新・ことば事情
6188「淋しみ」
宇多田ヒカルの新しいアルバム『ファントーム』を、歌詞カードを見ながら聴いていたら、
「花束を君に」
という、NHK朝ドラのテーマソングだった曲の歌詞で、
「毎日の 人知れぬ苦労や 淋しみも無く
ただ 楽しいことばかりだったら
愛なんて 知らずに済んだのにな」
という部分がありました。その中の、
「淋(さび)しみ」
という言葉は、初めて見ました。「淋しさ」は、もちろん見たことも使ったこともありますが。
グーグル検索では(10月31日)、
「淋しみ」=3300件
「寂しみ」=3230件
でした。これは「かなり少ない」数字です。
『明鏡国語辞典』『新明解国語辞典』には載っていませんでした。
しかし、『広辞苑』には載っていました!
「寂しみ」=さみしいこと。さびしい趣。さびしさ。
用例は、夏目漱石の『門』からで、
「けれども世の中の寂しみは、彼を思ひ切つた極端に駆り去る程に」
とありました。「駆り去る」という言葉も、見慣れない言葉ですが、まあ、きょうのところは置いておきましょう。
『精選版日本国語大辞典』にも載っていましたが、「空見出し」で「『さびしさ』を見よ」となっていて、意味は、
「『み』は接尾語」
とだけありました。でも「空見出し」なのに用例は載っていて、小林一茶の俳諧『おらが春』(1819年)からで、
「ざれ言に淋しみをふくみ、可笑みにあはれを尽して、人情、世態、無常、観想残す処なし」
とありました。
『三省堂国語辞典』は「見出し語」としてはありませんでしたが、「さびしい」の「派生語」の欄に、「寂しがる、寂しげ、寂しさ」と共に、
「寂しみ」
も載っていました。昔からある言葉なんですね。それをまた、宇多田ヒカルさんが掘り出して来てくれたんだな。