新・読書日記 2017_007
『下流志向~学ばない子どもたち 働かない若者たち』(内田樹、講談社:2007、1、30第1刷・2007、2、15第5刷)
ちょうど10年前に出た本を、読み差しで「ほったらかし」だったものを、10年経って読んだら、一気に読めた。時代が・・・いや、私が、ようやく内田樹さんに追いついたのか?
「ニート」が増えて来た当時の論だが、「学ばない」「働かない」若者が出て来たのは「怠けている」のではなく「学ばない・働かないほうが"トク"だから」という価値観に基づくと。そうだとすると「学ばない・働かないほうが"ソン"だ」という価値観を植え付けないことには変わりようがない。
「育児と音楽」(169ページ)を読むと、
「開放的な態度で耳を傾けないとノイズはシグナルには変わらない。ノイズはノイズであり、シグナルはシグナルであるというふうにきれいに切り分けてしまう人には、ノイズがシグナルになる変成の瞬間が訪れない。」
「音楽を聴くということは『学び』の基本の一つになっていると思うんです。孔子は『君子の六芸』として、礼、楽、射、御、書、数を挙げています」
「六芸の一つに『楽』が掲げられているというのは『時間意識を持つこと』、『人間は時間の中の存在であると知ること』が知性の基礎だということが古代の聖賢は熟知していたからではないでしょうか」
これ、現代における「加速=時間をゼロにする」という方向性が「反知性」だということを表していますね。
「無時間モデルでは音楽は聞こえない。聞こえるはずがない。どんなすばらしい音楽も、モーツアルトの音楽も、バッハの音楽も、単独の音では何の意味もないし、美的価値もない」
「生きるということは、いわば一つの曲を生涯をかけて演奏するということです」
「人の話を聴くというのも、すぐれて時間的な活動だと思うんです」
「コミュニケーションと言うのはそういう意味で時間的な現象だと思うんです」
つまり「デジタル思考」では「ノイズはノイズ」であり、「シグナル」として受け取れない恐れがあるということかな。
「文化資本」というのはピエール・ブルデューの用語。「お育ちのよさ」
「日本でも、社会上層では『文化資本(いわゆる教養)には差別化機能がある』と信じられていますから、子どもたちは進んで文化資本を身に着けようとします。逆に、社会下層では『文化資本には差別化機能がない』という考え方の方が受け入れられやすいので、子どもたちはむしろ積極的に文化資本を拒否するふるまいによって同集団の大人たちからの評価を期待します」
「マジョリティーの教養がどんどん下がっていく一方で、社会的に高い階層にはまだ教養や趣味のよさをたいせつにする気風が残っている」
「都市化ということ自体が、言い換えれば、時間を短縮してゼロにしていくということとほとんど同義だと思うのです。つまり都市化というのは、何か移動するのに最短の時間で行けるようにした結果」
「利便性の追求は、すべて時間をゼロにするという要請から出てきた」
「都市生活の中でいかに時間制を回復するか。あるとすれば『ルーティンを守ること』です。都市化のもたらしたいちばん大きな変化は、人々が日課を守らなくなったということだと思っているんです」
とっても腑に落ちる話でした。