Top

『道浦TIME』

新・読書日記 2015_162

『日本戦後史論』(内田樹&白井聡、徳間書店:2015、2、28第1刷・2015、3、20第4刷)

 

 

ベテランの論客・内田樹と、新進気鋭の論客・白井聡の対談集。あまり意見の相違はないので、方向性は同じなんだけど、親子ほど年が離れているので、世代間での捉え方の違いのようなものが少し感じられた。

白井の「永続敗戦レジーム」は、読んだが、難しかった。しかし、この対談集を読んで、少し理解が進んだ気がした。白井が「永続敗戦論」を書くきっかけになったのは「東日本大震災」。その以前から、この国にはずいぶんおかしなところがあるとは思っていたが、こんなにスカスカだったとは・・・と思い、その原因を突き詰めていくと「エリート層の劣化」に行き着く。そしてその原因は結局「いい加減な敗戦処理」にたどり着くという。

また、二人は、「右傾化と金儲けの親和性」についても述べている。これは「なるほど、たしかに」と思われる部分が多い。これまでも言われていることだけど。また、内田の発言、

「民主主義というシステムは意思決定に時間がかかるんですよね。それが経済活動においては障害になる。だから、すべての社会制度から民主制の残滓を一掃したいというのがグローバリストの夢なんです。でも、デモクラシーというのは原理的に物事の決定を遅らせるためのシステムであって、てきぱきと最適解を出す仕組みじゃない。意思決定が遅いので、民主主義体制では国が亡びるときも緩慢にしか滅びない。逆に独裁システムは急成長する代わりに、一夜にして滅びる。そういうものなんです。原理的にどちらがいい悪いということはない。」(59ページ)

ここまではそうだと思うのですが、続きには、ちょっと異論が。

「でも、国のかたちとしてどちらが望ましいかというと、ゆっくりとしか『いいこと』が起きない代わりに、『悪いこと』もゆっくりとしか起こらないというのは、その国の中で生き死にする生活者としてはより『まし』だと思うんです。」

これは前提条件が、遅かれ早かれ「滅びる」になってしまっているところが後ろ向きだと思います。ちょっとおかしい。これだと結局、今までのような「先送り」にしてしまうのではないか。それがダメということで、今いろいろやっているのに。急進的にやるのは、私もダメだと思いますが、ちょっとここは違うなあ。そのほか、

*(内田)「デマってその人の無意識の欲望ですからね」(224ページ)

*(白井)「永続敗戦レジームの内部では、いわば微温的に、穏当に、敗戦の否認ができた。(中略)このような微温的な敗戦の否認の世界に自足していることはできなくなった。そこから生み出されるものがもちろん歴史修正主義です。最近のトピックスでその欲望がいちばん強く出たのは、慰安婦問題報道をめぐる朝日新聞叩きでしょう。(中略)歴史についてきちんと認識するとか、反省するということ自体が日本人の誇りを傷つけることなんだという、果てしない拡大解釈が起きている。(中略)そして、こんな主張をまかり通らせれば、国際的孤立、破滅的事態に進んでいくことになる。自己破壊衝動ですね。」(226ページ)

*(内田)「時間が経てば、必ず隠蔽された歴史的事実は暴露されるんです。このことに例外はない。隠蔽された真実は『膿む』からです。ツルッとした表層の下で、ずっと傷口から血膿が流れ続けているから、隠蔽物の隙間から悪臭が発してきて、ある日、皮膚を破って『恐ろしいもの』が露出してくる。今、フランスであれだけ移民の問題や貧富格差の問題や極右の進出が起きているのも、元を辿ればフランスなりの『敗戦の否認』の帰結なんです。」(228ページ)

このあたりは「文学者」の比喩表現だなあ。

*(内田)「今でもヴィシーのことはフランスではタブーでしょう」(230ページ)

*(内田)「『自由・平等・博愛』ではなく、ヴィシーが掲げた『労働・家族・祖国』はそのまま今の極右のスローガンですから。」(233ページ)

第二次世界大戦でパリ陥落後、ナチス・ドイツ下で成立したヴィシー政権(1940~1944年)は、フランス人にとっては、未だに「恥」だと。フランスは一度「ナチス・ドイツ」に敗れている(パリ陥落)ので、他のイギリスやアメリカのような連合国側の国とは、立脚点が違うと。それなのに、「最初から戦勝国」の殻をかぶって「敗戦を否認」しているので、その内側が膿んで来ると。その「膿」が、現在の移民の問題などにつながっているという主張です。たしかに「一度、敗れている」のは知識としては知っていましたが、そういうふうに考えたことはなかったなあ。

今回、ちょうどこの本を読んでいるときに思い出したのは、少し前に、

「日本は、第二次世界大戦(日中戦争)の敗戦国として、70年経っても、国交回復したはずの中国や韓国にいまだに色々と文句を言われるのに、同じ第二次世界大戦の敗戦国のドイツは、なぜ特に何も言われないのか?」

という質問を受けたことでした。たしかに。どこが違うのか?考えました。

日本とドイツの違い。それはやはり、

「天皇制が残ったこと」

でしょう。ドイツは、死んだ「ヒットラー」と「ナチス」に全ての責任を(ある意味)押し付けました。そして国民・国土も、1990年まで45年間、東西に分断されるという「敗戦の責任」を取らされたのです(東ドイツ・西ドイツ)。

日本は、国土も分断されなかった(沖縄は取られたが、1972年に返還。しかし"基地"の土地は、引き続きを提供することにはなったのは、皆さんご存じのとおり)し、「天皇制」(=国体)も希望通り残った。これは戦勝国・アメリカ側も、戦後の日本の混乱や共産化を防ぐために「国体護持(天皇制の維持)」を認めたということもある。このことが、中国や韓国側から見ると「日本は、戦争責任をあいまいにした」ように感じるのではないでしょうか。白井の言う「永続敗戦レジーム」「いい加減な敗戦処理」とは、間違いなく、

「天皇制と、それにまつわる諸々の事情や感情」

を指していると感じました。

本は、字が大きいので読みやすかったです。色々と考えるきっかけを与えてくれる対談本でした。

 


star4

(2015、10、21読了)

2015年11月17日 21:20 | コメント (0)