新・読書日記 2018_085
『重版出来10』(松田奈緒子、小学館:2017、10、17)
2018読書日記078『重版出来! 11』を先に買って読んでしまいましたので、1巻戻って読みました。ファッション雑誌で取り上げられた超売れっ子だけど、ちょっと引きこもり気味の漫画家さん。その間に立つ「編集者」という仕事、マネージャーさんのようだなあと思いました。
『重版出来10』(松田奈緒子、小学館:2017、10、17)
2018読書日記078『重版出来! 11』を先に買って読んでしまいましたので、1巻戻って読みました。ファッション雑誌で取り上げられた超売れっ子だけど、ちょっと引きこもり気味の漫画家さん。その間に立つ「編集者」という仕事、マネージャーさんのようだなあと思いました。
『スリジエセンター1991』(海堂尊、講談社文庫:単行本は2012年10月:2018、3、15)
シリーズ3部作の3冊目。これは読んでいなかったと思う。
「ジェネラルルージュ」の速水医師が新人で、そのニックネームが付いた獅子奮迅の働きの夜が、こんな関係になっているとは。458ページは読みごたえがある。しかも「解説」は、テレビドラマで「世良医師」を演じた竹内涼真君だというのは驚いた。
途中で気付いたのだが、この一連の小説には、医師たちの「家族・妻」が出て来ない。みんな独身なのか?若い医師は独身だとして、病院長や教授たちは?しかも原則「男のドラマ」として描かれているな、と。ちなみに「スリジエ」とはフランス語で「桜」だそうです。小説の舞台が東海地方の「桜宮市」なので。私など大阪の者は「桜宮」と聞くと、JR環状線の「京橋駅」の隣の「天満駅」の隣の駅を思い浮かべてしまうのですけどね。
大阪・堺市で弟を殺したとして姉が逮捕された事件。弟はトイレで練炭自殺をしたように"偽装"されており、パソコンには「遺書」と思われる文章を書いたデータが残っていたそうです。これを伝える読売テレビのお昼のニュースの原稿で、
「ワープロで書かれた遺書」
という表現が出てきて、担当のアナウンサーが、
「『ワープロ』っていうのは、もう、ないんじゃないでしょうか?」
と質問してきました。つまり
「手書きではない遺書」
に関して、
「ワープロで書かれた遺書」
という表現でよいのか?という問題です。今やハード(機械)としての「ワープロ(ワードプロセッサー)」は、ほぼ絶滅しているので、
「『ワープロソフト』を使って、『パソコンで書かれた遺書』なのではないか?」
というのです。
思えば「筆」が入っていなくても「筆箱」、「下駄」が入っていなくても「下駄箱」、「スロット」しかなくても「パチンコ店」、「金属に字形を刻んだもの」で印刷していなくても「活字」と呼ばれていることや、「ワープロソフトを使っている」ことから考えると、
「『ワープロで書かれた遺書』という表現でも良いのではないか」
と私は思いますが、世の中的にはどうなんでしょうか?
実際の放送では、報道デスク判断で、
「パソコンで書かれた遺書」
になりました。その後、他社の放送を聞いていたら、
「パソコンで作成された遺書」
という表現もありました。
ただし、もし本当に「ワープロ」の機械で書かれていたら、それが大きな特徴となります(脅迫状などの場合)から、「ワープロ」としなくてはならないと思います。
6月21日の朝刊各紙は、
<読売新聞>
【見出し】「PCに入力形跡」
【本文】「パソコンに、弟のものとされた遺書の文言を入力した形跡があった。」
「遺書は(中略)プリンターで印字されており、字体などから、パソコンの文書
作成ソフト『ワード』で作られたとみられる」
「遺書の文章と同じ文言が入力された形跡がみつかり、遺書が実家のプリンターで印刷された可能性が高いことがわかった」
「夫はパソコンで手紙を書かない。文面や言い回しも違う。」
<朝日新聞>
【本文】「パソコンで書かれた遺書」
<毎日新聞>
【見出し】「弟の遺書 偽造の痕跡」
【本文】「遺書には足立容疑者がパソコンで作成した痕跡が残っていることが」
「遺書には(中略)などと記されていた」
というような表現でした。
これに関しては、今度開かれる「新聞用語懇談会放送分科会」で、各社の意見を聞いてきますね!
6月26日、高円宮家の三女・絢子(あやこ)さま(27)が、婚約をされると報じられました。この日の夕刊各紙の見出しをみると、
(読売)高円宮絢子さま婚約へ
(朝日)高円宮家 絢子さま結婚へ
(毎日)高円宮家 絢子さま婚約へ
(産経)絢子さま 10月ご結婚~高円宮家三女 会社員男性と~
(日経)高円宮絢子さま婚約へ
というものでした。ここでの比較のポイントは、
(1)「高円宮絢子さま」としているか?「高円宮家の絢子さま」としているか?(「高円宮」を一般の名字のようにしているかどうか?「家」が付いているどうか)
(2)「結婚」へか?「婚約」へか?
(3)「結婚」「婚約」に「ご」が付いているかどうか?
というところでしょうか。
その視点で、分類すると、
(1)家 (2) (3)ご
(読売) 無 婚約 無
(朝日) 有 結婚 無
(毎日) 有 婚約 無
(産経) 有 結婚 有
(日経) 無 婚約 無
ということでした。
故・高円宮憲仁親王殿下は、スポーツも音楽もお好きで有名でした。日本サッカー協会名誉総裁として、2002年のFIFAワールドカップ日韓大会の際も臨席されていました。
今回の2018FIFAワールドカップロシア大会で、奥さまの久子さまがロシアで観戦されたのも、高円宮さまの遺志を継いで、日本サッカー協会名誉総裁としていらっしゃったわけですね。
また、1998年、阪神大震災の復興を願って神戸で開かれた「1000人のチェロ・コンサート」に、高円宮さまも、まだ小さかった3人のお嬢様方と参加されました。その時、コンサートの取材をしましたが、あのときにまだ小学生の小さかったお嬢様が、もう「ご結婚」かと、感慨深いです。
6月20日の「ミヤネ屋」で、前日のロシア・ワールドカップ初戦のコロンビア戦の勝利の様子をお伝えしました。その際に、事前にナレーターのNさんから、
「原稿に『カメラが捉えた騒然の夜』という一文があるのですが、これは、このままでいいのでしょうか?」
と聞かれました。確かに、
「騒然の夜」
というのは、ちょっと聞き慣れない表現です。普通ならば、
「騒然とした夜」
とするところでしょうね。でも、最近はやりの文章表現として、
「『おいしい』をお届けする」
「『うまい』を追求する」
「『キレイ』をあなたに」
といったように、
「形容詞をそのまま名詞として使う表現」
が多用されています。特にCMなどの世界で。
この「騒然の夜」も、「騒然とした」を「騒然」という漢字2文字に圧縮している、カギカッコ付きの、
「『騒然』の夜」
という使い方なので、
「絶対にダメ、とまでは言えないのではないか?」
と答え、そのまま放送しました。
「騒然と」は形容詞ではなく「副詞」だと思いますが。もしくは「騒然たり」という文語の「形容動詞」かな?
6月20日の「ミヤネ屋」の放送で、前日のサッカーのロシア・ワールドカップでのグループリーグ第1戦「日本対コロンビア戦」での「日本勝利」の様子をお伝えしました。
その際にOディレクターに、
「きのうのワールドカップですが、列島が『感動の渦に包まれる・巻き込まれる』、これはどちらの表現が正しいでしょうか?」
と質問されました。
これに対して私は、
「これは実は『感動の声に包まれる』『興奮の渦に巻き込まれる』の2つの文章がねじれてしまった『混交表現』なので、どちらかにしたほうがいいでしょうね」
と答えました。
それに対してOディレクターは、
「『感動の声に包まれる』だと、人数が少ないイメージがあるので『興奮の渦に巻き込まれる』にします」
ということで放送されました。
みなさーん、ワールドカップ、盛り上がってますかあ?
日本、勝ちましたね、コロンビアに!いやあ、何が起こるかわかりませんね、サッカーは!
さて、次に対戦するのが「セネガル」!(日本テレビの中継です!)
セネガルも試合前の予想を覆して世界ランキング8位のポーランドに勝ってしまいましたからね!強豪です。
この間の試合で注目したのは、2点目を取った選手。
ケガの治療でピッチの外に出ていたんですが、治療が終わったのでハーフェーライン付近から、主審の許可を得てピッチの中に入ったのです。しかし、それに気付かなかったポーランドの選手が、攻め込んでいたセネガル陣地から自陣へ長いバックパスを出した。それを受けるディフェンスの選手も一人しかいなくて、ゴールキーパーがバックパスを受けるものだとばかり思って、のんびりしボールを見送っていたら、なんとケガの治療が終わったセネガルの選手はそのボールを狙ってヒョウのようにすばしこく近寄って、それに気付いたゴールキーパーもかわして無人のゴールへボールを流し込んだのです!
ちょっと小ズルイ感じもしましたが、もちろん反則ではありません。油断をしたポーランドが悪いです。
で、そのすばしこく2点目を取った選手の名前が、
「ニャン選手」
というそうです。6月20日の「日経新聞・夕刊」の見出しが、
「セネガル大物食い 隙突くニャン、お手柄」
なんだか、
「頑張るニャン!」
みたいで、妙にかわいい。
本文も見てみると、
「23歳のFWニャン」
「けがで一度ピッチを出たニャンが」
「勇んで駆けこむニャン。」
「GKシュチェンスニの鼻先でニャンはちゃんとボールに触れて」
「GKに任せてバックパスをやりすごしたDFベドナレクは、ニャンの再入場に気づかなかったのか」
まあ、本当にニャンたることか!ニャンでもニャイボールだったのに!油断大敵。
ニャン、あなたがニャンバーニャンです。
なお、この記事を書いたのは「日経新聞」の、
「阿刀田寛記者」
作家の、
「阿刀田高さんの息子さん」
のようです。
残念なことに日本テレビでは、この選手のことを「ニャン」ではなく、
「ニアン選手」
と表記しているようです。
6月21日の「ミヤネ屋」で、日本代表、先日のコロンビア戦で決勝点を決めた大迫勇也選手を紹介しました。その中に出て来た
「U-16日本代表」
の読み方について、林マオアナウンサーから質問を受けました。
「ユー・じゅうろく」
「ユー・シックスティーン」
「アンダー・じゅうろく」
「アンダー・シックスティーン」
のどれでしょうか?と。それに対して私は、
『「ユー」と読んでも「アンダー」と読んでも「ミヤネ屋」の視聴者層にはわかりにくいので、もう意味を説明して、
「16歳以下の日本代表」
と言えば?』
と答え、林アナはそのように放送で読んでいました。
6月18日(月)午前7時58分、大阪北部で「震度6弱」の地震が起きました。大阪・高槻市の9歳・小学生4年生の女の子がブロック塀の下敷きになり亡くなるなど5人が死亡、4090人がけがをしました。(6月21日「読売新聞」朝刊)大阪北部、枚方市にある我が家も揺れましたが、被害はありませんでした。「まいかた」ちゃいまっせ、「ひらかた」でっせ、菅官房長官。
この地震報道中継での記者やアナウンサーの言葉が気になりました。つい言い間違ってしまうのでしょうが、ふだんアバウトに言葉を使っているとそうなってしまうので、気を付けたいところです。
*読売テレビ夕方のニュース「かんさい情報ネットten.」。電車の駅から中継の男性記者
×「電車は『随時』、運行を再開しています」
「随時」って「いつでも」「必要に応じて好きな時に」ということですから、そんなことが出来るならすぐにでも運行再開してるでしょう。そんな勝手なダイヤは許されません。「順番に」「次々と」というのが、この状況を表した言葉ですから、これは正しくは、
〇「電車が『順次』、運行を再開しています」
でしょうね。
*NHK夜9時のニュースの中継男性アナウンサー
×「ついさきほど水が『復活』しました」
→〇「ついさきほど、水(水道)が『復旧』しました」
もちろん言い間違いでしょうが、水が「復活」って、何だか変な宗教のようです。「水は気持ちを持っているんだ、良い言葉をかけてあげると、おいしい水になる」みたいな。
これは、
「地震によって破壊された水道の施設が、元の使える状態に戻ること」
を指しているのですから当然、
「復旧」
しかありえません。
また、これはテロップの間違いですが、NHK大阪の午後9時前の関西ローカルニュースで、「訂正」していたので 気付いたのですが、
「さきほど『天神橋筋』という字幕に間違いがありました。『筋』と『橋』が逆でした」
と男性アナウンサーが謝っていました。え?何それ。何でそんな間違いが?つまり
×「天神筋橋」→〇「天神橋筋」
確かに似てるかもしれないけど、
「てんじんばしすじ」
と打てば間違いようがないのに、知らない人が打ったのかな?
ちょっと昔の、別れの挨拶の言葉、
「さらば」
と、「寄らば大樹の陰」の、
「寄らば」
が似ているなと思いました。もしかしたら「さらば」は、
「『去る』に『ば』が付いたのか?」
と思いました。いや待てよ、よく考えたら「さらば」は、
「さあらば」
が縮まった形でしたよね。
「そうであれば」「左様ならば」
ということですね。
「去れば」という「口語の仮定形」が、「文語」になれば、
「去らば」
になりますが、
「さ、あらば」
とは違いますね。
「さらば」と「しからば」はどう違うのかな?「然らば」は「さらば」?「しからば」?
うーん、わからん!
会社の近くの洋菓子店で、おしゃれな黄色い爽やかな箱に入ったお菓子を買って、
「プレゼント用のラッピングをお願いします」
と言ったのですが、店員さんが、そのまま普通の紙袋に入れようとします。
「あの、プレンゼント用なんで、ラッピングを」
と重ねて言うと、
「これが最終ラッピングです」
と言われました。この
「最終ラッピング」
という言葉は初めて耳にしました。
「『最終ラッピング』という言葉は、よく使うんですか?」
「はい」
「それはあなたが作った言葉?」
「いえ。」
「とすると、お店ではみんな使っている言葉?」
「はい。」
ということでしたので、このお店の独特の言葉か、もしくは業界用語なのでしょうね。
グーグル検索では(6月21日)
「最終ラッピング」=600件
しかありませんでした。
去年の話ですが、ネットを見ていたら、
「すごく画数の多い、難しい漢字」
が紹介されていました。こんな漢字です。
どひゃー!
「鬱」
より難しいなあ。この漢字が書かれたオーストラリアにあるお店の看板の写真も載っていました。「この漢字」(ワープロで出て来ないので、仮に※とします。)を「2つ」続けて書いて、その後に「麺」の意味で「面」と書く、
「※※面」
というのが、この麺料理の名前で、
「ビャンビャンメン」
と読むそうです。
また、去年、東京スカイツリーの「ソラマチ」に行った時に見かけたお店の名前で、岩手県の盛岡冷麺のお店で、
「ぴょんぴょん舎」
というのがありました。これって「ビャンビャンメン」と関係あるんですかね?
そして今年3月、大学生の息子が中国に短期留学してきて、お土産に買ってきてくれたのが、何とこの「ビャンビャンメン」でした。
味は、辛かったです。「タンタン麺」のような感じで、「ビャンビャン」というのは、
「削ぐ」
という意味だそうなので、削いだ平面で、「きしめん」っぽい感じの麺でした。
6月18日の「ミヤネ屋」で、認知症で行方不明になっている高齢者が、
「年間1万5000人を超えている」
というニュースをお伝えしました。その原稿・テロップをチェックしていたら、
「趙高齢化社会」
という表現がありましたが、「ちょっと待った!」と。
国際連合によると「65歳以上の人が、総全人口に占める割合」によって、呼び名が違います。
「高齢化社会」=「7~14%まで」
「高齢社会」 =「14~21%」
「超高齢社会」=「21%以上」
となっているのです。すでに日本は「21%以上」になっているので、
「趙高齢社会」
なのです。「化」は要らないのです。
2016年9月15日時点の推計人口によると、日本の「65歳歳以上の人口」は、
「3514万人」
となり、総人口に占める割合は、
「27、7%」
だそうです。十二分に「趙高齢社会」です。原稿・テロップは、
×「超高齢化社会」→〇「超高齢社会」
と直して放送しました。
『ブレイズメス1990』(海堂尊、講談社文庫:【単行本】2010年7月【文庫本】2012、5、15第1刷・2018、5、15第8刷)
2018読書日記079『ブラックペアン1988』(海堂尊、講談社文庫)の続編。
主人公は天才心臓外科医・天城雪彦。前回、新人医師であった世良が、2年たって大学病院に戻って来て、また狂言回し役。主人公のような、そうではないような。(ちょっと、ラブ・ロマンス・職場恋愛もあったりして。)また、後で別の作品では「スピンオフ」で主人公になるのだが。
前作の渡海、そして今回の天城という天才医師は、「スター」であるが「異端児」という存在。これは作者の海堂自身の心を映し出したものだと言えよう。
この前『海堂尊の本は、『チームバティスタの栄光』以降、立て続けに出た小説は、最初の方はほぼ全てむさぼるように読んだが、最近はちょっと、さぼりがち。この『ブラックペアン』、読んだような気がするんだけど、自宅を捜しても出て来なかったので、シリーズ3作の文庫を購入して読み出しました。』と書いたのだが、よーく捜してみたら、やっぱり単行本で購入して読んでいたんですね。(写真)ちょっとわかりにくいけど、真ん中の「黒い背表紙の2冊」が、該当の本です。話は、全部忘れていましたから、文庫本で読んでも「どうなるんだろう?」とドキドキして面白かったです。
6月14日の日本テレビ「ヒルナンデス!」を、昼食を取りながら眺めていたら、芸能人の普段着ているパジャマを、本人に絵で描いてもらうというコーナーがありました。
そこで「関ジャニ8」の横山裕さんが描いた絵が、ちょっとお世辞にも上手とは言えない感じだったので、笑いが起きました。その場面に出たスーパー(テロップ)が、
「絵のクオリティーはさておき」
これは、これまでなら、
「絵の上手い・下手は、さておき」
「絵の下手さ(上手さ)は、さておき」
とするところですが、それを「質」という意味の、
「クオリティー」
という英語を使うことで、
「婉曲表現」
になっていますね。
新しい表現の一種ではないでしょうかね。
(2018、6、14)
海堂尊さんの『ブレイズメス1990』(講談社文庫)を読んでいたら、公開手術の場面で、
「無影灯」
という言葉が出て来ました。あの手術台の上にある大きな照明のことですね。あれは、
「影が出ないように」
なっているのか。いろんな角度から光が当たるのですね。
手術の際に影が出ると、手術に影響が出そうですものね、「影」だけに「影響」が。
それに名前があったとは気付きませんでした。
この「無影灯」は国語辞典には載っているのか?
手元の国語辞典10種を調べてみたところ、
広辞苑(6) 〇
精選版日本国語大辞典 〇
デジタル大辞泉 〇
新潮現代国語辞典(2) 〇
三省堂国語辞典(7) 〇
明鏡国語辞典(2) ×
新明解国語辞典(7) ×
旺文社標準国語辞典 ×
岩波国語辞典(7) ×
現代国語例解辞典(5) ×
ということで、大型の辞典や、やや古い辞典(『新潮現代国語辞典』2000年)には載っていますが、小型辞典で載せているのは『三省堂国語辞典』」だけでした。
『上を向いてアルコール~「元アル中」コラムニストの告白』(小田島隆、ミシマ社:2018、3、4第1刷・2018、5、18第5刷)
初版部数が何冊か知らないけど、出て3か月で「5刷」って、売れているのではないか?近くの書店で「ミシマ社フェアー」をやっていたので、購入。梅田の紀伊国屋で「ミシマ社フェアー」をやっているのは、内藤先生のツイッターで知ったが、うちの近くでもフェアー展開(平台で)をやっていたのは意外だった。
タイトルが良いですよね、「上を向いて歩こう」をうまく取り込みました。タイトル買い、著者買いです。
小田島さんが「アル中」だったとは知らなかった。フリーだと朝から飲んでしまったりとか、自己管理をきっちりできなくて、そうなってしまったりすることもあるんでしょうね・・・。ご本人も「サラリーマンをやっていたら、朝から飲むようなことはなかっただろう」と書いてますが、そういう意味では、サラリーマンはアルコール依存症予防策なのかも?読みながら、
「自分も、もしかしたら『アル中』でえは?」
と、少し不安になって来たのも、事実です。
『リア王』(シェィクスピア作・野島秀勝訳、岩波文庫:2000、5、16第1刷・2016、4、15第14刷)
仲代達也主演の映画『海辺のリア』のDVDを見たのだが、全然理解できなかった。
「リア」って何?ということで、当然「リア王」を読まないと理解できないだろう、ということで「リア王」を読んだ。シェイクスピアは「オセロ」とか「ハムレット」とか「ロミオとジュリエット」とか「ベニスの商人」とか「マクベス」は、読んだり演劇を見たり(「蜷川・マクベス」とか「蜘蛛の巣城」とか)していたが、「リア王」は全く知らなかった。
うーん、これは「父と子(娘)」「血」「老い」「忠誠」「国」「絆」といったようなことを考えさせられるのだな。
この本の中で、「あ!」と思ったのは、リアの末の娘コーディリアの言葉。(「コーディリア」って『サルの惑星』の博士の名前では?あれは「コーネリアス」か)
「包み隠した術策も、時がたてば明るみに出ることでしょう。秘めた悪事は、いつか必ず恥と嘲りの憂き目をみずにはすみませぬ。では、せいぜいお栄えなさいませ!」
聞いたか、安倍晋三とその一派!と思いました。
シェイクスピアは400年の昔から、お見通しなのさ。
この4月から5月は、昭和の名優や歌手・ミュージシャンの訃報が相次ぎました。
井上堯之さん(77)5月 2日
西城秀樹さん(63)5月16日
星由里子さん(74)5月16日
朝丘雪路さん(82)4月27日
そして、ついさきほど(5月21日)、登山家の栗城史多(くりき・のぶかず)さん(35)が、エベレストで亡くなっているのが見つかったと・・・。
私らの世代だと、やはり西城秀樹さん。若すぎる。そして、星由里子さんは「若大将シリーズ」よりも、「2時のワイドショー」の司会者として。うちの番組でしたので、お世話になりました。
この中の、星さんと朝丘さんの職業を「女優」とするか「俳優」とするかに注目してみました。各全国新聞は以下の通りでした。「俳優」は「赤」にしてみました。
(朝丘雪路)(星由里子)
【読売】 女優 女優
【朝日】 俳優 女優
【毎日】 俳優 女優
【産経】 俳優 女優
【日経】 女優 女優
スポーツ新聞新聞では、
(朝丘雪路)(星由里子)
【報知】 女優 女優
【日刊】 俳優 女優
【スポニチ】女優 女優
【サンスポ】女優 女優
【デイリー】女優 女優
なぜか、「星由里子さん」は全紙「女優」なのに、「朝丘雪路さん」は「朝日・毎日・産経・日刊スポーツ」が「俳優」としていました。星さんは、もしかしたら本人サイドから
「女優で」
という「強い要望」があったのでしょうかね?わかりません。
そして、ヘンリー王子と結婚式を挙げた「メーガン・マークルさん」に関して、その仕事・肩書は「俳優」か「女優」かについては、
【毎日】 俳優
スポーツ新聞新聞では、
【スポニチ】女優
【サンスポ】女優
【デイリー】女優
でした。
これ、実は去年11月28日に「平成ことば事情6595 ヘンリー王子か?ハリー王子か?」の中で、全国紙については書いていました。その時は、
*「女優」=読売新聞、毎日新聞・産経新聞・日経新聞(以上、共同通信)
*「俳優」=朝日新聞
でした。毎日・産経・日経は「共同」の記事なので、自社の記者が記事を書いているのは「読売(森太記者)」と「朝日(下司佳代子記者)」だけでした。
森友問題で財務省の決裁文書「書き換え」について、なぜ「書き換え」(つまり「改ざん」)をしたのか?という理由に関して、
「佐川理財局長(当時)の国会での発言との『整合性を取る』ため」
という文章が出て来ました。
私の「語感」によると、「整合性」は、
「図る」
だと思うのですが、
「整合性が取れない」
という「否定形」や、
「整合性が取れた」
と「過去形」では言うので、
「『整合性を取る』も『あり』」
なのかなあとも思います。
手元の各辞書の「整合性」&「☆整合」を引いてみたところ、用例は、
『広辞苑』=「整合性がない」「整合性を図る」
『新明解国語辞典』=「整合性に欠ける」※「整合性」は「cosistency」(一貫性)の訳語(論理学で)
『語感の辞典』=「整合性に欠ける」
『精選版日本国語大辞典』=引用はあるが、この手の作例はなし
『デジタル大辞泉』=「整合性」は空見出しで「無矛盾性」を見よとなっていて、「無矛盾性」には用例なし。
『三省堂国語辞典』=「整合性に欠ける主張」
『明鏡国語辞典』☆=「整合性に欠ける」
『現代国語例解辞典』☆=「整合を保つ」「理論の整合性」
『岩波国語辞典』☆=「会則は整合している」「整合な~」
『新潮現代国語辞典』☆=用例なし。⇔不整合
ということで、
「整合性が無い」「整合性に欠ける」
といった「否定形」での用例が目立ちました。
また、「対策」を「取る」か?「講じる」か?これは、
・「取る」=「短期的、臨機応変の対策」
・「講じる」=「中・長期的な、組織的・体系立った対策」
というように使い分けができる気がします。
『語感の辞典』で「対策」を引くと、
「対策を練る」「対策を立てる」
という用例が載っていました。用語懇談会放送分科会の各社の委員の皆さんは、どう考えているか、4月に開かれた会議で聞いてみました。それによると、
(MBS)辞書に載っていれば扱う。「整合性がない」「整合性を図る」、「対策を講じる」をよく使う。
(NHK)きょう欠席したT委員が「日本語使用例データベース」の検索で調べた結果によると、「整合性」の後につながる言葉は、
(1) 保つ(2)図る(3)取る
の順。「対策を」については、
(1) 講じる(2)推進する(3)行う・・・(10)取る
の順だったとのこと。
(共同通信)1984年以降のデータベースでは「整合性を」は、
・「図る」=162件
・「取る」=102件
また「対策を」は、
・「取る」 =2253件
・「講じる」=2218件
だった。
(読売新聞)データベースで「整合性を」に関しては、
「取る:図る」=「3:1」
だった。コロケーション(言葉のつながり)では「対策を」の後は、もっと緩やかで、いろいろあった。
とのご教示を頂きました。皆さま、ありがとうございました。
青森県には、
「十三湖(じゅうさんこ)」
「十三湊(とさみなと)」
と、「十三」が付く「水に関わる地名」があります。これってなぜ、
「じゅうさん」「とさ」
というように、読み方が違うのか、疑問に思いました。関西だとやはり、
「十三」
と書いて、
「じゅうそう」
と読む地名はありますが。
「ウィキペディア」によると、
『十三湊(とさみなと)は、日本の中世から近世にかけて、青森県五所川原市の十三湖の辺りにあった湊である。近世以降、「じゅうさんみなと」と呼ばれるようになる。また、十三湊の遺跡である「十三湊遺跡」は2005年(平成17年)7月に国の史跡に指定されている。』
とありました。つまり、
「『十三湖』のほうが先で、『十三湊』も最初は『じゅうさんみなと』と呼ばれたと。その後『とさみなと』と呼ばれるようになった」
ようですね。
また、青森県五所川原市のサイトによると、
『十三湊遺跡は、本州最北端の津軽半島の日本海側ほぼ中央、岩木川河口に形成された潟湖、十三湖(じゅうさんこ)の西岸に位置しています。戦国期に成立したと考えられる『廻船式目』に三津七湊の一つとして「奥州津軽十三湊」とみえ、中世北日本の重要港湾であったことがうかがえます。』
とありました。
なんで「じゅうさん」→「とさ」になったかは、わかりませんでしたが、「じゅうさん」が先だということはわかりました。
6月12日にオーストリアで行われたサッカーの親善試合「日本対パラグアイ」。ロシア・ワールドカップ直前のこの試合、「4対2」で逆転勝ちした日本。西野朗・新監督は、就任3戦目で初勝利を挙げました。
この日本テレビが行っていた中継で、田中アナウンサーは、対戦相手の「パラグアイ」のアクセントを、
「パ\ラグアイ」
と「頭高アクセント」でしゃべっていました。
『新明解国語辞典・第7版』で「アクセント」を調べたところ、数字で、
「1・3・2」
とありました。この数字は
「アクセントの山(崖)が、第何音節にあるか」
を数字で示しているのです。つまり、「パラグアイ」には「3通り」のアクセントが認められていて、その順番は、
(1)=「頭高アクセント」 =「パ\ラグアイ」
(3)=「第3音節に山(崖)」=「パ/ラグ\アイ」
(2)=「第2音節に山(崖)」=「パ/ラ\グアイ」
となっていました。
一方『NHK日本語発音アクセント新辞典』によると、
「パ/ラグ\アイ」「パ\ラグアイ」
の順番で2種類のアクセントで載っています。似たような国名では、
「ウルグアイ」
がありますが、これも『NHK日本語発音アクセント新辞典』によると、
「ウ/ルグ\アイ」「ウ\ルグアイ」
の順番で「パラグアイ」と同じでした。
思うに「原音」に近いアクセントだと「パ\ラグアイ」のように「頭高アクセント」なのですが(だからスポーツアナは、そちらを使う)、その外来語が日本語化するにつれて、「中高アクセント」になっていくのではないか?たぶん、そういうことだと思います。
平成ことば事情4036「パラグアイのアクセント」もお読みください。
(2018年4月6日に書きかけました)
アメリカのYouTube本社を襲撃した女「ナシーム・ナジャフィ・アグダム容疑者」の説明の中に、
「ヴィーガニズム(veganism)」
という聞き慣れない言葉が出て来ました。調べて見ると、「ヴィーガニズム」とは、
「絶対菜食主義。動物製品を使わない。」
のことだそうです。いろんな「主義」があるのですね。「菜食主義者」と聞くと、
「ベジタリアン」
という言葉はもう定着していますが、この「ヴィーガニズム」は耳慣れません。「ヴィ」ではなくて「ビ」で「ビーガニズム」だとダメなんでしょうか?そして、この主義の人は、
「ヴィーガニアン」
と言うのかな?
グーグル検索では(6月13日)
「ヴィーガニズム」= 1万7700件
「ベジタリアン」 =1010万0000件
「ビーガニズム」 = 2770件
「ヴィーガニアン」= 5件
「ビガニアン」 = 0件
でした。
大谷翔平選手が入団したメジャーリーグの、
「エンゼルス」
ですが、「天使」の意味の英語、
「Angels」
ですよね。これって「大リーグ」と言っていた昔は「エンゼルス」で良かったかもしれないけど、今は
「エンジェルス」
の方がいいのではないか?と思うのです。しかしほぼ全メディア「エンゼルス」で、
「NHKのみ『エンジェルス』」
となっています。また、「ウィキペディア」によると「チーム名の変遷」は、
ロサンゼルス・エンゼルス (1961年 - 1965年)
→カリフォルニア・エンゼルス (1966年 - 1996年)
→アナハイム・エンゼルス (1997年 - 2004年)
→ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム (2005年 - 2015年)
→ロサンゼルス・エンゼルス (2016年 - )
だそうです。元の名前に戻ってしまったのですね。昔「エンゼルス」を取り上げた映画を見た覚えがあるなあ。
でもよく考えたら「ロサンゼルス」という地名は、
「ロス・アンジェルス」=「Los Angels」
なので、
「『天使』のスペイン語の複数形」
であって、「ロサンゼルス・エンゼルス」と言うと、
「天使天使」
と「重複している」感じですよね。スペイン語と英語だからいいのか?
だとすると、日本では
「虎タイガース」「巨人ジャイアンツ」「竜ドラゴンズ」
「鯉カープ」「燕スワローズ」「港星ベイスターズ」
みたいな感じ?
もし新潟県の「燕三条市」に拠点があるチーム名に「スワローズ」というニックネームを付けると
「燕スワローズ」
ですね。
先日の山形での用語懇談会総会で、TBSの委員からこの話題が出ました。
『大谷翔平選手の所属しているアメリカ・メジャーリーグの「エンンゼルス」ですが、各社「エンゼルス」と「ゼ」で表記・発音している中で、NHKさんは「エンジェルス」と「ジェ」で発音しているように聞こえるが、これはなぜか?そして選手名では、その「エンゼルス」のドミニカ出身「アルバート・プホルス選手」の表記も「プホルズ」「プーホルス」「プホールス」「プーホールス」「プーホールズ」など表記にバラツキがあるが、これはどうするか?』
これに対する各社の委員からの意見は、
(毎日放送)「オリックス」から「エンゼルス」に移籍した長谷川滋利投手が、その後NHKで解説者をしていたが、長谷川さんは「『エンゼルス』はおかしい。『エンジェルス』だ」と常に言っていたので、その影響があるのでは?
(NHK)そのあたりはわからないが、『NHK日本語発音アクセント新辞典』(2016年発行)でも、それまでは「エンゼル」しか認めていなかったのに、『新辞典』では「エンジェル」をメーンの見出しで採用し「エンゼル」を許容にしたことも影響しているのかもしれない。しかし「ロサンゼルス」という表記・発音は、そのまま。「ロサンジェルス」は採用していない。
(読売テレビ)「原音」を重視するのであれば「ヤンキース」は「ヤンキーズ」、「タイガース」は「タイガーズ」というように語尾は「ス」ではなく「ズ」にすべきなのに、そういった動きはない。「エンゼルス」→「エンジェルス」への変化は、「大リーグ」→「メジャーリーグ」への変化と同じテンポで起きているように思える。』
というような議論がありました。
『時は待ってくれない~「100年インタビュー」保存版』(小田和正、PHP2018、5、15)
大きな本屋さんで見つけて購入。歌の歌詞が書いてあったのが、購入の決め手。NHKの阿部渉アナウンサーによるインタビュー本。字も大きいし、久々にあっという間に読めました。
「オフコース」、最初は「かぐや姫」の前座をやっていたとは、知りませんでした。
建築学科卒業の小田さんに、建築と曲作り(作詞・作曲)の関連について聞いたり、「曲」はどのような手順で作るのか?ということを聞いているのは、大変興味深い。人それぞれなんですねえ。小田さんは「曲先」で、歌詞は後からだそうです。
小田さん、大学は東北大学だけど、大学院は早稲田なんだよね、。その縁で、2007年の「早稲田大学グリークラブ100周年」の際に、記念の男声合唱曲『この道を行く』を作ってもらって、現役学生と我々OBも歌った覚えがあります。
大ヒット曲『ラブストーリーは突然に』の有名なサビの部分の、
「あの日 あの時 あの場所で 君に会えなかったら」
のところは、「3連符」が続くメロディーをサビに持って来たい、という思いが先にあって、後から、それに合う歌詞を付けたんだそう。へえー、そうなのか!
『生まれ来る子供たちのために』は、良い曲・良い歌詞だよねえ。今だからこそ「聴かれるべき曲」だと思いました。
そんな小田さんも、もう「古希」を越えたとは。「生涯現役」、すごいです。
『ブラックペアン1988』(海堂尊、講談社文庫:単行本=2007、9;文庫本・2012、4、13第1刷、2018,3,29第8刷)
今TBS系で日曜日にやっている(もうすぐ終わる)ドラマの原作。「嵐」の二宮和也君が主演の渡海先生、ライバル役の高城先生が小泉孝太郎。結構みんなハマリ役。この原作に出て来ない人を除いて。
「ペアン」
とは、外科手術の際に血管を止血するための、見た目は「はさみ」のような器具。普通は金属なので「銀色」だが、特別にカーボン素材で作った「黒いペアン」があり、それが「ブラックペアン」なのである。
海堂尊の本は、『チームバティスタの栄光』以降、立て続けに出た小説は、最初の方はほぼ全てむさぼるように読んだが、最近はちょっと、さぼりがち。この『ブラックペアン』、読んだような気がするんだけど、自宅を捜しても出て来なかったので、シリーズ3作の文庫を購入して読み出しました。読み出してから、「これ、読んでなかったかも」と思いました。
面白いですが、舞台は「1988」年、つまり「30年前」。その時代の登場人物が、のちにスピンオフでいろんな作品に出て来るので、ちょっと頭の中がこんがらがりながらも、
「そう言えばこの人は、のちに院長になる人だ」
とか思い出し出し、読みました。
「オチ」はそういうことだったのか、と。続編も楽しみです。
『重版出来! 11』(松田奈緒子、小学館:2018、5、16)
2017読書日記042『重版出来9』以来、1年2か月ぶりだ!大阪・天満橋の「ジュンク堂」で発見。10巻と11巻が出ていたが、11巻は絶対まだ買って読んでいないと思って購入。案の定、11巻はまだ読んでいなかったが、10巻も読んでいなかったので、また買わなきゃ。
先に読んでしまった「11巻」、「紙の漫画本」が売れなくて「電子版」を開拓する話。なかなか時流に合ったというか、テーマが「マンガ・マンガ家・出版社」だけに専門的なテーマですね。あ、電子版の版権の話は、前にも出て来たっけ?それともそれは『バクマン!』のほうだっけか?いずれにせよ、現在「直面している問題」なんだなと思いました。そして「紙に書く漫画」と「スクロールで読む電子版の漫画」では、「コマ割り」も「横→縦」に変えないといけないとか、何とも専門的な話で参考になりました。(どう参考に?漫画家でもないのに。)
6月6日の読売新聞「くらし」欄(家庭欄)の「和を食す~食卓は今2」に、こんな見出しが出ていました。
「白ご飯 味がなく苦手」
お!「白ご飯」という言葉が新聞の「見出し」に使われている!記事を読んでみると、本文の中には「白ご飯」はなく、
「白いご飯」
とちゃんと「い」が入った形で表現されていました。あくまで「俗語」扱いだと思います。
そこで「国語辞典」には「白ご飯」が載っているかどうか?また「白〇〇」という、
「色の形容詞の語幹『白』と名詞が一体化した名詞」
が載っているかどうか、「ご飯」近辺の「白〇〇」についても調べてみました。手元にあった国語辞典は10種類でした。(電子辞書を含む。( )内は版数)
見出し語として載っていたら〇、載っていなかったら×で示しました。
白ご飯 白めし 白ごま 白ごめ 白胡椒 白酒 白砂糖(合計)
広辞苑 × × 〇 〇 〇 〇 〇 5
明鏡 × × × × × 〇 〇 2
新明解 × × × × × 〇 〇 2
旺文社 × × × × × 〇 × 1
精選版日国× × 〇 〇 〇 〇 〇 5
D大辞泉 × × 〇 〇 〇 〇 〇 5
岩波国語 × × × × × 〇 × 1
三国 〇 〇 × × 〇 〇 〇 5
現国例解 × × × × × 〇 〇 2
新潮現代 × × 〇 × × 〇 〇 3
(合計) 1 1 4 3 4 10 8
10種類の国語辞典のうち、唯一「白ご飯」を載せていたのは通称「三国」こと『三省堂国語事典』です。さすが!語釈は、
「『しろめし』の美化語」
とシンプルです。「白飯」と書くのでしょうが「しろめし」、載っているか見てみたら、やはりこれも載せているのは「三国」だけでした。一方「白酒」は10種類全部の辞書が載せていました。「白砂糖」も8種類の辞書が載せていました。「白ごま」「白胡椒」は、やや古めの大型の辞書が載せていました。
こういった目立たない言葉も、ちょっとずつ変わってきているのですね。毎日食べてるのにね。ただ、私はふだんは普通に、
「ご飯」
と呼び、「白ご飯」とは言いません。対比・比較対象として、
「炊き込みご飯」「焼き飯」「チャーハン」
などがある場合には、
「白いご飯、ちょうだい」
とは言いますが「白ご飯」とは、私は言いませんね。家族は言うかもしれません。
『未来の年表2~人口減少日本であなたに起きること』(河合雅司、講談社現代新書:2018、5、20)
ベストセラーとなった『未来の年表』の続編。
2017読書日記122『未来の年表~人口減少日本でこれから起きること』で「読みました。
根本的に言いたいことは全く変わっていないが「年表」ということで、「具体的にどんなことが起きるのか」をみんな知りたいでしょ?そんなことが記されています。少しだけ紹介すると、
「伴侶に先立たれると自宅が凶器と化す」
「亡くなる人が増えると、スズメバチに襲われる」
「食卓から野菜が消え、健康を損なう」
「親が亡くなると、地方銀行がなくなる」
「若者が減ると、民主主義が崩壊する」
「ネット通販が普及し、商品が届かなくなる」
そのほか、今の大都会で「分刻み」のダイヤが組まれている電車ですが、それはスムーズに乗り降りできる若い人が大前提になっているので、乗り降りに"もたもた"する高齢者が増えるとあんなダイヤは組めなくなるとか、「なるほどなあ」と思いました。対策は、
「縮む日本社会を受け入れて、その中での生活を築いていくこと」
だそうです。できるかな。
『広辞苑をつくるひと』(三浦しをん、岩波書店:2018、1、12)
非売品。『広辞苑・第7版』の出版記念で、『広辞苑・第7版』を買ったら、オマケでついてきた。150ページの薄い文庫本だが、豪華なオマケだ。「本好き・辞書好き」にはたまらない。「広辞苑をつくるひとたち」をルポしているのは、あの『舟を編む』を書いた直木賞作家「三浦しをん」さんだし。
タイトルに嘘偽りなく、『広辞苑』を作っている人たち、すなわち「語釈=言葉の意味」を書く「国立国語研究所」の研究員、辞書を紙に印刷する「大日本印刷株式会社」、イラストを描いてくれるイラストレーターさん、辞書のカバーである「函」を作ってくれる「製函所」(これは知らなった)の人たち、そして大きな紙に印刷された「広辞苑の中身」を裁断して「本」にする「製本所」という、本当に地味な縁の下の力持ちさんたちを、三浦さんが取材して書いたパンフレット。でも、こんなに力の入った豪華なパンフレットはないだろう。それが『広辞苑』を買うと「オマケ」で付いてくるなんて、とっても得した感じ!
『東大生になった君へ~真のエリートへの道』(田坂広志、光文社新書:2018、4、30)
字が大きい。東大生はこんなに大きな字でないと読めないのか?1ページに12行しかない。小学生向け?いや、実は「老眼の人=東大生の親」に読ませる本ではないか?とさえ思った。しかし、内容は「東大生」に限った話ではなく、やはり、
「若者」=「大学生一般」
に読んでほしい内容のようだ。
サブタイトルにあるように、
「真のエリート」を目指すには?
「ノブレス・オブリージュ」は、20年ぐらい前には言われたが、最近はあまり聞かれなくなった。それどころか「エリート」が「嘘をつきまくり」で、軽蔑される世の中になってしまった。だからこそ、「知識」ではなく「知恵」「知性」が必要なのだと説く王道本。
吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』が思いのほかヒットしたので、そういった流れなのかな?とも思いました。
「ミヤネ屋」のスタッフの女性が話をしているのを小耳にはさみました。
「私こないだ『パリ』に行ったんやんか」
あれ?いつのまに「パリ」に?彼女、夏休みかなんか取ってたっけ?と思って、
「へえー、いつ『フランス』に行ったん?」
と尋ねると、
「フランスなんて、行ってませんけど」
「え?今『パリ』に行ったって・・・。」
「『パリ』、ちゃいますよ、『パーティー』です。飲み会です!」
「なーんや、てっきり『パリ』の話をしてたんかと。『フランス』かと思ってたわ」
「そんなわけありませんやん、休みもお金もないのに」
と言われてしまいました・・・。よく「パーティー(飲み会)」に行く人のこと、
「パーティーピープル」
のことを略して、
「パリピ」
と言う、あの「パリ」なのですね。「パーティー」=「パリ」を単独でも使うんだ。
6月12日、初の米朝首脳会談が行われました。その様子を中継リポートしていたNHKの記者の人が、
「あちらこちで」
と言い間違いました。すぐに、
「あちらこちらで」
と言い直していました。単なる言い間違いだとは思うのですが、「あちらこちら」の省略形としては、
「あちこち」
があります。中途半端に最初は「ら」を付けて「あちら」と言い、後ろのほうは「ら」を省略して「こち」と言ってしまったと。最初は、
「これって、新しい『ら抜き言葉』やなあ」
と思ったのですが、逆に言うと、「あちこち」に「ら」が付いた、
「ら足す言葉」
なのかもしれませんね。
6月12日に初の米朝首脳会談がシンガポールで開かれました。
しかし、この首脳会談の実施までには「やる」「やらない」という米朝双方の「駆け引き」があり、一時は開催が危ぶまれる事態にもなったのは、ご存じのとおりです。そういった経緯を紹介した「ミヤネ屋」のVTRのテロップをチェックしていたら、こんな文言が。
「差しつ差されつの攻防」
うん?これは表現がおかしいですねえ。「差しつ差されつ」というのは、
「酒を酌み交わす様子」
を表す言葉ですよね、言うまでもなく。
「ナイフで刺し合う」「攻撃し合う」
ということではありません。
アメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員長は、まだ一度も直接会ったことなどないのですから、酒を酌み交わしたということも当然ないでしょう。
米・朝が「会談をする・しない」という駆け引きのことは、
「虚々実々の駆け引き」
という表現が一番ピッタリだと思ったのですが、言葉がちょっと難しく、周囲の若い人に聞いても、
「そんな言葉、知りません」「初めて聞きました」
と言っているのと、「実々」というのが、「とても言いにくい」ので、結局、
「激しい駆け引き」
という表現にテロップも原稿も変えました。
それにしても、まだ、
「米朝会談」
という文字を見ると、
「桂米朝さん」
を思い浮かべてしまいます。
「米朝・小さん 人間国宝対談」
みたいな。またアメリカと北朝鮮の、
「両国の行方は」
という文字を見ると、
「大相撲の力士の『両国』」
を思い浮かべてしまいます・・・。
グアテマラで噴火した火山の名前は、
「フエゴ」
スペイン語で「火」だという話は、平成ことば事情6816「フエゴ山・サハラ砂漠・ゴビ砂漠」に書きましたが、その山の名前の表記が、実は「2通り」あるようなのです。
つまり、
「フエゴ山」と「フエゴ火山」
の2通りです。単なる「山」なのか、「火山」と呼ぶのか?新聞では、
*「フエゴ山」=読売、朝日
*「フエゴ火山」=毎日(ロイター)、AFP時事、産経(共同)、日経(共同)
でした。日テレ系列は、
「フエゴ山」
です。
「2014年5月29日」に、タイトルだけ書いてほったらかしでしたが、ついに写真をゲットしたので「4年ぶり」に書きます。
「2018年5月20日」、近くのスーパーでこんな表記を見つけました。
売り場には、
「スナックえんどう」
と書かれているのに、商品には、
「スナップえんどう」
と表記されていたのです。
本当に、どっちなの?ということでネット検索してみたら、田辺香さんという方が、農畜産業振興協会に問い合わせて、そのあたりの事情について書かれていました。
https://www.excite.co.jp/News/bit/00021125038875.html
それによると、1970年代にアメリカから輸入が始まった当時は、
「正式名称は『スナップえんどう』」
だったそうです。しかし、その後「商品名」を、
「スナックえんどう」
とする業者が出てきて混乱が生じ、1983年(昭和58年)に農林水産省が、
「『スナップえんどう』に統一」
したそうです。
もともと英語で「スナップえんどう」は、
「snap-bean」(スナップビーン)
で、「snap」の意味は、
「ポキンと折れる」「パチンと音をたてる」
ということだそうです。日本で「スナックえんどう」と言う言葉が広がったのは、
「軽食の『スナック』みたいに食べられる」
「『スナップ』より『スナック』の方が日本人に親しみやすいから」
などの説があるそうです。そして、田辺さんは、
「既に"スナックえんどう"も浸透しているし、商品名として間違いではないかもしれない。でも今後は一応、正式名称"スナップえんどう"として覚えてください!」
と、まとめていました。
でも私が見つけたのは「スーパーの野菜の種類」として「スナック」になっていて、「商品名」が「スナップ」という正しい形なので、まさに混同された「逆」の形になっていました。
「正しくは『スナップえんどう』だ」
と覚えておきます。
長崎県の潜伏キリシタン施設が世界遺産になるというニュースが流れましたが、この、
「潜伏キリシタン」
という名称は聞き慣れません。普通は、
「隠れキリシタン」
と言うのではないでしょうか?
そこで調べてみました。ネット検索でまず出てきたのが、
「世界文化遺産候補 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」
というサイトです。
http://kirishitan.jp/values/val002
そこの『「潜伏キリシタン」とは』という説明文には、こう書かれていました。
『「潜伏キリシタン」とは、禁教期にも16世紀半ばに伝わったキリスト教の信仰を続けていた人々のことです。』
それを「かくれキリシタン」と呼ぶのではないの?と思って読み進むと、
『キリスト教禁教期の日本において、ひそかにキリスト教由来の信仰を続けていた人々のことを「潜伏キリシタン」と呼ぶ。なお、禁教が行われる以前にキリスト教に改宗した人々のことを、同時代の日本ではポルトガル語由来の「キリシタン」と呼んだ。』
とあり、さらに最後にこんな文言が。
『また、キリスト教が解禁となった19世紀後半以降も引き続き潜伏キリシタン以来の信仰を続けた人々のことを「かくれキリシタン」と呼んでいる。』
もうひとつはっきりしないので、「コトバンク」で「潜伏キリシタン」を引きました。
『潜伏したキリスト信者の意。島原の乱(※1637年~38年)後、厳重になった江戸幕府の禁圧政策のもとで、表向きは仏教徒をよそおいながら、1873年禁教の高札が廃されるまで信仰を守り続けてきたキリスト教徒。北九州地方に多い。民俗信仰と混合した特異の礼拝形式や習慣をもつ。1865年宣教師プティジャンが長崎大浦で発見後、その多くがカトリック教会に加わった。しかし長崎県五島列島、生月島などには、なお旧習を守って現在に及んでいる信者がいる。プティジャンの発見以後の信徒を隠れキリシタンと呼ぶ。』
なるほど、こちらのほうが具体的な年代も入ってわかりやすい。つまり、
*「潜伏キリシタン」=1637年~38年の島原の乱後、1873年禁教の高札が廃止まで信仰を守り続けてきたキリスト教徒のこと。
*「隠れキリシタン」=1865年、宣教師・プティジャンが長崎・大浦で「潜伏キリシタン」発見以後の信徒のこと。
ということで、「隠れキリシタン」のほうが新しいんですね。
何となく、わかりました。
「隠れキリシタン」で思い出すのは、はるか昔に読んだ遠藤周作の『沈黙』ですが、あれは「潜伏キリシタン」だったのか?それとも「隠れキリシタン」なのか?時代によって呼称が違うということならば、時代を調べると、どちらかわかるわけですね。で調べてみたら(ウィキペディアですが)、
「17世紀の日本の史実・歴史文書に基づいて創作した歴史小説。」
「島原の乱が収束して間もないころ」
と書かれていますので、その意味では間違いなく、
「潜伏キリシタン」
について書かれたものだと思いますが、読んだ当時に「潜伏キリシタン」という言葉は知りませんでした。
(2018、5、9)
(追記)
5月24日~25日に山形市で開かれた新聞用語懇談会春季合同総会で、「潜伏キリシタン」について質問したところ、以下のようなやり取りがありました。
『長崎・天草地方の世界遺産認定関連のニュースで出て来た「潜伏キリシタン」という言葉、初めて耳にしましたが違和感があります。「隠れキリシタン」ではだめなのでしょうか。そのあたり、どう使い分けをされていますか。(遠藤周作の『沈黙』では、島原の乱後の信者を「隠れキリシタン」としていたような記憶があるのですが。)』(読売テレビ・道浦委員)
→(西日本新聞)調べて来た。「潜伏キリシタン」は、以前から学者が使っていた用語。記事データベースでは、世界遺産に関連して「2016年9月1日」に長崎・熊本・両県の6市町による「推進会議」で、それまでの申請名「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」から「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に名称を変更したというニュースで、初めて「潜伏キリシタン」が出て来た。これは「政治の力」が関連して「産業遺産」の登録よりも後回しにされたことを受け「これまでの名称では、アピールが弱いのではないか?」という意見が出て、長崎県が「ICOMOS(イコモス:国際記念物遺跡会議)」とアドバイザー契約を結び、そのICOMOSから「キリスト教が禁じられていた時期からずっと信教していた、その遺産であることを強調してはどうか?」というアドバイスを受けて、「隠れキリシタン」ではなく「潜伏キリシタン」という表現を使ったところ「世界遺産」認定につながったようだ。
(読売テレビ)「隠れ(かくれ・カクレ)キリシタン」と呼んではダメなのか?
(西日本新聞)ダメではないと思う。「潜伏キリシタン」は「世界遺産」認定に関連して政策的に出て来た表現だと思う。
(毎日放送)長崎県がICOMOSとアドバイザー契約を結んで、そのアドバイスを受けて「潜伏キリシタン」という名称を使った初出は「2016年」とおっしゃったが、私が調べたところでは、「2014年秋」に出た山川書店の『日本史用語集』では「かくれキリシタン(潜伏キリシタン)」という表記が出ている。詳しい説明は載っていないが。
(西日本新聞)学術的には、以前から研究者などは「潜伏キリシタン」と言葉を使っていたようだ。いつからかは、具体的にはわからないが。
(共同通信)学術的には「潜伏キリシタン」という用語は、長崎純心女子大学の先生が言い出したものだ。また平仮名の「かくれキリシタン」、カタカナの「カクレキリシタン」という表記もある。学会としては「潜伏キリシタン」と「かくれキリシタン」に分けている。山川の教科書のように「かくれキリシタン(潜伏キリシタン)」と書くところもあるが、他の教科書会社は「隠れキリシタン」のみ。「踏み絵」か「絵踏み」かというのとも似ている。新聞はどうするか?
(産経新聞)19世紀後半の「キリスト教禁教」が解けた(明治6年=1873年)後のものは「かくれキリシタン」と、「平仮名」で「かくれ」としている。今回の世界遺産の場合の「潜伏キリシタン」には説明を付けた。カタカナの「カクレキリシタン」は、隠れてもいないし、そもそも、もう「キリシタン(キリスト教)」でもない。(土俗の宗教になっている。)
また、週刊誌『FRASH』やメールマガジンで、辛坊治郎さんが自ら五島列島へ行って「かくれキリシタン」(「潜伏キリシタン」ではない方)の人から話を聞いた内容なども記していました。
テレビ朝日『あいつ今何してる?』という番組を見ていたら、(5月23日に見たけど、録画だったかもしれない)紹介された「NPO法人」の人が使っている言葉で、
「留職」
という言葉が出て来ました。この番組で紹介している男性が提唱している言葉のようで、「『留学』して現地に留まり、職に就く」
ことを言うようですね。初めて聞いた言葉でした。
グーグル検索では(6月11日)
「留職」=39万9000件
でした。2012年ぐらいから使われている言葉のようです。
また、この番組の中の表現で、あと気になったのは、
×「聞きなじみがない」→◯「耳なじみがない」
「インドやカンボジアといった新興国」→「新興国」か?
といったことがありました。
6月4日放送の読売テレビの「かんさい情報ネットten.」で「ドイツの赤ちゃんポスト」のリポートをしていました。そのナレーションで、横須賀ゆきの元アナウンサーが、
「連れ子」
という言葉を、
「つれご」
と「濁って」読んでいました。
「あれ、これは『つれこ』と『濁らない』のではなかったか?」
と思ってアクセント辞典を引いてみたところ、以前の『NHK日本語発音アクセント辞典』では、
「つれこ、つれっこ」
と「濁らず」でしたが、2年前に出た『NHK日本語発音アクセント新辞典』では、
「つれご」
と「濁った読み方」が先に載っていて、
「濁らない『つれこ』は『許容』」
になっていました。知らなかったあ!
過去の新聞用語懇談会で「連れ子」について話し合われたのは、私がチェックしている限りでは、3回です。
【2003年7月・放送分科会】
「連れ子(こ=濁らない)」という言葉は使っても言いのか?
→(NHK)=使わないようにしている。単に「子」とか、「母(父)親の子」というような表現方法。
(毎日放送)=言葉の響きに差別的な匂いがあるのでできるだけ使わないようにしている。
(読売テレビ)=たしかに差別的な響きはあるが、特に規制していない。去年だったか、尼崎で連れ子をせっかんして死なせるという虐待事件があったが、その時は使っている。「連れ子」ということが事件の一つの大きな要素になっている場合、使わざるを得ないこともあるのではないか。(委員の中にも「つれご」と濁ると思っている人が、かなりいたが、辞書ではどれを見ても「つれこ」。濁らない。)
【2008年9月・放送分科会】
「連れ子」=共同通信の記者ハンドブックでは「里親」「里子」は「使わない」となっている。言い換えは「母親の子」「○○さんの長男」など。しかし、事件報道で使うことはある。(各社)
【2012年10月(関西地区新聞用語懇談会)】
「連れ子」という表現は使っていいのか?(愛媛新聞)
→(毎日新聞)「よく使っている。『○○さんの長男』という表現も使う」
(共同通信)「差別的な意味では使わない」
ということでした。
たぶん「国語辞典」は「つれこ」と「濁らない」ほうが、まだ多いんじゃないかなあ。
そしてきのう(6月6日)、香川県から東京・目黒区に引っ越した5歳の女の子が、虐待を受けてことし3月に死亡した事件で両親が逮捕されましたが、亡くなった
「船戸結愛(ゆあ)ちゃん(5)」
は、逮捕された母・船戸優里容疑者(25)の「連れ子」でした。
このニュースを伝えた6月7日の日本テレビ「スッキリ」で森圭介アナウンサーは、
「つれご」
と濁って読んでいました。
父・船戸雄大容疑者(33)から虐待を受け、それを母は「見て見ぬふりをしていた」と。いたたまれません・・・。
なお、平成ことば事情694「連れ子」もお読みください。
『万引き家族』を見に行った時に、その映画の前に流れた『ワンダー 君は太陽』(6月15日公開)の宣伝で、こんな文字が出て来ました。
「必涙度97%」
何でも作るなあ。
「ひつるいど」
と読むのでしょうか?初めて見ました。
なんか、そう言われると、かえって"引いて"しまうけどなあ。
グーグル検索では(6月11日)、
「必涙度」=52件
でした。少ない。やっぱり、この映画の関係者が作った言葉なんだな。
でも、「度」を抜いた「必涙」だけで検索すると、
「必涙」=3220件
ありました。2010年ごろに、この言葉を使っている人もいました。
レストラン「きんのぶた」の広告に出て来た、
「和豚もちぶた」
という言葉。この読み方が、
「わとんもちぶた」
でした。「和豚」が、
「わとん」
でも、そのあとの「もちぶた」は、漢字では書いてないけど「もちとん」ではなく「もちぶた」なのですね。「とん」と「ぶた」が、一つの言葉の中に混在しています。まとめて、
「和もちぶた」
では、いけないのでしょうかね?もしくは、どちらも「ぶた」にして、
「和ぶたもちぶた」
とか。やはり「音」として同じ「ぶた」という言葉が重なるのは「重複感」があるので避けたのでしょうかね。
いずれにせよ、一度その「和豚もちぶた」のしゃぶしゃぶを、食べてみたいなと思いましたが。すっかり、術中にはまっております・・・。
6月6日の読売テレビ『かんさい情報ネットten.』で黒木千晶アナウンサーが、
「第5弾」
のアクセントを、
「ダ\イ・ゴ\ダン」
と読んでいました。そこで、
『「第5弾」のアクセントは、
×「ダ\イ・ゴ\ダン」→〇「ダ\イ・ゴ/ダン」
ですよ。』
とメールしたところ、
「ありがとうございます!今日たくさんこの言葉が出てくるので気を付けます。ご指摘ありがとうございます。」
と返事が来ました。そこでさらに、
『「第5弾」のアクセントの間違いがなぜ起きるかと言うと、意味の区切りが違うからです。
×「第5・弾」(×ダ\イ・ゴ\ダン)
〇「第・5弾」(〇ダ\イ・ゴ/ダン)
「ゴダン」は「5弾」「5段」共に「平板アクセント」で「ゴ/ダン」ですが、「5」を強調しようとすると、×「ゴ\ダン」になってしまうのではないかと思います。』
と送っておきました。
『NHK日本語発音アクセント新辞典』の巻末「数詞と助数詞のアクセント一覧表」には、「弾」は載っていませんが、
「段(階段など)」
「段(段位)」
の2種類の「段」のアクセント一覧が載っていますが、これも先ほど書いたように、共に「5段」は「平板アクセント」で、
「ゴ/ダン」
です。ただ、両方のアクセントを見ていると、面白いことに気付きました。あ、そのまま引き写しますね。アクセントが違う所を「赤」で塗ります。(アクセント表記は、道浦式斜線で)
【階段など】 【段位】
1段 イ/チ\ダン(頭高) ショ/ダン(平板)
2 ニ\ダン(頭高) ニ\ダン(頭高)
3 サ\ンダン(頭高) サ/ンダン(平板)
サ/ンダン(平板)
4 ヨ\ンダン(頭高) ヨ/ダン(平板)
(許容)ヨ/ダン(平板)
5 ゴ/ダン(平板) ゴ/ダン(平板)
6 ロ/ク\ダン(中高) ロ/ク\ダン(中高)
7 ナ/ナ\ダン(中高) シ/チ\ダン(中高)
(許容)シ/チ\ダン(中高)
8 ハ/チ\ダン(中高) ハ/チ\ダン(中高)
9 キュ\ーダン(頭高) ク/ダン(平板)
(許容)ク/ダン(平板)
10 ジュ\ーダン(頭高) ジュ\ーダン(頭高)
ということです。「段位」は「伝統的」なものが多いので、「伝統的な数え方」を使う傾向にあります。(4=ヨ、7=シチ、9=ク)
そして、全体のアクセントパターンを見ると、
「頭高アクセント」と「中高アクセント」
が多いことに気付きます。
「平板アクセント」
なのは、「階段等」では、
「3、4(許容)、5、9(許容)」
で、「許容」を除くと「3,5」だけです。しかも「3」は「頭高」も認めているので、
「単独で『平板アクセント』なのは『5』だけ」
です。「段位」のほうは、
「1、3,4,5、9」
ですが、「伝統的読み方」である「4、9」を除くと「1、3、5」。数字の「拍数」に注目すると「1拍」のものは、
「5だけ」
です。以上のようなことから、
「全体のアクセントパターンにつられて、本来『平板アクセント』の『5(ゴ/ダン)』も『頭高アクセント』になる傾向があるのではないか?」
と考えられます。よく知られたそういう傾向は、
「2月」「4月」
が本来は「平板アクセント」で、
「ニ/ガツ」「シ/ガツ」
であるにもかかわらず「5月(ゴ\ガツ)」「9月(ク\ガツ)」という「頭高アクセント」につられて、間違って、
「ニ\ガツ」「シ\ガツ」
と「頭高アクセント」で発音されることが多いことに似ているのかもしれませんね。
けさの通勤電車。向かい合わせの4人掛けにした席に、70歳代と思しき女性が陣取っていました。手には「ユニバーサルスタジオ・ジャパン(USJ)」のガイドブック。元気やなあ。楽し気にしゃべっております。声は少し大きめ。
その会話の中心と思しき女性の「相槌」が気になりました。彼女は、こう言ったのです。
「これこれこれこれこれ、これやんか!」
何と「これ」が「5回プラス1」の合計「6回」。多くないかい?
普通は、
「これこれ、これやんか」
ぐらいですが、それをしゃべるぐらいの時間内に、これだけの回数「これ」を連呼する。まさに「マシンガントーク」です。「言葉の機関銃」です。これやから大阪のおばちゃんは、
「しゃべり」
って言われるんやなあ。「内容」に比べて「しゃべる量」が多いんですね。
「女」という漢字を「3つ」書いて、
「姦(かしま)しい」
と読みますが、「4人」ですから「姦しい」の上を行きますよね。
感心して聞いておりました。
きょう、「6月6日」に近畿地方から東海、関東甲信地方にかけて「梅雨入り」しました。近畿地方は、去年より14日、平年より1日早い梅雨入りです。その、きょうの日付
「6月6日」
というと思い出すのは、子どもの頃の「お絵かき歌」の、
「かわいいコックさん」
です。え?なぜかって?この歌の歌詞の中にあるでしょう、ホラ、
「6月6日に雨ザーザー」
ってのが。まさにそれじゃないですか「6月6日」に「雨が降って梅雨入り」って。
久々にあの歌を思い出したんです。
♪棒が一本あったとさ
はっぱかな
はっぱじゃないよ かえるだよ
かえるじゃないよ あひるだよ
6月6日に雨 ざあざあふってきて
三角じょうぎに ヒビいって
あんパン2つ 豆3つ
コッペパン2つ くださいな
あっというまに かわいいコックさん
「ウィキペディア」によると、これは東京のわらべうたで、作詞・作曲者は不詳。
1964年から1965年にかけて、NHKの『うたのえほん』で歌われたことにより、広く全国に知られるようになったそうです。民族音楽学者で当時、東京芸術大学の教員だった、小泉文夫さんが、楽理科の学生らとともに採集した楽曲の一つで、小泉さんの研究室を訪ねた『うたのえほん』の担当ディレクター岡弘道さんが番組にふさわしい曲として見いだしたそうです。そして、わらべうたの旋律をもとに
「間宮芳生(みちお)さん」
にピアノ譜の作曲(編曲)を依頼し、中川順子の歌で放送されたということです。
小泉文夫さんも懐かしいですが、「間宮芳夫さん」と言えば、学生の頃に歌った(レコーディングもしました)男声合唱曲『コンポジション』の作曲家で、早稲田グリーのライバル、慶應ワグネルソサエティ男声合唱団の同期(?)に、たしか間宮さんの甥御さんがいたのではないか、と。いろんなところでつながっているんですね。「6月6日」の思いででした。で、「梅雨入り」です。
2018年3月28日の朝日放送(ABC)のお昼のニュースで、小寺右子アナウンサーが読んでいた、「ナマコ密漁の漁師」が逮捕されたというニュースで出て来た、
「ナマコは『黒いダイヤ』とも呼ばれ」
という一文が気になりました。普通、「黒いダイヤ」というと、
「キャビア」
を指すのではないか?と疑問に思ったのです。でも、もともとは、
「石炭」
のことを言ったんですね。聞いたこと、あるな。そのほかにも、
「海の黒いダイヤ」=「クロムツ」
とか、「世界三大珍味」の一つとされる、
「トリュフ」
も「黒いダイヤ」とも呼ばれる高級食材。「世界三大珍味」の亜流としては、
「海のトリュフ」=「ホヤ」
「山のキャアビア」=「とんぶり」
などもあるようです。いろんな「異名=ニックネーム」があるんですねえ。
グーグル検索では(6月6日)
「黒いダイヤ、キャビア」 =3050件
「黒いダイヤ、ナマコ」 =4910件
「黒いダイヤ、石炭」 =9600件
「黒いダイヤ、クロムツ」 = 648件
「海の黒いダイヤ、クロムツ」=2740件
「海のトリュフ、ホヤ」 = 479件
「山のキャアビア、とんぶり」=2880件
でした。「海の幸、山の幸」ですね。
6月6日、「ミヤネ屋」のテロップチェックをしていて、オペレーターさん(たぶん、新人さん)に
「『連れてきた』、漢字で」
と言ったら、
「連れてきた感じ」
になってしまいました・・・。
「『連れてきた』の『きた』を、漢字で『来た』と書いてください」
と、丁寧に言うべきだったかな・・・。
「紀州のドン・ファン」野崎さんの遺体から検出された薬物を「ミヤネ屋」では、
「大量の覚醒剤成分」
と報じていますが、この「大量の」に違和感が。当然「成分」にかかる形容なので、
「多量の覚醒剤成分」
なのではないか?と思いました。これはどう違うのか?
数え方には、
1個、2個というように数えられるもの(countable)=数
1個、2個とは数えられないもの(uncountable) =量
があります。そして、それぞれの「量」の「多い・少ない」の表現には、
少量<大量(数えられるもの=数)
微量<少量<多量(主に数えられないもの=量)
を用います。つまり「少量」は「(1)(2)どちらにも用いられる」のです。だからその反対語は「大量」にも「多量」にもなりうるのではないでしょうか?
今回の場合の「覚醒剤の成分」の数え方は、当然(2)なので、
「多量の覚醒剤成分」
としたほうが妥当に思うのですが、いかがでしょうか?
もし、「覚醒剤の密輸」で、
「『パケ』と呼ばれるポリ袋に包まれた覚醒剤3キロ・末端価格で〇億円分をのみ込んで密輸した」
という場合は、「パケ」は「数えられる」ので、
「大量の覚醒剤」
となるでしょう。
以上は私の「語感」によるものですが、『日本語語感の辞典』 によると、
*「大量」=数や量がきわめて多い意で、会話にも文章にも使われる漢語。<大量生産><大量に出回る><大量に購入><大量の注文を受ける>★「多量」とは違い、数の多い場合にも使い、まとまった感じがある。「清濁併(あわ)せ呑(の)む大量の人」のように、度量の大きい意でも用い、その場合は古風な感じがある。
*「多量」=物の分量が多い意で、改まった会話や文章に用いられる硬い感じの漢語。<出血多量><有無に多量の油が浮く><多量の薬物が検出される><多量の薬を服用する>★別に「多数」という語がある関係で、「大量」とは違い、良の多い場合に限って使う傾向があり、数については用いない。「少量」と対立。
とありました。大体、合ってたかな。
次の放送の分からは、
「多量」
にすることにしました。
中米のグアテマラで火山が噴火し、これまで(6月6日)75人が死亡、192人が行方不明になっているというニュース。この火山の名前が、
「フエゴ山」
私、ちょっとスペイン語をかじったので、あれ?っと思いました。
グアテマラはスペイン語圏です。そして「フエゴ」というのは、スペイン語では、
「火」
なんです。つまり、
「フエゴ山=火山」
そのままやがな!6月6日のNHKの「ニュース9」では、
「フエゴ火山」
と表記・ナレーションをしていました。こうなるともう、
「火火山」
「ひかざん」?完全に重複。「かかざん」なら。
「孫悟空」
ですな。
そういう話を「ミヤネ屋」のテロップを作ってくれているオペレーターに話したところ、
「そういえば、『ゴビ砂漠』の『ゴビ』も『砂漠』って意味じゃなかったでしたっけ・あれ?『サハラ砂漠』だったかな?」
あ、なんかそれ、聞いたことがあるような。調べたところ、両方共「ビンゴ!」でした。
*「サハラ」=アラビア語で「砂漠」の意味。
*「ゴビ」モンゴル語で「砂礫(されき)を含むステップ地帯のこと。
どちらも「サハラ」「ゴビ」だけで「砂漠」を意味していたんですね。
つまり、「ゴビ砂漠」「サハラ砂漠」は、
「重複表現」
に当たるのではないか?その意味では、「淀川」を英語で、
「YODOGAWA RIVER」
と表現するのも、
「淀川川」
という重複表現になるから、
「YODO RIVER」
とすべきだというのと、ちょっと似ているかな?
ことし4月、関西テレビの用語委員のMさんから、こんなメールが届きました。
「先日の朝日新聞に、認知症による『徘徊』という言葉について、『朝日新聞では使わないようにする』という興味深い記事が出ていました。気を付けないといけないということで、部内で情報を共有しました。(以下のアドレス)
https://www.asahi.com/articles/ASL3N6H64L3NULZU015.html
病院、施設では普通に使われているようですが、今後どうなるのでしょうか?」
ということで、各社の用語委員の皆さんに、メールでご意見を伺いました。
「『徘徊』という言葉は使わないでほしいというような要望が、認知症患者を介護する家族からの要望があるという記事を読んだのですが、『徘徊』は使わないようにしているとか、その件に関して何か話し合いをされたということは、ありますでしょうか?読売テレビでは、まだそういう話は出たことがございません。ご教示下さい。よろしくお願いします。」
これに対する各社からのお返事は(同じ社の別の方からお返事を頂いたものもあります)、
まず「『徘徊』を使うのをやめた」という「朝日新聞」の委員からは、
<朝日新聞>
弊社は、ことし3月15日付で「認知症の人の外出を『徘徊』としない」旨の社内通達を出し、3月25日付朝刊1面トップで認知症の記事を扱うとともに「朝日新聞は今後の記事で、認知症の人の行動を表す際に『徘徊(はいかい)』の言葉を原則として使わず、『外出中に道に迷う』などと表現することにします」というおことわりを掲載した。
というものでした。それ以外の各社は、
<フジテレビ>
私も「徘徊」に関する記事を読んだ。おそらく同じ記事だと思う。ただ、これに関して何か検討しているということはない。過去に「徘徊」の使用例もある。もし検討を始めるとすると、もう少し言い換えが世間に浸透してからになるだろう。
<読売新聞>
朝日新聞は言い換えているが、読売新聞では今のところ、そういう話は出ていない。
<テレビ朝日>
「徘徊」は、特に配慮していない。「取材の上で、認知症患者個々の家族の心情を鑑みる必要があった場合のみ配慮する」ということでよいのではと思う。
ざっとgoogle検索したが、各行政・市町村の認知症対応HPでは「徘徊に悩む場合」「徘徊の相談窓口」など「相談・ケース紹介・医療アドバイス」など様々な面で「徘徊」が使われている。「認知症支援団体」のHPでは、一部に「混乱する」「道が判らない」などの表現を先にする気遣いを感じるページもあるが、「徘徊」の問題・対応策紹介は厳然としてある。思うに「うちのおばあちゃんが徘徊をし始めて~」という話は、聞かれたくない家庭もあるかと思う。そのような場合で個別に「徘徊」があることを隠したい、「徘徊」癖があることを初期段階で本人に悟られたくない等、ケース・バイ・ケースかと。そのような個別取材では「徘徊」という表現を避ける必要もあるのではないか。
一方で、「徘徊」は介護での大きな問題だから、ご近所に知ってほしい・見かけたら知らせてほしい家庭もある。だから、世間一般での「悩み」「対応」などでの表現では使用可能と思う。ちなみに「未成年の深夜徘徊」などの防犯上表現、弊社のマツコ・デラックス氏による番組『夜の巷を徘徊する』という番組名など「うろつく」意味の「徘徊」は、必要があれば当然使用している。
<テレビ朝日>
弊社では、特に決まりはない。ただ、認知症患者や高齢者を揶揄する文脈の場合には、一定の注意を促すことになる。文脈で判断するというスタンス。
<毎日新聞>
少なくとも校閲に届いたメールでは「徘徊」についての要望は見いだせない。取材部門に1人だけ「おぼろげな記憶で、見たことがある」と言っていた。だから使わなくしようという議論には至っていない。
ということで、全体的には、まだ「徘徊」の言い換えに関する機は熟していないようですが、ケース・バイ・ケースで、一定の配慮は必要なのでしょうね。
世の中の豆腐に「2種類ある」と気付いたのは、10年ぐらい前です。
え?そんなの生まれた時から知ってるって?それは、
「冷奴」と「湯豆腐」
のことだろうって?いえ、「料理法」ではないんです。じゃあ、
「木綿豆腐」と「絹ごし豆腐」
のことだろうって?違います。たしかに「製造法」のことなんですが、私が気付いたのは、
「充填豆腐」と「それ以外」
という意味での「2種類」です。
まず確認ですが、昔からの製法で作る最も一般的なのは、
「木綿豆腐」
これの作り方を「全国豆腐連合会(全豆連)」のサイトによると、
「まず豆乳を凝固させ、それを崩します。そして豆腐に取り込まれなかった水分や油分(上澄み=「ゆ」という)を取った凝固物を柄杓(ひしゃく)などで型箱に盛り込む。型箱は孔があいたものを用い、箱の中に(木綿の)布を引いておき、凝固物がほぼ一杯になったら布を覆い蓋をして上から重しを乗せ圧力を加える。これにより箱の穴から「ゆ」が出てキッチリ とした豆腐が成型される。これを水槽に取り出し水晒しを行い、一定の大きさに切り分けると『木綿豆腐』の出来上がり。その名前は従来、型箱の中に木綿の布を引いていたため、豆腐の表面にその布目が付いていたことに由来している」
一方、
「絹ごし豆腐」
の作り方はと言うと、「木綿豆腐」のように寄せ桶の中での撹拌・崩しや型箱での圧搾を行わず「ゆ」を取ることをしません。
「熱い豆乳を凝固剤を入れた、穴のない布を引かない型箱に直に一気に流し込む。流し込みの勢いで凝固剤が均等に混ざる。一定時間静かにしておき固める。その後の型出し、水晒し等は木綿豆腐と同様。『木綿』に対し、『絹』のように、あるいは『絹の布で漉(こ)したように』滑らかでキメ細かい肌目をしているため『絹ごし』の名があるが、実際に絹で漉しているわけではない」
これに対して、
「充填豆腐」
というのは、
「絹ごし豆腐と同様の滑らかさがあり『充填絹ごし豆腐』とも称する。製法は、豆乳を一旦冷やし、凝固剤と一緒に1丁ずつの容器に注入(充填)・密閉し、加熱して凝固させる。型箱に入れない、水晒しをしないことや、1丁ずつカット(切断)しない。他の豆腐を『カット豆腐』とも言う。充填豆腐の製法は、機械化による流れ作業の大量生産に適しており、戦後の機械化の進展に伴い生まれた豆腐。 また豆乳充填・容器密閉後、加熱凝固させるので、その間に殺菌が行われるため、日持ちの良いのも特長」
とのことなのです。
先日、その「充填豆腐」の商品の包装に記された「表記」が、なんと、
「4種類」
あることを見つけました。すなわち、
「充填豆腐、充てん豆腐、充てんとうふ、充填とうふ」
です。
「木綿豆腐」「絹ごし豆腐」に比べると、まだ新しい「豆腐」なので、表記が一定していないのかもしれませんね。
『三省堂国語辞典』の「充填」の項目にも、「充填豆腐」は載っていませんでした。
女優の鈴木京香さん(49)と俳優の長谷川博己さんが、
「入籍」
したと、女性雑誌が伝えたと、きょう(5月29日)の「ミヤネ屋」でもお伝えしました。
この「入籍」という表現ですが、現在の民法で「入籍」というのは、
「養子縁組」
の場合のみです。戦前の「旧民法」においては、「法的な結婚」は、
「新郎の家の籍に、新婦が入る」=「入籍」(新婦から言うと「嫁入り」)
だったのですが、戦後の「民法」においては、
「新郎と新婦で一緒に新しい籍を作る」
ので、戦前と同じ「入籍」という表現を使うことはいかがなものか?ということになるのです。ですから、「報道局の扱うニュース」としては、少し文字数は増えますが、
「婚姻届提出」
としているのです。(芸能ネタでも。)
しかし、芸能人などは平気で「入籍しました」というFAXを送り付けてくるし、スポーツ紙や芸能週刊誌なども同じ意識で報道しているので、その引用などでは、
「入籍」
を使わざるを得ない部分もあるし、一般の視聴者、
「それほど意識していない」
ことも多いというのが現状です。
ツイッターで、こんな記述を見かけました。20代の女性の手によるものです。
「麺類 食べたすぎるんだけど。」
この意味は、
「麺類、めっちゃ食べたいんだけど。」
ですね。
また、こんな記述も見かけました。
「感謝しかない。」
この意味は、
「ただただ感謝。ひたすら感謝」
ということですね。
ちょっと似てる気がするな、この使い方は。
(2017、8、16)
(追記)
2017年8月2日の朝日新聞の言葉のコラム「ことば広場」で「○○過ぎる」について取り上げていました。松本理恵子記者の執筆です。それは、
「新しいほめ言葉?『〇〇すぎる』特別な思いの表れ」
と題したコラム。例として挙げているのは、
「天使すぎるアイドル」「青春すぎる漫画」
で、これらは「2008年ごろ」に話題になった、
「美人すぎる市議」
(2007年に青森県八戸市議に初当選し、「美人すぎる市議」と話題になった藤川優里さん)
あたりから使われるようになったのではないか?と記しています。これは私も2010年1月25日に「平成ことば事情3825美しすぎる」で書いています。
しかし「天使すぎる」と名詞につなげたり、「好きすぎる」とほめる際に使う用法には、違和感を持つ声も聞かれると。たしかに。
これに対して大阪大学の由本(ゆもと)陽子教授(理論言語学)は、
「形容動詞にもなる名詞とつながるのは『幸せすぎる』のように以前からあり、規則から逸脱したものではない。違和感を生むのは、形容動詞になり得るような性質を表す名詞なのかの判断に個人差があるからだろう。」
と述べています。由本教授は、
「神戸らしさの程度を表す意味を込めて、本の題名に『神戸なお店』とつける現象と同じ」
と説明しています。私は両方、違和感がありますけどね。でもたしかに「時代を表す表現」「イマドキの表現」なのかもしれません。
松本記者のこの記事は「紙」の紙面だけではなくて、ネットにも載っていました。【ことばをフカボリ:4】(2017年10月3日)そこにはもう少し詳しい情報も。
「天使すぎるアイドル」
と呼ばれているのは「橋本環奈さん」だそうです。なるほど。
本来は「遅すぎる」「目立ちすぎる」のように「好ましくないもの」に使っていた「〇〇すぎる」を、「プラス表現に使うところ」が新しく、また違和感を覚える人もいるのだと。
そして(他局の番組ですけど)最近では、タイトルにズバリ掲げた、
「なるみ・岡村の過ぎるTV」
というテレビ番組もあると紹介。
「想像を超えた」「世の中の常識を逸するモノや人」
を紹介する朝日放送のバラエティー番組です。まあ朝日新聞は系列ですからね。仕方ないか、紹介しても。ここで松本記者は、
『新しい「すぎる」の使い方からは、「とても」や「非常に」で表しきれないくらいに感情が大きく動いたことを訴えたい思いも感じます。インパクトのあるものが尊ばれる時代。自身が受けた衝撃をネット上などで強調して伝えようとする、イマドキ特有の表現とも言えそうです。』
とまとめていました。
納得。
でも、私は使いません。
※1年近くほったらかしにしていたものを、書き継ぎました。
6月4日放送の日本テレビ「しゃべくり007」のゲストは平昌(ピョンチャン)五輪で銅メダルを獲得した「カーリング女子チーム」の5人でした。いわゆる、
「カー娘(むす)。」
ですね。それぞれの個性が余すところなく、つまびらかにされて、大変面白かったです。
そのゲスト5人に対しての質問の一つに、
「アガる食べ物」
という項目があり、全員が、
「スイーツ」
と答えていました。これまで私たち年代が使う「アガる」という言葉は、
「何百人もの前で発表したのでアガった」
というように、
「緊張する」
ことを指すのですが、もちろん「スーツ」に緊張するわけではありません。この場合の「アガる」とは、
「テンションが上がる、アップする、元気が出る」
という意味でしょう。
「アゲアゲ」
などという言葉の流れではないでしょうか?この意味での言葉が、もう説明もなく使われているのですねえ。新しい言葉をいち早く取り入れることでいられる『三省堂国語辞典・第7版』で「あがる」を引くと何と「25」もの意味が書かれていて、その「24番目」に、
「(多く「アガる」と書く)(俗)気分が高まる(例)アガる春ぐつ」
と載っていました。「春ぐつ」というのは「春靴」なのかな?ちょっと用例が分かりにくいです。まさに今回の「アガる食べ物」に、用例を代えてはいかがでしょうか?
出張で山形に行ってきました。人生2度目の山形です。
今回山形で気付いたことの一つに自動車の、
「ナンバープレートの文字」
があります。「山形」と書かれた「形」のほうの字体が普通ではなくて、「へん」の方の形、つまり「研」の字の「つくり」のような文字の横が、「斜めに三本」の「杉」の「つくり」と同じ形ではなく、明らかに、
「漢数字の『三』」
のようになっていたのです。「三」とも少し違いますが・・・ええい、言葉で説明すると、まだるっこしい、写真を撮って来たので載せますね。百聞は一見に如かず。えい!
ね!字体が違うでしょ?
他の看板などの「山形」の文字の字体は普通なのですが、なぜかナンバープレートだけ違うのです。
これに関して、全国47都道府県に住んで活動している「吉本住みます芸人」で山形在住4年。大阪・八尾市出身の、
「笑福亭笑助さん(41)」
に「なぜなんですか?」と聞いたところ、
「これ、僕もこちらに来て気付いたんで、こちらでの高座でのまくらに言うと、地元の人が『なるほど!』と言ってくれるんですけど、たぶんですねえ、『形』の左側は『鳥居』に見えるじゃないですか。そして右側の『三』と『山』で『出羽三山』と『鳥居』、つまり神様を表してるんではないですかねえ」
「なるほど!出羽三山か!それに鳥居!絶対そうだね!」
という話になりました。ちなみに「出羽三山」とは、出羽三山神社の公式HPによると、
「羽黒山、月山、湯殿山」
の総称で、明治時代までは「神仏習合の権現を祀る修験道の山」であったそうです。
皆さんも山形県に行くことがあったら、自動車のナンバープレートに注目してみてくださいね。
優れたジャーナリストに与えられるアメリカの有名な賞の名前が、日本新聞協会が出している『新聞用語集2007年版』では、
「ピュリツァー賞」
という表記になっているのですが、違和感があります。一般的には、
「ピューリッツァー賞」
と「ピュー」が伸びて「リ」の後に「小さいッ」が入るか、
「ピュリッツァー賞」
と「ピュ」は伸びないけど「リ」の後に「小さいッ」入っているのではないでしょうか?
わかりにくいので、音楽のリズム=音符でも書いてみますね。
グーグル検索では(5月8日)、
(A)♪♪♩♩「ピュリツァー賞」 = 8万4700件
(B)♩♩♩♩「ピューリッツァー賞」=11万5000件
(C)♪♩♩♩「ピュリッツァー賞」 = 6万0200件
となっています。ここから「賞」を取ったら、
(A)♪♪♩「ピュリツァー」 = 8万8300件
(B)♩♩♩「ピューリッツァー」= 34万2000件
(C)♪♩♩「ピュリッツァー」 =293万0000件
でした。
5月24日に山形市で開かれた「新聞用語懇談会春季合同総会」の席で各社に質問したところ、こんな回答が返ってきました。
(共同通信)『新聞用語集』と同じ表記。
(NHK)『ことばのハンドブック』も『NHK日本語発音アクセント新辞典』も『新聞用語集』と同じく(A)「ピュリツァー賞」。(会社に戻って確認したら『NHK日本語発音アクセント辞典』には、『新・旧』共に、この言葉は載っていなかったが。)
(日本テレビ)「表記」は「読み」を縛らない。(必ずしも「表記と読み」は一致しなくてもよい。)「促音」は、どんどん伸びている。(A)「ピュリツァー賞」と書いてあっても、みんな(B)「ピューリッツアー賞」と読んでいる。
(読売テレビ)たしかに「マネジャー」と書いてあっても「マネージャー」、「ジャージー」と書いてあっても「ジャージ」、「パーカ」と書いてあっても「パーカー」、「ファストフード」と書いてあっても「ファーストフード」と読む傾向にはあるが・・・。
ちなみに、4月17日の「ミヤネ屋」の「250ニュース」で、「Me Too」など一連のハリウッドでのハーベイ・ワインスタイン氏の「セクハラ問題」追及の運動を伝えた「ニューヨーク・タイムズ」紙と「ニューヨーカー」誌が、(A)「ピュリツァー賞」を受賞したと伝えた際に、日本テレビはスーパー・ナレーション共に、
(B)「ピューリッツアー賞」
でした。やはり、
「発音につられて、表記が変わる」
こともあるのではないでしょうか?
読売テレビ側は読売新聞社の『読売スタイルブック2017』の表記に合わせて、
(A)「ピュリツァー賞」
でスーパーしました。
『ウェークアップぷらす』担当のS部長からメールです
「道浦さんがいつも送ってくれる『ミヤネ屋』の『きょうのスーパーチェック』のメールで、
×『知識をつけないと』→〇『知識を着けないと』
とあったのですが、オンエアで見ていて、私はてっきり『着けないと』が『間違い』だと思っていました。『読売ハンドブック』も『つける』の項目のなかに『知識・技術を身に付ける』とあり、感覚的にも『付ける』のような気がするのですが、テレビルールとしてこうなのでしょうか?」
細かい所まで見ていますねえ。
最初これは「つける」での発注だったのですが、私は「身につける」は「着ける」だと思っていたので、
「知識を(身に)着ける」
であろうとして直しました。記憶に頼ってやったので、メールを頂いてドキッとして、
改めて『新聞用語集2007年版』(これが最新)で「つく・つける」の項目を引いてみたところ、
「知識を身に着ける」
で載っていたので、ホッとしました。
しかし、読売新聞社の『読売スタイルブック2017』は、たしかに
、「知識・技術を身に付ける」
になっています。
手元にある他社の少し古いハンドブックを見てみると、
「毎日新聞」(2007年)=身に着ける
「朝日新聞」(2005年)=身に着ける
と両方「着ける」なのですが、新しい「共同通信記者ハンドブック」(2016)では、「使い分けに注意」として、
「身に付ける」=知識や技術
「身に着ける」=衣装や装身具
となっています。
元読売新聞・校閲のNさんに聞いたところ、
「たしか、前の前のスタイルブック(2011年)ぐらいから、『着ける』→『付ける』に変更されたように思う」
とのことでした。
新聞用語懇談会の関東幹事会で、『新聞用語集2007年版』の改訂作業をずっとやっているんですが、まだ次の『新聞用語集』発行のメドはたっていません。その中で、自社で独自のハンドブックを数年おきに改訂・発行している「読売新聞」や「朝日新聞」は、「関東幹事会」での討議の「果実」を一足先に自社ハンドブックに反映させているので、こういった事態が生じているのだと思います。
読売テレビは、基本的にキー局・日本テレビに従っており、日本テレビは『新聞用語集』を基本的に使用しているはずです。
私も基本は『新聞用語集』、そこに載っていない場合は『読売スタイルブック』を使うようにしています。
今回の「身につける」の場合の語感としては、
「着ける」=体全体を覆う
「付ける」=部分的にピタッと貼り付ける
という感じで、
「身に着けた知識」=体にぴったりフィットしている、一体となった知識。
「身に付けた知識」=付け焼刃でウィキペディアをコピペしたような上っぺらの知識。「外付け」のような感じ。
のように感じるというと、言い過ぎでしょうか?
「張る」と「貼る」の使い分けに似ているような気がします。(「貼る」の方が「はる面積」が狭い感じ。)
読売新聞の用語幹事で、用語集改訂の中心メンバーであるS氏に、このあたりの事情を聴いたところ、
「『知識を身につける』は、新聞はずっと『着ける』やってきた。2014年に国語分科会で『「異字同訓」の漢字の使い分け例(報告)』を作ったときも、私は新聞での扱いから『着ける』を主張した。ところが、学習指導要領では『付ける』を使っているということが分かり、『「異字同訓」の漢字の使い分け例(報告)』では、『知識を身に付(着)ける』と併記したうえで、それぞれの理屈を示した注釈を付けることにした。『指導要領での表記』を第一にしつつも、『新聞表記』も認めるかっこうにしたのだが、そうした経緯から、『指導要領に合わせたほうが良いのでは・・・』という社も現れたため、このような異同が生じている。」
とのことでした。
漢字の使い分け一つをとっても、このように大変細かな背景、差異があるのですねえ。。。
(2018、5、22)
出張で行った山形の市内で見つけた、こんな文字。
「覆工板」
道路工事中の注意の看板に書かれていました。あまり見慣れない言葉です。
国語辞典をいくつか引きました(『精選版日本国語大辞典』『広辞苑』『新明解国語辞典』『三省堂国語辞典』)が、
「ふっこうばん」「ふくこうばん」
のどちらでも載っていませんでした。グーグル検索では(6月4日)、
「覆工板」=5万9400件
でした。トップに出てきたのは「ジェコス株式会社」という会社のサイトで、それによると「覆工板」というのは、どうやら、
「道路工事中に道路に敷かれている、仮の道路としてフタをしている鉄板」
のことのようです。私たちの生活の役に立っている色んなものには、一つ一つ名前がある、ということですね。
日本テレビ政治部・国会官邸キャップの青山和弘記者の著書、
『恩讐と迷走の日本政治~記者だけが知る永田町の肉声ドキュメント』(文藝春秋)
を読んでいたら、
「喉に骨がつっかえたような感覚のまま」(188ページ)
という表現が出てきて、違和感がありました。まさに、
「喉に骨か何かが引っかかったような感覚」
でした。
グーグル検索(5月23日)では、
「喉に骨がつっかえた」 = 109件
「喉に骨が刺さった」 =4040件
「喉に骨が引っかかった」 = 379件
「のどに骨がつっかえた」 = 7件
「のどに骨が刺さった」 =1780件
「のどに骨が引っかかった」= 140件
ということで、一番多かったのは、
「喉に骨が刺さった」
でした。
たぶん「つっかえた」の場合は、
「胸につっかえた」
ではないでしょうか?「胸のつかえ」と言うぐらいですから。
「胸につっかえた」 = 1490件
「胸に引っかかった」=4万6500件
でした。青山さんの表現は、いわゆる「混交表現」になってしまっていましたね。
本は、大変読みやすく、この1年ほどの安倍政権を中心とした日本政治の混迷の様子の、政治部記者ならではの『インサイドリポート』でした。
皆さんは、
「お花畑」
と聞くとどのようなものを思い浮かべますか?まあ当然、
「一面の花畑」
で、咲いているのは「ヒマワリ」か「菜の花」か、あるいは「芝桜」か「ラベンダー」か・・・想像するだけで心が和みますね。
実は「お花畑」という言葉、国語辞典を引くと意味が2つ載っています。1つ目は、
「『花畑』に『お』が付いた丁寧語」
本来これは、辞書に載せなくてもいい言葉です。「花畑」に「お」が付いただけなんだから。2つ目は、
「高山植物の花が咲く場所」
です。これは「お」がなくては成り立たない言葉ですね。「花畑」と「お花畑」では意味が違うのです。「ひや」(日本酒)と「おひや」(冷水)、「にぎり」(寿司)と「おにぎり」(おむすび)の違いのようですね。
そして私が見つけたというか、気付いた「お花畑」の「3つ目」の意味は、
「頭の中(考えている世界)がまるでお花畑のように平和過ぎて、殺伐とした現実の世界から遊離している様子を揶揄した言葉。能天気。」
です。使い方の例としては、
「相変わらず"お花畑"ですね」
「頭がお花畑」
「脳内お花畑」
というような感じ。そのままか。これは『三省堂国語辞典』にもまだ載っていない用法です。次の改訂で載るかどうか?グーグル検索では(6月4日)、
「お花畑・頭」=569万件
でした。トップに出てきた2015年3月11日に「ヤフー知恵袋」に寄せられた、
「『頭がお花畑』とは、どういう意味ですか?」
という、質問すること自体が「お花畑」的に見られかねない素朴な質問に対する答えは、
「考え方が夢見がちでおめでたいというか、現実が見えてないというか。そんな感じですかね。頭の中にお花畑が広がっているのではないかと思うほど、浅い考え方をしているとか、そんなような意味だったと思います。それちょっとおかしいでしょ?という考え方や発言をする人に使いますね。決して良い意味ではありません。あなたは馬鹿です、と言われているようなものです。」
という「身もふたもない回答」が、ベストアンサーになっていました・・・。
良い言葉ではないから、『三省堂国語辞典』には載らないかな?
『国体論~菊と星条旗』(白井聡、集英社新書:2018、4、22)
2013読書日記156で読んだ『永続敗戦論~戦後日本の核心』(太田出版:2013)の著者・白井聡氏の新著。硬い本なのに、出てすぐ「5刷」とかになっていてビックリ!この本を読む人がそんなにいたとは!日本も捨てたもんじゃないと思った。
ザクッと言うと、太平洋戦争の敗戦によって、それまでの「大日本帝国」は滅んで「民主・日本」が出来て、戦後73年を経過した、というのが一般的日本人の認識だ。それに対し白井は「敗戦状態は依然、続いている」=「永続敗戦論」を唱えたのだが、その「根幹」にある者は何か?について今回は書いた。それは、
「国体」
だと。もちろん「国民体育大会」ではなく、
「国の芯となるもの」
である。「国体」と言えば、戦前はもちろん、
「天皇」
だった。敗戦後に「国体護持」が言われてGHQに嘆願、マッカーサーは、
「天皇を形として残した方が、戦後統治が行いやすい」
と判断して、天皇を残した。「国体」は形式だけは守られた。
戦後、天皇は「国民統合の象徴」となって、「国体」と言えるものは無くなった、あるいは「国民」こそが「国体」であると思い込んでいたが、
「実は戦後の『国体』は、『アメリカ』である」
と、白井は喝破したのである。それが、サブタイトルの、
「菊と星条旗」
すなわち、
「菊=天皇、星条旗=アメリカ」
という「戦前・前後の国体」であると。
なるほど、それだと「アメリカ追従の政治」という"日本政治の基本路線"も納得できる。
でも、それで「独立国」と言えるの?アメリカの「属国」にすぎないのではないか。「アメリカの51番目の州」なのか?日本は?
その呪縛を解くためには「日米安保条約の見直し」が必要になって来る。そこで一番の問題は「防衛」であり「軍隊」の問題になって来て、当然「憲法第9条」の問題に突き当たるのだが。いろいろ考えさせられる一冊。
今、2013読書日記156『永続敗戦論~戦後日本の核心』を読んでみると、私はこう書いていた。
『この本で著者は、「天皇にとって安保体制こそが戦後の『国体』として位置づけられはずなのである。そしてこのとき、永続敗戦は『戦後の国体』そのものとなった」と記している。「永続敗戦」とは何か?うーん、わかりやすい言葉で端的に言うと、「アメリカの属国化」かなあ・・・。「終戦」だと、「戦争は終わり」で「けじめ」が付くが、未だに「敗戦」を背負い続けている。一見「独立」しているように見えて、「真の独立」はなしえていない、ということか。』
つまり著者は、今回の本でも同じことを、形を変えて伝えていると言えるだろう。
『想いの奇跡1975-2013』(塩野七生、新潮文庫:2018、2、1)
タイトルにあるように、塩野七生さんが1975年から2013年までに書いたものを集めたもの。40年近い作家生活の中で記されたものだが、読んでみると、若い頃からその姿勢は一貫しているように思う。
若い頃からイタリアに住んで、年に何回か日本に「来日」する中で、「日本人でありながら、日本人ではない視点」を持てるようになったところに、彼女の「価値」があると思う。ずいぶん過去に書いた文章から最近書いたものまでを、年代に関係なく、いくつかのテーマ別に分けている。章ごとのエッセイの数は、
地中海に生きる」=19編
日本人を外から見ると」=5編
ローマ、わが愛」=7編
忘れえぬ人びと」=11編
仕事の周辺」=5編
というのを見ればわかるように、一番ボリュームがあるのが「第1章 地中海に生きる」だ。塩野七生ワールド全開!時代を超えて、地中海と生きてきた塩野さん。ちなみになぜ「七生」という名前が付けられたかと言うと、誕生日が「七月七日」だったからだそうです。「第5章」の「忘れえぬ人々」に出てきた政治学者の故・高坂正堯さんとの交流は新鮮だった。また映画監督のフェデリコ・フェリーニとの交流。イタリアの貴族ってこんな感じなんだあと。本当は「19世紀の人」だったのかなフェリーニって。
「はじめに」にあたる「読者へ」の3行目に、
「押しも押されぬ存在」
という表現が出てきて、塩野さんほどの大作家でも、こういう書き方をするのかと。(正しくは「押しも押されもせぬ」)
また、誤植も1か所発見。219ページ14行目。
×「法王教書を見に行く。」→◯「法王禁書を見に行く。」
~その1行前に「法王禁制の書にあげられた。」とあり、2行後には「法王禁書」とあるので、やはりこの「教書」は誤植でしょうね。