新・ことば事情
6825「潜伏キリシタン」
長崎県の潜伏キリシタン施設が世界遺産になるというニュースが流れましたが、この、
「潜伏キリシタン」
という名称は聞き慣れません。普通は、
「隠れキリシタン」
と言うのではないでしょうか?
そこで調べてみました。ネット検索でまず出てきたのが、
「世界文化遺産候補 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」
というサイトです。
http://kirishitan.jp/values/val002
そこの『「潜伏キリシタン」とは』という説明文には、こう書かれていました。
『「潜伏キリシタン」とは、禁教期にも16世紀半ばに伝わったキリスト教の信仰を続けていた人々のことです。』
それを「かくれキリシタン」と呼ぶのではないの?と思って読み進むと、
『キリスト教禁教期の日本において、ひそかにキリスト教由来の信仰を続けていた人々のことを「潜伏キリシタン」と呼ぶ。なお、禁教が行われる以前にキリスト教に改宗した人々のことを、同時代の日本ではポルトガル語由来の「キリシタン」と呼んだ。』
とあり、さらに最後にこんな文言が。
『また、キリスト教が解禁となった19世紀後半以降も引き続き潜伏キリシタン以来の信仰を続けた人々のことを「かくれキリシタン」と呼んでいる。』
もうひとつはっきりしないので、「コトバンク」で「潜伏キリシタン」を引きました。
『潜伏したキリスト信者の意。島原の乱(※1637年~38年)後、厳重になった江戸幕府の禁圧政策のもとで、表向きは仏教徒をよそおいながら、1873年禁教の高札が廃されるまで信仰を守り続けてきたキリスト教徒。北九州地方に多い。民俗信仰と混合した特異の礼拝形式や習慣をもつ。1865年宣教師プティジャンが長崎大浦で発見後、その多くがカトリック教会に加わった。しかし長崎県五島列島、生月島などには、なお旧習を守って現在に及んでいる信者がいる。プティジャンの発見以後の信徒を隠れキリシタンと呼ぶ。』
なるほど、こちらのほうが具体的な年代も入ってわかりやすい。つまり、
*「潜伏キリシタン」=1637年~38年の島原の乱後、1873年禁教の高札が廃止まで信仰を守り続けてきたキリスト教徒のこと。
*「隠れキリシタン」=1865年、宣教師・プティジャンが長崎・大浦で「潜伏キリシタン」発見以後の信徒のこと。
ということで、「隠れキリシタン」のほうが新しいんですね。
何となく、わかりました。
「隠れキリシタン」で思い出すのは、はるか昔に読んだ遠藤周作の『沈黙』ですが、あれは「潜伏キリシタン」だったのか?それとも「隠れキリシタン」なのか?時代によって呼称が違うということならば、時代を調べると、どちらかわかるわけですね。で調べてみたら(ウィキペディアですが)、
「17世紀の日本の史実・歴史文書に基づいて創作した歴史小説。」
「島原の乱が収束して間もないころ」
と書かれていますので、その意味では間違いなく、
「潜伏キリシタン」
について書かれたものだと思いますが、読んだ当時に「潜伏キリシタン」という言葉は知りませんでした。
(2018、5、9)
(追記)
5月24日~25日に山形市で開かれた新聞用語懇談会春季合同総会で、「潜伏キリシタン」について質問したところ、以下のようなやり取りがありました。
『長崎・天草地方の世界遺産認定関連のニュースで出て来た「潜伏キリシタン」という言葉、初めて耳にしましたが違和感があります。「隠れキリシタン」ではだめなのでしょうか。そのあたり、どう使い分けをされていますか。(遠藤周作の『沈黙』では、島原の乱後の信者を「隠れキリシタン」としていたような記憶があるのですが。)』(読売テレビ・道浦委員)
→(西日本新聞)調べて来た。「潜伏キリシタン」は、以前から学者が使っていた用語。記事データベースでは、世界遺産に関連して「2016年9月1日」に長崎・熊本・両県の6市町による「推進会議」で、それまでの申請名「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」から「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に名称を変更したというニュースで、初めて「潜伏キリシタン」が出て来た。これは「政治の力」が関連して「産業遺産」の登録よりも後回しにされたことを受け「これまでの名称では、アピールが弱いのではないか?」という意見が出て、長崎県が「ICOMOS(イコモス:国際記念物遺跡会議)」とアドバイザー契約を結び、そのICOMOSから「キリスト教が禁じられていた時期からずっと信教していた、その遺産であることを強調してはどうか?」というアドバイスを受けて、「隠れキリシタン」ではなく「潜伏キリシタン」という表現を使ったところ「世界遺産」認定につながったようだ。
(読売テレビ)「隠れ(かくれ・カクレ)キリシタン」と呼んではダメなのか?
(西日本新聞)ダメではないと思う。「潜伏キリシタン」は「世界遺産」認定に関連して政策的に出て来た表現だと思う。
(毎日放送)長崎県がICOMOSとアドバイザー契約を結んで、そのアドバイスを受けて「潜伏キリシタン」という名称を使った初出は「2016年」とおっしゃったが、私が調べたところでは、「2014年秋」に出た山川書店の『日本史用語集』では「かくれキリシタン(潜伏キリシタン)」という表記が出ている。詳しい説明は載っていないが。
(西日本新聞)学術的には、以前から研究者などは「潜伏キリシタン」と言葉を使っていたようだ。いつからかは、具体的にはわからないが。
(共同通信)学術的には「潜伏キリシタン」という用語は、長崎純心女子大学の先生が言い出したものだ。また平仮名の「かくれキリシタン」、カタカナの「カクレキリシタン」という表記もある。学会としては「潜伏キリシタン」と「かくれキリシタン」に分けている。山川の教科書のように「かくれキリシタン(潜伏キリシタン)」と書くところもあるが、他の教科書会社は「隠れキリシタン」のみ。「踏み絵」か「絵踏み」かというのとも似ている。新聞はどうするか?
(産経新聞)19世紀後半の「キリスト教禁教」が解けた(明治6年=1873年)後のものは「かくれキリシタン」と、「平仮名」で「かくれ」としている。今回の世界遺産の場合の「潜伏キリシタン」には説明を付けた。カタカナの「カクレキリシタン」は、隠れてもいないし、そもそも、もう「キリシタン(キリスト教)」でもない。(土俗の宗教になっている。)
また、週刊誌『FRASH』やメールマガジンで、辛坊治郎さんが自ら五島列島へ行って「かくれキリシタン」(「潜伏キリシタン」ではない方)の人から話を聞いた内容なども記していました。