新・読書日記 2016_049
『PTA、やらなきゃダメですか?』(山本浩資、小学館新書:2016、2、6)
わたしも(もう9年前になるが)子どもの小学校のPTA会長を務めたことがある。PTAの役員(会長・副会長・書記)をやると、その家は、下の子どもに及ぶまで、今後他のPTAの当番をやらなくて済むので「やってくれると、とってもありがたい」と、共働きの妻から言われて引き受けた。なかなか、会長の成り手はないのである。
PTAの仕事は、どう考えても「専業主婦」の時間帯(平日の昼間)に設定されており、「働いている母親」が参加するには、仕事を休まなければならない。毎週のように休んでいられるか、という思いが、当然ある。よって成り手は、なかなかないが、当番で回って来る。今までやったことがない人を。平等に。しかし、そもそもベースとなる考え方と家庭や仕事の状況が違うのだから、やってられない。役員・係決定の会議の席の"無言の我慢合戦"で、誰かが降参して「じゃあ、仕方がないから私がやります」というのを、みんな息を凝らして待っている。心臓に悪い時間だ。
そんな「PTA」が果たして必要なのだろうか?
私も、PTA会長になった時に、一番に着手したのは、
「できるだけ、要らない仕事を減らす方向にする」
「PTA役員や係の手間を減らす」
そして、
「本当に子どもたちのために、必要なのかどうか?を検討する」
「会議の時間を短くする」
といったことを打ち出した。どうせ1年しかやらないんだから、後の事は考えずに、疎まれてもよい。2年続けてなんか、やってられない。それほどヒマではない。
ところがPTAに来る人たち(特に、長年やっている人)は、会議で討議する内容が終ってもダラダラと引き延ばそうとする。さっさと終わらせて帰りたいのに、早く会議が終わっても、
「せっかく2時間、会議室を借りてるんだから」
などと、わけのわからないことを言うのだ。あとで分かったのは「PTAの会議」のほとんどは、
「何かを決める為に効率よく進める」
という「会社(一般社会)の会議」ではなく、
「与えられた時間いっぱいを使って懇親をする場」
だったのだ!それならそれで、気持ちも決められるが、しかし、無駄だよなあ。
また、PTAで長年、主(ヌシ)のように牛耳っているお母さんがいるんですね。何か今までの事を変えようとする、たとえば「これって、ムダだからやめましょう」などと提案すると、
「あんた、何、勝手なことやってるのよ。私の言うとおりにやっていればいいのよ。部外者がゴチャゴチャ邪魔をしないで!」
という内容の行動(と言葉)をぶしつけに、次々に子分を従えて行うのである。
"あー!うっとうしいー!!"
と、私はケンカしてましたが、この本の著者(=新聞記者。よくそんな時間を作れたな)は、なんと3年間もPTA会長を務めて、「敵」に思えた人たちも「味方」に引き込んで、見事、改革を成し遂げたのだ。
「PTA」を「PTO」にして「PTA」を解体してしまった。「PTO」って何?それは本書を読んでください!