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『道浦TIME』

新・読書日記 2018_010

『のこった~もう、相撲ファンを引退しない』(星野智幸、ころから:2017,11、17)

著者は1965年、ロンサンゼルス生まれ、早稲田大学卒。元・産経新聞記者。1997年から作家生活に。「文藝賞(1997年)」「三島由紀夫賞(2000年)」「野間文芸新人賞(2003年)」「大江健三郎賞(2011年)」「読売文学賞(2015年)」と数々の賞を受賞している。 私が読んだことがあるのは、『呪文』(河出書房新社、2015)だけですが、実は著者が「相撲ファン」であったということをツイッターで知って、このエッセイを読んでみたいなと思いました。昨今の「大相撲」を巡る状況をどう捉えて考えているのかな?と思って。

子ども頃から大相撲を見ていて、「貴乃花」のファンだったが、貴乃花の引退を持って相撲ファンは引退していたのだそうだ。それが、「白鵬」が大鵬の記録を超えるのではないか?と騒がれたころから、また「相撲ファン」に。そしてタイトルのように「もう相撲ファンを引退しない」覚悟を決めたのだそうだ。

「はじめに」で書かれたタイトルは、

「相撲で起こることは、この社会のすべての人にも起こる」

という言葉。これはサッカーのイビチャ・オシム元日本代表監督の言葉、

「人生で起こることは、すべてサッカーでも起こる」

という言葉の応用だそうだ。そう言えば以前、聞いたことがある。

確かになあ・・・相撲界(角界)で今、起きていることは、「日本の社会の縮図」のようなものではないだろうか。そして、その言葉通り、この本で一貫して書かれていることは、

「反レイシズム」

の精神だ。大相撲で「モンゴル人力士へのバッシング」は、「日本人力士の優勝」「日本出身横綱」といった言葉に表されているという。

「それは、おかしいんじゃないか?たしかにおかしいだろう!」

という憤りが、星野さんを駆り立てている。そしてなぜ相撲界がそんな状態に陥っているのか?は日本の社会全体が今、そういう状態に陥っているからである。

「あとがき」のタイトルは、

「もう相撲ファンは引退しない宣言」

である。

「これまでの大相撲をめぐるモンゴル力士への風当たりは、要するに白鵬憎しなのではないか」

「自分より下だと思って可愛がっていた女が、自分よりいい仕事について業績を出し自分よりいい給料を稼ぎ始めたとたん、怒り出して貶めるDV男の行動とそっくりです。日本が韓国や中国に持っているうらみがましい優越感も同型」

「うまくいっているときほど、その後の崩壊の芽はひっそりと育ち始めています。」

「相撲界で起きていることは、この社会でも起こる。相撲が体現する問題は、社会の危機を極端な形で先取りしている。」

と不安と心配を述べた星野さんですが、最後はこう締めくくっています。

「相撲に対して私には希望しかありません。私が相撲ファンを引退することは、もうありません。」

と、ここまでを1月24日に書いたら、翌朝、また不祥事が。

2014年9月にあった、春日野部屋での暴行事件(傷害事件)を、相撲協会が公表していなかったと。うーむ。もう根こそぎ改革しないと・・・。

あと、きのう(1月24日)、帰りの電車の中で、「横綱相撲」等について考えたこと。

「『横綱相撲』の『定義』をきっちり決めるべきだ。肘を使うエルボーは『かち上げ』ではないので禁止、『反則技』とするとか、『横綱以外』の力士は張り手をしても良いけど、横綱は禁止とか、定めるべきでしょう。『基準のない品格』は『スポーツ』ではない。『スポーツマンシップに反する』のは『どういう行為』なのか、定めるべきだ。もしくは審判=行司の判断に任せる。

そして、行司は『部屋付き』ではなく、協会が育てて協会が雇用する。特定の部屋に所属しない。これが『根本』なのではないか。審判が、公正中立を疑われるような立場にいてはならない」

と思いました。


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(2018、1、22読了)

2018年1月25日 22:09 | コメント (0)