新・読書日記 2016_069
『そして、メディアは日本を戦争に導いた』(半藤一利・保坂正康、文春文庫:2016、3、10)
現代日本の語り部として信頼の置ける長老2人の対談集。対談のきかっけは、2012年4月に自民党が「日本国憲法改正草案」を出して来たこと。そこには「戦前の昭和史の教訓」が微塵も反映されておらず、「いつか来た道」を辿りかねないという危機感を覚えたからだ。特に「表現の自由」を「公益の秩序」を理由に大幅に制限し、従来の「国民の自由を脅かす『国家の横暴を制限する』ための憲法」を、「国家目的を妨げる『国民の権利を制限する』憲法」に、まさに「正反対の性格を持つ憲法」に塗り替えようとしている、というのだ。「はじめに」は2013年の8月15日に書かれている。あえてこの日付「8月15日」を選んだのだろう。安倍政権はその後も更に「いつか来た道」への誘導路を進み続けており、「困ったものだ」と言ってるだけでは修正できない、ということで「文庫版」も今年2016年3月に出た。(「文庫版のための追加まえがき」は2016年1月に書かれた)
印象に残った言葉。
「考えることの放棄からファシズムにつながっていく」
いま、みんな「考えなく」なっていないか?
半藤さんは言う。
「国家が日本主義へと統一されていったのは、まず、教育と原論の国家統制、二番目が情報の国家統制、三番目が弾圧の徹底化、四番目に来るのがテロの発動。四つのことが一緒になって、国家というものが暴力的に大きな固まりになっていく」
その中で、
「ジャーナリズムはどの国でも国家と一体化していた」
「メディアは売り上げで動く」
「強制的に法で縛ってくる、情報の発信を一元化しようとしてくる、表現に干渉してくる、こうした圧迫が加わる兆候が見えたら、ジャーナリズムは警戒しなければならない」
「歴史を知り、常に危機意識を持って報道活動に臨む必要がある」
「国や政権が何のために情報を隠そうとするのかといえば、その大半は、私達の知る権利や生命財産を危うくするものばかり」
などなど、まさに「警鐘」を鳴らした一冊。