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『道浦TIME』

新・ことば事情

6208「七冠の読み方2」

「平成ことば事情5000 七冠の読み方」の「追記」で、当時(2013年2月)NHKの原田邦博さんから

「競馬の世界では『7冠』は『ナナカン』のようで、シンボリルドルフなどの『七冠馬』は、『ナナカンバ』です。島根県にはシンボリ牧場の親戚の酒蔵が、許可をもらって、『七冠馬(ナナカンバ)』という酒を造っています。」

という情報を頂いたのですが、つい先日、家の近くの酒屋さんで、原田さんご指摘の島根の地酒、

「七冠馬」

を見つけたのです!私が見つけたのは、青いボトルに白馬が描かれ、白いローマ字で、

NANA KAN BA」(=ななかんば)

と記されていました。ネットで調べると、

「簸上清酒合名会社」

という酒蔵で、創業はなんと1712年(正徳2年)もう!15代も続く酒蔵のようです。創業300年以上かあ、すごい!

あ、「簸上」は何と読むのか?と言うと、

「ひかみ」

だそうですが、初めて見た漢字です。

今回は購入を見送りましたが、次回は購入し、「味」の報告もしたいと思います!

それと書き忘れていましたが、2016年4月20日囲碁の井山裕太氏が、前人未到、囲碁史上初の「七冠」を達成しました。囲碁の七冠は、

・棋聖( 読売新聞社

・名人( 朝日新聞社

・本因坊( 毎日新聞社

・王座( 日本経済新聞社

・天元( 新聞三社連合

・碁聖( 新聞囲碁連盟

・十段( 産経新聞社

です。

しかし、ついこの間、11月3日の「名人戦」で、高尾紳路九段に3連敗・3連勝の末に敗れて「名人位」を失い、「七冠」は197日で終了しました。

(2016、11、16)

2016年11月30日 22:00 | コメント (0)

新・ことば事情

6207「わんこ力」

『校閲ガール ア・ラ・モード』(宮木あや子、角川書店)を読んでいたら、

「『わんこ力』的恐るべき人懐っこさで」60ページ)

という表現が出て来ました。

「わんこそば」

は関係ありません。

「わんこ=犬」

です。人なつっこい犬のような、という意味を「わんこ力的」と表現しているんですね。その辺が「若いなあ」と思わせます。絶対言わないもんね、そんな表現では。

グーグル検索では(11月23日)

「わんこ力」=271件

「ワンコ力」=616件

「わんこ力・犬」=742件

「ワンコ力・犬」=447件

でした。「一般的」とは、言えないですね。犬好きの人は、使うのでしょうね。

(2016、11、23)

2016年11月30日 19:39 | コメント (0)

新・読書日記 2016_176

『阪神タイガース1965-1978」(中川右介、角川新書:2016、11、10)

このあいだの『月9』に続いて1か月に2冊も、400ページを超える新書を出すなんて、どんだけ「物書き」なんだ!と思う中川さんの著書。この間は「ドラマ」で、今度は「野球」。「野球は筋書きにないドラマ」だということであれば「ドラマつながり」とも言える。

東京生まれ、東京育ちの著者が、なぜか「阪神ファン」・・・へそ曲がりなんでしょう。(ゴメンナサイッ!!)タイトルにあるように、その阪神の「1965年から1978年」を切り取って詳しく記されているが、最後に「1979年以降」も、21年ぶりの優勝を果たす「1985年まで」も書かれている。最後のほうは私もすでに会社に入っていて、実際に甲子園球場で見た試合などもあったし、中継の時の解説者で村山実さんが来られたりしたので、記憶に残っている。「1978年」で区切った理由の一つは、「江川」を避けたのかもじれない。

この本で柱となる選手(投手)は、その「村山実」と「江夏豊」。

全体を読んでの感想は、まず、昔は明らかに「投高打低」だったいうこと。飛ばないボールだったのだろうか?各チームのエースは、20勝も30勝もするし、防御率も「1点台」とか当たり前。連投に次ぐ連投、「草野球やんけ!」と思うけど、もう「剛腕」だったのでしょうね。金田正一さんて高校を中退してプロ入りして10シーズン目、25歳の時に、既に「200勝」を越える勝ち星を挙げていたなんて、すごすぎます。そんな「投高」の中でホームランを量産したの「王、長島、田淵」というのは、また凄かったんだなあとも思った。

それと阪神は、本当に悪い人が球団の上層部にいたんだな、と。悪徳政治家ですよね、もう。「優勝するな」と、江夏は本当に、球団の上層部から言われたのだろうか?それって「八百長」やんか!そんなこと言われたら「ベンチがアホやから、やってられへん!」と言った江本のような選手が出て来るのも当然だと、納得してしまうやんか。

なんだか、ドキドキしながら読み進みました。

小学校の、たしか2年の時に、学校の図工の紙粘土で作ったのは「背番号28」の「痩せた江夏投手」だったのを思い出しましたが、小学校時代の私は「南海ホークスファン」でした。


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(2016、11、22読了)

2016年11月30日 23:40 | コメント (0)

新・読書日記 2016_175

『ぼくは こう生きている 君はどうか』(鶴見俊輔・重松清、潮文庫:2016、7、20)

2007年9月~2009年5月にかけて5回対談し、2010年1月に単行本が出たもの。読んでいるときには、鶴見俊輔はまだ存命だと思っていて、読み終わってから「あ、そうか、亡くなったんだっけ!」と思いました。重松清が聞き手というのも興味深かった。

テーマは「子どもに必要な二つの物差し」「家庭」「友情」「老い」「師弟関係」。どれも興味深い。鶴見の言う、子どもに必要な「二つの物差し」とは「父と祖父」。鶴見の父は東大を出て苦学してきたから、子どもに対して「ちゃんとしなさい」という役目。一方の祖父は、なんと後藤新平(!)だが、「俺は牢屋に入った事がある」と威張っていたという。

何が言いたいかと言うと、「ひとつの物差し」だけで生きようとするな、多様性・ダイバーシティーが世の中(社会)では必要であるという、広い視野を持たせることではないかなと思いました。振れ幅の大きい方が、度量が広い人間になる、と。

その他も興味深い事柄を、優しい言葉で話し合っているので、是非お読みください。


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(2016、9、26読了)

2016年11月30日 23:00 | コメント (0)

新・読書日記 2016_174

『テロリストは日本の「何」を見ているのか~無限テロリズムと日本人』(伊勢﨑賢治、幻冬舎新書:2016、10、30)

著者は1957年生まれで、現在は東京外国語大学教授。国連PKO幹部として東ティモール暫定行政府の県知事や、アフガニスタンでは日本政府特別代表として「武装解除」にあたったということで、世界の「紛争の現場」(特にイスラム教の国の)で、実際に紛争の実態を目で見て、肌で感じ、実体験として知っている先生である。「理屈」だけでは解決しない「現場」を経験してきているのは、大いなる強みだ。

そういった現場の目から見て、世界のテロリストたちが「日本」をどのように見ているのかを読み解いていく。この場合の「日本」というのは「安倍政権の日本」ですね。

まず、日本は「原子力発電所」という、狙われたら核爆弾になってしまう物を50か所以上も抱えていること自体が「無防備」であると説く。やっぱりそうか。しかも別にミサイルで狙わなくても、使用済み核燃料を冷やす「冷却装置の電源」を壊せば、それでおしまいなのだ、と。その通り。対策をきちんと取ってもらいたい。(もう取ってると思うけど、より厳重に。)

また、「憲法9条下」でも、既に日本は「参戦」したことがある。「後方支援」だ。これは明らかな「参戦」で、今や一番狙われやすい危険な所であると。

そして日本は、アメリカによって広島・長崎に原爆を落とされた「被爆国」であり、「憲法9条」で「攻撃できない」ということはよく知られているので、アメリカの手下として従っていても「本意ではない」と、イスラム教の国々は受け取ってくれているという。これをうまく利用しない手は無い、と著者は主張する。

紛争地域で一番大切なのは、現地社会との「意思疎通」、つまり「通訳」が大事だ。しかも最も大切なのは、撤退するときに、その雇った通訳の仕事が終っても「お疲れ様」と現地に残すのではなく、一緒に連れて帰る保証をすることだというのだ。そうでないとこの通訳は殺されてしまうのだという。われわれが考えているようなレベルではない、現地の実情を知った人の知恵が、いかに大切であるかが、この一冊でよく分かった。


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(2016、11、9読了)

2016年11月30日 22:25 | コメント (0)

新・読書日記 2016_173

『現代国語例解辞典・第五版』(林巨樹・松井栄一、小学館:2016、11、20)

「国語辞典」なのに「読書」というのも・・・とも思いますが、あえて紹介します。

『三省堂国語辞典』の編纂者・飯間浩明さんがツイッターで紹介・お薦めしていたので、本屋さんで見つけて立ち読みし購入。

普通のページは、そんなに新しい感じはしないんだけど、特長は「コーパス」の活用。

「コ-パス」

というのは(巻末に説明がありますが)、

「電子化された大量の言語資料」

のこと。つまり「言語のビッグデータ」ですね。それを検索して得られた、

「言語使用の実態を反映」

しているという訳。「大量」というのは「1億語」で、さらに現在、構築中のコーパスは、なんと「10億語」なんだそうです。ヒエーッ。それで「外来語のカタカナ表記」や「漢字表記のゆれ」や「漢字の書き分け」などを調べることができるとのこと。

そういった「ゆれ」を含んでいる言葉・約300に関する、

「100字程度のコラムと、使用実態の円グラフ」

が載っているのが、私から言うと「最大の特長」で、それだけのために約3000円出して買ってもいいな、という感じ。3000円って、1回飲みに行くのを我慢すれば、何年も使えるんだし。

さっそく買った次の日の「ミヤネ屋」で「バイ菌」という表記が出て来て、さっそく調べると、この言葉の表記実態は、

「ばい菌> バイキン> バイ菌> 黴菌> ばいきん」

ということが分かったので、テロップ表記を「ばい菌」にしたのでした。役に立つ!!


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(2016、11、23)

2016年11月30日 18:23 | コメント (0)

新・読書日記 2016_172

『トランプ大統領とアメリカの真実』(副島隆彦、日本文芸社:2016、7、10)

トランプが次期大統領に決まった日に本屋さんで見つけた本。つまり、「予言」「予想」していたのだ!この本は7月10日に出ているので、「後出しじゃんけん」ではない。・

著者の本は、以前、佐藤優との対談本を読んだことがある。あまりこの手の本は読まないのだが、まあ、それなら大丈夫かなと思って購入。

5月の段階で、ロックフェラー邸にトランプが行ったという情報を得て、著者は、

「ロックフェラーは、ヒラリーを捨ててトランプに乗り換えた」

と判断して、この本を書いたという。

ふーん。でもなんとなく「陰謀論」的な雰囲気があるんですよ。情報は詳しいですが。それは著者本人も「そう思われるかもしれない」と思っているのか「陰謀論と言われることもあるが、そんなことは無い」と書いている。やっぱり、そう思う人が多いんだ。

それと、自分の事を指して、

「私、副島隆彦は・・・」

都という書き方は、信頼を失うような気がする。もっと客観的に書けばいいのに。

部分部分、詳しい情報は参考になりました。


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(2016、11、14読了)

2016年11月29日 12:11 | コメント (0)

新・読書日記 2016_171

『さらば白人国家アメリカ』(町山智浩、講談社:2016、10、28)

「週刊文春」の連載でおなじみの映画評論家・コラムニストの町山さんのウェブマガジンで2015年12月~2016年8月までに書いたものなどを本にまとめた物。ということで、私は初見です。週刊誌連載よりも「真面目」な内容。おちゃらけ度は、低し。

アメリカ大統領選にターゲットを絞って、各候補者について書かれている。アメリカの状況がよく分かる。

タイトルにもあるように、今「白人」の比率がどんどん減って来ている。かといって「黒人」がすごく増えているわけではない。そう、やはり「ヒスパニック」が物凄い勢いで増えて来ているようなのだ。専門家の分析では、「白人」の支持を受けている共和党からは、今後大統領は出ないと言う。

町山さんの分析も基本はそうで、好きか嫌いかは別にして、今回の大統領選挙も、ヒラリー・クリントンが勝つという予想に思える。

そもそも、共和党内の予備選でもトランプが勝つとは・・・という感じだったが、共和党内でも有力候補がいなかった。いや、いたんだけど、どんどんこけて行った(自滅)。大した候補ではなかった。それで共和党はトランプに乗っ取られてしまった。

そのトランプが共和党の代表に決まった後の8月上旬に、選対本部長が辞任した。ロシアのロビイストに金を渡していたという疑惑。

そんなギリギリに!こりゃもうトランプは駄目だなと誰もが思うであろう。そこで選対本部長になったのが、「デマゴーク・メディア「ブライトバート」を率いる「スティーブン・バノン」。

で、トランプは次期大統領になっちゃった。そして結局この人、そのまま戦略部長か何かで次期大統領スタッフに残ってしまった!本当に大丈夫なんだろうか?

暴言は影を一瞬ひそめているが、根っこが大変な人たちだなあと。アメリカの、ひいては世界の、前途多難さを思わせられる一冊。


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(2016、11、6読了)

2016年11月28日 20:09 | コメント (0)

新・読書日記 2016_170

『アメリカ政治の壁~利益と理念の狭間で』(渡辺将人、岩波新書:2016、8、30)

アメリカ大統領選挙を前に「共和党」と「民主党」という二大政党は、一体何なのか?

それをはっきりと述べた一冊。それはつまり、サブタイトルにあるように「利益」と「理念」であるという。元々は「小さな政府」「キリスト教の道徳」という「理念」を掲げて来た「共和党」が曲がり角に来ていて、同時に「大きな政府」で雇用を創出し、世俗的な利益を求めて来た「民主党」もまた曲がり角に来ていて、ある意味「ねじれ」が生じている状態だと。それはしかし過去にも起こったことだと。いつまでも「利益」と「理念」はそれぞれの党にこびりついているわけではないということが、よく分かった。

「カトリック」の理念と「プロテスタント」の理念も、特に「中絶」問題を巡っては対立するし、自由な貿易と保護貿易も対立するが、そういった視点で、共和党と民主党に真っ二つに分けられるわけでもない。詳しくは、本書を読んでください。


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(2016、10、29読了)

2016年11月28日 15:08 | コメント (0)

新・読書日記 2016_169

『人生はマナーでできている』(髙橋秀実、集英社:2016、4、30)

いつもおもしろい視点で、体験的なエッセイを書く、著者の髙橋さん。今回のテーマは「マナー」だ。マナーとは一体何なのか?それぞれの分野に、どんなマナーがあるのか?不思議なマナーも体験して考えて行くと、実は最もリーズナブルな、そうした方が良いから生み出されたものであるとわかって来る。

「おじぎ」「満員電車」「挨拶」「食べ方」「におい」「会議」「結婚」「レディーファースト」「ダンス」「占い」等。

今回は、いつもよりはキレがないように感じましたが、それでも面白いです。素直に真摯に対象に向かう姿勢の大切さを学びました。


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(2016、11、19読了)

2016年11月28日 12:03 | コメント (0)

新・読書日記 2016_168

『戦後イデオロギーは日本人を幸せにしたか~「戦後70年」幻想論』(古谷経衡、イースト・プレス:2015、8、15)

「日本人を幸せにしたか」という問いがあるのだが、全体的に「そもそも『戦後』という定義は、みんなが思っているようなものなのかどうか?」というところから始まる。昭和20年(1945年)8月15日の敗戦で、きっぱりと「戦前・戦後」に分かれるのではない。社会の仕組みとしては「昭和15年(1940年)」体制が、ずっと続いていると。それは、他の本で読んだことがあるので、それほど目新しくない。

「第二章」の『不完全敗戦論』などは白井聡の「永続敗戦論」と同じだと思う。どうもこのあたりから「アメリカの属国」というのが出てくるような感じ。確かにこの日本の「国のかたち(在り方)」は他国には見られない、世界でもまれな形の体制のように感じる。

そもそも安倍政権の訴える「戦後レジームからの脱却」だが、「戦後レジーム」という形のものはないと否定するのだが、それだけだと、特に何も言ってないのと同じようにも感じるのだが・・・。

読み終えてから、他局のテレビ番組に出ている著者を初めて見て、若い人だとは分かっていたが、まるで「ロック歌手」みたい(特に髪形)で、ビックリしました。


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(2016、11、16読了)

2016年11月26日 12:19 | コメント (0)

新・読書日記 2016_167

現代用語の基礎知識2017』(自由国民社:2016、11、16)

今年も出ました『現代用語の基礎知識』。69年目になるそうです。来年は70周年。今、「紙」で出ている唯一の現代語事典ですが、「70周年」って、ひとつの区切りになるかも・・・

今回は、去年と同じ「真っ白い表紙」に、なんと「くまモン」が大きくあしらわれていてとても目立ちます。「大きい字版」は「赤い表紙」にやはり「くまモン」。最初ちょっと違和感があったけど、ことしは「熊本地震」もあったし、こういうデザインもかわいくていいかな、と。しかもこの表紙、「カバー」になっているんですね。これは、これまでになかったことです。

内容は、天皇陛下の「生前退位」や「安倍政権について」、「相模原の事件」などについての有識者の論文が巻頭に載っていて、私が書いた「日本語事情」や流行語などの分野も、巻頭にところに載っています。ページ数で言うと「2ケタ」のところ。(「日本語事情」は、たった3ページですが、96~98ページに載っています。)

ことしは、ちょうど原稿の締め切りのときに「右目の網膜剥離」で入院してしまったので、2つほどの項目の原稿を病院のベッドの上で手書きで、左眼だけで見て書き、それを息子と妻にパソコンで清書してもらって送るという、綱渡りになってしまいましたが、ちゃんと本が出て良かったです。是非お読みください。

新しい試みとして、昔の「ぴあ」で言うと「はみ見出しぴあ」の所(余白)が、「日めくりメモ(カレンダーメモ)」みたいになっています。これ、白の表紙の普通版では、余白が小さくて目立たないけど、赤い表紙の「大きい文字版」では目立ちます。書き込みやすいのでは?その日付を見てメモを書いて各ページを読むことが出来るという、一石二鳥ですね。おためしを。


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(2016、11、9読みました)

2016年11月25日 17:17 | コメント (0)

新・ことば事情

6206「てっぺん」

『校閲ガール ア・ラ・モード』(宮木あや子、角川書店)を読んでいたら、

「てっぺんをすぎてからは」(65ページ)

という表現が出て来ました。この、

「てっぺん(天辺)」

というのは、

「午前0時=24時」

を意味します。つまり、

「日付けが変わってから」

という意味ですね。テレビ業界やマスコミではよく使う気がするんですが、一般的な言葉なんですかね?

『広辞苑』『明鏡国語辞典』『新明解国語辞典』『精選版日本国語大辞典』『三省堂国語辞典』には、この意味での「てっぺん」は載っていませんでした。もちろん、

「一番上」

という意味では載っていますが。

アナウンサーはこのほかに、

「アナログ時計の文字盤の12の所」

の意味でも使います。

「てっぺんから、送り直し」

と言えば、「時計の秒針」が「12」を指すところから読み直して、VTR素材をネット回線でキー局(日本テレビ)に送ることを言います。

(2016、11、23)

2016年11月25日 10:07 | コメント (0)

新・ことば事情

6205「まるっと」

『校閲ガール ア・ラ・モード』(宮木あや子、角川書店)を読んでいたら、

「添削依頼をまるっと忘れて」(74ページ)

という表現が出て来ました。

また、11月17日に近鉄電車の中で見た「大阪・海遊館」の吊り広告のコピーにも、

「地球をまるっと大冒険」

というように、

「まるっと」

という言葉が出て来ました。この「まるっと」は、ご想像のとおり、

「まるごと」

の意味ですね。私が初めてこの言葉を耳にしたのは、日本テレビの朝の番組『スッキリ!!』の中の新コーナーとして、

「まるっとスッキリ!!」

というのが出て来た時でした。(今は、「情報クリック」になっているみたいですが)。

「『まるっと』なんて言葉、聞いたことがないな」

と思ったものでしたが、このところ、広がりを見せているようですね。なんとなく、

「若者言葉」

のようにに感じますが。

グーグル検索(11月21日)では、

「まるっと」=920万件!!

えー!そんなに使われているの!

トップに出て来たのは「2007年12月14日」の「ヤフー知恵袋」で、

「『まるっと』って何ですか。」

という問い。それに対する答えは、

「全部、まるごとなんかの意味で使います。 岐阜で使われてますが、若い方は使わなくなってますね。 東海地方では一般的な方言です。」

というものでした。そうなんだ、元々は「東海地方の方言」なのか!さらに、

「テレビドラマ『トリック』において仲間由紀恵が使用していたことにより全国的に広まった。」

という記述も。その『トリック』の監督・堤幸彦氏が愛知県出身なんだそうです。見てなかったからなあ、『トリック』。知らなかった。

さらに全国的な広がりとしては、兵庫県・尼崎市の広報誌(季刊)のタイトルに、

「まるっとアマガサキ」

と使われているようです。

この手の言葉をいち早く取り入れる『三省堂国語辞典・第7版』を引いてみると・・・載っていました!2番目の意味で、

*「まるっと」=②まるごと。全部。(例)まるっとお伝えします

あ、これは「まるっとスッキリ!!」を見たから、入れたんじゃないかな?『三国』の「第7版」は「2014年1月」刊行ですから(実際は2013年の12月頃に出ている)、その頃に採用されたのではないかと想像しますが、その後も広がりを見せていますね。

(2016、11、21)

2016年11月24日 18:05 | コメント (0)

新・ことば事情

6204「酒林杉玉2」

「平成ことば事情5901酒林・杉玉」でも書きましたが、今回は、

「杉玉」

の読み方についてです。

2016年11月14日のNHKお昼のニュース(関西ローカル)の奈良放送局からのニュースで、大神(おおみわ)神社で「酒造り」のお祭りが行われたとのこと。なんでも「酒造り」が始まったのは、奈良・三輪地区(=酒造り発祥の地)なので、毎年11月14日は、その三輪にある「大神神社」に杉玉を奉納するのだそうです。

今西酒造のHPによると、

http://imanishisyuzou.com/history-miwa.html

「大神(おおみわ)神社」は日本最古の神社で、本殿を持たず、「三輪山」をご神体として祀っている神社だそうです。その「三輪山」は、古来、

「三諸山(みむろやま)」

と呼ばれるのですが、その「みむろ」とは、

「みむろ・・実醪=酒のもと」

の意味で、「酒の神様」としての信仰からの呼び名であるとも言われているそうです。

そういえば、映画「君の名は。」で、巫女さんを務める主人公がクチャクチャ噛んでお酒にする、

「口噛み酒」

というのが出て来ましたが、

「噛み=神」

につながるのかもしれませんね。

「大神神社」は「酒の神様」を祭っているので、毎年11月14日には全国から、蔵元・杜氏が集まり、

「醸造祈願祭(酒まつり)」

が行われ、多くの参拝客・観光客でにぎわいます。また、祭りの後には全国の蔵元へ『杉玉』が配られていくのだそうです。

この「杉玉」を、奈良放送局の男性アナウンサーは、

「すぎたま」

と『濁らずに』読んでいたのですが、違和感がありました。普通は『濁って』、

「すぎだま」

なのではないでしょうか?『広辞苑』でも、濁った「すぎだま」が空見出しで「『酒林』を見よ」になっていますが、濁らない「すぎたま」は載っていません。

しかし、ネット検索をしていると、全国の酒蔵の軒先にぶら下がっている「杉玉」は、この大神神社から頂いたものなのだそうです。(でも、京都でも作ってたよな、この前。)

というか、神様からもらうということで、もしかしたらこの「杉玉」の「玉」は、

「たましい(魂)」

につながるので、濁らずに、

「すぎたま」

と呼ぶのかもしれません。でも「魂」でも、

「○○だましい」

と濁ることもありますね。「魂」だからって連濁しないわけでもないと。だから、

「すぎだま」「すぎたま」

両方の読み方があるのかもしれません。

(2016、11、14)

2016年11月24日 11:53 | コメント (0)

新・ことば事情

6203「イヴァンカか?イバンカか?」

米・トランプ次期大統領の「長女の名前」のカタカナ表記が、放送では、

「イヴァンカ」「イバンカ」

の両方あり、揺れています。「ミヤネ屋」でも、以前は、

「イバンカ」

にしましたが、当選後の先週金曜は、

「イヴァンカ」

にしました。

きのう(11月13日)の朝刊は「読売・朝日・毎日・産経・日経」全て、

「イバンカ」

で統一されていました。

日本テレビ報道・外報に問い合わせてもらったところ、

「両方使われていますが、今後は、『イバンカ』で統一します」

ということになったそうです。

それに伴い、トランプ氏の元妻(イバンカさんの産みの母)の名前も、

×「イヴァナ」→○「イバナ」

ということです。グーグル検索では(11月14日)、

「イヴァンカ・トランプ」=141万0000件

「イバンカ・トランプ」 =     789件

「イヴァンカ」=609万0000件

「イバンカ」 =  3万8800件

と、圧倒的に「イヴァンカ」なのですが・・・。

(2016、11、14)

2016年11月23日 18:37 | コメント (0)

新・ことば事情

6202「憂える」

トランプ次期大統領が決定したことを受けて、放送の準備をしていた「ミヤネ屋」のディレクターからの質問です。

「『憂う』という言葉なんですか、自分が"過去にしてきたこと"に関して使えますかね?」

「うーん、ちょっと調べてみるわ」

と言って辞書を引きました。すると「憂う」は「文語」で、「現代語」では、

「憂える」

と、微妙に形が違います。そして「憂える」は、やはり、

「将来のことに対して心配する」

という意味でしたので、「過去のこと」について使うのはどうかな。

「悔やむ」「後悔する」

のほうが妥当だろうねと、そのディレクターには答えました。

しかし実は、同じ「うれえる」でも、

「愁える」

の場合は、「過去のことに対して」使えるのです。言葉って本当に難しいですね。

(2016、11、10)

2016年11月22日 17:16 | コメント (0)

新・ことば事情

6199「しかない」

行きつけのスペイン・バルに久々に行ったら、マスタ-が、

「道浦さんに言葉の質問をしようと、メモしておいたんですよ」

と言って、スマホにメモした「その言葉」の質問をしてきました

「子どもを虐待した事件か何かに対する、ツイッターのコメントで『責任は親にしかない』というのを見たんですけど、これって意味は『責任は親に"ある"』ということですよね。それなのに"ない"という表現は何でなんでしょうか?」

というものでした。あ、なるほど。

問題は「しか」ですよね。これは「強調」の言葉で、しかも

「しか~ない」

という「呼応」の形がありますね。例えば、

「ここにしかない」

というのは「ある」。「ない」と言いながら「ある」ということですね。「ある」ことの強調ですが、その「ある」というのは、

「ここだけに"ある"」

ということで、

「他には"ない"」

ということです。そんなこと、普段は考えずに話していますが。

考え出すと、言葉って難しいですねえ。

(2016、11、10)

2016年11月21日 18:15 | コメント (0)

新・ことば事情

6201「掛け声の『だいとうりょう』」

アメリカ大統領選挙、思いもかけず、トランプ氏の勝利。これからどうなるんでしょうかね・・・。

ところで、よく掛け声で、

「ヨッ、だいとうりょう!」

というのを耳にしますが、この「だいとうりょう」は漢字で書くと、何の抵抗もなく、

「大統領」

と思っていましたが、いつの頃からか、

「『江戸時代』にも、この掛け声はあったのか?それとも、アメリカと交渉を持つようになった『幕末から明治にかけて』生まれたものなのか?」

ということが気になっていました。そして先日、ふと、

「もしかしたら『大統領』ではなく、『大棟梁』もしくは『大頭領』ではないか?」

と思ったのです。

そこで、歌舞伎に詳しい作家の中川右介さんに伺ってみました。するとこんな答えが。

「いえ、『大統領』です。二代目・市川左團次に対する掛け声が起源です。」

そうだったのか!

調べてみるとその「二代目・市川左團次」という人は、1884年(明治17年)生まれで1940年(昭和15年)死去。55歳か。「明治・大正・昭和」ということは「大統領」という言葉も、もう普通に使われていた時代でしょうね。

しかもこのも人は、1906年(明治39年)にはヨーロッパへ9か月間も視察旅行にも行き、1928年(昭和3年)には、史上初の歌舞伎海外公演を「ソ連」で行ったといいます。

そういった「海外通」のところも「大統領!」という掛け声を掛けられるようになった一因なのかもしれませんね。

(2016,11、9)

2016年11月22日 09:14 | コメント (0)

新・ことば事情

6200「ヒスパニックとラティーノ」

民主党のヒラリー・クリントン氏と、共和党のドナルド・トランプ氏のアメリカ大統領選挙の討論会で、トランプ氏が主張する、

「不法移民が入って来られないように、メキシコとの国境に、メキシコの費用負担で壁を造る」

という荒唐無稽な案に関して、10月19日の日本テレビのニュースで、

「ヒスパニック層」

という言葉が出て来ました。この、

「ヒスパニック」

という言葉、最近は「別の表現」になっているのではないか?と思ってネット検索をかけてみたら、10年前の記載がトップに出て来ました。2006年5月17日の「教えて!goo」です。そこには、

「『ヒスパニック』という呼び名はどうして生まれたのか?辞書には『蔑みの意味』があると書いてあったが・・・」

というような質問が。それに対する「ベストアンサー」は、

「『ヒスパニック』(hispanic)は、アメリカの人口統計上の専門用語として使われだした比較的歴史の浅い言葉。戦後、メキシコ以外の中南米からの移民(不法移民も含む)が増えるに従い、新しいネーミングが必要となり中南米人を指す『ラティーノ(latino)』が使われたこともある。しかしこれは、古くから米・南西部にいるスペイン人の子孫が納得せず、最終的に『ヒスパニック』が採用されたようだ。」

また、「アメリカ在住37年」の人からは、こんな意見も。

「『ヒスパニック』は元々スペイン系、スペイン語をしゃべるということだが、スペイン系でなくても、スペイン語を話す中南米系を示すようになっている。しかし、中南米系として『ラティーノ』という表現の方が、人種背景からすると正しい表現で、彼ら自身も『ラティーノ』と呼ばれる方が、誇りを持って感じるようだ。もうひとつ、中南米系の中の、特にメキシコから来たということで『チカーノ(Chicano)』という表現があり、他の『ラティーノ』と区別してよく使われる。」

そもそも「ヒスパニック」は、「スペイン」を表すスペイン語「エスパーニャ」が、

「イスパーニャ」→「ヒスパーニャ」

となって、それが英語の形容詞で「ヒスパニック」となったのでしょう。だから、

「スペイン語を話す人」

という意味だったのでしょうが、その後、同じように「スペイン語を話す人たち」の中で、

「俺達の起源は『ラテン系民族』なので『ラティーノ』だ」

という「区別する言い方」が出て来たようですが、一般的に日本で使うには、

「ヒスパニック」

は「一般的な言葉」で、特に問題は無いと思いました。

(2016、11、9)

2016年11月21日 23:13 | コメント (0)

新・ことば事情

6198「習作」

ことしの夏、京都市立美術館に「ダリ展」を見に行った時のこと。

「作品の説明書き」を読んでいた若い女の子2人の会話が、耳に入りました。

「『習作』って何?」

「誰かの絵を見て、描いてるんと違う」

「ふーん」

・・・違うって!誰かの絵を見て真似て書くのは、

「模写」

でしょ!「習作」というのは、

「練習作」

のことだろ!

と思わず口から出そうになりましたが、美術館の中で、知り合いでもない他人に対して、それは、あまりにもおせっかい。ヘンなおじさんんに思われてしまうので黙っていました。

その代わりに、ヘンなことを思い浮かべてしましました。

一生、「練習の作品」を書いていた作家は、

「遠藤周作」

なんちゃって。シューサク・・・。

しかし、「本当に、それで合っているのかな?」と不安になったので、家に帰ってから辞書(『広辞苑』)を引きました。

*「習作=絵画・彫刻・音楽・文学などで、練習のためにつくった作品。エチュード。」

合ってた!良かった。そうか「習作」は英語で言うと、

「エチュード」

なのか。それは知らなかった。「エチュード」とう言葉は知っていましたが。主に、

「クラシック音楽のタイトル」

で出て来ますね。何事も勉強になるな。

ちなみに、その女の子2人は、

「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ」

というバレエ団の、「狂えるトリスタン」の舞台芸術を「ダリ」が担当したという説明文を読んで、

「これって、男の人が変な格好して、バレエ踊るヤツやろ。」

とも話していました。違うってば!それは、

「トロ・カデロ・デ・モンテカルロバレエ団」

のことや!!微妙にずれています。残念!

(2016、11、9)

2016年11月21日 12:10 | コメント (0)

新・読書日記 2016_166

『現代の超克~本当の「読む」を取り戻す』(中島岳志・若松英輔、ミシマ社:2014、8、28)

タイトルも難しいが、内容も難しい。もう、わけわからない所は飛ばし読みして、わかりそうなところが出て来たらちゃんと読むという手法で(?)、何とか読み終えました。最近はニュース番組でコメンテーターとしてもよく顔をも見る中島さんだが、若松さんと考え方が合うという。これ「対談」だけどなんか「往復書簡」のような感じで、本当に会って話しているのかどうか、わかりにくい。「若松=W」「中島=N」とかって書いてあるけど、一人の話が長すぎるし、途中から「W」「N」ではなく「若松」「中島」になってるし・・・何なの?

印象に残ったのは、「スワラージ運動」のガンジーの話。「スワラージ運動」の「スワ」は「自ら」、「ラージ」は「統治」の意味だそうだが、そのガンジーの「塩の行進」の話(73ページから76ページ)。

ある日ガンジーは、

「自分は海岸まで歩いて行き、『塩』を作りたいと思う」

と答えて、数百キロ離れた海岸へ向かって歩き出します。当時「塩」はイギリスが専売制を取っていたが、とにかくガンジーは歩き出した。炎天下に歩くという「行」が大事だと。すると多くのインド人が、ガンジーに付いて歩き出したというのです。

「歩く」という日常から連続している行為と、「塩を作る」という日常の延長にある行為を結びつける。庶民の日常の延長にある、天からの恵みの「塩」を、なぜ「イギリスが独占」しているのか?という「イギリス統治のいびつさ」を訴える行為になったというのですね。ふーん。

でも「塩」は、それほど大事なんだということもわかりました。

「給料」の意味の「サラリー」も、語源は「塩」ですしね

こんなところで。


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(2016、10、18読了)

2016年11月22日 11:39 | コメント (0)

新・読書日記 2016_165

『男のおばあさん』(永六輔、大和書房【だいわ文庫】:2016、8、25)

7月7日に亡くなった永六輔さん。早速、「追悼」と銘打った本が出ている。

これまでも、あの大ベストセラー『大往生』をはじめとして何冊も永さんの本は読んでいるが、どれも短いエピソード。

タイトルは「男」で年を取ったから普通は「おじいさん」だけど、そうではなくて、話好き・人と関わるのが好き・好奇心満載の「おばあさん」的な永さんなので、「男のおばあさん」。昔の鶴瓶さんのラジオ番組『ぬかるみの世界』で、「おじん・おばん」論争があったが、男でも「おばん」がいるんですよ、心情・性格としては。それが年を取ったから「おばあさん」。よく分かります。

全国を"取材旅"している永さんならではの「市井の人々」の面白い話、深い話、感動する話が満載。もしかしたら、実話ばかりではないのかもしれないが、まるでお坊さんの説法を聞いているよう・・・。あ、元々永さんは、お寺の家の人か。さすがです。南無阿弥陀仏。


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(2016、9、28読了)

2016年11月21日 21:36 | コメント (0)

新・読書日記 2016_164

『明るい話は深く、重い話は軽く』(永六輔、光文社 知恵の森文庫:2003、9、15第1刷・2016、8、5第4刷)

7月7日に亡くなった永六輔さんのTBSのラジオ番組を基に、書き下ろされたもの。

タイトルで思い出すのは、井上ひさしさんの、

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」

という言葉だが、井上さんとのお付き合いも当然あったと思うし、向こう(=天国)へ行ってお付き合いもあるだろう。しかし、永さんは永さんで、独自にこういった境地にたどり着いたのではないか。

ここで語られたエピソードは、どれも短い。それぞれは「へえー」「ふーん」という軽い感じですが、これが積み重なることで、何か見えて来るものがあるはず。それが大事。


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(2016、10、9読了)

2016年11月21日 16:34 | コメント (0)

新・読書日記 2016_163

『校閲ガール トルネード』(宮木あや子、角川書店:2016、10、27)

『校閲ガール』3部作(?)の最終巻。もう、なんか「校閲ガール」ではなくなってしまう主人公。まさに彼女の身の上に「トルネード」が起きるのである。もう「校閲ガール」というタイトルは内容に偽りがあるともいえるが、「トルネード」なら、まあそうかなという感じで、こういった「お仕事もの」の小説って、なかなか1つのテーマでずっと続けて行くのは、結構難しいのかな。やはりそこから派生していくんだなというようにも感じた。「トルネード」で思い出すのは「野茂投手」ですけどね。野球は全く関係ありませんでした。


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(2016、11、12読了)

2016年11月21日 11:32 | コメント (0)

新・読書日記 2016_162

『校閲ガール ア・ラ・モード』(宮木あや子、角川書店:2015、12、29第1刷・2016、10、9第2刷)

現在、日本テレビ系列で「水曜夜10時」から放送している『地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子』の原作本。1作目の本は読んだが、第2作、第3作が出ていることを知り、すぐに本屋さんに注文、とりあえず第2作の本書を読んだ。

第1作は、「主人公・河野悦子」がもちろん主役だが、この『ア・ラ・モード』はいわば「スピンオフ」版。河野悦子の「周囲の人物」が主人公。どういった人々に囲まれているか、ということがわかり、面白い。いろんな周囲の人を取り上げているから「ア・ラ・モード」か。なるほど。多少ドラマでは役柄の設定を変更している部分もある。河野悦子が憧れるファッション雑誌「Lassy」の編集者・森尾は、原作の小説では「同級生」だが、ドラマでは「後輩」。またドラマでは「校閲部の先輩」である藤岩さんは、「同期入社で文芸部の編集者」として、小説では描かれている。

なお、ドラマでは、この第2作も「原作」として脚本が書かれているようだ。


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(2016、11、9読了)

2016年11月15日 17:57 | コメント (0)

新・読書日記 2016_161

『未到 奇跡の一年』(岡崎慎司、ベスト新書:2016、6、20)

昨シーズン、イングランド・プレミアリーグの「レスターシティー」に移籍し、その1年目に、何とチーム始まって以来(100年以上たっている!)の初優勝を果たした岡崎慎司選手の本。長年、ドイツのブンデスリーガでプレーし、「ストライカー」としてヨーロッパでも地位を築いていた彼が、本当に憧れていたのは、当たりが強い「プレミアリーグ」。夢が叶った中で、「試合に出ること」を目標に頑張り、「チームへの貢献」を考えてプレーしていたところ、なかなか満足のゆく結果を出せなかったが、「点を取ること」「考え込まないで動くこと」を心がけてチームに溶け込んでいく様子などが、包み隠さず記されていて、大変興味深い。今シーズンも是非、更なる高みを目指して、また日本代表としても頑張って欲しい!


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(2016、11、7読了)

2016年11月15日 12:46 | コメント (0)

新・読書日記 2016_160

『急いてはいけない~加速する時代の「知性」とは』(イビチャ・オシム、ベスト新書:2016、9、20)

サッカーの元日本代表監督、イビチャ・オシム氏。スポーツの監督で、監督を辞めてからも解説者などをする人は多いが、そのスポーツをベースにて「人生観」などを説く、あるいは求められる人はそれほど多くない。オシム氏は、そんな稀有な人物である。「哲学」を持って生きて来た。ユーゴスラビアで内戦という経験は、彼に「人の生き方」について考えさせたはずだ。サッカーも「生き方の一つにすぎない」と、周囲に思わせるような生き方なのだろうと思う。

タイトルの「急いてはいけない」というのも、なんだか「神の啓示」のようではないか!「哲学」というか「人生論」として、この本は読むべきなのだろうな。

サブタイトルの「加速する時代の『知性』とは」はよくわかる。オシムは「知性」の人だ。「加速する時代」は「知性」を求めない、「反知性」が主流である。それはアメリカ大統領選挙の結果を見てもわかるだろう。だからこそ「知性」なのだ。だからこそ、オシムなのだろう。いくつか抜き書きする。

*「嫌われ者がいても、爪はじきにすべきではない。というのも嫌われ者とは、報復主義者であるからだ」(89ページ)

*「クライフを知ること、すなわち歴史を辿ることが助けとなる。歴史が実現したことは、現在に生きる我々に大きな勇気を与える」(106ページ)

*「ジャーナリストはものごとを的確に判断し、正しく評価をして欲しい。不用意に騒ぎ立てることなく、不当に誰かを傷つけるようなことはせずに、優れた文章で表現して欲しい」(197ページ)

なんか宮澤賢治のようだ。

また、

「今日、あなた方は少し急かされている」

として例に挙げたのが「学校で子どもが2000字も漢字を覚えなきゃいけない」ということ。アインシュタインでも無理、と書いているが、これは・・・昔からそうなんだけどな。

「ベスト新書」はスポーツ関係の書物が多い気がする。この後読んだサッカーの岡崎慎司の『未到』もベスト新書だ。


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(2016、10、30読了)

2016年11月14日 17:43 | コメント (0)

新・読書日記 2016_159

『おとなの教養~私たちはどこから来て、どこへ行くのか?』(池上彰、NHK出版新書:2014、4、10第1刷・2015、1、20第13刷)

子どもだけでなく「おとな」こそ、勉強すべきである。毎日が勉強だ!世の中のことを知ることで、生活も、人生も変わるのである。

個人的にはそう思うけど、忙しくてなかなか時間も無いし、飲みにも行きたいし・・・。だけど、時間は作るものです!ということで読みました。こんなにわかりやすく世の中のことを教えてくれる先生は、なかなか、いないですよ!

池上さんは忙しい中、現在は東京工業大学(ノーベル賞の大隅先生のいらっしゃる大学です!)で先生として、学生に教えているそうですが、それを、キャンパスに通わなくても授業料を払わなくても、この本を読めばそのエッセンスが学べるというんですから「780円+税」は安いもんでしょう?

興味の分野は「私たちはどこから来て、どこへ行くのか?」「宗教」「宇宙」「人類の旅路」「人間と病気」「経済学」「歴史」「日本と日本人」という、正に社会人の「必須科目」といった分類で、大変勉強になりました!!


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(2016、10、16読了)

2016年11月14日 12:05 | コメント (0)

新・読書日記 2016_158

『部落解放同盟糾弾史~メディアと差別表現』(小林健治、ちくま新書:2015、6、10)

去年、出た時に読んでだのですが、またちょっと、勉強で確認のために読み直しました。「糾弾史」とあるだけあって、いろいろな事例がコンパクトにまとまっていて、大変勉強になりました。皆さん、この業界の人は、読んでおくべき本ですよ。


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(2016、10、16読了)

2016年11月13日 12:04 | コメント (0)

新・読書日記 2016_157

『バカざんまい』(中川淳一郎、新潮新書:2016、9、20)

昔、「世の中、バカばっかりで疲れません?」というCMが「差別的だ」として放送中止になったことがあったが、これも刺激的なタイトル。そんなに「バカばっかり」溢れているのか?この世の中。著者・中川淳一郎さんならではの、少し「あまのじゃくな視点」で、いろんなバカを紹介してくれる「バカ・ワールド」。「ざんまい(三昧)」って楽しんじゃっているのか?

「社会編」「ネット編」「生活編」「会社編」「発言編」「スポーツ編」「インターナショナル編」など8章に分類されたバカたち。そのトップバッターは「コメンテーター編」だというのは、いかに「ワイドショ」が世の中に浸透し、また批判的に見られているのかということをよく表しており、「ニュースワイド番組」を生業としている私としては、真摯に受け止めたいと思いました。それが「世相」というものですね。


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(2016、10、11読了)

2016年11月12日 19:03 | コメント (0)

新・読書日記 2016_155

『日本シリーズ全データ分析』(小野俊哉、ちくま新書:2009、10、10)

もう7年前の本だけど、エキスは勉強になると思って、今年の日本シリーズの最中に読みました。読み終わったら、日本シリーズが終わりました。

なぜか本棚に、読んでいない「ちくま新書」が並んでいて、それが全部「2009年」に出た物。なぜだろう?買ったけどまだ読んでいないのは。「タイトル」は面白いけど、中身は読みにくかったのか?

この本は、ことごとく「データ」で、日本シリーズの試合・チーム・選手を見ていくという「マネーボール」的な視点が面白い。

よく日本シリーズは「第2戦が大事」と言われるが、それは西武の「森祗晶監督」の場合で、それ以外の人では、実は「第4戦」を取ることが重要だとか、ホホウという内容も。

大変勉強になった。

ひとつ、誤植を見つけた。124ページに三原脩が「高知県の旧制高松中学の出身」とあるが、これは「香川県」ですよね。「高松」の「高」につられての間違いか?


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(2016、10、29読了)

2016年11月12日 12:02 | コメント (0)

新・読書日記 2016_156

『本当に偉いのか~あまのじゃく偉人伝』(小谷野敦、新潮新書:2016、10、20)

サブタイトルにもあるように「あまのじゃく」な著者が、「偉人」とされる人たち「54人」を、タイトルのまんま「本当に偉いのか」、今の基準・目線で斬って行くというもの。そのほか「評価保留」の人が「14人」。「まえがき」を読むと「しかし、それだけだと嫌な感じの本になる」ので「本当は偉い(と、著者が思う)人(20人)についても書く」というあたりが、著者の少し気の弱さのような、ペーソスのようなものを感じさせて笑いを誘う。そしてこの部分が、実は著者の考え(好み)をしっかりと反映させている部分だと思う。この本は、ある意味「偉人伝」なので、ここに登場する「偉人」を知らない人にとっては「伝記」を読むような感じで読めて、勉強になると思う。先日、若いADに「『小泉八雲』って知ってる?」と聞いたら知らなかったので、これでちょっと勉強しなさい。

なんか、「偉い」という言葉がタイトルに入った本を、続けて読んだな。たまたまだけど。


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(2016、10、30読了)

2016年11月11日 20:00 | コメント (0)

新・読書日記 2016_154

『偉くない「私」が一番自由』(米原万里:佐藤優・編、文春文庫:2016、4、10)

ロシア語通訳で作家の米原万里さんが亡くなって、早くも今年で10年。没後10年を記念して編まれた「アンソロジー」だ。編んだのは、佐藤優さん。ロシア駐在の外交官だったが、鈴木宗男さんがらみの国策捜査で捕まって作家に転身。今や「日本を代表する頭脳」と言っても過言ではないだろう。「ロシア語」を媒介して生前から米原さんと交流のあった佐藤さんが、ロシア料理のフルコースのように、米原さんの作品から選りすぐりのものを上手に並べた。中でも、米原さんの東京外国語大学の「卒業論文」が全文収録されているのがミソ。タイトルは、

「ニコライ・アレクセーヴィッチ・ネクラーソフの生涯」

「ネクラーソフ」なんて「根暗」そう!実在の人物なの?と、ついつい(米原さんのことだから)騙された感があるが、実在の人物だそうだ。

あとがきを読むと、佐藤さんが捕まる前日に、米原さんから、

「これから話したいことがある。出て来られないか」

と電話があったそうだ。それだけ、佐藤さんの身の上を心配していたんですね。そういう裏話は貴重ですね。


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(2016、11、2読了)

2016年11月11日 17:19 | コメント (0)

新・読書日記 2016_153

『酒(しゅ)にまじわれば』(なぎら健壱、文春文庫:2010、12、10第1刷・2014、3、20第8刷)

タイトルは当然「朱に交われば赤くなる」のモジリだな。「朱=酒=シュ」、なるほど。交わりますか。交わるんですね、なぎらさんは。なぎらさんが好きな居酒屋は、

「すがれた、年月を感じさせる店」

この「すがれた」という言葉は聞き慣れませんが、この本ではちょくちょく出て来ます。うーん、どう言えばいいんだろ、「すさんだ」ではないな、「わびさび」「粋(いき・すい)」な感じとでも言うんでしょうか、人間味あふれる感じでしょうかねえ。下町風情が漂う、そんな面白くも味わい深いお店、お酒の席での人間、お店も、そのお店の人の感じ、いや、とんでもない店も出て来るんですが、それもまた「味」として楽しめるゆとり。見習いたいです、ハイ。


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(2016、10、28読了)

2016年11月11日 10:17 | コメント (0)

新・読書日記 2016_152

『校閲ガール』(宮木あや子、角川文庫:2016、8、25初版、2016、9、30第3刷)

2014年でしたっけ、単行本が出た時に読んで、「辞書編纂者の様子を書いた、三浦しをんの『舟を編む』に似た感じで、今度は『校閲』にスポットが当たったのか、おもしろいな」と思っていたら、この秋、日本テレビで石原さとみさん主演でドラマ化!これがなかなか、おもしろい!数字(視聴率)もまずまず。

また読んでみようと、2年前に読んだ本を捜したが見つからない!仕方がないので、文庫化されていたものを購入して、読み直しました。もう、内容は忘れていました・・・。

また、続編(「ア・ラ・モード」と「トルネード」)も出ているということにも気付いて、購入しました。読むのが楽しみ!


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(2016、10、30読了)

2016年11月10日 22:16 | コメント (0)

新・読書日記 2016_151

『すぐ感情的になる人』(片山珠美、PHP新書:2016、9、29)

タイトルを読んで「はい!私です!」と手を挙げたくらい。読めねばなるまい。

著者の片田さんも実は「すぐ感情的になる人」なんだそうだ。そりゃあ、精神科医として日々診察に当たっていたら、そっちの方がストレス溜まりますよね。だからと言って、怒る訳にも行かないし。

本書では具体的な事例を引きながら、感情的にならずにはいられない人はどんな人か、なぜ、そういう人が生まれるのか?(環境)、それは、もしかしたら病気なのかもしれない(気質)、そして、すぐ感情的な人を生み出す社会的な環境について、特にこの中で「すぐに正義を振りかざして攻撃する人の怒りの正体」は、思い当たるところがあるので、きっちりと読んだ。当事者でもないのに「けしからん!」と怒る心の底には「羨望」があるそうだ。そうなのか。

周囲の制止を受け止められなくて怒りっぽくなる人は、精神医学では「易怒性」と呼ぶそうだ。そのまんまのネーミングやな。私なんか家族から、しょっちゅう、

「沸点が低い」

と言われる。

「そうや、低いよ、50℃ぐらいかな」

と言ったら、小学生の娘が、

「うううん、20℃ぐらい」

「・・・そんなに低いわけないやろ!」

と、また怒るのだった。

また、ラ・ロシュフコーの言葉が、随所に出て来る。

「狂気を癒やす方法は見つかるが、根性曲がりを矯正する方法は、まったく見つからない」

そうですか。

で、最終章には「処方箋」として「うまく怒る方法」が記されているので、これは利用したい。「厄介な感情はなくならない」のだから、やはりどこかで「噴火はする」わけですよね。問題は、その「噴火の仕方」なんですよね。「自分の感情を書き留める」「相手にも感情がある」「幸福こそ最大の復讐」というようなキーワードが。参考になりました。


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(2016、10、9読了)

2016年11月10日 18:15 | コメント (0)

新・読書日記 (2016、9、30読了)

『ダーリンは70歳』(西原理恵子、小学館:2016、1、25第1刷・2016、5、1第4刷)

この本の「スピンオフ」本(『ダーリンは70歳・高須帝国の逆襲』)を5月27日ごろ発売と「帯」に書いてあるが、この本が「差別的表現」を理由に「回収」になったというニュースは聞いていた。普段は行かない本屋さんで見つけたので、

「すわ、回収漏れか!」

と思って買ってしまったら、「元本」でした。(スピンオフの物ではありませんでした)

ほとんど、『ビッグコミック・スペリオール』(だっけ)の連載時に読んでいたものばかりでした。


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2016_150

2016年11月10日 14:59 | コメント (0)

新・読書日記 2016_149

『ゴル語録~命を磨くための50の言葉』(ゴルゴ松本、文藝春秋:2016、10、15)

お笑いコンビ「TIM」のメンバー、ゴルゴ松本の著書。ゴルゴ松本と言えば、体で「漢字」を表現する(「命」とか)ギャグが売り物だが、その研究をするうちに「漢字」の世界にはまっていって、本を出すまでに。初めて出した前著は、ベストセラーだったそうですが、読んでいません。今回は『三省堂国語辞典』編纂者の飯間浩明さんが、この本の出版記念の会に出たというので、興味を持って購入。うーん、しかし、「語源説」というか「漢字の成り立ち」の説について、これで勉強しようとは思いませんね。ゴルゴさんが一生懸命に勉強して、漢字に興味を持ったことは素晴らしいけど、金八先生の「『人』という字は、互いに支え合っているんだ!」的な説明に「そうなのか!」とは思わないので・・・。


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(2016、10、27読了)

2016年11月10日 11:16 | コメント (0)

新・読書日記 2016_148

『月9(げつく)~101のラブストーリ』(中川右介、幻冬舎新書:2016、10、30)

「月9」は「げつく」あるいは「げっく」と読む。「月曜・夜9時から」のフジテレビのドラマを指す。始まった(1987年)当初は「トレンディードラマ」と呼ばれた時期もあった。バブルの頃だ。その当初から現在に至るまでの「一覧表」が巻末に載っているので、まず、そこを見る。な、なつかしい。時代を想起させるドラマのタイトル、脚本家、出演俳優・女優たちの名前がズラリ。

この本では1987年から1996年の「ロングバケーション」まで39作品について書かれている。まさに「フジテレビ興隆期のクロニクル」である。

しかし、実を言うとそのほとんどを、私は見たことが無い。見たことが無いのに知っているというぐらい、みんな見ていた、と。最高視聴率が30%を超える(あるいは、平均視聴率が20%を超える)ということは、そういうことである。

リアルタイムではないのだが、後からビデオを借りて全部見たのは、この本の最後に出て来る「ロンバケ」こと、「ロングバケーション」。キムタクこと木村拓哉と山口智子が主人公である。なぜ見たか?と言うと、今から9年ほど前に、仕事で山口智子さんのトークショーの司会をすることになったから。これは見ておかなきゃ、ということだったが、見出したらハマってしまいましたね。

また、ドラマは見ていなかったが「主題歌」は知っているという曲は、たくさんあった。

「ラブ・ストーリーは突然に」「SAY YES」「君がいるだけで」・・・まさに時代を象徴するような曲の数々だ。

ドラマについてのみならず、当時の政治の流れもちょいちょい顔を出す。また、ドラマの中の小道具としての「電話」にも触れている。私も「ロングバケーション」を見た時に「あ!ケータイが無い」と思ったのだが、これらのドラマは「携帯電話のない時代」の物語でもあるのだ。だから「留守電に入れた伝言」を聞いていなくて「すれ違い」とか、そういうシチュエーションがあったのである。若い人は知らんでしょうなあ。

あと、丙午(ひのえうま)の「1966年生まれ」の人の絶対数は少ないはずだが、この年の生まれの「月9女優」は、三田寛子、小泉今日子、斉藤由貴、鈴木保奈美、森尾由美、安田成美、伊藤かずえ、財前直見、江角マキコなど錚々(そうそう)たるもので、人数も多いと書かれている。たしかに・・・。

著者の中川さんが「この本で書きたかったこと」は、「時代のヒロイン=W浅野から鈴木保奈美、中山美穂へと移行する女優の世代交代」「木村拓哉が時代のヒーローになっていくサクセスストーリー」「作家主義からプロデューサーシステムへ、さらに脚本家の時代へ移り変わるテレビドラマ発展史」「フジテレビという企業の盛衰」の4つだという。

その途中に、中川さんのピリリとした、あるいはクスッと笑わせるような短いコメントが織り込まれていく。東京都知事に小池百合子が当選したことや、SMAP解散といった最新ニュースも、しっかり書き込まれている。1988年「君の瞳をタイホする!」に、当時20歳の蓮舫が、婦人警官役で出演している、なんていう情報も。これ、ビデオやDVDなどでしっかり確認しないとわからないことだろう。また、「のちのち、何かの役に立つだろう」と、1983年の創刊から20年間購入し、捨てずに取っておいたというテレビ番組雑誌『ザ・テレビジョン』が、今回大いに役に立ったという。

470ページにも及ぶ分厚さで、正直言って300ページぐらいまで読んだところで、

「どこまで読んでも、終わらない感じ」がしたが、「読んで」そうなら、「書いて」いた中川さんは、

「一体これは、いつ書き終えることができるのだろうか?」

と不安になったのではないかなあ・・・とも思った。

それにしても、こんなにも内容の濃い「月9」を見ずに、当時私は一体何をしていたのだろうか。あ、でも「東京ラブストーリー」も「同・級・生」も「age35」も見ていなかったが、これら柴門ふみの原作漫画は、当時リアルタイムで読んでいた。「ツイン・ピークス」や「羊たちの沈黙」などの洋画も見ていた。そっちだったか。

"テレビマン必読の書"である。

ただ、増刷がかかる前に、ぜひ誤植は直してほしい。

26・50・97・134・202・375ページに出て来る、「○○役をつとめる」という意味での「つとめる」は、全て、

×「勤める」→○「務める」

だと思う。それと79ページ、東京・六本木で照明の落下事故があったディスコの名前は、

×「トゥーリラ」→○「トゥーリア」

ですね。ああ、懐かしい。行ったこと、ないけど。

(追記・訂正)

上に「誤植」として、

×「勤める」→○「務める」

と書きましたが、著者の中川右介さんから連絡があり、

「歌舞伎の世界では『勤める』と表記するのです」

とご指摘がありました。そうだったのか!知りませんでした。

私もちょっと、あまりにも何回も(6回)出て来るので、「見逃し」とも思えず、ちょっと「おかしいな。わざとかな?」とは感じてはいたのですが。やはり「わざと。あえて」使っていたのですね。新聞や放送のニュースだと「役をつとめる」はぜんぶ「務める」に直すところですが、

「専門分野での独特な漢字の使い方」

というのがあるのですね。勉強になりました。ありがとうございます。

(2016、11、14)



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(2016、11、2読了)

2016年11月 8日 21:09 | コメント (0)

新・ことば事情

6197「サンマリオ」

10月9日のNHKの正午のニュースを見て(聞いて)いたら、こんなフレーズが出てきました。

「"サンマリオ"がさかんな、北海道厚岸町で」

え?何、「サンマリオ」って?と思って画面を見たら、「サンマリオ」ではなく、

「サンマ漁」

でした・・・。

たしかに「サンマリオ」も「サンマ漁」も発音すると違いが分かりにくい!

以上、終わり!!

(2016、11、7)

2016年11月10日 17:32 | コメント (0)

新・ことば事情

6196「ちゃん・くん・さん 2」

「平成ことば事情5812ちゃん・くん・さん」の続編です。

その後もこの「ちゃん・くん・さん」の呼称は迷走(?)しています。

11月6日夕方、東京・明治神宮外苑で行われていた「東京デザインウィーク2016」で、展示品の木製のジャングルジムのような作品が燃え上がり、中で遊んでいた、

「佐伯健仁(けんと)ちゃん(5歳)」

が死亡するという痛ましい事故が起こりました。

このニュースを報じた11月7日の各紙朝刊は、「健仁ちゃん(5歳)」の敬称は、

(読売)ちゃん

(朝日)君

(毎日)君

(産経)君

(日経)君

と、「読売新聞」のみ「ちゃん」で、あとの新聞は漢字で「君」でした。

日本テレビ系列では、「未就学児」については、男女とも「ちゃん」を使うことになっています。ところが、11月7日の日本テレビのお昼の「ストレイトニュース」では、

「くん」

という敬称を使っていました。しかし原則は守るべきだということで、「ミヤネ屋」では、

「ちゃん」

を使いました。読売テレビ・関西ローカル放送の「かんさい情報ネットten」でも、

「ちゃん」

でした。

また、同じく11月6日の夜遅く、新潟市内で火事があり、お父さんと子ども3人の併せて4人が死亡しました。その「3人の子どもさん」は、

・8歳(小学3年・長男) =真田柊夏(しゆう)

・6歳(保育園年長・二男)=真田瑠翔(るいと)

・4歳(長女)      =真田結衣音(ゆいね)

です。それぞれ11月7日の夕刊での敬称は、

(8歳長男)(6歳二男)(4歳長女)

(読売)  君    ちゃん   ちゃん

(朝日)  君     君    ちゃん

(毎日)  さん   ちゃん   ちゃん

(産経)  君     君    ちゃん

(日経)  君     君    ちゃん

ということです。「二男」の「未就学児で6歳の男の子」については、

(読売・毎日)=「ちゃん」

(朝日・産経・日経)=「君」

になっているほか、「毎日」は「小学生男子(=長男)」に「さん」を使っています。

(追記)

大阪・堺市の男児が行方不明になっている事件で、日常的に暴力を振るっていたとして、父親が傷害致死の容疑で再逮捕されました。その行方不明の、

「梶本樹李(たつき)ちゃん(4)」

に関しては11月9日の朝刊・夕刊で「読売・朝日・毎日・産経・日経」すべて

「ちゃん」

を使っていました。

(2016、11、9)


(2016、11、7)

2016年11月10日 12:30 | コメント (0)

新・ことば事情

6195「規制線 イエローテープ」

テレビ朝日の「報道ステーション」を見ていたら、アメリカ時間の9月17日に起きたニューヨークの爆破事件で、現地・ニューヨークからの中継で

「現在『イエローテープ』は張られていないんですが、バリケードが張られています。」

というように、「規制線」ではなく、

「イエローテープ」

と言っていました。

これは「アメリカだから」かな。アメリカでは「イエローテープ」と言うのでしょうかね。「そのまんま」ですが。

そもそも、事件現場などに張られた「黄色いテープ」を「規制線」と呼ぶことについては、議論があります。「規制線」というのは、ああいった「(物理的な)テープ」を呼ぶのではなく、

「市内の30か所の交差点に、警察官300人を配置して、規制線を張った」

というような場合に使うのだというのが、従来の主張。

しかし、ここ10年ぐらいは

「『立ち入り禁止(KeepOut)』と書かれた黄色いテープ」

を指して「規制線」と呼ぶことが増えています。

「2008年11月」に書いた「平成ことば事情3432 規制線」に、そのあたりの事情は書きました。その際は「2007年7月」の新聞用語懇談会放送分科会の討議内容を載せましたが、その後の「用語懇談会」での討議内容は、以下の通りです。

*【2008年12月 放送分科会】

最近、事件・事故現場に警察が張り巡らす「立入禁止(Keep Out)」の黄色いテープのことを「規制線」と呼ぶケースを散見するが、本来の規制線とは違う使い方なので、載せるべきではないか?という意見に対して、「まだ、それほど広がっていないので、載せなくても良い」ということに。

*【2016年9月 放送分科会】

「規制線」は「張る」「敷く」「引く」どれが正しいか。(フジテレビ)

→(テレビ朝日)警視庁詰めしていた際、現場リポート等で「規制線が張られている」とよく使った。黄色いテープ状のものなので「張る」イメージ。

(フジテレビ)黄色いテープは、そもそも「規制線」なのか?

(ytv)読売テレビではテープを「規制線」とは言わないようにしている。

原則的にはテープについては「ここから先は立ち入りが規制されています」などと表現。

一方「規制線を敷く」とする場合は、重点範囲内の警察の捜査態勢を示すのではないか。

ただ、ニュース等で使った記憶はない。「付近で検問を強化」という感じか。

KTV)捜査関係者は黄色テープを「規制線」と呼んでいるのか?

KTV)先日の和歌山での立てこもり事件の際には使っていたと思う。あの事件では拳銃の射程の内と外を分ける境界としての意味を含んで、実際「規制線が張られている」感が強かった。

ということで、まだまだ完全に「許容」とまでは、いっていないような感じです。

なお、韓国の朴槿恵(パククネ)大統領への抗議集会に集まった20万人(主催者発表。警察発表4万人)の市民を規制するために警察が張った「黄色いテープ」には、

Police Line(ポリスライン)」

と英語で書かれていました。「ハングル」で書かれたものも、きっとあるのでしょうね。今回は、たまたま「英語のもの」を目にしましたが。

(2016、11、7)

2016年11月 9日 22:28 | コメント (0)

新・ことば事情

6194「殲20か?J20か?」

中国のステルス戦闘機、

「殲20」

難しい漢字ですが「殲滅(せんめつ)」の「殲(せん)」ですね。

ところが、きょう(11月2日)の「読売新聞」には、

「J(殲)20」

と出ていたのです。どちらなんでしょうか?たしかに「殲20」を日本語で言うと、

「セン・ニジュー」

になって、数字の、

「1020」「千二十」

と間違うかもしれませんね。だから「J(殲)20」にしたのかな?

各紙朝刊(11月2日)の表記をまとめると、

(読売)「J(殲)20」

(朝日)「殲(せん)20」

(産経)「殲(J)20」

(日経)「殲20(J20)」

(毎日)「殲20」

でした。バラバラやな。

(2016、11、2)

2016年11月 9日 17:23 | コメント (0)

新・ことば事情

6193「引(ひ)き込(こ)まれに ご注意(ちゅうい)」

帰宅の際に京阪電車に乗っていて、駅で降りる時に何気なくドアを見ていて、そこに書かれた文字に目が留まりました。

「引(ひ)き込(こ)まれに ご注意(ちゅうい)」

わざわざ「ルビ(降り仮名)」が振ってありました。そしてその注意書きは、

「子どもの目の高さ」

にあったのです。

一方、同じ扉の私(大人)の目の高さには、「ルビなし」で、

「閉まるドアにご注意」

とありました。

そうか、これは、

「背の低い『子ども』に対する注意書き」

なんだな!だから「ルビ」が降ってあるのか。なんとも、きめ細かな注意書きですね。

でも本当なら、もう少し噛み砕いて、

「ドアに 手をひきこまれないでね」

などと書いたほうがいいんじゃないかな、とも思いました。

(2016、11、2)

2016年11月 9日 12:22 | コメント (0)

新・ことば事情

6192「逆王手2」

「平成ことば事情2314 逆王手」の続報です。

今年(2016年)の日本シリーズは、セ・パ共にペナントレースで1位だった北海道日本ハムファイターズと広島東洋カープの対戦となり、先に広島が地元で2勝した後に、日本ハムが4連勝して日本一に輝きました。

その日ハムが優勝を決めた「第6戦」は、日本テレビが中継していました。その際、画面の右上にずっと出ていたサイドスーパーが、

「日本ハム日本一か 広島逆王手か」

というように「逆王手」を使っていました。

「平成ことば事情2314 逆王手」を書いたのは追記も含めて「2005年~2008年」で、もう10年ほど経っていますが、その間に何度か「新聞用語懇談会」でも「逆王手」は議題に上りましたので、その様子をここに残しておきます。

*【2011年2月(放送分科会)】

「逆王手」という表現を使うか?(by MBS)

→(日本テレビ)「許容」ではないが「実際は使っているような感じ」。3勝3敗で追いついた方の「勢い」を表現して「逆王手」とするのではないか。

(フジテレビ)使っている。「許容しちゃっている。よく使われる」(Mキャスター談)

(ABC)大手を振って使っている。

(MBS)使っていない。

*【2012年10月(関西地区用語懇談会)】

「逆王手」という表現は、本来の将棋の意味とは違うが、野球のクライマックスシリーズのようにスポーツで使ってよいか?(産経新聞)

→「『逆王手』は使っている」(読売新聞)

「毎年、使うかどうかでもめている。『大辞林』にも載っている。朝日新聞のデータベースでは1993年に初めて使われた。『将棋倒し』の比喩表現は、明石の歩道橋事故の際には将棋連盟から『使わないで』とクレームがついたが、『逆王手』については『間違った使い方をしないで』と言ってきたことはない」(朝日新聞)

【2015年10月(関西地区用語懇談会)】

「決勝進出でも『王手』?」→野球U-18で、日本はカナダに快勝。「韓国戦に勝てば、決勝進出」で、「日本 決勝に王手 カナダ下す」、「日本、決勝へ王手 カナダ破る」の見出しがつきました。「王手」の辞書的な意味が、「もう一歩で物事が成就する段階のたとえ」であるとすると、この場合の使い方は? 翌日の紙面では、「日本バスケ 五輪に王手」を見出しに取ったところがありました。「勝てば3大会ぶりの五輪出場が決まる」試合ならば、「王手」でも許容でしょうか?

(朝日新聞)許容。

(共同通信)部内では賛否は「3:3」。スポーツ面は「勢い」があればいいのではないか?個人的には広げたくない。

(日刊スポーツ)個人的には「優勝にあと1勝」とする。「五輪に王手」という紙面は作ったことがある。

(ABC)アナウンス部内では、両方の意見があった。実況アナは「違和感がある」と。「王手」「逆王手」は、なるべく使わないようにしている。

(ytv)「決勝進出」が目標であるならば、「王手」も可。「勝てば3大会ぶりの五輪出場が決まる」試合ならば、「王手」でも許容。ところで、似たような「疑似表現」で、ラグビー日本代表が1次リーグで3勝を上げたものの決勝トーナメントに進出できずに帰国した様子を「凱旋(がいせん)」と表現したが、これは「許容」だろうか?

(産経新聞)スポーツ面では「凱旋」は使う。また音楽コンクールなどで、「優勝(1位)」でなく、2位、3位入賞でも使うことがある。本来の意味の「注意喚起」はするが。

(毎日新聞)勝ち負けに関係なく使っている。華やかでいいのでは?

(読売新聞)「見出し」ではOKでは?

(神戸新聞)「デイリースポーツ」に10年間出向していたこともあるが、スポーツ紙は基準が緩め。「見出し」は雰囲気が出るのであれば、それで誤解を生まないのであれば使う。本文には使わない。

(KTV)「凱旋公演」など、海外公演帰りのタレント・ミュージシャンに使うこともある。「王手」は安売りしたくない。

(MBS)「逆王手」を「日刊スポーツ」で最近見たが?

(毎日新聞)「逆王手」は、「王手」が解けなければダメ。「3勝すれば優勝」のケースで「1勝2敗」から「2勝2敗」に並んでも、相手の「王手」は解けていないので、「逆王手」は使わない。

(読売新聞)「巨人が逆王手」は使ったことがある。最近は、もし出て来たら「直す」(「逆王手」は使わない)方向にある。

(日刊スポーツ)「矢野で逆王手」「ハム逆王手」も、もうとがめられない。バンバン出て来る。議論になったことすらない。

(MBS)「逆王手」の誤用は、日本将棋連盟からクレームがくるので絶対使わない。

(中国新聞)広島カープが、あと1勝でCS(クライマックス・シリーズ)に行けるというときに「CSへ王手」と「王手」を使ったが、ファン心理としてはピッタリくる表現だった。

というようなことで、マスコミの中でも「使う」か「使わない」はで意見が揺れている言葉ではあります。

(2016、11、2)

2016年11月 8日 17:22 | コメント (0)

新・ことば事情

6191「一人ぽっち」

7月7日に、永六輔さんが亡くなりました。もう、3か月ほどたちます。

永さんの作詞家としての代表作の一つに、あの坂本九さんが歌った、

「上を向いて歩こう」

があります。「スキヤキ」というタイトルで、全米チャートでも上位に挙がった曲として有名です。実際、私も合唱団でよく歌った曲です。

その歌詞カードを今回改めて見ていて、「おや?」と思ったのは、

「一人ぽっちの夜」

という歌詞なのです。

「一人ぼっち」(BOTTI)

ではなく、

「一人ぽっち」(POTTI)

つまり「ぽ」と「半濁音」なのですね。歌詞カードには、確かにそう書いてあります。

これまで何十年も、私は、

「ぼっち」(BOTTI)

「濁音」で歌って来ました!気付かなかった!

でも「半濁音」の「ぽっち」には違和感があります。

坂本九ちゃんの歌声では、「ぼっち」とも「ぽっち」とも聞こえる気がします。

永さんが亡くなったことで、

「六八九トリオ」

と呼ばれた「作詞家・永六輔」「作曲家・中村八大」「歌手・坂本九」の3人は全て「あの世」に召されたことになります。永さんも「一人ぽっち」じゃないですね。

でも「あちら」に行ってしまったら、「この世」は「下」になりますから、「上を向いて歩こう」じゃなくて、

「下を向いて歩こう」

だったりして。あ、そういえば「網膜剥離」で入院していた私は、9月の1か月間は、ずっと、

「下を向いて」

過ごしていましたけどね。硝子体の代わりに入れた「軽いガス」の力で、剥がれた網膜をくっつけるので、下を向いていなければならず、寝る時もずっと「うつ伏せ」でした。

(2016、11、4)

2016年11月 8日 12:21 | コメント (0)

新・ことば事情

6190「パルミジャーノチーズ」

10月25日の日本テレビ『ZIP!!』の名物コーナー「MOCO'Sキッチン」。この日のメニューは「カレー味のコロッケ」でした。速水もこみちさんが、コロッケの具に小麦粉を付けるときに、

「パルミジャーノチーズも、まぶします」

と言っていました。あれ?「パルミジャーノチーズ」って、昔は、

「パルメザンチーズ」

って言ってなかったっけ?どちらも意味は同じ、イタリアの、

「パルマのチーズ」

ってことですよね。「パルマ」は、中田英寿選手が一時所属していたサッカーチームがある所ですね。(最初は「ペルージャ」でしたが、パルマにもいなかったっけ?)

「パルメザン」は英語で、「パルミジャーノ」はイタリア語か。

グーグル検索してみたら(10月25日)

「パルミジャーノチーズ」=11万5000件

「パルメザンチーズ」  =44万4000件

で、従来の「パルメザンチーズ」のほうが、ちょうど4倍ほど使われていますが、「パルミジャーノ」も11万件以上と、相当使われています。

検索で出てきた、緑色の細い円柱の容器に入った、スパゲッティにかける商品の名前は、

「クラフトパルメザンチーズ」

でした。綴りは、

「パルメザン」=「Parmesan

「パルミジャーノ」=「Parmigiano

です。ネット検索で、

「『パルメザンチーズ』と『パルミジャーノ・レッジャーノ』の違いは?」

20131215日)というサイトがありました。

https://kw-note.com/food/difference-between-parmesan-and-parmigiano-reggiano-cheese/

それによると、

「パルメザンチーズ」はイタリアで作られている「パルミジャーノ・レッジャーノ」の「英語読み」であると、予想通りの答えが。(スペル:「Parmesan cheese」「Parmigiano Reggiano」)

しかしその後に、「複雑な事情がある」と記されています。

一言で言うと、

「原産地呼称」

です。「パルマ」の素材を使って、パルマの定められた製法で生産され、検査で認定されたものだけが、

「パルミジャーノ(レッジャーノ)」

を名乗れるということのようです。「シャンパーヌ地方」で取れたブドウを使い、シャンパーヌ地方の製造方法を使ったものしか、

「シャンパン」

と名乗れず、それ以外は、

「スパークリングワイン」

という一般名詞を名乗らなくてはならないようなものでしょうか。(スペインのカタルーニャ地方で、同じ製法で作られたものは「カヴァ」と呼ばれています。)

つまり、製法は「パルミジャーノ」と同じでも「パルマ以外」の物は「パルミジャーノ」とは名乗れず、それで、

「パルマ風」

という意味での

「パルメザン」

と言っているのでしょうか?難しいそうだなあ。

(2016、11、1)

2016年11月 7日 22:20 | コメント (0)

新・ことば事情

6189「きられて」

9月に3週間余、網膜剥離で入院していた時、本も読めないしテレビも見られない(見てはダメな)ので、もっぱら「ラジオとCDの日々」でした。中でも「落語のCD」を50枚ぐらい聞きました。その中の落語で、

「百川(ももかわ)」

という話がありました。「百川」というのは、有名な料理店の名前。そこに雇われた、田舎出身のちょっと訛った男が引き起こすチグハグな騒動というお話です。

この男が「三味線のお師匠さん」を呼びに行かされた先で、間違えて「お医者さん」に対して、

「河岸のわけーかたが、けさがけに四~五人、きられまして・・・。」

と言います。この、

「けさがけに」

という言葉は、

「けさがた(今朝方)に」

の意味なんですが、お医者さんは、

「けさ(袈裟)がけに」

と取ってしまいます。「斜めに」という意味ですね。「袈裟がけ」を『広辞苑』を引くと、

「袈裟をかけたように、一方の肩から他方のわきの下へ斜めにかけること」

とありますが、もう一つの意味として、

「『袈裟斬り』に同じ」

とあったので、「袈裟斬り」を見ると、

「一方の肩から斜めに他方のわきの下へかけて斬り下げること」

とありました。これと間違ったのです。後ろに、

「きられまして」

とありますしね。その「きられまして」は、標準語で言うと、

「来(こ)られまして」

なのですが、訛っていて、そういう風に言うんですな。「どこの出身」という設定なんでしょうかねえ?当然、お医者さんは、

「袈裟がけに斬られまして」

と、当然そう考えます。大変です。4~5人もバッサリと斬られた!それで医者を呼びに来たんだ、と。この「意味の取り違え」が、この落語の面白さのミソですね。

また、別の落語、三代目・三遊亭金馬の『佃祭』の中のしゃべりで、

「行ってきようと思う」

というのがありました。今なら標準語でこれは、

「行ってこようと思う」

ですよね。これを聞いて思ったのは、

「もしかしたら昔の『江戸弁』では、『こられた』を『きられた』、『こよう』を『きよう』」と言っていたのではないか?」

ということです。そんなことを考えさせられる落語でした。

(2016、11、1)

2016年11月 7日 17:18 | コメント (0)

新・ことば事情

6188「淋しみ」

宇多田ヒカルの新しいアルバム『ファントーム』を、歌詞カードを見ながら聴いていたら、

「花束を君に」

という、NHK朝ドラのテーマソングだった曲の歌詞で、

「毎日の 人知れぬ苦労や 淋しみも無く 

ただ 楽しいことばかりだったら 

愛なんて 知らずに済んだのにな」

という部分がありました。その中の、

「淋(さび)しみ」

という言葉は、初めて見ました。「淋しさ」は、もちろん見たことも使ったこともありますが。

グーグル検索では(10月31日)、

「淋しみ」=3300件

「寂しみ」=3230件

でした。これは「かなり少ない」数字です。

『明鏡国語辞典』『新明解国語辞典』には載っていませんでした。

しかし、『広辞苑』には載っていました!

「寂しみ」=さみしいこと。さびしい趣。さびしさ。

用例は、夏目漱石の『門』からで、

「けれども世の中の寂しみは、彼を思ひ切つた極端に駆り去る程に」

とありました。「駆り去る」という言葉も、見慣れない言葉ですが、まあ、きょうのところは置いておきましょう。

『精選版日本国語大辞典』にも載っていましたが、「空見出し」で「『さびしさ』を見よ」となっていて、意味は、

「『み』は接尾語」

とだけありました。でも「空見出し」なのに用例は載っていて、小林一茶の俳諧『おらが春』(1819年)からで、

「ざれ言に淋しみをふくみ、可笑みにあはれを尽して、人情、世態、無常、観想残す処なし」

とありました。

『三省堂国語辞典』は「見出し語」としてはありませんでしたが、「さびしい」の「派生語」の欄に、「寂しがる、寂しげ、寂しさ」と共に、

「寂しみ」

も載っていました。昔からある言葉なんですね。それをまた、宇多田ヒカルさんが掘り出して来てくれたんだな。

(2016、10、31)

2016年11月 3日 12:23 | コメント (0)

新・ことば事情

6187「カリッ、サクッ、パリッ」

会社で、

「マカロンを焼いてラスクにしたお菓子」

を、お裾分けで頂きました。見た目は「マカロン」そのものです。しかし、「マカロン」はやや「しっとり」した食感ですが、それを焼いて「ラスク」にしているので

「サクッ」

とした食感が特徴だというので、早速、食べてみました。

まず「上の歯」に当たった感触・歯触りは、

「カリッ」

でした。「カリッ」には「均一な硬さ」があり、「空洞」は感じられません。

その後「下の歯」で噛むと、意外と薄くて「カリッ」とまでいかない間に、

「中の空洞(空気の層)」

に至ってしまったために、たしかに、

「サクッ」

という食感がしいました。そんな音が聞こえたように思います。

だとすると、「サクッ」という音で表される状態は、

「最初に当たった感じはやや硬いがもろく、それが崩れて空気の層に当たる感触」

と言えるのでしょうか。「スコップ・シャベル」が「軟かめの土に入る感じ」も、

「サクッ」

ですね。また、最近若者がよく使う、

「サクッとメシ行きますか」「仕事をサクッと終わらせて」

などの「サクッと」も、

「最初に当たる"困難"は硬いけど、すぐに終わる感じ」

なのでしょうね。似たような言葉に、

「パリッ」

があります。これも、

「何か堅い物が割れる音」

ですね。代表的なものは、

「おかき・せんべい」

です。あれも「堅い表面」を噛んだ後に「空洞」が来ますが、

「『サクッ』のほうが、表面が柔かい感じ」

がします。

「『パリッ』は、なかなか割れない硬さを持っているが、一旦割れると『もろい』。粘性は無く、潔く割れちゃう」

感じです。

こういったことに関してを論じることを、専門用語で、

「マカ論」

と言い、あまりこういうことばかり言っていると、

「人から信用されなくなるラスク・・・いや、リスクを伴う」

訳ですが・・・などと思っている間に、その「マカロン・ラスク」は、胃の中に納まってしまいましたとさ。

(2016、10、20)

2016年11月 2日 21:21 | コメント (0)

新・ことば事情

6186「パラリアン」

9月8日、ちょうど「リオ・パラリンピック」が開催されていた期間ですが、入院中の病院のベッドの上、ラジオで「ミヤネ屋」の音声を聞いていたら、日刊スポーツ・久我悟部長が、

「パラリアン」

という言葉を口にされました。あまり耳にしたことはありませんが、

「パラリンピック出場選手」

のことでしょうね。そのあと、3時前の「ニュース250」のコーナーでは、日本テレビの岸田雪子さんは、

「パラアスリート」

という言葉で表現されていました。

こちらのほうが、耳慣れた感じですね。「オリンピック選手」も、

「オリンピアン」「オリンピックアスリート」

と両方言いそうですしね。

グーグル検索(10月14日)では、

「パラリアン」  =   339件

「パラアスリート」=9万8700件

ということで圧倒的に「パラアスリ-ト」のほうが使われていました。念のため「オリンピックク」のほうも検索してみると、

「オリンピアン」     =66万7000件

「オリンピックアスリート」= 2万3300件

と、こちらは「オリンピアン」のほうが圧倒的に使われていました。

もしかしたら「パラリアン」という言葉は、「オリンピアン」からの類推で使われ始めたのではないかな?と思いました。

で、「パラリアン」という言葉があるのか?造語ではないのか?と「英和事典」を引いてみても載っていません。その代わりに「パラリンピック選手」という意味で載っていたのは、

paralympian

という言葉でした。これを日本語でカタカナにすると、

「パラリンピアン」

になります。これもグーグル検索したところ、

「パラリンピアン」=11万0000件

出て来ました。「日本パラリインピアンズ協会」という団体もありました。

久我さんが言い間違えたか、私が聞き間違えたか、したんですね。お騒がせしました。

(2016、10、14)

2016年11月 2日 18:20 | コメント (0)

新・ことば事情

6185「自死2」

「平成ことば事情5576自死」の2年ぶりの続報です。

2016年10月28日の読売新聞の地方面(河内版)に、

「自死遺族 思い語る」

という見出しで、遺族が思いを語るフォーラムが、大阪・枚方市で開かれるという記事が載っていました。サブタイトル(もうひとつの見出し)は、

「苦しみの末の選択 わかって」

でした。そして、解説のような囲みで、

「自殺言い換え 島根県先駆け」

として、

「自治体で全国に先駆けて『自殺』を『自死』に言い換えたのは島根県だ。2013年3月、遺族グループからの要望を受けて県が策定する『自殺対策総合計画』の名称を『自死対策総合計画』に改めた。『殺』の文字が含まれ、負のイメージを持たれるためという。鳥取県も同年7月に、宮城県も14年1月に、公文書で自死と言い換えることにした。同相談室の担当者は『遺族らを傷つけない言葉や表現が必要で、市民レベルでも地道に自死という言葉を訴えていきたい』と話している。」

と書かれていました。

ただ、この大阪・枚方市でのフォーラムの開催も、まだ、

「2014年に続いて2回目」

ということですし、「島根・鳥取・宮城」に続いて「自殺」を「自死」に言い換えたという自治体は記されていないので、「自死」という言葉が、

「この2年でよく使われるようになった」

ということは、なさそうです。

(2016、10、31)

2016年11月 2日 13:19 | コメント (0)

新・ことば事情

6184「ニッポンゴ」

「日本語」

と書かれた漢字を読むときに、皆さんは、

「ニホンゴ」「ニッポンゴ」

どちらで言いますか?「日本」というのは「ニホン」「ニッポン」両方の読み方があるのは知っています。その中で、一般的には「日本語」は、

「ニホンゴ」

と読むのではないでしょうか?

ところが!先月「網膜剥離」で入院していた時に聞いた落語のCDで、立て続けに、

「ニッポンゴ」

という読み方で話しているのを聞いたのです。それは、

1957年(昭和32年)1月27日NHKラジオ第一「ラジオ寄席」で放送された、柳家金語楼「きゃいのう」で、

「昔は『俳優』とは言わずに『役者』と言った」

というような「まくら」の中で、金語楼が、

「ニッポンゴ」

と言っていました。

また、1975年(昭和50年)頃に、二代目・桂小南が「いかけ屋」で、

「お前、ニッポンゴわからんのか」

と言っていました。

そして、同じ小南が、1985年(昭和60年)12月18日TBSラジオで放送された「しじみ売り」で、「日本人」を、

「ニッポンジンぐらいお祭り好きは、いないそうですな」。

と言っていました。まあ「日本人」は「ニッポンジン」「ニホンジン」、両方同じぐらい、言う人がいるような気がしますが。

以前、石黒修さんという方の本で、

『ニッポン語の散歩』(角川書店)

と、カタカナで「ニッポン(語)」と書かれた本を古本屋で見つけて購入し、読みましたが、この本が出たのは、

「1960年(昭和35年)」

でした。ということは、もしかしたら、

「この時代には『ニッポンゴ』という言い方が、ごく一般的だったのではないか?」

ということかもしれませんね。

(2016、10、6)

2016年11月 2日 10:17 | コメント (0)

新・ことば事情

6183「設置か?開設か?」

8月30日、台風10号に備えて、「避難所」を「設置」するという原稿が出て来ました。

しかし「避難所」は、新たにつくられる「仮設住宅」などと違って

「小学校の体育館」「公民館」

など、

「既存の建物を、事前に指定されている」

ので、

「『設置』よりは『開設』のほうが妥当ではないか?」

と思い、原稿・スーパーを直しました。

×「避難所を設置」→○「避難所を開設

ただ、ネットで検索すると、

「避難所を設置」

というのも「開設」と同じぐらい出て来ます。

つまり、行政的には「設置」を使うケースも多いのでしょうね、「物理的な設置」ではなく。そのような解釈です。

(2016、8、31)

2016年11月 1日 23:13 | コメント (0)

新・ことば事情

6182「どびつこう」

ことし4月24日に放送された、大阪が舞台のNHK朝ドラ『あさが来た』のスピンオフ番組で、「がんすけさん」が、こんなセリフを口にしていました。

「ドびつこう」

という言葉です。「しつこい」の「し」が、関西弁化で「ひ」に転訛した「ひつこい」「ウ音便」化した「ひつこう」に、

「強調の『ど』」

がついて、さらに「ひつこう」の「ひ」が濁って、

「どびつこう」

という、相当「ひつこい」言葉ですね。

「どストライク」などにも通じますけど、まあしかし、これまでに耳にしたことのない言葉でした。

(2016、10、20)

2016年11月 1日 21:11 | コメント (0)

新・ことば事情

6181「『ござりまする』のイ音便」

歌舞伎の「中村橋之助」「中村芝翫(しかん)」を襲名したニュースを見ていたら、

「ござりまする」

という言葉が出て来ました。それを聞いて「あっ!」と思いました。

というのは、これは普通、現代では、

「ございます」

というところ。つまり、

「『ございます』は『ござります(る)』の『イ音便』である」

ということに気が付いたのです。

「音便」の中では、「ありがとう」「おめでとう」「おはよう」のような、

「ウ音便」

は、全くそれが音便であるとは意識せずに「ひとつの慣用句」として使っていますね。たまに、

「危のうございます」

のような形に接して、

「あ!丁寧な『ウ音便』だな」

と思う程度です。さらに「イ音便」って「ウ音便」以上に意識しないなあ、と。あまりないのかな。

辞書を引くと、現代語で使っているものとしては、

「書きて」→「書いて」

「次ぎて」→「次いで」

ぐらいしか出ていなかったですが、既に「『イ音便』が当たり前」になっているということでしょうね。

(2016、10、10)

2016年11月 1日 17:10 | コメント (0)