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『道浦TIME』

新・ことば事情

6364「うなづら」

草野心平作詞・多田武彦作曲の男声合唱組曲『北斗の海』の歌詞の中に、

「うなづら」

という言葉が出て来ます。漢字で書くと、

「海面」

です。この「海」を、

「うな」

と読めるのか?という疑問が出て来ました。

暫く・・・数日考えて、ハッと思い付きました。

そうか、「うなづら」の「な」は、

「きなこ」「みなも」

のように、現代語で言うところの、

「の」

に当たると。だから、

「うみ(海)のつら」=「うみ(海)なつら」

で、この際に「うみ」の「み」が脱落して、

「うなづら」

になったのではないでしょうかね?

(2017、6、23)

2017年6月27日 10:48 | コメント (0)

新・ことば事情

6363「『超え』と『超』と『以上』」

ことし(2017年)5月関西地区用語懇談会で、共同通信の委員からこんな質問が出ました。

「『教会で爆発があり、100人超が死亡した』というような事例が増えている。『100人以上が死亡した』というように手直ししているが、記事の本文の中で使うのは違和感がある。見出しに使うなら問題はないが、各社の対応はいかがでしょうか?」

これに対する各社の委員からの意見は、

(MBS)昔、古舘伊知郎アナウンサーが、よく「チョー」を使っていた。

(ytv)「再生回数800万回超」などとよく出て来るが、最近読みは「チョー」ではなく「イチローー超え」のような「ゴエ」が多い。「投票率80%超え」のようなケースもある。できるだけ「80%以上」と「以上」にするようにしている。

(中国新聞)「見出し」で出て来る「○○超」は問題ないが、「本文」では使わないと決めている。しかし、共同通信が配信記事で使っているので、いちいち「~以上」「~を越す」に変えて使っている。

ということでした。

さきほど(6月22日夜)NHKの『人名探究バラエティー日本人のおなまえっ!』という番組を見ていたら、この日は「都道府県の名前と同じ名字の人」を分析していました。なかなか面白かったです。「東京」という名字の人もいるんですね。その中で、

「都道府県超え」

という表現が出て来ました。ちなみにその名字は、

「日本(ニッポン)」

さんでした。

(追記)

7月3日の「ミヤネ屋」のテロップチェックで出て来た表現が、

「35℃超の所も」

というスーパー。この「超」は、

「35℃以上の所も」

という様に「以上」に変えて放送しました。

(2017、7、3)


(2017、6、22)

2017年6月26日 21:46 | コメント (0)

新・読書日記 2017_077

『アンカー』(今野敏、集英社:2017、5、30)

「隠蔽捜査」シリーズの今野敏さん。多作です。スゴイ。今回は"警察モノ"ではなく(と言っても警察は出て来ますが。半分"警察モノ")、"テレビ局モノ"。私達のテリトリーです。時々、こういった"テレビ局モノ"のドラマもありますし。

ある「迷宮入り事件」について、このところちょっと視聴率に悩む民放テレビ局のニュース番組のスタッフたちの動きと、その「取材先の一つ」としての警察の迷宮入り捜査班である「特命捜査対策室」の2人の刑事。プロ同士のやり取りや、事件の輪郭が徐々に狭まって行く感じなど、スリリング。

ただ、テレビ番組側で出て来る人の数が、ちょっと少なすぎる感じはするんですけど。もう少し「チーム」の人数を多くしてほしいなあと思いました。でも面白かった。

タイトルの「アンカー」というのは「アンカーマン」。日本では「キャスター」という言葉で表現されますが、番組の司会者と言うかMCと言うか、それよりも大きな力を持った、ジャーナリストとしてコメントなども言う(番組構成に大きな力を持つ)人のことです。もともとの「アンカー」は「船の錨(いかり)」のことですね。


star4

(2017、6、17読了)

2017年6月26日 21:44 | コメント (0)

新・ことば事情

6362「『ふがいない』の表記」

5月12日の「ミヤネ屋」で、藤井聡太四段の連勝記録を報じた際に、藤井四段と2度対戦した、豊川孝弘七段(50)の、

「ダジャレの将棋解説」

を紹介しました。

「結構、拮抗(きっこう)していて、キッコーマン。醤油(しょうゆ)うこと」

とか、

「扇子をパタパタたしていますね、パタリロ」

「微細(びさい)なところですね、『美・サイレント』山口百恵」

「『8四角』で、『恥かく』覚悟で」

とか、

「昭和の香り満載」

の「おやじギャグ」。いえいえ、好きですよ、私は。「同世代の香り」がプンプンします。

その中で、

「『歩(ふ)』がなくなって『ふがいない』」

というのが出て来ました。このテロップのチェックをしていて、「ふがいない」は漢字で書くと、

「不がいない」「腑がいない」(不甲斐ない・腑甲斐ない)

両方の表記があることを知りました。しかし、「腑」は「表外字」でルビが要るから、

「不がいない」

のほうを採用しました。もちろん、ダジャレの意味を示すほうは、

「歩が、いない」

でした。

ちなみに「歩」は「ほ」ではないですよ。「ふ」ですよ。

というのもこの間、若い女性記者が、

「つの?」

とか言っているので、よく聞いたら、

「角(かく)」

のことだったということがありましたからね、気は抜けません。

その豊川孝弘七段、6月21日の「ミヤネ屋」に生出演してくれて、

「生ダジャレ」

も披露してくれました。(やや「不発気味」ではありましたが、楽しかったです)

そして番組が終わって約1時間後、なんと藤井聡太四段、「歴代1位タイ」の、

「28連勝」

を達成しました!おめでとう!!

(2017、6、21)

2017年6月21日 19:28 | コメント (0)

新・ことば事情

6361「PJチーム」

6月20日の「ミヤネ屋」の築地市場から豊洲移転問題のニュースのテロップを事前にチェックしていたら、こんな文字が、

「市場調査PJチーム報告書」

なんじゃこりゃ?と発注したADに聞くと、

「ああ、豊洲問題で・・・『プロジェクトチーム』の略ですが・・・」

「あのね、『プロジェクトチーム』は『Project Team』だから『PT』と略すんだよ!」

「あ、そうでしたか」

・・・こんな奴と、やってまんねん。

たしかに「プロジェクト・チーム」を「PT」と略すのは、私も「わかりにくいなあ」と、ちょっと思ってたんですけどね。

しかし「PJチーム」という表記は、

「JK」=「女子高生」

的な発想ですねえ。

また、「チーム」=「T」というのが、なかなかイメージできないのかもしれませんね。

放送に出なくて良かったですが、ちょっと笑ってしまいました。

それと併せて、昨夜見た『月曜から夜ふかし』に出ていた「フェフ姉さん」(滑舌が悪いため「フェス」が「フェフ」に聞こえてしまう女性)が、

「ワニ」

「英語」で言いなさい(正解は「クロコダイル」か「アリーゲータ」)という問題に、

「ラコステ」

と答えたのを思い出して、きょうは一日「思いだし笑い」ができて、幸せな気分でした。

(2017、6、20)

2017年6月21日 11:44 | コメント (0)

新・ことば事情

6360「『厚化粧』の反対語」

「『厚化粧』の『反対語』は?」

とM若アナウンサーに、以前、聞かれました。

「『薄化粧』でしょうか?それとも『ノーメーク』でしょうか?」

ははあ、なるほど、男はまあ原則、化粧はしないから、そんなことはあんまり気にしたことが無かったなあ・・・。

さらに畳みかけるように、

「『薄化粧』と『ナチュラルメ-ク』は、どう違うんですか?」

うーん。

あ、そうか「厚化粧」の「反対語」は、

「薄化粧」

ですね。いずれにせよ「化粧」は「する」わけですから、その「化粧」が、

「厚いか?薄いか?」

がポイントですからね。「程度問題」です。

一方、「ノーメーク」は「化粧はしない」のですから、

「化粧(する)」⇔「ノーメーク」

という反対語の関係。

また「ナチュラルメーク」は「メーク(化粧)はする」わけで、それが、

「『厚化粧』ではない」

と思われますので、

「薄化粧≒ナチュラルメーク」

で、「厚化粧」の「反対語」として「ナチュラルメーク」と言ってもいいかもしれません。

でも「漢字3文字」と「カタカナ8文字」は対比としては、

「バランスが悪い」

ですね。

(2017、6、15)

2017年6月20日 21:20 | コメント (0)

新・ことば事情

6359「怪文書のアクセント」

国会の会期が終ろうとする時期になってようやく調査をして、「怪文書」とこき下ろしていた文書がお役所に実際にあったことを認める事態に。しかも、

「『怪文書』という言葉が"独り歩き"してしまった(のは残念)」

とのたまう官房長官。あなたが使ってたんでしょうが!と、ほぼ全国民が、ツッコミを入れたことでしょう。

その官房長官の6月16日の午前中の会見で、語気激しく質問を浴びせかけていた女性記者(たぶん東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者)ですが、一つだけ気になったことが。

彼女の質問に出て来る「怪文書」のアクセントが、

「カ/イブンショ」

というように、「平板アクセント」なのです。これは『NHKアクセント新辞典』を引くまでもなく(引いたけどね、

「カ/イブ\ンショ」(中高アクセント)

しかありません。たぶん彼女は、

「請求書」「領収書」「陳情書」「申込書」

等と同じように、

「怪文・書」

だと想っているのではないでしょうか?それなら「カ/イブンショ」という「平板アクセント」というのも納得がいきます。確かに「怪文書」は「怪文」が書かれている「文書」ですからね。

しかし「怪文書」の語構成は、

「怪・文書」

つまり、

「怪しい文書」

なのですから「文書(ブ\ンショ)」のアクセントを残して、

「カ/イブ\ンショ」(中高アクセント)

とするのが当然でしょう。もし「平板アクセント」にすると、

「回文書」(カ/イブンショ)

になってしまいます。そんなものが、あるのかどうかは、わかりませんが。タケヤブヤケタ。シンブンシ、ワタシマケマシタワ。

もし「回文」で書かれた「怪しい文書」であれば、

「回文怪文書」(カ/イブン・カ/イブ\ンショ)

となるのかな?誰がそんなもん、書くねん!

(2017、6、16)

2017年6月20日 18:16 | コメント (0)

新・ことば事情

6358「ランチと昼ごはん」

カタカナ語と普通の和語(と言うか日本語)、両方使うんだけど、そのニュアンスが違う、という言葉って、ありますよね。

たとえば「ランチ」と「昼ごはん」

まあ、「ランチ」の方が「オシャレ」な感じ、「昼ごはん」は「普通」って感じかな。家(自宅)で食べるごはんみたい。そういえば「家」で「ランチ」は食べないな。家で食べるのは「(お)昼ごはん」か「昼めし」ですね。

また、「ランチ」に「する」を付けて「動詞化」して、

「ランチする」

と言うと、

「ちょっと、贅沢」

なイメージがあります。

その一方で、関西の人にはおなじみの読売テレビの番組「大阪ほんわかテレビ」の名物コーナー、

「昼ごはんでっせー」

は、やはり「昼ごはん」じゃないと納まりが悪い。これが、

「ランチでっせー」

というと、なんだかちょっとお手軽過ぎて「定食」みたいな感じがしてしまう。ここに、「贅沢感」はありません。「でっせー」が問題なのかなあ?

いやあ、言葉って、おもしろいですねえ。

(2017、6、15)

2017年6月20日 12:00 | コメント (0)

新・ことば事情

6357「けずり倒す」

「ウルトラマンスクラッチ」

というスピードくじ(?)のコマーシャルで出て来た言葉が、

「けずり倒す」

スクラッチですから、そりゃあ「けずる」のでしょうけれど、私が注目したのは、その後の、「倒す」

です。普通は、

「けずりまくる」

というように、

「まくる」

を使うと思うのですが。「倒す」の方が勢いがあって「関西弁」っぽい。

たしかこれについては、以前、書いたことがありましたよねえ。

「平成ことば事情11 のりたおす」

「平成ことば事情141 楽しみつくす」

「平成ことば事情5150 使い倒すと使いまくる」

で書いていました。

ある周期で出て来る、気になる表現のようです。

(2017、6、15)

2017年6月19日 22:14 | コメント (0)

新・ことば事情

6356「『退社』か?『退所』か?」

6月19日の「ミヤネ屋」で、昨年末に解散した「SMAP」のメンバーのうち、稲垣吾郎・香取慎吾・草彅剛の3人が、株式会社ジャニーズ事務所との業務委託契約がことし9月に満了するのをもって、ジャニーズ事務所を辞めるというニュースを報じました。木村拓哉・中居正広の2人は、引き続きジャニーズ事務所に残るそうです。

その際、3人はジャニーズ事務所を、

「『退社』するのか?『退所』するのか?」

という問題が出ました。

「ミヤネ屋」では、担当ディレクターと相談して、

「退所」

を使いました。ただし、この日の日テレ『スッキリ!』は、

「退社」

お昼の『ストレイトニュース』と、夕方の『every.』は、

「退所」

を使っていました。けさの朝刊各紙の見出しは、

(読売)退社

(朝日)事務所契約終了へ

(毎日)契約終了

(産経)事務所契約終了

(日経)退社へ

(報知)退所

(サンスポ)退所

(スポニチ)退社

(デイリー)退社

で、一般紙は、

「契約終了」

が多く、スポーツ紙は「退社」と「退所」が「半々」といった感じでした。

このうち「スポーツ報知」は、「SMAPメンバー」には、

「退所」

を使い、女性マネジャーには、

「昨年退社 女性マネと再出発へ」

というように、

「退社」

を使っています。これは、

「『株式会社ジャニーズ事務所』の『社員』であった『女性マネジャー』」

については、「社員」なので、

「退社」

ですが、

「『業務委託契約』を結んでいた『SMAPメンバー』

「社員ではない」ので、

「退所」

を使ったんだなと思いました。

(2017、6、19)

2017年6月19日 18:14 | コメント (0)

新・ことば事情

6355「ぬい撮り」

いつも新しい言葉を見つけては報告してくれるM若アナウンサーから、また新情報が。

「こないだロケに行った時に、スタッフが口にしていたんですけど、『ぬい撮り』って言葉、知ってますか?」

「???知らない。何か『縫う』の?」

「違うんです。『ぬい』は『ぬいぐるみ』のことなんです。つまり『ぬいぐるみの撮影』のことを略して『ぬい撮り』って言うんですって。」

へえー。

「何でもかんでも略しやがって」

という気がしないでもありませんが、そういう「略語」が生まれる背景には、

「その言葉をよく使う」

ということがあると思います。「必要は発明の母」なのです。

グーグル検索してみたら(6月15日)、

「ぬい撮り」=37万7000件

も出てきて、しかも流行っているみたいですね。

トップに出て来たのはことし4月28日に放送された「日テレニュース24」のニュース。それによると、

『今、様々な場所でぬいぐるみを主役に撮る「ぬい」ぐるみ「撮り」、略して「ぬい撮り」がSNSなどで話題になっている。ぬいぐるみを、旅先など様々な場所で撮影する「ぬい撮り」』

と出て来ました。

ああ、あれか!それなら知ってる、知ってる!友人が、もう10年ぐらい前からやってたわ!旅行先で、「自撮り」の代わりに「ぬいぐるみ」を景色の中に入れて撮るやつね!あれ、流行ってるんだ。しかも「ぬい撮り」という名前までついて・・・。知りませんでした。

世の中、何が流行るか、わかりませんね。

(2017、6、15)

2017年6月16日 18:32 | コメント (0)

新・ことば事情

6354「トラベラーズチェック」

今から3年前の「2014年4月20日」に書き始めました。

タイトルとメモだけ。

そこには、2行だけ、こう書かれていました。

「TC」

もはや売っていない!

そう、「TC」とは、

「トラベラーズチェック」

です。今の若い人は知らないでしょうね。

私達の世代が海外に行き始めた、今から30年余り前、「現金」をたくさん持っていると「危険」だとして、この「トラベラーズチェック」を購入することを勧められました。銀行で買えたんです。どんなものかと言うと、「10ドル」「20ドル」「50ドル」「100ドル」などと金額が書かれた、紙幣ぐらいの大きさのクーポン券みたいなもので、そこに最初に全部、名前をサインしておくんですね。(大体、漢字で書いていました。)そして、それを使う時に、もう1か所に「同じサインをする」と使えると。

もし、トラベラーズチェックを落としても、その番号を記録しておけば「再発行」してくれて、他の人が拾って使おうとしても、

「最初と同じサインをしないと使えない」

というシステムです。だから、

「現金よりも安全」

だと。旅行に持って行くお金の、

「半分は現金、半分はトラベラーズチェックにしろ」

と、よく言われました。これはその後「もっと安全で便利」な「クレジットカード」の普及によって、廃れて来たんですね。何と言っても、いちいち

「サインを事前にしておかなきゃならない」

というのが、とっても面倒でしたからね。腱鞘炎になるかと。

この「トラベラーズチェック」を、もう25年ぐらい前、

「1ドル=110円」

ぐらいの時に買って、

「次の海外旅行の際に使おう」

と思っていたのですが、その後「円高」で、

「1ドル=80円」

ぐらいになってしまって、使うに使えないまま、ほったらかしになっていたのですが、「そろそろ使わないと」と思って、数年前、アジアのある空港(たしか、ベトナムのホーチミン)で使おうとしたら、なんと、

「使用を拒否」

されたのです!「使えません」と。これはもしかしたら、もう世界中どこでも使えないのか?だとしたら「換金」しなきゃ!と思って、日本に帰ってから銀行に駆け込んで、「日本円」に代えてもらいました。買った時から言うと、ちょっと損をしましたが、

「紙切れ」

になるよりはマシです。その時に銀行の人が、とても懐かしむような、もの珍しい物を見るような感じで「トラベラーズチェック」を見ながら、

「もう、トラベラーズチェックって、売っていないんですよ」

と衝撃の発言!

そうだったのか!こうやって「死語」になっていくんでしょうね。そう思って記録しておくことにしました。

(2017、6、15)

2017年6月16日 10:37 | コメント (0)

新・ことば事情

6353「カタカナ表記の終助詞の絵文字化」

最近、LINEやメールでも使う「絵文字」を見ていて「ハッ」と気付きました。

「『絵文字』は、もしかしたら、昭和30~40年代まではよく使われた『終助詞のカタカナ表記』の代わりなのではないか?」

「終助詞のカタカナ表記」というのは、

「そうだワ」

「行くヨ」

「決まってるゼ」

「そうなんダヨ」

というように、語尾の終助詞をカタカナで書いたものです。

私が子どもの頃(昭和30~40年代)は、よく見かけた気がしますが、最近は、とんとお目にかかりません。

漫画の「サザエさん」何かには頻繁に顔を出します。今は「東海林さだお」さんの漫画ぐらいでしょうか。つまり今「70代後半より上の世代の方」が使う気がします。「戦前生まれ」ですね。

この「カタカナ表記の終助詞」の役割を果たしているのが、まさに今流行り(?)の

「絵文字」

なのではないか?と気付いたのです。いや、それどころか「LINE」で人気の、

「スタンプ」

は、「終助詞の代わりの絵文字」どころか、

「文章の代わり」

になってしまっています。昭和60年前後に、いろいろとかわいい、

「ゴム版のスタンプ」

が流行ったことがありましたが、あれですね。

言葉が絵に置き換えられるのか?「決まり文句」一言だけなら可能かもしれませんが、長い文章は難しい。今後どうなっていくのでしょうね???

(2017、6、13)

2017年6月15日 18:54 | コメント (0)

新・ことば事情

6352「『大坂』のアクセント」

46年前の1971年に起きた「渋谷事件」で、殺人容疑で再逮捕された

「大坂政明容疑者(67)」

この「大坂」という名字のアクセントが、

(1)オ/ーサカ容疑者(平板アクセント)

(2)オ\ーサカ容疑者(頭高アクセント)

のどちらを放送で使っているか?統一しているか?もし自分で放送で読むとしたら、どちらのアクセントを使うか?について知り合いのアナウンサー・元アナウンサーに聞いてみました。

私は個人的には「地名」ならば「オ/ーサカ」で「平板アクセント」ですが、

「名字」は「オ\ーサカ」と「頭高アクセント」のように思うのですが・・・。

ちなみに6月7日の各局のお昼のニュースをウオッチングしたところ、

「NHK・日テレ・TBS・テレ朝・フジテレビ」

は全て、

「オ/ーサカ」(平板アクセント)

でした。

皆さんから返って来た意見は、(★=頭高、○=平板、※=その他)

まず、「読売テレビ」のアナウンサー&元アナウンサーの意見です。

<ytv(読売テレビ)>

★(T氏)私は個人的には、先ほどお話ししたように「頭高」。「平板」は違和感がある。

★(N氏=新入社員)私は、自分が大阪府に住んでいるせいか(1)の「平板」に違和感を感じる。(2)の「頭高アクセント」が正しいと思うのだが。

○(K氏)「ten.」では()「平板」で読む予定。ytv記者の中継もすべて「平板」だったので。以前、全国ニュースで(2)「頭高」で読んだとき、NTV森富美アナウンサーのリードが(1)「平板」だったため、統一はされるべきだと思う。

○(O氏)「平板」!

○(U氏)私も「平板」

※(O氏)名字の場合、実は「オ/オ\サカ」の「中高」が正しい気がするのだが。「浜坂」さんは「中高」になる。「高坂(コウサカ)」さんは「頭高」か・・・。

★(H氏)個人的には道浦さん同様、「地名」と「人名」でアクセントを変えて読みたいところ。本人への確認や、この事件当時の容疑者名のアクセントをVTRや録音メディアで確かめたい。私の聞いた範囲では、きょう昼ニュースの「関西テレビ」ローカルでは「頭高」の「オ\ーサカ容疑者」だった。記者リポの中でであったか、ストレートニュースのアナウンサー読みだったかは不明だが。この件については、午後になって次のように聞いている。NTV側からの問い合わせを受けて報道デスクとTアナで相談、リード・本記間でのアクセント齟齬をなくす意図で一応「平板」で統一したとのこと。特に、強い根拠などはなかった模様。

★→○(S氏)個人的には「頭高」のほうがしっくり来る。ただ、テレビ報道初日は「頭高・平板」ともに聞いていたにもかかわらず、今では「平板ばかり」を耳にするので、今後「大坂容疑者」のニュースを読むときは「平板」にしようと、現時点では思っている。

★(M氏)個人的には(2)の「頭高」で読むと思う。

★→○(N氏)私も「地名」は「平板」、「名前」は「頭高」ではないかと思うが、昨日の「ten.」では日テレに従い「名前」も「平板」で統一した。

★(T氏)テニスプレーヤーの「大坂なおみ選手」の場合は、(2)の「頭高」のイメージで読んでいた。だから「大坂容疑者」も(2)「頭高アクセント」ではないかと思う。漢字は違うが「逢坂」という友人(関西地方)がいて、それも「(2)頭高」で呼んでいた。

★(I氏)私は「頭高」。テニスの「大坂なおみ」も「頭高」じゃないと違和感がある。「小坂」も「頭高」だし。逆に地名の「大阪」は「平板」でないと違和感がある。

★(M氏)個人的には「頭高」で読みたいところだが、本来は「本人が何と言うか」に合わせるところ。黙秘しているケースでは、どうしようもないが。

★(O氏)あくまでも個人的だが・・・私なら「頭高」で読んでいると思う。

在阪局の方の意見は、以下の通り。

<MBS>(毎日放送)

★→○(F氏)TBS報道から「オ/ーサカ(平板)」で統一すると連絡があったので、MBSでも「平板」で統一している。大阪府警の「オ/ーサカ」と区別するためにも、当初は「頭高」で読んでいたのだが...

★→○(T氏)JNNでは早くからTBS報道局から「平板アクセント」(地名の大阪と同じ)でと統一の指示があった。初めはラジオで「頭高」で読んでいた。

<ABC>(朝日放送)

○(F氏)ABCでは「大坂」容疑者のアクセントは、現状「平板」。

○(A氏)先ほどまでラジオニュース日勤デスクをしていて、ご指摘の人物が登場するニュースも扱った。その際「大坂」は「平板」読みでオンエアし。確固たる理由に基づいたものではない。原則論的にいえば、道浦さんご指摘のとおりかと考えるが、同じ原稿内に出てきた「大阪府警~」に引っ張られた感も影響しているかもしれない。

<KTV>(関西テレビ)

★(I氏)FNNニュースでフジのアナウンサーも警視庁詰めの記者も「平板」で読んでいたが、私自身は「頭高」で読むと思う。子どもの頃「大坂志郎」というお父さん役の俳優がいたが、あの人も「頭高」だったと記憶している。「名前」の読みまで「平板」になるのは、全国的に「大阪」の地位が向上している証左だろうか?

★(Y氏)弊社で確認したところ『人名のアクセントなので、統一はしていない』とのこと。現状フジテレビでは「オ/ーサカ容疑者」(平板アクセント)、カンテレでは「オ\ーサカ容疑者」(頭高アクセント)となっている。私も個人的には「後者」。

そして在京局の方の意見は以下の通りです。

<TBS>

○(S氏)「オーサカ容疑者」はTBS報道局は「平板アクセント」で読むことに決めたとのこと。経緯は、大坂容疑者が46年ぶりに身柄を拘束されたニュースが入ってきた時に、TBSのリード読みが「平板アクセント」、MBSの本記が「頭高アクセント」で揃っていなかったため、弊社報道局の編集部で話し合って「平板アクセント」に決めたのだそうだ。弊社用語委員会の場では話し合われていないが、ニュースを担当するアナウンサーを中心にアナウンサーには情報共有されている。(正式なお触れ書き?は、私の記憶では見ていない。)

<フジテレビ>

○(昔は★)(S氏)隣に座っている60代の元記者に聞いたところ、この元記者が社会部だった頃は、公安部の人間は「オ\ーサカ」とほとんどの人間が「頭高」で呼んでいたそうだ。ただ、今「スピーク」を観ていたら、警視庁記者クラブの中堅記者は「オ/-サカ」と言っていたので、年数が経って公安部の人間も入れ替わって「頭高」で呼ぶ人が減ったのかもしれない。推測にすぎないが。

★(K氏)道浦さんの考えに同感。「地名」は「オ/ーサカ」と「平板アクセント」、「名字」は「オ\ーサカ」と「頭高アクセント」。固有名詞は人それぞれで、客観的な正解はないのだろう。

※(K氏)各所に確認したが「結論が出ない」のが「結論」といった形。お昼のニュースを担当するOアナウンサーによると、警察発表は「頭高」だったようで、あくまで"傾向"に過ぎないものの、関西の方は「大坂」姓を「頭高」で呼ぶことが多いとのこと。私も、関西出身のナレーターさんに聞いたところ、同級生の「オオサカ」君は「頭高」で読んでいたそうだ。(姓が「大阪」・「大坂」・「逢坂」によって、違う???←これも結論が出なかった)また、Oアナウンサーによると、「名前のアクセントは、本人の意向に合わせるのがルールであり、他に決まりはありません」とのこと。また、系列局の関テレは、「結論を出せないので、混在を許容する姿勢」のようで、CX報道もそのスタンスとのこと。私が見た限り、在京各社は「平板」が多いように感じた。

<WOWOW>

★&○(K氏)個人的な感覚では「人名」は「頭高」だが、弊社ではテニスプレーヤーの「大坂なおみ」の場合「地名」同様に「平板」で読んでいる。ただ「大坂志郎」さんは「平板」で読まれていたような気がする。

そして、東京・大阪以外の地域の局の方、またフリーアナウンサーの方の意見です。

<テレビ岩手>

○(I氏)確かに「名字」の「オーサカ」は悩むところ。私は作家の「逢坂剛」氏の「オーサカ」は(2)の「オ\ーサカ」(頭高アクセント)で発音するが、今回の「大坂容疑者」は(1)「オ/ーサカ容疑者」(平板アクセント)にする。

実は、現在「NHK東京在籍」で、大相撲中継や高校野球中継で活躍している「大坂敏久アナウンサー」の初任地が「盛岡」で面識があるのだが、彼は自分で(1)「オ/ーサカ」(平板アクセント)ですと言っていて、NHKの放送のでもいつも「平板アクセント」で紹介されている。それになじんでいたので・・・。でも「固有名詞」である以上、「大坂アナ」が「平板アクセント」だからといって、「大坂容疑者」も「平板」が正しいとは決められない。同じ発音の名字であっても、その漢字によってアクセントに違いが出ることもあるのでは?日本語の難しいところだと思う。

<福島中央テレビ>

○(K氏)福島ならば、(1)「オ/ーサカ容疑者」(平板アクセント)になる。

<テレビ信州>

○(I氏)アクセントの件、私は「名字、地名」ともに「平板」。

<中京テレビ>

★(S氏)ニュースはネット送りをたまにやっているだけだが、私は(2)「頭高」で道浦さんと同じ見解。

<福井放送>

○(I氏)今回の「大坂姓」を放送で読んだことはないが、もしも読む場合は「平板」で読むと思う。特に理由はなく、会社の一つ上の先輩が「大坂さん」で、入社以来ずっと「平板」で読んでいるから。

<フリーアナウンサーなど>

★(S氏=関西)「頭高」。ただ、それはその一族が決めることで、「平板」もありうる。私の語感では大坂志郎は「平板」。

★(H=関西)僕も同じく「地名」は「平板」、「人名」は「頭高」で読みます。

○(K氏=関東)迷うことなく「名前」も「平板」。「頭高」で言われると、「高坂さん?」と問い返される可能性大。

★(M氏=関東)私は、「頭高」の「オ\ーサカ」。

ということで、なかなか「統一」は難しい、というのが、今のところの結論です。

(2017、6、8)

2017年6月15日 13:52 | コメント (0)

新・ことば事情

6351「『ヒアリ』のアクセント」

6月14日のニュースで、中国・広東省から神戸港に入港した貨物船のコンテナの中から、南米原産で毒針を持つ、

「ヒアリ」

が、国内で初めて見つかったというニュースがありました。それに対して、三浦隆志アナウンサーから、

「アクセントは『ヒ/アリ』と『平板アクセント』ですか?それとも『ヒ\アリ』と『頭高アクセント』ですか?『NHKアクセント新辞典』にも載っていないんですよ。」

という質問を受けました。

うーん、けさ(6月14日)の新聞では読んだ記事だったけど、アクセントは気にしてなかったなあ。

「漢字では『火蟻』と書くんですけど・・・。朝の『す・またん』では、辛坊さんは『平板アクセント』で『ヒ/アリ』と読んでいましたが。」

三浦アナウンサー。

「火」ならば「火」の「蟻」は、

「火花(ヒ\バナ)」「火鉢(ヒ\バチ)」「火箸(ヒ\バシ)」

「火の粉(ヒ\ノコ)」

など等と同じ、「頭高アクセント」で、

「ヒ\アリ」

のようにも思うけどなあ。ただ、それだとなんか、

「ひ\らり」

という「オノマトペ(擬態語)」のようにも聞こえますね。「平板アクセント」だと、

「真っ赤=スカーレット=緋色(ひいろ)の蟻」

となって、

「緋蟻」

かのようにも思うんだけど。色は何色?

「赤茶色みたいです」

うーん、そうかあ。でも「真っ赤」じゃないんだったら「平板アクセンント」のほうが無難かなあと答えてから、「アクセント辞典」以外にどこかに載っていないかと思って『新明解国語辞典』を引きましたが、「ヒアリ」は載っていません。

ふと思いついて、電子辞書の『広辞苑』の「逆引き」機能を使って「あり」で引いてみたら、いろんな「あり」が出て来ました。その中から「蟻」をピックアップしたところ、

「赤蟻」「兵隊蟻」(「送り蟻」「寄蟻」)「黄蟻」「姫蟻」「家姫蟻」「熊蟻」「黒大蟻」「黒蟻」「黒山大蟻」「黒草蟻」「木口(こぐち)蟻」「女王蟻」「白蟻」(「吸付蟻」)「羽蟻」「働き蟻」「蜜蟻」「山蟻」

という「蟻」が載っていました。( )内は「生物の蟻」ではないものです。

しかも、この中のいくつかに関しては、何と音声ボタンを押すとしゃべるのですね、電子辞書。やるなー。それによってアクセントが確認できたのは、

「ア/カアリ」(平板アクセント)

「シ/ロアロ」(平板アクセント)、「シ/ロ\アリ」(中高アクセント)

「ハ/アリ」(平板アクセント)

「ハ/タラキ\アリ」(平板アクセント)

でした。この中の、

「ハ/アリ」

が、参考になりそうですね「ヒアリ」と「語構成」が似てるので。そう考えると「平板アクセント」かな。

その後、午前11時30分からの各局のお昼のニュースを見ていたら、

「日本テレビ・TBS・フジテレビ・朝日放送」

ともに「平板アクセント」の、

「ヒ/アリ」

でした。「テレビ朝日」と「NHK」はこのニュースは、やらなかったようです。

読売テレビでも、

「ヒ/アリ」

で放送しました。

なお余談ですが、昔「青年海外協力隊」で2年間「ガダルカナル」へ行っていた、「ミヤネ屋」スタッフの宇野浩平君は、「ヒアリ」に咬まれたことがあるそうです。

「『ヒアリ』は英語で『Fire Ant』なので、『火蟻』は直訳。咬まれたら猛烈に痛いですよ!」

「咬まれたこと、あるの?」

「そりゃもう、ガダルカナルでは、そこらへんにいますもん」

「『咬まれた』って感じ?それとも『刺された』という感じ?」

「そんな『刺された』なんて、生優しいもんと違いますよ、『咬まれた』としか、感じません!」

ということなので、皆様、お気を付けくださいね。

(2017、6、14)

2017年6月14日 21:49 | コメント (0)

新・ことば事情

6350「ウエスタンデジタルか?ウエスタン・デジタルか?」

東芝メモリの買収先のニュースに出てきたアメリカの会社の名前に「・」が入るのかどうかが、先日、秋田で開かれた新聞用語懇談会春季合同総会の席で、チラッと議題に上がりました。

6月5日にネット検索したところ、

「ウエスタンデジタル」=時事通信・日経新聞・産気新聞・朝日新聞・NHK・

日本テレビ・テレビ朝日・TBS・テレビ東京

「ウエスタン・デジタル」=共同通信・読売新聞・毎日新聞・東京新聞・フジテレビ

と、「・」を入れない「ウエスタンデジタル」派のほうが優勢でした。

グーグル検索では(6月6日)、

*「ウエスタンデジタル」 =37万7000件

*「ウエスタン・デジタル」=37万7000件

そうなんです!「・」が入るか入らないかは、これでは、

「検索できない」(同じ結果を表示してしまう)

んですね。

(追記)

6月21日の「日本テレビ」の「ストレイトニュース」とNHKのお昼のニュースでは、

「ウエスタンデジタル」

と、ネットと同じで、「・」は入っていませんでした

一方「テレビ朝日」お昼のニュースでは、

「ウエスタン・デジタル」

と、「・」が入っていました。この間の「ネット記事」とは違いました。

(2017、6、21)


(2017、6、6)

2017年6月14日 18:40 | コメント (0)

新・読書日記 2017_076

『われらマスコミ渡世人~こうして戦後を生きて来た』(五木寛之・田原総一朗、祥伝社新書:2017、6、10)

そんなに期待しないで買ったら、意外と良かった。勉強になった。特に仏教。日蓮と親鸞の死生観など。主に田原が聞き手で、五木がしゃべっている。なかなかうまく引き出しているというか、問わず語りの面もあるのではないか?

二人とも昭和ひとけた生まれ。(五木=昭和7年。田原=昭和9年生まれ)その世代が次々と鬼籍に入っているので、もう"最後の語り部"かもしれない。


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(2017、6、13読了)

2017年6月15日 12:36 | コメント (0)

新・読書日記 2017_075

『「おもてなし」という残酷社会~過剰・感情労働とどう向き合うか』(榎本博明、平凡社新書:2017、3、15)

サブタイトルの「過剰・感情労働とどう向き合うか」に惹かれました。

というのも今「過剰労働」という言葉に注目しているので。従来は「過重労働」と言っていたのではないか?と。新たな言葉として「過剰労働」は出て来たのではないかなと思います。これは既に「平成ことば事情」で書きましたが。

また「感情労働」というのも最近よく目にします。「スマイル0円」みたいな感じの。

「お客さんは神様です」

という、かの三波春夫さんの言葉が一人歩きして、本来の意味ではない意味としてクレーマーなんかに使われてしまっているところから、こういったものが出て来たのかも。(この本の帯にも、まさに「『お客様は神様』なのか!?」とあります)

「カスタマー・ファースト」なんて言うのも、まさに「お客さんは神様です」に通じますね。この「誤解」については、落語家の「立川志らくさん」が、この前の土曜日(6月10日)だったかの「日経新聞」の夕刊のコラムで書いていましたね。


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(2017、5、18読了)

2017年6月14日 18:22 | コメント (0)

新・読書日記 2017_074

『路地裏の民主主義』(平川克美、角川新書:2017、5、10)

内田樹三の盟友(幼なじみ)・平川克美さんの新著。内田さんが江弘毅さんなんかと、

「街場の○○」

という視点・タイトルの本を出しているのに対して、平川さんはさらに微視的に、

「路地裏の○○」

という見方をしているようである。帯には、

「裏道から覗けば 政治の嘘や欺瞞が 透けてくる」

とあります。「生活実感」をベースに政治を見ていくということでしょう。それは「大文字」で書かれた「グローバリズム」「国家」などとは対極の、「小文字」で書かれた「個人」に根差した生活の視点でしょう。なぜか現在の政権が嫌う「人権」。きっと「人権」を「振りかざす」のが政権としては嫌いなんだと思うけど、振りかざすのではなく「ただそこにあるもの」が「人権」なのではないかな、民主主義国家においては。「大文字」の言葉からは「身体性」が失われると。

で、この本ですが、タイトルにも近い「第1章 路地裏から民主主義を考える」が一番興味深かった。「終章」の中の「オリンピックと民主主義」も、短いけど「なるほど」と思いました。「オリンピックの嘘」、オリンピックの持つ「偽善性」のようなところ、「オリンピック」という「大義」をかざして、自らの政治の進め方を押し通す。

「オリンピックを政治に利用してはならない!」などと原則論を言ったところで、これだけ巨大化し、経済と連関を持つ(つまり「金儲け」まみれ)ようになってしまっては「政治」と関係なしにはコトは進まないのも、常識ではあるが。

「オリンピックのような大義」を振りかざすのが「大文字」の政治、「人権」を振りかざすのは「小文字」の政治か?バランスが大事なのにね。


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(2017、5、28読了)

2017年6月13日 21:24 | コメント (0)

新・ことば事情

6349「老後と生前と後生」

「平成ことば事情220生前」を書いてから、もう17年経つのですが、ずっと解けない問題として残っているのが、

「生前」

です。なぜ「生前」と言うのか?です。たとえば、

「老後」

という言葉は、

「老年期に入った後」

という意味ですよね。これに対して、「生前」はどうか?と言うと、

「生が終わる前」

つまり「生きていた間」

「生前」の反対語が「死後」。「死んだ後」=「死んだ時点より後」。

「老後」の「老」、「生前」の「生」、「死後」の「死」は、「前」か「後」かの「ポイント」として、

「老」「生」「死」

があります。

また、「戦前・戦後」と言う場合には、

「終戦」

がポイントとなります。そう考えると「生前」「死後」は、

「生の終わり=死」

がポイントですよね?

そのあたりまで考えて、ほおっておいたのですが、先日、五木寛之さんと田原総一朗さんの対談本『われらマスコミ渡世人~こうして戦後を生きて来た』(祥伝社新書:2017、6、10)を読んでいて出て来た、

「後生」

という言葉を見て「ハッ!」と思いました。その本によると(五木さんの説明によると)「後生」は「死後」、つまり、

「生きていた後」

だと言うのです。つまり、

「AB」

と漢字が並んだ時の意味は「AのB」ではなく、「漢文のレ点(返り点)」のように、

「BのA」

なのだと。それならば「生前」は「生きていた前」ではなく、

「前に生きていたとき」

なのではないか?と思い至りました。

これってどうでしょうか???すんごい発見をした気分なのですが。

(2017、6、13)

2017年6月13日 18:22 | コメント (0)

新・ことば事情

6348「『大雨』は『降る』か?『ある』か?」

用語懇談会でご一緒している、関西テレビの山田アナウンサーから質問のメールが届きました。

「雨の呼称として『小雨が降る』という表現は使いますか?先日原稿に出てきて『大雨や小雨というものは、にわか雨と一緒で降るものではない』という意見がありました。『大雨になる』『小雨の中歩いてくる』とするべきだという事ですが...道浦さんはいかがでしょうか?」

これに対して、こんな返事をしました。

『お尋ねの「『大雨』は『降る』か?」ですが、結論から言うと、

「降る」

でも良いのではないでしょうか?

「○○雨」

という「複合の構成」には「2種類」あると思います。

つまり、「○○」の部分が、

(1)「○○のように降る」雨

(2)「○○のような(状態の)」雨

の2種類です。

このうち、(1)の場合は「○○」のない意味の中に「降る」を含んでいるので、その「○○雨」が「降る」とすると「重複」になってしまうので、動詞は「ある」を使うのですね。「にわか雨」は「にわかに降る雨」なので、

×「にわか雨が降る」→○「にわか雨がある」

なのでしょう。

しかし「大雨」は「大量の雨」、「小雨」は「少量の雨」と考えれば、「○○」部分に「降る」という動詞を含みませんので、重複とはならず、

○「大雨が降る」○「小雨が降る」

だと思います。

しかし、実はこの部分を、「大量に降る雨」「少量しか降らない雨」と感じる人がいれば、それは「○○」部分に「降る」を含むので、「大雨が降る」「小雨が降る」は「重複」と考えられます。

つまり「大雨」「小雨」を、「降っている状況」と見るか「雨の状態」で変わって来ます。

(1)「○○のように降る」雨=「降っている状況」=「動詞的」

(2)「○○のような(状態の)」雨=「雨の状態」=「名詞的」

この両用に使えると思うので、

「必ずしも『間違い』とは言えない」

のではないでしょうか。

平成ことば事情2264「にわか雨があるでしょう」

平成ことば事情4293「『にわか雨』は『ある』か?『降る』か?」

平成ことば事情421「秋雨」

もお読みください。

(2017、6、9)

2017年6月12日 15:44 | コメント (0)

新・ことば事情

6347「『梅雨の走り』と『梅雨入り』」

6月6日の「かんさい情報ネットten.」で、気象予報士の蓬莱さんが、

「きょう九州で『梅雨入り』の発表がありました。今週はそろそろ関西も『梅雨入り』するのではないでしょうか」

と話していました。それに対して、司会の中谷しのぶアナウンサーが、

「そうですか。『梅雨の走り』ですね」

と答えていましたが、

「梅雨の走り」と「梅雨入り」

違います。

ネットの『デジタル大辞泉』によると、

【梅雨の走り】=梅雨に入る前の、ぐずついた天気。

【梅雨入り】 =梅雨に入ること。またその日。

ということで、「梅雨の走り」は、

「まだ『梅雨入り』していない時期なのに、ぐずぐず『梅雨みたいな雨の天気』になること」

を指すのです。

気を付けましょう。

(2017、6、6)

2017年6月12日 11:46 | コメント (0)

新・ことば事情

6346「ボウタイと棒タイ」

皆さんは、

「ボウタイ」

ってご存じですか?私が所属している男声合唱団では、

「普通の、縦に長いネクタイのこと」

を指してこう呼びます。これは、

「蝶ネクタイ」

と区別するためです。ところが!本当は、

「ボウタイ(bow tie)」=「蝶ネクタイ」

のことなのです!しかし、

「ボウ=棒」

と勘違いして、

「普通のネクタイ=棒タイ」

だと思っている人が、男声合唱団には、結構います。以前から「ヘンだなあ」と思っていたのです。ところが、ツイッターの記事を読んでいたら、

「オーケストラ」

でも、

「普通のネクタイ=棒タイ」

と言う伝統があるとか。そうだったのか!

だとすると、「普通のネクタイ」と「蝶ネクタイ」を頻繁に使い分けて使用する「音楽業界全体」に、こういう傾向があるのかな???

(2107、6、12)

2017年6月12日 11:15 | コメント (0)

新・読書日記 2017_073

『勉強の哲学~来るべきバカのために』(千葉雅也、文藝春秋:2017、4、10)

白い表紙の本は汚れやすいので、あまり好きではありません。

ふだん、紙のカバーは付けないようにしていますが、表紙が白い本の場合は手垢で黒く汚れてしまうので、カバーを付けることが多い。それが、ちょっと嫌。

さて、タイトルに惹かれて購入しました。そういう人は多いはず。結構、売れていると、その後、書評で見ました。

著者は1978年生まれ、ことし39歳の若手(だよな)。東大教養学部を出て、パリ第10大学および高等師範学校(?)を経て、東大大学院博士課程修了の学術博士。哲学が専門で、2012年から立命館大学の准教授だとか。え?まだ「社会」に出てから、たった5年?もう39歳になるのに?うーむ、これは、大変羨ましい「高等遊民」というヤツではないのか?21世紀の夏目漱石か?

で、特にサブタイトルの「来るべきバカのために」を、私は「バカが増えて来た世の中で、それ(バカ)と闘うための、武器としての哲学」と理解したのだが、読み進めると、どうやらそうではない。「バカ」は「敵」ではなく、「己自身」のようなのだ。

「勉強とは自己破壊である」という最初の章あたりはフムフムと理解して読めたのだが、だんだん・・・・すぐにトテモ難しくなってくる。遠浅の海かと思ったら、急にフチがあって深くなるような感じで、足を取られて溺れそうになった。

全4章からなる本書の、ようやく「第4章」になって具体的な勉強の方法が書かれるところに来て読みやすくなって、これまでの3章分で書かれた内容も「あ、そういうことね」と理解できるようになった。第4章だけ読んでもいいんじゃない?216ページに「結論」が書いてあるから、それを読んでわからなかったら、前のページを拾い読みするということで。

「深追い・専門性」=「アイロニー」=「決断による有限化=範囲を絞る」

「目移り」=「ユーモア」=「比較の中断による有限化」

「現状把握」=「問題化」=「キーワード出し」

というように、「鳥の目」と「虫の目」の両方で、バランスを取りながら(人生の)研究・勉強を進めなさい、ということではないかな、一言で言うと。


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(2017、6、6読了)

2017年6月11日 12:20 | コメント (0)

新・読書日記 2017_072

『床下仙人』(原宏一、祥伝社文庫:2001、1、20第1刷・2016、5,20第32刷)

本書の単行本(四六判)は、なんと「1999年」、「18年前」に出ている。つまり、その時代に書かれた短篇小説5つをまとめた物。今でも全然、古くない。それどころか、今の時代にピッタリ!ということは、小説が早いのか、時代が遅いのか?

ただ、タイトルが「床下仙人」を取るより、「派遣社長」を取ったほうが、今の時代には注目される気がするのだが。それでも、文庫本になって16年で32刷(半年に1回、増刷しているということか!)というロングセラーなのは、注目に値する。「静かなブーム」というヤツか?私が知らなかっただけか?

この著者の本は「2016読書日記052」で書いた『天下り酒場』(祥伝社文庫:2009、10、20第1刷・2015、11、15第16刷)で初めて知って、読んで面白かったが、そういえば、あれもロングセラーであった。

「これまでの価値観で働く男」「仕事」「家庭」「家族」の関係・形が変わって来た、崩れて来たことを、この小説は20年近く前に感じ取って、作品にしていた。それに「時代」がようやく追い付いてきたのだ。だからおもしろい。古くない。ジャストフィットでした!


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(2017、6、8読了)

2017年6月10日 12:18 | コメント (0)

新・読書日記 2017_071

『漢和辞典的に申しますと。』(円満字二郎、文春文庫:2017、3、10)

元・漢和辞典編集者の円満字さんの新著。文庫でかわいく出ていました。
漢字に関する160編のコラム。「見開きで1つの項目」。読みやすい。たっぷり面白い話が載っています。それも、漢字ほど難しくない、親しみやすい語り口です。お人柄が表れていると思います。
一番驚いたのは、
「饆」
という漢字。音読みで「ヒツ」と読むそうです。「つくり」のほうは「畢竟(ひっきょう)」の「畢」ですね。これは
「饆饠」
とういう言葉。「ひつら」と読むそうなのですが、これがなんと、
「ピラフ」
のことなのだというのです!もともと「ピラフ」はペルシャ(現在のイラン)あたりの料理だそうで、それが5世紀ごろに中国に伝わり、ペルシャ語の「ピラウ」が、
「畢饠」
と書かれたものの「畢」に「食へん」が付いて、
「饆饠」
になったのだそうです。へえーーーーー。
まさか「ピラフ」の「漢字」があったとは!「目からウロコ」とはこのことですね!!


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(2017、5、26読了)

2017年6月 9日 21:29 | コメント (0)

新・読書日記 2017_070

『神は背番号に宿る』(佐々木健一、新潮社:2017、1、29)

今年の初めに著者の佐々木さんから「出ます!」とご案内をもらっていたのだが、なかなか書店では見かけることが出来ず、ついに注文して購入。一気に読んだ。

野球やサッカーなどの団体スポーツをやったことのある男の子は、絶対「背番号」に一度はこだわるはずだ。好きな番号が出来る。それは自分がプレーする場合にも、また好きな選手を応援する場合にも。

こと「プロ野球」に絞っても「数字」だけで「その選手が思い浮かぶ」という「背番号」がある。ここで取り上げられたそういった「背番号」は、

「3と1」「1と28」

これはすぐわかった、「長嶋と王」そして「鈴木啓司と江夏」だ!当たり!!

そして、「28」「11」「20」「36」「41」「4」「14」「15」「1」

まるで暗号のような数字の羅列。いや、もう浮き上がって来てるでしょ、選手の姿が・・・。

ということで、こういう数字を見ただけでワクワクする人には、絶対オススメの一冊ですよ!

佐々木さん、今度は「サッカー選手」で、こういった本を書いてください!!


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(2017、5、25読了)

2017年6月 9日 17:27 | コメント (0)

新・読書日記 2017_069

『在日の涙~間違いだらけの日韓関係』(辺真一、飛鳥新社:2017、4、17第1刷・2017、5、3第2刷)

「ミヤネ屋」に毎週のようにご出演いただいている、辺真一(ピョン・ジンイル)さんの新著。これは買って読まないといけないと思って購入。表紙が、すごく爽やかなご自身写真で、白い表紙に赤い大きな文字「在日の涙・辺真一」と。目立ちます。

在日二世の辺さんは、大学時代は「ピョン・ジンイル」ではなく。同じ漢字を日本語読み(?)して「ナベ・シンイチ」と名乗っていたそうです。知りませんでした。そして「新聞記者」というのは総連関係の機関紙などを発行する出版社だったそうです。当時は在日二世が「サラリーマン」になるなど「夢のまた夢」だったそうです。

しかし、日本で生まれ育つ中で、「オールドカマー」としての矜持を持つ辺さんは「反日韓国」への違和感が芽生え、今のような仕事をするようになったと。その目線で「韓国のダメな所」、そして、そんな韓国と上手く付き合えない「日本の弱点」について書いています。

また「竹島問題では日本完敗」だとも論じています。全体としては「ダメな韓国」「韓国の故子がダめ」という点を、コリアンだからこそわかる目線で指摘しています。第5章(最終章)「韓国外交はなぜ裏切るのか」では「朴大統領とはなんだったのか」「朴槿恵大統領退陣の理由」にも言及しています。結論から言うと、

「強力なリーダーシップがなければ、韓国政治の指導者たりえない」

その点、彼女は中途半端だったと。今度の人は、どうなんでしょうね?文(ムン)大統領は?


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(2017、5、22読了)

2017年6月 9日 11:26 | コメント (0)

新・読書日記 2017_068

『自覚~隠蔽捜査5、5』(今野敏、新潮文庫:2017、5、1)

昨年夏以降にはまって全部読んだ今野敏『隠蔽捜査』シリーズの新刊。でも「5」でも「6」でもない「5,5」という中途半端な「0,5」というのは、『隠蔽捜査3.5~初陣』(2016読書日記128)でもあった様に。主人公の警視庁・大森署長「竜崎伸也」がメインではない、いわゆる「スピンオフ」の短編集。それはそれで、大変楽しめます。

そこのところの国会中継で、やたら安倍首相が繰り返し口にする、

「印象操作」

という言葉。これを聞いて私は、この、

「隠蔽捜査」

を思い出しているのです。

また、元民放のエース記者が起こしたとされる「準強姦事件」。それを、

「当時の警視庁の刑事部長」

が指示して逮捕を中止させたとかなんとか。おお、「警視庁の刑事部長」と言えば、主人公である大森署長「竜崎伸也」の少学生時代の同級生で、

「警視庁の刑事部長である『伊丹俊太郎』」

ではないか!と。

「刑事部長」は警視庁でも「ナンバー3」か「ナンバー4」の「おエライさん」なので、普通なら所轄署に出て来たりはしないのだが、「幼馴染の竜崎がいる大森署」には、結構、頻繁に顔を出す。「当時の刑事部長」も「伊丹刑事部長」のように、いろいろ口を出して来たのか?などと想像してしまう。ま、小説のほうは、

「普通は、そんなことがない」

から面白く読めるのだけど、

「事実は小説より奇なり」

と言いますからねえ・・・。


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(2017、5、20読了)

2017年6月 8日 23:24 | コメント (0)

新・読書日記 2017_067

『海北友松』(京都国立博物館、2017、4)

4月11日から5月21日まで京都国立博物館で開かれていた「海北友松展」。(巡回はないそうです。)会期中は約16万人を超える来館者があったそうだ。最終日は混むだろうからと、その前日(5月20日)に行って来た。それほどは混んでなかった。ほど良い混みよう。

この「海北友松」という人の名前、「海北」と「友松」の2人かと思っていた。しかも「かいほく」「ともまつ」だと思っていたら、なんと「かいほう・ゆうしょう」という読み方で、一人の人だと!全然、知りませんでした。

京都・七条の京都国立博物館、いつもは「旧館」のほうで、狩野派の襖絵とか屏風絵の展覧会があるのだが、今回は「平成新館」のほうでの展示。「海北友松」展の展示の間に、常設展の「仏像の展示」も見られる。というか、そこを通らないと最後の展示室に行けないという"つくり"だった。で、その仏像がなかなか良かったのですね。面白いです。

「海北友松」は、「龍」の絵が良かったのだが、中でもその「龍」の中に「鼻毛」が出ている龍がいて、まるで漫画「天才バカボン」に出て来る「バカボンのパパ」そっくり!漫画のルーツでもあるのではないか?「鳥獣戯画」もそうだけど。そんな気がして、面白かったです。


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(2017、5、20読了)

2017年6月 8日 21:23 | コメント (0)

新・読書日記 2017_066

『知性の顚覆(てんぷく)~日本人がバカになってしまう構造』(橋本治、朝日新書:2017、5、30)

久々の「橋本治本」のような感じが。病気をされたりもしていたようですね。著者も来年「古希」です。

1章は「ヤンキー的なもの」から。最近よく言われる「反知性主義」という言葉は、著者はキライなのだそうです。どちらというと、既成の「知性」や「権力」というものに逆らった青春時代を送ってその延長線上でずっと生きてきたような感じがするので、どちらかというと「反知性側」だと著者自身は思っていたようですが、「あれ?現在、使われている『反知性主義』って言葉は、俺が思っているのと違うぞ!?」と気付き、また「ヤンキー」と呼ばれるものとも、体質が違う。これは一体何なのか?というのを考えるに至ったと。そこで、そのナゾを詳しく分析していく過程が書かれています。

同感だと思ったのは、「第5章 なぜ下品になったのか」の章。「日本人は下品になった」「知性はモラルを捨てて行く」「『自己主張』という下品な行為」あたりを読むと「フムフム」と思います。

やはり「経済至上主義」の行き着く先にある「知性」は「反知性」を生み出し、「下品」になっていく。21世紀の「イスラムのテロ」を生み出したのも、もしかしたら「共通の根ッこ」を持つのではないかなと思いました。


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(2017、5、18読了)

2017年6月 8日 16:29 | コメント (0)

新・読書日記 2017_065

『マエストロ時間です~サントリーホール ステージマネージャー物語』(宮崎隆男、ヤマハミュージックメディア:2017、3、10)

「ステージマネージャー」という仕事は、一般の人には、あまりなじみがないかもしれない。合唱をやっている私はある程度知ってはいるが、この著者のことは知らなかった。

サントリーホールの初代ステージマネージャー。コンサートの運営に携わるだけではなくて、30年前のサントリーホール建設の際には、その建設にも携わったという伝説のステマネ。サントリーホールの後も、つい最近まで現役のステージマネージャーとして活躍。1927年生まれですから、今年も90歳になるという。卒寿。スゴイな。

戦後すぐの頃からこの仕事に就いて、GHQを回ったりした。当時は「ステージマネージャー」の見習い・若造だったから、「マネージャー」を略した「マー」に「ボーイ」「坊や」の「ボー」を付けて「マーボー」というニックネームが付いた。それが26歳で結婚を機に、なんとあの大指揮者・近衛秀麿が、

「嫁さんをもらってマーボーもないだろう、中華料理じゃあるまいし。ちゃんでいこうか」

と言ってくれて「マーちゃん」になったのだそうだ。ふえー、凄いですねえ。

大体、出て来るのが、伝説的なマエストロばかり!

そんな中に私も知っているマエストロ『堀やん』こと堀俊輔先輩(早稲田グリーの)も出て来るではないですか!岡村喬生先輩も!すっごく身近に感じて読むことができました。

この本、たまたま入った「楽器店」で買った本なんですよ、大阪・ミナミのヤマハで。楽器を買わずに、本を買った。


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(2017、5、31読了)

2017年6月 8日 12:28 | コメント (0)

新・読書日記 2017_065

『知性の顚覆(てんぷく)~日本人がバカになってしまう構造』(橋本治、朝日新書:2017、5、30)

久々の「橋本治本」のような感じが。病気をされたりもしていたようですね。著者も来年「古希」です。

1章は「ヤンキー的なもの」から。最近よく言われる「反知性主義」という言葉は、著者はキライなのだそうです。どちらというと、既成の「知性」や「権力」というものに逆らった青春時代を送ってその延長線上でずっと生きてきたような感じがするので、どちらかというと「反知性側」だと著者自身は思っていたようですが、「あれ?現在、使われている『反知性主義』って言葉は、俺が思っているのと違うぞ!?」と気付き、また「ヤンキー」と呼ばれるものとも、体質が違う。これは一体何なのか?というのを考えるに至ったと。そこで、そのナゾを詳しく分析していく過程が書かれています。

同感だと思ったのは、「第5章 なぜ下品になったのか」の章。「日本人は下品になった」「知性はモラルを捨てて行く」「『自己主張』という下品な行為」あたりを読むと「フムフム」と思います。

やはり「経済至上主義」の行き着く先にある「知性」は「反知性」を生み出し、「下品」になっていく。21世紀の「イスラムのテロ」を生み出したのも、もしかしたら「共通の根ッこ」を持つのではないかなと思いました。


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(2017、5、18読了)

2017年6月 6日 18:21 | コメント (0)

新・読書日記 2017_064

『昭和歌謡替え歌77選』(木村聡、えにし書房:2016、12、25)

これ、好きだなあ。

よくもまあ、こんな役にも立た・・・いや、私の役には立ちましたよ!

しかし、著作権とかどうなっているのかな?

でもこの本、新聞の1面の一番下の広告欄に出ていたので、私は見つけて購入したのですよ!あの広告欄、スゴいんですから、広告料金も。大丈夫なんかなあ。

気に入った替え歌、結構たくさんありました...ほとんど8割ぐらい。いやあ、昭和の曲はいいですねえ。あの郷ひろみの曲で木村屋のアンパンを歌ったり、サブちゃんの曲で新聞勧誘員の歌とか、やっぱり元の歌詞とピッタリ合う部分がどれだけあるかがポイントだと思いますね、替え歌は。そこが「ヘソ」で、それが決まればウケる。着地が決まればOKという感じですね。77曲もあるので、皆さんお気に入りの曲を探してみてくださいね!40代後半以上の、特に男性には受けると思います。


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(2017、5、16読了)

2017年6月 7日 10:19 | コメント (0)

新・読書日記 2017_063

『指揮棒は魔法の杖?~マエストロが語る「指揮棒」考』(エックハルト・レルケ編、野口剛夫訳、音楽之友社:2007、2、10)

合唱でもオーケストラでも、大抵の場合は「指揮者」がいる。その指揮者が、手に「指揮棒」を持っているケースと、持っていないケースがある。

聴いている方・見ている方は、それほどこだわらないが、当の指揮者にとって「指揮棒」に対する「こだわり」はどういったもの?ということを、多くの指揮者へのインタビューを通じて明らかにしようというドイツの本。興味深いじゃないですか!たまたま古本市で見つけた本で、ちょうど10年前に出た本ですね。定価2200円(税別)のところが、古本なので500円ポッキリでした。

私でも知っている巨匠もいれば、知らないマエストロもいますけど、それぞれの「指揮棒」に対する思いを語っています。中には「この指揮棒でないと、ダメなんだ」という人もいれば、「指揮棒は持たない」という人も(少数ですが)います。過去の巨匠では、ピエール・モントゥーはとても長い指揮棒(50cm!)を持っていたことで有名だそうです。(そして、ほとんど腕を動かさなかったそうです。)逆に、指揮棒を持たないことで有名なのは、過去にはストコフスキー、現在だとピエール・ブーレーズ、ニコラウス・アーノンクール。

普段のオーケストラでは指揮棒を持たない人でも、さすがに暗いオケピットで振らなくてはいけなくてステージ上の歌手にも指示を出さなきゃならない「オペラ」の指揮では、「棒を持つ」という人が多いようです。白い指揮棒は暗がりでも目立つのと、指揮棒を持った分、腕が長くなって(指揮棒は、腕の延長)少しの動きでも伝わるから。指揮棒を持たないと、腕を大きく動かさなくてはならないとのこと。

また多くの指揮者が、指揮棒を手に刺したり、指揮棒で手を切ったりというケガをしているという事実を初めて知った。楽譜に指揮棒を挟んで持っていて、指揮棒の先っちょが折れてしまったり。中でも一番面白いエピソードだったのはケント・ナガノ。ロサンゼルスのハリウッド・ボウル(野外音楽堂=35年前に行ったことがある!)で、ストラビンスキーの『春の祭典』を指揮した時のこと、棒が演奏中に滑って客席の20列目ぐらいの所まで飛んで行ってしまったのだが、そこから前の客へ前の客へと渡されて、なんと曲の演奏中にナガノの元に戻って来たというのだ!もう、客席との「一体感」と言ったら!!

この本で取り上げられた指揮者の名前を挙げると、

ベルナルト・ハイティンク、アシュケナージ、プロムシュテット(最近、あまり指揮棒を使わなくなっている)、シモーネ・ヤング、ギーレン、レヴァイン、スラトキン、ブーレーズ、ケント・ナガノ、ゲルト・アルブレヒト、インバル、ヤルヴィ、セミョン・ビシュコフ、サー・コリン・デービス、クルト・マズア、ハルトムート・ヘンシェン、エア=ベッカ・サロネン、クリストファ・エンシェンバッハ、マイケル・ティルソン・トーマスなどなど、錚々たる面々。

この中で、ハイティンクとマイケル・ティルソン・トーマスと、セミョン・ビシュコフと、サー・コリン・デービスの指揮棒は、「同じ人」が作っているのだ。それはアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の元・ステージマネジャー「ヘンク・ウンメルズ」という人物。この人は、それが「職業」というわけではないのに。他の指揮者は楽器店で買う人ももちろん多いのだが、特定の人に作ってもらっている(それもプロの指揮棒製作職人ではない人に)指揮者が、結構いるみたいなのだ。ハンドメイドのオリジナル作品。それに驚いた。もう一人、名前が出て来るプロではない「指揮棒製作職人」に、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場のティンパニ奏者の「リチャード・ホロヴィッツ」がいる。この人は、カール・ベームやバーンスタイン、ジェームズ・レヴァイン等の指揮棒を作った人。すごいなあ。

また、エサ=ベッカ・サロネンと、クリストファ・エッシェンバッハは、日本の「村松商店」の指揮棒(K13)を使っているとのこと。サロネンは「グラスファイバーの指揮棒は、先が鋭くとがっていて危ない」と。

マイケル・ティルソン・トーマスは、13,5インチ(34cm)~14インチ(35cm)の指揮棒を使い、

「棒があったほうが、正確に指揮することが出来る」

と言います。一方、指揮棒を持たないブーレーズは、

「指揮棒は、権威とは何の関係もあってはいけません」

と言う。

ペーター・エトヴェスも、指揮棒を持つのをやめたと。

マリス・ヤンソンスは、1996年(53歳)のときまで指揮棒を持って演奏したが、右手の親指を2回手術してから、医者から「指揮棒を持つな」と警告を受けて、持たなくなった。

「指揮棒に権威があるのは、長い指揮棒を持っているからではなく、彼が良い指揮者、良い音楽家であるかだ」

と言う。ブーレーズと同じような考え。

サー・コリン・デイヴィスの指揮棒の長さは、16インチ(40cm)。

ヤルヴィは、34cmの日本製グラスファイバーの指揮棒を使う。

ハルトムート・ヘンヒェンは、室内楽や小さな編成のオーケストラでは指揮棒を使わないし、合唱曲や合唱付きの交響曲作品でも、棒を持たないそうだ。指揮棒が手の表現力を狭めるのは明白なので、基本的には手だけで演奏するという。アムステルダムでのワーグナーの『指環』を演奏した際「ラインの黄金」を真っ暗闇から演奏したかったので、指揮棒の握りの所を持つと「ダイオードで光る指揮棒」を使ったのだそうだ。「スター・ウォーズ」か!!

その一方で、ローター・ツァグロヴェスは、

「指揮棒は、ダンンサーにとってのシューズのようなもの」

と言う。つまり「欠かすことができないもの」だと。

ダニエル・ハーディングは、

「すばらしいのは、ヴァイオリンは600万ドル払わねばならないが、指揮棒なら4ポンド半で買うことができる。」

たしかに、ヴァイオリンに比べたら、指揮棒は安い。

私は4年前、コバケンこと小林研一郎先生の指揮である合唱曲を歌ったのですが、その練習の時にコバケンが、一旦、指揮棒を置いて、

「どうしようか・・・指揮棒なしで振ってみるかな。そういえば小澤(征爾)先生も、70歳を過ぎて棒を持たなくなったな・・・・」

と話されたのです。それで「棒なし」で振ってみたら、

「やっぱり、持ちます」

になったのですが。当時、小林先生は73歳でした。

合唱指揮でも、指揮棒を持つ人と持たない人がいるが、歌う方は、それほど気にならないような気がするのだだが・・・。


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(2017、3、6読了)

2017年6月 6日 21:17 | コメント (0)

新・読書日記 2017_062

『高台家の人々6』(森本梢子、集英社:(2017、5、25)

2017読書日記の「037」で読んだ『高台家の人々1~5』の漫画の続き。第5巻で終わりかと思っていたら、この第6巻で完結だったんです。(しかし、出たばかりのグッドタイミング!)

他人の心が読めてしまう一族と、そのうちの一人(長男)と結婚してしまったヒロイン。結婚でゴールインではなく、その後の様子を最終巻で描いています。

「他人の心の中が読めてしまう人」とつき合うのは「イヤだ」と思う人が多いのもよくわかるし、「それでも心を許せる人」となら「結婚してもいい」というのもよく分かるのだが、それとは別にこの最終巻を読んでいて「ハッ!」と気付いたことは、

「これって『共謀罪』とおんなじじゃないか!」

ということ。他人の考えていることが分かる=プライバシーが無い、ということで、それを「超能力」によってはなく、「監視カメラ」や「密告」「盗聴」によって行うことを法律が認めるという「共謀罪」に通じるじゃないか!と。

作者は意図していないかもしれないけどね。


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(2017、5、28読了)

2017年6月 5日 18:36 | コメント (0)

新・ことば事情

6345「ミサイルと社内放送」

午前11時、社内放送が、

「ピンポンパンポーン!」

と鳴りました。

何事?すわ、ミサイルか?Jアラートか?と身構えたところ、

「総務部から連絡です。本日から健康診断が行われています・・・」

ホッと安心したのですが、それとともに、

「社内放送のチャイムに脅える日々なんて・・・・」

と、21世紀の現在の日本と、それを取り巻く状況に思いを馳せました・・・。

そして、「ミサイル」という言葉で不意に思い出したのは、大学時代に合唱団で歌った曲、

「クレーの絵本(第二集)」

です。この作詞(と言うか詞)は「谷川俊太郎」。題材は「パウル・クレー」の絵画です。その曲の中に「ミサイル」が飛び交う曲がありました。今調べたら、

「ケルトドラム奏者」

という曲(詞)です。

『どんなおおきなおとも  しずけさをこわすことはできない

どんなおおきなおとも  しずけさのなかでなりひびく

ことりのさえずりと   ミサイルのばくはつとを

しずけさはともに  そのうでにだきとめる

しずけさは   とわにそのうでに』

というものです。

この「しずけさ」は「平和」を意味するのではないでしょうか。

Jアラートなど、鳴り響かない日を求めます。

(追記)

2017年8月29日午前5時58分に、北朝鮮が、中距離弾道ミサイル「火星12型」を発射。津軽海峡を越えて襟裳岬の東方1180キロの太平洋に落下しました。

日本の上空を通過したということで、北海道・東北から北関東にかけて「Jアラート」が鳴りました。上空の最高高度は550キロ。これに対して「PAC3」の迎撃高度は約15キロ。「SM3」でも500キロですから、最高高度では撃ち落とせません。

嫌な時代です・・・。

(2017、8、31)


(2017、5、24)

2017年6月 6日 11:19 | コメント (0)

新・ことば事情

6344「被害額2億円越え」

最近よく見かける、

「○○超え」

という表現。例えば、

「イチロー超え」「長嶋超え」

のように、「偉大な選手の記録を超える」ような場合ですね。主にスポーツや芸能分野で、よく使われているようです。これを、

「イチロー越え」「水谷越え」

「越」を使うと間違いです。

また、その一方で、硬いニュースでも最近、

「被害額2億円超え」「難民6000人超え」「売上高1兆円超え」

のように「○○超え」が使われるケースが目立ちます。これまでは「見出し」として(読まない前提の「書き言葉」として)、もし読むとすれば「チョウ」になる、送り仮名「え」のない、

「被害額2億円超」「難民6000人超」「売上高1兆円超」

を使っていたので、それとの混交が起きているようです。

しかし、こういった分野のニュースでは「超え」ではなく「以上」を用い、

「被害額2億円以上」「難民6000人以上」「売上高1兆円以上」

としたほうが、しっくりくるケースがあります。特にその内容が「良いとき」は「超え」でも良いかもしれませんが、「被害額2億円超え」のように、内容が「悪いとき」に「超え」を使うと、まるで競っているかのように感じて「違和感」がありますので、その辺りも考えて使うようにしたいです。

(2017、6、2)

2017年6月 5日 21:13 | コメント (0)

新・ことば事情

6343「手刀の読み方」

5月9日の「ミヤネ屋」で、林マオ・アナウンサーから、

「ゲストの加藤一二三・九段が『手刀』を『てがたな』と言っていました。『NHKアクセント新辞典』にも『てがたな』しか載っていないのですが、これは『シュトー』と言っては間違いなのでしょうか?」

という質問を受けました。私は、

「どちらもある。『広辞苑』には『てがたな』『シュトー』両方載っています。(「てがたな」しか載っていない辞書のほうが多いが)ただし、大相撲で力士が勝って懸賞金をもらうときに行う動作は『てがたなを切る』。これは成句なので『シュトーを切る』とは言わない。『シュトー』は『空手の技の一つ』で『シュトーで瓦を割る』などと使います。」

と答えました。

(2017、5、30)

2017年6月 5日 18:11 | コメント (0)