベジタリアンにもいろいろレベルがあって、乳・乳製品・卵は食べるという、

「ラクト・オボ・ベジタリアン(lacto ovo vegetarian)」

が多数派とのことですが、「ヴィーガン(vegan)」は、動物性食品は一切食べないだけでなく、動物由来の製品も利用しないというレベルです。

医薬品や化粧品や身の回りの工業製品にも、動物由来の物質が見えない形でいろいろ使われていますが、どこまで厳密にどうやって確認しているのか、ひとごとながら気になります。ちなみに、英和辞典によれば、「ヴィーガン(vegan)」は「ベジタリアン(vegetarian)」の短縮形とあります。何のことはない。

*『小学館 ランダムハウス英和辞典 第2版』(2010.7.7)

「vegan」n. 絶対菜食主義者. 卵,チーズ,牛乳なども取らない.

   adj. 絶対菜食主義(者)の. [1944 VEG(ETARI)AN]

*『研究社 新英和大辞典 第6版』(2002.3)

「vegan」n. 厳格な菜食主義者.

   adj. 厳格な菜食主義(者)の.[《1944》《短縮》←VEGETARIAN]

*『研究社 英語語源辞典 初版』(1997.6.11)

「vegan」n., adj, 《1944》極端な菜食主義(者)の. (短縮) ←VEGETARIAN

ネット検索すると、「vegetarian(菜食主義者)」の語源は、英語の、

「vegetable(野菜)」

ではなく、ラテン語の、

「vegetus(活気のある;元気な)」

だという記述があります。研究社の『英語語源辞典』によれば、ラテン語の「vegetus」を語源とする古語の、

「vegete(活力のある;元気な)」

から、植物的成長を意味する、

「vegetate・vegetative」

などの語が生じ、16~17世紀には、野菜・植物の意味では、

「vegitative」の短縮形「vegitive」

が一般的に用いられたとあります。

現代語の野菜「vegetable」は、その「vegete」+接尾辞「able」ですから、元をたどればラテン語の「vegetus」に行き着くわけで、

「『Vegetable』も『vegetarian』も語源は同じ」

ということになりますね。

Google検索では(2018/06/15)

*「vegetarian」=1億4200万0000件

「ベジタリアン」=  942万0000件

「ヴェジタリアン」=  5万6500件

*「vegan」=1億2500万0000件

「ヴィーガン」=477万0000件

「ビーガン」 =251万0000件

*「vegetarianism」= 712万0000件

「ベジタリアニズム」= 1万5500件

「ヴェジタリアニズム」=   282件

*「veganism」   =634万0000件

「ヴィーガニズム」= 1万7900件

「ビーガニズム」 =   3160件

*「菜食主義」=45万7000件

「菜食主義者」=40万0000件

*「完全菜食主義」=16万6000件

「完全菜食主義者」=6万7100件

*「絶対菜食主義」 =3万8600件

「絶対菜食主義者」=3万4700件

*「純粋菜食主義」 =3010件

「純粋菜食主義者」=2460件

****************************************

と、大変詳しく調べてくださいました。西尾さん、ありがとうございます!

こういうメールをもらって1か月以上たった、きょう(8月1日)の「ミヤネ屋」で、酷暑の群馬県・館林市からの中継で中山リポーターが紹介した「アツイ食べ物」の中の一つに、

「ヴィーガン・ベジ・カレー」

というのが出て来ました。出た!「ヴィーガン」!「ベジタブル・カフェ・マハロハ」というお店で、お値段は税込み1100円とのことです。

なんか最近「ビーガン」「ヴィーガン」って言葉、出て来るのかなと思って、今日の夕刊を見ていたら、「日本経済新聞」(8月1日付夕刊)でまた「ビーガン」の文字を見かけました。見出しは、

「完全菜食1兆円市場に」「大豆でパテ・植物性ハム」「五輪へ日本も対応急ぐ」

でしたが、本文には、

「肉や魚に加え、乳製品も避ける完全菜食主義『ビーガン』の市場が拡大している。米国ではバイオ技術を使った本物そっくりの『肉』ビジネスが活況だ。」

「ビーガン」が登場!説明文によると、

「ビーガン=完全菜食主義」

と訳されているようです。

そして、なんと米・マクドナルドは、2017年末に、ノルウェーのビーガン肉メーカー(そんなのがあるんだ!)と提携して、スウェーデンとフィンランドの2国で、

「マックビーガン」

を発売したとのこと。

日本でも東京五輪・パラリンピックを控えて、「ビーガン」に対応する動きが出て来たようで、横浜市の「ヨコハマグランドコンチネンタルホテル」は、7月に館内の全レストランで、「ビーガン向けメニュー」

を始めたそうです。イスラム教の信者に対する、

「ハラル(ハラール)」

とも似ていますね。

でも、よく考えたら、これって日本の仏教で出て来る、

「精進料理」「普茶料理」

と同じ(仲間)ではないでしょうか?「ヤマイモ」で作った「ウナギ」とか、和歌山の高野山で食べたことがあります。おいしかったです。また、JRの京都駅では以前、

「精進弁当」

を売っていて大好物だったのですが(たしか1200円か1300円)、何年か前から「販売中止」になっています。五輪を控えて「再販売」してくれないかなあ・・・。

しかし落ち着いてよく考えたら、本当に「肉や魚や乳製品は食べない」のなら、もう、

「肉や魚に似せた食品」

にして食べなくても、

「野菜を、野菜としておいしく食べる」

ことに専念したらどうだろうか?と思わなくもありませんね。

(2018、8、1)

2018年8月 6日 18:06 | コメント (0)

新・ことば事情

6900「GLBT」

平成ことば事情6627「LGBT(性的少数者)」にも書いたように、

「LGBT」

という言葉が、昨年来、定着したと思いますが、

「GLBT」

という、ちょっと語順が違う言葉を、少し前に見つけていたというスクラップが出て来ました。2016年の漫画雑誌『ビッグコミックオリジナル』10月20日号(小学館)の中の「極めて時評的なコラム」と自ら書いている「オリジナリズム」で、社会学者の

「橋爪大三郎さん」が、

「GLTB歴史博物館」

というタイトルのコラムを書いてらっしゃいました。それによると、「GLBT歴史博物館」というのは、アメリカ・サンフランシスコ市カストロ通りの近くにあり、そこは「ゲイ・レズビアン運動」発祥の地として有名なんだそうです。博物館では1930年に世界初の「性別適合手術」を行ったマグヌス・ヒルシュフ医師(ユダヤ系ドイツ人で自身も同性愛者)の紹介から始まり、GLBTの歴史が紹介されいるそうです。

そして、その「患者」となったのは、デンマークの画家、

「リリー・エルベ」

その生涯を描いた映画、邦題

『リリーのすべて』(原題は『Danish Girl』)

は、2015年に封切られました。先日DVDで見ました。リリーの時代から90年近くが経過しています。

橋爪さんは、

「性的少数者への差別を乗り越えようとするのが、GLBT運動である」

とした上で、

「差別と偏見は今なお、至るところにある。クラスに数人はひっそり、生きづらい思いをしている級友がいるはずだ。誰もがわがこととして、この問題を考える時期が来ている。」

と、コラムを締めくくっています。

これは2年前のコラムですが、その時は「LGBT」ではなく「GLBT」だったのか?と思いました。

それにしても自民党の議員たちは、少数者を思いやるという気持ちと、想像力に欠けているのではないでしょうか。

(2018、8、3)

2018年8月 3日 19:35 | コメント (0)

新・ことば事情

6899「恐れ入りました」

いつも行くコンビニで雑誌を2冊買ったら、

「金さん」

という「研修生」の名札を胸に付けた、中国人か韓国人の女性の店員さんに、

「袋は要りますか?」

と聞かれたので、

「はい、お願いします」

と答えたら、

「恐れ入りました」

という言葉が返って来ました。

いやいや、別に印籠をかざしたわけでもなく、「恐れ入る」ようなことは何もしていませんけど。多分、彼女は、

「かしこまりました」

と言いたかったんじゃないかなあ?と思いながら、コンビニを後にしたのでした。

日本語、難しいですねえ。恐れ入りました。

(2018、8、3)

2018年8月 3日 19:09 | コメント (0)

新・ことば事情

6898「ユンカーとユンケル2」

「平成ことば事情2239 ユンカーとユンケル」の続編です。

これを書いたのは「2005年7月」ですから、なんと「13年ぶりの続編」ということになります。

当時「ユンカー、ユンケル」氏は、

「ルクセンブルクの首相」

でしたが、13年経った現在は、

「EU委員長」

です。「2018年7月26日」にニュースに出て来た彼のことを、NHKと日本テレビは共に、

「ユンケル委員長」

でした。記録しておきます。

(2018、8、3)

2018年8月 3日 19:07 | コメント (0)

新・ことば事情

6897「"はかいし"か?"ぼせき"か?2」

「平成ことば事情411"はかいし"か?"ぼせき"か?」(2001年8月)の久々の続編です。というのも、また、

「墓石」

の読み方が問題になったからです。大体「夏」ですね、これが出て来るのは。「お盆」が近付くと、よく出て来ます。

今回は、大阪府阪南市で「墓石」約300基が倒されるという器物損壊事件が起こったのです。

「この場合『ハカイシ』『ボセキ』、どちらで読めばいいでしょうか?」

と、2年目の岩原大起アナウンサーに尋ねられたので、前回の例(17年前!)を出して、

「『ボセキ』と言うと、漢語で硬い感じで墓石販売業者のような感じになるので、一般的な『ハカイシ』でいいんじゃないかな」

とアドバイスしました。

しかし、他局のニュース(7月26日)を見ていたら、ABCとNHKは、

「ボセキ」

と読んでいました。

「絶対どちらか一方が正しい」

というものでは、ないんですけどね。

(2018、8、2)

2018年8月 2日 12:03 | コメント (0)

新・読書日記 2018_101

『ゲノムと聖書~科学者、<神>について考える』(フランシス・コリンズ著、中村昇&村佐知・訳、NTT出版:2008、10、3)

「2018読書日記040」と「2018読書日記041」で読んだ『オリジン(上)』『オリジン(下)』(ダン・ブラウン著・越前敏弥訳)。

このテーマであった「宗教」つまり「神」と、「科学」の世界の境目について、何か知りたいなと思っていたら、合唱の練習で訪れた教会にさりげなく置いてあった本に目が留まり「これだ!」と思って、教会の方にお願いして、お借りして読みました。

わかったことは「有神論的進化論」と言うか、「進化論」で語られる「科学」の真実の向こう側に「神」がいる、ということではないですかね。

でも、アメリカの多くの人は、「進化論=科学」を否定しているようですが、特に不自由はないのかなあ。

以下、気になったところを抜き書きしました。

・「マックス・プランクとトアルバート・アインシュタインは、光のエネルギーは連続ではなく離散的な値を取り、それは光子という厳密なエネルギー値を持つ粒子に『量子化』されていることを立証した。したがって、基本的に、光子の流れからなる光を無限に分割することはできない。ちょうど、デジタルカメラの解像度を一ピクセル以下に細かくすることができないのと同じである。」(78ページ)

・「神はDNAという言語を用いて生命を生み出した。ゲノムは、その言語によって書かれている本なのである。」(120ページ)

・「(ロゴスはギリシャ語で「ことば」)多くのキリスト者にとって、「ことば」は、神と同義だ。(199ページ)

・「マスコミは大衆の願いを反映しているに過ぎない。」(200ページ)

・「グノーシス=叡智」

・「不可知論者の反対側」=グノーシス派。

・「不可知論」という言葉はトーマス・ヘンリー・ハックスリーが生み出した。


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(2018、7、25読了)

2018年8月 1日 20:22 | コメント (0)

新・読書日記 2018_100

『ギルガメシュ叙事詩』(矢島文夫、ちくま学芸文庫:1998、2、10第1刷・2017、11、5第24刷)

この「ギルガメシュ叙事詩」のことを知ったのは「1982年」、関西学院グリークラブが東西四大学合唱演奏会で、男声合唱曲として披露したのを聴いた時です。それが「前編」で、翌年は「後編」。何かヘンな名前だなと思ったけど、青島広志さんの作曲で、インパクトが強かった。その後、テレビのちょっとエッチな深夜番組で「ギルガメッシュナイト」という番組名を覚えていますが、その前からギルガメシュは知っていました。エンキドウ、フンババ、イシュタルといった登場人物の名前はいまだに覚えてる。

その「あらすじ」が、この本の前書きに書かれていたので、物語の流れはそれを読んだらわかりましたね。

この物語は、そもそもメソポタミアの石碑に書かれたヒッタイト文字(楔形文字)から読み解いたものであると。

また、矢島文夫さんが翻訳するきっかけとなったのは、イスラム学者の井筒俊彦さんがこの本を持っていたので、それを借りて翻訳を始めたんだそうです。いろんなところで、つながるんですね。

それにしても、この文庫本も、なんと「24刷」って、すごいですよね。

あ、「あとがき」に、なんと「男声合唱曲」のことも書かれていました!


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(2018、7、30読了)

2018年8月 1日 20:15 | コメント (0)

新・読書日記 2018_099

『永久保存版ロシアW杯総集編~Suports Graphic NumberPLUS』(文藝春秋:2018、8、30?)

「2018読書日記098」で書いた『完全保存版・2018ロシアワールドカップ決算号~サッカーマガジン9月号増刊』(ベースボール・マガジン社)の「178ページで980円」に比べると「114ページで1200円」は、やや割高な感じがする。

「Number」は「雑誌」で、「サッカーマガジン」のほうは「ムック」という感じか。

それにしても、

「Number」=「永久保存版」

「サッカーマガジン」=「完全保存版」

ということで「永久」と「完全」はどう違うのだろうか?

あ、そうだ「平成ことば事情」を書き始めた「ことばの話」の「第1回」は、

「超永久保存版」

についてだったというのを思い出したぞ。そこでは、「超永久保存版」を出した出版者に電話取材して、

「この雑誌は月刊誌なので、寿命は1か月と考えています。普通、この業界では永久保存版というと1年を想定しています。だから、超永久保存版は、1年以上・・ということですね。ええ、普通に使ってますよ。」

と答えてもらったと書きましたね。

あ、なんとその後「2009年」に「10年ぶり」に「追記」を書いていたのは忘れていた!

それによると「2007年2月」に神戸の生田神社で結婚式を挙げ、「4月」に婚姻届を提出、「5月」に神戸のホテルで披露宴を行った「女優の藤原紀香さん」と「お笑い芸人の陣内智則さん」が「2009年3月24日」、「離婚届を提出して受理されていたことがわかった」と。その際に、結婚式で新郎の陣内クンが弾き語りでコブクロの名曲『♪永遠にともに』という曲を歌ったのに「離婚」してしまったので、

「『永遠』って、2年なの?」

と思ったという話。

「形あるものは、いつか壊れる・・・・」。

あれ?ワールドカップの話はどうなった?


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(2018、7、31読了)

2018年8月 1日 19:44 | コメント (0)

新・読書日記 2018_098

『完全保存版・2018ロシアワールドカップ決算号~サッカーマガジン9月号増刊』(ベースボール・マガジン社:2018、7、20)

178ページで980円、千円札でおつりが来るのは、お買い得。「永久保存版」だし。1500円から1800円ぐらいの価値があると思う。まとめ方もわかりやすい。

感動を「真空パック」でもう一度!という感じです。


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(2018、7、31読了)

2018年8月 1日 19:42 | コメント (0)

新・ことば事情

6896「デンデンムシとかたつむり」

(2018年6月21日に書き始めました)

先日「ミヤネ屋」で、気象予報士の蓬莱大介さんが、梅雨の時期を象徴する「虫」として紹介したのは、

「デンデンムシ・かたつむり、どちらの呼び方をしますか?」

という話題でした。

「ウェザーニューズ」の会員7708人に対する調査では、

若い人が「かたつむり」で、年配の世代が「デンデンムシ」

という結果が出たそうです。

「10代から30代」は「かたつむり」が圧倒的ですが、「40代から50代」は、ほぼ拮抗、「60代以上」は「デンデンムシ」のほうが多いということなんだそうです。

世代によってこんな傾向があるとは知りませんでした。若い人の方が「デンデンムシ」って言うと思ってました。

20180801.jpg

そして全体としては、

「かたつむり」 =58%

「デンデンムシ」=40%

「マイマイ」  = 1%

「その他」   = 1%

で、その割合は、

「かたつむり:デンデンムシ=6:4」

だったそうです。拮抗していますね。

201808012.jpg

「カタツムリ」の呼び方と言うと、やはりあれでしょう、

「柳田國男の『蝸牛考』」

「方言集圏論」の基になった調査結果ですね。たしかあの本によると、「かたつむり」の呼び名のバリエーションは、。もともと首都・京都(当時)で使われていた呼び方が、まるで池に石を投げ入れた時の「波紋」のように、全国に「同心円状に広がる」ので、京都からの距離が同じところには、東西で同じ言葉が伝わっており、京都から遠い所ほど、昔の京都での呼び方が残っていると。それが「方言集圏論」でした。

あの本、たしか本棚にあったはず・・・と捜し出してきました。

「昭和17年(1942年)10月」に書かれたものだったんですね!まさに戦時中に、こんなことを調べていたのか!

柴田武先生の「解説」を読むと、やはりこう書かれていました。

「『蝸牛考』は『方言集圏論』を初めて提唱した本である。また、日本人による言語地理学(方言地理学)の最初の論文でもある。柳田國男は、蝸牛、すなわち『かたつむり』の方言が、東北地方の北部と九州の西部でナメクジであり、同じく東北と九州でツブリであり、関東や四国でカタツムリ、中部や中国などでマイマイ、そしてデデムシは主として近畿地方というように、京都を中心に同心円状に分布することを発見し、これによって、蝸牛を表すことばが歴史的に同心円の外側から内側に向けて順次変化してきたと推定した。」

そして、中を読むと、

「デンデンムシ」

の語源は、

「出ん出ん虫」

だったのですね。つまりあの、

「殻からで出ろ、出て来い」

という、まさに童謡の、

「♪デンデンムシムシ カタツムリ

お前の目玉は どこにある

角出せ 槍出せ 目玉出せ」

のままだったんだ!

『蝸牛考』の最後の方に、柳田國男はこう記していました。

「私たちの利用した方言集には不満足なものが多く、しかも調査地は甚だ限られている。是以上に全く想像しなかった新しい事実が現れて来ぬとは言われず、また援用の当の得ぬものが若干はありそうである。そういう資料のやや完備した時代に、果して私の仮定はどうなって残るであろうか。いかに訂正せられまたどれだけまで是認せられるか。それを考えてみることがいよいよ未来の文化に対する関心を深くする。」(186~187ページ)

ということで、これが書かれてから76年、「ウェザーニューズ」さんの調査によって、

「地域差」ではなく「年代差」として、関東の「かたつむり」が、近畿の「デンデンムシ」を駆逐しようとしていることがわかりましたよ、柳田先生!

(2018、8、1)

2018年8月 1日 19:17

新・ことば事情

6895「バドミントンの球」

7月31日の日本テレビ『ニュースZERO』で、バドミントンの桃田賢斗選手がインタビューに答えて、

「以前より、球(たま)の速さも速くなった」

と言っているのを聞いて「おや?」と思いました。というのは、「バドミントン」は、

「羽根=シャトル」

を打つのであって、

「球(たま)は使っていないのではないか?」

と思ったのです。(「球形」なのはシャトルの先端の部分だけ。ここは「半球形」ですが。)

でも比喩的には、

「ラケットで打つもの=球(たま)」

ということで、

「バドミントンでも、シャトルを球(たま)と言う」

のですね。そう思って耳が反応したのでした。

ここでまた一つ、疑問が。

「バドミントンは『球技』か?」

という問題です。ネット検索すると「ヤフー知恵袋」が、トップで出て来ました。そこに記されたベストアンサーによると、

「球技というのは、飛翔体または滑走体を使って、個人または団体が、交互に奪い合ったり打ち合ったり対戦形式で行うゲームのことを指す。シャトルは『往復するもの』という意味で『球』なので、バドミントンも球技」

ということでした。

そうか、つまり、「スポーツ」である「『球技』の『球』」は、

「数学で言う『球体』とは限らない」

ということですね。そうすると「羽根=シャトル」も、

「『球体』でなくても『球』と呼んでよい」

ということですね。納得!

(2018、8、1)

2018年8月 1日 11:48 | コメント (0)

新・ことば事情

6894「橋寿」

先日、新聞広告で、

「橋寿」

という言葉を見つけました。

皇后さまが、ことしのお誕生日(10月20日)で「84歳」(1934年=昭和9年生まれ)になられるのですが、その年齢が「橋寿」に当たり記念の品を限定販売という広告だったのです。

「84歳=ハシ=橋寿」

らしいのですが、聞いたことがありません。

「お祝い」は、別に多くてもよいのですが、商業主義的に「新しいお祝い」や「お祭り」「イベント」を作るのって、ちょっとやり過ぎると「なんだかなあ」という気になりませんか?

実はこの「橋寿」という言葉ですが、去年「天皇陛下の84歳」(1933年=昭和8年生まれ)の際に、やはり「橋寿」の記念品販売が行われていたようです。

昔から「橋寿」というのがあって、私が知らないだけだったのか?「新たに作られたもの」なのか?グーグル検索では(8月1日)、

「橋寿」=1万4700件

と、それほど多くはありません。恐らく「新しく作られたもの」なのでしょうね。

同じような「語呂合わせ」の「〇寿」では、

「92歳」=「国寿(こくじゅ)」

「94歳」=「櫛寿(くしじゅ)

というのもあるそうです・・・。グーグル検索は(8月1日)

「国寿」=208万件!

多すぎる!これに「92歳」を足すと、

「国寿・92歳」=85件

でした。納得。一方「櫛寿」は、

「櫛寿」=260件

でした。

しかし、それにしても、ほぼ毎年のようにお祝いがあるということは・・・・

「これって、『単なる誕生日祝い』に近付いてないかい?」

年齢にまつわるお祝い事の「〇寿」に関しては、過去にも、

「平成ことば事情414皇寿」「平成ことば事情836緑寿」

で書いていますので、お読みください。

(2018、8、1)

2018年8月 1日 11:47 | コメント (0)

新・ことば事情

6893「完成の青写真」

9月16日に大阪・シンフォニーホールで行われる、同志社グリークラブOBによる、

「第4回 同志社OBシンガーズ演奏会」

に、同志社グリーのOBではないのに、ひょんなことから一緒に歌わせていただくことになり、その練習に毎週のように参加しています。

先日は、「合宿」(強化練習)が滋賀の近江八幡で行われ、2日間で約15時間も歌いました。その練習の中で、指揮者のYさんが、

「楽譜の音符を追うだけでなく、完成(した音楽全体)の『青写真』をイメージして歌うことが大事」

とおっしゃいました。Yさんは、そう言ったすぐ後に、

「『青写真』は古いな。『完成予想図』かな。」

と言って、笑って訂正されましたが、確かに最近の完成予想図は、

「青くはない」

ですよね。「文字通りの青写真」ではない。しかし、意味は通じるんじゃないかなあ。

今年春に卒業したばかり(平成30年卒)の若いOBもいたので、気を使ったのでしょうけど。

音楽以外のところにも気を配らなければいけないので、指揮者も大変です。

(2018、8、1)

2018年8月 1日 11:47 | コメント (0)