新・ことば事情
5864「一億総活躍社会」
安倍首相が、自民党総裁再選後に言い始めた、
「一億総活躍社会」
というキャッチフレーズ。
たしかに、国民みんなが活躍できる社会は素晴らしいかも知れません、国民みんなが活躍できない社会よりは。
しかし、この、
「一億総○○」
という言葉は、戦時中の、
「一億総火の玉」
や、敗戦後は手のひらを返したように、
「一億総懺悔(ざんげ)」
であり、高度経済成長時代の社会情勢を指した
「一億総中流」
や、ジャーナリスト・大宅壮一がテレビの普及でテレビばかり見ている人が増えたことを揶揄(やゆ)した有名な言葉、
「一億総白痴化」
というイメージがあります。そして言葉通り正に、
「全員が一丸となって頑張る」
イメージがあります。「戦時中」となんら、変わりがありません。つまりこれは、
「ファシズムを象徴する言葉」
なのではないでしょうか?「ファッショ」は「束ねる」という意味ですしね。
「一億総○○」を標榜する社会では、個人個人の自由や意思は、無視されることでしょう。もし、「一億総○○」の方向性とは違うことを、
「私は、こうやりたい」
と言うと、
「勝手なことを言うな!」
「みんながこうやろうとしているのに、なんで邪魔するんだ!」
と言われることでしょう。そして、その後に続く言葉は、
「非国民」
です。だって「一億(=国民)総○○」から外れるんだから。
これって、「よいこと」なんでしょうか?大いに疑問です。