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『道浦TIME』

新・ことば事情

5883「受刑者か?元被告か?さんか?」

 

10月23日の「ミヤネ屋」で放送した、20年前に大阪市東住吉区で起きた放火殺人事件で「無期懲役」の判決が出た2人の受刑者に、「再審決定」と「処分の停止(=釈放)決定」が出たニュースでも、受刑者だった2人の肩書をどうするか?という問題が出て、読売テレビ報道局では、

「さん」

という敬称を付けました。系列のキー局『日テレ放送用語ガイド2011』の「事件報道での加害者の呼称」には、「服役中の再審決定」の場合は、

「受刑者または死刑囚」

となっていますが、今回は「処分の停止(=釈放)」の決定も出ています。「無罪推定が強いから」ということでしょうが、同ガイドによると、「釈放」の場合は、

「肩書または敬称」

になっています。「釈放」は「まだ」(=来週月曜14時の予定)ですが、「釈放決定」は「釈放」に準じるという判断からです。

ちなみに、私がチェックした範囲で他社は、

(NHK)受刑者

(MBS)元被告

でした。

10月23日の新聞の「夕刊」を各紙見てみたところ、

(読売)受刑者

(朝日)元被告

(毎日)元被告

(産経)元被告

(日経)元被告

と「読売」以外は全て「元被告」でした(TBS系列と同じ)。

週が明けた10月26日、お昼の各局のニュースを見ると、NHKでの肩書が「受刑者」から「元被告」に、MBSも「元被告」から「さん」に変わっていました。ytvは「さん」のままです。

(NHK) 元被告

(MBS) さん

(KTV) 受刑者

(ABC) 元被告

でした。NHKは、翌日27日に「さん」になり、読売新聞は27日朝刊で「おことわり」を出し、「両受刑者は、刑の執行が停止されたため。元被告とします」としています。

 

(2015、10、27)

2015年10月29日 22:01 | コメント (0)

新・ことば事情

5882「ピストリウス受刑者か?氏か?」

 

 

10月21日の「ミヤネ屋」の放送で、南アフリカの義足のランナーで、恋人を誤って射殺してしまったとして「6年の禁錮刑判決」を受けた、

「ピストリウス受刑者」

「仮釈放」されたというニュースを放送しました。その際にディレクターから、

「『仮釈放』されても『仮』ですから、やはり『受刑者』を付けるべきなんでしょうか?」

と聞かれました。

系列キー局の『日テレ放送用語ガイド2011』の「事件報道での加害者の呼称」という欄を見たところ、「収監中」はもちろん、

「『受刑者』または『死刑囚』」

となっていましたが、「仮釈放」の場合「公人格」がある場合は、

「敬称か肩書」

になっていました。「私人」ならば「匿名」です。

それに従って「ピストリウス受刑者」ではなく、

「ピストリウス氏」

と「氏」を付けて放送しました。

これは「釈放」の場合と同じ扱いです。

 

(2015、10、23)

2015年10月29日 16:00 | コメント (0)

新・ことば事情

5881「ハーフ」

 

<もう、8年前に書きかけて、そのままだったものです。>

 

また、2007年1月29日の読売新聞朝刊(大阪本社版)に『実力派シンガー』の

「クリスタル・ケイ」

のインタビュー記事が載っていました。

彼女のことは名前ぐらいしか知りませんが、アメリカ人と日本人の「ハーフ」なんですよね?見た目は「黒人」系統に見えました。『ウィキペディア』によると、

「ニューヨーク出身でベーシストであるアメリカ人の父と、在日韓国人シンガー、shunkay(シュンケイ)との間に1986年2月26日に生まれる。」

とあります。ありゃ?ということは「ハーフ」としても「韓国人」と「アメリカ人」の「ハーフ」なのか?

読売新聞の記事によると、

「米国籍の彼女にとって」

「横浜の出身で日本で育ったが、父の国・アメリカでは、飲酒などが許されるのは21歳から。米国籍でもあるクリスタルさんは...」

というような表記がありました。なかなか複雑です。

いずれも「ハーフ」という言葉を使わずに表現しようとしています。かなり苦労しているような感じはしましたが、「ひと言」で言わなければ、多様な表現方法があるなと思いました。

 

それから8年たって、2015年10月17日放送の読売テレビの制作番組『特盛!よしもと 今田・八光のおしゃべりジャングル吉本』で、

「ハーフタレント特集」

を放送していました。司会は、今田孝司と月亭八光。パネルには「ハーフ」の文字が満載で、しゃべり中でも何の特別扱いされることもなくもなく「ハーフ」という言葉を使っていました。ゲスト出演者は月亭八方、シルク、海原やすよ・ともこ、入江慎也、渡辺直美、植野行雄(デニス)、藤田ニコルと芸能リポーターの中西正男の皆さん。この中の渡辺直美、植野行雄(デニス)、藤田ニコルが、いわゆる「ハーフ」です。

ハーフの芸能人が集まる「ハーフの会」というのがあるそうで、発起人はシェリー。芸能リポーターの中西さんが、

「台湾人のハーフ」

と言っていました。(「台湾人」というのも微妙な表現です。)

山本アナウンサーのナレーション(原稿)でも「ハーフ」と読んでいました。

渡辺直美の母が"台湾人"ということで、直美ちゃんが「台湾のハーフ」。

その後「4分の1」(祖父母のいずれかが外国人)のケースとして、

東山紀之は、祖父がロシア人なので「ロシア人のクォーター」と。仲里依紗は「スウェーデン人のクォーター」。大島優子は「アメリカ人のクォーター」。

また、「あの人気芸人にも外国人の血が」という惹句で取り上げられていたのが、ブラマヨ(ブラックマヨネーズ)の小杉竜一。高祖父(こうそふ=ひいひいおじいちゃん)がアメリカ人なのだそうで、「16分の1」がアメリカ人だそうです。

うーん、もう「ハーフ」という言葉も、少なくとも「バラエティー番組」では問題ないのかなあ。

「平成ことば事情1784 ハーフ・アメラジアン・国際児」もお読みください。

 

(2015、10、19)

2015年10月29日 11:58 | コメント (0)

新・ことば事情

5880「3兄妹」

 

 

10月7日の日経新聞夕刊に、「作曲家の千住明さん」が音楽活動30周年を迎え、記念演奏会を開くという小さな記事が載って今七田。千住さんと言うと、お兄さんが「日本画家の千住博氏」、妹が「バイオリニストの千住真理子さ」んと、「芸術一家」として知られていますね。

記念演奏会では、お兄さんが映像担当で、妹がバイオリンで参加して、3人が「そろい踏み」ということになるそうです。それを表した見出しが、

「30周年記念公演で3兄妹共演」

この中の、

「3兄妹」

に注目しました。これは明らかに、

「きょうだい」

と読ませようとしています。というか、

「男女合わせて3人のきょうだい」

ということを、端的に表そうとしています。しかし普通に読むと「3兄妹」の「兄妹」は、

「あにいもうと」

となってしまいます。

このことに関して、ことし(2015年)の2月に開かれた新聞用語懇談会放送分科会で、私から各社の用語委員に、どう対応しているのかと、こんな質問を出しました。

『「きょうだい」の表記についてですが、「ナッツリターン事件」の大韓航空の前副社長は「長女」で、「弟」と「妹」がいますが、こういったケースで「3人きょうだい」を指す漢字表記は、「3(人)兄弟」としますでしょうか?それとも「3(人)姉弟」でしょうか?また、「2人きょうだい」で「兄と妹」「姉と弟」の場合は、「2人兄妹」「2人姉弟」という表記にしますか?それとも「2人兄弟」でしょうか?はたまた「平仮名」で「2人きょうだい」でしょうか?ご教示ください。』

対する各社の意見は、

(NHK)そういうケースは平仮名で「きょうだい」とする。今の大河ドラマは「2人のきょうだいの物語」(吉田松陰と妹)。現場からは「兄妹」と書いて「きょうだい」と読ませたいと言って来たが、却下した。

(日本テレビ)3人以上で男女混合の場合は「兄弟」か「きょうだい」だが、「兄2人と妹」では「兄妹」と書いて「きょうだい」と読ませるケースもある。

(フジテレビ)平仮名で「きょうだい」を勧めるが「兄弟」とすることもある。

(テレビ朝日)悩ましい。ルールはない。「兄妹」とテロップを出して「兄と妹」と読む。「きょうだい」とは読ませない。それを認めると「母子」(あるいは「父子」)と書いて「おやこ」と読ませるのか?という問題も出て来る。

(テレビ東京)ルールはない。「姉弟」なら読みは「してい」ではなく「あねとおとうと」と読ませる。「兄妹」は「きょうだい」と読むこともある。3人以上で男女混合の場合は「兄弟」と書くこともあるが、その場その場で検討している。

(共同通信)平仮名で「きょうだい」と書く。

(ABC)きまりはない。「きょうだい」と平仮名で書こうと申し合わせる程度。芸能コーナーで「きょうだいが欲しい」と言っているのに「姉妹が欲しい」とスーパーしたことがあったが、これは×。

(MBS)「兄妹妹」「兄妹弟」「姉弟弟」「姉妹弟」などの男女混合の3人兄弟は「兄妹」「姉弟」で「きょうだい」と読んでOK。平仮名の「きょうだい」も、もちろんOK。体操の田中理恵元選手は「兄妹弟」の「3人きょうだい」が、これも「兄妹」or「姉弟」と書いて「きょうだい」と読んでよい。

(KTV)平仮名の「きょうだい」で統一。

(TVO)ルールはないが、平仮名で「きょうだい」にしている。

(読売新聞)平仮名で「きょうだい」。元々、日本語「きょうだい」は、男女の区別はしていない。例えば「イスラム国」に殺された後藤健二さんには、「兄と姉」がいるが、その場合は「3人きょうだい」と書く。

(TBS)ロンドン五輪時の田中理恵選手は「田中3兄弟」とはせずに「田中3きょうだい」とした。「2人兄妹」は「ふたりけいまい」、「2人姉弟」は「ふたりしてい」と読めと言っている。

というものでした。

「平成ことば事情5839きょうだい」も、お読みください。

 

(2015、10、26)

2015年10月28日 21:57 | コメント (0)

新・読書日記 2015_142

『BLUE GIANT 1~6』(石塚真一、小学館:①②③④⑤⑥)

 

 

石塚真一さんの作品と言うと『岳』。これも好きだった。

その連載が終わった後に始まったのが、世界一のジャズプレーヤーを目指す高校生の物語。これも熱い青春物!隔週の『ビッグコミック』で、毎号読んでいます。本屋さんでなかなかこの単行本を見かけなかったのですが、連載から2年でもう6巻出てて、もうすぐ7巻が出る!(11月30日予定)まとめて注文して、まとめて読みました!

まとめて読むことで、「ああ、そうだったなあ」と思い出せて、物語の全体像が分かった。また、各巻の最後に単行本の「オマケ」として、その巻を代表する登場人物が、「世界的ジャズプレーヤーとなった大(主人公)」の当時の印象やその後について語っているんですよ、インタビューを受ける形で。これは連載には付いてなかったので、初めて読みました。クーッ、良いなあ!続きが早く読みたいです!

(2015、10、17読了)

(☆4つ半)


star5

2015年10月27日 11:41 | コメント (0)

新・読書日記 2015_141

『資本主義の「終わりの始まり」~ギリシャ、イタリアで起きていること』(藤原章生、新潮選書:2012、11、20)

 

 

どうもこのところ「資本主義が行き詰まっていること」が気にかかる。そんな大上段の話をしても・・・とも思うが、ふと気が付くと購入して読んでいたのがこの本。読み終わってから、「2015読書日記140」で読んだ『資本主義の終焉と歴史の危機』(水野和夫、集英社新書)と、とってもタイトルやテーマが似ているということに気が付いた。まあ、3年前に書かれてはいるんだけど。

『資本主義の終焉と歴史の危機』は「終わりだよ、危ないよ!」と警鐘を鳴らしていたが、この本ではその解決策として、今の資本主義社会(新自由主義経済)では「落第者・落伍者」と見られている「ギリシャ・イタリア」という南欧系の国の生き方に、解決の糸口があるのではないか?と提唱している。

著者は、私と同い年の1961年生まれ。北海道大学を出て、住友金属鉱山の技師を経てから毎日新聞記者になったという変わり種(でもないか。)。アフリカ特派員、メキシコ支局長を経てローマ支局長を務めている。

イタリアの映画監督「テオ・アンゲロプリオスの死」から話は始まる。哲学者のようなこの映画監督が話していた内容は、

「いまは、これまで私が生きて来たギリシャの歴史の中で最も悲劇的な時代だと思う。(中略)いまが最も悲惨なのは、歴史的展望がないからだ。私達は、いわゆる未来についての手掛かりを持てない時代に生きている。誰もが昨日今日のことを語るが、そこには歴史的な展望とよばれるものはない。」

「いま話した"歴史的な展望"というのは未来を見通す政治という意味だ。つまり、私達はより良い世界を目指し、努力しなくてはならないのに、経済問題を解決することばかりに躍起になっている。」

「私たちはいま、大きな待合室にいるのだと思う。部屋の奥には扉がある。その扉が開くのか、その向こうに何があるのかを誰も知らない。では、どうしたらいいのか。終りのないチェスをしコマを動かすことしかできない。そこに勝者はなく、みな敗者となる。そして、扉が開くのをただ待っている。繰り返そう。いつ扉が開き、その向こうに何があるのかは、誰も知らない。」

というような「哲学的」な言葉。わあ、なんてミステリアスな!これが、この本のキーワードだな。

そして、関西空港の設計者として関西人にも有名な、イタリアの世界的建築家、レンゾ・ピアノ氏の言葉も出て来る。

「私は技術を信奉しているが、社会を脅かし傷つける秘術は支持しない。技術にはいい技術と悪い技術があり、原発はやはり後者ということが明らかになった。私は自分の中の一面を『日本人』だと思っている。日本人と交流することで、私は彼らの素の姿をつかんだ。だから、『日本人』として、以前から原発のことが心配だった。それでも原発をうまく使いこなせるのは、日本人くらいだと常々語って来た。私が関西国際空港を建設した三十八カ月の間、三十二回の小規模地震があった。それでも五千人の関係者が誰も死ななかったのは、彼らが日本人だったからだ。日本の技術管理はずば抜けたものだといまも思っている。」

私は「良い技術と、悪い技術がある」というくだりには、賛同できない。技術そのものに善悪はなく、それを使う「人間」によって左右されるのだと思う。

しかし、こうまで信用されていたのに、地震・津波によって福島の原発事故が起き、それから4年半たって、横浜のマンションの杭の問題とか出て来て、更に原発の再稼働まで始めた。これは、レンゾ・ピアノ氏がいう「日本人」とは、「違う種類の日本人」なのではないか?

この本は刺激的で、上質なミステリ-を読んでいるような感じがした。

 

 


star4

(2015、10、11読了)

2015年10月26日 18:24 | コメント (0)

新・読書日記 2015_140

『資本主義の終焉と歴史の危機』(水野和夫、集英社新書:2014、3、19第1刷・2014、6、17第7刷)

 

 

1990年代後半、二十世紀の終わり頃に「終末論」が出てきたが、二十一世紀に入って10年以上たった現在、「3、11」東日本大震災を始め、御嶽山の噴火など、様々な異常気象など、また「終わり」を感じさせる出来事続いた。音楽シーンでは「SEKAINO OWARI」(世界の終り)という名前のバンドが人気らしい。

で、本書もタイトルに「終焉」という言葉が入っている。昨年の3月に出てベストセラー、「新書大賞」も取ったぐらい人気の一冊だが、専門的でちょっと難しかったのでようやく読み終えた。読んでみると大変興味深い内容。「歴史」に対してこれまでと違った角度での視点で、「新しい枠組み」を提案している。

 

 


star4

(2015、8、3読了)

2015年10月25日 12:15 | コメント (0)

新・読書日記 2015_139

『タモリと戦後ニッポン』(近藤正高、講談社現代新書:2015、8、20)

 

 

「2015読書日記138」で書いた『タモリ論』(樋口毅宏、新潮新書)を読み終わったら、この本が目につき購入。「タモリ論」よりも、やや学術的な感じで書かれています。著者の近藤さんは、『タモリ論』の著者・樋口さん(1971年生まれ)よりも更に若い「1976年生まれ」。つまり、タモリさんがデビューした後に生まれたような世代の若い人。生まれたときからテレビがあった我々世代(1961年生まれ)は「テレビっ子」と呼ばれましたが、さしずめこの著者たちの世代は、「生まれたときからタモリが活躍していた」という意味で「タモリっ子」と言えるのではないでしょうか?つまり、我々世代が見る「タモリ」とは、別の視点で「タモリ」を捉えているということが、樋口さんの本で分かり、この本で、更にその「タモリ」の持つ「社会的意味」のようなものがよく分かりました。特に終章の「タモリと日本の"老後"」は、しみじみと読みました。

 

 


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(2015、10、7読了)

2015年10月24日 13:13 | コメント (0)

新・読書日記 2015_138

『タモリ論』(樋口毅宏、新潮新書:2013、7、20第1刷・2013、7、25第3刷)

 

 

この本が出た2年前、本屋さんでは見かけたけど、買いませんでした。なんかこれは読んではいけないような気がして。内容が、どうなんだろうな・・・という気もしていました。著者の樋口さんって人を知らないし、奥付(と言うか裏表紙)を見たら、私より10歳も若い人だし、正直言って「信頼がおけない」感じでしたから。

先日、新古書店の「100円均一」の棚でこの本を見つけ、つい買ってしましました。安い。そしてこの本が、タモリさんが「笑っていいとも!」を辞める(というか「笑っていいとも!」が終了する)前に書かれた物だと知って、ある意味「予言の書」だなと思い興味を持ったのです。(まあ誰が見ても、いつ終了してもおかしくないぐらいの長寿番組ではあったのですが。)そして、帯にあるように「やっぱり凄い!」と思いました。

タモリさんがテレビで生きて来たこの30~40年という時期、これはタモリさんについて書かれた本なのですから「タモリ史」であると同時に、「テレビ史」でもあり、また「昭和~平成の時代史」でもあるのです。

そう思っていたら、今度は本屋さんで、出たばかりの『タモリと戦後ニッポン』(近藤正高、好男子現代新書)という本も見つけ、こちらも読んでしまいました。

そして改めて、「ああ、タモリさんと同時代に生きていてよかったな」と思いました。会ったことはないけどね。

 

 


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(2015、9、27読了)

2015年10月24日 10:12 | コメント (0)

新・読書日記 2015_137

『日本人はなぜ戦争へと向かったのか~メディアと民衆・指導者編』(NHKスペシャル取材班編著、新潮文庫:2015、7、1)

 

 

NHKスペシャルの取材班が、日本はなぜ、満州事変以降、日中戦争・太平洋戦争に突入していったのかを、「メディアと民衆」「指導者」に分けて、その原因を追究した一冊。

「無謀な戦争」であると誰もが分かっていたのに、阻止できなかったのはなぜか?しかも「メディア」は民衆をあおり"熱狂"を作り出して行った。「大阪朝日」は満州事変時、「事変拡大阻止」の論陣を張ったところ、「不買運動」が起き、約1か月後やむなく「賛成」に回ったと。それは「憲兵調書」に載っているのだそうだ。静岡県立大学の森山優(あつし)准教授が「"非決定"という恐るべき『制度』」というタイトルで述べている内容によると、「非決定」、つまり「両論併記」「先送り」によって、ズルズルと戦争の泥沼に入り込んでいったという。勉強になった。

 

 


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(2015、8、24読了)

2015年10月23日 21:11 | コメント (0)

新・ことば事情

5879「英中か?中英か?」

 

中国の習近平国家主席が、国賓としてイギリスを訪問しています。それを報じた新聞各紙(10月22日の朝刊。産経のみ関西の夕刊)を見たら、「英中」としている新聞と「中英」としている新聞がありました。

(朝日)英中蜜月

(毎日)英中7兆円商談

(産経)中英7兆円契約

(日経)中英首脳

(読売)中英7兆円協力 / 英中間の主な経済協力案件

ということで、朝日・毎日が「英中」、産経・日経が「中英」、読売は「中英」ですが、解説記事の表のタイトルは「英中」でした。これは、

「どちらの国を主にして考えているか」

ということが表れていると思います。つまり、

「朝日・毎日」は「英国=イギリス側」の視点で見ているのではないか?

そして、

「産経・日経・読売」は「中国の動きに注目しているのではないか?」

ということです。読売は、中国にも注目しているけど「序列」としては「英国」を取っているということですかね?

「日本」が他国と一緒に何かを言う時は「日本」が先に来て、

「日米」「日英」「日中」「日韓」「日独」「日仏」「日伊」「日豪」「日露」「日朝」

等となりますが、「日本ではない2国」の場合、しかも漢字で略すことができる国の場合は、「その順番」に注目するのも、興味深いですね。

ちなみに、10月22日の「ミヤネ屋」でこのニュースを報じる時に、左上の「サイドスーパーが、何と、

「米中会談」

になっていたので、驚いててすぐにオペレーターに電話して、

「『米中』と違よ!『中英』か『英中』かやで!直して」

と指示しました。放送では、

「英中会談」

と出ましたが、危なかった!

(2015、10、22)

2015年10月23日 18:31 | コメント (0)

新・読書日記 2015_136

『日本は戦争をするのか~集団的自衛権と自衛隊』(半田滋、岩波新書:2014、5、20)

 

 

去年(2014年)の7月1日、「集団的自衛権」が閣議決定される「前」に出された本。

読んでいてボールペンで赤線(傍線)を引いた部分を、抜き書きする。

・「太平洋戦争で亡くなった二百三十万人のうち、六割が餓死だったとの説がある。(藤原彰『餓死(うえじに)した英霊たち』青木書店)物資供給できないほどの無謀な作戦は『十死霊生』の特攻と共通するもので、戦争を指導した軍部の『人災』による『野垂れ死に』を隠すため『英霊』として靖国神社に祭り上げ、責任追及の矛先をかわした。」(5~6ページ)

・「ケリー、ヘーゲル両氏による千鳥ヶ淵戦没者墓苑への献花は、アーリントン墓地に近いのは千鳥ヶ淵戦没者墓苑であるとの米政府の考えを示し、安倍首相の『靖国参拝は極めて当然』との主張を否定するメッセージであった。」(6ページ)

・「(オスプレイ)製造元のボーイング社は『マイナス十七度からセ氏五十度まで極端な温度の中でのテストをし、合格している』(10ページ)

・「安倍首相は二0一三年四月二十三日の参院予算委員会で『村山談話』について聞かれ、『侵略という定義は学会的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係でどちらから見るかで違う』と答弁した。明らかに間違っている。一九七四年の国連総会決議3314は『侵略とは、国家による国家の主権、領土保全もしくは政治的独立に対するまたは国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使であって、この定義に述べられているものをいう』と侵略の定義を明快に示し、条文で具体的な侵略行為を挙げている。日本は、もちろん賛成し、全会一致で決議された。」(14ページ)

・「『日米同盟の強化』を繰り返す安倍首相。その実現のために首相自身が最大の障害になっている。負い目があるからこそ、米国が望むものを差し出す必要に迫られる。それこそが、米国が長年にわたり、日本に求めてきた集団的自衛権と考えているのではないのか。」(18ページ)

・「海上保安庁の巡視船は重油で動くディーゼル・エンジンであるのに対して、海上自衛隊の護衛艦は軽油のガス・タービンエンジンというようにエンジン構造が異なるため、海保が護衛艦を受け取っても使いこなせない」(21ページ)

・「もっとトンチンカンなのは、海保に即応予備自衛官を編入させるとの主張だ。即応予備自衛官は約五千八百人いるが、すべて陸上自衛官である。」(22ページ)

・「二0一二年四月に発表した『自民党憲法改正草案』は、驚くべき内容である。現行憲法の特徴である『国民の権利や自由を守るため国家や為政者を縛るための憲法』は、『国民を縛るための国家や為政者のための憲法』に主客転倒している。近代憲法の本質が権力者が暴走しないように縛る『立憲主義』をとっているのに対し、自民党草案は権力者の側から国民を縛る逆転の論理に貫かれている。(25~26ページ)

・「国会論議を経ないで閣議決定だけで憲法の読み方を変えてよいとする首相の考えは、行政府である内閣の権限を万能であるかのように解釈する一方、立法府である国会の存在を無視するのに等しい。憲法が定めた三権分立の原則に反している。」(30ページ)

・「首相の政策実現のためには、これまでの憲法解釈を否定し、独自のトンデモ解釈を閣議決定する行為は立憲主義の否定であり、法治国家の放棄宣言に等しい。『首相によるクーデター』と呼ぶほかない。」(32ページ)

第1章の中だけで、たかだか300ページぐらいの中に、これだけある。全部書いていると、一冊全部、抜き書きになってしまうので省略する。第2章は「法治国家から人治国家へ」、第3章「安保法制のトリック」、第4章「『積極的平和主義』の罠」、第5章「集団的自衛権の危険性」、第6章「逆シビリアンコントロール」。読んでください。

 


star4

(2015、8、14読了)

2015年10月23日 16:10 | コメント (0)

新・読書日記 2015_135

『未来のことは未来の私にまかせよう~31歳の胃がんになったニュースキャスター』(黒木奈々、文藝春秋:2015、3、30)

 

 

「ミヤネ屋」でも取り上げた、フリーアナウンサーの黒木奈々さんの自伝。闘病記。正直言って、彼女の存在を不勉強で知りませんでした。せっかく毎日放送に入り報道記者に配属されたのに、希望のアナウンサー職にはなれなかったので、たった1年で辞めて、フリーで「アナウンサー」の道を目指す。「信念」を持ってやりたい仕事に向かう、前向きな彼女。残念ながら黒木さんは病気が発覚してから1年余りで、この放送の前に亡くなってしまいました。32歳、余りにも若い、前途洋洋だったのに、可哀想すぎます。ちょうどそのころ、私とほぼ同い年の川島なおみさんが亡くなったのにも驚きました。川島さんも若くして亡くなったんだけど、その川島さんよりも20歳以上も若いというのは・・・・。

最近、芸能人などの「がん」の闘病の様子がよく報じられます。「がん」という病気が、早期発見できれば「死に至る病ではない」ようになってきたとはいえ、やはり大変な病気なのだなと改めて感じました。合掌。

 

 


star3

(2015、9、28読了)

2015年10月22日 23:08 | コメント (0)

新・ことば事情

5878「ハロウィーンの表記」

 

10月末の「ハロウィーン」もすっかり日本でも行事として定着した感じですね。日本人は何か「お祭り」を求めているのかな。ちょっと「商業ベース」のような気もしますが。

近くのショッピングモールで、洋菓子店などで表記を見てみたところ、

「ハロウィン」=6店

「ハロウイン」=2店

「ハロウィーン」=2店

でした。読む分には、ちょっとぐらい表記が違っても、全然気になりません。書く際に「あれ?どっちだっけ?」と気になるわけですね。

また、近所の本屋さんの特集コーナーに並んだ「ハロウィーン本」の表記は、

「ハロウィン」=6冊

「ハロウイン」=2冊

「ハロウィーン」=2冊

あれ?「洋菓子」と同じ分布だ!

ちなみに日本新聞協会の『新聞用語集2007年版』では、

「ハロウィーン」

と伸ばして「ィ」は小さい。新聞は、大体この表記になっているはずです。

テレビはそれほど表記に関しては厳しくないので、恐らくバラバラです。

グーグル検索では(10月21日)多い順に、

「ハロウィン」= 4180万0000件

「ハロウィーン」= 354万0000件

「ハロウイン」=   53万7000件

「ハロウイーン」=   8万3600件

で、「洋菓子」や「本」の比率は、

「ハロウィン:ハロウイン:ハロウィーン:ハロウイーン」=「6:2:2:0」

だったのに対して、ネット検索では、

「ハロウィン:ハロウイン:ハロウィーン:ハロウイーン」=「42:35:5:1」

でした。つまり「-」が入って伸ばす割合は、「洋菓子」や「本」では、

「伸ばさない:伸ばす」=「4:1」(=「8:2」)

だったのに対して、ネットでは、

「伸ばさない:伸ばす」=「13:1」

と、ネットのほうが「伸ばさない傾向が強い」ことが分かりました。

 

(2015、10、21)

2015年10月23日 12:21 | コメント (0)

新・ことば事情

5877「おかまバー」

 

<メモとして書き始めたのは2006年12月。その際の番号は「平成ことば事情2819」でした。もう9年前のメモを書き継ぎました>

 

去年(2006年)12月18日のお昼のニュースを見ていたら、テレビ朝日が、

「おかまバー 脱税で摘発」

というニュースをしていました。え?ニュースで堂々と「おかま」なんて言葉を出す?とビックリしたのですが、字幕でも、

「おかまのショーが店の売り物」

という表現も出ていました。ネット版の「夕刊フジ」の見出しは、

「女装男性ショーパブ」

で、本文では、

「女装した男性が接客するショーパブを経営している男」

と書いていました。これに対して、日本テレビでは、

「ニューハーフショーを商売にするパブの責任者が・・・」

で放送していました。「おかまバー」では出しませんでした。

2007年2月1日の読売新聞の「Y&Yテレビ」という別刷りの紙面で、

「『おネエ』キャラ大集合」

という特集が載っていました。たしかに、

「おネエキャラ」

という表現も出てきていますね。

<そして、9年が経って。。。>

2015年10月8日、「ミヤネ屋」でディレクターが、

「『おかまバー』という表現が芸能コーナーで出て来るんですが、使ってもいいんですかねえ・・」

と相談に来ました。

「それはイカンなあ」

ということで、

「ニューハーフバー」

に代えてもらいました。

「性的表現」に関しては、あからさまに放送で表現するのは、放送の時間帯なども考慮しなくてはならない。「表現の自由」はもちろん考慮しつつ、その言葉・表現を耳にして目にして、視聴者が不愉快に思わない表現を、でき得る限り心掛けなくてはならないなと思いました。

 

(追記)

2012年10月に開かれた「関西地区用語懇談会」での討議内容が出て来ました。その際は、事前に幹事社から「いわゆる差別用語の使用状況について」というようなアンケートが各社に配られており、その回答の発表と意見交換という形でした。回答した社は全国紙5社、スポーツ紙4社、通信社2社、テレビ局5社、ラジオ局1社、地方新聞社8社の、合計25社でした。以下にその結果を記します。※( )内はテレビ局の数、★=ytvの回答。「規定なし」は「規定はないが、できるだけ使わない」という意味です。

(語)       (使う) (規定有り使わない) (規定なし)

おかまショー      5      3(3)★    17(2)

でした。

(2015、10、28)

 

 

 

(2015、10、9)

2015年10月23日 10:17 | コメント (0)

新・ことば事情

5876「巻き込まれた」

 

 

10月22日の日本テレビ「ストレイトニュース」のトップで、名古屋の工事現場でブロック塀が倒れ、現場の作業員2人が下敷きになるという事故を伝えていました。

その中で、中京テレビの原稿に、

「巻き込まれた2人は」

というフレーズがあり、「おや?」っと思いました。

「事件」や「事故(特に交通事故・交通渋滞)」、あるいは「騒動」に関しては、確かに、

「巻き込まれる」

という表現があると思います。今回の「ブロック塀が倒れた」というのも「事故」ではありますが、「交通事故」に「巻き込まれた」と言うのとは、ちょっと違うような。あくまで「塀が倒れた」のだから、

「事故に遭った2人」

のほうが、表現としてふさわしいのではないかと感じました。

あ、それと「巻き込まれる」には、

「本来の当事者ではないのに、端(はた)にいて、巻き添えを食った形」

のイメージがありますが、今回は、

「まさに事故の当事者」

ですから「巻き込まれた」は不都合なのではと思うのですが、いかがでしょうか?

 

(2015、10、22)

2015年10月22日 20:14 | コメント (0)

新・読書日記 2015_134

『おかんメール2』(おかんメール制作委員会、扶桑社:2014、10、10第1刷・2015、7、20第16刷)

 

 

1巻が「31刷」、2巻が「16刷」。2巻目になると半減ですが、それは、後から出たからで、そのうち追いつくのか?もうちょっと読んでみたいと思う人の割合は、こんな感じなのかな?

おかん(お母さん)からのメールやLINEの面白い文を紹介する本です。大体「おかんメール」の特徴は、

(1) メールやLINEなどを使いこなせていないことによる、おかしな文章。

(2) 発想が自由で、比喩などがおもしろい

(3) 本音で勝負している。

(4) 漢字に変換するのが面倒なので、全部ひらがなで打つアバウトさ。(相手の読みやすさなどは考えない。)それによって生じた自分のミスに対する寛容さ。

といったような点ですね。面白かったものをいくつか紹介します。

 

*「冷蔵庫でチンして食べて」

~「冷蔵庫」で「チン」できるかい!それは「電子レンジ」や!というツッコミが入るところだが、

「冷蔵庫(に入れてある夕食の料理を電子レンジ)でチンして食べて」

の( )内が省略されたと考えれば文体も納得がいくし、そもそも「冷蔵庫」で「チンする」奴はいなくて、この文章を読んで100人中100人が、ちゃんと電子レンジで「チンして」食べるだろう。ということは、意味は通じている。OKじゃん!

 

*件名:コアラ 本文:佃煮にする程いたよ。(オーストラリアに行った母からのメール)

~「佃煮」って・・・魚じゃあないんだから!比喩がユニーク!

 

*「スーパーでお米5キロ刈ってきて」

~スーパーに「たんぼ」は、ありません。

 

*今月、大仏買ってしまってピンチです!

~「大仏」なんか買うから・・・あ、「だいぶ・つかってしまって」か!

 

といった具合です。笑えますよ。

 

 

 


star3

(2015、10、18読了)

2015年10月22日 16:01 | コメント (0)

新・読書日記 2015_133

『おかんメール』(おかんメール制作委員会、扶桑社:2014、5、11第1刷・2015、9、20第31刷)

 

扶桑社は、こんな本つくるの、うまいなあ。でも、これって完全に『宝島』の『VOW』ですよね。『VOW』を知らない若い世代が読んでるんじゃないかなあ。めちゃくちゃ売れているようです。発売1年半で、もうこれ「31刷」だって!「おかん」ってネタの宝庫ですね。

でも「おかあさん」を「おかん」と呼ぶのは、そもそも関西弁、それも下町に限られていたのに、全国的になったのは、リリー・フランキーの『東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン〜』ぐらいからかなあ。あれが「2006年」ですから、もう10年経つんだなあなどと考えておりました。

この「おかんメール」、もう「4巻」まで出ているそうですが、一気に4巻、買ってしまいました。

 

 


star3

(2015、10、18読了)

2015年10月22日 10:59 | コメント (0)

新・読書日記 2015_132

『郵便をゆく』(***、イカロス出版:2015、11、5)

 

 

ムック本。たまたま本屋さんで見かけた、「きっと内藤陽介さんの名前があるはず。」と思ったらやっぱり載っていました、郵便学。

切手のデザイナー7人の素顔が描かれていたのは新鮮。こんなに若い(感じ)の人たちが、たった7人で決めているんだ!と感動。

 

 


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(2015、10、7読了)

2015年10月21日 22:58 | コメント (0)

新・読書日記 2015_131

『感情的にならない本』(和田秀樹、新講社:2013、11、22初版第1刷・2015、6、1第2版16刷)

 

割とよく感情的になるというか、沸点の低い私としては、こういう本をよく読むのですが、たいていは「それが簡単に出来るのなら、やっとるわい!」と、帰って怒りに油を注ぐような本が多い中で、この本はさすがベストセラーだけあって、納得のいく説明が多かったように感じます。

 

 


star3_half

(2015、9、6読了)

2015年10月21日 20:56 | コメント (0)

新・ことば事情

5875「フェミニンゾーン」

 

 

(2006年11月20日に書いたまま、ほったらかしになっているのを発見!)

 

コマーシャルを見ていたら、聴き慣れない言葉が耳に飛び込んで来ました。

「フェミニンゾーン」

という言葉。あ、もしかしたらこれは、あれのことかな?

「平成ことば事情2721 あの困った臭い」で書いた、

「デリケートゾーン」

のことではないでしょうか?

女性の生理用品のコマーシャルで、出て来ますよね。

コマーシャルの台詞には、時々ハッとさせられます。

先日、目に(耳に)留まったのは、「バスマジックリン」のコマーシャルです。

「汚れはもちろん、あの困った臭いまでスッキリ!」

という台詞の中の、

「あの困った臭い」

という言葉に、オッと思いました。どんな臭いなのか、台詞では直接表現はしていないのですが、風呂掃除をしている人にはすぐにピンと来るような臭い、それを、

「あの困った(臭い)」

と表現しているのです。もちろん、

「あの、くさーい臭い」

という表現も考えられます。しかし、なぜそうしなかったかを考えると、こういった商品のコマーシャルは食事どきに流れることもあり、食事中の視聴者(購買者)を不愉快にさせないための配慮ではないか、とも考えられます。そのための、

「間接表現」

かもしれません。

(2015、10、20)

2015年10月20日 17:19 | コメント (0)

新・ことば事情

5874「一億か?1億か?」

 

10月7日に発足した第3次安倍改造内閣。その目玉として初入閣を果たした加藤勝信氏(59)。その担務は、

「1億総活躍・拉致問題担当大臣」

です。この「1億総活躍」の「1億総○○」は「ファシズム的だ」ということについては既に書きました。(平成ことば事情5864「一億総活躍社会」をお読みください。)

今回は「1億」か「一億」か?という表記の問題です。各新聞の10月8日の朝刊を見てみたら、

(読売)1億

(朝日)1億

(毎日)1億

(産経)1億

(日経)一億

と、日経新聞だけが「漢数字」の「一億」で、他紙は全て「洋数字」の「1億」でした。

放送では、日本テレビ系列(読売テレビも)は、洋数字の、

「1億」

ですが、NHKは漢数字の、

「一億」

でした。ネットニュースで捜してみると、

(NTV)1億

(NHK)一億

(フジテレビ)一億

(テレビ朝日)1億

(TBS)1億

(テレビ東京)1億

と、漢数字はNHKとフジテレビだけでした。

これって、どうやって決めたんでしょうか?今度の用語懇談会で聞いてみたいと思いますが。

なお、グーグル検索では(10月19日)

「一億総活躍担当相」=19万8000件

「1億総活躍担当相」=18万7000件

と競っています!

 

(2015、10、19)

2015年10月20日 12:11 | コメント (0)

新・ことば事情

5873「予選プール」

 

 

「ラグビーワールドカップ2015」での日本代表の大活躍は、胸が躍りましたね。史上初めて、ワールドカップの舞台で「3勝」を上げることができました。始まるまでに、ここまでの活躍を、誰が予想したでしょうか。すごい男たちです。

さて、3勝を上げたにもかかわらず、ボーナスポイントの差で、惜しくも目標の「決勝トーナメント進出」はなりませんでしたが、決勝トーナメントに行けなかったチームの中ではトップの成績、つまり「ベスト8」の次、「世界9位」の位置を得たのです。

さて、この日本代表が戦った、

「5チームずつ、4つに分かれたグループでのリーグ戦」

のことを、正式には、

「予選プール」

と呼ぶようで、中継を担当した「日本テレビ」では、この言葉を使っています。

10月12日の「ミヤネ屋」の放送でもディレクターが、

「1次リーグ」

という言葉を書いて来たのですが、

「予選プール」

に直して放送しました。しかし、「プール」というのは、

「水泳のプール」

みたいで、日本人には、なじみがありません。その為でしょうか、他のメディアでは、あまり「予選プール」は使っていないようです。

私がチェックした範囲では、10月12日の放送で、

(NHK)1次リーグ

(テレビ朝日)予選ラウンド(「報道ステーション」)

で、ネットの「共同通信」の配信記事でも、

「1次リーグ」

を使っていました。また、10月13日の夕刊各紙は、

(読売)グループリーグ

(朝日)1次リーグ

(毎日)1次リーグ

(産経)1次リーグ

(日経)1次リーグ

でした。そこで10月13日の「ミヤネ屋」では、

「グループリーグ」

を使いました。この戦いは「ワールドカップの本大会」であり「予選」ではないので、「予選リーグ」は使いにくいのと、「1次リーグ」にすると「2次リーグがあるのか?」と思いますが、「2次リーグ」はなく次は「決勝トーナメント」ですから、「1次リーグ」も使いにくい、という消去法と、同じ「読売グループ」が「グループリーグ」を使っていたことなどから、「グループリーグ」を選択しました。

 

(2015、10、13)

2015年10月19日 12:11 | コメント (0)

新・ことば事情

5872「生息と生育」

 

 

「かんさい情報ネットten.」のSチーフプロデューサーから、

「道浦さん、『植物』は『生息』って言いますかね?」

と質問を受けました。ああ、そうか、確かに「生息」は、

「動物」

のイメージがありますね。「生息」を辞書(『精選版日本国語大辞典』)で引くと、

*「せいそく(生息)」=人間や動物が生きながらえること。生活すること。生存。

とあり、「植物」には触れられていませんでした。

「植物だと『分布』かなあ・・・でも、それじゃあ『広がり』を表しているだけだし。『繁茂』は、たしかに植物だけど、『茂って』なきゃいけないから、微妙に違うなあ。」

と思って、ためしに、

「高山植物」

を引いてみたら、

「主に森林限界以上の高山に生育する植物の総称。(以下略)」

とありました。これだ!

「生育」

ですね。植物は「生育」。Sチーフプロデューサーも、納得してくれました。

 

(2015、10、13)

2015年10月14日 10:19 | コメント (0)

新・ことば事情

5871「ブロンソン」

 

 

「ミヤネ屋」のスーパーのクレジットの確認でで、漫画原作者の、

「武論尊」

さんの名前が出て来たので、

「この『武論尊』というペンネームは、『チャールズ・ブロンソン』の『ブロンソン』から取って『武論尊』にしたんだよ。知ってる?」

と、若いADに聞いたら、

「知りません」

と。ふと、思って、

「チャールズ・ブロンソンは知ってる?」

と聞いたら、

「それも知りません」

と。

「ウーン、マンダム!」

のコマーシャルのマネまでして、理解を促しましたが、知らないものは知らない・・・。

これが「世代差」というものなんでしょうねえ。

 

(2015、10、12)

2015年10月13日 19:09 | コメント (0)

新・ことば事情

5870「期待を一身に受け?背負い?」

 

 

ニュースを見ていたら、

「期待を一身に受けて」

という表現が出て来て、「あれ?」っと思いました。私の語感だと、

「期待を一身に背負い」

なのですが。

グーグル検索では(10月9日)、「期待を一身に・・・」

「受け」  =5万5200件

「背負い」 =1万8400件

「受けて」 =4万1500件

「背負って」=2万2000件

でした。ネット上では、「受け」「受けて」のほうが多いのですね。

 

(2015、10、9)

2015年10月12日 12:32 | コメント (0)

新・ことば事情

5869「ある一枚の写真」

 

10月9日、読売テレビの夕方のニュース「ten.」を見ていたら、こんなフレーズが出て来ました。

「店長が投稿した、ある一枚の写真があったのです」

これは「重複表現」ですね。「ある一枚写真が」の部分は、正しくは、

「ある写真が」

もしくは、

「一枚の写真が」

のどちらかでしょう。

「一枚の」は単なる「数詞」ではなく、「ある」という意味を含んでいますからね。ついつい、強調するために両方使ってしまったのでしょうけど、違和感がありました。

(2015、10、9)

2015年10月11日 12:31 | コメント (0)

新・ことば事情

5868「スーパーカケホ」

 

 

街で見かけたケータイのポスターに、こんな言葉が。

「スーパーカケホ」

恐らく、想像ですが、この「カケホ」というのは、

「かけ放題」

すなわち、

「定額通話サービス」

のことなんでしょうね。でも略し方が大胆です。

「カケホウダイ」→「カケホ」

と、「6文字」が半分の「3文字」になっています。「かけ放題」が「カケホ」ならば、

「食べ放題」は「タベホ」?

「飲む邦題」は「ノミホ」?

「ラブホテル」の略語の、

「ラブホ」

との区別はどうなるのでしょうか?

 

(2015、10、9)

2015年10月10日 12:29 | コメント (0)

新・ことば事情

5867「ノーベル生理学・医学賞の表記」

 

北里(きたさと)大学の大村智(さとし)特別栄誉教授(80)が、2015年の「ノーベル生理学・医学賞」に輝きました。おめでとうございます!!

この「ノーベル賞」の部門名の表記ですが、日本テレビ・読売テレビ系列では、2012年、iPS細胞の京都大学・山中伸弥教授の受賞時から、

「ノーベル生理学・医学賞」

で統一されました。「生理学」が先で「・」が入ってから「医学賞」の順番です。

これに対して各社の表記を見て見ると、私がチェックした範囲では、

 

*「ノーベル生理学・医学賞」=読売新聞・日経新聞・日本テレビ

*「ノーベル医学生理学賞」=朝日新聞・毎日新聞・テレビ朝日(?)・TBS・

山梨日日新聞(共同通信?)

*「ノーベル医学・生理学賞」=産経新聞・NHK・フジテレビ・テレビ朝日(?)

 

というふうに分かれていました。なんでなんでしょうね?

ちなみに英語ではどう書くのか?と思い英字新聞の「Japan Times」を持て見ると、

 

Nobel Prize in Physiology or Medicine

 

でした。この順番だと「生理学・医学賞」だし、逆から訳したとすると「医学・生理学賞」ですね。言いやすい(語呂の良さ)で言うと、

 

「ノーベル医学・生理学賞」

 

なんですけどねえ。

 

(2015、10、9)

2015年10月 9日 18:28 | コメント (0)

新・ことば事情

5866「『15年』のアクセント」

 

 

10月5日のテレビ朝日のお昼のニュースで、アメリカ・メジャーリーグのイチロー選手が、今シーズンの最終戦でなんと「ピッチャー」として登板したと伝えていました。15年のメジャーリーガー生活で初めてのことだそうです。このニュースを読んだ女性のカゲアナが、

「15年のキャリアで初めて」

という文章の、「15年の」を、

「ジュ/ーゴネンノ」

「平板アクセント」で読んだのです。これには違和感がありました。

今から10年程前に日本新聞協会の新聞用語懇談会・放送分科会で「助数詞の数え方」の一覧表を作った際に、この「15」を含む数字の読み方が、最近、変わってきているので、要注意という話が出ました。当時はまだ、間違った読み方(伝統的でない読み方)をする人は少数でしたが、今はかなり増えて来ています。

今回の「15年」を「平板アクセント」で読んだということに関して、その「伏線」として考えられるのは、

「15年目」

という言葉のアクセントです。これは、おそらく伝統的には、

「ジュ\ーゴネンメ」

と「頭高アクセント」で、あるいは、

「ジュ\ー・ゴ/ネンメ」

と「2語」に分けて発音されていたのかもしれませんが、すでに現在は、

「ジュ/ーゴネンメ」

という「平板アクセント」が一般的になっているのではないでしょうか?

そこからの類推で、「目」を取った「15年」も「平板アクセント」で読むようになって来ているのではないか?と思います。いかがでしょうか?

 

(2015、10、5)

2015年10月 6日 14:21 | コメント (0)

新・ことば事情

5865「漢数字と洋数字」

 

 

「数字」を表す場合に「一、二、三」と「漢数字」で表す場合と、「1、2、3」と「洋数字」で表す場合がありますが、その区別はどうしているのか?迷うことが多いと思います。

原則として、

「順番に数えられるものは『洋数字』」

で書きます。

「2階建て」「1児の母」「48歳」

といった具合です。この場合の「数字」は、「3階建て」「2時の母」「54歳」というように、増えたり減ったりできますよね。

しかし、「例外」が多いのですね。まず、「名前、地名、歴史的なもの」の場合は、「漢数字で」書きます。

「一郎」「三軒茶屋」「九代目・林家正蔵」

といった場合です。まあ「一郎」も「二郎」「三郎」「四郎」と増えることもありますが、だからと言って、

「1郎」「2郎」「3郎」「4郎」

おかしいでしょう?それ以外には、

「数字を取り換えられない、つまり『ことば』として意味のある場合」

です。例えば「ひとりっきりで、身寄りもなく暮らしている場合」の「ひとり暮らし」は、「1人暮らし」ではなく、

「一人暮らし」(あるいは「独り暮らし」)

と書きます。「ひとりぼっち」も、「1人ぼっち」ではなく、

「一人ぼっち」(あるいは「独りぼっち」)

ですね。「孤独さ」を強調する場合ですね。ここからの類推で、「夫婦」や「カップル」など「特定のふたり」を指す場合も「ミヤネ屋」では、「2人」ではなく、

「二人」

を使っています。この区別は難しいのですが、例えば、ある夫婦の間に子供が「2人」いる場合

「2人の子ども」

と書いた場合の「2人」は、

「子どもの人数」

を示しています。これに対して、

「二人の子ども」

と書いた場合の「二人」は「夫婦」を指します。

お分かりいただけましたか?

 

(2015、10、5)

2015年10月 6日 10:20 | コメント (0)

新・ことば事情

5864「一億総活躍社会」

 

 

安倍首相が、自民党総裁再選後に言い始めた、

「一億総活躍社会」

というキャッチフレーズ。

たしかに、国民みんなが活躍できる社会は素晴らしいかも知れません、国民みんなが活躍できない社会よりは。

しかし、この、

「一億総○○」

という言葉は、戦時中の、

「一億総火の玉」

や、敗戦後は手のひらを返したように、

「一億総懺悔(ざんげ)」

であり、高度経済成長時代の社会情勢を指した

「一億総中流」

や、ジャーナリスト・大宅壮一がテレビの普及でテレビばかり見ている人が増えたことを揶揄(やゆ)した有名な言葉、

「一億総白痴化」

というイメージがあります。そして言葉通り正に、

「全員が一丸となって頑張る」

イメージがあります。「戦時中」となんら、変わりがありません。つまりこれは、

「ファシズムを象徴する言葉」

なのではないでしょうか?「ファッショ」は「束ねる」という意味ですしね。

「一億総○○」を標榜する社会では、個人個人の自由や意思は、無視されることでしょう。もし、「一億総○○」の方向性とは違うことを、

「私は、こうやりたい」

と言うと、

「勝手なことを言うな!」

「みんながこうやろうとしているのに、なんで邪魔するんだ!」

と言われることでしょう。そして、その後に続く言葉は、

「非国民」

です。だって「一億(=国民)総○○」から外れるんだから。

これって、「よいこと」なんでしょうか?大いに疑問です。

 

(2015、9、30)

2015年10月 5日 22:19 | コメント (0)

新・ことば事情

5863「エクステ」

 

無許可で「まつ毛エクステ」を施術していた女が逮捕されたというニュースを流していました。それを見て思ったこと。

「『エクステンション』を略して『エクステ』と言うのならば、切り捨てられた『ンション』の立場はどうなる!」

でした。だって、そうでしょう!?「エクステンション」は、「EX(エクス)」が「テンション」に、くっついているわけですよね?ということは、後半の「テンション」からは「テ」しか残っていない。そうすると、「テンション」の省略語は、

「テ」

ということになってしまうじゃないですか!「テ」じゃ、意味が分からない。そういう不安を覚えたのでした。

 

(2015、9、30)

2015年10月 5日 19:16 | コメント (0)