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『道浦TIME』

新・読書日記 2015_141

『資本主義の「終わりの始まり」~ギリシャ、イタリアで起きていること』(藤原章生、新潮選書:2012、11、20)

 

 

どうもこのところ「資本主義が行き詰まっていること」が気にかかる。そんな大上段の話をしても・・・とも思うが、ふと気が付くと購入して読んでいたのがこの本。読み終わってから、「2015読書日記140」で読んだ『資本主義の終焉と歴史の危機』(水野和夫、集英社新書)と、とってもタイトルやテーマが似ているということに気が付いた。まあ、3年前に書かれてはいるんだけど。

『資本主義の終焉と歴史の危機』は「終わりだよ、危ないよ!」と警鐘を鳴らしていたが、この本ではその解決策として、今の資本主義社会(新自由主義経済)では「落第者・落伍者」と見られている「ギリシャ・イタリア」という南欧系の国の生き方に、解決の糸口があるのではないか?と提唱している。

著者は、私と同い年の1961年生まれ。北海道大学を出て、住友金属鉱山の技師を経てから毎日新聞記者になったという変わり種(でもないか。)。アフリカ特派員、メキシコ支局長を経てローマ支局長を務めている。

イタリアの映画監督「テオ・アンゲロプリオスの死」から話は始まる。哲学者のようなこの映画監督が話していた内容は、

「いまは、これまで私が生きて来たギリシャの歴史の中で最も悲劇的な時代だと思う。(中略)いまが最も悲惨なのは、歴史的展望がないからだ。私達は、いわゆる未来についての手掛かりを持てない時代に生きている。誰もが昨日今日のことを語るが、そこには歴史的な展望とよばれるものはない。」

「いま話した"歴史的な展望"というのは未来を見通す政治という意味だ。つまり、私達はより良い世界を目指し、努力しなくてはならないのに、経済問題を解決することばかりに躍起になっている。」

「私たちはいま、大きな待合室にいるのだと思う。部屋の奥には扉がある。その扉が開くのか、その向こうに何があるのかを誰も知らない。では、どうしたらいいのか。終りのないチェスをしコマを動かすことしかできない。そこに勝者はなく、みな敗者となる。そして、扉が開くのをただ待っている。繰り返そう。いつ扉が開き、その向こうに何があるのかは、誰も知らない。」

というような「哲学的」な言葉。わあ、なんてミステリアスな!これが、この本のキーワードだな。

そして、関西空港の設計者として関西人にも有名な、イタリアの世界的建築家、レンゾ・ピアノ氏の言葉も出て来る。

「私は技術を信奉しているが、社会を脅かし傷つける秘術は支持しない。技術にはいい技術と悪い技術があり、原発はやはり後者ということが明らかになった。私は自分の中の一面を『日本人』だと思っている。日本人と交流することで、私は彼らの素の姿をつかんだ。だから、『日本人』として、以前から原発のことが心配だった。それでも原発をうまく使いこなせるのは、日本人くらいだと常々語って来た。私が関西国際空港を建設した三十八カ月の間、三十二回の小規模地震があった。それでも五千人の関係者が誰も死ななかったのは、彼らが日本人だったからだ。日本の技術管理はずば抜けたものだといまも思っている。」

私は「良い技術と、悪い技術がある」というくだりには、賛同できない。技術そのものに善悪はなく、それを使う「人間」によって左右されるのだと思う。

しかし、こうまで信用されていたのに、地震・津波によって福島の原発事故が起き、それから4年半たって、横浜のマンションの杭の問題とか出て来て、更に原発の再稼働まで始めた。これは、レンゾ・ピアノ氏がいう「日本人」とは、「違う種類の日本人」なのではないか?

この本は刺激的で、上質なミステリ-を読んでいるような感じがした。

 

 


star4

(2015、10、11読了)

2015年10月26日 18:24 | コメント (0)