新・読書日記 2018_037
『問題は右でも左でもなく下である』(適菜収、KKベストセラーズ:2018、3、5)
思想の対立と言うと、
「右か?左か?」
のように言われることが多い。ネット上で「ネトウヨ」とか「パヨク」とかも。
でも著者は、現在の日本(世界もだけど)のでの対立軸は「そうではない」と言う。問題なのは、
「下」
なのだと。「右下」もあれば「左下」もある。それを取り上げると。(そう言えば、内田樹の「下流志向」や、林真理子の「下流の宴」などという作品もありましたね。)
いつものように、なかなか過激。第1章は「そろそろ日本はおしまいではないか」。他人事のように言ってる場合じゃないんだけど・・・。その最初の文章のタイトルは、「『戦後レジームからの脱却』は駄法螺」。読めますか?「駄法螺」。「だぼら」。「ダジャレ」みたいに「駄」が付いた「ホラ」=「ウソ」。たしかに、安倍内閣は「戦後レジームからの脱却」を掲げているのに、「戦後レジーム」である「アメリカの支配」から逃れるどころか、ポチのようにアメリカに従っている。大統領選挙中にはヒラリー・クリントンの元に駆けつけ、予想が外れてトランプが大統領に決定すると、まだ就任もしていないのに、ニューヨークまではせ参じる。米軍基地はそのまま。どこが脱却やねん!と突っ込みの一つも入れたくなるだろう。しかし著者は「安倍総理」だけを非難しているのではない。世に蔓延(はびこ)る、
「安倍的なもの」
に対して敵意を持っているのである。また、「安倍的なもの」に親和性を持つ「自称保守」と、敵視する「花畑左翼」に対しても、その「知的劣化」を嘆く。
第2章は「人間はどこまで下品になれるのか?」という大きな文字のタイトルで、その後「痛い目に遭ってもわからない日本人」に呆れている。「アウフヘーベンと豊洲の女」では、小池都知事に対する痛烈な批判を展開する。その後、第3章は少し柔らかい「箸休め」的な感じだが、次の第4章でまた「『橋下的なもの』から『日本』を守るために」。そして最後の第5章で「狂気の時代を生き抜くために」。「合理主義者が世界を破壊する」というまとめに至っては、エマニュエル・トッドと同じような結論にたどり着いているような気がしました。