新・ことば事情
5921「自称・ミュージシャン」
9月15日、JR山手線の施設への連続不審火事件で、野田伊佐也(いざや)容疑者(42)が逮捕されました。その際に、
「自称・ミュージシャン」
と紹介されていましたが、何となく、違和感というのではないのですが、ヘンな感じがしました。それがなぜなのか、考えてみました。
恐らく、逮捕された容疑者を紹介する際に、氏名の前に出て来るのは、
「職業」
ですよね。
「会社員」とか「市役所職員(公務員)「コンビニ店従業員」「自営業」「生花店勤務」「理髪業」「タクシー運転手」「スーパー店員」「書店員」「クリーニング店店員」「中華料理店経営」「大工」「塗装業」「左官」「プロ野球選手」「棋士」「新聞記者」「アナウンサー」「作詞家」「作家」「コピ-ライター」「建築士」「医者」「看護師」「政治家」「政治家秘書」「教師」「保育士」「警察官」「消防士」「農業」「林業」「漁業(漁師)」などなどですね。(順不同。思いついたままに)
当然「ミュージシャン」も「職業」です。
でも、「ミュージシャン」というのは、まあ、平たく言えば「ピンキリ」とも言えます。ほかの職業以上に幅が広く、
「ミュージシャンとして、食っていけているのか?」
というと、なかなか難しい。「食べていけない」という人も多いかもしれません。「食べていけないミュージシャン」は「プロ」と呼べるのか?そもそも「職業」とは何か?
もちろん、「職業」とは、
「その仕事のプロ」
ですが、では「プロ」と「アマ」の違いは、
「その仕事一本で、生活していけるのか?」
というところでいいのでしょうか?ただ、
「詩人」
という職業は、それだけで食っていけなくとも、「職業」として成り立つような気がしないでもありません。自分が「そうだ」と思えば、「自分の職業」は決まるものなのでしょうか?それとも、他者(世間・社会)からの「認知」がなければ、「その職業だ」と名乗ることはできないのでしょうか?
そうこうしていたら、12月8日放送の読売テレビ「かんさい情報ネットten.」で、
「自称・ラッパー」
というのが出て来ました。10月6日に、大麻取締法違反容疑で京都府警に逮捕されたのが、自称ラッパーの25歳の男だったのです。
と、この辺で「辞書」の定義を見てみましょうか。『精選版日本国語大辞典』で「職業」は、
「くらしをたてるために日常従事するしごと。なりわい。生業。職」
とあります。やっぱり「食っていけること」は、「職業」と呼ぶにあたっては「重要」なようです。
次に、「自称」もとても気になるので調べて見ましょう。
*『精選版日本国語大辞典』=「自ら称する事。実際はそうではないのに、あるいは、世間ではそう認めていないのに、ある身分、肩書、名前を持っていると自分で称する事。(例)自称大学教授、自称画家
*『明鏡国語辞典』=「真偽はともかく、自分から勝手に名のること。(例)自称デザイナー
*『デジタル大辞泉』=「自分から名のること。真偽はともかく、名前・職業・肩書などを自分で称すること。(例)流行作家を自称する男
*『新明解国語辞典』=(本当はそうではないのに)自分の事を自分で・・・だということ。(例)元社長と自称する男、自称詩人
*『新潮現代国語辞典』=みずから名乗る事。自分で勝手に称すること。(例)(花婿の)自称候補者の面々が(百面相)、当時はさまざまの型のマルキシストがゐたものです。堀木のやうに、虚栄のモダニテイから、それを自称する者もあり(人間失格)
*『岩波国語辞典』=自分で、自分はだれ誰(何々)だということ。自分で称すること。(例)自称天才▽多く、自分をほめる気持がある場合に言う。
*『三省堂国語辞典』=自分のことを自分でそう名のること。(例)自称カメラマン、弟子を自称する男
*『広辞苑』=自分から名乗ること。実体はともあれ、当事者が自分でこうだと称すること。(例)自称天才
やっぱり「自称○○○」という場合の「○○○」に入る職業は「胡散臭い」感じですね。いや、その職業が胡散臭いわけではないのですが、「自称」が前に付くと胡散臭く思えてしまいます。
「実際はそうではないのに」というあたりが「胡散臭い」「そうではない」ということは、「ウソ」なんですよね、やっぱり。
このところ、事件報道の容疑者の職業に「自称○○○」が、よく目に付くような気がするのはなぜか?考えてみました。
一つ目は、警察発表が「自称○○○」だから、そう報じられているのだと思いますが、警察は、容疑者本人の「自称」をそのまま発表しており、「本当の職業」が何であるのかを、きっちり調べていないのではないか?ということです。もし「自称ラッパー」でも、家計を支える仕事は「アルバイト」であれば、職業は、
「アルバイト(店員)」
などになるのではないでしょうか。また、特に仕事をしていないのであれば、
「無職」
ですね。もしかして「ラッパー」の仕事で食って行けるほどならば「自称」が付かない、
「ラッパー」
でいいのではないか?ここで二つ目の疑問が生まれます。(それと、「ラッパー」って「ラップミュージック」をする人だから、「ミュージシャン」でいいのではないか?という疑問も。なんか疑問だらけです。)
最近、事件の容疑者で「自称○○○」が目立つのは、「本人が思っている職業(○○○)」と、「社会的に認知されている職業・状態」との乖離が激しくなっているからではないか?また、その精神的な「ストレス」が、犯罪への誘因になっているのではないか?ということです。
国語辞典の用例で出ていた「自称○○○」の「○○○」という職業は、
「大学教授、画家、デザイナー、流行作家、元社長、詩人、天才、カメラマン」
等です。いずれも、社会的に尊敬されたり、憧れの職業です。しかし、そのほとんどは、
「医師や弁護士のような国家資格を必要としない職業」
でもあります。そういった職業に関して、
「『そうなりたい』という『強い願望』」
が、「自称」させていますが、もちろん、そんな職業に見合う力がない場合が多いので、「胡散臭く」感じさせるのではないか?ということです。
また「憧れの職業」なので、どちらかというと「横文字(カタカナ)」の職業が多いのも特徴かもしれません。
これら「自称○○○」の増加という「事象」から見えるのは「日本の現状」ではないかと感じました。当分の間、続きそうです。
なお、もう捨てようと思ってその前にたまたま読んだ『週刊文春』(2015年11月12日号)のコラム「町山智浩の言霊USA 第311回 Sophomonic(中二病)」で、「反ルノワール」を唱えて美術館などで抗議活動をしているマックス・ゲラー(33歳)という男を取り上げていますが、そのゲラーの「職業」を、町山さんは、
「市民運動家」
と書いています。町山さんのこの書き方は、
「『市民運動家』って『職業』なのか?」
というニュアンスが読み取れます。これも、
「自称・市民運動家」
なのでしょうね。
「平成ことば事情4617自称霊能者」も、お読みください。