新・ことば事情
5835「『トムとジェリー』と『手のひらを太陽に』」
先日、ふと気付きました。
昔、見たアニメーション漫画、
『トムとジェリー』
の主題歌の歌詞と、これも子どもの頃によく歌った、
『手のひらを太陽に』
の歌詞が、「似ている」のではないか?と。比べて見ましょう。
「トムトジェリー」=「ネズミだって生き物さ、猫だって生き物さ」
これの作詞は、なんと「冗談工房」の、
「三木鶏郎」
さんだったんですね!「三木鶏郎」という名前は、大好きだった、
「ミッキーマウス」
になぞらえて、
「ミッキートリオ」
と読む(読ませる)はずが、司会者が、「トリオ」の所を、
「トリロー」
と読んでしまったので、「じゃあ、しゃあない、それで行くか」となったんだそうです。司会者の責任、重大ですなあ。
話がそれました、一方の『手のひらを太陽に』は、
『手のひらを太陽に』=「ミミズだってオケラだってアメンボだって、みんなみんな、生きているんだ、友達なんだ」
こちらは「アンパンマン」でおなじみの漫画家の、
「やなせたかし」
さんの作詞だということは、よく知られていますね。
発想が似ていますよね、この2つの歌詞は。根底にあるのは明らかに、
「リベラリズム」「平等」
です。これは、
「困っている人がいたら助ける」
「おなかが空いている人がいたら、自分の顔を食べさせてあげる」
といった「アンパンマン」の精神にも通じますね。
「三木鶏郎」と「やなせたかし」、年齢も近いのでは?と調べてみたところ、
*三木鶏郎 =1914年1月28日(生きていれば、101歳)
*やなせたかし=1919年2月 6日(生きていれば、 96歳)
ということで、たったの「5歳違い」。やはり、
「同じ時代を生きて来た人」
たちと言えそうですね。
2人は、太平洋戦争終結時(敗戦時)の年齢は、31歳と26歳。大人です。というより、まさに戦争に駆り出された世代の人たちではないでしょうか。多くの友人、先輩・後輩を亡くした。戦後、どういう思いでこういった曲の作詞をしたのでしょうか。
「手のひらを太陽に」は1961年(昭和36年)の曲。私の生まれた年です。
「トムトジェリー」の主題歌は、1964年(昭和39年)5月13日から(1966年(昭和41年)2月23日まで)流れていたようです。戦後16年から19年というところです。
当時、三木鶏郎さんは50歳、やなせさんは42歳。時代は、まさに高度経済成長の時代です。
1956年(昭和31年)が、「もはや戦後ではない」と言われた年。
最近読んだ本に、「高度経済成長」を支えたのは「一億総中流」の「中間層」であったと、そしてその「中間層」が「民主主義」も支えて来ていた、しかし現代は、その「中間層」が崩壊して「二極化」していると説くものがありましたが、高度経済成長によって「中間層=中流」が大勢を占めていく中で、「リベラル思想=平等」という考え方も広がって行ったのではないかなあと、感じます。その真っ只中を、お二人は生きていらっしゃったのではないかと。そして、21世紀の現在、「中流の崩壊」の中で、どう生きて行けばいいのか・・・。考えても、すぐには、答えは出ません。ただ、「戦前」と同じレールの上にだけは、乗ってはいけないということはわかります。三木鶏郎、やなせたかしのお二人が生きていたら、どのような曲・歌詞を書いてくれたことでしょうか。