新・読書日記 2017_073
『勉強の哲学~来るべきバカのために』(千葉雅也、文藝春秋:2017、4、10)
白い表紙の本は汚れやすいので、あまり好きではありません。
ふだん、紙のカバーは付けないようにしていますが、表紙が白い本の場合は手垢で黒く汚れてしまうので、カバーを付けることが多い。それが、ちょっと嫌。
さて、タイトルに惹かれて購入しました。そういう人は多いはず。結構、売れていると、その後、書評で見ました。
著者は1978年生まれ、ことし39歳の若手(だよな)。東大教養学部を出て、パリ第10大学および高等師範学校(?)を経て、東大大学院博士課程修了の学術博士。哲学が専門で、2012年から立命館大学の准教授だとか。え?まだ「社会」に出てから、たった5年?もう39歳になるのに?うーむ、これは、大変羨ましい「高等遊民」というヤツではないのか?21世紀の夏目漱石か?
で、特にサブタイトルの「来るべきバカのために」を、私は「バカが増えて来た世の中で、それ(バカ)と闘うための、武器としての哲学」と理解したのだが、読み進めると、どうやらそうではない。「バカ」は「敵」ではなく、「己自身」のようなのだ。
「勉強とは自己破壊である」という最初の章あたりはフムフムと理解して読めたのだが、だんだん・・・・すぐにトテモ難しくなってくる。遠浅の海かと思ったら、急にフチがあって深くなるような感じで、足を取られて溺れそうになった。
全4章からなる本書の、ようやく「第4章」になって具体的な勉強の方法が書かれるところに来て読みやすくなって、これまでの3章分で書かれた内容も「あ、そういうことね」と理解できるようになった。第4章だけ読んでもいいんじゃない?216ページに「結論」が書いてあるから、それを読んでわからなかったら、前のページを拾い読みするということで。
「深追い・専門性」=「アイロニー」=「決断による有限化=範囲を絞る」
「目移り」=「ユーモア」=「比較の中断による有限化」
「現状把握」=「問題化」=「キーワード出し」
というように、「鳥の目」と「虫の目」の両方で、バランスを取りながら(人生の)研究・勉強を進めなさい、ということではないかな、一言で言うと。