Top

『道浦TIME』

新・読書日記 2016_087

『なぜネット社会ほど 権力の暴走を招くのか』(ジュリア・カジェ著、山本和子+相川千尋訳、徳間書店:2015、6、30)

帯に「ピケティ氏 激賞!」と書いてあったが、なんのことはない、この著者、「ピケティ氏の奥さん」です。

タイトルと内容はちょっと違って、「3章」からなっているんですが、「第1章」が「メディア崩壊が真実を殺す」として新聞屋雑誌など「紙媒体」の売り上げが明らかに「右肩下がり」になって来ていること、そして「資本の論理」で「人減らし」を行って、かえって自分の首を絞めているという実情を記し、「第2章 広告幻想の終わり」で、新聞が「広告費」でもっていた状況も崩れると。そして「では、どうすればいいのか?」という一番重要な所(この本で言いたかったこと)が「第3章 21世紀のための新しいメディア会社」。ここでは「デジタル時代の資金調達」として「クラウドファンディング」を提示している。このところ(今年に入ってから)よく目に・耳にするようになってきた、この「クラウドファンディング」というもの、いまいち、よくわからないのですけど、これだけ出て来るのなら、ちょっと勉強しなくちゃなと、思ったのでした。


star3_half

(2016、5、26読了)

2016年5月31日 23:54 | コメント (0)

新・読書日記 2016_086

『イナカ川柳~農作業しなくてよいはウソだった』(TV Bros.編集部、文藝春秋:2016、4、10)

TV Bros.」(テレビ・ブロス)という雑誌の読者投稿コーナーの作品を集めた物。昔の『宝島』のような感じ。「田舎」をネタにしているのだが、「田舎」というのは、いわゆる「田園風景の広がる自然豊かな所」ではなく「シャッター街と郊外型大型ショッピングセンター=イオン」という、日本のどこにでもある風景になってしまった街を指している。

「何もかも 巨大なイオンが 包み込む」

この「イナカ川柳」は、千葉県船橋市の読者が詠んだもの。こんな感じです。

「プッ」と噴きだした後に、ペーソスや毒を感じるような味わい。しかも「今」を詠み込んでいる。

いくつかご紹介しましょう。

「ボンボンの ドローンが鷹に さらわれる」

「『殺す気か!!』日常会話の 猟友会」

「山近し コンビニだんだん ヤマザキに」

「老人が いつもおんなじ 場所にいる」

ね!じわじわ来るでしょう?

「保険金 大量にかける 人がいる」

そ、それ警察に電話しなくちゃ!

「ラブホテル 潰れた後に ケアハウス」

つまり「少子高齢化」であると。たった17文字で示しちゃうんだからなあ。

写真がまた、とってもキレイでいいんでしょね。この組み合わせがね。

とってもいい、と思います。


star4

(2016、5、24読了)

2016年5月31日 23:30 | コメント (0)

新・読書日記 2016_085

『陰の季節』(横山秀夫、文春文庫:2001、10、10第1刷・2016、3、20第39刷)

15年で39刷!!ロングセラーでベストセラー!それを今の今まで読んでいなかったとは・・・楽しみは後に取っておくタイプだったのですね、私は。知らなかったけど。

横山秀夫さんと言えば今、あのベストセラー『64(ロクヨン)』が原作の映画が公開中ですが、この本は、映画の原作の"更に基礎"となったような感じ(「D県」が舞台)なので、本屋さんでも『64』と並んでこの本が置かれていました。「警察モノ」なのだけど、いわゆる「刑事」や「鑑識」が主人公ではないところがミソで、警察学校が舞台になった警察小説などもありますが、「警務部」という「内部組織」が主人公の小説ということが、当時は新しかったのだと思います。

4編の「連作短篇」なのだけど、そのタイトルが「陰の季節」「地の声」「黒い線」「鞄」と、「純文学っぽい」というか、「松本清張的」というか、それだけ見てもあまりよく分からないが、じわじわと分かって来ます。さすが、ロングセラーだなと思いました。


star4

(2016、5、24読了)

2016年5月31日 22:51 | コメント (0)

新・読書日記 2016_084

『私だけが知っている金言笑言名言録』(高田文夫、新潮社:2016、4、25)

放送作家の大御所・高田文夫氏の本。不整脈で大手術を受けたことで、「命あるうちに、自分の名言を書き留めておこう」と思ったらしいが、何分、あまり手許にメモが残ってなかったと。そこで 自分の名言と、自分がこれまでに聞いてきた芸人・芸能人たちの名言の数々を書き残すことに。爆笑必至の言葉の数々。名言と言うか、

コント・ギャグ集のような感じです。


star4

(2016、5、22読了)

2016年5月31日 22:01 | コメント (0)

新・読書日記 2016_083

『反知性主義とファシズム』(佐藤優×斎藤環、金曜日:2015、5、31第1刷・2015、6、6第2刷)

佐藤優氏が1960年生まれ(早生まれなので、学年は1959年生まれと同じ)で、斎藤環氏が、私と同じ1961年生まれという、ほぼ同世代の論客が、「外交・宗教」(佐藤)体「精神医学」(斎藤)という、それぞれのベース(陣地)を基にして論戦を戦わせる「知的バトル」。

4章に分かれた本書は、4回の対談を本にまとめたもの。その4回は、それぞれ「1冊の本」をテーマに、その本・著者の世界・考えについて批判を加えたり評価をしたりして、そこから見える「現代日本」を論じていく。

「第1章」は『前田敦子はキリストを超えた~<宗教>としてのAKB48』(濱野智史)で、AKB論も出て来るし、「宗教とアイドル」という意味では『山口百恵は菩薩である』も出て来るし、「アベノミクスは宗教だ」とまで言い切る。スゴイ!濱野氏のこの本は、私はAKBに興味がなかったので読まなかったが、読んでみようかなと思った。著者の濱野さんという若い人は、東浩紀の弟子なんだ。東浩紀が若いと思っていたのに・・・。

「第2章」は村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が俎上に上る。村上春樹のこの本は読んだけど、こんな風な読み方は全然していなかった!と思うような切り口。

「第3章」は、なんとジブリ映画『風立ちぬ』が俎上に!斎藤環氏は宮崎を擁護しているが、佐藤優氏は宮崎駿をメッタ斬りです。宮崎駿の持つ「親ファシズム性」をこの映画からあぶり出す。ふーむ、そう観るか・・・。

最後(第4章)は『未完のファシズム』(片山杜秀)。この本は買ったけど、まだ読んでないんです。読まなきゃなあ。「ファシズム」と「日本」の親和性(の無さ)、また斎藤さんの「ヤンキー論」などから、その辺りについても考察していく。興味深い対談集です。脳みそが刺激されました。

実はこの本、去年出た本だったのだけど、全然知らなかった。ところが先週、大阪・京阪枚方市駅前にできた「TSUTAYA」の百貨店の中にある本屋で見つけて購入。すぐに読んだ。「本」って「巡り合い」ですよね。ネットでは多分、出会っていなかった本です。「リアル書店」ならではの一冊でした。


star4_half

(2016、5、20読了)

2016年5月31日 18:57 | コメント (0)

新・読書日記 2016_082

『日本語の謎を解く~最新言語学Q&A』(橋本陽介、新潮新書:2016、4、20)

著者は1982年生まれ(若い!)。慶應義塾大学を出て、今は慶応大学と慶応志木高校で国語を教えている。その高校生72名に「言語学に関する質問」を書いてもらったところ、なんと250もの質問が!これが素朴であったり、奥深いものだったりで、それに「言葉の専門家」として答えたものが、この一冊。帯には、

「万葉仮名から ら抜き言葉まで~日本語の起源・音声・語彙・文法・表現・・・73の意外な事実」

「言語学の最先端から、日本人の思考の真相に迫る!」

とあります。そうなんです、ことばについて考えると、徐々に深くなっていって、

「哲学」

になるんですよね。この本にも出て来る、

「なぜ『青い』『赤い』とは言うのに『緑い』と言わないのか」

なんて、考えていくと、本当に奥深いですよね。

「なぜハ行にだけ半濁音があるのか?」

なども、言われてみたら「あ、たしかに!」てなところだけど、なかなか回答できないですよねえ。正解は、本書の中に!!


star4

(2016、5、16読了)

2016年5月31日 15:56 | コメント (0)

新・ことば事情

6044「掃苔2」

「平成ことば事情4639掃苔(そうたい)」以来、4年3か月ぶりに「2」です。というのもそれ以来「掃苔」という言葉に出会ったからです。

2016年5月24日の日経新聞夕刊のコラム「プロムナード」で、

「作家の山口恵似子さん」

が「墓は人なり」というタイトルのコラムを書いています。その書き出しに、こうあります。

「もう結構前の話になるが、ことしのお彼岸に放送されたBS朝日『お墓へ行こう』という番組で、あの壇蜜さんとご一緒に都内のお墓巡りをした。その時初めてお墓参りを意味する『掃苔(そうたい)』という言葉を知った。」

とあるのです。ほら、プロの作家でも知らないぐらいの言葉なんだ。辞書にもあんまり載っていないし。

でも、一旦知ると、ちょくちょくこうやって見かけることになるのか?それでも4年に1回って、「オリンピック並み」に出て来ない言葉なのかもしれません。

あ、そういえば関係ないけど最近、近所に「葬儀所」ができたんですが、オープン(って言うの?)前にこんな看板が。

「好評!早期予約受付中」

・・・・ウソですよ。冗談ですよ。

こればっかりはねえ。でも、実は「友の会」みたいなのはあって、月々少額の会費を払うと、「いざという時」にドドッと一時金で何百万円も出さなくて済むというのがある葬儀所もありますが、あれって実は、

「早期予約」

ですよね?実質的には。じゃあ、別におかしくもないのかな。生前にお墓を買う人もいっぱいいるわけだしね。「墓のない人生は、儚(はかな)い」って誰かも言ってったし。

でも死んでしまったらもう「人生」は終わってるんだから「儚い」かどうか、感じることもできないんですけどね。

そういえば私は、随分「掃苔」なんて、していません。

(2016、5、26)

2016年5月30日 10:52 | コメント (0)

新・ことば事情

6043「ウイメンズ」

子どものTシャツを買いに行った「ユニクロ」の店内放送で、

「メンズ、ウイメンズ」

と言っていました。この、

「ウイメンズ」

というのは初めて耳にしました。アクセントは「平板アクセント」で

「ウ/イメンズ」

でした。しかし普通、「女性用の服」は、

「レディース」

と言うのではないでしょうか?

翌日会社で、「ミヤネ屋」に来てくれているアルバイトの女性に聞いてみたところ、

「ウイメンズ、たしかに言いますね。お店で耳にします」

とのこと。

グーグル検索(5月27日)では、

「ウイメンズ」=127万件

も出て来ましたが、最初のほうに出て来るのは、

「ウイメンズクリニック」

と「お医者さん」が多い!つまり、これまでなら、

「婦人科・産婦人科」

と呼ばれたお医者さんのようです。「婦人」がやはり「死語化」しつつあるのでしょうか?さらに見ると、

「不妊治療」

を謳っている所も多い。うーん、なるほど、時代の動きはクリニックの名前にも影響を与えているのか。

この話を、同年代(少し年下)の「ミヤネ屋」の男性スタッフに話したところ、

「最近は、通販のカタログでも『メンズ・ウイメンズ』ですよ。『レディース』はありません」

「え!そうなの?」

「『レディース』の反対語は、本来は『ジェントルマン』じゃないですか。だから、『メンズ』と整合性を取るために『ウイメンズ』になってるんじゃないですか?」

「そうか、確かに『レディース&ジェントルメン』だよなあ。もう『レディース』は、暴走族にしか残ってないのかなあ・・・」

「どんどん、取り残されていきますねえ。」

とう寂しい結論になったのでした・・・。

(2016、5、26)

2016年5月29日 12:51 | コメント (0)

新・ことば事情

6042「ありとなし」

「あり」の対語は「なし」ですよね。では、

「ありません」

の対語は何でしょうか?「あり」に「ません」を付けられるのなら、「なし」に「ません」を付けて、

「なしません」

とは言いませんよね。

「ないません」

とも言いません。「あり」の過去形は

「あった」

ですが、「なし」の過去形は、

「なかった」

「形容詞の活用」をする。つまり、

「『あり』は動詞」だが「『なし』は形容詞」

なんですね!だから「なしません」とは言えない。

では、

「なぜ、動詞の対語が(動詞ではなく)形容詞なのか?」

ということです。うーん、難しい!!

「ある」というのは「動詞」だけれども、「状態」を表すという意味では、

「形容詞的動詞」

と言えるのでしょうね。だから「対語」として、「形容詞の」「ない(なし)」が来る。しかしあくまでも活用形は「動詞」なので、その辺での「不一致」があるということでしょうかね??

(2016、5、26)

2016年5月28日 12:50 | コメント (0)

新・ことば事情

6041「『崎』『碕』『埼』」

2016年2月、電車の中で見かけたポスターに、こんな灯台の名前が出ていました。

「出雲日御碕灯台」

この「御碕」の「碕」は、「石へん」です。普段見慣れた「山へん」の「崎」ではないのです。なぜでしょうか?

また、「岬」というのは「御崎」(あるいは「御碕」)からきたのでしょうか?

そうこうしているうちに3か月。2016年5月に、東京・小金井市で、芸能活動をしていた女子大学生が刺されるという事件が起きました。逮捕された京都に住む27歳の容疑者の男の名字は、

「岩埼(いわざき)」(岩崎友宏)

というものでした。見慣れた「山へん」の「崎」ではなく、「埼玉県」の、

「埼」

「土ヘん」でした。たしか、茨城県の、

「犬吠埼」

は、「埼玉県の埼」でした。それと同じですね。

「いわざき」と「濁る」のも聞き慣れません。大体、東日本の方が濁り、西日本は濁らさない傾向が強いと思うのですがね。ほら、「釣りバカ日誌」の主人公、「浜ちゃん」こと、

「浜崎伝助」

も、「福岡出身」という設定で、

「はまさき」

と濁らないのですよね。それを、上司が機嫌が悪くて怒鳴るときに、わざと、

「はまざき!」

濁ると、浜ちゃんは、

「ハマサキです 濁りません!」

と言い返すというのは、お馴染みのシーンですからね。この容疑者が京都(西日本)に住んでいるが「いわざき」と濁るのは、元々の出身(両親の出身地など)は「東日本」なのかもしれないなと思いました。

でも、九州でも「宮崎」は濁るけど「長崎」は濁りませんねえ・・・。

それにしても「岬」意味の漢字と思われる「崎」「碕」「埼」の区別はどうなっているのか?検索を懸けて見たらら、「海上保安庁 海洋情報部」のHPがトップに出て来ました。そこには、

『「埼」と「崎」はどうなってるの?』

というタイトルでこんなことが書かれていました。

www1.kaiho.mlit.go.jp/JODC/SODAN/faq/saki_saki.html

『海図に掲載する地名については、旧海軍水路部時代から海洋情報部が、独自に調査・検討して海図・水路誌等に採用していましたが、昭和35(1960)から海上保安庁と国土地理院が「地名等の統一に関する連絡協議会」を発足させ、地名の統一を図るための協議会を開き検討しています。

 「埼」と「崎」のことですが、海図では海洋に突出した陸地の突端部の名称としての(Saki)は、おおむね土へんの「埼」を用いています。例えば、東京湾付近では地図帳などには野島崎・観音崎・剱崎と「山へん」で記載されていますが、海図には「土へん」で野島埼・観音埼・剱埼と図載しています。

 土へんの「埼」は、陸地(平地)が水部へ突出したところを表現し、山へんの「崎」は本来の意味として山の様子のけわしいことを言い、山脚の突出した所を示しており、平野の中に突出した山地の鼻等を言う意味なので、海洋情報部では漢字の意味からも地形が判る土へんの「埼」を採用しています。

 なお、「みさき」の地形を表わす名称には「埼」のほかに「岬」、「碕」、「角」、「鼻」があり、まれに「岬」を(Saki)と読む場合もあります。

 海洋情報部は、明治時代の海軍水路部のころから、土へんの「埼」を海図に採用してきました。これは、埼、崎、岬で地形の意味を表現するために使い分けをして、海図の使用者である航海者が地名から地形が判断できるようにしていました。 国土地理院では、前身の陸軍陸地測量部が山へんの「崎」を使用していた経緯があるので、引き続き使用しています。』

そうだったのか!「海図」と「地図」で表記が違うのか!表記が違うということは、本来、地形も違うのか!知らなかったなあ。勉強になりました。

「碕」はどうなるのかな?

(2016、5、25)

2016年5月27日 20:49 | コメント (0)

新・ことば事情

6040「主要国首脳会議(サミット)2」

「平成ことば事情1765主要国首脳会議(サミット)」を書いた2004年から12年。「エト」がひと回りしました。ことしは、きょう(5月26日)とあす、から「伊勢志摩サミット」です。

2004年の第30回サミットは6月8日~10日、アメリカの「シーアイランドサミット」でした。当時の出席者と今回の出席者を比較してみましょう。2004年は、

(日本)(米国) (英国)(フランス) (ドイツ)  (イタリア)   (カナダ)

小泉 ブッシュ ブレア  シラク  シュレーダー ベルルスコーニ  マーティン

これに加えて、1998年から2013年までは「ロシア」が加わっていました。「2004年」は「プーチン大統領」が参加していました。

そして今回(2016年)は、

(日本)(米国) (英国)  (フランス)(ドイツ)(イタリア)(カナダ)

安倍 オバマ  キャメロン  オランド メルケル  レンツィ  トルドー

さすがに12年も経つと、G7の首脳も皆、変わっていますね。「ロシア」は不参加になっているし。

ちなみに「首相」か「大統領」かは、

【首相】日本・英国・ドイツ・イタリア・カナダ

【大統領】米国・フランス(・ロシア)

一応参考までに。

(2016、5、26)

2016年5月27日 15:51 | コメント (0)

新・ことば事情

6039「『四代目』の読み方」

5月25日、日本舞踊「花柳流」の「お家騒動裁判」の様子を「ミヤネ屋」で取り上げました。裁判の結果は、「三代目」から「次は、あなた」と言われていたという花柳貴彦氏(40)の勝訴でした。

現在の家元で「三代目」の後見人だった花柳寛氏(85)は、

「四代目」

を襲名しており、「五代目」に自分の孫を就かせようとしているというような話でした。

それはさておき、勝訴した花柳貴彦さんが「四代目」を、

「ヨダイメ」

と話していたのが耳に残りました。普通は、

「ヨンダイメ」

「四」を「ヨン」で読んでしまうのですが、伝統芸能などの場合はやはり、

「ヨ」

と読むのだなということを、改めて確認できたと思いました。

(2016、5、25)

2016年5月27日 12:50 | コメント (0)

新・ことば事情

6038「ハイスペック」

4月19日に開かれた関西地区新聞用語懇談会のテーマは「若者言葉」でした。

紙面や番組のチェックの際に出て来る「若者言葉」には、どのようなものがあり、どの辺りまでが「許容」で、「不可」のものはどういう言葉に直すか?ということについて話し合いました。

私からも、「最近気になる若者言葉」として出したのが、

「ハイスペック」

という言葉です。これは、その昔、女性の理想結婚相手の条件として、

「3高」

というのがありましたね。

「身長・学歴・年収」

が「高い」というものです。覚えている方は40歳以上でしょう。高けりゃいいってもんでもないんですけどね。現在はそういった「条件」が揃っていることを、

「ハイスペック」あるいは「スペックが高い」「高スペック」

などと言うようなのです。

しかし、そもそも「スペック」とは、

「パソコンなどの機器の性能」

を表すもので、それを「人間(男性)」に使うのはいかがなものか?と思うのですが、各社どうでしょうか?と質問したのです。これに対して読売新聞大阪の女性委員が、

「これまでは『能力が高い』という意味の『ほめ言葉』として普通に使っていたが、道浦さんのご指摘で初めて『失礼に当たるのか!』と気付きましいた・・・。」

という感想を漏らしておられました。

あんまり皆さん、気にならないのかなあ・・・。

(2016、5、25)

2016年5月26日 20:48 | コメント (0)

新・ことば事情

6037「トランプ氏の支持率クリントン氏上回る」

5月24日の「ミヤネ屋」の「250ニュース」のスーパーで、

「トランプ氏の支持率 クリントン氏上回る」

というのが発注されて来ました。

この文章には「主格の助詞」(「は」や「が」)や、「所属の助詞」(「の」や「を」)がないために、実は< >内の助詞を補うことで、

「2つの『正反対の』意味」

に取ることができます。つまり、

【1】「トランプ氏の支持率<が> クリントン氏<を>上回る」

【2】「トランプ氏の支持率<を> クリントン氏<が>上回る」

です。

常識的には、これまでクリントン氏がリードして来たのですから、「ニュース」になるのは、

「トランプ氏がリードした場合」

なので、【1】が正解、でしょう。それならば、きっちりと伝わるように「助詞」を入れるべきです。そこで、字数の関係もあり、

「を」

だけを補い、

「トランプ氏の支持率 クリントン氏<を>上回る」

としました。ちなみに「Qカードのスーパー」の発注には、「を」が入っていました。

(2016、5、24)

2016年5月25日 19:33 | コメント (0)

新・ことば事情

6036「2つの戦前・敗戦」

平成ことば事情203で「戦前」について書きましたが(「平成ことば事情20・戦前」「平成ことば事情4039・平和と戦前」でも)、よく言われるのは、

「戦前・戦後」

と2つに分ける場合の「戦前」には「戦中」が含まれているという話ですよね。

それについて、なぜか通勤途中の電車の中で考えていて、ハタ!と思いつきました。

「戦前・戦後」

2つに分ける場合「戦」は「終戦(敗戦)」を意味している。略さなければ、

「終戦前・終戦後」

ということ。つまり「戦前=終戦前」です。それに対して、

「戦前・戦中・戦後」

という3つに区分する場合「戦前」は、

「開戦前」

の意味であり「戦中」はまさに「戦争中」の略であり、「戦後」だけは「終戦後」の略であるということに気付いたのです。

言われて見れば当たり前だけど、「混同されやすい」のですね。

つまり「戦前」という「略語」の語源には、

「終戦前」「開戦前」

の2つの異なる言葉があるということです。

そこからついでに思いついたのは、「敗戦」という言葉は合っても「勝戦」という言葉は無いな、と。和語ならば、

「勝ち戦(いくさ)」「負け戦(いくさ)」

という対の言葉がありますが、漢語の「敗戦」には反対語がない。これは、もしかしたら、「敗戦」の経験がなかった「戦前(終戦前)」に、「敗戦」という言葉は無かったのではないか?1945年の太平洋戦争敗戦をもってできた言葉なのではないか?などと感じました。これは、調べなくっちゃ。

野球では「敗戦投手」という言葉はありますが、反対語は「勝利投手」です。「勝戦投手」ではありません。そもそも「勝利」の反対語は「敗北」ですから、「敗戦投手」ではなく、

「敗北投手」

の方が正しいのではないでしょうか?

ということで、「敗戦」「敗戦国」についても「精選版日本国語大辞典」を引いて調べたところ、

★「敗戦」=戦争、試合などに負ける事。まけいくさ。(例)『一年有半』(1901)<中江兆民>附録・笠碁的開化「貨幣分捕られて、即ち敗戦に帰するは当然の結果也」*『帰郷』(1948)<大仏次郎>霧夜「敗戦とともに日本は、どんな亡命者も、憚らず大手を振って入ってこようと防げない」*『人間嫌い』(1949)<正宗白鳥>「今はたとへ敗戦しようとも、国民の生活大困難に陥ってゐようとも」

と、用例は一番古いのが「1901年」と、比較的新しい。他の2つの用例はまさに「敗戦後すぐ」の時期です。

あ、そうか「敗戦」の反対語は「勝戦(しょうせん)」ではなく、

「戦勝」

だ!「戦勝」を「精選版日本国語大辞典」で引くと、用例の一番古い物は「室町時代中頃」の「文明本節用集」に「戦勝(センンショウ)」と載っていて、その後「日本外史」(1827)や、「催告立志編」(1807071)、「歩兵操典」(1928)で使われているようです。

「戦勝国」と「敗戦国」

という二分論なのですね!ということは、

「英語からの翻訳語」

だったのかもしれない!と思って、「戦勝」「敗戦」の、「英語」は?と辞書を引くと、

*「戦勝」=victory

*「敗戦」=defeat

ついでに、

*「戦勝国」=a victorious nation

*「敗戦国」=a defeatedvanquished nation

でした。なお、「戦勝国」を「精選版日本国語大辞典」で引くと、用例の一番仏伊の葉、

「東京日日新聞」(1898)であり、続いては夏目漱石の『吾輩は猫である』(190506)ですから、

「日清・日露戦争」

の頃、ということになりますね、使われたのは。「実際、戦争に勝った」のですから。そして「実際、戦争に負けた」ことで、「敗戦」という言葉も、

「1945年以降に、よく使われた」

のではないでしょうか?

(2016、5、18)

2016年5月24日 22:20 | コメント (0)

新・読書日記 2016_081

『不適切な日本語』(梶原しげる、新潮新書:2016、5、20)

著者の梶原しげるさんから贈(送)って頂きました。ありがとうございます。「言葉」に関してたくさんの著書を出している梶原さんだが、毎回ご本を送ってくれる、という訳でもない(別に、送ってくださいとお願いしているわけではないですよ、買ってますよ!)今回、なんで送ってくれたんだろう?もしかしたら、私のブログか何かで出ている「ネタ」を紹介してくれてるのかな?と思ったら、やっぱりそうでした。数年前に『三省堂国語辞典』の編纂者・飯間浩明さんと3人で飲んで「ことばの話」をしたときのことが出て来ました!それで送ってくれたんだ。ありがとうございます。

「奥が深い」と「匂い・臭い」

に関しての話です(100~109ページあたり)。でも、だいぶ脚色・編集はされてますね。こんなの僕が喋ったかな?というようなところもありますが、大筋はそんな話をしていました。まあ、これは「演出」の範囲内ですね。

梶原さんが「気になる」ことばの大半は私も気になります。その意味でも「とても気が合う」のですね。もちろん、梶原さんの方がアナウンサーの「大先輩」なのですが、こういう「飲み会」の席でもいつも「取材者」の姿勢で謙虚な方なので、後輩のこちらが恐縮してしまうほどです。

今回読んでいて、一番「そうそう!」と共感できたのは、まあ・・・ほとんど全部なんですが"特に"と言うと、

「『元気』は他人にもらうものなのか」と「『大丈夫です』」を安易に使っていないか」

ですかね。そのほか、

「『白髪染め』か『カラーリング』か」「『鏡開き』は何を割るものか」「『○○ちゃんママ』は幼い表現だろうか」

などは勉強になりました。

笑っちゃったのは「これも『偽装』と言うべきか」の中の、「絶対に『偽装だ!』と突っ込まれないメニューの名前」。これが、

「ファンタジーノ・ビーフオムライス(自然卵仕立て半熟オムライス) 黒毛和牛ロース肉風 シェフの気まぐれデミグラスソース わがままサラダ添え」

たしかに!「~仕立て」とか「~風」とか「気まぐれ」「わがまま」と名付ければ、何でも通りますよね!でも梶原さん、私なら1か所、突っ込むところがありますよ。え?どこかって?それは、

「シェフの」

です。作った人は本当に「シェフ」なの?「シェフ」って「料理長・コック長」ですよね、『三省堂国語辞典』によると。駆け出しの料理人や、中堅の料理人が作ってるということはありませんか?必ず「シェフ」が作っているの??

まあ、こんなこと言い出したらおいしく食べられないから、文句は言わないように、実はしているんですけどね・・・たまにしか。ときどき。


star4_half

(2016、5、15読了)

2016年5月24日 18:17 | コメント (0)

新・読書日記 2016_080

『戦争交響楽~音楽家たちの第二次世界大戦』(中川右介、朝日新書:2016、4、30)

著者の中川右介さんから頂きました。いつもありがとうございます。それにしても、この健筆ぶりは凄い。今年もう3冊目・4冊目?佐藤優か池上彰並み・・・というと、ちょっとオーバーだが。

少し前に2016読書日記024で書いた(読んだ)『オリンピアと嘆きの天使~ヒトラーと映画女優たち』(中川右介、毎日新聞出版:2015、12、15)では「映画女優」と「ヒトラー」「第二次世界大戦」の関わりを書いたが、今度は本業の「クラシック音楽」の「指揮者」「作曲家」の戦争との付き合い方、戦争の中でどう生きたのかを描いた。帯に書かれた「カラヤン・ワルター・トスカニーニ・フルトヴェングラー」の4人以外にも、数多くの、おそらく100人以上の音楽家が出て来て、生き生きと動き出す。特にやはり「ナチス・ヒットラー」との距離をどのように取ったのか?がメインテーマのように思う。その時々の政治の・世の中の本流に流されるのか、逆らうのか、まさに「人間の生き方」が問われている。芸術家の場合、その「生き方」が「作品」になっていく。「ナチス」との関わりという場合、世界的な音楽家の中に数多くいる「ユダヤ人」が、どう対応したかも興味の的となる。あるいは「音楽家」が、ユダヤ人たちに対してどう振る舞ったのか、も。

世界のクラシック音楽史上、また演奏レパートリー史上、外すことのできない「ベートーベン」も「ワーグナー」も、「ドイツ」の人。その「ドイツ」を牛耳っている「ヒトラー」。「ナチス・ヒトラー」と「ドイツ(音楽)」は「別物」であると、世界は判断した。「鬼畜米英」の音楽は「敵性音楽」だから一切まかりならん、という姿勢とは違う。

この本を読んで、最後に一番驚いたのは、フルトヴェングラーが「68歳」で亡くなっていたということ。80歳ぐらいで亡くなったかと思っていたが、まだそんな若さだったのか。と言っても当時の68歳は、今の86歳ぐらいの感じだったのかもしれないが。

「音楽年表」でしか、あるいはレコードの中にしかいなかった存在の指揮者たちが、本当に生き生きと蘇ったという感じがした一冊である。

「2016読書日記025」で書いた「『怖いクラシック』(中川右介、NHK出版新書:2016、2、10)も、あわせてお読みください。


star4

(2016、5、9読了)

2016年5月23日 11:11 | コメント (0)

新・読書日記 2016_079

『喋らなければ負けだよ』(古舘伊知郎、青春出版社:2016、4、25)

この3月末で、12年続けた「報道ステーション」のキャスターを降板した著者。その「裏話」があるのかな?このタイミングでの出版だから...と期待したら残念でした。1990年に新書版で、2002年に新装版で出た本を「加筆・修正」したもの。新たに書かれたのは、「はじめに、の前に 二○一六」と「おわりに 二○一六」。ということは、ちょっと「キセル」っぽくもある。

著者本人も「もう30年ほど前に書いたものなので・・・と思ったが、加筆・修正のために読んでみると、基本的な姿勢は全く変わっていない」とのこと。しかし、あとから「加筆・修正」したことによって、「時制」がわからなくなってしまっている部分があり、戸惑う。比喩などで出て来る事例が、昔と今とが交ざってしまって「どの視点で書かれたのか」が分からない。これは結構、気持ち悪い。もし、私も昔書いた物に手を入れる場合は、気を付けたいと思う。でも、だからと言って「出さないほうが良かったか?」と言うと、著者本人も書いているように、基本的には「今と何らブレていない」のだから、やはり読んでいると大変タメになる(特に若い人)し、「古舘さんは、こんなこと考えていた(いる)んだ」と分かって、参考になります。


star4

(2016、5、11読了)

2016年5月18日 17:04 | コメント (0)

新・ことば事情

6035「どんもの 2」

4月26日放送の日本テレビ「ZIP!!」の人気コーナー「MOCO'Sキッチン」。この日のメニューは、

「丼物」

でした。豚肉に味噌を塗り込んで、一晩寝かせたものを使った、とってもおいしそうな丼物でした。速水もこみち君は、この「丼物」を、

「どんもの」

と言っていましたが、正しくは、

「どんぶりもの」

ですよね。とっても気になりました。(これって、前にも書いたことがあるような気がするのですが。)

そして、きょうの「MOCO'キッチン」は、「旬の野菜を使ったグリーンサラダ」でしたが、ここでも、もこみち君は、

「旬もののアスパラ」

と言っていましたが、これも、「もの」を付けないで、

「旬のアスパラ(ガス)」

でいいのではないでしょうか?「旬もの」って聞いたことがない「旬のもの」は聞いたことがある。

それと、これも以前書いたと思いますが、最近は「アスパラガス」ときっちり呼ばれることが減って、大抵「アスパラ」と短く言いますね。これも何となく気になります。

グーグル検索(4月27日)では、

「丼物」    =  42万6000件

「丼もの」   =1030万0000件

「どん物」   = 224万0000件

「どんぶり物」 = 132万0000件

「どんもの」  =   1万6700件

「どんぶりもの」=   7万5600件

「丼もの」をどう読むか分かりませんが、「どん物」のほうが「どんぶり物」よりずっと多く使われているのを見ると、ネット利用者にとっては、そう読まれているのかも。既に本来の形と逆転しています。

と、ここまで書いたら「どんもの」のトップに私が書いた「平成ことば事情5543どんもの」が出て来ました・・・。やっぱり。2014年8月の「MOCO'Sキッチン」を見て書いています。もこみち君、変わらんなあ。さらに、

「旬もの」 = 6万1300件

「旬のもの」=87万2000件

「旬物」  = 9万2000件

「旬の物」 =33万9000件

こちらはまだ、「の」を省略した形は、それほど普及していない様に思われます。

「アスパラ」  =1010万0000件

「アスパラガス」=  43万1000件

こちらも「アスパラ」が圧倒的ですね。これについても、書いた気がする・・・。

「平成ことば事情4035 アスパラ」(2010、6、28)

「平成ことば事情4864 アスパラか?アスパラガスか?」(2012、10、7)

で書いていました。

「平成ことば事情4035 アスパラ」(2010、6、28)の歳の検索では、

「アスパラ」  =303万0000件

「アスパラガス」=125万0000件

でしたから、この6年でその差は「3倍→25倍」に広がっているということですね。

(2016、4、28)

2016年5月15日 11:59 | コメント (0)

新・ことば事情

6034「満面の笑顔」

4月1日の「ミヤネ屋」のスーパーで、思わず見逃してしまいそうになった表現に、

「満面の笑顔

というのがありました。え?何が違うかって?「満面」の後に来るのは「笑み」、つまり、

「満面の笑み

が正しい表現ですね。

しかし、結構これって使われていそうな気がします。

グーグル検索(5月3日)では

「満面の笑顔」=47万8000件

「満面の笑み」=41万7000件

でした。ほら!「満面の笑顔」のほうが、たくさん使われている!ほぼ同数だけど。

同業者の中で、もう8年も前、2008年1月16日に、ナレーター・アナウンサー養成塾塾長でナレーターの「伊藤英敏さん」という方が、ブログにこう書いています。

「最近、特に多いナレーションコメント『満面の笑顔』。私も同じ仕事をする人間として、とても気になっています。満面の"満"は全体に満ちるという意味で、"面"は顔のことです。(中略)満面は"顔全体に満ちた"という意味、そこに笑った顔"笑顔"が来てしまうと、顔中に顔だらけになってしまいます。本来は『満面の笑み』です。」

やっぱりおかしいですよね?似たようなものに、

「笑顔がこぼれる」

があります。これも正しくは、

「笑みがこぼれる」

でしょう。これもググって見ましょう。

「笑顔がこぼれる」=23万9000件

「笑みがこぼれる」=75万0000件

これはまだ、正しい「笑みがこぼれる」のほうが優勢ですが、それでも30万件近く「笑顔」も「こぼれて」います。笑みも漏らしている場合ではありませんね。

(2016、5、3)

2016年5月14日 12:57 | コメント (0)

新・ことば事情

6033「精強化」

4月14日、田母神・元航空幕僚長の逮捕を受けて放送した「ミヤネ屋」のテロップの事前チェックの中で、航空幕僚長就任時の発言を紹介したテロップに、

「自衛隊の盛況化」

というのがありました。「盛況化」って、自衛隊は「お店」じゃないんだから、「盛況」はおかしいだろう思い、書を引いてみたところ、やはり「同音異義語」の間違いでした。正しくは、

「自衛隊の精強化」

これなら、味は解ります。しかし、

「精強」

って、普段は使わない言葉ですね「盛況」のほうが、じみがあります。

あまり「精強」に、なじみを持ちたくはないなあ。

(2016、5、3)

2016年5月13日 21:56 | コメント (0)

新・ことば事情

6032「大規模地震」

いまだに収束を見せない「熊本地震」。その後「前震」とされた地震があった4月14日の翌日、「ミヤネ屋」のスタッフから、

「今回の熊本地震を『大規模地震』と言ってしまっていいのか?『大規模地震』」には定義があるのではないか?」

という質問があり、調べたところ、法律では「1978年成立」の、

「大規模地震対策特別措置法」

というのがありました。この法律には、「大規模地震」とは「大規模な地震」であると「広い意味」で捉えていますが、最近のものでは、2014年3月に「中央防災会議」が出している、

「大規模地震防災・減災対策大綱(案)」

によると、

「本大綱は、南海トラフ地震、首都直下地震、日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震、中部圏・近畿圏直下地震を対象としている。」

とあるので「狭い意味」で規定しています。

その辺りを考慮すると、今回の「熊本地震」は、「東日本大震災」以来の「震度7」を記録した大きな地震で、「東日本大震災」以来初めて、気象庁が、

「平成28年(2016年)熊本地震」

と、地震の名前を命名したことからも、「な」を入れて、

「大規模な地震」

とは言えるものの、

「中央防災会議が想定した「『大規模地震』ではない」

と言えます。しかし、その翌日に「本震」が起きたことで、

「そもそもの定義を変えなくてはいけないのではないか?」

という疑問も出て来ました。

(2016、5、3)

2016年5月13日 19:54 | コメント (0)

新・ことば事情

6031「伊波礼毘古命(イハレビコノミコト)の読み方」

4月4日の「ミヤネ屋」で、なんと「神武東征伝説」が出て来ました。

その中で、神武天皇の別名である、

「伊波礼毘古命(イハレビコノミコト)」

「ハ」の読み方について、ナレーターさんから質問を受けました。つまり、

「発音は『ha(ハ)』か?『wa(ワ)』か?」

ということです。ちょっと調べて見て、

「ha(ハ)」

で読むことにしました。辞書を引くと、

「イハレビコノミコト」「イワレビコノミコト」

両方の表記が載っていたのですが、

「『万葉仮名』では、『波』は『ハ』と発音する」

という事の用なので「ハ」にしました。

ただ、当時の発音では、正確には、

「ファ」

と発音したんでしょうけどね。

ちなみに「万葉仮名」で「ワ」と発音する漢字は、

「和」「輪」「倭」

のみでした。

(2016、5、3)

2016年5月13日 14:53 | コメント (0)

新・ことば事情

6030「ノンシリコーン配合」

風呂場で、シャンプーの詰め替えをしているときに、詰め替え用の袋の文字に目が留まりました。そこには、

「弱酸性・ノンシリコーン配合」

と書かれていたのです。ポイントは2点。

1つ目は、「シリコン(silicon)」は「ケイ素」の元素名で、その「シリコン」を使った樹脂は「シリコーン(silicone)」と「-」で伸ばして表記が違う(英語でも「e」が語尾についてスペルが違う)のですが、それを忠実に、

「シリコーン」

と伸ばして表記していること。これは、初めて目にした気がします。

2つ目は、

「ノン○○配合」

という構文です。これはつまり、

「○○は配合していない」

ということではないのでしょうか?「平成ことば事情4236」で書いた、

「ノーミスをする」

のような形だなあと思ったのでした。ただ、今回の場合は、

「ノンシリコーン」

の物を「配合」したのですから、例えば、

「『遺伝子操作をしていない作物』使用」

みたいな感じなのでしょうか?ただ「ノン」という「否定」の言葉があるのに「配合」とあると、

「配合してるのか、してないのか、どっちやねん!」

と感じて「なんかヘンな感じ」がするのですね。

「シリコーン不使用」

とすれば、わかりやすいと思うのですが、いかがでしょうか?

(追記)

シャンプーのコマーシャルで、やはり、

「ノンシリコーン配合」

と放送しているのを見ました。

「平成ことば事情4064シリコーン」もお読みください。

(2016、10、28)


(2016、5、6)

2016年5月13日 10:50 | コメント (0)

新・ことば事情

6029「矢切りの渡し」

4月13日の「ミヤネ屋」でのパネルで「瀬川瑛子さん」が出て来て、その紹介の中に出て来た曲名に、

「矢切りの渡し」

とありました。これって「細川たかし」さんが歌ったのが有名だけど、「競作」になったんだよな。でも、地名の「矢切」は「り」の送り仮名はないだろう?と思って調べて見ると、「細川たかし」さんの曲にも、他の歌手が歌う競作曲(同じ曲)でも「り」は入っていないし、何より「作詞者の石本美由紀さん」のタイトルにも「り」は入っていなくて、

「矢切の渡し」

となっていました。ところが、「瀬川瑛子さんのレコードジャケット」には「り」が入って、

「矢切りの渡し」

になっているのです!

そして、瀬川さんのオフィシャルサイトの曲目紹介欄でも「り」は入っていない、

「矢切の渡し」

となっていますし、「JASRAC」のサイトでも「り」は入っていません。

ということで、送り仮名「り」は付けずに、

「矢切の渡し」

として放送したのですが、一体全体「り」が入った、

「矢切りの渡し」

は、その後どうなったのでしょうか???

(2016、5、3)

2016年5月12日 21:49 | コメント (0)

新・読書日記 2016_078

『組織の掟』(佐藤優、新潮新書:2016、4、20)

精力的に書物を上梓し続ける佐藤優さんの新書の新著。佐藤さんの所属していた「組織」とは「外務省」。中でも「ロシアン・スク-ル」ということで、ちょっと「特殊な組織」のようにも思えるが、佐藤さんいわく、「良くも悪くも、最も組織の特徴が出た組織」のようで、外務省での「組織人」の在り方は、他の一般企業などの組織にも当てはまると。本書を読む限り、外務省でもロシアでの佐藤さんの働きは、「スパイ」のような感じだと言っていい。いわゆる「インテリジェンス」。本当に、ハラハラ、ドキドキ。僕なんか絶対にできない仕事だ。官僚の世界の腐った部分や、「おねえ言葉の上司」が出てきたりもして、その意味では『半沢直樹』っぽくもあって、面白い一冊。


star4

(2016、5、5読了)

2016年5月13日 12:46 | コメント (0)

新・読書日記 2016_077

『ワールドサッカーダイジェスト5月28日号増刊~ヨハン・クライフ追悼号』(編集人・吉田治良、日本スポーツ企画出版社)

ことし3月24日、ヨハン・クライフが亡くなった。

これはひとつの事件である。

と言っても、サッカーファン、それもリアルタイムでクライフのプレーを目にすることができた世代以外にとっては「誰それ?」「何それ?」というものかも、しれないが・・・。

そうだなあ、野球がさかんな日本では、「王」「長嶋」みたいな感じかなあ。「王」の背番号が「1」、長嶋の背番号が「3」っていうのは常識でしょ。それと同じく、サッカーファンにとっては、クライフの背番号が「14」というのは、ペレの背番号が「10」というのと同じぐらい常識なんです。あとは知らない。頭に焼き付いている「1974年西ドイツワールドカップ」でのプレーの数々・・・。

そのクライフが、亡くなった。68歳という若さ・・・。

いつまでもオレンジ、あるいは白のユニフォームの背番号「14」の印象が。オランダ代表のユニフォームは「アディダスの3本線」のユニフォームなのに、クライフだけは「2本線」。それは「プーマ」と契約していたから。そんなわがままが許されたのも、クライフが本当の「スーパースター」だったから。なんか、サッカー界のスーパースターは「わがまま」というイメージが強いけど(マラドーナとか、さ)、本当にそうなんです。そのプレーを見た時の衝撃は忘れられません。「フライング・ダッチマン=空飛ぶオランダ人」。ワーグナーは「さまよえるオランダ人」を作曲したけど、クライフも実はいろんなチームを「さまよって」いたなあ。でも、故郷・オランダの「アヤックス」と、師と慕ったリヌス・ミケルス監督率いるスペイン「バルセロナ」は、やはり格別のチームだったろう。まだフランコ統治下のスペインで、カタルーニャのバルセロナが、マドリードに勝ったのだ。そして、その後の監督時代の栄光も凄い。第二の故郷と言っていいでしょうね、バルセロナ。この本には、そんなクライフの傲慢で、かつ天才の証明である「名言の数々」や、カンプノウでの追悼の写真も載っている。そのカンプノウの建て替え、なんと日本の日建設計が手掛けるそうだ。きょう(5月10日)の夕刊に載っていた。合掌。


star5

(2016、5、9読了)

2016年5月12日 19:44 | コメント (0)

新・読書日記 2016_076

『雑学の威力』(やくみつる、小学館新書:2016、4、6)

「ミヤネ屋」にもご出演頂いている「やくみつる」さんの著書。本屋さんで見つけて購入。

やくさんと言えば、最近は本業の「漫画家」としてよりも「クイズ解答者」「大相撲解説者」「コメンテーター」としての側面がクローズアップされることが多いが、いずれにせよ「博識」として知られている。

もともと私も「雑学」は好きで、本人は特に「雑」とは思ってないのですが、周囲から見ると「雑」なんでしょうね、とおっちらかっていて。

「雑も積もれば、専門性をもつ」ということで「威力」しおいれより、「雑学」の持つ効用と、どうすれば「雑学王」に近づけるか?ということが記されているのですが、「雑学」は「そのために、無理して努力する」ものではなく、日常生活の中で「好き」なものを見つけて、「努力」という気持ちも無しに「好きだからやってたら、知識が積もり積もってしまった」ということだと。だから一番は「好きなものを見つける」というにが、一番大事なのかなあと。同感です。やくさんほど徹底してないけど、私もまあ、同じようなことを日々やっているので、大変共感を持って読むことができました。

最近「雑談力」なんて本も見かけるけど、「雑学」はもちろん「雑談力」に通じますよね。そんな話もたくさん載っています。語り下ろしのような、スムーズで肩の張らない一冊です。


star4

(2016、5、5読了)

2016年5月12日 19:42 | コメント (0)

新・読書日記 2016_075

『言ってはいけない~残酷すぎる真実』(橘玲、新潮新書:2016、4、20)

この著者の本は以前、読んだことがあると思う。

「言ってはいけない」「残酷すぎる真実」とは?興味を持って購入し読んだ。その意味では良いタイトルだ。

本書は「13章」あるが、大きく分けると「3つ」。

「努力は遺伝に勝てないかのか?」

「あまりに残酷な『美貌格差』」

「子育てや教育は子どもの成長に関係ない」

つまり「遺伝と環境」は、どのぐらいの割合で影響を及ぼすのか?という話。

その中で、アメリカの行動計量学者のリチャード・ハーンスタインと、政治学者のチャールズ・マレーが1994年に出版した「ベルカーブ」という本の内容を紹介している。ベストセラーになったが、その内容が「人種差別(的)だ」と問題にもなったという(だかからこそ、よく売れた?)。

あれ?これ、どこかで聞いたことがある。あ、そうだ、たしか辛坊さんが1997年~98年にアメリカに留学した際に読んだ、というのを聞いたことがあるな。直接聞いたか、雑誌の連載で読んだか、あれだな。本人に確認したら、「原書で読んだ」と、ちょっと自慢げなメールが来ました。

つまりこの本も、「内容は『事実』だとしても、公然と胸を張って他人に言えないような『真実』」が書かれているのでしょうね。

そんな感じでした。


star3_half

(2016、5、1読了)

2016年5月12日 19:40 | コメント (0)

新・読書日記 2016_074

『日本百名山』(深田久弥、新潮文庫:1978、11、27初版・2005、4、25第46刷改版・2013、6、5第54刷)

有名なこの本、昭和39年(1964年)に新潮社から単行本が出て、1964年に読売文学賞を受賞している。1978年には「文庫本」が出た。その文庫本が、35年間でなんと54刷!なんというロングセラー!中高年の方に「登山」特に「百名山登山」が流行して久しいが、その「バイブル」ともいうべき一冊。著者は1903年生まれ。1971年に亡くなっているが、脈々と読み継がれ、登り続けられている。

私がこの本を手に取った理由は、

「日本百名山」

という「日本」の読み方は「ニホン」か?それとも「ニッポン」か?を調べるためだった。

本書の「奥付」を見ると、「日本百名山」という書名に、

「にほんひゃくめいざん」

と平仮名でルビが振ってあった。「ニホン」だ!

ちなみにNHKの衛星放送でやっている「山」の番組のタイトルは、

「ニッポン百名山」

おそらく、漢字で書くとこの本のタイトルと同じになってしまうので避け、また「ニホン」としたら「日本百名山」と同じ読み方になってしまうので、あえて「ニッポン」と「読み方」も「表記」も変えたのではないかな?と思いました。

それにしても、なんで人はこんなに、山に登りたがるんだろう?それは、やはり、

「そこに山があるからだ」

としか言えないわなあ・・・。


star4

(2016、4、10読了)

2016年5月12日 19:39 | コメント (0)

新・読書日記 2016_073

『右の心臓』(佐野洋子、小学館文庫:2012、3、11)

タイトルは、幼い頃亡くなった著者のお兄さんのこと。彼は心臓が右にあり、中学生になるまでに亡くなった。昭和20年代、戦後すぐの時期の地方の生活の様子が、子どもの目線で描かれていて、小説なのかノンフィクションなのか、境界線が分からない。しかし、文体は、小学校低学年の著者のままだ。大人の文章ではない。かといって幼いままの文体でもない。これは、"大人である著者の魂があの頃に戻って書いている"としか思えないようなリアルさである。私が生まれる前の昭和20年代の話ではあるが、本当に私も同時代を過ごしたことがあるかのようなリアルな体感が得られる。「三丁目の夕日」的な「おとぎ話・ユートピアだった昔」ではなく、現実的な、どちらかというと「ディストピア」的な面もある。子どもの目から見た大人の汚さ、子どもの残酷さも描かれた一冊だ。

著者の佐野洋子さんが亡くなって6年たつが、その作品は今も生きている。輝いている。


star4

(2016、4,21読了)

2016年5月12日 19:38 | コメント (0)

新・読書日記 2016_072

『クラウド 増殖する悪意』(森達也、dZERO、2013、12、21)

最初に署名を読んだときに「クラウド」によって「悪意」が増幅されているのかと思ったが、そういう意味ではない、と著者が「まえがき」で書いている。帯には、

「善良な市民が正義を振りかざし、厳罰化を求める。大勢が因って集(たか)って一人を叩きのめす。メディアは抗(あらが)うことをやめ、萎縮し、何事もなかったかのようにふるまう、これが日本なのか、日本人なのか」

これを読むと、「なんて卑怯な人たちなんだ!」だと感じるが、世の中の風潮が、たしかにそんな色を帯びているのを感じる。

この本は2013年の12月に出ているので、もう2年以上前の本だが、ここに書かれた傾向は、更に悪いほうに進んでいる様に感じる。

ただ、確かに著者の指摘するのは「世の中の(人たちの)良くない流れ」だが、昔は「そうそう!」と思って読めたこの著者の文体が、ちょっと持って回ったように感じて、あまり好きになれない。もっとすっきり書いて欲しい気がした。著者の文体は変わっていないので、これは読み手である私の感じ方が変わったのだろう。


star3_half

(2016、5、2読了)

2016年5月12日 19:36 | コメント (0)

新・読書日記 2016_071

『見えない文字と見える文字~文字のかたちを考える』(佐藤栄作、三省堂:2013、5、30)

ちょっとミステリー風のタイトル。

「文字とは何か?」

手書きの文字は、百人百様。しかし人間(日本人)は、その百種百様の文字を「同じ文字」だと認識する。「ツ」のような「シ」の正体は?また、いわゆる「ギャル文字」を、なぜギャルは読めるのか?あれは文字なの?漢字の字体も変化して来る。そして、字体のバラエティーは、今に始まったものではない、漱石の字だって・・・。

しかし、そういった「手書き」から、急速に世の中は「打ち文字」時代へと変わってきている。手書きの文字が「動的」とすれば「打ち文字」は「静的」な文字である。この本が出てからもう3年もたっているし、こういった傾向は更に進行しているかも。この本を読んで勉強しよう!


star4

(2016、4、8読了)

2016年5月12日 19:35 | コメント (0)

新・読書日記 2016_070

『南紀の台所3』(元町夏央、集英社:2015、10、24)

三重県の紀伊半島の先っちょにある町を舞台にしたグルメ漫画。

東京から、そんな自然の中の田舎中に引っ越した若夫婦が、戸惑いながらも、自然の恵みの豊かさを満喫しながら、その土地に溶け込んでいく様子を描いている第3巻。その町の名前がなんと、

「道浦」

なのだ。私が読まずに誰が読む!続きも、是非読みたいです!


star3_half

(2016、4、17読了)

2016年5月12日 19:34 | コメント (0)

新・読書日記 2016_069

『そして、メディアは日本を戦争に導いた』(半藤一利・保坂正康、文春文庫:2016、3、10)

現代日本の語り部として信頼の置ける長老2人の対談集。対談のきかっけは、2012年4月に自民党が「日本国憲法改正草案」を出して来たこと。そこには「戦前の昭和史の教訓」が微塵も反映されておらず、「いつか来た道」を辿りかねないという危機感を覚えたからだ。特に「表現の自由」を「公益の秩序」を理由に大幅に制限し、従来の「国民の自由を脅かす『国家の横暴を制限する』ための憲法」を、「国家目的を妨げる『国民の権利を制限する』憲法」に、まさに「正反対の性格を持つ憲法」に塗り替えようとしている、というのだ。「はじめに」は2013年の8月15日に書かれている。あえてこの日付「8月15日」を選んだのだろう。安倍政権はその後も更に「いつか来た道」への誘導路を進み続けており、「困ったものだ」と言ってるだけでは修正できない、ということで「文庫版」も今年2016年3月に出た。(「文庫版のための追加まえがき」は2016年1月に書かれた)

印象に残った言葉。

「考えることの放棄からファシズムにつながっていく」

いま、みんな「考えなく」なっていないか?

半藤さんは言う。

「国家が日本主義へと統一されていったのは、まず、教育と原論の国家統制、二番目が情報の国家統制、三番目が弾圧の徹底化、四番目に来るのがテロの発動。四つのことが一緒になって、国家というものが暴力的に大きな固まりになっていく」

その中で、

「ジャーナリズムはどの国でも国家と一体化していた」

「メディアは売り上げで動く」

「強制的に法で縛ってくる、情報の発信を一元化しようとしてくる、表現に干渉してくる、こうした圧迫が加わる兆候が見えたら、ジャーナリズムは警戒しなければならない」

「歴史を知り、常に危機意識を持って報道活動に臨む必要がある」

「国や政権が何のために情報を隠そうとするのかといえば、その大半は、私達の知る権利や生命財産を危うくするものばかり」

などなど、まさに「警鐘」を鳴らした一冊。


star4_half

(2016、4、6読了)

2016年5月12日 19:32 | コメント (0)

新・読書日記 2016_068

『仇敵』(池井戸 潤、実業之日本社文庫:2016、4、15)

「きゅうてき」と読みます。「かたき」ですね。

まだ、池井戸潤の作品で、読んでいないものもあったんだなあ。新しく出ていた文庫本を本屋で見つけて買ってしまい、すぐに読みました。

主人公の「恋窪商太郎」は、一流都市銀行の「部次長職」だったのに、社内の"政敵"の不正をただそうとした"政争"に敗れて、不祥事の責任を押しつけられてクビにされ、格の落ちる銀行で「庶務行員」をしている42歳の中年。「庶務行員」というのは、いわゆる「エリート銀行員」ではなくて、お客の案内をしたり駐車場の整理をしていて、「銀行の本来業務=お金」を扱うことは許されていない職種なんだそうだ。知らなかった。

そういう"身分"にありながら「スーパーマン」的な働きをして、正に「かつての"政敵"=仇敵」を追い詰めて行くという連作短篇。

1話ずつ完結しているが、話はつながっている。こんなテレビの台本向けの物語があったなんて!と思ったら、もうすでにストーリーは、テレビドラマ「花咲舞が黙ってない」に使われたのだそうです。なーんだ(やっぱり)。

でも痛快な"銀行物語"です。


star4

(2016、4、14読了)

2016年5月12日 19:30 | コメント (0)

新・読書日記 2016_067

『繚乱』(黒川博行、角川文庫:2016、3、25)

大阪の直木賞作家、あの黒川博行氏のハードボイルドな、とても分厚い文庫本。600ページもあって840円(税別)は安い!読むのに1週間かかりました。

元警察官(暴力団担当)のコンビが、裁判所で競売にかけられる物件の「調査官」をやっていて、いろいろ調べて行く中に大変な出来事がいっぱい出て来る。600ページのうち400ページぐらいまでは、いろんな登場人物が出て来て、どんどん話が拡大していく。その様子は「山登り」のよう。そして、残りの200ページは山を一気に下って行く。ある「事件」をきっかけに、山頂からゲレンデを滑るように、広がった話が一気に収斂していくさまは心地よく、ここは一気に読める。

これだけの話を「ゼロ」から作れたらスゴイなあとは思うが、筋書きが「なんかどこかで聞いたことあるような感じがする」のは、バブルがはじけたころの「イトマン事件」をベースにしているからだと思われる。現実の「イトマン事件」では「末野興産」というのが出てきたが、ここでは「末松興産」。半分ぐらいカブっているようなネーミング。

また、出て来る場所が"関西"の私も土地鑑のある所ばかりなので、臨場感を持って読むことができた

「生レバー」を食べているシーン(328ページ)もあって、「ああ、当時は食べても良かったんや」と時代を感じる。この作品は2012年11月に、単行本が出てるんだけどね。

暴力団がらみの話だから、「シャブ(覚醒剤)」の話も出て来る(355ページ)。

それによると、

「普通、シャブの初心者が1回に射(う)つ量は0、025グラムほどだ。中毒が進んで耐性のできたものでも0、1グラムだろう」

「堀内が暴犯係だったころ、シャブの売人と客は何人も逮捕した。売人はシャブを0,1グラム単位に小分けにした"パケ(小袋)"を客に売る。パケの値段はそのときどきの相場と売人によって上下するが、3、4年前は0,1グラム入りで8000円から1万円、0,3グラム入りで2万円前後だった。ポンプ(注射器)は3000円で、上客にはタダで渡していた」(355-356ページ)

などと、知らなくてもいい知識まで教えてくれるが、この値段は、清原被告が買っていた値段とほぼ同じだなあと思った。

(☆4つ半)


star4_half

(2016、4、28読了)

2016年5月12日 19:25 | コメント (0)

新・読書日記 2016_066

『下流中年~一億総貧困化の行方』(雨宮処凛・萱野稔人・赤城智弘・阿部彩・池上正樹・加藤順子、SB新書:2016、4、15)

「下流○○」という流行語、最初に登場してからもう10年ぐらいになる。

最初は「若者」、そのあと「老人」にいき、また跳ね返って「中年」にまで。こうなると本当に、サブタイトルにあるように「一億総下流化」になってしまうじゃないか!

「ミヤネ屋」にもご出演頂いている津田塾大学教授で哲学者の萱野稔人さんと、雨宮処凛さんの対談から始まるオムニバスの一冊。2人の対談は実は8年前に行われていて、当時の「下流」の懸念は「若者」についてだった。しかし、8年経って当時の「若者」たちが「中年」になってしまったのだ!「中年」になったからと言って、状況は良くなっていない。かえって悪化している。一足先に「老人」も「下流化」しているし、一体どこに突破口は、明るい未来があるんだああ!という感じである。

「一億総活躍社会」などというスローガンが、むなしく聞こえる一冊。


star3_half

(2016、4、17読了)

2016年5月12日 19:24 | コメント (0)

新・読書日記 2016_065

『重版出来!(2)~(5)』(松田奈緒子、小学館:(2)2013、10、5第1刷・2014、1、21第4刷(3)2014、4、2第1刷(4)2014、10、5第1刷・2016、3、29第2刷(5)2015、4、15)

「第2巻」は、まさに漫画家と付き合う「編集者の苦労」が、「第3巻」は、編集者にもいろんな人がいて、新人漫画家は、どんな編集者が担当になるかで、その後の漫画家人生が変わってしまうかも...というような話が、そして「第4巻」は、新人漫画家にもいろんなタイプが居て、それを育てる編集者の苦労が描かれていて、どれもおもしろい!ちなみに、ドラマは見ていません・・・。「第5巻」は、書店員さんも、「おもしろい本をたくさん買って欲しい!そのためにはどうすればよいか?」を、本当に研究して、売り場の並べ方を工夫したり、「この時期に出す本が、売り場で目立つための表紙の色目は、この色が良い」などと考えていたり、「本」という物が読者の手に届くまでには、「作者」や「編集者」「出版社」だけの努力で出来ているのではないのだな、ということを描いていて、本当に勉強になる。ただ「第5巻」は、「第1刷」が出てから1年、まだ「第2刷」が書店に並んでいないことを考えると、最初の勢いはなくなったのかな?と。そのタイミングで「テレビドラマ」が始まったので、その勢いで...と、本屋さんも考えているようで、家の近くの本屋さんでは、店の真ん中にある「特集」コーナーに、うずたかく積まれてあり、つい「第5巻」を買って家に帰ったら、家に既に「第5巻」が・・・。


star4

(2:2016、4、17読了)(3:2016、4、18読了)(4:2016、4、18読了(5:2015、4、19読了))

2016年5月12日 19:21 | コメント (0)

新・読書日記 2016_064

『重版出来!1』(松田奈緒子、小学館:2013、4、13第1刷・2013、5、18第3刷)

「出来」と書いてなんと読むか?「でき」?ブーッ!この場合「正解」は、

「しゅったい」

と読むんですねえ。恐らく「しゅつらい」が転訛したんだと思いますけど。

ということで、

「元・女子柔道の五輪代表候補で、漫画の編集者の新入社員の女の子」

が主人公の漫画。「小熊」と呼ばれる風貌の、漫画大好きな熱血女子です。

他局でちょうど、この本が原則のドラマが始まりましたが、私がこの本知ったのは、校閲者の方のツイッターから。ドラマ化は全然知りませんでした。

読んだら、おもしろい!ドラマは見てないけど、漫画は面白い!続きが読みたい!


star4_half

(2016、4、13読了)

2016年5月12日 19:20 | コメント (0)

新・読書日記 2016_063

『もう「東大話法」にはだまされない~「立場主義」エリートの欺瞞を見抜く』(安冨歩、講談社+α新書:2012、9、20)

4年前に買って、ちょっと読みかけて読み差しになっていました。

「東大話法」とは?

「帯」には、

「わざとややこしく話して 問題をウヤムヤにし、ケムにまいて責任逃れをする、徹底的に不誠実」

な話し方だそうで、それに対抗するために読むべし!と。

そもそも著者が「東大教授」なので、「なんじゃ、そりゃ?」とも思うが、だからこそ真実味があるのも、また事実。

この「東大話法」なるものの秘密を、なぜ著者が世の中に広く知らしめたいと思ったかというと、「東日本大震災」の責任問題を巡って、エライ人たちがこぞってこの「東大話法」を使って責任逃れをしようとしているのを見かねて、その欺瞞を暴くことが目的だそうだ。

「帯」の裏を見ると、「代表的な東大話法」が列挙されている。それによると、

「それは私の立場では答えられません」

「君の言うことはよくわかった。実は私もそう思うのだ。だが、色々と事情があって、そうはいかないんだ。大人になれ 」

「そのような意見もあるかとは思いますが、私としては、まだまだ議論が足りないと」

「もし気分を害したなら、謝るよ」

「そこまでやるとは思わなかったよ、他人に迷惑だろ」

ああ、こうやって見ているだけでハラが立つ!いわゆる「お役人言葉」の系統ですね、これは。よく、この話法を使っているヤツらの顔が、頭に浮かびます、言わないけど。

ま、一読の価値はあると思います。ハラ立つけど。


star3_half

(2016、4、4読了)

2016年5月12日 19:18 | コメント (0)

新・読書日記 2016_062

『BLUE GIANT 8』(石塚真一、小学館:2016、3、30)

隔週刊の『ビッグコミック』で連載を読んでいるが、3か月分をまとめて読むと、また感慨が違う。

ここ2か月くらいは、上京して1年、力を蓄めて来た主人公・大(だい)が所属するトリオ「JASS」も、また大自身も、大きな変化を迎え、また大きな変化の予感を感じさせられ、まさに「青春!」という感じ!応援するよ!!


star4

(2016、4、8読了)

2016年5月12日 19:16 | コメント (0)

新・読書日記 2016_061

『フジテレビ全仕事』(フジテレビジョン編、扶桑社:2008、10、10)

2016読書日記061『フジテレビはなぜ凋落したか』を読んだ後、ふと家の書棚を見ると、この本があった。今から8年前、まだまさに、フジテレビが絶頂を極めていたときに出された本。当時、「勉強に(参考に)なるかな?」と思って買ったものの、何となく読まずに、本棚に挿したままになっていた分厚い新書。2007年度にフジテレビが慶應義塾大学で「講座」を持って、大学生たちに「テレビ局の極意」の授業をしていた、その講義録のような一冊。うち(読売テレビ)も読売新聞大阪本社と一緒に立命館大学などでこういった「マスコミ講座」的な授業をしていて、私も何年か前に行ったことがある。

この慶應での講義をしている人たちは、現在、社長さんになった方や役員になっている人はもちろん、当時の局長や局次長といった、かなり「幹部」の人たち。報道や制作・ドラマの現場の「バリバリの中心」ではなく、既に功なり名を遂げて管理職になった方が多く、そこで話される内容も「少し過去」のものが多いように感じた。

読んでいると、テレビ局の様子もよく分かるし、『フジテレビはなぜ凋落したか』に出てきたように、フジテレビが、いかに『楽しくなければテレビじゃない』を「憲法」のように信奉しているかもよくわかった。だって、それで業界のトップに君臨してきたし、当時はまだ君臨していたのだから、「信奉」するのは当たり前ですよね。

読んでいて、8年経った今でも「その通りだな」という感じを持ったのは、報道やコンプライアンス、アナウンサー、ネットワークシステムなどの分野。逆に、「それはちょっと・・・どうだろう?8年の歳月は、こうも我々の感じ方を変えたのか」と思ったのは、ドラマやバラエティーの分野。変化の波が、激しいのかもしれない。

『フジテレビはなぜ凋落したか』との2冊を並行して比較して読むことで、より深く「フジテレビ」を知ることが出来たように思った。


star3_half

(2016、4、12読了)

2016年5月10日 17:11 | コメント (0)