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『道浦TIME』

新・読書日記 2016_054

『仕事の不安を一つひとつツブしていくやり方(五つの壁の乗り越え方)』(山崎万里子、毎日新聞社:2013、12、1)

 

妻が「今度、著者の方と会うので、読まなきゃ」と持っていたのを、横から先に読んでしまった。1時間半ぐらいで読めます。

著者は1973年福岡生まれ、学習院大学卒。ファッションが大好きで学生時代からアルバイトしていた「ユナイテッドアローズ」に就職、30代の若さで執行役員になった。

すごいなあ、どうやってそんなになったんだろう?と思った方、彼女(著者)は「5つの壁」を乗り越えて来たと。その「5つの壁」とは、

(1)「自分はできる」という思い込みの壁

(2)「分からない」という壁

(3)「リーダーシップ」という壁

(4)「人間関係」という壁

(5)「目標」という壁

なんだそうだ。本書を読めば、著者がどのように、それらの壁を乗り越えたかが記されています。

 


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(2016、3、26読了)

2016年3月31日 23:47 | コメント (0)

新・読書日記 2016_053

『人生をおもしろくする 本物の教養』(出口治明、幻冬舎新書:2015、9、30第1刷・2015、10、30第6刷)

 

著者の出口治明さんは、日本生命を経て、現在はライフネット生命保険株隙会社の代表取締役会長兼CEO。

なぜ、この本を手に取ったかというと、両親に薦められたから。著者の亡くなったお父様が、実はうちの両親の恩師であり仲人なのだ。それを聞いて興味を持った。

その後、著者が1948年生まれだと奥付で知り、もしかして・・・と、私が所属する合唱団の幹事長で日本生命出身の先輩に、

「出口治明さんって、もしかして、知ってますか?」

と聞くと、

「日本生命の2年後輩で、よく知っている」

とのこと。世の中、狭いですねえ。

本書は「教養とは何か」から始まり、「知識は手段、教養が目的」と説く。そして「日本のリーダー層は勉強が足りない」と叱る。でも、もう年だから・・・と勉強を始めようとしない人には「『いまさらもう遅い』はサボるための言い訳」と手厳しい。とにかく「ポジティブ・シンキング」なバイタリティーあふれる人なんだなあと思った。

 

 


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(2016、3、6読了)

2016年3月31日 22:46 | コメント (0)

新・ことば事情

6022「外葉」

 

3月25日放送の日本テレビ「スッキリ!!」を見ていたら、今が旬の「春キャベツ」を紹介していました。その中で千葉・銚子市の農家、青柳はる子さん(61)が、春キャベツの外側の葉っぱのことを、

「外葉(がいは)」

と言っていました。初めて聞いた言葉です。意味は、

「キャベツの一番外側の葉っぱ」

ですよね、わかります。でもそんな「重箱読み」をするんだ!

『精選版日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』『明鏡国語辞典』『三省堂国語辞典』『新明解国語辞典』『岩波国語辞典』には、「外葉」は載っていませんでした。

グーグル検索では(3月29日)、

「外葉」=23万9000件

も出て来ました!その最初に出て来た「外葉とは?」というサイトには、

「外葉は『がいよう』または『そとば』と読みます。中心から出る新葉を包む外側の葉のことでキャベツ、レタスなど球結した部分の外側に広がる葉などを外葉と呼びます」

とありました。「がいは」ではなく「がいよう」「そとば」なのか。またこの、

「球結」

という言葉も意味はわかりますが、耳慣れない、見慣れない言葉ですね。それは後で調べるとして「外葉」です。「外葉」に「そとば」「がいよう」「がいは」をくっつけて検索してみましょう。

「外葉、そとば」 =199件

「外葉、がいよう」=166件

「外葉、がいは」 =103件

「がいは」もありました!が、どれも件数が少ない・・・。全体的には、

「そとば」

という読みが多いような気がしました。

で、「球結」に関しては、

「球結」=1万5200件

でした。あ、これって「きゅうけつ」かと思っていたけど、

「たまむすび」

とも読めますね。「キャベツ」もあわせると、

「球結、キャベツ」=347件

とほとんどありませんでした。「外葉」よりは多いけど、共にに「3ケタ」どまり。

また、『精選版日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』『明鏡国語辞典』『三省堂国語辞典』『新明解国語辞典』『岩波国語辞典』には、「球結」は載っていませんでした。

2016年3月31日 20:53 | コメント (0)

新・読書日記 2016_052

『天下り酒場』(原宏一、祥伝社文庫:2009、10、20第1刷・2015、11、15第16刷)

 

たまたま入った阪急・西宮北口駅構内にある書店で、その書店の「おすすめ」としてポップを立てて棚に並んでいた一冊に手が伸びた。著者の「原宏一」さん、ごめんなさい、不勉強で知りませんでした。

読んでみたら、おもしろい!少し斜めからの視点で世の中を見て、その視点で作られた短編小説。昔、中学生の時に大好きで読んでいた「星新一」を彷彿させる作品の数々だった。

いそうでいないだろ、という登場人物たちと、その周囲の人たちの「空気」の危うさ。現在の日本と世界の危うい状況に対して、「こんなになりますよ」と警鐘を鳴らしているように感じた。「ブラックな創作落語」のような感じでもある。表題の「天下り酒場」のほか「資格ファイター」「居間の盗聴器」「ボランティア降臨」「ブラッシング・エクスプレス」「ダンボール屋敷」まで、笑いながらも「もしかしたら、実際にそんなことが起きるかも・・・」とゾッとさせられる短編集だ。

 

 


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(2016、3、25読了)

2016年3月31日 19:45 | コメント (0)

新・読書日記 2016_051

『言葉の力~ヴァイツゼッカー演説集』(永井清彦編訳、岩波文庫:2009、11、13)

 

 

7年前に購入して、読み差しになっていたもの。

「演説」というか「講演」で話した内容を文章にしているので「語りおろし」ような感じで、内容の難しさのわりには読みやすい。

7年もほったらかしにしておいて、急に読む事にしたきっかけは、「2016読書日記010」で書いた内藤陽介さんの『アウシュビッツの手紙』(えにし書房:2015、11、11)の中に、このヴァイツゼッカー(ワイツゼッカー)の言葉が出て来たから。

「過去に目を閉ざす者は、結局のところ、現在にも盲目となる」

「『歴史の中で戦いと暴力に巻き込まれる』こと(=戦争)はどの国にも起こりうるが、『ユダヤ人という人種をことごとく抹殺する』ことは無比の犯罪だとして、ナチスの犯罪をまったく別の次元のものとして語っている」

この言葉を確認するために読みました。ありました!

「後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし、過去に目を閉ざす者は、結局のところ、現在にも盲目になります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」

本の中では「国民」と訳された漢字の横に、カタカナで「ネイション」とルビが振られていたり「フォルクス」と振られていたりします。いかにこういった概念を日本語で伝えるのが難しいかが、分かった一冊でもありました。

 


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(2016、3、10読了)

2016年3月29日 20:57 | コメント (0)

新・読書日記 2016_050

『上質な大人のための日本語』(関根健一、PHP研究所:2016、3、29)

 

 

用語懇談会で、十数年来ご一緒している読売新聞・用語幹事の関根健一さんの著書。贈って頂きました、ありがとうございます。

どこからでも読めます。一つひとつの文章が短い(1ページに2段で「2語」が原則)ので、とても読みやすい。単なる「言葉の薀蓄(うんちく)」ではなくて、ちょっと関根さんの"お遊び"も入っているところが、ニヤリとするところ。

「身じたく」「楽しき我が家」「あちらへこちらへ」「見たり聞いたり話したり」「いとしきわが身よ」「季節の移ろい」「空模様・心模様」「時過ぎて」「鏡よ、鏡」「こみ上げるもの」「びっくりどきどき」「いったいどうして」「まあ、こんなもの」「ゆっくり急げ」という各章が大体10ページぐらいという読みごろの分量。少し物足りなく思うぐらいが、ちょうどよい。帯には、

「すこしだけ難しい 知的で奥深い 言葉の数々」

とあり、「すこしだけ難しい」というのは「古語」や、「やや古いけども伝統的な言い回し」が、結構、含まれているから。でも「そういった語彙」が「上品」につながるし、「教養」なのだよと、読んだらわかります。

ちなみに、タイトルの「上質な大人のための日本語」の「上質な」は「大人」にかかるのか、それとも「日本語」にかかるのか?はたまた、その両方か?はああ、その辺りも楽しんで付けたタイトルだなと思ったら、案の定、「はじめに」(=「この本を読むあなたへ」)のところに、そういうことが書かれていました!

 

(☆4つ半)


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(2016、3、25読了)

2016年3月29日 15:51 | コメント (0)

新・読書日記 2016_049

『PTA、やらなきゃダメですか?』(山本浩資、小学館新書:2016、2、6)

 

 

わたしも(もう9年前になるが)子どもの小学校のPTA会長を務めたことがある。PTAの役員(会長・副会長・書記)をやると、その家は、下の子どもに及ぶまで、今後他のPTAの当番をやらなくて済むので「やってくれると、とってもありがたい」と、共働きの妻から言われて引き受けた。なかなか、会長の成り手はないのである。

PTAの仕事は、どう考えても「専業主婦」の時間帯(平日の昼間)に設定されており、「働いている母親」が参加するには、仕事を休まなければならない。毎週のように休んでいられるか、という思いが、当然ある。よって成り手は、なかなかないが、当番で回って来る。今までやったことがない人を。平等に。しかし、そもそもベースとなる考え方と家庭や仕事の状況が違うのだから、やってられない。役員・係決定の会議の席の"無言の我慢合戦"で、誰かが降参して「じゃあ、仕方がないから私がやります」というのを、みんな息を凝らして待っている。心臓に悪い時間だ。

そんな「PTA」が果たして必要なのだろうか?

私も、PTA会長になった時に、一番に着手したのは、

「できるだけ、要らない仕事を減らす方向にする」

「PTA役員や係の手間を減らす」

そして、

「本当に子どもたちのために、必要なのかどうか?を検討する」

「会議の時間を短くする」

といったことを打ち出した。どうせ1年しかやらないんだから、後の事は考えずに、疎まれてもよい。2年続けてなんか、やってられない。それほどヒマではない。

ところがPTAに来る人たち(特に、長年やっている人)は、会議で討議する内容が終ってもダラダラと引き延ばそうとする。さっさと終わらせて帰りたいのに、早く会議が終わっても、

「せっかく2時間、会議室を借りてるんだから」

などと、わけのわからないことを言うのだ。あとで分かったのは「PTAの会議」のほとんどは、

「何かを決める為に効率よく進める」

という「会社(一般社会)の会議」ではなく、

「与えられた時間いっぱいを使って懇親をする場」

だったのだ!それならそれで、気持ちも決められるが、しかし、無駄だよなあ。

また、PTAで長年、主(ヌシ)のように牛耳っているお母さんがいるんですね。何か今までの事を変えようとする、たとえば「これって、ムダだからやめましょう」などと提案すると、

「あんた、何、勝手なことやってるのよ。私の言うとおりにやっていればいいのよ。部外者がゴチャゴチャ邪魔をしないで!」

という内容の行動(と言葉)をぶしつけに、次々に子分を従えて行うのである。

"あー!うっとうしいー!!"

と、私はケンカしてましたが、この本の著者(=新聞記者。よくそんな時間を作れたな)は、なんと3年間もPTA会長を務めて、「敵」に思えた人たちも「味方」に引き込んで、見事、改革を成し遂げたのだ。

「PTA」を「PTO」にして「PTA」を解体してしまった。「PTO」って何?それは本書を読んでください!

 

 


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(2016、3、22読了)

2016年3月29日 11:50 | コメント (0)

新・読書日記 2016_048

『イタリアからイタリアへ』(内田洋子、朝日新聞出版:2016、2、28)

 

 

この著者・内田洋子さんの名前を初めて知ったのは、ロシア語通訳・作家の故・米原万里さんの親友でイタリア語通訳の、「シモネッタ」こと田丸公美子さんの本の解説を書かれていたのを読んで。その昔、田丸さんが通訳として率いたイタリア人観光ツアーで、田丸さんの助手を務めたのが、学生時代の内田さんであったと。つまり田丸さんにとっては「弟子」みたいな存在ですね。その「弟子」が、大学卒業後はイタリアに住んでもう30数年。イタリアの中でも何回か引っ越しはしたようだが、結局「イタリア」から「イタリア」への移動。まさにイタリアの魅力に取りつかれてしまった人なんですね。特にイタリア南部・ナポリの魅力が、先進的な北部イタリアのミラノなどとは違って、本来のイタリアの良さが残っていると。イタリアの都会人であるミラネーゼを始め、北部の人からは"忌み嫌われている南部の人たちの気質"、それが著者にとっては、何よりも心地よいものになっている。

エッセイでありながら、一つ一つがファンタジーと言うか、小説のようなのだ。宮崎駿の「ジブリの世界」にも共通するような話が、珠玉のように綴られている。

21世紀の現代において忘れられた"心のふれあい"が感じられるのだが、でも実際に「そこに住むか?」と聞かれたら、私は「NO」と答えるだろうなと思いながら、本を閉じたのだった。でも、良い本です!

 

 


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(2016、3、19読了)

2016年3月28日 19:50 | コメント (0)

新・ことば事情

6021「『特定商取引法』の読み方」

 

 

3月4日のNHK正午のニュースで高瀬アナウンサーが読んだ、

「特定商取引法」

のアクセントというか、読み方が気になりました。彼は、

「ト/クテーショートリヒキホー」

と、「平板アクセント」で一気に読んだのですが、つなげて読んでいるのに、どうも、

「ト/クテイショー・ト/リヒキホー」

に聞こえたのです。それだと、

「特定商・取引法」

という様に聞こえます。「3:3」でバランスはよく、しかもその最後は「ショー」と「ホー」という「長音」で、

「韻を踏んでいるような感じ」

で、耳に心地よいのですが、この法律名の「切る所」は、

「特定・商取引法」

ですから、読み方としては、

「ト/クテー・ショ/ートリヒキホー」

が妥当だと思います。高瀬アナウンサーの読み方との違いは、

「『特定』の後で、ごくごく短く間をあけて『商』を言い直す」

かどうかではないでしょうか。

「リズム」で読むと本来の意味ではなくなるものは、「外来語」にもいくつかあります。例えば、

「トリコロール」「プエルトリコ」

は、本来の意味を考えれば、

「ト/リ・コ/ロ\ール」「プ/エルト・リ\コ」

菜のですが、「3:3」にバランス良く分けて、

「ト/リコ・ロ\ール」「プ/エル・ト\リコ」

と読まれることが多いのではないでしょうか?これは、

「意味をちゃんと把握していない」

から、そうなってしまうわけですね。意味をきっちりと把握して伝えようとすれば、おのずと読み方にも違いが出て来ると思います。

 

(2016、3、4)

2016年3月27日 12:23 | コメント (0)

新・ことば事情

6020「人口に膾炙する?しない?」

 

 

中学時代からの友人Y君から、言葉に関する質問のメールが届きました。

「言葉の専門家として教えて下さい。ある人より次のようなメールをいただきました。

『・・・○○○(固有名詞)はあまりに人口に膾炙していない。』

この『人口に膾炙する』という言葉はわかるのですが、これってあくまで

『人口に膾炙する』が一つの言葉であって、『人口に膾炙』が『する』『しない』という使い方があると思っていなかったのですが、どうなんでしょう。よろしくお願いします。

 

さっそく返事のメールを送りました。

 

「一般的には『人口に膾炙する』というフレーズがあって、そのフレーズがまさに『人口に膾炙する』ことによって、否定形の

『人口に膾炙しない』

というバリエーションも出てきた、ということではないでしょうか?

グーグル検索(3月21日)では、『肯定形』の、

『人口に膾炙する』   =1万8100件

『人口に膾炙している』 =2万8400件

に対して、『否定形』は、

『人口に膾炙していない』=1万3800件

で、『しない』が、『する』よりもわずかに少ないものの、十分に『膾炙している』のではないでしょうか?

似たようなフレーズに、『腑に落ちない』があります。これは『落ちない』という『否定形』のほうが一般的かなと思われがちですが、「肯定形」の「腑に落ちる」「腑に落ちた」も、結構使われています。

「腑に落ちない」=50万0000件

「腑に落ちる」 =37万1000件

「腑に落ちた」 =39万0000件

という結果でした。

(2016、3、21)

2016年3月26日 12:21 | コメント (0)

新・ことば事情

6019「防カメ」

 

 

3月23日の日本テレビの夕方のニュース「every.」を見ていたら、右上のサイドスーパーにこんな言葉が出ていました。

「防カメ映像公開」

この中の「防カメ」というのは、間違いなく、

「防犯カメラ」

の略語ですよね。でも、ちょっと略しすぎでは?と思いました。

「カメの仲間」

かと思いました。まあ、テレビ業界では、

「1カメ、2カメ、3カメ」

と言いますから「カメ=カメラ」なんですけど、「防犯」も略して「防」だけになっちゃって、しかもそれが合体して「防カメ」となると、

「出歯ガメ」

みたいです・・・。グーグル検索では(3月23日)、

「防犯カメラ」=1810万0000件

「防カメ」  =     4730件

でした。まだ定着した言葉とは言えないですね。検索でトップに出て来たのが「日本テレビのニュース」でしたし。ついでに、

「監視カメラ」=733万0000件

「監カメ」  =     366件

でした。

 

(2016、3、23)

2016年3月25日 18:09 | コメント (0)

新・読書日記 2016_046&047

『南紀の台所1・2』(元町夏央、集英社:第1巻は2014、6、10・第2巻は2015、1、19)

 

新聞か週刊誌の書評欄だったか、ネットだったか忘れたが、南紀を舞台にしたグルメものの漫画で、その南紀の地名が「道浦」だと言うのだ。え?そんな地名あるの?たしかに「道浦」姓は「和歌山県」には多いと聞いたことがあるが、私自身は「三重県」生まれ。どんな漫画なんだろう?と興味津々で取り寄せて、まずは1巻と2巻を購入。(3巻まで出ているらしい。)

東京から、南紀の研究所勤務を命じられた彼氏に「そんなところへ行って遠距離恋愛なんてイヤ!責任とって結婚して!」と叫んでしまった主人公。都会とは全く違う不便さに戸惑いながらも、有り余る大自然、その地域全体が「食材の宝庫」であるという豊かさに「料理」を通じて目覚めて行く。濃厚な人間関係に戸惑いながらも地域に溶け込んでいく様子が描かれている。いい漫画じゃん!

どうも、舞台となった「紀伊長島町・道浦」という集落はないそうだが、モデルとなった集落の名前は、「紀北町・道瀬」という集落だそうだ。一度訪ねてみたいと思わせる。

 

 


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(2016、3、20読了)

2016年3月24日 10:50 | コメント (0)

新・読書日記 2016_045

『語彙力こそが教養である』(齋藤孝、角川新書:2015、12、10第1刷・2016、2、5第4刷)

 

 

久々に齋藤孝氏の著作を読んだが、基本的には「声に出して読みたい日本語」と同じ主張をずっと繰り返してらっしゃるのだなあということが確認できた。内容も、タイトル通りです。そうですねえ。高校生~大学生に読んでいただきたい一冊。

「語彙力=ボキャブラリー」を増やすためには、どういうことをすればいいのか?アイデア・ヒントが記されています。

 

 


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(2016、3、17読了)

2016年3月23日 18:49 | コメント (0)

新・読書日記 2016_044

『地震と独身』(酒井順子、新潮社:2014、2、20)

 

 

自らが「独身」である著者が、東日本大震災に際して、

「独身の人たちは、どのような行動を取ったのだろうか?」

ということに興味を抱き、自ら取材をして書いたもの。

これまで生きて来た世の中・自らの常識が覆るようなことが起こった時に、作家は、

「これから、我々はどうなってしまうのだろうか?」

という人々の不安を、より増幅して感じるのではないか。そして、その「不安の先にある未来」を知るために取材をして書き記すのではないか?著者の酒井さんの場合、この「我々=独身者」だったのだろう。運命共同体のような感じで。

この本を読んでいて思い起こしたのは、ノーベル賞候補に毎年のように上がる世界的作家・村上春樹の『アンダーグラウンド』だ。オウム真理教による「地下鉄サリン事件」の後に、村上がその事件の被害者に聴き取り(インタビュー)をして記したドキュメンタリー。小説家だと思っていた村上が、このようなことをするなんて!?と、当時は意外に思ったが、今回、酒井順子さんのこの本を読んで、小説家であるからこそ、作家・エッセイストだからこそ、「書き残すこと」と「書くこと(調べること)をしたい」という衝動に突き動かされるのではないかなと思った。

「独身は・・・」で始まる各章は、「働いた」「つないだ」「守った」「助けた」「逃れた」「戻った」「向かった」「始めた」「結婚した」という独身の「行動」を記し、最終章では「無常と独身」について記している。

おそらく、「結婚して家庭を作るのが当たり前」という世の中に対して、酒井さんは疑問を持っており、その結果が現在の「独身」に繋がったのだろう。でも「いつかは結婚しなきゃいけないのかな・・・」とも漠然と思っていて、「独身」は「結婚」までの「モラトリアム」的な感覚があったのではないか?(若い内=30代ぐらいまでは)。その状態が固定化された現在、同じような立場の「独身」たちがどのような行動を取るのかを、著者・酒井さんは知りたかったのだろうと思いました。それは、「独身の他人」の話を聞くことで、「独身である自分」を見つめ直す作業にも、なったのではないでしょうか。

 

 


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(2016、3、15読了)

2016年3月23日 10:48 | コメント (0)

新・読書日記 2016_043

『闘う力~再発がんに克(か)つ』(なかにし礼、講談社:2016、2、24)

 

 

「陽子線治療によって、がんを克服した著者。だが、2年半後に再発してしまう。もう陽子線が使えないという逆境の中で、どうやってがんに克(か)つことができたのか!」(帯より)

そして大きく、

「再び、消えた。抗がん剤治療の真実とは!」

とも、帯にあります。

内容は正にその通りで、抗がん剤治療の詳しい様子が書かれています。一人の著名人の「がん患者」の治療の様子が、患者本人の気持ち・意識で記されているという意味では、医者の側からではない真実が記されていて、貴重なものだと思う。しかも作詞家・作家という「ものを書く仕事のプロ」である著者であるから、自らの体験を客観的に記すことができていると思う。

ただ、がんの症状や、抗がん剤を始めとする治療は、万人に共通ではないので、「同じようにやれば治る」ということにはならない。それは著者ももちろん分かっているが、こういしたことを書き残してくれるのは、後の患者さんにとって、また治療をする医者の側や、患者の家族にとっても、大きな意義があることだと思った。

 

 


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(2016、3、9読了)

2016年3月22日 23:47 | コメント (0)

新・読書日記 2016_042

『インフェルノ(下)』(ダン・ブラウン著、越前敏弥訳、角川文庫:2016、2、25)

 

 

さあ、いよいよ「下巻」。少しだけ種明かしすると、やはり「序破急」でいう「急」で、「どんでん返し」が出て来る。主人公の目の前に現れる「インフェルノ(地獄)」とは、どんな世界なのか???イタリア・フィレンツェで始まったこの物語の結末は!?

ちなみに、フィレンツェは、2年前に初めて行った。あの町の風景を思い出しながら、読むことができました。

 

 


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(2016、3、12読了)

2016年3月22日 20:46 | コメント (0)

新・読書日記 2016_041

『インフェルノ(中)』(ダン・ブラウン著、越前敏弥訳、角川文庫:2016、2、25)

 

 

「インフェルノ」と聞くと、私達世代が思い浮かべるのは、映画の『タワーリング・インフェルノ』だと思う。しかし、「インフェルノ」の意味が「地獄」であることを知ったのは、ここ十数年ぐらいではないかな、私の場合。わりと最近です。

この小説は、ダンテの『神曲』の「地獄篇」をモチーフにしている。このダン・ブラウンの作品は、常にこのダンテの『神曲』のイメージを伴っているとのことだ。読んでないけど、「そうか、それならダンテの『神曲』を読んでみようかな」という気にさせられる。

近くの紀伊國屋書店に行ったが、置いてなかったよう。

文章のスピード感は「上巻」に比べると少し落ちた気がしたが、その分じっくりと読ませる。

 

 


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(2016、3、9読了)

2016年3月22日 18:45 | コメント (0)

新・読書日記 2016_040

『インフェルノ(上)』(ダン・ブラウン著、越前敏弥訳、角川文庫:2016、2、25)

 

「2016読書日記039」に書いた『翻訳百景』(越前敏弥、角川新書)を読んで興味を持って本屋さんに行ったら、ちょうどこの『インフェルノ上・中・下』の3巻の文庫本が出たばかりで、

「もしかしたら『翻訳夜話』は『インフェルノ』の文庫本発売とタイミングを合わせた"販売促進"の役目があるでは?」

と思うほどのタイミングの良さ。(『翻訳夜話』も『インフェルノ』も「角川」から出てるので、本当にそうかもしれませんね。)

もし、面白くなかったら・・・と思って、とりあえず「上」だけ買って読み始めたら、これが止まらないおもしろさ!

『翻訳夜話』の中で越前さんが書いていたように「読みやすい・スピード感のある文章」に心を砕いたということが、とてもよく分かった。本当に「映画を見ているように」文章が映像的であり、またスピード感があるのだ。そういう視点で読んだことは、これまでになかった。・・・、いや、昔あった。「シドニー・シェルダン」の「超訳」シリーズは、こんなふうな「スピード感」があったなあと、懐かしく思い出した。当然、一晩で読み終わり、翌日「中・下」巻を購入した次第。

どうしても主人公は「トム・ハンクス」を思い浮かべながら読んでしまいました。

ちなみに、翻訳者の越前さんは、私と同い年でした。

 


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(2016、3、7読了)

2016年3月22日 15:43 | コメント (0)

新・読書日記 2016_039

『翻訳百景』(越前敏弥、角川新書:2016、2、10)

 

 

ツイッターでこの本の存在を知り、書店で1冊だけ見つけてすぐに購入。読み始めるとこれが面白い!著者の越前さんは『ダ・ヴィンチ・コード』などの作品の著者「ダン・ブラウン」の作品の訳者として知られるそうだが、不勉強で存じ上げなかった。しかし、トム・ハンクス主演の映画『ダ・ヴィンチ・コード』は見ていたので、書かれている内容も、大よそ理解できた。そして、まだ読んでいない『ダ・ヴィンチ・コード』『悪魔と天使』『インフェルノ』などの作品も、訳語にも注目しながら読んでみたいなと思った!

(追記:本屋さんに行くと、『インフェルノ』が文庫本で出ていたので、すぐに購入し読み始めました!)

 

 


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(2016、3、2読了)

2016年3月22日 11:34 | コメント (0)

新・読書日記 2016_038

『カレイドスコープの箱庭』(海堂尊、宝島社:2014、3、19第1刷・2014、4、9第2刷)

 

 

「カレイドスコープ」とは「万華鏡」のこと。そう、人生は「万華鏡」さ!

124ページの記述によると、「万華鏡」は1816年スコットランドの物理学者・ブルースターが発明、3年後の1819年に日本に伝来したという。すごいね。勉強になるね。

久々に海堂ワールド、それも「本家筋」の「グチ外来」田口先生が主人公のお話を読んだ。以前(2年前)、出たときに買ったまま読んでなかったんだけど、最近ちょっと「小説」に回帰している感じ。少し気持ちに余裕が出来たか?登場人物など、覚えているかな?と思ったけど、そんなに覚えてなくてもなんとなく思い出して楽しかった。しかも著者の海堂先生も、そろそろ読者もわけわからなくなっているのでは・と考えたのか、巻末に、「これまでの作品の覧」と、「登場人物の相関図」まで載せてくれるサービスぶりである。

海堂先生は、小説という道具を使って日本の医療界を改革しようとしてきた、と思う。それは「AI」の導入。亡くなった人の「解剖」が全て行われるわけはないが、「AI」を導入することによって、死因の特定が容易になる。しかし「生きている人」に使うのは良くても、同じ機械を「死んだ人」に使うことをためらう気持ちが、世の中には強くあって(それは、そうだな)なかなか進んでいない。でも、以前に比べれば進んできたのかな。それを受けて、海堂先生は、その先も見据えているのかな?ということを、今回の小説で少し感じました。

誤植と思われるところが1か所、234ページ

×「医療ミスを引き起こした施設で実施された主観的な検査だからは、客観的な証拠にならない、という理由です」

→○「医療ミスを引き起こした施設で実施された主観的な検査だから、客観的な証拠にならない、という理由です」

もしくは「検査は」でもいいですけど、両方出てはダメ。「2版」で直っていないのは残念です。

 

 

 


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(2016、2、26読了)

2016年3月21日 22:32 | コメント (0)

新・読書日記 2016_037

『なんちゃぁない話』(安倍夜郎、実業之日本社マンサンコミックス:2016、2、12)

 

 

漫画『深夜食堂』で知られる著者は、土佐・中村の出身。四万十川のあるところですね。「なんということのない話」を土佐・中村の言葉で言うと「なんちゃあない話」。この言葉、読売テレビの社内で使っているM君という後輩がいるが、彼は土佐の出身だったのかな?

著者がデビューに至るまで、そして『深夜食堂』で売れるまでをつづったエッセイ&漫画。

デビュー作の『山本耳かき店』、読んでました。そうか、そうだったのか。しかも早稲田大学の漫画研究会出身で、入学が1981年。大学の1年後輩だ!僕は、漫研ではないけど。その漫研での2学年先輩が、あの「ずんずん調査」の堀井憲一郎さんだったとは!その堀井さんとの対談(堀井さんがインタビュアー・聴き手になっている)が巻末にたっぷりとあり、それを読むと、著者と同期に町山智浩さん!後輩に、けらえいこさんが!そうだったのか!また、漫画家デビューしたのが41歳で、それまではCMディレクター。漫画のコマ割りは時間の経過を表すので、そのスピードをどう表すかをCMディレクターで学んだと。そういうものなのね。41歳まで、漫画とは違う仕事をしたことが役に立ってますね。現在まで独身。漫画が好きで好きで、凝り性。芸術家肌ですねえ。でもジワッと伝わって来る絵だし、話・ストーリーですよね。同世代だし。「線」へのこだわりもすごい。「漫画家」にとっての「線」って、「作家」にとっての「文体」のようなものかもしれませんね。「文体」は多少分かっても、「線」へのこだわりと「その差」までは、我々・素人はわかりま「せん」が。

なお、ペンネームは「あべ・やろう」と読みます。「よるろう」ではありません。「夜郎自大」からきているそうです。巻末の堀井さんとの対談に書いてありました。また、本名の名字の表記は「安部」だそうですが、「字画」などを考えてペンネームは「安倍」にしたところ、運が向いて来たそうです。

 

 


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(2016、2、27読了)

2016年3月21日 18:31 | コメント (0)

新・ことば事情

6018「けが人はいない?ありません?」

「平成ことば事情3234けが人はいない?ない?」平成ことば事情3838けが人は『ありません』か?『いません』か?」の続編です。

事故の原稿で、「けが人」は、

「ありませんでした」

でしょうか?それとも、

「いませんでした」

でしょうか?以前は「ありませんでした」だったのが、最近は「いませんでした」に変わって来ているように思うのですが、各社の現状はどうでしょうか?と、2月に開かれた「用語懇談会放送分科会」で、質問をしました。

その際に、読売テレビ報道局の原稿を調べた「推移」のグラフも作りました。

m6018graf.gif



<ケガ人は...>(ytv報道原稿)

 

ありません

いません

2004

7

0

2005

29

4

2006

25

7

2007

16

14

2008

19

15

2009

16

21

2010

13

12

2011

12

16

2012

14

21

2013

14

16

2014

6

19

2015

3

12




用語懇談会参加の各社からの意見は、以下の通りです。

*(MBS)「ありません」→「いません」に変えた。以前、この会議(放送分科会)で「『人』に『ある』は、おかしいのではないか?」と議題に上がったことがあり、それ以来、変えた。ただ、ラジオでは「けが人はいませんでした」ではなく、「ケガをした人は、いませんでした」のように「した人」に直すようにしている。スーパーは「けが人 なし」。

*(ABC)ほとんどは「けが人はいませんでした」。たまに「ありませんでした」も出て来る。やはり「人」は「いる・いない」なので。ちょうど、おととい(3日)夜のニュースで「けが人はいませんでした」という原稿があったので「ケガをした人はいませんでした」に直して読んだ。福知山線の事故のようなケースでは「けが人が出ています」という表現も使う。

*(KTV)両方ありうる。「人」に「ある」は違和感がある。「いませんでした」のほうが多い。被害が大きい場合は「けが人が出た」もありうる。

*(ytv)たしかに放送分科会で話し合った覚えがある。原稿が「けが人は、いませんでした」となっている場合は、報道のデスクに言って「ケガをした人は、いませんでした」に変えてくれるようお願いするようにと、若いアナウンサーには指導しているが、どれだけ、できているか・・・。

*(TVO)「けが人は、いませんでした」が圧倒的に多い。そのほか「けが人が出ています」「出ていない模様」などの表現も。

*(WOWOW)ニュースはないが、「ケガをした人は、いませんでした」が、一番良いのではないか。現場リポート(中継)では「出る」「出ない」も。

*(NHK)最近は「けが人は、いませんでした」が多くなっている。しかし「ありませんでした」が間違いという立場は、取っていない。

*(TBS)けが人は「いる・いない」で書くように、社会部では指導している。現場リポート・中継では「けが人は出ていない・出ています」などのケースもある。

*(日本テレビ)用語懇談会・関東幹事会での会議で「けが人はなかった」でどうか?という意見が出たことがある。新聞社は「ある・ない」が圧倒的。古文では「おとこ、ありけり」のように、「人」にも「ある・ない」を使った。放送では、どちらも間違いではない。海外の事件・事故で「日本人は、いませんでした」はOK。

「けが人」は「名詞」なので「あり・なし」の表現もありうる。同じぐらい使っている。

*(フジテレビ)「いませんでした」が圧倒的。ちょこちょこ「ありませんでした」も。

(テレビ朝日)「人」は「いる・いない」。かつては「ある・なし」だった。15年ぐらい前までは「ある・なし」だったと思う。NHKが圧倒的に「けが人などは、ありませんでした」「けが人の情報は、ありませんでした」など「ありませんでした」だったのが、いつの間にか「いませんでした」が増えて来た感じがする。

*(テレビ東京)原稿データを検索すると「ある」と「いる」が同じぐらいだった。しかし「ありませんでした」には、違和感がある。「ケガをした人は、いませんでした」にするようにしている。

*(共同通信)10年ほど前まで地方版の原稿を(デスクとして)見ていたが、当時は「けが人は、いなかった」と書くように、記者に指導していた。この1年3か月の記事を検索したところ「けが人は・・・」に続くのは、「いなかった」=258件、「なかった」=318件だった。

*(WOWOW)サッカー中継で「出場停止、及びけがによる欠場者一覧」というのを紹介するのだが、その際は「欠場者は、いません」と言っている。

 

ということで、やはり「いません」が主流になって来ているようですが、MBSさんの言うように、

「けがをした人は、いませんでした」

なら、それほど違和感を覚えないなあと思いました。


(2016、3、11)

2016年3月15日 10:00 | コメント (0)

新・ことば事情

6017「ゆずれもんサイダー」

 

 

コンビニで目に入った飲み物のペットボトルに、こんな文字が。

「ゆずれもんサイダー」

この「ゆずれもん」が、

「博多弁」

のように感じました。「サイダー」が「カタカナ」なので、本来なら、

「レモン」

と「カタカナ」で書いて、

「ゆずレモンサイダー」

と書いたらいいのにな。でも、それでは当たり前すぎるから「平仮名」で、

「れもん」

にしたんでしょうね。

「サイダー」を平仮名にして、「レモン」をカタカナにしてみると、

「ゆずレモンさいだー」

ですが、これじゃあ「サイダー」かどうか分からなくて「いやだー」。

「ゆずれもんサイダー」という表記は、ゆずれんもん。

 

(2016、3、11)

2016年3月14日 21:21 | コメント (0)

新・ことば事情

6016「痩せてみえて」

 

 

認知症の91歳の夫が、85歳の妻がうたた寝をしていた「6分間」に徘徊して、JR東海の線路内に入り、列車にひかれて死亡した事故で、妻などの監督責任が問われた損害賠償補償裁判の最高裁判決が出ました。

その日に愛知県大府市でインタビューに答えた近所のおばさんの言葉で、85歳の妻の容貌に関して、

「痩せて見えて」

というのがありました。「ミヤネ屋」で、このインタビューのフォロースーパーをチェックしていて、

「あっ!」

と思いました。この「痩せて見えて」の「見えて」は、漢字で書くべきはない!

「痩せてみえて」

と書くべきなのです。なぜならば、

「~してみえて」

というのは「東海地方の方言」で、

「『~でいらっしゃって』の意味だ!」

と気付いたのです。

私は、生まれが「三重県上野市」(現在の伊賀市)で、祖母がよく、

「~してみえて」

という敬語を使っているのを、子どもの頃に聞いた覚えがあったからです。特に「女性」が使うイメージがありますね。祖父は使っていなかったような。

久々にそんな言葉に接したなあ・・・と思いながら、「みえて」を「平仮名」に直して放送しました。

 

(2016、3、3)

2016年3月14日 17:21 | コメント (0)

新・ことば事情

6015「黙秘権を行使します」

 

 

塾帰りの小学5年生の娘に、復習テストは何点やった?と聞くと、

 

「黙秘権を行使します」

 

ど、どこで覚えたんや?そんな言葉?

 

「相棒」

 

で、合格点は?

 

「60点」

 

じゃあ、60点以下やな。

 

「え!なんでわかったん?」

 

やはり、所詮は「小学生」ですね。

 

(2016、3、11

2016年3月14日 12:18 | コメント (0)

新・ことば事情

6014「骨が折れる」

 

知り合いの新聞社の用語担当者に、4月に予定されている会議の内容について相談のメールを送ったところ、

「いま、骨折して入院しているので、退院したらまた連絡します」

という返事が返って来て、ビックリ!

「え・・・大丈夫なんですか?いろいろ面倒なことをお願いして『お骨折り』をお願いしたからでしょうか?」

と返すと、

「いえいえ、ジョギングをしていて転んで、膝の骨を折っちゃったんです。」

とのこと。一日も早い回復を願いますが、

「お骨折り」

といえば思い出すのは、30年ぐらい前、「昭和」の時代の「園遊会」に、柔道の山下泰裕選手(当時)が、招待客の一人として参加した時の、昭和天皇との会話でした。

 

昭和天皇「柔道は、骨が折れますか」

山下選手「はい。でもお陰様で、もう治りました」

昭和天皇「あ、そう。」

 

これ、実は山下選手は、園遊会の少し前の「ロサンゼルス五輪」(1984年)の無差別級で、金メダルを取ったのですが、その決勝のエジプトのラシュワン選手との戦いの際「骨折」していたことがあとでわかった、ということがあったのですね。

でも、昭和天皇の、

「骨が折れますか」

は「骨折」の意味では無くて、

「苦労が多いですか?(大変ですか)」

の意味だったのですが、山下選手は、言葉通り受け取って、

「物理的な骨が折れる=骨折」

だと思ったのですね。それで、

「もう、治りました」

と答えたと。そして、それを受けて昭和天皇が、

「あ、そう」

と答えたので、表面上は「意思の疎通がなされた」ように見えたのですが、完全に「勘違いで行き違いがあった」という面白い話を思い出したのでした。

(2016、3、3)

2016年3月 5日 12:20 | コメント (0)

新・ことば事情

6013「とうでん」

 

 

和歌山県で、15年ぐらい前から空き家になっている家が、景観を乱しているとして、強制代執行が行われたというニュースが、3月2日のNHKで流れていました。その中で、行政代執行を行っている「和歌山県の行政側の人」が、

「とうでん」

と言っていました。これは、

「盗電」

でも、

「東電(東京電力)」

でもなく、とうでん、いや当然、

「とうぜん(当然)」

と言っているのでしょうね。

和歌山弁では「ザ行」が「ダ行」に聞こえる発音をするんだなあ、そして、この人は間違いなく「和歌山の地の人」だなあと確認できました。

 

(2016、3、2)

2016年3月 4日 17:16 | コメント (0)

新・ことば事情

6012「ならしの市役所」

 

 

ふと、気付きました。

「ならしの市役所」

と読んだ場合、読み方によって、

「習志野市役所」

千葉県の「習志野市」の市役所を指すケースと、

「奈良市の市役所」

と、「奈良県奈良市」の市役所を指す場合があります。アクセントとしては、

*「習志野市役所」=「ナ/ラシノシヤク\ショ」

*「奈良市の市役所」=「ナ/ラ\シノ・シ/ヤク\ショ」

で区別がつきそうなものですが、「奈良」のほうは「2語」の区別をしなければ、

*「奈良市の市役所」=「ナ/ラ\シノシヤクショ」

となって、「習志野市役所」と区別がつきにくくなります。

これを避けるためには、「奈良」のほうは、きっちりと「2語」に分けて

*「奈良市の市役所」=「ナ/ラ\シノ・シ/ヤク\ショ」

と、「ナラシノ」と「シヤクショ」の2語に区切って、

「『アクセントの山』を作ってやること」

ですね。これで間違いは、より防げると思います。

 

(2016、3、3)

2016年3月 4日 11:13 | コメント (0)

新・読書日記 2016_036

『ナニワめし暮らし2』(はたのさとし、双葉社:2016、1、22)

 

2016読書日記035で書いた、『角川映画1976-1986増補版』(中川右介、角川文庫)の著者・中川右介さんのトークイベントに行って、その会場で紹介された、和歌山出身の若い漫画家・はたのさとしさんから、直接頂いた漫画の単行本。タイトルの通り、大阪を舞台にして、シェアハウスに住むいろいろな面々が、問題を抱えつつも、おいしいナニワのB級グルメが、人と人との垣根を取り除いていくというもの。昔の『めぞん一刻』を「ラブコメ」というならば、これはさしずめ「グルコメ」。B級グルメ・コメディーみたいな感じかな。絵が、かなり「濃い」。線が濃い。「とんかつソース」か、「お好みソース」のようで、「しょうゆ好き」の人にはどうかなと思うが、そのリアルなタチだからこそ、食べ物のおいしさが際立つ感じがした。

 

 


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(2016、2、28読了)

2016年3月 3日 18:05 | コメント (0)

新・読書日記 2016_035

『角川映画1976-1986増補版』(中川右介、角川文庫:2016、2、25)

 

 

2年前に出た単行本が、「角川映画40年」の今年、文庫化された。その記念のトークイベントに行って、その場で購入。著者の中川さんにサインもしていただいた。思えば、中川さんと初めてお会いしたのが、2年前の単行本発売記念のこのイベントだった。あれから2年経つのか・・・と感慨が。

今回は「増補版」とあるように、「1976-1986」の「その後」が、「終章―その後」として加筆されている。また、巻末には「角川映画のデータ」が「その後」も含めて載っている他、「1976-1986」の「キネ旬ベスト10」も載っていて、そういったデータを眺めるだけで、時間が経ってしまう。

イベント当日は、角川映画のDVDが1本1800円という廉価で売られていて、前回のイベント後に借りに行った「TSUTAYA」に置いてなかったものもあったので、ついつい2本購入。『人間の証明』と『晴れ、ときどき殺人』。そうしたら、きょう(3月1日)、「ジョージ・ケネディ死去(91歳)」の報が(現地時間・2月28日死去)。『人間の証明』に出演していたという。あまりにもドン・ピシャリで、ビックリ!

 

以下、2年前に単行本の感想で書いたものを転載しておきます。

****************************************

★2014読書日記043『角川映画19761986~日本を変えた10年』(中川右介、KADOKAWA:2014、3、8)

結構分厚い、黒い表紙のシブい本は、角川春樹による「角川映画」の最盛期1976年から1986年までの記録と分析本という、映画ファンなら飛びつく本。

私はと言うと、映画は好きだし、まあまあ見ているが、「映画ファン」を名乗るほどのものではない。何より、実は「角川映画」は、ほとんど見ていなかったのだ。

当時をご存じの方には言うまでもないが、あの当時の「角川映画」の宣伝は物凄かった。映画を見ていない私でも当時の「角川映画」がどのようなものであったかを言えるぐらい、今でいう「メディアミックス」を最大限に活用して、テレビCM・本・雑誌など、メディアを総動員して売るという姿勢が見え見え、イケイケだった。しかも「角川書店の御曹司(二代目)の道楽」というような"やっかみ"的な見方もあって、その姿勢があまり好きではなく(アマノジャクだから)見なかった。レンタルビデオなどが隆盛の時代になっても、「洋画は見るが邦画はなあ、まして『角川映画』なんて・・・」という、鼻持ちならないヘンケンを持っていたことをここで 告白しておく。ITバブルの時の企業家、例えば「ホリエモン」などに対する「アンチ派」的な感情である。その発言や事業規模が大きければ大きいほど、"うさんくささ"を感じていたのである。でも、「本」は好きだったから、角川文庫の「赤川次郎シリーズ」は、当時100冊以上読んだと思いますが・・・。

しかし、この本を読めば、いかに角川春樹がスケールの大きな人間であったか、それまでの「日本の映画界」を、「世界規模」「世界標準」で闘えるようにしようと考えていたかなどがわかり、見る目が変わった。

いま、あれから30年以上が経過して、今一度、角川映画を見直すというのに良いきっかけになる一冊だなあと感じた。で、レンタルしてきました、「戦国自衛隊」「復活の日」。なかなかすごいスケール。今、見ても面白い。いま「セーラー服と機関銃」を見始めています。薬師丸ひろ子、永遠のアイドルだなあ。「時代」を感じさせるセットや役者。渡瀬恒彦は角川映画によく出て来るなあとか、柳沢慎吾、30年以上たっても全然変わってねえじゃねーかよ!とか、「30年たった今、見るからならではの楽しみ方」もあります。ほかの作品もボチボチ見て行こうと思っています。で、今月10日に大阪・ミナミの「ロフト・プラスワン・ウエスト」で中川さんたちの「角川映画」に関するトークイベントがあるので、聴きに行こうと思っています!

 

 


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(2016、2、27読了)

2016年3月 2日 21:04 | コメント (0)

新・ことば事情

6011「『ケージ』のアクセント」

 

 

2月26日放送の日テレ『スッキリ!!』で放送された、3歳児をウサギ用の「檻(おり)」に閉じ込めて死亡させたとされる両親の裁判のニュースで、「檻」を英語で言った、

「ケージ」

を、上重聡アナウンサー男性ナレーターも、

「ケ/ージ」

「平板アクセント」で読んでいましたが、正しくは、

「ケ\ージ」

「頭高アクセント」ではないでしょうか?「平板アクセント」の「ケ/ージ」で私がイメージするのは、

「掲示」「鮭児」

ですね。

『NHK日本語発音アクセント辞典』を引いてみたのですが、「ケージ」は載っておらず、似たような言葉では、

「ゲ\ージ」「ケ\ーキ」「ケ\ース」「ケ\ープ」「ゲ\ーム」

と、全て「頭高クセント」でした。

また、「アクセント」も載っている『新明解国語辞典』を引くと「ケージ」、載っていました!

「ケージ」(1)

ということで、(1)は「頭高アクセント」を意味しています。やっぱり「頭高アクセント」なんだ。

その後、同じく日テレの矢島学アナウンサーは3月2日お昼の「ストレイトニュース」で、

「ケ\ージ」

「頭高アクセント」で読んでいました。

上重君、もしこのブログを読んでいたら、今後は「頭高アクセント」で読んでください!

また、2月26日『スッキリ!!』の男性ナレーターは、

「後悔の念は?」

「念」を「平板アクセント」で

「ネ/ンワ?」

と読んでいましたが、これも「ネ\ンワ?」と「頭高アクセント」ではないか?と思ったのですが、手元の『NHK日本語発音アクセント辞典』を引くと、

(1)  ネ\ン(頭高アクセント) (2)ネ/ン(平板アクセント)

の順番で、「両方」載っていました。

 

(2016、3、2)

2016年3月 2日 18:03 | コメント (0)