新・読書日記 2017_103
『キャスターという仕事』(国谷裕子、岩波新書:2017、1、20)
23年間、NHKの「クローズアップ現代」通称「クロ現」のキャスターを務めた著者の「卒業論文」とも言うべき一冊。
実を言うとこの国谷さんという先輩キャスターを、アナウンサーとしては軽く見ていた。前にも書いたが、「こんばんは、クローズアップ現代です」という挨拶が、早口過ぎるのだ。それは本書の中で国谷さん自身が、「帰国子女なので英語は出来るが、日本語が苦手」と書いているように、
「日本語がちゃんと出来ていない」
という思いからである。「日本語のアナウンサー」としては、当然の思いだ。
なぜ、早口に聞こえたのかと言うと、彼女は「日本語」を「日本語」としてしゃべっていなかったからだ。「英語のしゃべり方」でしゃべっていたからだ。具体的には、
「こ・ん・ば・ん・は・く・ろ・ー・ず・あ・っ・ぷ・げ・ん・だ・い・で・す」
という、日本語だと「18拍」の言葉を、彼女は以前、
「『こんばんは』『クロースアップ』『現代です』」
とたったの「3拍」で話していたのだから、速く感じるわけだ。
しかし、視聴者などからおそらくそういう指摘もあったのであろう、ある時期から「こんばんは」だけは、丁寧に言うようになった。つまり「こんばんは」が、それまでの「1拍」から「5拍」になったのである。それだけでも、ずいぶん印象は変わった。その頃からではないだろうか、彼女がキャスターとしての深みを感じさせるようになってきたのは。
彼女はある意味恵まれていて、それこそ、この23年間、「平成」の期間、1990年代~2000年代までの「2ディケイド」、世界の政治報道の最前線で、世界を動かす人たちにインタビューするという立場にあった。それによって得られた経験は、第一人者としてやっていくに十分の貴重な経験だと思う。でも、当人がそれを感じるのが遅かったような気も、端(はた)から見ていると感じたんですよね。なぜかな?
本書の一番の読みどころは、やはり例の「捏造事件」の「おわび放送」の際の現場の様子であろう。内部の人がそれを話している重みは大きい。それまで「取材する側」であったキャスターが、「取材される側・説明しなくてはならない当事者」になった時に、どう考え、どう行動したのか。その辺りを読み解きたい。