新・ことば事情
6408「疑う、調べる」
ふと思いました。
「調べる」
のは、
「疑う」
から、「調べる」。
「調べる」のは「科学的」。
「信心してる人」は、「信じている」ので「調べない」。もし「調べる」と、
「信心していない」
と思われるからだ。アメリカで「進化論」を信じない人たちがいるが、それはそれだけ、
「信心している」
からで、
「疑うことを放棄している」
のだろう。
本当はどう思われようとも、自分が信心してると思えばしてるし、
「信教は、心の自由」
なのに。「現世利益」を考える宗教は「他人との比較」、つまり、
「他人からどう見られるか」
が入り込む。「現世利益」は、
「他人と比較して幸せか」
だから、他人のいないところでの
「内面の幸せ=絶対的な幸福」
ではなく、他人と比べて幸せかどうかの、
「外面の幸せ=相対的な幸福」
なのである。「現世利益」を求める時点で、本来の宗教ではなくなっている気がするのだが。
本当は、「絶対的な幸福」と「相対的な幸福」のバランスが大事だと思うのだが・・・。
と、いうようなことを考えていたら、文体が「のだ」「である」調になってしまいました。
と、ここまで書いたところで、先日、7月25日の「日経新聞」夕刊1面の「あすへの話題」で、社会学者の橋爪大三郎さんが書いていた、
「エヴァンジェリカルズ」
というコラムを読みました。
それによると、「エヴァンジェリカルズ」というのは、キリスト教・プロテスタントの、
「福音派」
のことで、アメリカには5000万人とも1億人とも言われる信者がいるそうです。
あのアニメの「エヴァンゲリオン」もここから来てるのですね。
同じ派が、ドイツでは、
「ルター派」
だそうで、まさに「プロテスタント」ですね。アメリカの「エヴァンジェリカルズ」は、
「聖書を神の言葉と信じる人々」
という意味になるそうで、橋爪さんによると、それはすなわち、
「人間の言葉を信じないぞ」
「聖書だけが神の言葉で、判断の基準は聖書だけ。進化論や天文学も本当か?という気分になる」
という態度のことだそうです。
そして福音派は、政治を宗教の観点で切っていくので、市場で貧富の差ができても当然。アメリカは神が選んだ国だから「アメリカ・ファースト」。
橋爪さんは、
「これでは政治にならない。やがて時代に追い越されていくはずだ。」
と文章を結んでいます。