新・ことば事情
5857「仏に仕える身」
少し前のことになりますが、6月18日に「ミヤネ屋」で放送した、愛媛の殺人事件で捕まった僧侶に関して、スタッフから原稿チェックで、
「仏に仕える身でありながら」
という表現に疑問が出ました。これが「神」であれば、
「神に仕える身でありながら」
というのは自然だと思うが、
「『僧侶』は『仏』に仕える者なのか?」
という疑問です。
たしかに、少し違和感があります。「僧侶」は、
「仏の道を説く者」
ですね。ですから、
「仏の道を説く身でありながら」
なら、自然ですし、意味は通ります。
日本人は「神様仏様」を「同じように考えている』ことが多いですが、微妙な表現の違いにも気を配りたいですね。
こういうメールを関係各所に送ったところ、萩原アナウンサーから返事が。
「標題の件について、確かに『神に仕える身』がいちばんしっくり来ることばだと感じます。しかし一方で、弟子が『師匠に仕える身』であるというのも問題のない用法だと感じます。で、『仏弟子』ということばがある通り、『僧侶』を『仏弟子=釈尊の曾々々・・・孫弟子』として捉えると、『仏に仕える身』も無理のないところかな、と思うのですが...。また、日々の勤行は、仏に仕える行為そのものだと聞いたことがあります。『仏』の語に様々な意味が込められていて一筋縄ではいかないところが問題だと思いますが、『仏に仕える身』は成立しない言葉でしょうか?成立するか否かの事とは別に、一般的に聞いた場合、『仏の道を説く身でありながら』の表現はベターだと思います。『神様仏様』と無自覚にまとめてしまわずに、微妙な違いにも気を配るべきだ、という本意も了解しました。何かの折りに『仏に仕える身』のここがダメ、という話を聞かせてください。」
ということでした。
なかなか、むずかしいですなあ・・・。