新・読書日記 2016_060
『フジテレビはなぜ凋落したのか』(吉野嘉高、新潮新書:2016、3、20)
話題の書。「他山の石」として読みました。
著者は1962年生まれと同年代。そして1986年にフジテレビに入社。私より2年後輩ですね。その後、2009年に、親御さんの介護などもあってフジテレビを退社、地元・福岡に帰って、大学の先生をしているといいます。ということは「フジテレビが凋落したから辞めた」というわけでもなく、「フジテレビに恨みがあって、この本を書いた」わけでもない。どちらかというと、古巣・フジテレビ"再生"へのエールとして書いたと思われます。
たしかに、このところのフジテレビは、何をやってもうまくいかない感があります。あれだけ隆盛を誇ったのに・・・栄枯盛衰というか、諸行無常と言うか。でも、それには原因があるはずです。そして私達「テレビ局」全体が、「斜陽産業」と言われている中で、「うちの局は大丈夫」などと思っているのは、愚の骨頂です。フジテレビと等しく危機にさらされているという意識を持って、真剣に読みました。その証拠に、もうほとんどのページの角はドッグイアー(端を折ってある)の状態です。
フジテレビは、最初から王者ではなかった。「二強(TBS・日テレ)二弱(NET=テレビ朝日・フジテレビ)一番外地(東京12チャンネル=テレビ東京)」と言われた時代もあった。しかし、強権発動の「70年改革」があって、その反動としての「80年改革」で時代の波に乗った。「母と子のフジテレビ」から「楽しくなければテレビじゃない」への脱皮が見事に決まって、その後のフジテレビの命運を決めた。しかし、また時代の風が変わって来たが、かわらず「楽しくなければ・・・」に回帰しようとしている。ところがそのスローガンを支えた「若者たち」は、いまやテレビを見なくなっている。つまり、フジテレビが力を注いでいる所(F1・M1と呼ばれる34歳以下の若者層)に、お客さんがいない状態になっているのではないか。逆に、いま好調の日テレ系を支持しているのは、その数が増えつつある高齢者(F3・M3層)。しかしこれも、昭和21~24年生まれの「団塊の世代」が全て75歳を超えて「後期高齢者」となる「2025年」を境に頭打ち、徐々に数が減っていく。10年先に向けて、これはテレビ業界だけではないが、対策を考えて行かなければならない。が、その頃には私も立派な高齢者。ということなんですね。
考えさせられ、勉強になりました。