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『道浦TIME』

新・ことば事情

6271「号泣」

「号泣」

というのは、本来、

「声を上げて泣くこと」

ですが、最近は、声を上げていないのに涙がボロボロ出ていたら「号泣」を使う傾向があります。

お笑いコンビ「NON STYLE」の井上裕介が、去年12月に「道交法違反」(ひき逃げ)と「過失致傷」の罪を犯して書類送検され、3月7日に謝罪会見を行いました。

50分間ずっと涙を流してはいましたが、

「声を上げて泣く」(元兵庫県議のように)

シーンはありませんでした。しかし、3月8日のスポーツ紙各紙の表現は、

<見出し>     <リード・本文>

(サンスポ)号泣謝罪      涙を流して謝罪した。

(報知)  号泣謝罪      涙があふれた:号泣

(スポニチ)泣きっぱなし50分 50分間泣きっぱなしだった:目を潤ませた

(デイリー)号泣謝罪      終始涙を流しながらの号泣謝罪になった

:大粒の涙を浮かべて:再び瞳をぬらした

(ニッカン)頭下げ1分涙50分 1分間頭を下げ涙を流した:涙を流した

というように各紙「号泣」を使っており、一番、事実に忠実な表現だったのは、「スポニチ」と「ニッカン」でした。

「ミヤネ屋」でも「号泣」で発注が出ていて、放送直前に気付いたのですが、既に焼き込んでしまったものでは直せずに、

「号泣」

で放送に出ました。しかしそれ以外は、

「大泣き会見」「涙の会見」

に直しました。

新聞用語懇談会の放送分科会では、過去に2度ほど「号泣」について話し合われたことがあります。

*【2008年12月】

「号泣」は「声を出して泣く」ことだが、少し涙を見せただけで「号泣」という表現を使っていることがある。

*【2009年2月】

「号泣する」→「大声を出して泣く」の意味だが、「声を立てずに泣いている場面」でも、間違って使っているケースがある。=「大げさな表現」

これを踏まえて『放送で気になる言葉2011』の11ページにも載せました。

*「号泣する」

最近では「声を立てずに多くの涙を流す」ことに使われる例も見受けられるが、もともと「号」には「大きな声で泣く・叫ぶ・呼ぶ」の意があり、そこから「怒号」「号令」等の語につながる。また語源によれば、「号」は「涙を流さずに大声を上げて泣くこと」。逆に「泣」は「声を上げずに涙を流して泣くこと」の解釈がある。(角川大字源)。ちなみに「大声をあげてなく」のは「哭」(漢字源)だが、日本語ではふつう「泣」と「哭」の区別をしない。いずれにせよ「号泣」は「大声を上げて泣く」ことであって、「声を立てずに」泣くことに用いるのは明らかな誤用であり、オーバーな表現だと言える。

とあります。

なお、新しい言葉や解釈をいち早く載せることで知られる、

『三省堂国語辞典・第七版』

では、どちらの意味も載っています。

*「号泣」

(1)大声で泣くこと。また、その声。(例)「号泣が響く」

(2)【俗】大いになみだを流すこと。(例)「静かに号泣する」

ただし新しいほうの意味(「声を出さずに泣く」)は、

「俗語扱い」

ですね。

(2017、3、8)

2017年3月13日 11:46 | コメント (0)