新・読書日記 2015_178
『日本とドイツふたつの戦後』(熊谷徹、集英社新書:2015、7、22)
共に第二次世界大戦の敗戦国である日本とドイツ。しかし、戦後のこの2つの国に対する他の国からの対応は、全然違うように感じる。かたや、EUの中心国としてヨーロッパのリーダーと目される「ドイツ」と、戦後70年何度も「お詫び」を繰り返し国交回復の条約も交わした上にODAなども支払っているのに、中国や韓国からいつまでたっても、やれ「お詫び」をしろ、やれ金を払えと言われる「日本」。なぜこんなに違うのか?という疑問は、ごく普通の日本人は持つ疑問だと思う。
実は、この本を読む前に、妻から同じ疑問を投げかけられた。その際に私が答えたのは、
「ドイツは、最高責任者のヒトラーが死んだことで責任を取ったことになっているけど、日本は最高責任者の(昭和)天皇が死ななかったので、いつまでも責任追及される。」
たぶん、これが正解だ。しかし、これは今更どうしようもないことである。陸地つながりのヨーロッパの中の「ドイツ」と、海によって大陸・他国から隔絶されている「日本」の地理的状況も影響しただろうし、戦後統治の流れの中で、戦勝国側が「最善」と判断した方法に身を委ねたにすぎないのだから。そしてドイツは、東西2つに分断されたが、日本は分断されることなく(沖縄は一旦、分断されたが)戦後を過ごしてきた。
本書では、「ドイツ」が、いかにして戦後を生き抜いたかについて記されている。
著者は1959年生まれ。元NHK記者。1990年からは、フリージャーナリストとして25年間ドイツ在住。ドイツに住む日本人の目で見たドイツという、日本に住む日本人からはわからない視点で読み解いていく。
やはり、ドイツと日本で一番意識の差があるのは、以下の点ではあるまいか。著者が1989年に、当時のブラント元西ドイツ首相に行ったインタビューだ。
「若者たちが過去のことについて無関心になるのは、当然のことだ。彼らが前の世代の犯罪について、重荷を背負わされることについて、責任はない。しかし彼らは同時に、自国の歴史の流れから外に出ることはできないということも知るべきだ。そして若者は、ドイツの歴史の美しい部分だけでなく、暗い部分についても勉強しなくてはならない。それは、他の国の人々が、我々ドイツ人を厳しく見る理由を知るためだ。そしてドイツ人は、過去の問題から目をそむけるのではなく、たとえ不快で困難なものであっても、歴史を自分自身につきつけていかなくてはならないのだ。」(110ページ)
2015年の年末ぎりぎりになって、韓国との「慰安婦問題」に関する「未来志向の解決」に向けて動き出したかに見える。しかしこれも、ドイツが「謝ったからもう終わり。未来の子ども達は、全く関係ない」という態度を取っているかというと、そうではないことが分かる。「戦争」によって失われた・奪われたという思いは、形の上で消えても、綿々と世代を超えて残ってしまうものだということが、よく分かると思う。
(2015、12、4読了)
(☆4つ)