平成ことば事情203で「戦前」について書きましたが(「平成ことば事情20・戦前」「平成ことば事情4039・平和と戦前」でも)、よく言われるのは、
「戦前・戦後」
と2つに分ける場合の「戦前」には「戦中」が含まれているという話ですよね。
それについて、なぜか通勤途中の電車の中で考えていて、ハタ!と思いつきました。
「戦前・戦後」
と2つに分ける場合の「戦」は「終戦(敗戦)」を意味している。略さなければ、
「終戦前・終戦後」
ということ。つまり「戦前=終戦前」です。それに対して、
「戦前・戦中・戦後」
という3つに区分する場合の「戦前」は、
「開戦前」
の意味であり「戦中」はまさに「戦争中」の略であり、「戦後」だけは「終戦後」の略であるということに気付いたのです。
言われて見れば当たり前だけど、「混同されやすい」のですね。
つまり「戦前」という「略語」の語源には、
「終戦前」「開戦前」
の2つの異なる言葉があるということです。
そこからついでに思いついたのは、「敗戦」という言葉は合っても「勝戦」という言葉は無いな、と。和語ならば、
「勝ち戦(いくさ)」「負け戦(いくさ)」
という対の言葉がありますが、漢語の「敗戦」には反対語がない。これは、もしかしたら、「敗戦」の経験がなかった「戦前(終戦前)」に、「敗戦」という言葉は無かったのではないか?1945年の太平洋戦争敗戦をもってできた言葉なのではないか?などと感じました。これは、調べなくっちゃ。
野球では「敗戦投手」という言葉はありますが、反対語は「勝利投手」です。「勝戦投手」ではありません。そもそも「勝利」の反対語は「敗北」ですから、「敗戦投手」ではなく、
「敗北投手」
の方が正しいのではないでしょうか?
ということで、「敗戦」「敗戦国」についても「精選版日本国語大辞典」を引いて調べたところ、
★「敗戦」=戦争、試合などに負ける事。まけいくさ。(例)『一年有半』(1901)<中江兆民>附録・笠碁的開化「貨幣分捕られて、即ち敗戦に帰するは当然の結果也」*『帰郷』(1948)<大仏次郎>霧夜「敗戦とともに日本は、どんな亡命者も、憚らず大手を振って入ってこようと防げない」*『人間嫌い』(1949)<正宗白鳥>「今はたとへ敗戦しようとも、国民の生活大困難に陥ってゐようとも」
と、用例は一番古いのが「1901年」と、比較的新しい。他の2つの用例はまさに「敗戦後すぐ」の時期です。
あ、そうか「敗戦」の反対語は「勝戦(しょうせん)」ではなく、
「戦勝」
だ!「戦勝」を「精選版日本国語大辞典」で引くと、用例の一番古い物は「室町時代中頃」の「文明本節用集」に「戦勝(センンショウ)」と載っていて、その後「日本外史」(1827)や、「催告立志編」(18070-71)、「歩兵操典」(1928)で使われているようです。
「戦勝国」と「敗戦国」
という二分論なのですね!ということは、
「英語からの翻訳語」
だったのかもしれない!と思って、「戦勝」「敗戦」の、「英語」は?と辞書を引くと、
*「戦勝」=victory
*「敗戦」=defeat
ついでに、
*「戦勝国」=a victorious nation
*「敗戦国」=a defeated(vanquished) nation
でした。なお、「戦勝国」を「精選版日本国語大辞典」で引くと、用例の一番仏伊の葉、
「東京日日新聞」(1898)であり、続いては夏目漱石の『吾輩は猫である』(1905―06)ですから、
「日清・日露戦争」
の頃、ということになりますね、使われたのは。「実際、戦争に勝った」のですから。そして「実際、戦争に負けた」ことで、「敗戦」という言葉も、
「1945年以降に、よく使われた」
のではないでしょうか?
(2016、5、18)