新・読書日記
2015_142
『BLUE GIANT 1~6』(石塚真一、小学館:①②③④⑤⑥)
石塚真一さんの作品と言うと『岳』。これも好きだった。
その連載が終わった後に始まったのが、世界一のジャズプレーヤーを目指す高校生の物語。これも熱い青春物!隔週の『ビッグコミック』で、毎号読んでいます。本屋さんでなかなかこの単行本を見かけなかったのですが、連載から2年でもう6巻出てて、もうすぐ7巻が出る!(11月30日予定)まとめて注文して、まとめて読みました!
まとめて読むことで、「ああ、そうだったなあ」と思い出せて、物語の全体像が分かった。また、各巻の最後に単行本の「オマケ」として、その巻を代表する登場人物が、「世界的ジャズプレーヤーとなった大(主人公)」の当時の印象やその後について語っているんですよ、インタビューを受ける形で。これは連載には付いてなかったので、初めて読みました。クーッ、良いなあ!続きが早く読みたいです!
(2015、10、17読了)
(☆4つ半)
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2015年10月27日 11:41
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新・読書日記
2015_141
『資本主義の「終わりの始まり」~ギリシャ、イタリアで起きていること』(藤原章生、新潮選書:2012、11、20)
どうもこのところ「資本主義が行き詰まっていること」が気にかかる。そんな大上段の話をしても・・・とも思うが、ふと気が付くと購入して読んでいたのがこの本。読み終わってから、「2015読書日記140」で読んだ『資本主義の終焉と歴史の危機』(水野和夫、集英社新書)と、とってもタイトルやテーマが似ているということに気が付いた。まあ、3年前に書かれてはいるんだけど。
『資本主義の終焉と歴史の危機』は「終わりだよ、危ないよ!」と警鐘を鳴らしていたが、この本ではその解決策として、今の資本主義社会(新自由主義経済)では「落第者・落伍者」と見られている「ギリシャ・イタリア」という南欧系の国の生き方に、解決の糸口があるのではないか?と提唱している。
著者は、私と同い年の1961年生まれ。北海道大学を出て、住友金属鉱山の技師を経てから毎日新聞記者になったという変わり種(でもないか。)。アフリカ特派員、メキシコ支局長を経てローマ支局長を務めている。
イタリアの映画監督「テオ・アンゲロプリオスの死」から話は始まる。哲学者のようなこの映画監督が話していた内容は、
「いまは、これまで私が生きて来たギリシャの歴史の中で最も悲劇的な時代だと思う。(中略)いまが最も悲惨なのは、歴史的展望がないからだ。私達は、いわゆる未来についての手掛かりを持てない時代に生きている。誰もが昨日今日のことを語るが、そこには歴史的な展望とよばれるものはない。」
「いま話した"歴史的な展望"というのは未来を見通す政治という意味だ。つまり、私達はより良い世界を目指し、努力しなくてはならないのに、経済問題を解決することばかりに躍起になっている。」
「私たちはいま、大きな待合室にいるのだと思う。部屋の奥には扉がある。その扉が開くのか、その向こうに何があるのかを誰も知らない。では、どうしたらいいのか。終りのないチェスをしコマを動かすことしかできない。そこに勝者はなく、みな敗者となる。そして、扉が開くのをただ待っている。繰り返そう。いつ扉が開き、その向こうに何があるのかは、誰も知らない。」
というような「哲学的」な言葉。わあ、なんてミステリアスな!これが、この本のキーワードだな。
そして、関西空港の設計者として関西人にも有名な、イタリアの世界的建築家、レンゾ・ピアノ氏の言葉も出て来る。
「私は技術を信奉しているが、社会を脅かし傷つける秘術は支持しない。技術にはいい技術と悪い技術があり、原発はやはり後者ということが明らかになった。私は自分の中の一面を『日本人』だと思っている。日本人と交流することで、私は彼らの素の姿をつかんだ。だから、『日本人』として、以前から原発のことが心配だった。それでも原発をうまく使いこなせるのは、日本人くらいだと常々語って来た。私が関西国際空港を建設した三十八カ月の間、三十二回の小規模地震があった。それでも五千人の関係者が誰も死ななかったのは、彼らが日本人だったからだ。日本の技術管理はずば抜けたものだといまも思っている。」
私は「良い技術と、悪い技術がある」というくだりには、賛同できない。技術そのものに善悪はなく、それを使う「人間」によって左右されるのだと思う。
しかし、こうまで信用されていたのに、地震・津波によって福島の原発事故が起き、それから4年半たって、横浜のマンションの杭の問題とか出て来て、更に原発の再稼働まで始めた。これは、レンゾ・ピアノ氏がいう「日本人」とは、「違う種類の日本人」なのではないか?
この本は刺激的で、上質なミステリ-を読んでいるような感じがした。
star4
(2015、10、11読了)
2015年10月26日 18:24
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新・読書日記
2015_140
『資本主義の終焉と歴史の危機』(水野和夫、集英社新書:2014、3、19第1刷・2014、6、17第7刷)
1990年代後半、二十世紀の終わり頃に「終末論」が出てきたが、二十一世紀に入って10年以上たった現在、「3、11」東日本大震災を始め、御嶽山の噴火など、様々な異常気象など、また「終わり」を感じさせる出来事続いた。音楽シーンでは「SEKAINO OWARI」(世界の終り)という名前のバンドが人気らしい。
で、本書もタイトルに「終焉」という言葉が入っている。昨年の3月に出てベストセラー、「新書大賞」も取ったぐらい人気の一冊だが、専門的でちょっと難しかったのでようやく読み終えた。読んでみると大変興味深い内容。「歴史」に対してこれまでと違った角度での視点で、「新しい枠組み」を提案している。
star4
(2015、8、3読了)
2015年10月25日 12:15
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新・読書日記
2015_139
『タモリと戦後ニッポン』(近藤正高、講談社現代新書:2015、8、20)
「2015読書日記138」で書いた『タモリ論』(樋口毅宏、新潮新書)を読み終わったら、この本が目につき購入。「タモリ論」よりも、やや学術的な感じで書かれています。著者の近藤さんは、『タモリ論』の著者・樋口さん(1971年生まれ)よりも更に若い「1976年生まれ」。つまり、タモリさんがデビューした後に生まれたような世代の若い人。生まれたときからテレビがあった我々世代(1961年生まれ)は「テレビっ子」と呼ばれましたが、さしずめこの著者たちの世代は、「生まれたときからタモリが活躍していた」という意味で「タモリっ子」と言えるのではないでしょうか?つまり、我々世代が見る「タモリ」とは、別の視点で「タモリ」を捉えているということが、樋口さんの本で分かり、この本で、更にその「タモリ」の持つ「社会的意味」のようなものがよく分かりました。特に終章の「タモリと日本の"老後"」は、しみじみと読みました。
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(2015、10、7読了)
2015年10月24日 13:13
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新・読書日記
2015_138
『タモリ論』(樋口毅宏、新潮新書:2013、7、20第1刷・2013、7、25第3刷)
この本が出た2年前、本屋さんでは見かけたけど、買いませんでした。なんかこれは読んではいけないような気がして。内容が、どうなんだろうな・・・という気もしていました。著者の樋口さんって人を知らないし、奥付(と言うか裏表紙)を見たら、私より10歳も若い人だし、正直言って「信頼がおけない」感じでしたから。
先日、新古書店の「100円均一」の棚でこの本を見つけ、つい買ってしましました。安い。そしてこの本が、タモリさんが「笑っていいとも!」を辞める(というか「笑っていいとも!」が終了する)前に書かれた物だと知って、ある意味「予言の書」だなと思い興味を持ったのです。(まあ誰が見ても、いつ終了してもおかしくないぐらいの長寿番組ではあったのですが。)そして、帯にあるように「やっぱり凄い!」と思いました。
タモリさんがテレビで生きて来たこの30~40年という時期、これはタモリさんについて書かれた本なのですから「タモリ史」であると同時に、「テレビ史」でもあり、また「昭和~平成の時代史」でもあるのです。
そう思っていたら、今度は本屋さんで、出たばかりの『タモリと戦後ニッポン』(近藤正高、好男子現代新書)という本も見つけ、こちらも読んでしまいました。
そして改めて、「ああ、タモリさんと同時代に生きていてよかったな」と思いました。会ったことはないけどね。
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(2015、9、27読了)
2015年10月24日 10:12
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新・読書日記
2015_137
『日本人はなぜ戦争へと向かったのか~メディアと民衆・指導者編』(NHKスペシャル取材班編著、新潮文庫:2015、7、1)
NHKスペシャルの取材班が、日本はなぜ、満州事変以降、日中戦争・太平洋戦争に突入していったのかを、「メディアと民衆」「指導者」に分けて、その原因を追究した一冊。
「無謀な戦争」であると誰もが分かっていたのに、阻止できなかったのはなぜか?しかも「メディア」は民衆をあおり"熱狂"を作り出して行った。「大阪朝日」は満州事変時、「事変拡大阻止」の論陣を張ったところ、「不買運動」が起き、約1か月後やむなく「賛成」に回ったと。それは「憲兵調書」に載っているのだそうだ。静岡県立大学の森山優(あつし)准教授が「"非決定"という恐るべき『制度』」というタイトルで述べている内容によると、「非決定」、つまり「両論併記」「先送り」によって、ズルズルと戦争の泥沼に入り込んでいったという。勉強になった。
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(2015、8、24読了)
2015年10月23日 21:11
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新・読書日記
2015_136
『日本は戦争をするのか~集団的自衛権と自衛隊』(半田滋、岩波新書:2014、5、20)
去年(2014年)の7月1日、「集団的自衛権」が閣議決定される「前」に出された本。
読んでいてボールペンで赤線(傍線)を引いた部分を、抜き書きする。
・「太平洋戦争で亡くなった二百三十万人のうち、六割が餓死だったとの説がある。(藤原彰『餓死(うえじに)した英霊たち』青木書店)物資供給できないほどの無謀な作戦は『十死霊生』の特攻と共通するもので、戦争を指導した軍部の『人災』による『野垂れ死に』を隠すため『英霊』として靖国神社に祭り上げ、責任追及の矛先をかわした。」(5~6ページ)
・「ケリー、ヘーゲル両氏による千鳥ヶ淵戦没者墓苑への献花は、アーリントン墓地に近いのは千鳥ヶ淵戦没者墓苑であるとの米政府の考えを示し、安倍首相の『靖国参拝は極めて当然』との主張を否定するメッセージであった。」(6ページ)
・「(オスプレイ)製造元のボーイング社は『マイナス十七度からセ氏五十度まで極端な温度の中でのテストをし、合格している』(10ページ)
・「安倍首相は二0一三年四月二十三日の参院予算委員会で『村山談話』について聞かれ、『侵略という定義は学会的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係でどちらから見るかで違う』と答弁した。明らかに間違っている。一九七四年の国連総会決議3314は『侵略とは、国家による国家の主権、領土保全もしくは政治的独立に対するまたは国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使であって、この定義に述べられているものをいう』と侵略の定義を明快に示し、条文で具体的な侵略行為を挙げている。日本は、もちろん賛成し、全会一致で決議された。」(14ページ)
・「『日米同盟の強化』を繰り返す安倍首相。その実現のために首相自身が最大の障害になっている。負い目があるからこそ、米国が望むものを差し出す必要に迫られる。それこそが、米国が長年にわたり、日本に求めてきた集団的自衛権と考えているのではないのか。」(18ページ)
・「海上保安庁の巡視船は重油で動くディーゼル・エンジンであるのに対して、海上自衛隊の護衛艦は軽油のガス・タービンエンジンというようにエンジン構造が異なるため、海保が護衛艦を受け取っても使いこなせない」(21ページ)
・「もっとトンチンカンなのは、海保に即応予備自衛官を編入させるとの主張だ。即応予備自衛官は約五千八百人いるが、すべて陸上自衛官である。」(22ページ)
・「二0一二年四月に発表した『自民党憲法改正草案』は、驚くべき内容である。現行憲法の特徴である『国民の権利や自由を守るため国家や為政者を縛るための憲法』は、『国民を縛るための国家や為政者のための憲法』に主客転倒している。近代憲法の本質が権力者が暴走しないように縛る『立憲主義』をとっているのに対し、自民党草案は権力者の側から国民を縛る逆転の論理に貫かれている。(25~26ページ)
・「国会論議を経ないで閣議決定だけで憲法の読み方を変えてよいとする首相の考えは、行政府である内閣の権限を万能であるかのように解釈する一方、立法府である国会の存在を無視するのに等しい。憲法が定めた三権分立の原則に反している。」(30ページ)
・「首相の政策実現のためには、これまでの憲法解釈を否定し、独自のトンデモ解釈を閣議決定する行為は立憲主義の否定であり、法治国家の放棄宣言に等しい。『首相によるクーデター』と呼ぶほかない。」(32ページ)
第1章の中だけで、たかだか300ページぐらいの中に、これだけある。全部書いていると、一冊全部、抜き書きになってしまうので省略する。第2章は「法治国家から人治国家へ」、第3章「安保法制のトリック」、第4章「『積極的平和主義』の罠」、第5章「集団的自衛権の危険性」、第6章「逆シビリアンコントロール」。読んでください。
star4
(2015、8、14読了)
2015年10月23日 16:10
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新・読書日記
2015_135
『未来のことは未来の私にまかせよう~31歳の胃がんになったニュースキャスター』(黒木奈々、文藝春秋:2015、3、30)
「ミヤネ屋」でも取り上げた、フリーアナウンサーの黒木奈々さんの自伝。闘病記。正直言って、彼女の存在を不勉強で知りませんでした。せっかく毎日放送に入り報道記者に配属されたのに、希望のアナウンサー職にはなれなかったので、たった1年で辞めて、フリーで「アナウンサー」の道を目指す。「信念」を持ってやりたい仕事に向かう、前向きな彼女。残念ながら黒木さんは病気が発覚してから1年余りで、この放送の前に亡くなってしまいました。32歳、余りにも若い、前途洋洋だったのに、可哀想すぎます。ちょうどそのころ、私とほぼ同い年の川島なおみさんが亡くなったのにも驚きました。川島さんも若くして亡くなったんだけど、その川島さんよりも20歳以上も若いというのは・・・・。
最近、芸能人などの「がん」の闘病の様子がよく報じられます。「がん」という病気が、早期発見できれば「死に至る病ではない」ようになってきたとはいえ、やはり大変な病気なのだなと改めて感じました。合掌。
star3
(2015、9、28読了)
2015年10月22日 23:08
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新・読書日記
2015_134
『おかんメール2』(おかんメール制作委員会、扶桑社:2014、10、10第1刷・2015、7、20第16刷)
1巻が「31刷」、2巻が「16刷」。2巻目になると半減ですが、それは、後から出たからで、そのうち追いつくのか?もうちょっと読んでみたいと思う人の割合は、こんな感じなのかな?
おかん(お母さん)からのメールやLINEの面白い文を紹介する本です。大体「おかんメール」の特徴は、
(1) メールやLINEなどを使いこなせていないことによる、おかしな文章。
(2) 発想が自由で、比喩などがおもしろい
(3) 本音で勝負している。
(4) 漢字に変換するのが面倒なので、全部ひらがなで打つアバウトさ。(相手の読みやすさなどは考えない。)それによって生じた自分のミスに対する寛容さ。
といったような点ですね。面白かったものをいくつか紹介します。
*「冷蔵庫でチンして食べて」
~「冷蔵庫」で「チン」できるかい!それは「電子レンジ」や!というツッコミが入るところだが、
「冷蔵庫(に入れてある夕食の料理を電子レンジ)でチンして食べて」
の( )内が省略されたと考えれば文体も納得がいくし、そもそも「冷蔵庫」で「チンする」奴はいなくて、この文章を読んで100人中100人が、ちゃんと電子レンジで「チンして」食べるだろう。ということは、意味は通じている。OKじゃん!
*件名:コアラ 本文:佃煮にする程いたよ。(オーストラリアに行った母からのメール)
~「佃煮」って・・・魚じゃあないんだから!比喩がユニーク!
*「スーパーでお米5キロ刈ってきて」
~スーパーに「たんぼ」は、ありません。
*今月、大仏買ってしまってピンチです!
~「大仏」なんか買うから・・・あ、「だいぶ・つかってしまって」か!
といった具合です。笑えますよ。
star3
(2015、10、18読了)
2015年10月22日 16:01
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新・読書日記
2015_133
『おかんメール』(おかんメール制作委員会、扶桑社:2014、5、11第1刷・2015、9、20第31刷)
扶桑社は、こんな本つくるの、うまいなあ。でも、これって完全に『宝島』の『VOW』ですよね。『VOW』を知らない若い世代が読んでるんじゃないかなあ。めちゃくちゃ売れているようです。発売1年半で、もうこれ「31刷」だって!「おかん」ってネタの宝庫ですね。
でも「おかあさん」を「おかん」と呼ぶのは、そもそも関西弁、それも下町に限られていたのに、全国的になったのは、リリー・フランキーの『東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン〜』ぐらいからかなあ。あれが「2006年」ですから、もう10年経つんだなあなどと考えておりました。
この「おかんメール」、もう「4巻」まで出ているそうですが、一気に4巻、買ってしまいました。
star3
(2015、10、18読了)
2015年10月22日 10:59
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新・読書日記
2015_132
『郵便をゆく』(***、イカロス出版:2015、11、5)
ムック本。たまたま本屋さんで見かけた、「きっと内藤陽介さんの名前があるはず。」と思ったらやっぱり載っていました、郵便学。
切手のデザイナー7人の素顔が描かれていたのは新鮮。こんなに若い(感じ)の人たちが、たった7人で決めているんだ!と感動。
star3_half
(2015、10、7読了)
2015年10月21日 22:58
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