新・ことば事情
6174「ビバ」
9月に右目の「網膜剥離」で入院していた時に聞いていたラジオの番組で、往年のグループサウンズの「オックス」が歌う、
『真夏のフラメンコ』(作詞・橋本淳、作曲・筒美京平)
という曲の歌詞で、
「♪オー・ビバビバ・オーレオレ」
というのが出て来ました。今聞くと、「ビバ」も「オーレ」も、
「なんだかな・・・」
という気もしますが、おそらく当時は「最先端だった」のではないか?と思いました。この曲が歌われていたのは、恐らく昭和40年代の前半でしょうが、調べたら、
「昭和44年(1969年)」
の曲でした。やはり、
「当時は『ビバ』が流行っていたのではないか?」
と思いました。
そういえば子どもの頃に流行った「ドリフターズ」の、
『いい湯だな』(作詞・永六輔、作曲・いずみたく)
をちょっとアレンジした曲でも、カトちゃん(加藤茶)が、
「はあ、ビバノンノン」
と合いの手を入れていましたね。あの曲は、
「昭和48年(1973年)」にレコードが出ていますね。
そしてこれは知っている人が少ないと思いますが、早稲田大学の応援歌に、
「ビバ・ワセダ」(作詞・牛島 芳、作曲・石黒寿和=チャーリー石黒)
という曲があるのです。この曲が作られたのが、
「昭和51年(1976年)」
でした。その年の春の東京六大学リーグ、早慶戦の試合前に神宮球場で、新応援歌「ビバ・ワセダ」は発表されたそうです。
「昭和40年代半ばから昭和50年代初めにかけて、『ビバ(VIVA)』が流行っていた」
ということを、ここに記しておきます。