新・読書日記 2015_155
『東京零年』(赤川次郎、集英社:2015、8、10)
赤川次郎の本を読むのは、いつ以来だろう?高校から大学生時代「三毛猫ホームズ」シリーズをはじめ、随分読んだ。段ボール箱に2箱ぐらいは読んだ、200冊ぐらいあったのではないかな?
新聞の書評欄で見て、久々に読んでみた。特にこの「零年」という言葉に惹かれて。これ、「ゼロネン」でいいのかな?それとも「レイネン」かな?と思って本の奥付を見たら、
「ぜろねん」
でした。ちょうど500ページの長編小説だが、一気に読ませる。
記憶に残った(メモした)部分を抜粋する。
*「優しさは大切だけど、この世の中を動かしているのが誰なのか、そしてその人たちが日本をどんな社会にしたがっているのか知る必要がある。言い換えれば、知らないことは罪なの」(181ページ)=ヒロイン・亜紀の言葉。
*「今、TVで新聞も、警察発表以外のことは一切報道しない」(218ページ)=デモの話。生田目検事が永沢にデモをコントロールしろと。
*「結果さえよければ手段は二の次。その言葉で、今までどれだけの悪が見過ごされて来たか」(257ページ)=これなんか、全ての政党に「それでいいのか!!」と問いたい。
*「やり過ぎれば、必ず反動が来る。もともと日本を警戒していた国ももちろんだが、同盟国もだ。一旦走り始めると止まらない日本の性格を分かっているからな」(307ページ)=湯浅の言葉。
*「確かに日本がこのまま警察国家になって行くことを、アメリカなどは快く思っていない。もとはといえば、アメリカ追従の政権が続いたせいなのだが、日本は形だけでも民主主義が機能しているようにみせることさえしなくなっている。」
「番犬が狂暴化して飼い主にかみつきかねないってところだな」(307ページ)
*「でも、人ひとり、死んでるんだもの」
「人の命なんて、今の政権にとっちゃ鳥の羽より軽いさ」(351ページ)
小説なので、登場人物の言葉も、作家の言葉の代弁。そう考えると、赤川次郎をしてここまで言わせるしかない今の日本の現状、集団的自衛権の行使に進んだ安倍政権に対する「抗議の声」が、この小説と言えるのではないか。
警察国家・ファシズム国家・戦争をする国家へ向かう日本の現状を小説にしたというように感じた。そのほか、気付いたことで言うと、
・「自称アーティスト」ってなんかちょっと怪しい感じがします。
*「井筒隆一という意男です。三十一歳で、自称アーティストだそうですが」
・これは「射った」より「撃った」のほうがいいかなと思いました。
*「父が湯浅を射った、と思われても仕方なかったからね」(293ページ)