新・ことば事情
6218「ナルシストか?ナルシシストか?」
お笑い芸人のNONSTYLE 井上裕介が、タクシーに「当て逃げ」をしたことが報じられました。
その際に、「さん」を付けるかどうか?という問題もありますが、今回は井上裕介を表現する際に、
「ナルシスト」
という表現が出て来ました。この言葉、実は正しくは「シ」がもう一つ入る、
「ナルシシスト」
なんですね。同じく、「ナルシズム」も、正しくは、
「ナルシシズム」
なのです。でも正しいとされる形よりも、「シ」が一つ少ない形の方が、おそらく普通によく使われていることでしょう。
去年(2015年)9月の新聞用語懇談会放送分科会で、私からこんな質問を出していました。
『『新聞用語集』などでは、「ナルシシスト」で、「シシ」と「シ」が2回続く形が正しいと載っていますが、世間一般には「ナルシスト」のほうが通りがいいと思います。原語は「narcissist」ですから「シシ」が正しいのでしょうが、「ナルシスト」も放送で「許容」としている社はありますか?ちなみに「ミヤネ屋」のパネルで出て来た、お笑いコンビ「NONSTYLE・井上」が自称「ナルシスト」で、これを紹介するときに「ナルシシスト」ではなく「ナルシスト」を使いました』
それに対する各社からの回答は以下の通りです。
(読売新聞)原則通り「ナルシシスト」。
(新聞協会・専門委員)これは外来語では、新聞にはまず出て来ない。正しくは「ロマンチシスト」「ロマンチシズム」だが一般的には「ロマンチスト」「ロマンシズム」も許容されているというのに似ているのでは?
(MBS)放送では「ナルシスト」も許容。ただし「本来は『ナルシシスト』であると知っておけ」と言う。
(TBS)「ナルシスト」もOK。人口に膾炙(かいしゃ)している。たしかフランス語では「ナルシスト」ではなかったか。
(新聞協会・専門委員)辞書も「ナルシスト」が空見出しで「『ナルシシスト』を見よ」となっているのではないか。20年ほど前に「『エステスシャン』ではなく『エステティシャン』だ」と言っていたのに似ている。これは本来の「エステティシャン」が定着した。
(NHK)『NHK日本語発音アクセント辞典』は「ナルシシスト」。来年の改訂でもそのまま。「ナルシスト」は認めないが、ニュースには、あまり出て来ない言葉。日本人に発音しにくくて、本来の形と変わったものには、「ギブス」(本来は「ギプス」)、「グロッキー」(本来は「グロッギー」)、「メリーゴランド」(本来は「メリーゴーラウンド」)などがある。
(NTV)アナウンス部内では、さりげなく「ナルシシスト」と正しい言葉を言ってみて、(知っているかどうか)その相手(後輩)の反応を見る。放送上は、まず出て来ないが、ナレーション原稿などで出て来た場合は「アクセント辞典」に準拠して「ナルシシスト」で読む。
(ABC)「ナルシスト」で読むこともある、制作者(ディレクター)の意向・意図に従う。
今回「ミヤネ屋」では、「正しい形を知っているよ」とアピールするために(?)、
「ナルシシスト」
を使いました。
ちなみに、よく似たものに、
「マルキスト」「マルキシスト」
「マルキズム」「マルキシズム」
がありますが、これも正しい形は、「シ」が入る、
「マルキシスト」「マルキシズム」
なのです。グーグル検索(12月16日)では、
「ナルシスト」 =387万0000件
「ナルシシスト」= 6万4000件
「ナルシズム」 = 18万9000件
「ナルシシズム」= 17万4000件
「マルキスト」 = 3万0100件
「マルキシスト」= 6950件
「マルキズム」 = 532件
「マルキシズム」= 4万500件
でした。
短い「ナルシスト」を使っていると、正しい「ナルシシスト」を使っている人の比率は、
「ナルシスト:ナルシシスト」=「387:6」=「60:1」
で、圧倒的に、短い「ナルシスト」がネット上では使われていました。
また、「マルキスト」と「マルキシスト」ですが、この比率も、
「マルキスト:マルキシスト」=「30:7」
で、短い「マルキスト」のほうが4倍以上使われています。
司馬遼太郎さんが、詩韻文記者時代の若い頃に書いた本の復刊本、
『ビジネスエリートの新論語』(文春新書)
を読んでいたら、
「橋本先生の思想的立場をはっきりしておく必要がある。彼女は、マルキストである。」(144ページ)
というように「シ」の入らない、
「マルキスト」
を、若き日の司馬遼太郎は使っていました。