新・読書日記 2015_145
『フランス流テロとの戦い方~全仏370万人「私はシャルリ」デモの理由』(山口昌子、ワニブックスPLUS新書:2015、4、25)
ことし初めにフランスで起きた、新聞社「シャルリ・エブド」襲撃事件。アリジェリアからの移民でも、二世・三世はフランス生まれなので「フランス人」。それなのになぜ「テロ犯」になったのか?なぜ、こういったテロ事件が起きたのか?そして、その後に「私はシャルリ」と書かれたプラカードを持った人々のデモが湧き起こったのか?その背景を、フランス在住数十年のジャーナリスト(元・産経新聞パリ特派員)が記す。大変勉強になった一冊。
新自由主義の下で誕生した極端な「格差社会」。そんな中で、元植民地・アルジェリアからの移民を受け入れて来たフランスだが、ここ10年、そういった移民の「同化政策」が失敗した。この二つが、今回の事件の背景にあるという。著者はこう言う。
「『私はシャルリ』によってフランスの『国のかたち』が浮かび上がった。『シックでエレガント』『シニックで老獪』といった『おフランス』のイメージとはおよそかけ離れた、強固で強靭で頑固で、あきれるほど自尊心と自負に富んだ『国のかたち』」。
だからこそ、敵を作りやすいのだが・・・・。
具体的な「足音」としては、フランスでは2004年に「スカーフ禁止法」、2010年に「ブルカ禁止法」という法律が制定された。「スカーフ禁止法」の正式名称は「宗教色の強い服装やシンボルの着用を禁止する法律」。イスラム教徒だけが対象ではない。ユダヤ教の帽子「キッパ」や、キリスト教徒の「大型の十字架」も、公共の場での使用は禁止されていたが、イスラム教徒はこれに反発した。そもそも、なぜスカーフなどを禁止したかというと、フランスの革命以来のテーゼ「自由・平等・博愛」の精神に基づくもの。
・「自由」=宗教的規律から解放される自由
・「平等」=宗教的外観から無縁
・「博愛」=信仰とは無関係な空間を構築できるから
ということらしい。フランスは現在、530万人が移民、670万人が移民2世・3世で。合計1200万人で、これは全人口の19%にあたる(うち8%がアラブ系)。そして、新生児の28,2%が、少なくとも両親のうち1人は外国生まれ(うち24,7%はEU以外の国)だそうだ。つまり10人に3人が「ハーフ」。これだと「ハーフ」はそれほど特徴にはならないかも。
また、フランス人の65%はカトリックで、イスラム教徒は7%、プロテスタントとユダヤ教が各1%。カトリックでは離婚は認められていない。これも、もしかしたら「結婚せず事実婚が多い理由」かもしれない。
そして「なぜ、『シャルリ・エブド』が狙われたか?」だが、元々「シャルリ」の「風刺」は、かなりどぎつく、万人から受け入れられていたとは言い難い。日本の福島第一原発の事故に関しても、放射能を揶揄したイラストを載せたりしていた。2006年にムハンマドの風刺画を載せたことで、イスラム過激派の激しい憎悪対象となっていたのだ。
しかし、フランス国民は、「シャルリ」を支持した。「シャルリ」は、テロリストの「死の脅迫」に対しての「自由」を守るために敢然と戦った、フランス人の鑑であり手本だと。だからこそ「私はシャルリ」のプラカードが出て来たのだ。
ドイツも、1963年6月26日に当時のケネディ大統領が冷戦下のベルリンにおいて、「私はベルリン市民だ」と演説したことがあったので、今回の「私はシャルリ」に対する共感が強かったという。
そういった「全体の輪郭」がよく分かった一冊だった。
しかしこの本、残念なことに、簡単な誤植が多い。チェック体制はどうなっているのか?
読み始めて2ページ目に、
×「アパートの二、三件先では」(4p)→○「アパートの二、三軒先では」
という変換ミスがそのままだし、
×「不問に伏そう」(98p)→○「不問に付そう」
×「フランス人の鏡であり手本」(98p)→○「フランス人の鑑であり手本」
×「弱わ気」(99p)→○「弱気」
増刷されるときには、直してほしい。