新・ことば事情
6655「後遺症が残る」
ドキュメンタリーのHプロデューサーから質問受けました。
「『後遺症が残る』という表現は『重複表現』なんでしょうか?」
あ、なるほど、言われて初めて気付きましたが、「後遺症」という言葉の中にある、
「遺」
という字は「訓読み」すると(常用漢字表の中には載っていませんが)、
「のこる」
と読めますので、「残る」と「意味がカブる」ということですね。
うーん、難しいなあ。よく言われるのは、
「犯罪を犯す」
の場合は「犯罪」というのは「罪を犯す」ことですから「犯罪を犯す」と言うと、
「『罪を犯すこと』を犯す」
という「重複」になりますね。でも、そんなに違和感がないでしょ?
既に「犯罪」という言葉が、
「1語として成り立っている」
認識で、「読み方が違う場合」(「音読み」と「訓読み」など。「ハン」と「おか(す)」)ですと、その後に同じ意味の言葉が続いても、
「それほど気にならない」
のですね。
「後遺症が残る」の場合は、そもそも「漢字が違う」し、「後遺症」が「1語として成り立っている」ので、それほど気にならないのではないか?という気がしました。
『NHKことばのハンドバック第2版』の135ページのコラムに「重複表現」についての記述がありました。それによると、
「意味が重なることによって、わかりやすくなるという利点もあり、重複表現すべてがよくないということにはならない。」
として、
【避けたほうが良いもの】
「馬から落ちて落馬して」「日本に来日する」「水道の水が断水する」「色が変色する」「元旦の朝」「炎天下のもと」「工事に着工する」
【使っても構わないもの】
「今、現在」「歌を歌う」「犯罪を犯す」「排気ガス」
といった用例が載っていました。