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『道浦TIME』

新・ことば事情

5933「悲喜こもごも」

「『悲喜こもごも』の使い方が違いますね」

というご指摘が、視聴者センターに入りました。きょう(25日)の放送の「マルチが画面」の、

「クリスマスイブ 悲喜こもごも 聖夜に"売買される"男女の思い出」

と、宮根さんのコメント、

「さて、昨日はクリスマスイブということで、楽しい思い出を作った方もたくさんおられると思いますが、そんな日に行われました男女の思い出が売買される悲喜こもごもの現場がありますのでご覧ください」

に対してです。視聴者の方によると、

「『悲喜こもごも』は『一人の人生』を振り返っていろんなことがあったなというときに使うと思います。喜ぶ人や悲しむ人など様々という意味ではないと思います。」

とのこと。

視聴者センターでも、ネットで調べてくれて、それによると、

★『デジタル大辞泉』「【悲喜(ひき)交交(こもごも) ...悲しいこととうれしいことを、代わる代わる味わうこと。「―いたる」【補説】一人の人間が喜びと悲しみを味わうことであり、「悲喜交々の当落発表」のように「喜ぶ人と悲しむ人が入り乱れる」の意で使うのは誤り」

 

と「誤り」とする辞書も多いと思います。本来の意味は「1人の中で」です。

しかし、以下の辞書の「句例」では、

 

★『新明解四字熟語辞典』:「ひき-こもごも【悲喜交交】...悲喜交交 意味 悲しみと喜びを、代わる代わる味わうこと。また、悲しみと喜びが入り交じっていること。▽一般に「交交」は現在ではひらがなで表記することが多い。[句例] ◎悲喜交々の合格発表◎悲喜交々至る[用例]ここでは「風人」と「風流男たわれお」を対立させ、世間の酸いも甘いも知りつくして、いまは悠々と自得している風人をして、好色の風流男の世間や家名や財や、また遊びに執着して悲喜交々の日を送っている心の悩みを解かしめている。<唐木順三・日本人の心の歴史>

 

と、「悲喜交々の合格発表」が挙げられています。

 

さらに私が調べた『NHKことばのハンドブック・第2版』には、

★「悲喜こもごも」=入学試験合格発表関係のニュースで「~悲喜こもごもの風景でした」と表現するのは適切ではない。「悲喜こもごも」は1人の人の心境について言う場合に使う。「喜ぶ人もあり、さまざまな情景でした」などとすればよい。なお、こういう古めかしい成句はなるべく使わない。」

 

とあります。NHKは「間違い」という立場ですね。

しかし、新しい言葉をいち早く採用することで知られる『三省堂国語辞典・第7版』では、

★「悲喜こもごも」=(1)(ひとりの人に)かなしみとよろこびが、いれかわりあらわれること。(例)悲喜こもごもいたる。

(2)(俗)悲しむ人とよろこぶ人がまざっているようす。(例)悲喜こもごもの合格発表風景」

として2番目の意味で「俗語」として、載せています。

 

今回、私は事前に気付いていて「三省堂国語辞典」の立場で「許容」と判断しました。電話をかけてきた視聴者の方は、「従来の規範」の立場の方だったようですね。

 

一応、「従来の使い方」を知っておくことは重要です。

 

(2015、12、25)

2015年12月26日 18:53 | コメント (0)

新・ことば事情

5932「『木の実』の読み方」

 

 

「ミヤネ屋」のスタッフから質問がありました。

「『木の実』の読み方は、『きのみ』でしょうか?それとも『このみ』でしょうか?」

うーん、たしかにどっちの読み方もあるなあ。辞書を引いて「用例」を見てみたら、

「このみ」

のほうが古く、「きのみ」のほうが、新しい読み方のようです。新しいと言っても、古いんだけど。ただ、両方載っています。

そこで『NHK日本語発音アクセント辞典』を引くと、

「このみ(きのみ)」

とあり、「きのみ」は( )の中に入っています。これは、

「放送では『許容』として認めたもの」

ということなので、まあ「正しく」は「このみ」、でも「きのみ」でもいいよということでしょうね。

「それで、どちらにしましょうか?」

「うーん、では今回は『このみ』という読み方を知っているよということで、『このみ』でいきましょうか」

ということになりました。

 

(2015、12、24)

2015年12月25日 18:52 | コメント (0)

新・ことば事情

5931「エゴい」

 

 

街で前から歩いて来た若者3人組。その中の一人が、すれ違った時に口にした言葉が、耳に残りました。

「それは、エゴいなあ」

この、

「エゴい」

というのは初めて耳にした言葉です。

「エグい」

は、聞いたことがあるけど。恐らくですが、十中八九、この「エゴい」は、

「エゴイスティックな人(行動)」

のことを指して言うのでしょう。「形容詞」の終止形は「い」なので、

「『い』を付けると『形容詞』のようになる」

という造語法はありますね。最初に書いた「エグい」は「エグみ」「エグさ」の語幹に「い」を付けて「エグい」でしょう。それとは別に、「真ん中を省略して、最初からそういう1語の形容詞」のように見せるものもあります。

「キショい」

などは「気色悪い(キショクワルイ)」の「ク・ワル」を省いて「キショい」になっていますし、

「キモい」

の場合も「気持ち悪い(キモチワルイ)」の「チワル」を省いて「キモい」になっています。今回の「エゴい」の場合は、「エゴイステック」の後半の「スティック」を省略しているのでしょうか?普通だと「『い』で終わる形容詞」にはならずに、

「エゴイステックな」

「『な』を付けて形容動詞」になるような気がするんですが、最近は何でも「形容詞」にするんでしょうか?これは、もう少し調べると面白そうだぞ。

ちなみにグーグル検索(12月21日)では、

「エゴい」=   3820件

でした。「い」を「イ」に換えると、

「エゴイ」=15万0000件

当然、この中には元の単語である「エゴイスティック」も入っているから、多いんですね。「エゴい」のほうは、トップに出て来た「日本俗語辞書」というサイトによると、

「エゴい」=エゴいとは、自分勝手・自己中なこと。【年代】平成時代【種類】若者言葉。【「エゴい」の解説】エゴいとは心理学用語で利己主義を意味するエゴイズム(egoism)、利己主義者を意味するエゴイスト(egoist)、更にこれらを略したカタカナ語であるエゴを形容詞化したものである。以前から使われていたが、特に2007年辺りから若者の間で普及。自分勝手、自己中、わがままといった意味で使われる。

 

とありました。「2007年当たりから」か。もう8~9年も経っていたとは!全然、気付かなかった。また、「ヤフー知恵袋」では、2011年7月4日に、

「若者言葉になるのでしょうか。エゴる、エゴられる、エゴいです。という日本語はどういう意味合いになるのですか。」

という質問が出されており、

「エゴ エゴイズムやエゴイストの略です。すなわち、わがままや、わがままな人の事を指すのでしょうね」

というのが「ベストアンサー」に選ばれていました。2000年代前半に流行っていた「自己中」の「形を変えた言葉」なのかもしれません。いや、「自己中」より「エゴい」のほうが、他人に迷惑をかけそうな感じが、私はします。

いずれにせよ、「エゴい」「キモい」「キショい」といった言葉は、

「悪い意味のもの」

として使われています。その意味では、直接、その相手に悪口を言うのではなく、

「隠語」

的に、コッソリと仲間内で悪口を言う際に使う「新語(略語))にして、他の人には意味が分かりにくくする、

「一種の婉曲表現」

なのかもしれませんね。と書いた後に、『三省堂国語辞典』の編纂者の飯間浩明さんのツイッターを見ていたら、

「形容詞にはプラスの意味のものが少なく、大抵がマイナスの意味」

とあり、「そうだったのか!」と、合点がいきました。そもそもの形容詞の性格が、そうだったのか。

 

(2015、12、21)

2015年12月23日 11:18 | コメント (0)

新・ことば事情

5930「アメショー」

 

 

電車の中で吊り革につかまっていると、前の席に座っている若いお母さん同士の会話が耳に入って来ました。どうやら、ネコを飼いたいようです。その中で、

「アメショーがいい」

という言葉に、私は反応しました。

「ハマショー」=「浜田省吾」

は知ってるけど「アメショ-」とはなんでしょうか?

「アメション」=「アメリカに短期間行ってきたことだけを鼻にかける奴をバカにして言う言葉」

も知ってますし、

「アメ横」=「東京上野にある商店街。アメリカ進駐軍の放出物を売ることが多かったので『アメ屋横丁』と呼ばれ、それが短くなって『アメ横』」

というのも知っていますが、私の語彙の中に「アメショー」というのはない・・・かなあーと思って考えて見ると、かすかな記憶の隅に、

「アメリカン・ショートヘアー」

という種類のネコがいたような気がしました。ここまで考えるのに、1,5秒ほどかかりました。あとで調べるとビンゴ!!ですね。グーグル検索では(12月21日)、

「アメショー」=39万3000件

もありました。ネコ好きの人、多いんですね。岩合光昭さんの「世界ネコ歩き」なんかのネコも、かわいいですもんね。

でも私は「アメショー」って言葉(略語)を使っているのを、初めて耳にしました。ちなみにアクセントは、「中高アクセント」で、

「ア/メ\ショー」

でした。

(2015、12、21)

2015年12月22日 22:16 | コメント (0)

新・ことば事情

5929「入駅待ち」

 

今朝、普段と違う時間に電車が駅に止まっていたので「あれ?」と思ったのですが、どうやら、踏切事故があったそうです。おかげで電車はノロノロ運転。出社は定刻ギリギリになってしまいました。(ちょっと遅れた。)

さて、その電車が、もうすぐ「京橋駅」(降りる駅)というところで、停止してしまいました。なんでだろ?と思っていると、車内放送が、

「ただいま、『ニューエキマチ』です。ご迷惑を掛けます」

と。「ニューエキ」はもちろん、「乳液」ではなく、

「入駅」

だと思いますが、業界用語でしょうね。聞いて意味はわかりますが、私たちが普段使う言葉ではありません。「入○○」の形で、私たちが使うものとしては、

「入社」「入学」「入園」「入校」「入構」「入部」「入籍」「入門」

等がありますが、「入駅」は初めて知りました。グーグル検索では(12月21日)、

「入駅」=5万6800件

でしたが、そのトップに出て来たのは、

「大入駅」

という「福岡県糸島市にあるJRの駅名」でしたので、それを除きましょう。「大入駅」を検索すると、

「大入駅」=4万7900件

ということでしたで、「入駅」単独は、

「5万6800-4万7900=8900件」

というところでしょうか。あまり、数はないようです。

あ、普通、電車が線路に入って来ることは、

「入線」

と言うような。「入駅」と「入線」はどう違うんだろうか?一応、これも検索

「入線」=78万9000件

で、「コトバンク」によると、意味は、

「列車が始発駅で指定された番線にはいること。(例)臨時列車が―する」

でした。「始発駅」でないとダメなら、

「到着駅に客を乗せて入る」

のは、「入線」ではないんだな。

『三省堂国語辞典』も「入線」は「始発駅で」とありました。そして矢印で、

「『入構』を見よ」

となっていたので見ると、2番目の意味で、

「入構」=(2)列車がホームに入ること。

とありました。グーグル検索は、

「入構」  =10万7000件

でした。一般的には、

「入構待ち」

でしょうね。グーグル検索は、

「入構待ち」=    174件

「入駅待ち」=    117件

でした。どっちも、少なっ!

 

(2015、12、21)

2015年12月22日 18:16 | コメント (0)

新・読書日記 2015_177

『いつまでも若いと思うなよ』(橋本治、新潮新書:2015、10、20第1刷・2015、11、15第3刷)

 

なんか、たしか同じ新潮新書から数年前に出た、岡田某の『いつまでもデブと思うなよ』を連想させるタイトル。もしかしたら、編集者が同じで「2匹目のドジョウ」を狙ったか?橋本治の本は、時々、読んでいるが、1948年生まれのいわゆる「団塊の世代」で、東大の学園祭でのコピー「とめてくれるな、おっかさん、背中のイチョウが泣いている 男・東大どこへゆく」(だったかな。あえて確認せず。)は有名だが、今は、知らない人が多いんだろうな。

そんな橋本も、もう65歳を超えて「高齢者」となり、好むと好まざるにかかわらず、いろんなところにガタが来ていると。よく分かる気がします。私はひと回りほど若いけど、やはりガタが来ている感じは、よく分かります。程度は違うとは思いますが。「老い」はそうやって忍び寄るんですね。ま、そんな感じでした。

 

 


star3

(2015、12、13読了)

2015年12月21日 11:07 | コメント (0)

新・読書日記 2015_176

『プロ野球重大事件~誰も知らない"あの真相"』(野村克也、角川oneテーマ21:2012、2、10)

 

 

3年前に出た本だが、先日の巨人選手の「野球賭博」で思い出して、昔の「黒い霧事件」などはどうだったのかな?と思って引っ張り出して来て読んだ。なかなか面白い。昔の野球選手などを少し知っている私などから言うと、興味深い出来事がたくさん書かれていて、今、読んでも十分面白かった。野村はON(王・長嶋)、特に同学年の長嶋を「ライバル視」し続け、長嶋はそれほど気にしていないという関係が、半世紀以上たってもまだ続いているのだなと。先輩には「さん」が付いているが、同輩・後輩(年下)は全て呼び捨てというのも、なんだか、潔いというかノムさんらしかった。野村さんの人生のモチベーションの一つは、間違いなく「恨」「コンプレックス」。そういったマイナスの力をプラスに変えて来たんだなと感じた。

 

 


star4

(2015、12、8読了)

2015年12月14日 11:48 | コメント (0)

新・読書日記 2015_175

『戦争と読書~水木しげる出征前手記』(水木しげる・荒俣宏、角川新書:2015、9、10)

 

亡くなった水木しげるさん。亡くなる前に購入して読みさしになっていたが、これを機に一気に読んだ。

「死」と向き合う前に「時代」と向き合っていた若き日の水木さんが、如何に真剣に「よりよく生きる」ことを考えていたか、がその日記によってよく分かった。昨今の「反知性主義」とは全く逆の「知性主義」に生きていたと思われる当時の若者たち。

水木さんの笑いは非常に「シニカル」だ。「ゲゲゲの鬼多郎」や「妖怪」という世界を描いたのも、人間界に妖怪がたくさんいたからではないか。また、「この世」と「あの世」の境界線を自由に行き来できたからではないか。

数年前、天皇陛下主催の園遊会だったかに水木さんが招待された映像が、亡くなった後に「ミヤネ屋」でも流れたが、園遊会後に「天皇陛下は、どんなお話をされましたか?」とインタビュアーに聞かれた水木さん、その前に流れた映像では、天皇陛下に「漫画を描くのは大変ですか?」と聞かれて「ええ、とても大変です」話していたにもかかわらず、「天皇陛下は、何も話されませんでした」と答えていました。水木さん一流の「おとぼけ」だと、その時は思ったのですが、後でこの本を読んでから考えが変わりました。水木さんが考えている「天皇陛下」は「昭和天皇」であり、「今上天皇ではない」のではないか。だって、水木さんを戦場に送り出したのは「昭和天皇の名において」ですから、左腕を失ったことも、またその後、妖怪漫画で一家を成したのも、全て「昭和天皇」から始まると考えているのではないか。水木さんにとって「天皇=昭和天皇」なのです。だから「天皇陛下と何を話されましたか?」と聞かれて、

「(昭和)天皇は何も話していない」

と正直に答えたのではないかな?というように感じたのでした。


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(2015、12、2読了)

2015年12月13日 12:44 | コメント (0)

新・読書日記 2015_174

『摘録 断腸亭日乗(上)』(永井荷風、岩波文庫:1987、7、16第1刷・2000、5、25第24刷)

 

 

大変有名な、永井荷風の日記。15年ぐらい前に買って、飛ばし読みをしたのを通読した。

歴史を刻む重要な一冊だと思う。「5・15事件」や「2・26事件」の当時の状況もよく分かり、ラジオはあったがテレビのない時代の情報の伝わり方などもよく分かる。当時の物価なども分かる。風俗も分かる。大変貴重な史料である。飛ばし読みでもいいので通読しておくべきだな。「下巻」も読みます!

 

 


star4

(2015、11、13読了)

2015年12月12日 12:43 | コメント (0)

新・ことば事情

5928「旧式」

 

 

小津安二郎監督、原節子主演の『晩春』(昭和24年=1949年公開)を見ていたら、原節子と父親役の笠智衆の間で、こんなセリフが。

「あの子、今時にしては旧式だから」

「おまえの方が、ずっと旧式だ」

この中の、

「旧式」

という言葉が、おそらく当時(昭和24年)の、つまり、

「戦後すぐの時期の流行語」

というか、よく使われた言葉なのではないでしょうか?戦争(第二次世界大戦)に敗れて、掌を返したように「デモクラシー」を推奨するようになって、「鬼畜米英」なんて言っていたのに「英語」を学ぶのが流行って・・・という時代だったので、ちょっと古い考え方をすると「旧式」と言われたのではないか?そんな気がしました。

新語の歴史に詳しい梅花女子大学の米川明彦先生編の『明治・大正・昭和の新語・流行語辞典』(三省堂)を引いたら出ているかな?と思いましたが、残念ながら出ていませんでした。

用例が、実際の小説などから引かれている『新潮現代国語語辞典』で「旧式」を引いてみると、3番目の意味として出ていました。

「旧式(3)時代におくれていること。(用例)「極く手堅い旧式の商人である」(「夢の女」)」

この用例の「夢の女」を巻末の「出典」を見てみると、

「1903年に発表された永井荷風の作品」

であるとわかりました。また『精選版日本国語大辞典』を引くと、やはり3番目の意味で、

「旧式(3)考え方や行動が、昔通りで古くさいこと。(用例)*日の出(1903)<国木田独歩>「伸一先生は決して此意味を旧式に言ったのではありません」

と出ていました。奇しくもどちらも、

「1903年」(明治36年)

です。この年の前後に何があったかというと、

「日露戦争(1904年~1905年)」

ですね。「日清戦争」(1894年~1895年)から10年経って、軍備に関しても「新兵器」の導入などが進んでいたのではないでしょうか。旧日本陸軍の銃である、

「三八式歩兵銃」

は、その名が示す通りに、

「三八=明治38年」

に導入された訳ですし、そういう技術革新があった頃ではないか。それによって、

「新式・旧式」

ということが強く意識されていたのではないかなと想像します。

もう一度、米川明彦先生編『明治・大正・昭和の新語・流行語辞典』(三省堂)を繙(ひもと)くと、ああ「明治34年」は「1901年」、つまり、

「二十世紀が始まった年」

なのですね。「二十世紀」という言葉は、この年から「流行語」になったそうです。このあたりのこともあって「新式・旧式」という意識が働いたのではないでしょうか?

ちなみに「小津安二郎」監督の生年月日を調べて見ると、なんとこちらも

「1903年」

なのでした!(1903年12月12日~ 1963年12月12日)

原節子は、「1920年6月17日~2015年9月5日」で、

笠智衆は、「1904年5月13日~1993年3月16日」です。

笠智衆も、小津監督より1学年下ですが、誕生日は半年も違わないのですね。「旧式」かな。

 

(2015、12、9)

2015年12月11日 21:41 | コメント (0)

新・ことば事情

5927「受け身形の語尾の省略と助詞」

 

 

「ミヤネ屋」のテロップのチェックをしていて、普段よく私が直す「助詞」は、

「『受け身』の形の『語尾を省略』したのに、それに伴う『助詞の変更』をしていない場合」

です。具体的には、

×「親子の関係を一変」→○「親子の関係が一変」

×「変更が検討」→○「変更を検討」

×「木造船が発見」→○「木造船を発見」

×「10人の遺体が発見」→○「10人の遺体を発見」

×「壁に希望が書いています」→○「壁に希望が書かれています」

というもの。

左側の「×」が付いたものの元の形は(ナレーション原稿は省略されていない)、

「親子の関係を一変させた」

「変更が検討された」

「木造船が発見された」

です。この語尾の「された」「させた」という「受け身」や「使役」の助動詞が省略されると、「受け身」ではなくなるので、

「助詞を変える必要がある」

のです。そうでないと、誤ったスーパーを、そのまま「体言止め」で読む人が出て来る(もう出て来ている)からです。

ま、私一人が頑張っても、たかが知れているのですが、世の中の流れは確実に、

「間違った方向に向かっている」

と感じます。「悪貨は良貨を駆逐する」ですね・・・。

(2015、12、9)

2015年12月11日 18:27 | コメント (0)

新・ことば事情

5926「距離と高さ」

 

 

12月8日の「ミヤネ屋」で、世界の富豪の「お金持ち具合」を紹介するコーナーがありました。その中で、「世界一高いビル」を建てる計画という話が出て来ました。そのビルの「高さ」を、

「1キロメートル強」

と表現していましたが、これは「間違い」。

「高さ」は「メートル」で表しますし、「強」というのもそぐわない。これは、

「1000メートル超」

とすべきところです。事前のチェックで、パネルは直したんですが、スタジオ台本までは直せませんでした。もしかしたら「ナレーション」「コメント」で、放送に出てしまったかもしれません。

普通「富士山の高さ」を「3,7キロ」とは言わないですよね。やはり、

「3776メートル」

と言いますよね。それと同じことです。

同じ「メートル法」ですが、「高さ」と「距離」では、微妙に使い方が違うという話でした。

 

(2015、12、9)

2015年12月11日 11:26 | コメント (0)

新・読書日記 2015_173

『森ちゃんの今日もゆるゆる』(森たけし、PHP:2015、12、3)

 

会社のアナウンサーの1年先輩・森ちゃんが出した初めての著作!

もらえるのかなあと思ったけど、なかなか頂けないので、売り上げに貢献すべく、購入させていただきました!

これはね、タイトルに騙されてはいけませんよ、見かけは「ゆるゆる」の森ちゃんが、実はいかに「研究熱心」な「凝り性」であるかが、いかにバイタリティーがあって、幅広く活動しているかが、よく分かる一冊です。プロ根性が詰まった一冊です。皆の者、心して読むように!

ま、心して読まなくても、随所に笑いどころが配置してあって、楽しく読めてしまう一冊でもあります!森ちゃん関係のいろんなアナウンサーやディレクターやタレントさんやスポーツ選手の名前が、いーっぱい出て来ます。私は1か所しか出て来なくて、寂しかったですが。そういう意味では「森ちゃんのゆるゆる交友録」といった感じでもありますね。お勧めです。

 

 


star5

(2015、11、26読了)

2015年12月 9日 22:51 | コメント (0)

新・ことば事情

5925「東日本大震災のアクセント」

 

 

NHKの「クローズアップ現代」が終ってから20時までの短い間に「東日本大震災」を振り返るミニ番組(1分ぐらいかな)が放送されています。

12月9日のその時間、女優の鈴木京香さんが出ていました。そして、彼女が口にした、

「『東日本大震災』のアクセント」

が気になりました。彼女は、

「ヒ/ガシニホンダイシ\ンサイ」

と「コンパウンド」して一気にしゃべったのです。私はふだん、

「ヒ/ガシニホ\ン・ダ/イシ\ンサイ」

と「2語」に分けて発音するし、ふだん耳にするアクセントも「2語」のものです。コンパウンドした「ヒ/ガシニホンダイシ\ンサイ」という1語は、初めて聞いた気がします・・・・いや、実際には聞いたことはあるのでしょうけれども、これまであまり意識していなかった。気にならなかったのです。

この「コンパウンド」は、「専門家アクセント」的に、複合語をよく使う人がコンパウンドします。鈴木京香さんは、「東日本大震災」という言葉によく接しているのではないでしょうか。私ももっと関心を持たないといけないですね。

でも「コンパウンド」しない読み方の方が、いいと思うけどなあ。

 

(2015、12、9)

2015年12月10日 21:24 | コメント (0)

新・ことば事情

5924「サルのドレイ」

 

12月9日、NHKのお昼の関西ローカルニュースを見て(聞いて)いたら、こんなアナウンサーの声が聞こえて来ました。

 

「大阪・羽曳野市の誉田(こんだ)八幡宮では今、来年の干支・サルのドレイ作りが、最盛期を迎えています。」

 

え!「サルのドレイ」!?

それって「猿の惑星」みたいな・・・あ、あれは、人間が奴隷になっていたんだった。

「サルのドレイ」って何なんだろう?サル回しのサルを飼育してるってことなのか?

そもそも、そんなニュース、流していいのか??と思いながら画面を見ると、映像では、

「サルの置き物」

を作っています。そう、もうお気付きですね、「ドレイ」は「奴隷」ではなく、

「土鈴」

でした!しかあしアクセントは「土鈴」も「奴隷」も同じ「平板アクセント」の、

「ド/レイ」

ですので、どうしても、そう、聞こえてしまいます・・・。

その後も、アナウンサーは、

「ドレイの置き物」

「ドレイは、鳴らしやすいように紐を通し」

「ドレイ」を連発。最後は、こう、締めくくっていました。

「ドレイは、2000個作られる予定です。」

あ、そうだ、

「恋の土鈴」

とか売ったら、儲かるんとちゃいますか?あ、広島で、

「鯉の土鈴」

なんていうのは、売れるんではないでしょうか??

・・・冗談はさておき、もしかしたら、私が聞き逃しただけかもしれませんが、最初のリードの所で、

「粘土で作った鈴=土鈴作りが」

というような言い換えの説明をしておけば、私のように、要らぬ「ドレイ(奴隷)妄想」に陥ることもなかったかな、と思いました。

 

(2015、12、9)

2015年12月10日 19:55 | コメント (0)

新・ことば事情

5923「『例年』と『平年』の違い」

 

12月7日の「ミヤネ屋」の放送前に、Nディレクターから質問が。

「暖冬で、野菜の値段が安くなっているという話題なんですが、原稿の中に『例年より安く』という表現と『平年より2~3割安く』という表現の『2種類』出て来るんですが、これは『例年・平年』の、どちらを使ったほうがいいんでしょうか?」

「うーん、似ているけど違うね。『例年』は『いつもの年』であり、これを使う場合は『例年、12月に行われる恒例のイベント』のように使うけど、『平年』は『平年12月に行われる恒例のイベント』とは使わないね。『平年』は『平=ならした=平均』という意味で、まさに気温などのデータを平均した場合と、もう一つは、『平=(何も)特別なことがない』という意味かな。ということで、今年の野菜の値段を比べるのであれば『データ』だから『平年』を使った方がいいのではないかな。それに対して、もし例えば今年は『柿』の生育が良くて、いつもの年より早く収穫しているということであれば『例年』を使って、『例年より早く収穫が始まった』などと使いますね、『平年』ではなく『例年』。」

と答えたら、Nディレクター、

「分かりました!では『平年』でいきます!」

と、編集室に走って行きました。

 

(2015、12、9)

2015年12月10日 16:54 | コメント (0)

新・ことば事情

5922「年パス2」

 

 

2013年2月に書いた「平成ことば事情4965年パス」の続編です。あれから早くも3年近くが経とうとしております。もう私は、「年パス」が、

「USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)の年間パスポートの略」

だということは知っていますが、それを知ってから、自慢じゃありませんがUSJには、

「一度も行っておりません。」

早く「ハリー・ポッター」を見に行きたいのですが・・・。

そうこうしているうちに、ついに「年パス」は、一般紙の「見出し」を飾るようになりました!2015年12月8日の産経新聞・夕刊(関西は「産経新聞」に「夕刊」があるんです、首都圏はないそうですが)の社会面に、こんな見出しが。

「USJ年パスで 繰り返し万引か~容疑の男逮捕」

「年パス」を万引したのではなく、「年パス」を「使って」、USJ内で万引をしていたというのです。記事によると、USJのグッズを万引した窃盗容疑で逮捕されたのは、28歳の朝鮮籍の男だそうです。この男は年間パスポートを使ってことし4月以降、USJに、

「27回も入園」

し、USJ関連グッズ508点、時価総額88万円相当を万引し、

「50万円以上もうけた」

と話しているそうです。

27回も入園したら、もう十分に元は取った・・・いや、そんな目的で入園したわけではないですよね。悪い奴だ。

しかし、よっぽど万引の手口が巧妙だったのか、はたまた警備が手薄だったのか、どうなんでしょうかね?

 

(2015、12、8)

2015年12月10日 12:00 | コメント (0)

新・ことば事情

5921「自称・ミュージシャン」

9月15日、JR山手線の施設への連続不審火事件で、野田伊佐也(いざや)容疑者(42)が逮捕されました。その際に、

「自称・ミュージシャン」

と紹介されていましたが、何となく、違和感というのではないのですが、ヘンな感じがしました。それがなぜなのか、考えてみました。

恐らく、逮捕された容疑者を紹介する際に、氏名の前に出て来るのは、

「職業」

ですよね。

「会社員」とか「市役所職員(公務員)「コンビニ店従業員」「自営業」「生花店勤務」「理髪業」「タクシー運転手」「スーパー店員」「書店員」「クリーニング店店員」「中華料理店経営」「大工」「塗装業」「左官」「プロ野球選手」「棋士」「新聞記者」「アナウンサー」「作詞家」「作家」「コピ-ライター」「建築士」「医者」「看護師」「政治家」「政治家秘書」「教師」「保育士」「警察官」「消防士」「農業」「林業」「漁業(漁師)」などなどですね。(順不同。思いついたままに)

当然「ミュージシャン」も「職業」です。

でも、「ミュージシャン」というのは、まあ、平たく言えば「ピンキリ」とも言えます。ほかの職業以上に幅が広く、

「ミュージシャンとして、食っていけているのか?」

というと、なかなか難しい。「食べていけない」という人も多いかもしれません。「食べていけないミュージシャン」は「プロ」と呼べるのか?そもそも「職業」とは何か?

もちろん、「職業」とは、

「その仕事のプロ」

ですが、では「プロ」と「アマ」の違いは、

「その仕事一本で、生活していけるのか?」

というところでいいのでしょうか?ただ、

「詩人」

という職業は、それだけで食っていけなくとも、「職業」として成り立つような気がしないでもありません。自分が「そうだ」と思えば、「自分の職業」は決まるものなのでしょうか?それとも、他者(世間・社会)からの「認知」がなければ、「その職業だ」と名乗ることはできないのでしょうか?

そうこうしていたら、12月8日放送の読売テレビ「かんさい情報ネットten.」で、

「自称・ラッパー」

というのが出て来ました。10月6日に、大麻取締法違反容疑で京都府警に逮捕されたのが、自称ラッパーの25歳の男だったのです。

と、この辺で「辞書」の定義を見てみましょうか。『精選版日本国語大辞典』で「職業」は、

「くらしをたてるために日常従事するしごと。なりわい。生業。職」

とあります。やっぱり「食っていけること」は、「職業」と呼ぶにあたっては「重要」なようです。

次に、「自称」もとても気になるので調べて見ましょう。

*『精選版日本国語大辞典』=「自ら称する事。実際はそうではないのに、あるいは、世間ではそう認めていないのに、ある身分、肩書、名前を持っていると自分で称する事。(例)自称大学教授、自称画家

*『明鏡国語辞典』=「真偽はともかく、自分から勝手に名のること。(例)自称デザイナー

*『デジタル大辞泉』=「自分から名のること。真偽はともかく、名前・職業・肩書などを自分で称すること。(例)流行作家を自称する男

*『新明解国語辞典』=(本当はそうではないのに)自分の事を自分で・・・だということ。(例)元社長と自称する男、自称詩人

*『新潮現代国語辞典』=みずから名乗る事。自分で勝手に称すること。(例)(花婿の)自称候補者の面々が(百面相)、当時はさまざまの型のマルキシストがゐたものです。堀木のやうに、虚栄のモダニテイから、それを自称する者もあり(人間失格)

*『岩波国語辞典』=自分で、自分はだれ誰(何々)だということ。自分で称すること。(例)自称天才▽多く、自分をほめる気持がある場合に言う。

*『三省堂国語辞典』=自分のことを自分でそう名のること。(例)自称カメラマン、弟子を自称する男

*『広辞苑』=自分から名乗ること。実体はともあれ、当事者が自分でこうだと称すること。(例)自称天才

 

やっぱり「自称○○○」という場合の「○○○」に入る職業は「胡散臭い」感じですね。いや、その職業が胡散臭いわけではないのですが、「自称」が前に付くと胡散臭く思えてしまいます。

「実際はそうではないのに」というあたりが「胡散臭い」「そうではない」ということは、「ウソ」なんですよね、やっぱり。

このところ、事件報道の容疑者の職業に「自称○○○」が、よく目に付くような気がするのはなぜか?考えてみました。

一つ目は、警察発表が「自称○○○」だから、そう報じられているのだと思いますが、警察は、容疑者本人の「自称」をそのまま発表しており、「本当の職業」が何であるのかを、きっちり調べていないのではないか?ということです。もし「自称ラッパー」でも、家計を支える仕事は「アルバイト」であれば、職業は、

「アルバイト(店員)」

などになるのではないでしょうか。また、特に仕事をしていないのであれば、

「無職」

ですね。もしかして「ラッパー」の仕事で食って行けるほどならば「自称」が付かない、

「ラッパー」

でいいのではないか?ここで二つ目の疑問が生まれます。(それと、「ラッパー」って「ラップミュージック」をする人だから、「ミュージシャン」でいいのではないか?という疑問も。なんか疑問だらけです。)

最近、事件の容疑者で「自称○○○」が目立つのは、「本人が思っている職業(○○○)」と、「社会的に認知されている職業・状態」との乖離が激しくなっているからではないか?また、その精神的な「ストレス」が、犯罪への誘因になっているのではないか?ということです。

国語辞典の用例で出ていた「自称○○○」の「○○○」という職業は、

「大学教授、画家、デザイナー、流行作家、元社長、詩人、天才、カメラマン」

等です。いずれも、社会的に尊敬されたり、憧れの職業です。しかし、そのほとんどは、

「医師や弁護士のような国家資格を必要としない職業」

でもあります。そういった職業に関して、

「『そうなりたい』という『強い願望』」

が、「自称」させていますが、もちろん、そんな職業に見合う力がない場合が多いので、「胡散臭く」感じさせるのではないか?ということです。

また「憧れの職業」なので、どちらかというと「横文字(カタカナ)」の職業が多いのも特徴かもしれません。

これら「自称○○○」の増加という「事象」から見えるのは「日本の現状」ではないかと感じました。当分の間、続きそうです。

なお、もう捨てようと思ってその前にたまたま読んだ『週刊文春』(2015年11月12日号)のコラム「町山智浩の言霊USA 第311回 Sophomonic(中二病)」で、「反ルノワール」を唱えて美術館などで抗議活動をしているマックス・ゲラー(33歳)という男を取り上げていますが、そのゲラーの「職業」を、町山さんは、

「市民運動家」

と書いています。町山さんのこの書き方は、

「『市民運動家』って『職業』なのか?」

というニュアンスが読み取れます。これも、

「自称・市民運動家」

なのでしょうね。

「平成ことば事情4617自称霊能者」も、お読みください。

 

(2015、12、8)

2015年12月 9日 20:19 | コメント (0)

新・ことば事情

5920「メートルとキロメートル」

 

12月8日の「ミヤネ屋」で、フェイスブックのザッカーバーグCEOが、5兆50000億円を寄付するという話から、世界の富豪についてパネルで紹介しました。その中でサウジアラビアの富豪が、「世界一高いビル」を建てるという話の中で、その「高さ」が、

「1キロメートル強」

という表現が出て来ましたが、これは間違い。

「高さ」は「メートル」で表しますし、「強」というのもそぐわない。これは、

「1000メートル超」

とすべきところです。パネルは直したんですが、スタジオ台本までは直せませんでした。

富士山の高さを「3,7キロ」とは言わないですよね。「3776メートル」と言いますよね。それと同じです。

同じ「メートル法」ですが、「高さ」と「距離」では微妙に使い方が違うという話でした。

 

(2015、12、8)

2015年12月 9日 15:29 | コメント (0)

新・ことば事情

5919「叩き出す」

 

 

11月24日の「ten.」で清水健キャスターが、ラグビー日本代表の五郎丸歩選手との対談を放送していました。"素"の五郎丸選手の姿が引き出された、良い対談だったと思います。

しかし、五郎丸選手の紹介VTRの中で、

「チーム最多の24得点を叩き出し」

という表現がありました。それを聞いて違和感が。

五郎丸選手の主な武器はペネルティーキックなどの「キック」です。もちろん「トライ」もありますが、いずれにせよ「ラグビー」の「得点」に、

「叩き出す」

という表現がふさわしいのかどうか。「得点」を「叩き出す」のは、

「野球」

なのではなでしょうか?「バット」で「叩き出す」のですよね。

「サッカー」や「卓球」でも「叩き出す」は合わないような気がします。

ただ、「陸上」や「水泳」などの「タイム」を競う競技では、

「記録を叩き出す」

と言いそうな気がします。そこからの類推で、「ラグビー」でも「叩き出す」を使ったのでしょうかね?

なぜ「記録」は「叩き出す」もOKなのか?うーん、そこは謎だ。

 

(2015、12、8)

2015年12月 9日 11:28 | コメント (0)

新・ことば事情

5918「『を輩出』か?『が輩出』か?」

 

先日の「新聞用語懇談会・放送分科会」の議題として、毎日放送の委員から、次のようなものが出されました。

『「優れた人材が次々と世に出る」という意味である「輩出」は、本来「ノーベル賞受賞者が輩出した○○大学」のように『自動詞』で使うが、最近『他動詞』として使われることが見受けられる。確かに『他動詞』としての使用を容認して載せている辞書もあるし、新聞協会の『新聞用語集2007年版』でも「有名な選手を輩出した学校」との事例が採択されている。毎日放送では、『他動詞』としての使用を認めていないが、『他動詞』としての事例を『新聞用語集』に掲載した経緯などをご存じなら教えてほしい。

<ご参考>

*『週刊新潮』新聞広告

『「北島康介」「田中理恵」「内村航平」

 五輪花形選手が輩出した「日体大」のカラ授業』(2014227日号)

『朝日新聞』『アエラ』本文事例

・年金局といえば、旧厚生省で多くの次官が輩出した本流だ。(201546号)

・ノーベル賞受賞者が輩出している名門・イタリア国立~大学(20154.13号)』

 

いやあ、気付かなかったなあ。「を輩出している」だと思っていました。

グ-グル検索では(9月14日)

「が輩出した」= 6万4400件

「が輩出された」=4万4600件

「を輩出した」=44万8000件

と、やはり「を輩出した」が「が輩出した」の「7倍ほど」使われています。「が輩出された」は「が」を使っていますが、意味上は「を輩出した」と同じですよね?

「した」「された」を取ったものでも、

「が輩出」=22万2000件

「を輩出」=82万3000件

と、「4倍ほど」「を輩出」が使われています。

用語懇談会の放送分科会では、

・『2007年版用語集』で「有名な選手を輩出した学校」との事例を採択したのは、すでに世の中では「他動詞」も認めているからではないか。先日読んだ井沢元彦の本にも「○○を輩出」(=他動詞)は出て来た。『明鏡国語辞典』も「自動詞・他動詞」両方を載せている。

・ここ5年の読売新聞の記事データを検索したが、本来の使い方である「自動詞」は20例しかなかったが、「他動詞」は500例近くあった。国語辞典では、昭和27年に出た『明解国語辞典』では「自動詞のみ」だが、昭和35年に出た『三省堂国語辞典』ではすでに「自動詞・他動詞」両方載っている。福沢諭吉も「不徳の教師を輩出している」と「他動詞」を使っている。この「輩出」の使い方で「誤り」とされるのは、「一人しか出ていないのに「輩出」とするケース。「たくさん出していること」が肝要。『朝日新聞』は誤りの例として「『一人輩出した』は間違い。『一人出した』とする」と載せている。また「本来は自動詞だが、最近は他動詞でも使われる」と記されている。辞書に載っているかどうかという基準もあるが、それで言うと『広辞苑』は、最近よく使われる「激励する」意味での「檄を飛ばす」を認めているが、新聞各社は認めていない。新聞は、世間の言葉の使われ方からは、一歩、下がってやっていく方針だ」

という意見が出ました。

(2015、12、8)

2015年12月 8日 21:25 | コメント (0)

新・ことば事情

5917「動物公園」

 

12月3日のNHKの正午のニュースで、和歌山・白浜町にある、

「アドベンチャーワールド」

で、双子のパンンダの赤ちゃん・桜浜(オウヒン)と桃浜(トウヒン)が、「1歳」の誕生日を迎えたと伝えていました。その際に、

「和歌山県白浜町の動物公園で」

とアナウンサーは読んでいたのです!

「動物公園」

って、たしかに間違いないんですが、「アドベンチャーワールド」っていうのは、

「固有名詞」「特定商品名」

に当たるから、言わないのでしょうか?

新聞各紙の12月3日の夕刊紙面を見てみると、こんな具合でした。

(読売)和歌山県白浜町の民間レジャー施設「アドベンチャーワールド」

(朝日)和歌山県白浜町の観光施設「アドベンチャーワールド」

(毎日)和歌山県白浜町の動物公園「アドベンチャーワールド」

(産経)和歌山県白浜町の「アドベンチャーワールド」

(日経)和歌山県白浜町のレジャー施設「アドベンチャーワールド」

と、絶鳴を付けて「アドベンチャーワールド」と書いています。「毎日新聞」が、NHKと同じように「動物公園」を使っていましたが、各紙とも「アドベンチャーワールド」という名前は、出していましたね。NHKは、なぜ出さないのかなあ。

「甲子園球場」

のことは、

「兵庫県西宮市にある野球場で」

とは言わないのに・・・。

 

(2015、12、7)

2015年12月 8日 16:14 | コメント (0)

新・読書日記 2015_172

『昭和元禄 落語心中(5)』(雲田はるこ、講談社:2014、2、7第1刷・2015、8、4第4刷)

 

 

漫画です。落語も好きだけど、落語を描いた漫画も、結構、昔から好き。これは、女性が描いているんだけど、ベースに「人情話」がある感じがして、好きです。見かけたら買って読むようにしてるんだけど、なかなか見かけなかった。たしか以前、1~3巻を読んだけど、どこまで読んだか全然覚えていなくって、5巻だけ買って読みました。途中から読んでも、大丈夫でした。

 

 

 


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(2015、12、6読了)

2015年12月 8日 11:45 | コメント (0)

新・ことば事情

5916「無事捕獲」

 

 

12月2日、大阪の繁華街にサルが出没したというのがニュースになりました。15時間にわたる大捕り物で、サルは捕獲されたのですが。その際のニュースのスーパーとコメントが、

「サルを無事捕獲

「サルが無事保護されました」

でした。これに違和感がありました。一体、誰が「無事」なのでしょうか?サル?

なぜ違和感があるかと言うと、普通、

「無事救助」

という場合は、「救助」された「対象者」が、「無事」であるということです。この場合、「捕獲」とあるので、「無事」の対象は「サル」になるのですが、サルの安否を気遣う必要があるのか?動物愛護の精神から言うと、それは正しいのでしょうけど。

本当に言いたかったのは、きっと、

「サルが、人間に危害を加えることなく捕獲された」

つまり、

「周囲の人間が無事」

で、サルが捕獲されたということですね。その場合も「無事捕獲」と言うのかなあ。疑問です。

 

(2015、12、7)

2015年12月 7日 22:33 | コメント (0)

新・読書日記 2015_171

『BLUE GIANT 7』(石塚真一、小学館:2015、12、5)

 

発売は「11月30日ごろ」と予告されていたので、前日に「29日」に書店に行ったら、「入荷は30日、あしたですね」と言われ、「翌30日」にまた本屋さんに行ってゲットしました!

連載も読んでいるので、ほぼ記憶のままで、その意味ではそれほど新鮮さは無かったのですが、ドラムの素人の男の子が成長してきているなあというのが、通して読んだ印象。巻末の「おまけ」も、何十年後かの「ドラムの彼」へのインタビューになっています。第7巻の主人公は「ドラムの彼」だね。(名前、忘れた。)

また、著者の石塚さんが、ハービー・ハンコックなど世界的なジャズプレーヤー2人に、50分間インタビューした様子も「おもけ」で載っていて、「お得感」満載です!

 

 


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(2015、12、5読了)

2015年12月 7日 21:01 | コメント (0)

新・読書日記 2015_170

『損したくないニッポン人』(高橋秀実(ひでみね)、講談社現代新書:2015、9.20)

 

この著者(私と同じ1961年生まれ)のルポと言うか、取材して書く「ノンフィクション」は、「バラエティー」的要素もあっておもしろい。文体も。「わからない」ことを武器に、臆せず、どんどん「わかっている人」に聞いていく。「インタビュー」の原点である。『弱くても勝てます』も面白かったし(それを原作とするドラマは、あまり数字を取れませんでしたが・・・)、『男は邪魔!』は快著だった。(もう2年前になるのか、出たのは。)『素晴らしきラジオ体操』は買ったけどまだ読んでいないが、着眼点が素晴らしい。それ以外の作品も、とっても興味深い。

過去に何冊か読んだ中では、この本は「まあまあ」という感じ。私にとっては"絶賛"というほどではない。(ゴメンナサイ。)それは、私がそれほど強く「損したくない」とは思っていないからかもしれない。「損して、得とれ」という言葉もあるように、必ずしも「毎回、得をしなければならない」という意識は、比較的低いのだ。そういった意味で、面白みに欠けた(私の、この本に対する適性が?)のかもしれない。

それでも、この本の帯の後ろに書かれている「損したくないニッポン人とは?」で挙げられている特徴17個(チェックボックスまで、ついている!)のうち、いくつかにはチェックが入ってしまう・・・あ、いや、本当は2つしかチェックが入らなかった。やっぱりこの本に出て来る「ニッポン人」とは、あまり共感部分がなかったということか。

 


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(2015、11、15読了)

2015年12月 7日 17:59 | コメント (0)

新・読書日記 2015_169

『現代用語の基礎知識2016』(自由国民社:2015、11、11発売!)

 

 

1948年の創刊から68年!今や「紙の本」でこの手の現代用語辞典は、『現代用語の基礎知識』だけです!【宣伝】すでに11月11日に発売され、本屋さんに並んでいます。表紙の色が「白」というのは、意表を突かれましたが、私の好きな「キラキラのラメ」が入っているのが、うれしい!

なんでこんなに宣伝するかと言うと、私もこの本に「3ページ」ほど「日本語事情」について書いているからです!今年で11年目になります。後ろの方にちょこっとですが。ぜひ、お読みください!それにしても年々、執筆ページが減っているのは残念です。まあ、多すぎると書くのが大変なのですが。

なお、この『現代用語の基礎知識』の「販売促進イベント」として始まり、すっかり日本の年末の風物詩として定着したのが、12月1日発表の「流行語大賞」です。ご存じでしたか?皆さん、ぜひ『現代用語の基礎知識』を"爆買い"してください!!

 

 


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(2015、11、7に届きました)

2015年12月 7日 14:57 | コメント (0)

新・ことば事情

5915「火が付くか?火が着くか?」

 

いつも悩む「漢字の書き分け」があります。

「火が付く」

なのか、それとも、

「火が着く」

なのか?あるいは、常用訓ではないですが、

「火が点(つ)く」

というのもある。使い分けは?という問題です。

 

「放火」の場合の「火付け」は「付ける」を使うと思いますが、「着火」という言葉もあるので「火」は「着ける」なのかな?とも思いますし、いつもなんかスッキリしません。

しかし、きょう考えていたときに、ハットとひらめきました。

「頭の中の灯(ひ)が点いた」

状態です。つまり、

 

*「動作」としては「火を付ける」

*「状態」として「火が着く」

*その「結果」として明るくなる状態が「火が点く」

 

ではないでしょうか!?これはしっくりいきます!よっしゃー!

「平成ことば事情4335『身に"着く"か?身に"付く"か?』」もお読みください!

 

(2015、12、2)

2015年12月 7日 12:20 | コメント (0)

新・ことば事情

5914「バリバリ中田」

 

 

テレビを見ていたら、ある人物を紹介した際に、スタジオの出演者が、ちょっと「関西風アクセント」でこう言いました。

 

「バリバリ中田じゃないですか」

 

なんだ、その、

 

「バリバリ中田」

 

って???と思って、「約0、5秒」で謎が解けました。

 

「バリバリな方」

 

だったんですね、「中田」じゃなくて。

ローマ字で発音を確認すると、

 

「バ/リバリ\ナカタジャ・ナ\イデスカ」

 

この「なかた」が、「中田」に聞こえたんですね。ああ、ビックリした!これが「標準語(共通語)アクセントならば、

 

「バ/リバリナカタ\ジャ・ナ\イデスカ」

 

となって「中田」に聞こえることは、

「なかった」

と思いました!

 

(2015、12、1)

2015年12月 6日 12:18 | コメント (0)

新・ことば事情

5913「超食べ放題」

 

テレビを見ていて目に入って来たコマーシャルで、こんな言葉が出て来ました。

 

「超食べ放題」

 

あれ?「食べ放題」って、「放題」なんですよね?それに「超」が付くってどういうこと?過剰なのでは?と思って、隣りの席、Iさんに、

「どう思う?」

と聞いたところ、

「う-ん、大体『食べ放題』って、『時間制限』があるじゃないですか、『2時間』とか。それを超えてもいいということじゃないですか?」

「あ、そうか、3時間とか4時間とか?」

「いえ、『時間制限なし』とか」

「なーるほど!」

ポン!納得。

 

「超」に関しては、このブログ「平成ことば事情」の「第1回」の「ことばの話」で、

「超永久保存版」

について書いていますので、そちらもお読みください。

書いたのは「1999年4月15日」でした。

 

(2015、12、2)

2015年12月 5日 12:17 | コメント (0)

新・ことば事情

5912「雨模様2」

 

 

去年の3月に書いた「平成ことば事情5412雨模様」の続編です。(短いけど)

その後も、本来の意味の「雨模様」ではない意味で、よく使われています。お天気の専門家、気象予報士の蓬莱さんも、よく、新しいほうの意味(既に降っている)で使っています。なぜ、気象予報士まで、雨が降っているのを「雨模様」と言ってしまうのか?について考えたところ、ひらめきました!おそらく、

 

「空模様」+「雨」→「雨模様」

 

となったのではないでしょうか?

 

(2015、11、30)

2015年12月 4日 11:16 | コメント (0)

新・読書日記 2015_168

『京都ぎらい』(井上章一、朝日新書:2015、9.30第1刷・2015、11、20第5刷)

 

 

売れています。発売2か月で5刷です。

京都出身の著者。しかし、京都と言っても「嵯峨野=洛西」出身なので、「本当の京都人=京都の中心部で生まれ育った人たち」から、「田舎者扱い」され差別されてきた、とまあ、ひがんでいる。だから、全国的に見れば、紛れもない「京都人」なのに、「本当の京都人」に対する対抗心や嫉妬心、今に見ておれ!という気持ちが常にある。その思いを書いたもの。「京都人」とつきあったことのある関西人なら、「ああ、わかるわかる!」と思えるだろうが、全国の他の地域の方に、わかるだろうか?と少し思ったが、おそらく全国至るところの「○○人」の「本物」とその周辺の「偽物扱いされる人」とういう構図はあるんだろうなと納得した。

それとは関係なく、和語を平仮名で書かれると読みにくい。そういう「こだわり」も、京都以外の地域から見ると「京都人」に思えるのだが・・・。関係ないか。(ときどき、「和語」を全部「平仮名」で書く人がいますが、そういう文章を読むと「和語か?漢語か?」が気になってしまって、文章の内容が頭に入って来にくくなるのですが・・・)

 

 


star4

(2015、11、23読了)

2015年12月 3日 12:31 | コメント (0)