新・ことば事情
5928「旧式」
小津安二郎監督、原節子主演の『晩春』(昭和24年=1949年公開)を見ていたら、原節子と父親役の笠智衆の間で、こんなセリフが。
「あの子、今時にしては旧式だから」
「おまえの方が、ずっと旧式だ」
この中の、
「旧式」
という言葉が、おそらく当時(昭和24年)の、つまり、
「戦後すぐの時期の流行語」
というか、よく使われた言葉なのではないでしょうか?戦争(第二次世界大戦)に敗れて、掌を返したように「デモクラシー」を推奨するようになって、「鬼畜米英」なんて言っていたのに「英語」を学ぶのが流行って・・・という時代だったので、ちょっと古い考え方をすると「旧式」と言われたのではないか?そんな気がしました。
新語の歴史に詳しい梅花女子大学の米川明彦先生編の『明治・大正・昭和の新語・流行語辞典』(三省堂)を引いたら出ているかな?と思いましたが、残念ながら出ていませんでした。
用例が、実際の小説などから引かれている『新潮現代国語語辞典』で「旧式」を引いてみると、3番目の意味として出ていました。
「旧式(3)時代におくれていること。(用例)「極く手堅い旧式の商人である」(「夢の女」)」
この用例の「夢の女」を巻末の「出典」を見てみると、
「1903年に発表された永井荷風の作品」
であるとわかりました。また『精選版日本国語大辞典』を引くと、やはり3番目の意味で、
「旧式(3)考え方や行動が、昔通りで古くさいこと。(用例)*日の出(1903)<国木田独歩>「伸一先生は決して此意味を旧式に言ったのではありません」
と出ていました。奇しくもどちらも、
「1903年」(明治36年)
です。この年の前後に何があったかというと、
「日露戦争(1904年~1905年)」
ですね。「日清戦争」(1894年~1895年)から10年経って、軍備に関しても「新兵器」の導入などが進んでいたのではないでしょうか。旧日本陸軍の銃である、
「三八式歩兵銃」
は、その名が示す通りに、
「三八=明治38年」
に導入された訳ですし、そういう技術革新があった頃ではないか。それによって、
「新式・旧式」
ということが強く意識されていたのではないかなと想像します。
もう一度、米川明彦先生編『明治・大正・昭和の新語・流行語辞典』(三省堂)を繙(ひもと)くと、ああ「明治34年」は「1901年」、つまり、
「二十世紀が始まった年」
なのですね。「二十世紀」という言葉は、この年から「流行語」になったそうです。このあたりのこともあって「新式・旧式」という意識が働いたのではないでしょうか?
ちなみに「小津安二郎」監督の生年月日を調べて見ると、なんとこちらも
「1903年」
なのでした!(1903年12月12日~ 1963年12月12日)
原節子は、「1920年6月17日~2015年9月5日」で、
笠智衆は、「1904年5月13日~1993年3月16日」です。
笠智衆も、小津監督より1学年下ですが、誕生日は半年も違わないのですね。「旧式」かな。