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『道浦TIME』

新・読書日記 2016_013

『熟年夫婦のスペイン行き当たりばったり移住記』(行宗蒼一、ダイヤモンド・ビッグ社:2016、1,1)

 

 

今年(2016年)読んだ2冊目の本。たまたま本屋さんで見かけて、著者が元NHKのアナウンサーだという点と、やはり「スペイン好き」という共通点があって、手に取りました。NHKのアナウンサーと言っても、AK(東京)ではなく地方局を回っていて、しかもどちらかというラジオが中心だったということで、年齢ももう70歳ぐらいの方なので、存じ上げませんでした。1980年ごろには、もうNHKを辞めてフリーになっていたと。私がアナウンサーになる前の話ですね。その後、川崎敬三さん(去年、亡くなった!)が司会をしていたテレビ朝日の「アフタヌーンショー」でリポーターをしていたそうだが、それも知らなかった。

そして、60歳を機にスペインに「移住しよう」としたのだが、その際のゴタゴタを記している。もう10年も前のことなので、今、役に立つかどうかはちょっとわからないが、10年前に書いて出版の機会をうかがっていたのかもしれない。川崎敬三さんが亡くなったことで「あのアフタヌーンショーの・・・」という見方をする人が「買って読んでくれるかな?」ということではないか?ま、私が見事に「そのうちの一人」に当たったわけだが。

今読んでも役に立つように、しっかり「注釈」で、現在の情報も載せてあります。

一時期、「老後を海外で過ごす」というのが流行った(まさに10年ぐらい前)が、今は「下火」なんじゃないかなあ。でも、楽しく読ませて頂きました。

 


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(2016、1、3読了)

2016年1月31日 21:29 | コメント (0)

新・読書日記 2016_012

『「罪と罰」を読まない』(岸本佐知子・吉田篤弘・三浦しをん・吉田浩美、文藝春秋:2015、12、15)

 

出ました、今年初の「星5つ」!これは面白い企画。「読まないで読む」。その本=ドストエフスキーの名作『罪と罰』を読んだことがない4人が、本を読まないでストーリーを推理する「読書会」。まあ、この4人だからこそできた企画とも言えるけど、これ、やってみたいなあ。

中でもやはり「三浦しをんはすごい!」と思いました。

4人の話し合いの様子が記されているんだけど、まるで「推理劇」なんだよね。ワクワクゾクゾクする。少し話しては、その推理の方向を確認・修正するために各章で、数回(5回だっけか?忘れた)、「1ページだけ」読んでもいいことにして、その「1ページ」も、あてずっぽうで任意のページを指定する。もう、本当に高等なゲームですね。でも誰でもが出来るわけではない。ぜひこれ、番組にしてみたいなあ。でも、できるかなあ・・・。「誰の、何の本を読まずに読むか?」というのを選定するのが、かなり難しいですね。

あ、この「『罪と罰』を読まない」は、「読まずに読む」のではなく、「読んでみて」くださいね。

 

 


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(2016、1、7読了)

2016年1月31日 19:28 | コメント (0)

新・読書日記 2016_011

『ガザ~戦争しか知らないこともたち』(清田(せいた)明宏、ポプラ社:2015、5)

 

今年1月5日の「日経新聞」夕刊1面のコラム「あすへの話題」で、前・厚労省事務次官の村木厚子さんが「生まれ変われたら」というタイトルで書かれていたコラムを読んだ。村木さんは去年10月に、37年余り勤めた厚生労働省を退職したとのこと。37年余りの間に2度の産休、交通事故での休業、そしてご存じのように冤罪の裁判中の起訴休職と、何度となく職務を中断されながらも、定年まで勤め上げた。その村木さんが紹介していた「写真絵本」が本書だ。著者の清田さんは、村木さんと高知大学の同窓で医師で、先日、会った際に、この本の売り上げがガザの子どもたちのためにも使われていると教えられたという。医師である清田さんの、

「医療なんて、平和のないところでは無力だと思い知った」

という話はズシリと重かった、と村木さんは記す。

「裁判の被告」から厚労省に戻って、事務次官にまで上り詰めた村木さん。退職後に当然「永田町」界隈から「出ませんか?」なんてお誘いがあることだろう。でも、みんな断っているんだろうなそれを窺わせるように、こう記している。

「政治家になろうとは全く思わないが、政治は大切にしたい。」

(これで、ことし7月の参院選に出たら、ビックリしますけど)

そして、英国首相の回顧録に、

「私が尊敬する人は母です。母は立派な市民でした。」

とあるのを読んで、

「生まれ変わらなくても、生まれ変わっても、よき市民になりたいと思う」

と結んでいる。

このコラムを読んで、本書を取り寄せたのだ。

思っていたよりも大判の写真集で、日本からは全く距離的にも心理的にも遠い「ガザ」の生活が、「鳥の目」ではなく「人の目」で写されている。爆撃で壁が壊れてしまった家に住んでいる子ども達。描く絵は、「戦争の絵」だ。その昔、「戦争を知らない子ども達」というフォークソングが流行したが、ガザの子ども達は「戦争しか知らない子ども達」なのだ。それでも、明るい笑顔で生きている。「平和」ということについて、改めて考えさせられる。

 

 


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(2016、1、19読了)

2016年1月31日 14:03 | コメント (0)

新・読書日記 2016_010

『アウシュビッツの手紙』(内藤陽介、えにし書房:2015、11、11)

 

 

郵便学者・内藤陽介さんから頂いた一冊。いつもの本と同じように、資料として切手や郵便物の写真をふんだんに掲載している。いつもは「カラー」で載せるために、上等な分厚い紙を使っていて、本自体を持ち運びして読むのにはちょっと重いのだが、この本は写真がたくさん載っているものの、写真は白黒なので紙も薄手で持ち運びしやすく、読みやすい気がする。

強制収容所からの手紙を読み解いていくことで、ドイツが犯した過去の罪を、改めて学び、「平和」とは何かに思いをいたすことの重要性。「はじめに」に書かれていた、1985年のワイツゼッカー大統領(当時)の有名な演説からの引用が印象的だ。

「過去に目を閉ざす者は、結局のところ、現在にも盲目となる」

「『歴史の中で戦いと暴力に巻き込まれる』こと(=戦争)はどの国にも起こりうるが、『ユダヤ人という人種をことごとく抹殺する』ことは無比の犯罪だとして、ナチスの犯罪をまったく別の次元のものとして語っている」

という。『ワイツゼッカー演説集』の文庫本は家の本棚にあるはずだから、捜し出して読もうと思った。

「アウシュビッツ」は、現在のポーランドにある。(「ドイツにある」と思っていた!)

ポーランド語では「オシフィエンチム」という名前の町である。24年前、ドイツにあるユダヤ人の強制収容所跡を見学したことがあるが、ここで出て来るアウシュビッツの写真も、それととてもよく似ているものであった。

この本を読んで感じることは、二度とこのような事態を起こしてはいけないということだ。「ヘイトスピーチ」なども、系列で言うと、このアウシュビッツにつながりかねない事態であると思った。

 


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(2016、1、21読了)

2016年1月31日 10:02 | コメント (0)

新・読書日記 2016_009

『イタリアの猫』(岩合光昭、新潮文庫:2016、1、1)

 

 

「猫の映像・写真」と言えば、今や岩合さんが"第一人者"であろう。NHKの番組や、子どものノート「ジャポニカ学習帳」の表紙の写真でもおなじみ。私は、どちらかと言えば「犬派」であるが、「猫」の魅力もわからないではない。この文庫版の写真集に出て来る猫たちは、どれもいい顔をしている。「動物」でありながら「その景色の中の、欠かせない一つの要素」になっている。癒やされますねえ。

 

 


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(2016、1、19読了)

2016年1月30日 17:15 | コメント (0)

新・読書日記 2016_008

『魔女のスープ~残るは食欲』(阿川佐和子、新潮文庫:2014、11、1)

 

 

サブタイトルの「残るは食欲」が、受けた。どう見ても「食いしん坊」のイメージがある阿川さん。これは「聞く力」ではなく「食う力」ですね。いろいろな食べ物に関するエッセイですが、こういった物を読むと「食べることは、生きること」と実感するし、イタリア人なんかに負けず、日本人も「マンジャーレ(食べろ)、アモーレ(愛せ)!」という"ラテン的な気持ち"になれた。TBSの番組の簡単なパーティーの際に「いなげや」というお肉屋さん(?)の「コロッケ」と缶ビールで「カンパーイ」ということがあると書いてあったが、テレビ局の報道局は、どこも同じなのか?と思った。というのも、読売テレビもそういった打ち上げなどでは、「中村屋のコロッケ」が必ず出て来るからだ。そういった意味でも、すごく親密感を持って読むことが出来た。

 

 


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(2015、1、16読了)

2016年1月30日 12:14 | コメント (0)

新・読書日記 2007_007

『伊福部昭と戦後日本映画』(小林淳、アルファベータ:2014、7、10 )

 

 

一昨年に買って100ページほど読んでそのままになっていたのを、頑張って読んだ。

500ページ近い、辞書のような本。学術書ですね、これは。

あの映画「ゴジラ」のテーマソングで有名な(というか、それしか知らなかった)作曲家・伊福部昭が、こんなにたくさん映画音楽を作曲していたとは知らなかった。

伊福部と、映画監督たちの交流や、北海道の釧路市生まれ(幣舞橋!)であるとか、作曲家になる前は営林署に勤務していたとかも知らなかったが、平成になっても曲を書き続けた伊福部の活動を追うだけで、まさに戦後の日本映画の歴史をたどることが出来た。勉強になりました。

 

 


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(2016、1、15 読了)

2016年1月29日 20:13 | コメント (0)

新・読書日記 2016_006

『常識外の一手』(谷川浩司、新潮新書:2015、6、20)

 

2012年から日本将棋連盟の会長を務めている谷川さん。私(1961年生まれ)とほぼ同世代(1962年生まれ)。私は将棋は指さない(指せない。並べるだけ)ので詳しいことはわからないが、現役の棋士でありながら連盟の仕事もこなす、しかも関西在住でというような事情は、うっすら知っていたので、その内実に興味があって読んだ。

特に「五十代をどう闘うか」といったあたりは、「将棋」から離れて、「生き方」に触れていて、大いに参考になった。これからも応援したいと思った。

 

 


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(2016、1、10読了)

2016年1月29日 14:17 | コメント (0)

新・読書日記 2016_005

『トマ・ピケティの新・資本論』(トマ・ピケティ著・村井章子訳、日経BP社:2015、1、27)

 

 

いやあ、1年かけてようやく読み終わりました。

去年の内に読んでおきたくて、年末年始の休み、頑張ったけど、結構、時間がかかった。

414ページ。フランス「リベラシオン紙」上に2005年から2014年まで連載していたコラムをまとめた物。ピケティという人は、どちらかというと「左」の考え方の人なのね。その視点で、歴代フランス政府の経済政策を批判している。といった意味では、「フランスの現代史」の一端を知ることが出来る一冊。でもべースの知識がないと、かなり難しいです。実際、難しかったです。帯には、

「r>g」

という例の不等式と、その日本語での説明のような一文が記されているので、メモしておきます。

「資本収益率(r)>経済成長率(g)」

アメリカはもちろん、ヨーロッパでも、さらには日本でも、主に人口要因に起因する成長率の低下によって、所得に比して富の重みがかつてなく高まっている」

これが「格差問題」ですね。帯の背表紙には、

「資本主義は ますます格差を拡大していく。どうするか?」

「配分」が問題になって来るのですね。

 

 


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(2016、1、19読了)

2016年1月29日 12:00 | コメント (0)

新・読書日記 2016_004

『マリアージュ~神の雫 最終章 第1・2巻』(亜樹直・作、オキモトシュウ・画、講談社:①2015、10、23 ②2016、1、22)

 

 

ワインを巡る漫画「神の雫」の連載が終って、単行本も全部出て「おしまいかな」と思っていたら、なんとタイトルが変わって新シリーズが始まっていた!たしかに「神の雫」では、偉大な父が残した「十二使徒」を巡る、主人公・雫と異母兄のワイン評論家・遠峰との闘いは「6対6の引き分け」に終わって、なんとなく、

「終わった感がない」

という声も聞いた。

今度は、「ワイン」のみの勝負ではなく、「ワインと料理との最良の取り合わせ」=「マリアージュ」を巡る勝負になっている。より難しく、また幅広くなっているが、その分、専門的になるので、読者の幅は狭く、深いほうに向かったのね。

でも、わたしゃ、読みますよ!ちなみに「マリアージュ」とはフランス語で、「結婚」という意味です。「相性」みたいなものかね。

 

 


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(2016、1、24読了)

2016年1月28日 20:59 | コメント (0)

新・読書日記 2016_003

『やせれば美人』(髙橋秀実、PHP:2016、1、5)

 

 

なんだこの、力の抜けるようなおもしろいタイトルは!?

と、本屋さんで見かけた本に目をやると、あの「高橋秀実さん」の本だった。しかも10年前に出ていたものが、復刊したそうである。凄い。

タイトルも一見普通に見えて、すごく深い。こんな怖いタイトル、スゴイ。

いつもこの言葉を言っているのは、なんと著者の奥さん!結婚前(10年前)と比べてなんと30キロも太ってしまったというのである!こういう太り方をしている人は、

「目・鼻・口が『顔の真ん中』に寄っている」

のだそうだ。ああ、なるほど。リアル。

そして、いかにして夫婦で「ダイエットに取り組むか」なのだが、奥さん曰く、

「わたし、ダイエットのために努力をしたくない。運動は大嫌い!汗かくのが嫌なの。朝起きたら痩せてる、っていう方法が良いの」

・・・バ、バ、バカヤロー!そんなこと言っているから太るんだあ!!!

と、思わず笑いながら本に向かって怒鳴ってしまった、深夜に。

ダイエット経験者に話を聞いたり(つまり、「取材」ね)した様子もあり、果たして奥さんの体重は!

しかも、「あとがき」は、この本が書かれてからさらに「10年」たって「復刊」した「現在の奥さんの様子」も書かれている。怖くないですか、この本。

それにしても、奥さん、よくここまで赤裸々に書かれることを許可しましたね、個人情報の最たるものじゃないですか、これって。夫唱婦随なのだろうか???

面白くて、買って一晩で一気に読んでしまいました。

 

 


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(2016、1、17読了)

2016年1月28日 16:58 | コメント (0)

新・読書日記 2016_002

『リラックマ ここにいます』(コンドウアキ、主婦の友社:2015、11、30)

 

 

会社の帰りにふらっと入った本屋さんで目に付いた絵本。小学生の娘が大好きな「リラックマ」なので、つい、買ってしまった。しかし、家に帰ったらもう娘は寝ていたので、先に読ませて頂きました。ま、「相田みつを」ですね。絵がかわいいです。

 

 


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(2016、1、6読了)

2016年1月28日 11:57 | コメント (0)

新・読書日記 2016_001

『女子学生はなぜ就活で騙されるのか~志望企業全滅まっしぐらの罠』(石渡嶺司、朝日新書:2015、11、30)

 

 

知り合いの石渡さんの最新刊。これは自分で買って読みました。あまり関心はない範囲なのだけど、よく考えると「採用」などで関連がなくもない。少し先を考えると、自分の子ども達のこともあるしね。

石渡さんがふだん、学校や企業などを回っての取材で得た「就活最前線情報」と言えるが、「就活」にあたって、真面目な女子学生が陥るワナ・失敗の例が、これでもかと記されている。高校までの学校の勉強のように、教えられたことをきっちりやりさえすれば、志望の学校(会社)に入れるというわけではないという「社会の現実」があるのだ。

しかし、わざわざ「女子学生」にターゲットを絞って書いたということは、女子学生の方が男子学生よりも「真面目」で、そういう罠に陥りやすいという警告ではないじゃなと感じた。「女性活用」を政府は謳っているが、そんな「建前」と「本音」との間のギャップを、女子学生は、冷静に見つめなければいけないのだなと思った。

 

 


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(2016、1、2読了)

2016年1月27日 22:55 | コメント (0)

新・ことば事情

5969「失笑」

 

 

最近、

「失笑」

という言葉の使い方が間違っているという指摘を耳にします。

『文化庁国語課の勘違いしやすい日本語』(文化庁国語課・幻冬舎)という本の86ページにも、

「『失笑する人』は笑っているか」

という項目があり、

「平成23年度の『国語に関する世論調査』で、『彼の行為を見て失笑した』という例文を挙げ、『失笑する』の意味を尋ね」

たところ、

「笑いも出ないくらいあきれる」=60,4%

「こらえ切れず吹き出して笑う」=27,7%

だったと記されています。そして、

「『失笑』は本来、笑いを抑えることができず、噴き出してしまう様子を言ったもの」

と書かれています。(前半の文化庁の調査は「吹き出して」で、この本は「噴き出して」と「ふき」の漢字が「吹」「噴」と違うのは、わざとかな?それとも気付かなかったのかな?)

『三省堂国語辞典・第7版』を引いてみると、「失笑」の意味は、

「(相手にあきれて)思わず、ふっと笑いをもらすこと。またその笑い。(例)まわりから失笑がもれる・失笑をさそう」

とありました。

そして「失笑」を使った慣用句で、

「失笑を買う」

という言葉があり、その意味は、

「(おろかな言動を)笑われる」

です。「失笑」を単独で使う場合もこの「失笑を買う」のニュアンスで使うことも多いのではないでしょうか?『文化庁国語課の勘違いしやすい日本語』にも、

「失笑が漏れる」「失笑が広がる」

といった「あきれる」状態で「失笑」が使われることも多いことから、

「笑いも出ないくらいあきれる」

の意味で使う人が多いのではないか?と書いています。その通りだと思います。

「失笑」は「吹(噴)き出して笑う」とはありますが、「吹(噴)き出した」際に「笑い声」が同時に出るとは限りません。「吹(噴)いた状態」では「笑い声」は出ないのではないでしょうか?まず「吹(噴)いて」から、その後に「笑い声」が出るのではないか?とも思います。また、あまりにも呆れた場合は「吹(噴)き出した」段階で笑う気力もなくなることもあるでしょう。そう考えると、

「笑いも出ないくらいあきれる」

という意味での「失笑」も、あながち間違いでもないのではないか?と思うのですが、皆さまはどうお考えでしょうか?「失笑」してませんか?

 

(2016、1、27)

2016年1月27日 19:52 | コメント (0)

新・ことば事情

5968「極寒と厳寒」

 

 

「道浦さん、『極寒』と『厳寒』は、どちらが寒いんでしょうか?」

番組スタッフから、質問を受けました。

うーん、「南極」「北極」のような「極地」だと、「極=極み」なので、そっちの方が寒いような気がするけどなあ。辞書(『精選版日本国語大辞典』)を引くと、

*「厳寒」=非常にきびしい寒さ。極寒。酷寒。

*「極寒」=きわめて寒いこと。厳しい寒さ。また、一年中で最も寒い時。酷寒。厳寒。

うーん、どちらの言葉にも、それぞれの言葉が入っていますね。ということは、

「おんなじ」

かな?『三省堂国語辞典』を引いてみると、

*「厳寒」=厳しい寒さ

*「極寒」=寒さがいちばんひどいこと

とありましたので、「寒さがいちばんひどい」んだから、やはり、

「極寒」>「厳寒」

でしょう!と、結論付けました!

 

(2016、1、25)

2016年1月27日 12:14 | コメント (0)

新・ことば事情

5967「人が『ある』」

 

 

小津安二郎監督・原節子主演の『晩春』(昭和24年=1949年公開)を見ていたら、紀子に縁談を勧める友人がこう言います。

「いいひとあるんだけど。ほら、こないだアメリカから来た、野球の・・・ゲーリー・クーパー!(に似ている人)

という台詞です。この中の、

「いい人ある」

に注目しました。

「いい人いる」

ではなく「ある」なのです。

同じ、小津安二郎監督の『秋刀魚の味』(昭和37年=1962年公開)でも、ヒロインの岩下志麻が、

「赤ちゃんのある人だっているわ」

というように、赤ちゃんが「いる」ではなく「ある」と言っていました。

この時代までは、「人」は「ある」という言い方が標準だったのでしょう。

それがいつのまにか、

「人=いる」「物=ある」

と使い分けられるようになりました。

この10年で目立つのは、事故のニュースで、

「けが人は、いませんでした」

という表現です。以前は、

「けが人は、ありませんでした」

と言っていましたが、もう完全に逆転しました。

2014年3月7日に書きかけたメモによると、

「2014年3月7日の早朝に、阪急十三駅の西側で、飲食店11棟を焼く火事がありました。その際に、『ケガ人の有無』に関して、各社のお昼のニュースでは、

NHKの『全国ニュース』では、

『けが人はありませんでした』

NHKの『関西ローカルニュース』では、

『けが人はいませんでした』

朝日放送のニュースでは、

『けが人はいませんでした』

でした。」

と書き付けています。ポイントはNHKの「全国のニュース」と「関西ローカル」で表現が違ったことですね。もしかしたら「関東」では「ありません」がまだ主流で、関西は「いません」が主流なのかもしれません。今度の用語懇談会で各車の状況を聞こうと思っています。

また、過去の「読売テレビ報道局」のニュース原稿の中での「けが人はありませんでした」と「けが人はいませんでした」の回数を調べてみたところ、以下のようになりました。

【ありません】【いません】

2004年  7     0 件

  05  29     4

  06  25     7

  07  16    14

  08  19    15

  09  16    21

  10  13    12

  11  12    16

  12  14    21

  13  14    16

  14   6    19

  15   3    12

 

この問題に関しては、

「平成ことば事情3234 けが人はいない?ない?」

「平成ことば事情3838 けが人は『ありません』か?『いません』か?」

もお読みください。

(2016、1、22)

2016年1月26日 22:13 | コメント (0)

新・ことば事情

5966「日本出身力士」

 

今年の初場所は、大関・琴奨菊が14勝1敗で初優勝を飾りました。ここのところずっと、モンゴル勢を中心とした外国出身力士が優勝を独占していたので、「日本出身力士」の優勝は2006年初場所の栃東以来、ちょうど10年ぶりになるそうです。おめでとうございます。

さてこの、

「日本出身力士」

という表現ですが、

「日本人力士」

とは、どう違うのでしょうか?おそらく、「外国人力士」が「日本国籍」を取得したりするケースがあるので、その場合、

「外国出身の日本人力士」

というのも出て来ているのでしょう。そこで、「現在の国籍が日本」かどうかだけではなく、

「日本出身の日本人力士」

を指して、長いので少し短くして、

「日本出身力士」

としたのでしょうね。ちなみに、1月25日の各紙朝刊の見出しは、

「読売・朝日・毎日・産経」=「日本出身力士」

でしたが、「日経」のみ、

「国内出身(力士)」

でした。ただ「日経」も「本文」では「日本出身力士」としていたので、なぜ「見出し」だけ「国内」にしたのかは、わかりません。また、「読売」は、「見出し」は「日本出身力士」でしたが、「本文」の中では、

「日本人力士」

という表現も出て来ました。厳密に区別しているわけでは、ないのかもしれません。

グーグル検索(1月25日)では、

「日本人力士」 =43万4000件

「日本出身力士」=69万9000件

「日本人力士・琴奨菊」 =21万6000件

「日本出身力士・琴奨菊」=63万4000件

でした。なお「ミヤネ屋」でも、

「日本出身力士の優勝」

という表現を使いました。過去10年の優勝力士の中に、2012年5月場所で優勝した「旭天鵬」が、「ウィキペディア」によると、

「2004年1月に日本国籍の取得を申請し、2005年5月12日にモンゴル国籍を離脱、2005年6月22日に日本国籍を取得して、モンゴル出身力士としては初となる日本への帰化を果たした。」

とありますので、優勝時は、

「(モンゴル出身の)日本人力士」

だったのですね。ただ、貴乃花に関しては。現時点での「最後の日本出身横綱」ではなく、「最後の日本人横綱」

と、「日本人」を使いました。

なお、1月25日のテレビ朝日・NHKのお昼のニュースはともに、

「日本出身力士」

としていました。また、日本テレビの1月25日夕方の「every.」でも、

「日本出身力士」

と呼んでいました。

 

(2016、1、25)

2016年1月26日 18:10 | コメント (0)

新・ことば事情

5965「ここ毎日」

 

1月18日、例のSMAPの「生謝罪」の放送(フジテレビ「SMAP×SMAP」)を見ていたら、視聴者から届いた意見(応援メッセージ)を紹介していました。その中に、こんなコメントがありました。

「ここ毎日、SMAPの曲ばかり聴いています。」

このコメントの、

「ここ毎日」

という言葉は、初めて聞きました。「ココ(Coco)壱番屋」は、「ここ毎日」耳にしていますが。これは、

「ここのところ毎日」

の意味でしょうね。

そんな略し方を私はしませんが、世の中では使われているのでしょうか?グーグル検索では(1月22日)

「ここ毎日」=7万5900件

でした。結構、使われているのですね。その中で、

「ここ最近」

という言葉も見つけました。これは言うな。それと、

「ここのところ」

という言葉は元々あります。つまり、「ここのところ」の意味内容である「最近」を重ねて、

「ここのところ、最近」

と言っていたのが縮まって、

「ここ最近」

になり、「最近と言うより、もう毎日」という意味合いで、

「ここ毎日」

が生まれたのではないか?

「ここのところ」→「ここのところ、最近」→「ここ最近」

という流れがあって、「ここ毎日」についても同じような類推から、

「ここのところ」→「ここのところ毎日」→「ここ毎日」

となったのではないか?という流れが見えてきた気がしました。ちなみに、グーグル検索(1月22日)では

「ここのところ」  =880万0000件

「ここのところ最近」=  1万4900件

「ここ最近」    =705万0000件

「このところ」   =141万0000件

「このところ最近」 =    5490件

「ここ数日」    =124万0000件

「ここのところ毎日」= 13万1000件

でした。

 

(追記)

1月27日の日本テレビ『スッキリ!!』を見ていたら、

「ここ最近で」

という言葉が出て来ました。やはり、かなり使われているのではないでしょうか?

(2016、2、3)

 

 

(2016、1、22)

2016年1月25日 20:18 | コメント (0)

新・ことば事情

5964「ライド」

 

 

きゃりーぱみゅぱみゅとUSJが開発した乗り物が、登場したそうです。USJのコマーシャルでやっていました。そのコマーシャルで、ぱみゅぱみゅさん(言いにくい!)は、

「すっごいライドを開発!」

と言っていました。この、

「ライド」

というのは、もちろん、

「(遊園地の)乗り物」「アトラクション」

のことですよね?いつの間に、日本語として定着したのでしょうか?

新しい言葉を早く取り入れることでは定評のある『三省堂国語辞典・第7版』を引いてみましたが、「ライト」は載っていますが「ライド」はまだ載っていません。

でも、おそらく、コマーシャルを見たほとんどの人は、理解しているのでしょうね。

グーグル検索では(1月20日)、

「ライド・乗り物」=44万5000件

でした。そのトップに出て来たのが「USJ」のアトラクションでしたから、もしかしたら、

「USJのアトラクションの乗り物を『ライド』と呼ぶ」

のかもしれませんね。それだと、辞書には載らないかな?ライドに乗っても、辞書には載らない、と。大阪の乗り物だから「ライド」じゃなくて、

「マイド」

でもいいのにな。。。

 

(2106、1、20)

2016年1月25日 15:40 | コメント (0)

新・ことば事情

5963「配置薬」

 

 

1月9日の夜、普段は余り見ないチャンネルの普段はあまり見ない番組を見ていたら、普段は見たこともないコマーシャルをやっていました。スポンサーが知らない会社なのです。

その中に松岡修造さんが出ている者がありました。「クスリ」のコマーシャルですが、その中で出て来た言葉が、

「配置薬」

でした。これは初お目見えです、私にとって。たぶん、

「富山の置き薬」

のようなものなんでしょうね。

グーグル検索(1月13日)では、

「配置薬」=11万8000件

でした。

 

(2016、1、13)

2016年1月25日 12:50 | コメント (0)

新・ことば事情

5962「享年と行年」

 

 

永井荷風の『断腸亭日乗(上)』を読んでいて気になったのは、

「享年と行年」

の使い分けです。上巻では両方、出て来ます。

大正15年(1926)2月29日に、「黒田湖山」という人が病死した際には、

「享年四十九歳なり」

と「享年」を使い、「歳」も付けています。ふだん「ミヤネ屋」では、

「『享年』の『年』と『歳』は同じ意味で重複するから、『歳』は付けずに『享年49』とする」

ように指導しています。ただ、『広辞苑』は用例で「歳」を付けているんですけどね。

そもそも「享年」は、

「天から享(う)けた寿命」

という意味なので、

「平均年齢より若く亡くなった場合には、使わない」

ようにしています。きのう(1月20日)訃報が伝えられた、初代「遠山の金さん」こと中村梅之助さんの場合や、1月9日に亡くなった上方落語の桂春團治さんの場合は、亡くなった年齢が、

「85歳」

と、男性の平均寿命を上回っていたので、

「享年85」

を使いましたが。

話がそれましたが、『断腸亭日乗(上)』に、もう一つ出て来る表現は、

「行年(ぎょうねん)」

です。昭和2年(1927年)7月24日、「芥川龍之介」が自殺した新聞記事のことを記した場面では、

「行年(ぎょうねん)三十六歳なりといふ」

とあります。これは「新聞記事をそのまま写した」ので、おそらく新聞記事で「行年」を使っていたのでしょうね。「歳」も付いています。

こんな所にも注目して「下巻」も読みたいと思います。

 

(2016、1、21)

2016年1月24日 21:46 | コメント (0)

新・ことば事情

5961「桂 春團治」

 

1月9日に「上方落語・四天王」の最後の一人、

「桂春團治」

師匠が亡くなりました。85歳でした。さて、この「春團治」の

「團」

の字は、いわゆる「旧字体」です。「くに構え」の中が「専」です。

これに対して、現在使われている「略字」では、「くに構え」の中が「寸」の

「団」

ですから、その漢字を使うと、

「桂春団治」

となります。「一般紙」の1月14日の紙面(「毎日」のみ「朝刊」、あとは「夕刊」)を見ると、「読売・朝日・毎日・産経・日経」全紙、

「団」

でした。

また、1月14日と体調不良で一門会を欠席したことを伝える去年10月4日の紙面などを「スポーツ紙」で見ると、「団」と「團」に分かれています。

(団)=スポニチ・報知・日刊・

(團)=サンスポ・デイリー

と別れました。ただ、「デイリー」は、2013年9月10日と12月29日の記事では、「団」を使っていました。最近「團」に変わったのでしょうか?

「ミヤネ屋」では、歌舞伎の「市川團十郎」さんが亡くなったときに、

「伝統芸能の場合、当人が『旧字体』を使用する名前はそれに従い、『旧字体』で書く」

ということで、

「團」

を使うことにしましたので、今回も、

「春團治」

と表記して放送しました。また、1月14日の「NHK」も、

「春團治」

と「旧字体」で、翌日の「朝日放送」(ABC)のお昼のニュースでは、

「春団治」

と「略字体」でした。

ちなみに、昔聞いた話ですが、作曲家でエッセイストとしても有名な、

「團 伊玖磨」

さんは、生前、「団 伊玖磨」と書かれたハガキや手紙は、

「これは、私宛てではない」

と言って、受け取らなかったそうです。

 

(2016、1、21)

2016年1月24日 17:45 | コメント (0)

新・ことば事情

5960「否定を伴わない『全く』」

 

 

小津安二郎監督の映画『秋刀魚の味』のDVDを借りて来て見ました。昭和37年(1962年)の作品です。カラーです。

その中で、横浜球場での「大洋×阪神」のナイターの様子が出て来ます。主人公の笠智衆の同級生が、野球観戦に行こうとしていたのを、笠智衆たちが、

「それより、飲みに行こうよ」

と、小料理屋に誘い、その店の中のテレビで、プロ野球が中継されていました。当時は、「映画」界にとって「テレビ」は新興の「ライバル」だったはずで、映画の中で「テレビを見るシーン」を入れるのは、もしかしたら「冒険的なこと」だったのかもしれません。ちなみに、テレビ放送が始まったのは、昭和28年(1953年)2月にNHK、8月に民放(日本テレビ)で、映画の観客動員が一番多かったのは、たしか昭和33年(1958年)のはず。ともに(そして、この映画も)まだ「東京五輪」(昭和39年=1964年)が開かれる前ですね。

その野球中継では、

「4番、サード・桑田」

と横浜球場の「ウグイス嬢」がアナウンスします。大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)のスラッガーですね。現役時代を私は存じ上げませんが、名前だけは知っています。

そして、懐かしい感じのトーンの実況アナウンサーが、こう言いました。

「足の負傷も、全く治りまして」

この「全く治りまして」の「全く」は、

「否定形を伴わない『全く』」

ですね。また、笠智衆の海軍時代(駆逐艦の艦長だったらしい)の部下・加東大介と偶然会って、「トリスバー」のカウンターで飲むシーンでは、加東がこう言います。

「うれしいねー、全くうれしいねー」

これも「否定形を伴わない『全く』」です。

当時、つまり今から50年ほど前は、

「否定形を伴わない『全く』」は、全く普通に使われていた」

ことの、一つの証拠ではないかと思いました。

 

 

(2016、1、20)

2016年1月24日 12:21 | コメント (0)

新・ことば事情

5959「軒先の下」

 

 

1月19日、大雪に見舞われた北海道・斜里町から、NHKのお昼(正午)のニュースで中継リポートをしていた男性アナウンサー(か記者か)が、こう話していました。

「私は今、ホテルの軒先の下にいます」

え?「軒先の下」・・・それは、

「軒先」あるいは「軒下」

なのではないのでしょうか?ちなみにこの男性は、雪の降りかからない「屋根の下」の位置にいたようです。

辞書(『精選版日本国語大辞典』)を引くと「軒先」には「2つ」意味が載っています。

(1) 軒の先端の部分。のきぐち。のきば。

(2) 軒の前にあたるところ。家の戸口の前。

私の語感では「軒先」は、(2)の「家の前」のような気持ちが強いですね。「先=前」という感じで。しかし(1)の意味の「軒先」ならば「軒先の下」もOKということになりますね。

皆さんは「軒先の下」という言葉について、どうお感じですか?

 

(2016、1、19)

2016年1月23日 19:20 | コメント (0)

新・ことば事情

5958「『乗員乗客』か?『乗客乗員』か?」

長野・軽井沢町で起きたスキーバスの転落事故。未来ある若者13人の命が奪われました。(運転手2人も死亡。)本当に、何の罪もない若者たちの死は、痛ましいです。うちの息子といくつも違わない年齢。輝く未来が待っていたはずなのに・・・。

このニュースを伝える際、「ミヤネ屋」では、

「乗客乗員15人が死亡」

というように、

「『乗客』を先に言う」

ようにしています。いま(1月19日)放送していた、読売テレビの「かんさい情報ネットten.」では、この事故のニュースで、

「乗員乗客」

「『乗員』を先」に言っていました。しかし、次に伝えた福井・あわら市で起きたバス事故の原稿では、

「乗客と乗員」

「『乗客』が先」になっていましたが。

この問題に関しては、以前(2014年4月)、新聞用語懇談会の放送分科会で、私が議題として提案して話し合ったことがあります。韓国の旅客船「セウォル号」沈没事故での表現に関してです。

「昔は『乗員乗客』と『乗員』を先に言っていましたが、今は『乗客』を先にして、『乗客乗員』という表現が普通だと思うのですが、この表記に関して各社はどうされているでしょうか?

これに関しての各社の委員の回答は、

(MBS)「乗客」が先。「乗客」のほうが、人数が多いからか。

(ABC)混在している。

(フジテレビ)決めていないが、事故のニュースでは「乗客」が先。

(ABC)1957年から現在までの原稿をデータベースで調べてみた(!)。それによると、「乗員乗客」=98件(比較的「古い原稿」が多い)、「乗客乗員」=87件(「新しい原稿」が多い)。

(読売新聞)特に意識していない。

(テレビ朝日)飛行機の事故の場合は「乗客乗員」「乗員乗客」両方ある。船の場合は「乗組員○人、乗客○人」と言い、「乗員」はあまり使わない。「乗客乗員」は「鉄道」の場合に多い。

というような話でした。

(追記)

2016年7月18日(月・祝)、東京・羽田空港を離陸したハワイアン航空458便が、異常を感じて引き返し、羽田空港に緊急着陸する事故がありました。この飛行機は着陸の際にタイヤがパンクして立ち往生したため、その間、滑走路が閉鎖され、3連休最終日の空のダイヤにも影響が出ました。これを報じた18日のお昼の各局のテレビニュースでは、私が見た限りでは、日本テレビ・テレビ朝日・フジテレビ・NHKは、

「乗客乗員」

の順番でした。TBSは、残念ながら見逃しました。

(2016、7、18)


(2016、1、19)

2016年1月23日 12:19 | コメント (0)

新・ことば事情

5957「安打製造機」

 

 

1月18日、2016年の「野球殿堂表彰者」の発表が行われたと、1月19日の読売新聞が報じていました。

今回、「プレーヤー部門」では、工藤公康投手(現・ソフトバンク監督)や斎藤雅樹投手(現・巨人二軍監督)が、そして「エキスパート部門」では、通算2314本のヒットを放った、

「榎本喜八選手(故人)」

が選ばれました。私などは、名前は存じ上げていますが、その現役時代をリアルタイムで知っているというわけではありません。その榎本選手の異名(ニックネーム)が、

「安打製造機」

であったと、読売新聞は報じていました。これも聞いたことがあります。のちに、張本勲選手やイチロー選手なども「安打製造機」と呼ばれましたが、その「初代」が、榎本選手だったのです。しかし、

「人間を機械にたとえる」

と言えば思い出すのは、数年前に、

「女性は産む機械」

と言った大臣。あの際は、

「人を機械にたとえるなんて!」

と大変なバッシングを浴びました。しかし「安打製造機」は、バッシングを受けません。なぜでしょうか?

それはきっと「褒め言葉」として「機械」が使われているからでしょう。

当時は「機械」の地位が高くて、

「機械のようだ」

という表現は、

「人間業ではない」「常人には到底できない」

という「プラスの意味合い」だったのでしょうね。それが現代では、

「それ(同じこと)しかできない」「非人間的」「血の通わない」「冷たい」

などという「マイナスの意味合い」で使われてきたので、バッシングされたのではないでしょうか。

今回、改めて「安打製造機」という言葉に接して、「機械」に対する我々のモノの見方が、この半世紀ほどで変わったのだなということを感じる

「良い機会」

になりました。

(2016、1、20)

2016年1月22日 22:18 | コメント (0)

新・ことば事情

5956「速度を落として運転」

 

 

大寒波がやって来ました!(1月20日)

暖冬と言われた今年、ようやく「冬」です。いきなり、ガッと!です。

名古屋でも雪が8センチ積もり、名古屋駅前から中継をしていました。その中で、交通機関への影響として、中京テレビの女性アナウンサーが、こうしゃべっていました。

「東海道新幹線は、速度を落として運転しています。」

また画面のスーパーも、

「新幹線=速度を落として運転」

と出ていました。この表現ですが、以前は、

「徐行運転」

という言葉を使っていました。しかし、本来「徐行」とは、

「ブレーキをかけたら、すぐに止まれるスピード」

を言います。ふだん時速「300キロ」で走っている新幹線にとっては、たとえば「120キロ」というスピードに落としたとしても「徐行」だということなのでしょうが、一般的には、

「特急の最高速度」

ですし、自動車が一般道路をこのスピードで走ったら、間違いなく捕まります。

そこで、10年以上前に、新聞用語懇談会の放送分科会で、

「この場合の『徐行』という表現は、おかしいのではないか?」

と問題提起をしたことがあります。それを受けて、放送分科会から出ている『放送で気になる言葉2011』(76ページ)でも、新幹線などで「120キロ」にスピードを落としての運転を「徐行」と表現すべきでないとして、

「120キロまでスピードを落として」

等の具体的な表現にすべきだと記してあります。

その後に見た「テレビ朝日」のお昼のニュースも、「NHK」のお昼のニュースもともに、

「速度を落として運転しています」

と言っていました。ようやく、テレビニュースの現場でも、その表現が浸透して来たかと、ちょっと、うれしく思いました。

 

(2016、1、20)

2016年1月22日 19:17 | コメント (0)

新・ことば事情

5955「『四天王』のアクセント」

 

 

1月9日、上方落語の「四天王」と呼ばれた落語家のうち、最後の一人、三代目・桂春團治師匠がお亡くなりになりました。85歳でした。この「四天王」とは、笑福亭松鶴・桂米朝・桂文枝、そして桂春團治の4人を指しますが、去年3月には桂米朝師匠もお亡くなりになっています。この、

「四天王」

のアクセントですが、1月15日の朝日放送のニュースで、女性アナウンサーが、

「シ/テ\ンノー」

と「テ」だけが高いアクセントで読んでいるのを聞いて違和感を覚えました。

『NHK日本語発音アクセント辞典』を引くと、私が思っていたのと同じ、

「シ/テンノ\ー」

というアクセントだけが載っていたので、「ほら!」と思いました。その女性アナウンサーは「四天王」という言葉を知らなかったのか?と思いました。

ところが!

その桂春團治さんのNHKでの追悼番組を見ていたら、落語作家で落語評論家でもある、小佐田定雄さんが、

「シ/テ\ンノー」

と、女性アナウンサーと同じアクセントで話しているではありませんか!

ということは、このアクセントは、

「関西弁アクセント=上方アクセント」

ということか!それならば「上方落語の四天王」に使う「関西ローカルニュース」であれば、

このアクセントのほうが正統である」

ということかもしれません。勉強になりました!

 

(2016、1、19)

2016年1月22日 16:16 | コメント (0)

新・ことば事情

5954「ゼロ年」

 

 

吉永小百合出演111作目で、渡辺謙も出演している映画、

『北の零年』

を、DVDを借りて来て見ました。2時間48分。めちゃくちゃ長いけど、それほどの長さは感じさせない映画でした。公開当時は大変な話題作でしたが、7~8年前ぐらいかなと思ったら、なんと「2005年」公開。もうちょうど10年前の映画なんですね。(この映画のDVDを見たのは、「2015年8月」です。)

感想としては、

*香川照之(のちの市川中車)は、まるで竹中直人だ!

*石田ゆり子は、満島ひかりのようでした。

*北海道が舞台なのに、馬が「道産子」ではない!

*このとき借りたDVD4本のうち、『硫黄島からの手紙』『北の零年』と、2本に渡辺謙が出てる!

*1870年に北海道へ移住を命じられた淡路島の稲田家。当時は「北海道」か?「蝦夷」ではないのか?

*「殿が参られるまで皆で頑張るのだ」というセリフ、「参られるまで」はおかしいのでは?「おいでになるまで」あるいは「いらっしゃるまで」ではないのか??それと当時、「頑張る」を、そういう意味で使ったのだろうか??

*「殿が来るぞー」も、おかしかないか?「殿が来たぞー」も明らかにおかしい!

*音楽は、どこかで聞いた感じ。「ルパン三世」のような。

「ええじゃないか」は1867年(慶応3年)、廃藩置県は1871年(明治4年)。ごちゃ混ぜでは。

 

など、いろいろ疑問も出たのですが、私が注目したのは、

「零年」

です。これの読みは、

「『ゼロネン』か?『レイネン』か?」

ということなのです。以前から気になっていました。

映画の中のセリフに

「我々は稲田の者だ。ともにゼロから始めた仲間だ」

というのがあったのですが、ここは「ゼロ」ではなく「一」からなのではないかなと思いました。でも、ここで「一から」と言わせたら、タイトルの「零年」の価値が下がってしまうような気もしますね。

また、そのタイトルの「北の零年」の読み方は、

「ゼロネン」

でした。ところが、英語でのタイトルは、

YEAR  ONE  IN  THE  NORTH

で、「ゼロ」ではなく「一」なんです。そう、暦は「0」から始まるのではなく、「1」から始まるのですよね。じゃあ、タイトルも、

「北の元年」

でも良かったのではないか?いや。「零年」という違和感のあるタイトルにしたからこそ、イメージが印象深いのだ!とか、いろいろ意見は出そうです。

ちなみに、この映画の監督はなんと『円卓』の「行定勲さん」でした!『円卓』、私もキャスター役でちょこっと出演しているので、また「初日挨拶」の司会の際に、行定監督とも会ったので、親しみを覚えているので、ちょっとびっくりしました。

 

この映画を見た翌日に放送していた、NHKの『Nスペ』では、

「戦後ゼロ年」

という表現を使っていました。この映画からヒントを得て、

使ったのかもしれませんね。

 

(2016、1、18)

2016年1月22日 12:15 | コメント (0)

新・ことば事情

5953「『まんが日本昔ばなし』のアクセント」

きょう(1月18日)は、「まんが日本昔ばなし」のDVDの、市原悦子さんのナレーションによるコマーシャルが、頻繁に流れています。それを見て(聞いて)、

「あ、そうか、『にほん』ではなくて『ニッポン』なんだ」

と思っていたのですが、「ミヤネ屋」のプロデューサーで アナウンサーも兼務の野村明大デスクは、こんな点に注目していました。

「市原悦子さん、日本(ニッポン)のアクセントが、『ニッ\ポン』と関西弁のようなアクセントでしゃべっていますね?」

「ええ?そう?全然気づかなかった。次はそこを気にして聞いてみるよ」

と答えたら、すぐにそのコマーシャルが流れました。

たしかに市原さんは、明大デスクが言うように、

「ニッ\ポン」

と言っています。標準語(共通語)アクセントなら、

「ニッ/ポ\ン」

と「中高クセント」になるはずです。なんでやろ?市原さん、関西出身?じゃないよね?調べたら「千葉市」出身でした。関西ではありません。少し考えていたら、ピンポーン!きっとこれが正解だという答えがひらめきました。

市原悦子さんはきっと、

「マ/ンガニッ\ポン・ム/カシバ\ナシ」

というように「まんが日本」で「一つの言葉」と捉えて読んでいるのです。

私達は、「まんが」「日本」「昔ばなし」と、意味で「3つに分けて区切っている」あるいは、「まんが」「日本昔ばなし」の「2つに区切って」、

「マ/ンガ・ニッ/ポ\ン・ム/カシバ\ナシ」

と読むのですが、市原さんは今回、その意識がなかったのではないでしょうか?

「三色」を表すフランス語、

「トリコロール」

も、本来の意味は「トリ=3」「コロール=色」だから、

「トリ・コロール」

なのに、日本人はこの「6文字」を半々に分けて、

「トリコ・ロール」

と真ん中で分けてしまうような意識がありますが、今回の市原さんにも同じような意識があったのではないでしょうかね?

 

(2016、1、18)

2016年1月22日 10:33 | コメント (0)

新・ことば事情

5952「流れ始めた」

 

1月18日、首都圏でこの冬初めての大雪が降り、交通機関が大混乱!というニュースをの中継を見ていたら、京王線の千歳烏山駅前から中継していたテレビ朝日の記者が、

「電車が、スムーズに流れ始めました」

と言ったのですが、これには違和感が。これが、

「自動車の場合」

であれば、

「(渋滞の列が)流れ始めた」

という表現は妥当だと思いますが、「電車」の場合は、「なかなか来ない」状態が解消されたというのであれば、

「走り始めた」「運行し始めた」

ではないでしょうか?

ちょっと、違和感がありました。

ところで、あんまり本筋とは関係ないですが、「ミヤネ屋」でこのニュースのテロップをチェックしていたら、

「千歳鳥山駅」

という文字が。なんとなくおかしい感じがしたので、よーーーーく見ると、やはりこれは間違っていました。正しくは、

「千歳烏山駅」

でした。え?どこが違うかって?「トリ」じゃなくて「カラス」なんですよ、

「ちとせ・からすやま駅」

は。ちょっとあわてましたが、気付いて良かった!

 

(2016、1、18)

2016年1月21日 22:32 | コメント (0)

新・ことば事情

5951「5のアクセント」

 

 

今年に入って、

「『5』のアクセントがおかしい!」

と感じることが、続けてありました。

まず、1月2日の夜、テレビ朝日の「夢対決!2016とんねるずのスポーツ王は俺だ!」という「とんねるず」の番組を見ていたら、実況の男性アナウンサーが、「5本」を、

「ゴ\ホン」

「頭高アクセント」でしゃべっていました。

もちろん、正しくは「平板アクセント」で、

「ゴ/ホン」

です。また、これも「テレビ朝日」なんですが、1月15日のニュースを見ていたら、「廃棄カツ」の横流し事件に関して、「15枚」を、

「ジュ\ー・ゴ\マイ」

と「5枚」の部分を「頭高アクセント」で読んでいました。正しくは、

「ジュ\ー・ゴ/マイ」

です。これは若いアナウンサーに特有の現象なのか?それとも、「テレビ朝日」に特有の現象なのか?

今度の用語懇談会の会議で、聞いてみたいと思います。

 

 

(2016、1、18)

2016年1月21日 17:31 | コメント (0)

新・ことば事情

5950「納豆ゴミ」

 

 

会社の食堂で昼ご飯を食べていたら、ごみ箱の横のこんな貼り紙が目に入りました。

 

「納豆ゴミはこちらに捨てて下さい。」

 

普通のゴミ箱の「横」に、このような貼り紙がされた「納豆専用のごみ箱」が用意されていたのです。先週、こんなのあったっけ?気付かなかった。

実際ゴミ箱のところに行くと、今度は、普通のゴミ箱の「上」の部分に、

 

「納豆のパックは入れないで下さい。」

 

と記されていました。

 

「納豆ゴミ」

 

という言葉は、初めて知りました。

「不燃ごみ」

のようなネーミングですね。また、その「納豆ゴミ」は、他のゴミと区別して捨てないと、色々と面倒なことになる、ということも。ま、想像は付きますけどね。

グーグル検索してみると(1月18日)、

 

「納豆ゴミ」=122件

 

しかありませんでした。その中でも「1語」としての「納豆ゴミ」はあまりない感じでした。しかし、こんな貼り紙がされるということは、関西でも「納豆」がかなり一般的になったということでも、ありますね、きっと。

 

(2016、1、18)

2016年1月21日 12:30 | コメント (0)

新・ことば事情

5949「イルミとコーデ」

 

 

雑誌の「HOT PEPPER」の大阪ミナミ版の表紙に、こんな言葉が。

「ウィンターイルミ15」

この中の、

「イルミ」

というのが目新しかった。もちろんこれは、

「イルミネーション」

の略でしょう。

これって、「コーディネーション」を略して

「コーデ」

というのと同じ省略の仕方ですね。語尾が「~ネーション」の外来語は「ネーション」を略した省略語の形になる傾向があるのでしょうか?電子辞書の『逆引き大辞泉』で、「ネーション」と語尾に付く語を検索してみました。×は省略しない、○は省略した語がある語です。( )は言葉の意味。

<×省略しない語>      :  <○省略した形がある語>

×イマジネーション            ○イルミネーション

×インドクトリネーション(教化)     ○コーディネーション

×イントネーション            ○コンビネーション

×エグザミネーション(試験)       ○デノミネーション

×エマネーション(放射性希ガス元素の総称)

×カーネーション

×コロネーション(戴冠式)

×コンタミネーション(2つの語や句が混ざり合い新しい語ができること)

×ディスティネーション(目的地)

×デトネーション(ノッキング)

×ハイフォネーション(行末をハイフンでつなぐこと)

×プラスティネーション(解剖標本作りの手順)

ということで、「ネーション」の語尾が略される傾向にあるわけではなく、省略語の原則である、

「よく使う長い言葉は、短くされる」

に過ぎないということのようですね。その意味では、

「イルミネーション」

「コーディネーション」(コーディネート)

という言葉が、昔よりよく使われるようになってきているということではないでしょうか。

また、「イルミ」「コーデ」は、ともに「3拍語」になっています。関西では、

「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」→「ユニバ」

と「3文字」に省略されますが、ちょっと似ているかも。

「マクドナルド」→「マクド」

「ファミリーマート」→「ファミマ」

と「3拍」ですしね。(関東は「4拍」の傾向があるようですが。)

そういったことも、もしかしたら関係しているのかもしれません。

 

(2016、1、18)

2016年1月20日 22:29 | コメント (0)

新・ことば事情

5948「カルテル」

 

 

メキシコの"麻薬王"で、服役中に脱獄していた、グスマン受刑者が逮捕されたというニュースが、1月9日・土曜日に流れました。翌週の「ミヤネ屋」でも、そのニュースをお伝えしました。メキシコには、

「麻薬カルテル」

があって、それを取り仕切っているのがグスマン受刑者であると伝えていました。そのニュースのスーパー(テロップ)を事前にチェックしていたら、少しおかしなスーパーを見つけました。

「犯罪組織"カルテル"とは?」

「"カルテル"一掃政策」

あれ?これってもしかしたら、

「"カルテル"が"犯罪組織の名前"だと思っている」

のではないか?「カルテル」は、犯罪組織の名前ではないですよ!中学校の社会科で習わなかった?

担当の若いディレクターに確認したら、やはり

「犯罪組織の名前が『カルテル』というのだと思って」

いました。アチャー。

辞書の記述を写しておきましょう。

*「カルテル」=同じ種類の事業の者が、生産や価格の協定などの手段によって市場を独占するために作る連合。企業連合。共同行為」(「三省堂国語辞典」)

覚えておいてくださいね。結局スーパーは、

「"麻薬カルテル"とは?」

「"麻薬カルテル一掃"政策」

に直して、放送しました。

 

(2016、1、15)

2016年1月20日 19:28 | コメント (0)

新・ことば事情

5947「天井に叩き付ける」

 

 

幼い子どもを虐待して死なせた両親が逮捕されたというお昼のニュースの原稿の中に、

「天井に叩き付ける」

という表現が出て来ました。これを聞いて思ったのは、

「どんなに低い天井やねん!」

ということ。叩き付ける場合の力の方向は、

「下」あるいは「横」

ですね。つまり「床」や「壁」に叩き付けることはできても、「天井」に叩き付けることはできません。「天井」には、

「投げつける」「放り投げる」

のではないでしょうか。夕方のニュースからは、そのように修正されたのですが、同じニュースを、夜の日本テレビで読んでいたのは、お昼のニュースの原稿のまま

「叩き付ける」

だったそうです(知り合いに、そう聞いた)。気にならないのだろうか?そういった表現の違和感は。

もちろん、子どもを天井に投げつけても放り投げても叩きつけても、いけません!!!

 

(2016、1、15)

2016年1月20日 15:27 | コメント (0)

新・ことば事情

5946「『卒論』のアクセント」

 

 

不倫問題で世の中を騒がせている、ベッキーと「ゲスの極み乙女。」の川谷絵音(えのん)。先日、そのベッキーの吹き替えを、林マオアナウンサーが行っていました。その中に出て来た、「卒業論文」の略語

「卒論」

これは二人が「川谷の離婚」を「卒論」としゃれて呼んでいたのですが、それを記したLINEの文章を、林アナは、

「ソ/ツ\ロン」

という「中高アクセント」で読んでいたのですが、これは「関西の若者のアクセント」です。林さん!ベッキーは関西人ではないですよ。

「共通語(標準語)のアクセント」は、

「ソ/ツロン」

「平板アクセント」ですね。

ちなみに関西でも、もう少し伝統的なアクセントだと

「ソツロ/ン」

というように「ン」の所までは低く、「ン」だけ上がる感じです。

ベッキーの吹き替えであるならば、

×「ソ/ツ\ロン」→○「ソ/ツロン」

とすべきでしたね。

 

(2016、1、15)

2016年1月20日 10:26 | コメント (0)

新・ことば事情

5945「WADAの訳語2」

平成ことば事情5897「WADAの訳語」の続きです。

2015年12月に開かれた用語懇談会放送分科会で、この問題について質問しました。

ロシアのドーピング問題で出て来る「WADA」=World Anti-Doping Agencyの日本語訳が、バラバラです。

 (日本テレビ)世界反ドーピング機構(読売テレビも)

 (NHK)  世界反ドーピング機構

 (テレビ朝日)世界反ドーピング機関

 (フジテレビ)世界反ドーピング機関

 (TBS)  世界アンチドーピング機関

 (テレビ東京)国際反ドーピング連盟

というように、

 【1】「機構」か?「機関」か?「連盟」か?

 【2】「反」か?「アンチ」か?

 【3】「世界」か?「国際」か?

という3点で相違があります。

 新聞は「読売・朝日・毎日・産経・日経」と「共同通信」まで(つまり、地方紙は全て)、「世界反ドーピング機関」

で統一されています。

また、「文部科学省」のサイトには、「世界アンチドーピング機構」と書かれています。(「アンチ」の後に「・」が入った「アンチ・ドーピング」という表記もあります)日本支部もあるようです。各社の「訳語を決定した理由」は何でしょうか?また「機関」と「機構」はどう区別するのでしょうか?ご教示ください。』

これに対する各社の回答は、

(日本テレビ)報道の担当者に聞けなかった・・・。

(NHK)日本の「JADA」が「機構」なので「WADA」についても「機構」にしている。「反ドーピング」と書いて、読みは「アンチドーピング」。

(テレビ朝日)「JADA」が「日本アンチドーピング機構」。JADAに電話で問い合わせたところ「WADAは『世界アンチドーピング機構』にしてほしい」と言われた。ということで、「機関」から「機構」に変更して「世界反ドーピング機構」とした。当初は混乱していた。

(朝日放送)ラジオは時事通信に準拠なので「機関」を使って「世界反ドーピング機関」。

(テレビ朝日)英語の「Organization」=「機構」が原則。これから言うと、今回の「Agency」は「機構」ではないのだが、大人の事情で(JADAから「WADAは『世界アンチドーピング機構』にしてほしい」と言われたから)「機構」に。また、国連の専門機関は全て「機関」、それ以外は「機構」という分類がある。

(フジテレビ)外信部に聞いたところ、共同通信準拠で「世界ドーピング機関」。

(関西テレビ)フジテレビ準拠。しかし私も「JADA」に電話したところ、「日本アンチドーピング"機構"」なので「WADA」も「機構」にしてほしいと言われた。

(共同通信)1999年にこの組織が設立されたときから「機関」でやっている。その際に一生懸命検討したので、変更はない。「Organization」「Agency」の日本語訳は、混在している。

(TBS)「世界アンチドーピング機関」。「反」は、音が同じ「汎」と間違う恐れもある。「アンチドーピング」で1つの言葉と考える(NHKと同じ)。最初は「WADA」を「ダブリュー・エイ・ディー・エイ」と読んでいたが、途中から他社に合わせて「ワダ」となった。いまのところ「機関」でやっている。

(MBS)テレビはTBSと同じ。ラジオは共同通信準拠。

(テレビ東京)国際部に聞いたところ、共同通信に準拠して「世界反ドーピング機関」だとのこと。原稿検索で1例だけ「アンチ」というのがあった。「反」と書かれていても「アンチ」と読む。

(テレビ大阪)テレビ東京と同じ。

(読売新聞)訳語は「Organization=機構」「Agency=機関」が原則だが、日本の独立行政法人はイギリスの「Agency制度」がお手本なので、日本でできた独立行政法人の名前は「機構」としながら、その英語の名前を「Agency」にしたことによって、「ねじれ」が生じたのではないか?つまり外国の組織の「Agency」の日本語訳は「機関」だが、日本語で「機構」とついている組織の英訳は「Agency」になってしまったのでは?

ちなみに「WADA」の日本語訳「世界反ドーピング機関」は日本で決めた。組織の名前はややこしくて、以下のように同じ「スケート」の団体でも世界と日本で違うことがある。

*日本スケート連盟=JSF(Japan Skating Federation

*世界スケート連合=ISU(International Skating Union

で、英語もその訳も違うというケースもある。

ということでした。

その後、あまり見なくなったと思ったら、年が明けてきょう(1月16日)、日本テレビの『スッキリ!!』の中のニュースコーナーで、矢島アナウンサーが、

「WADA(ワダ)・世界反ドーピング機関」

と言っているではありませんか!去年11月の段階で日本テレビは、

「世界反ドーピング機構」

と「機構」だったのに、いつの間に「機関」に?「どちらでもよい」という立場なのか?わかりませんが・・・。「変更した」という連絡はありませんでした。

(追記)

7月25日、リオ五輪を10日前に控え、ここのところロシアのドーピング問題が大きな話題になっています。ロシアの陸上選手は、スポーツ仲裁裁判所の決定で「出場禁止」になってしまいましたが。それ以外の種目の選手について、結局IOCは、

「ロシア選手の出場を排除するものではない」

として、各競技ごとの教会の判断にゆだねる、まあ"丸投げ"みたいな形になりました。

このニュースの関連で当然よく出て来る「WADA」ですが、ことし1月には、

「世界反ドーピング機関」

としたと思われた日本テレビは、その後はどうも元通りの、

「世界反ドーピング機構」

を使っています。きょうの夕方の「every.」も「機構」でした。

どうも1月のは「間違えただけ」だったようです。

「ミヤネ屋」も、このところは、

「世界反ドーピング機構」

にしています。

(2016、7、25)


(2016、1、15)

2016年1月19日 21:06 | コメント (0)

新・ことば事情

5944「ロックアイス」

 

 

きょう(1月15日)の「朝日新聞」朝刊に、

「訂正して、おわびします」

という見出しが出ていました。いわゆる「訂正記事」です。

訂正は2つあったのですが、そのうちの一つに目が留まりました。

『14日付経済面「暖冬 コンビニ異変」の記事で、ローソンでの販売状況について「氷(ロックアイス)も1割以上増えている」とあるのは「氷も1割以上増えている」の誤りでした。ロックアイスは小久保製氷冷蔵の登録商標で、ローソンでは扱っていませんでした』

というものでした。そうなんです、コンビニなどでよく目にする、

「ロックアイス」

は、「一般名詞」のように見えますが、

「特定商品名」

なんですね!だからこういう場合には「訂正記事」を出さなくてはならないこともあるという、一つの事例です。

2011年11月に青森で開かれた「新聞用語懇談会・秋季合同総会」で、「ロックアイスは登録商標なので、使用に注意」という話が出たのを思い出しました。あの時の合同総会には、朝日新聞の委員の方も出席されていたはずなのですが。

 

(2015、1、15)

2016年1月19日 17:57 | コメント (0)

新・ことば事情

5943「『享年』は数え年」

 

 

上方落語の四天王と言われた「松鶴・米朝・文枝・春團治」のうち最後の一人、桂春團治さんが亡くなりました。「満85歳」でした。1月14日に訃報が伝えられました。

所属の松竹から送られて来たFAXには、年齢に関して、こう書かれていました。

「享年86」

これを見て報道のデスクが、

「年齢が間違っているのではないか?」

と言っていたので、

「いや、本来『享年』は『数え年』で言うので、『満85歳』ならば『享年』は『86』で合っているよ。ただ、放送するときは『満年齢』で、『享年』は付けずに『85歳でした』とするべきだね。」

と話しておきました。

 

(2016、1、15)

2016年1月19日 12:56 | コメント (0)

新・ことば事情

5942「『国内外』の読み方」

 

 

皆さんは、

「国内外」

と書いて、どう読みますか?そのまま「音読み」で、

「コクナイガイ」

と読むことが多いのではないでしょうか?しかし、本来の意味は、

「国内と国外」

ですから、

「くに・ないがい」

と読んだほうがいいのではないでしょうか?もしくは「の」を入れて、

「くに『の』ないがい」

と言ったほうがよりわかりやすい。実際、私も所属している日本新聞協会の新聞用語懇談会の放送分科会が出している『放送で気になる言葉2011』の84ページには、

『国内外=比較的新しい言葉で、「コクナイガイから大勢の参加者が・・・」のように使われる。(中略)しかし、理解するのに一瞬時間がかかる。「国内」を一つの熟した言葉と見ると「ガイ」が半端になるし、「内外」をまとまりとしてとらえると「コク」が理解しにいからだろうか。文字は簡単だが、耳慣れた言葉ではない。「国の内外」「国内・国外(海外)」と聞きやすく表現したい』

と記されています。

いつも気になる言葉ですが、きょう(1月13日)NHKのニュースを見ていたら、菅官房長官が会見で、

「くに・ないがい」

と言っているのを耳にしました。やっぱり、これのほうが分かりやすいと思いました。

(2016、1、13)

2016年1月18日 18:35 | コメント (0)

新・ことば事情

5941「女看護師」

 

 

1月3日、新聞のテレビ欄を見ていたら、MBSの「情熱大陸」が目に留まりました。

そこには、こう書かれていました。

「女看護師」

それを見て私が思ったことは、

「それなら『看護婦』でいいんじゃないの?『女看護師』って、『女芸人』みたいな感じだ」

でした。

本編(放送)もチラッと見ましたが、そのサイドスーバー(画面の右か左の上にずっと出ているスーパー)は、

「看護婦・大滝潤子」

でした。

思えば「看護婦」から「看護師」への名称変更が行われたのは、「2002年3月」から。もう14年も経つんですねえ。

「2002年2月6日」のグーグル検索では、

看護師=      2520件

看護士= 3万2400件

看護婦=51万0000件

でした。14年経ってどう変わっているか、検索してみましょう。(2016年1月14日)

看護師= 3370万0000件

看護士=  82万2000件

看護婦= 202万0000件

でした。なんと「看護師」は1万3000倍に増えています!「看護士」は25倍、「看護婦」は4倍です。すっかり「看護師」は定着したからこそ、そこに「男女の区別」を付け加えなければならなくなったときに「女看護師」という表現が出て来たのではないかと思います。

平成ことば事情560「看護師」もお読みください。

 

(2016、1、13)

2016年1月18日 12:33 | コメント (0)

新・ことば事情

5940「受刑者か?容疑者か?」

 

 

1月8日の「ミヤネ屋」で、メキシコで麻薬組織撲滅を宣言した新市長がその翌日に殺されるという凄惨な出来事を伝えました。その中で、去年夏に「脱獄」した麻薬王の名前の、

「肩書」

をどうするか、Hディレクターに聞かれました。つまり、その「麻薬王・グスマン」は、捕まった牢屋(刑務所)に入っていたのですが、「脱獄」したので、現在は「刑を受けている」とは言えない。だから、「受刑者」という表現は合わないのではないか?というのです。確かに。そこで私は、

「『脱獄』している最中は、刑の執行は停止しているだろうし、『脱獄』という罪を犯して逃げているわけでから『容疑者』でいいのではないか?」

ということで、この日は、

「グスマン容疑者」

とスーパーを打ちました。

ところが、翌日(1月9日)のお昼のニュースを見て驚きました。きのう報じた脱獄囚・グスマンが、捕まったというではありませんか!なんというタイミング!それを報じていた日本テレビニュースでは、

「グスマン受刑者」

と「受刑者」を使っていました。1月10日の読売新聞と共同通信のともにネットニュースでは、やはり、

「受刑者」

を使っていました。ところが、その翌日の1月11日の日本テレビ「ZIP!」の中では、「容疑者」

になっていたのです!また、その日と翌日(12日)のテレビ朝日のニュースは、ともに、

「受刑者」

でした。更に1月12日朝の日本テレビの会議メモでは、

「麻薬王グスマン容疑者 逮捕時の映像公開」

と「容疑者」を使っていたので、東京の「ミヤネ屋」のスタッフに頼んで日テレの「統一見解」を聞いてもらいました。それによると、

「朝の会議メモでは『容疑者』と表現していたが、昼ニュースの原稿から『グスマン受刑者』になっています。今のところ『受刑者』で統一とのことです。(また、逃走したら変わるかもしれませんが)」

うーん、この「脱獄しているときの、脱獄囚の肩書」については、今度の用語会議で、各社の対応について聞いてみたいと思います。

 

(2016、1、14)

2016年1月17日 12:28 | コメント (0)

新・ことば事情

5939「パラ五輪」

 

 

ことし(2016年)は、「リオ五輪」の年ですが、それを控えた去年(2015年)9月、新聞用語懇談会放送分科会で、毎日放送の委員からこんなテーマが出されました。

「毎日放送では、8月30日放送の『情熱大陸~車いすテニス選手編』で「リオパラ五輪」という表記(スーパー)を使いました。理由は「もう一つのオリンピック」とHPにあるので。略称について各局の実情について教えてください。

【日本パラリンピック委員会HP】

パラリンピック(Paralympic)とは、4年に1度、オリンピック終了後にオリンピック開催都市で行われている「もう一つの(Parallel)+オリンピック(Olympic)」のこと。夏季競技大会と冬季競技大会が開催されている。」

これに対する各社の回答は、

(読売新聞)「パラ五輪」という表記は、大阪版で一度出たことがあるが、東京本社では使ったことがない。

(TBS)「東京オリンピック・パラルリンピック」と正式に言うように、「情報番組」では、やっている。

(ytv)日本テレビからスーパーは「東京オリンピック・パラリンピック大会実行委員会」と正式名称を出すように言われているが、長いのでその場合は省略して「大会実行委員会」としている。「パラリンピック」を「パラ五輪」としたことはない。

(フジテレビ)先日「ブラインドサッカー」の取材では、「障害者スポーツ」全般のことを、「パラスポーツ」という言い方をしていた。この言い方は今後、増えて来るかもしれない。

(テレビ東京)「パラリンピックのマーク」は「五輪」ではないが「パラ五輪」?両方必ず一緒に「リオ五輪・パラ五輪」と言うのか?単独の「パラリンピック」は「パラ五輪」ということ?

(MBS)今回は「パラリンピック」だけを指して「パラ五輪」と使った。

 

会議から帰って来て調べた日本パラリンピック委員会」のHPには、

「ジャパンパラ陸上競技大会」「ジャパンパラ水泳競技大会」「ジャパンパラゴールボール競技大会」

などの表記がありました。

また、2016年1月13日の「毎日新聞」のスポーツ面の、

「ハンドから転向リオ目指す新星」

と見出しの下で、

「パラ陸上短距離 辻沙絵」

という小見出しがありました。

どうやら「パラリンピック」の省略形は「パラ五輪」ではなく、

「パラ」

になりそうな感じですね。

グーグル検索で「パラ五輪」は(1月14日)、

「パラ五輪」=1万8900件

と、あまり多くありませんでした。また、「解散か?」と報じられた「SMAP」が「2020年パラリンピック」のサポーターを務めているとういう話題でも「パラ五輪」という見出しは見かけませんでした(私の見た限りでは)。

ちなみに、読売テレビの土曜・朝の人気番組、

「あさパラ!」

の「パラ」は、

「パラダイス」

の省略形です。

 

また、以前に調べた資料によると、2015年の11月23日付の「山陽新聞」に、

「リオ・パラ五輪」

という表記が出て来ていました。

「障害者陸上世界選手権で優勝し リオ・パラ五輪代表に内定した佐藤鵜友祈(ともき)さん」

という、人物紹介の欄での「見出し」でした。

また「毎日新聞」(2015年11月1日付)と「静岡新聞」(2015年10月28日付)には、

「リオ・パラ枠獲得」

という表記で、「パラ」と短く「パラリンピック」を省略した形が出ていました。

 

 

 

(2015、1、15)

2016年1月16日 12:27 | コメント (0)

新・ことば事情

5938「バットを振り込む」

去年(2015年)10月に開かれた関西地区新聞用語懇談会で、

「振り込むのはバットか」

というテーマが出されました。それによると、

『西武・木村文紀外野手が、一日警察署長を務め、「振り込め詐欺撲滅」を呼びかけました。その時の記事で、「お金は振り込まなかったが、バットはとことん振り込む」という表現がありましたが、「バットを振り込む」が、落ち着かないのでは、という意見がありました。過去の記事では、「休日も返上してバットを振り込む毎日」など、いくつか使用例もあるようです。三省堂国語辞典(第7版)では、4番目に「<野球で>素振りを繰り返し練習する」と出てきますが、他の辞書では見当たらないようです。振り込むのは、「お金」か「マージャンパイ」であって、この場合は「徹底的に素振りをする」、「納得いくまでスイングする」と言い換えるほうが自然だという声もあります。許容すべき表現、あるいはすでに定着している表現でしょうか。』

というものです。

これに対する各社の回答は、

(朝日新聞)違和感がある。スポーツ面でなじみのある人には、違和感がないかもしれないが。

(毎日新聞)イメージの問題だろう。

(ytv)「走り込む」などの「込む」を「バットを振る」(振って練習する)ことに使った例だが、違和感あり。「バットは とことん振る」などにする。以前、マラソンランナーの紹介で、「駆け出しのランナーだったモロッコ出身のハヌーシは」とあって、思わず笑ってしまったことがある。(2002年4月15日付『読売新聞・夕刊』、あの結城和歌子記者の署名記事。)「走り込む」「打ち込む」「絞り込む」などの「~込む」は「十分に行う」という意味の補助動詞的用法。それに対して「お金を振り込む」のほうは、「振り込む」で、もう「一語」になっている。その「二重の意味(ダブル・ミーニング)」が、誤解を生みやすいのだろう。

(ABC)「バットを振り込む」は普通に使っていて、違和感がなかった。

といったところでした。私は、個人的にはちょっと違和感がありますけどねえ。

「振り込め詐欺」で「バット」が振り込まれたら、犯人も驚くでしょうねえ。

(追記)

2016年11月25日の日本テレビ「ニュースZERO」のスポーツコーナーで、ジャイアンツの特集をしていました。その中で男性ナレーターが、

「ひたすらバットを振り込む」

という原稿を読んでいました。実際に使われているんだなあ。これまで気付きませんでした。

(2016、11、28)


(2016、1、13)

2016年1月15日 20:25 | コメント (0)

新・ことば事情

5937「古巣・広島」

 

 

米・メジャーリーグ「ドジャーズ」への入団が決まった、広島東洋カープの前田健太投手が会見を行いました。その様子を伝えた1月11日の日本テレビのニュースで、

 

「古巣・広島で会見を行いました」

 

と伝えていました。この

 

「古巣」

 

が気になりました。直前まで所属していたチームのことを、「古巣」と表現するのでしょうか?ちなみに、翌1月12日の読売テレビ「す・またん!」でも、「古巣」と表現していましたが。

 

(2016、1、13)

2016年1月15日 14:24 | コメント (0)

新・ことば事情

5936「トリハダ」

 

 

USJのコマーシャルで、こんなフレーズが。

 

「人生は最高トリハダ」

 

これは「鳥肌が立つ」を「感動」の意味・プラスの意味で使っていますね。「感動」の意味で「鳥肌が立つ」(今回は「立つ」は省略されてしまってますが)を使っても、特に苦情は来ないんでしょうかね。いまや、

 

「感動で鳥肌が立つ」

 

という表現を使うのは、ごく一般的であることの一つの証拠ではないかなと感じて、鳥肌が立ちました。これはプラスの意味かな?マイナスの意味かな?

(2016、1、13)

2016年1月15日 10:23 | コメント (0)

新・ことば事情

5935「バナメイエビ」

 

(2013年11月15日に書きかけました)

 

「芝エビ」の代用品として最近よく耳にする、

「バナメイエビ」

先日(2013年11月9日)、読売テレビの「ウェークアップぷらす」を見ていたら、サイドスーパーが、

「バナエイエビ」

と出ていました。あれ・・・ちょっと違うような・・・これは間違いですね。正しくは、

「バナメイエビ」

です。聞き慣れない「カタカナ表記」の、ちょっと長い言葉は、間違いやすいです。

 

 

と、ここまで書いて2年余り経過。懐かしいですね、「バナメイエビ」。

最近は、もう耳にしないなあと思っていたのですが、久々に出会いました!

昨年(2015年)の暮れも押し詰まった、12月28日の日本テレビ「ヒルナンデス!」を、会社の食堂で昼飯を食べながら見ていたら、料理の紹介のナレーションで、

「車エビの仲間、バナメイエビ」

と言っていました。これは、

「間違いではない」

ですが、単独で「バナメイエビ」ではなく、

「あくまで、車エビの仲間だ」

と主張するところに、

「バナメイエビよりも、格を上げたい(上等だと言いたい)」

という思いが透けて見えるような気がしました。

でも「食品偽装問題」の当時は、

「芝エビの代用品」

だったのに、今は

「車エビの仲間」

か。また、

「格が上がった」

ような感じがしますね、バナメイエビ。あるがままで受け入れてあげればいいのに・・・・。

 

(2016、1、13)

2016年1月14日 20:23 | コメント (0)

新・読書日記 2015_185

『国家の暴走~安倍政権の世論操作術』(古賀茂明、角川oneテーマ21:2014、9、10第1刷・2014、10、25第3刷)

 

去年(2015年)の初め頃、テレビ朝日の『報道ステーション』を降板する際に「I am not ABE」と書いたフリップを掲げて、司会の古舘さんと生放送で口論になった人、という印象が今は強いが、本書はその"事件"の4か月ほど前に出版されている。ここに書かれているような思いが高まり、それが「番組降=ラストチャンス」というタイミングで、ついに爆発したのかなあと思いながら、今頃、読んだ。

本書は、2014年7月に「集団的自衛権の行使」を内閣決定したことを受けて「安倍政権=国家」が暴走を始めたという思いによって書かれている。そしてこの「内閣決定」に際して、国民がそれほど抵抗しなかったことが、サブタイトルにあるように「安倍政権による世論操作」によるものであると説く。帯には「安倍政権による"軍事立国"化を食い止めよ!」と大きな文字で、一部赤字で強調されて記されている。

序章「加速する暴走」には、集団的自衛権説明を、パネル(フリップ)を使って国会で説明する安倍首相の様子を指して「『国民は愚かだ』という一貫した安倍内閣の哲学に支えられた戦略だ」と糾弾。さらには「『愚かな国民に迎合する、愚かなマスコミ』という冷徹な読み」もあり、「安倍総理を支える経産省中心の官僚達の考え方が、みごとに反映されたといってもよい」と指摘している。序章はちょっと過熱気味だが、それ以降の章では冷静に、安倍首相の政権運営の問題点と、本来進むべき方向性を示していると思う。中でも国家安全保障会議(NSC)の存在に危険性を感じる。安倍首相は「原則(ルール)があるから暴走はせず大丈夫」と説得するが、たとえ「ルール違反」を犯しても「例外規定」によって開き直れるからコワイという指摘は、その通りだと思った。

雇用政策に関しては、「サステナビリティー」の考え方を主張。安倍政権の雇用に関する主眼は「解雇をしやすくすること」だと言い切る。このあたりは、異論もあろう。しかし、全体としては、議論のたたき台になりうると感じた。

 

 


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(2015、12、26読了)

2016年1月13日 21:08 | コメント (0)

新・ことば事情

5934「原文ママ」

 

 

昨年11月17日の「ミヤネ屋」で、2歳児に「たばこ」を吸わせた父親のブログの文章を紹介しました。誤字が多かったのです、それを出す際に、

「本人が書いた文章の表記を、そのまま出した」

ということを分からせるために、

「原文ママ」

と出したところ、

「カタカナで『ママ』と書くと『母親』のようだ。平仮名で『まま』としたほうが、いいのではないか?」

という意見が出ました。

活字の世界では「原文ママ」とするときは、カタカナで「ママ」なのですが、たしかに、テレビの放送ではあまり出て来ない表現なので、「の」を入れて「平仮名」で、

「原文のまま」

としたほうが良かったなと反省しました。

まあしかし、

「原文パパ」

はないから、いいんじゃないかな。

 

(2016、1、13)

2016年1月13日 18:49 | コメント (0)

新・読書日記 2015_144

『せんそうごっこ』(谷川俊太郎・文、三輪滋・絵、いそっぷ社:2015、9、20)

 

子どもの向け絵本だが、谷川俊太郎の詩が深い。絵はポップ。谷川俊太郎は1931年生まれ、三輪滋は1941年生まれ。1982年に刊行された本の「復刻改訂版」。

なぜ、35年の時を経て「今」、この本が復刊されたのかの"意味"を考える必要がある。今回、谷川俊太郎が書いた「あとがき」より、

「人間はどうして戦争をなくすことが出来ないのか、未来に答はあるのでしょうか」

 

 


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(2015、9、20読了)

2016年1月13日 18:24 | コメント (0)

新・読書日記 2015_184

『日本は本当に戦争をする国になるのか?』(池上彰、SB新書:2015、12、15)

 

「2015年現在の日本」の状況と、それを取り巻く、主にアメリカの状況が説明されていて、わかりやすかった。中学生・高校生でも理解できる感じ。SB新書というのは初めて知ったが、表紙は池上さんの写真で、どこかでみたような黄色い背表紙だ。

今、日本(の安倍政権)とそれを取り巻く世界の情勢、とりわけ「イスラム国」などの過激派組織による「テロ」の脅威を身近に感じる中で、端的に気になることは、この本の「長いタイトル」どおりである。

本書では「日本は北朝鮮まで届くミサイルを持っていない」とか「攻撃には守備の3倍の兵力が必要」とか、具体的情報が盛り込まれていて、ためになる。ま、読んだからと言って、それを全部覚えられることはないのだが。勉強になる一冊。

 

 


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(2015、12、25読了)

2016年1月13日 18:07 | コメント (0)

新・読書日記 2015_183

『日本の反知性主義』(内田樹編、晶文社:2015、3、30第1刷・2015、4、10第2刷)

 

 

硬い内容にそぐわない、派手な蛍光色の黄緑とオレンジの表紙が、タイトルの「反知性主義」への警告を発している。編者の内田樹が、各年代の識者に「昨今の、日本の反知性主義について書いてください」とお願いして集まった論文集。書いた識者は、白井聡、高橋源一郎、赤坂真理、平川克美、小田島隆、想田和弘、仲野徹、鷲田誠一という面々。それと内田と名越康文との対談も載っている。どちらかというと「左」と目される面々が多い。

順番に読む必要がないので、気に入っている筆者から読んだ。小田島隆、想田和弘、白井聡あたりから。

小田嶋の「俗流『ヤンキー論』を排す」「『マイルドヤンキー』の語義矛盾」は、目新しかった。想田の「知性の発動にショートカットはない」というのも、「そうだ、想田」と思った。中でも白井は、

「反知性主義は政治の重要なファクターである。反知性主義の類似物として、『パンとサーカス』の標語に象徴される愚民化政策というものが古代からある」(68ページ)

「万人が同等の権利を持つ、したがって同等の発言権を持つという前提に立つ民主制においては、現実に存在する『知性の不平等』とそれに関連する『現実的不平等』は、度し難い不正としてつねに現れ、不満の種とならざるを得なくなる。そこに現れるのは、ルサンチマンの情念が猛威を振るう世界にほかならない」(69ページ)

「反知性主義が権力者層による統制を超えて爆発的に噴出するとき、マッカーシズムや、文化大革命やポルポト派による知識人弾圧といった破局的事態が引き起こされることとなる。」(70ページ)

また、白井は小泉政権によって、自民党は、さまざまな社会階層(=みんな)に支持基盤を過不足なく代表する「国民政党」から、特定の階層に支持基盤を見定める「階級政党」へと変貌したと指摘。小泉首相(当時)の「改革なくして成長なし」という言葉は、戦後保守政治の決定的な変質を内包する言葉だったと振り返る。(たしかに当時「保守政党なのに「改革」と言うのは、おかしいな』と、誰もが感じた。)それによって、総中流社会が崩壊した。

また、「深いシニシズム」がデモクラシーの基盤に据えられていることも指摘する。「シニシズム」とは、

「今の政治が、構造的に『みんな』の利益を代表することができないなら、『グローバル化の促進が自らの階級的な利益に反する事を理解できないオツムの弱い連中をだまくらかして支持させればよいではないか』という考え方だ」

と、かなり「キツイ(下品な)表現」で説明する。そして、

「被治者と治者とがお互いに対して抱く感情の基礎が、『信頼と敬意』から『軽信と侮蔑』に転換したことを意味しもする」

と憤る。さらに、現在の、

「安倍政権支持者に典型的に見て取れる態度は、合理的な信頼ではなく軽信・盲信であり、それは当然崇拝に接近する。」

とも述べている。きょうの国会中継を見ていても、安倍首相の野党議員に対する答弁には、「相手も国民から選ばれた議員である」ということへの「敬意」は感じられず、

「そんなこともわからないのか、このバカは!」

という「侮蔑」の感情が伝わってくる。(確かに、その野党議員の質問は、稚拙なものではあったが。)

そして、白井はこう述べる。

「愚民化政策を全面化することは、統治者にとって権力基盤を強固にすることに役立つ魅力的なオプションであっても、基本的には選択できないものであった。なぜなら、開放系である(鎖国政策は採れない)近代世界において、国民の全般的な知的水準が崩壊的に低落してしまうならば、長期的にはその国は立ち行かなくなる~究極的にはその国家そのものが消滅しかねない~ことが明白だからである」(77ページ)

と説く。

これは日本の危機だ!

それにしても、もうちょっと、くだけたものの書き方が出来ないのかねえ。できそうだけど。勉強になりました!

 

 


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(2015、12、21読了)

2016年1月13日 12:23 | コメント (0)

新・読書日記 2015_182

『ニュースで伝えられないこの国の正体~大阪の挫折と日本の行方』(辛坊治郎、KADOKAWA:2015、12、11)

 

 

2015読書日記181で書いた(読んだ)『東京ではわからない地方創生の真実』(辛坊治郎+「ウェークアップ!ぷらす」取材班、中央公論新社)と、ほぼ同時出版。こちらは辛坊さん個人の有料メルマガを書籍化したもの。一粒で二度おいしい。私は、メルマガは読んでいないので、これは「初見」。

まず、サブタイトルに「ウソ」があると思う。「大阪の挫折」とはもちろん、2015年5月に行われた「都構想の是非を問う住民投票」における「橋下・大阪維新の敗北」を意味している。つまり正しくは「大阪の挫折」ではなく「大阪維新の挫折」とすべきところであろう。それを「大坂の挫折」としたのは、辛坊氏は、「大阪都構想の住民投票での橋下・大阪維新の敗北=大阪の挫折」と捉えているということだろう。

「ニュースで伝えられない」と書いてあるが、それは「真実」である。テレビでは、とても伝えられないような言葉も出て来る。まあ、「お下品」である。その分、面白いと言えば面白いんだけど。(でも、関西ローカルの「す・またん」を久々に見たら、結構テレビでは伝えられない(はず)の言葉遣いをしていて、驚いた。)

そういうのは前半部分に多く、途中からは、かなり真面目な勉強になる文章だ。メルマガは、週刊誌の連載の様にきっちりと字数の「ワク」があるわけではないのではないか?と思うので、その分、自由に書いている感じがする。猪瀬直樹・前東京都知事と一緒に食事をした時の話なんか、面白かったな。優良メルマガ、読んでみようかな?1か月300円ぐらいみたいだしお手頃。ハッ!こ、この本はつまり、「有料メルマガの購読者拡大」のための「有料パンフレット」ではないのか?うーん、なかなか、うまいことやるなあ。

 

 


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(2015、12、23読了)

2016年1月12日 18:54 | コメント (0)

新・読書日記 2015_181

『東京ではわからない地方創生の真実』(辛坊治郎+「ウェークアップ!ぷらす」取材班、中央公論新社:2015、12、10)

 

 

毎週土曜日の朝8時、読売テレビから全国に発信している番組『ウェークアップ!ぷらす』。その番組の中で取材してきた内容の書籍化。

東京からの番組ではない、「地方」である「大阪」から発信している意義は、「地方」が今後、如何に生き残っていくか?ということを、首都・東京、及びその他の地方=全国に伝えていくことである。そういう観点から言うと、番組の中で取り上げた「地方の取り組み」の様子を、こうやって書籍でも残すことには重要な意味があると思う。

また巻頭に、メーンキャスター・辛坊治郎と地方の知事・知事経験者との鼎談を載せている。(これは、いわば「語りおろし」。実はこれが、一番興味深かった)地方から見えてくる「日本の現状」を知ることができる一冊です。

 


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(2015、12、19読了)

2016年1月12日 15:53 | コメント (0)

新・読書日記 2015_180

『大世界史~現代を生きぬく最強の教科書』(佐藤優・池上彰、文春新書:2015、10、20)

 

 

現代の世界の状況を、歴史の中から説く2人。かたや文章・文字で、かたやテレビメディア・話し言葉で伝える第一人者同士が語り合った内容を一冊にまとめたもの。

11章に及ぶ対談のタイトルを見てみると「なぜ、いま、大世界史か」「中東こそ大転換の震源地」「オスマン帝国の逆襲」「習近平の中国は明王朝」「ドイツ帝国の復活が問題」「『アメリカvs.ロシア』の地政学」「『右』も『左』も沖縄を知らない」「『イスラム国』が核をもつ日」「ウェストファリア条約から始まる」「ビリギャルの世界史的意義」「最強の世界史勉強法」。

「帝国」という概念が、21世紀に復活している状況がよくわかる。

また、過激派組織「イスラム国」が「核兵器」を持つようになることが、世界にとって一番の懸案事項だと。「ドローン」の誕生が戦争と歴史を変えるとまで。興味深い内容が満載です。

 


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2016年1月12日 11:51 | コメント (0)

新・読書日記 2015_179

『「空間」から読み解く世界史~馬・航海・資本・電子』(宮崎正勝、新潮選書:2015、3、25)

 

これだけ世の中が混沌としていて、自分が何か出来ることはないものかと焦燥感に駆られる。何故こんな世界になってしまったのか、解決策はないものか?そう考えた時に頼るのは「過去の歴史」である。人は何処から来て、どこへ行くのか。「世界の歴史=世界史」である。これまでとは違う斬り口の世界史の本を見かけると、ついつい手が伸びる。

この本は、「空間」から世界史を読み解いている。つまり、まずは「陸地の時代」。その時代に重要だったのは、移動手段としての「ウマ」である。現代において「ウマ」というと「競馬」か「年賀状のエト」ぐらいのイメージしかないが(私にとっては)、当時は、最重要の生き物・ツールであった。

そして、大航海時代を迎えて「海洋の時代」、「陸」の限界は「海」に乗り出すことによって飛躍的に広がった。

さらに「資本主義」の発展で(そのためには、「キリスト教=カトリック」という"宗教のしばり"から逃れることが必要であったのだが、それは「プロテスタント」が果たした)、人々の生活の世界は広がり、前世紀末から今世紀にかけてのコンピューターの発展・インターネットの普及という「電子」の空間への広がりで、さらに世界は膨張していった。

さて。

この後、どうなるんだろう?というような「宇宙の果て」を知りたいのと同じような疑問が生じるが、現在、「陸の帝国」である中国が「海」へ乗り出そうとしている。地球の7割の面積を占める「海」は、まだまだ開発の(広げられる)余地を残している。これからは「海」を支配することが重要だ。

そして、こうした局面で出て来た「国」は「帝国」であり、それを支配しようとすることは「帝国主義」であると。このあたりは、佐藤優の主張と全く重なると感じた。

 

 


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(2015、11、17読了)

2016年1月11日 17:09 | コメント (0)

新・読書日記 2015_178

『日本とドイツふたつの戦後』(熊谷徹、集英社新書:2015、7、22)

 

  

共に第二次世界大戦の敗戦国である日本とドイツ。しかし、戦後のこの2つの国に対する他の国からの対応は、全然違うように感じる。かたや、EUの中心国としてヨーロッパのリーダーと目される「ドイツ」と、戦後70年何度も「お詫び」を繰り返し国交回復の条約も交わした上にODAなども支払っているのに、中国や韓国からいつまでたっても、やれ「お詫び」をしろ、やれ金を払えと言われる「日本」。なぜこんなに違うのか?という疑問は、ごく普通の日本人は持つ疑問だと思う。

実は、この本を読む前に、妻から同じ疑問を投げかけられた。その際に私が答えたのは、

「ドイツは、最高責任者のヒトラーが死んだことで責任を取ったことになっているけど、日本は最高責任者の(昭和)天皇が死ななかったので、いつまでも責任追及される。」

たぶん、これが正解だ。しかし、これは今更どうしようもないことである。陸地つながりのヨーロッパの中の「ドイツ」と、海によって大陸・他国から隔絶されている「日本」の地理的状況も影響しただろうし、戦後統治の流れの中で、戦勝国側が「最善」と判断した方法に身を委ねたにすぎないのだから。そしてドイツは、東西2つに分断されたが、日本は分断されることなく(沖縄は一旦、分断されたが)戦後を過ごしてきた。

本書では、「ドイツ」が、いかにして戦後を生き抜いたかについて記されている。

著者は1959年生まれ。元NHK記者。1990年からは、フリージャーナリストとして25年間ドイツ在住。ドイツに住む日本人の目で見たドイツという、日本に住む日本人からはわからない視点で読み解いていく。

やはり、ドイツと日本で一番意識の差があるのは、以下の点ではあるまいか。著者が1989年に、当時のブラント元西ドイツ首相に行ったインタビューだ。

「若者たちが過去のことについて無関心になるのは、当然のことだ。彼らが前の世代の犯罪について、重荷を背負わされることについて、責任はない。しかし彼らは同時に、自国の歴史の流れから外に出ることはできないということも知るべきだ。そして若者は、ドイツの歴史の美しい部分だけでなく、暗い部分についても勉強しなくてはならない。それは、他の国の人々が、我々ドイツ人を厳しく見る理由を知るためだ。そしてドイツ人は、過去の問題から目をそむけるのではなく、たとえ不快で困難なものであっても、歴史を自分自身につきつけていかなくてはならないのだ。」(110ページ)

 

2015年の年末ぎりぎりになって、韓国との「慰安婦問題」に関する「未来志向の解決」に向けて動き出したかに見える。しかしこれも、ドイツが「謝ったからもう終わり。未来の子ども達は、全く関係ない」という態度を取っているかというと、そうではないことが分かる。「戦争」によって失われた・奪われたという思いは、形の上で消えても、綿々と世代を超えて残ってしまうものだということが、よく分かると思う。

(2015、12、4読了)

(☆4つ)

 


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(2015、12、4読了)

2016年1月 8日 19:44 | コメント (0)