新・ことば事情
6437「瞳を閉じる」
<2016年12月1日に書き始めました>
「瞳を閉じる」
という表現、よく使いますよね。たしか、平井堅さんの曲で、
「瞳を閉じて」
というのもあったかと。
でも、よく考えると、厳密(狭義)には
「『閉じる』のは『瞳』ではなく、『まぶた』」
ですね。急に雰囲気が壊れるようなことを言いますが。これって、
「瞳を閉ざす」
ならOKなのかな?つまり「瞳」を「閉ざす」のは何か他の物なので、
「他動詞」
になります。「閉じる」だと、
「自動詞」
なので「瞳」が自ら「閉じる」みたいになるので、違和感があるのでしょう。
「瞳」自体は「自動詞」としては「閉じない」けど、「他者が閉ざす」ことは可能ということですね。これは、「狭義」では、
「まぶたを閉じる」
なのですが、「広義」ではこれを、
「目を閉じる」
と言っても、全く問題ないのと同じでしょうね。
「水を沸かして、お湯にする」
という状態を、
「お湯を沸かす」
と言うのが「普通」なのと同じでは?
そして、きょう(2017年9月5日)、斉藤由貴にキス写真が流出したというニュースで、1987年の斎藤由貴の曲が出て来て、その中で、
「てれた瞳(め)」
というのがありました。「瞳」と書いて「め」と読む(歌う)のです。ということは、
「瞳=目」
なんですね。つまり「瞳を閉じる」は、「目を閉じる」の「目」を「瞳」に置き換えただけなんだな!