新・読書日記 2015_183
『日本の反知性主義』(内田樹編、晶文社:2015、3、30第1刷・2015、4、10第2刷)
硬い内容にそぐわない、派手な蛍光色の黄緑とオレンジの表紙が、タイトルの「反知性主義」への警告を発している。編者の内田樹が、各年代の識者に「昨今の、日本の反知性主義について書いてください」とお願いして集まった論文集。書いた識者は、白井聡、高橋源一郎、赤坂真理、平川克美、小田島隆、想田和弘、仲野徹、鷲田誠一という面々。それと内田と名越康文との対談も載っている。どちらかというと「左」と目される面々が多い。
順番に読む必要がないので、気に入っている筆者から読んだ。小田島隆、想田和弘、白井聡あたりから。
小田嶋の「俗流『ヤンキー論』を排す」「『マイルドヤンキー』の語義矛盾」は、目新しかった。想田の「知性の発動にショートカットはない」というのも、「そうだ、想田」と思った。中でも白井は、
「反知性主義は政治の重要なファクターである。反知性主義の類似物として、『パンとサーカス』の標語に象徴される愚民化政策というものが古代からある」(68ページ)
「万人が同等の権利を持つ、したがって同等の発言権を持つという前提に立つ民主制においては、現実に存在する『知性の不平等』とそれに関連する『現実的不平等』は、度し難い不正としてつねに現れ、不満の種とならざるを得なくなる。そこに現れるのは、ルサンチマンの情念が猛威を振るう世界にほかならない」(69ページ)
「反知性主義が権力者層による統制を超えて爆発的に噴出するとき、マッカーシズムや、文化大革命やポルポト派による知識人弾圧といった破局的事態が引き起こされることとなる。」(70ページ)
また、白井は小泉政権によって、自民党は、さまざまな社会階層(=みんな)に支持基盤を過不足なく代表する「国民政党」から、特定の階層に支持基盤を見定める「階級政党」へと変貌したと指摘。小泉首相(当時)の「改革なくして成長なし」という言葉は、戦後保守政治の決定的な変質を内包する言葉だったと振り返る。(たしかに当時「保守政党なのに「改革」と言うのは、おかしいな』と、誰もが感じた。)それによって、総中流社会が崩壊した。
また、「深いシニシズム」がデモクラシーの基盤に据えられていることも指摘する。「シニシズム」とは、
「今の政治が、構造的に『みんな』の利益を代表することができないなら、『グローバル化の促進が自らの階級的な利益に反する事を理解できないオツムの弱い連中をだまくらかして支持させればよいではないか』という考え方だ」
と、かなり「キツイ(下品な)表現」で説明する。そして、
「被治者と治者とがお互いに対して抱く感情の基礎が、『信頼と敬意』から『軽信と侮蔑』に転換したことを意味しもする」
と憤る。さらに、現在の、
「安倍政権支持者に典型的に見て取れる態度は、合理的な信頼ではなく軽信・盲信であり、それは当然崇拝に接近する。」
とも述べている。きょうの国会中継を見ていても、安倍首相の野党議員に対する答弁には、「相手も国民から選ばれた議員である」ということへの「敬意」は感じられず、
「そんなこともわからないのか、このバカは!」
という「侮蔑」の感情が伝わってくる。(確かに、その野党議員の質問は、稚拙なものではあったが。)
そして、白井はこう述べる。
「愚民化政策を全面化することは、統治者にとって権力基盤を強固にすることに役立つ魅力的なオプションであっても、基本的には選択できないものであった。なぜなら、開放系である(鎖国政策は採れない)近代世界において、国民の全般的な知的水準が崩壊的に低落してしまうならば、長期的にはその国は立ち行かなくなる~究極的にはその国家そのものが消滅しかねない~ことが明白だからである」(77ページ)
と説く。
これは日本の危機だ!
それにしても、もうちょっと、くだけたものの書き方が出来ないのかねえ。できそうだけど。勉強になりました!